2024年4月下旬



4月20日 土曜日 湿度は低いが陽射しが少なかった…

 目覚ましも掛けないのに、今朝は5時前に目が覚めた。昨日は結構お客が入ったので、週末の今日は蕎麦を二回打たなければならなかったのです。夕べ漬けたお新香も気になっていたから、やはり2時間は必要なのでした。日の出前の東の森は空が赤く染まっていましたが、すっきり晴れているというのではなくて、うっすらと雲がかかっているようなのです。厨房に入れば室温は18℃と、家の居間よりもかなり暖かい。それでも鼻水が出るのは薄着のせいか。

 今日は暖かくなるという夕べの予報だったので、お新香は沢山浸けておいたのです。残れば明日も使えるからと思って、12鉢も盛り付けたのでした。このほかに大根のなた漬けがあるから、10人以上のお客が来ても大丈夫。蕎麦打ち室に入って、いつもと同じ0.445%の加水で蕎麦を捏ねていけば、湿度が低いからかちょっと生地が硬いような気がした。二回打つので蕎麦玉は二つ作っておかなくてはならない。それで力を入れて伸したから薄い仕上がりになった。

 生地が薄く伸されると、蕎麦切りをした時に細い蕎麦が出来る。以前は、このくらいの細さで打っていたのですが、蕎麦が細すぎると言うお客がいるので、最近は少し太くして切っているのです。亭の蕎麦汁には、少し細めの蕎麦が合うような気がしているけれど、コシがあっても細すぎるというお客の声には耳を傾けないと行けないから、しばらくは切りべら22本ほどで出していたのです。今日は以前と同じく切りべら26本で、1.3mmほどの細い蕎麦が仕上がる。

 家に戻って朝食を食べたら、ぴったり1時間の朝寝です。9時には着替えを済ませて、居間の部屋でひと休み。台所を片付けている女将に声を掛けて、再び蕎麦屋に出掛けるのでした。陽射しはあるものの薄い雲が多くて、これは晴れとは言えない空模様なのです。暖簾と幟を出して厨房に入れば、いつもの通りの開店準備。野菜サラダを盛り付けて11時前だったから、今日は少し早かった。女将がやって来て、「今日は暖かいけれど晴れてはいないわね」と言う。

 朝の5時から頑張って沢山蕎麦を打ったのに、昼過ぎまでお客は来ないのでした。やっと昼を過ぎた頃からお客が来だして、休みの日だから出足が遅かったのだと分かる。若い方が多かったからか、天せいろの注文が続いて、タケノコの天麩羅や稚鮎、赤いかが続けて出たのです。洗い物はその都度できる混みようで、閉店間際にいらっした女性客はぶっかけ蕎麦の冷たいのを頼まれて、美味しかったとお帰りになる。2時半には女将と蕎麦屋を出たのです。


4月21日 日曜日 曇り空でも店は混んだ一日でした…

 今日も4時過ぎには目覚めて、コーヒーを入れて居間でゆっくりと明るくなるのを待っていました。早く起きるのが習慣となって、どうしても6時間ほどの睡眠で目が覚めてしまう。もう一度眠れば寝られるのだけれど、それでは蕎麦打ちが出来ない。薄暗い玄関のドアを開けて、ガレージのシャッターを開けて車に乗り込むのでした。わずか300mほどの距離を、車で移動するのもすっかりと習慣になってしまった。足の具合が悪くなる前は歩いていたのです。

 今朝は蕎麦汁が足りなくなったので、予備の一番出汁に返しを加えて、蕎麦徳利10本ほどの蕎麦汁を作っておく。それから蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打ったのです。どうも最近は少し生地が硬く仕上がるので、45%の加水で捏ね始めたらちょうど好い具合なのでした。昨日の蕎麦がだいぶ残っていたから、今朝は500gだけ打ち足して14食の用意で始めようと決めたのでした。小鉢もちょうどそのくらいの数だけ用意しておいたのです。

 朝食を食べ終えてひと眠りしたら、今朝は1時間もぐっすりと眠ってしまう。だいぶ疲れが溜まっていると感じるのでした。洗面と着替えを済ませて再び家を出たのは9時過ぎで、庭の中リップの手前に芍薬の花のつぼみが一杯出ていた。もうそんな季節なのかと驚くのです。蕎麦屋まで歩いても、今朝はかなり暖かい朝なのだと思った。隣のお花畑のホピーも早くから花を開いていた。夜の間は花が閉じているので、早朝にはこれほど見事にはならないのです。

 朝の仕事を終えて、苺大福を包んでいたら女将がやって来て、店の掃除を始めてくれる。洗濯物を畳んだり、ドレッシングを注ぎ足したり、細かなことをやってくれるのでとても助かっている。亭主が一人で営業する月・金は、それも全部亭主一人でやらなくてはならないので、お客が少なくても、結構、大変なのです。彼女が早お昼を食べに家に帰っている間に、野菜サラダの具材を刻んで盛り付けておきます。今日はパイナップルがないので苺で代用した。

 11時を過ぎた頃にいきなり玄関を開けて気の早いお客がいらっしたけれど、さすがにまだ準備が終わっていない。「11時半からなのですけれど」と言えば帰って行かれた。11時半になって暖簾を出せば、すぐに車が駐車場に入って、女性のリピーターさんがカウンターに座る。カレーうどんとハラミの串焼きとデザートをご注文で、いつものパターンなのでした。続けていらっしたご夫婦は、先ほどフライングで来たリピーターで、奥様がカレーうどんなのでした。

 今日は蕎麦の大盛りが5つも出て、白エビのかき揚げが4皿も出た。野菜サラダも苺大福も全部売り切れたのです。前半のお客が帰った後で、少し時間があったので、亭主は頑張って洗い物をこなすのでした。この調子だと洗い物が終わらないという予感があったのです。案の定、12時半を過ぎた頃に、四人連れのお客が続けて入って、それこそいろいろな注文をするから、厨房は大忙しなのです。洗い物も8人分溜またから、片付けるのに3時までかかった。閉店の時刻に電話が入って、聞けば昔の水泳部の女子部長で、明日店に来ると言う。懐かしい声を聞いてほっとした亭主なのでした。


4月22日 月曜日 20数年ぶりに会う珍客に元気を貰って…

 今朝は5時半に目覚めて、すぐに蕎麦屋に出掛けた。玄関を出たら木槿の新芽が目に鮮やかで、季節はいよいよ新緑の5月に突入するのかと思えたのです。涼しい朝だったから、隣のお花畑のポピーもまだ花びらを萎ませていた。店に入れば昨日の温もりがまだ冷めやらずに18℃もあるのでした。今朝は昨日と同じく加水率45%で、蕎麦を打ち始めたのですが、ちょうど好い加減で切りべら23本ほどで、おそらくコシのあるであろう綺麗な蕎麦が仕上がったのです。

 蕎麦玉を寝かせている間に厨房に戻って、夕べ漬けに来た春キャベツの浅漬けを取り出してみたら、1.5%の塩分ではさすがに少し薄く感じたのですが、薄ければ醤油を垂らして食べていただくと言うことで出来は上々なのでした。昆布と生姜を千切りにして入れたのが好かったのかも知れない。春キャベツの店頭に出ている間は、この浅漬けも案外好いかも知れないと思うのです。切り干し大根の煮物もいいけれど、やはり季節に合わせた小鉢も大切なのです。

 家に戻って朝食を食べたら、例によって書斎に入ってひと眠り。昨日の疲れかが残っていたのか1時間近くも眠って、9時前に目が覚めて急いで洗面と着替えを済ませるのでした。夜明け方から雨が降っていたので、傘を差して蕎麦屋まで歩く。駐車場のモミジが柔らかな新芽を伸ばして鬱蒼と茂っていた。太い枝は剪定したけれども、細かな枝を切らなかったから、またこの後が大変なのです。看板と幟を出して、厨房に入って開店前の仕込みに入る。

 10時過ぎに裏の小母さんがやって来て、蕎麦と天麩羅を頼むと言うけれど、さすがにまだ何も準備が出来ていなかった。野菜サラダさえも作り終えていなかったのです。今日は用事かあるから12時半過ぎにまた来ると言って帰って行かれた。開店の時刻似合わせて、昨日、電話のあった元水泳部の女子部長が友だちを連れてやって来たのです。カウンターに二人並んで座ったので、野菜サラダをカウンター越しに出したら、お任せの天麩羅を揚げてお出しする。

 その途中でカレーうどんのご主人が奥様といらっして、いつも日曜日なのにどうしたのだろうと思ったら、「土日は混むので月曜日にしました」とおっしゃる。ハラミの串焼きはさすがに解凍していなかったから、時間をいただいて串に刺して焼いたのでした。カウンターの二人は20年以上も会っていないアラフォーの世代で、年賀状で写真を見ているから顔が分かる。いろいろと話をするうちに、昔の記憶が蘇って、元気だった頃の自分が懐かしく思い出された。

 結婚して子育てで忙しい世代だろうに、どうして突然訪ねてくれたのかが不思議でならなかった。カレーうどんのご主人の奥様が帰り際に、「前職が何なのか初めて知りましたよ」と言って笑っておっしゃるのでした。亭主は洗い物をしながらカウンターの二人の話に耳を傾けていた。「人生で一番素晴らしい年代だよ」と言って励ます自分も、逆に元気を分けてもらうような気がしたのです。疲れの溜まっていた今日は、プールを休もうかと思ったけれど、刺激を受けたのか奮起して、夜のプールに出掛けていくのでした。


4月22日 火曜日 疲れが溜まったのか身体中が痛い朝…

 夕べは居間の椅子で寝込んでしまったから、布団の中で眠ったのは0時過ぎ。それでも今朝は5時半に目が覚めて、コーヒーを一杯飲んで、蕎麦屋に出掛けて朝飯前のひと仕事。カウンターの上に干した盆や蕎麦皿を片付けて、出汁取りの準備をしたら、もう7時前だったので家に帰るのです。残ったお新香類やキノコ汁などを、小鉢や鍋のまま盆に載せて車で運ぶ。当然、朝の食卓にはお新香やキノコ汁が出る。食事を終えたらお袋様と仕入に出かけるのでした。

 仕入れから戻って店に帰れば、向かいの畑ではいよいよ薩摩芋畑の畝作りが始まるらしく、トラクターを運んで大勢の人が集まっていた。買ってきた野菜類を冷蔵庫に収納したら、大根を切ってなた漬けの支度をする。塩を振って漬け物器に漬けるだけなのですが、11時になる前に家に戻る。昼は昨日残った蕎麦を茹で、とろろ芋を擦ってとろろ蕎麦。女将が買い物の帰りに卵のケースを落として、ケースの半分ほどが割れてしまったので、急遽、卵焼きが出る。

 昼食を終えてひと休みしたら、書斎に入って昼寝をする。寝ても寝ても眠り足りないのは、やはり疲れているからなのか。女将のスポーツクラブの予約の時間には居間に戻って、無事に予約を済ませるのでした。すぐに車を出して本日三回目の蕎麦屋に出掛ける。出汁取りの準備をしておいた鍋を火にかけて、まずは一番出汁を取るのです。2㍑分を雪平鍋に取ってかえしを加えて蕎麦汁を作る。残りはボールに取って冷やしたら瓶に入れて予備の一番出汁にする。

 午前中に塩で漬けた大根はすっかり水が上がったので、甘酒の素と砂糖を入れ、柚子と唐辛子の輪切りにしてタッパに移すのです。それから二番出汁を取る。水で冷やした蕎麦汁は、20本の徳利に詰めてアルミホイルで蓋をしたら冷蔵庫に入れておく。なんだかんだと出汁取りはやはり1時間はかかるのです。外はどんよりとした曇り空で、時折、小雨が降ってくる。4時前には家に戻って、もう夕飯の準備なのです。卓上コンロを出してバーベキュウを食べる。


4月23日 水曜日 さすがに今朝はもう起きられなかった…

 やはり先週は疲れたのか、今朝は朝早くには起きられませんでした。夕べは9時半には床に就いたのに、夜中に一度目覚めたきり、朝の7時まで眠ってしまったのです。朝食を済ましていつもの時間に蕎麦屋に出掛けました。向かいの畑は綺麗に畝が作られて、ビニールで覆われていた。ここにハウスで育てている薩摩芋の苗を切って植えていくのだそうな。昨日の半日でこんなに仕事をするとは、さすがに若い人のやることは早いものだと感心するのでした。

 蕎麦屋に着いたら、昨日洗った鍋類を片付けて、お茶を一杯飲んで厨房の換気扇を回しながら一服する。年寄りはそこでまずは何から始めようかと考えるからゆっくりとしたペースなのです。朝一番では包丁を使わないようにしているから、蕎麦打ち室に入って蕎麦粉とキャッサバ粉を計量したら、冷蔵から豆乳を取り出して、水を加えながら溶いていく。火にかければ数分で硬くなってくるから、型に流し込んでラップを掛けて冷蔵庫で冷やして固めるのです。

 次に仕入れておいた鶏肉とキノコ類を冷蔵庫から取り出して、三つに分けたらそのうちの一つ分でキノコ汁を作る。電話が鳴ったので出てみると、向かいの森の中に住んでいる前のスタッフからで、筍が採れたので持って行くと言うのです。コーヒーを沸かして待っていると雨の中を歩いて来てくれた。春になって三回目なのです。茹でて食べるばかりにしたものをジブロックに入れて、沢山持って来てくれた。有り難いことだとしばらく話をするのです。

 家に戻れば昼飯の準備で、女将が大粒のシーフードとキクラゲを水で戻しておいてくれた。先週の残った新キャベツともらったばかりのタケノコも入れて、中華鍋で肉を加えて炒めていく。隣の火口では焼きそばを蓋をして焦げるまで焼いて、ものの5分で昼飯の完成なのです。中華は準備の方が時間がかかるくらいで、簡単だから亭主は好きなのです。女将も堅焼き蕎麦にしてからは好んで食べてくれるので作りがいがある。二人とも満足して昼食を終えた。

 亭主は書斎に入って横になるけれど、さすがに夕べはよく眠ったから、30分ほどで目覚めて、女将がスポーツクラブに出掛けてから蕎麦屋に向かう。細かな雨はずっと降り続いているのでした。午後の仕込みは、明日の小鉢に新キャベツの浅漬けを漬けて、天麩羅の具材を切り分けて、南瓜はレンチン、蓮根は皮を剥いて酢水で茹でておく。それから小松菜を買ってあるのを思い出し、大鍋で茹でて切れ分けたら、小さなタッパに分けて入れ、急速冷凍するのです。

 鴨南蛮や鴨せいろに使うだけだから、その都度解凍して使うのです。時間が早かったので、洗濯機に入ったままだった洗い物を干して、前に干した洗濯物を畳んで片付ける。4時過ぎに家に帰れば、女将がもらったばかりのタケノコを切り干し大根と煮て、今夜は春巻きにするのだと言う。夜のプールに出掛けようと思っていた亭主は、久し振りの春巻きで一杯飲みたいと、ワイングラスに氷を入れて出来上がるのを待つのでした。中身を炒めないからあっさり。

 亭主は冷蔵庫に眠っていた餅を揚げてもらって、ご飯代わりに食べるのでした。これはその昔、親父様が夜食に作ってくれた一品。砂糖醤油につけて食べたのが今でも忘れられない。亭主は東京の下町で育ったせいか、中華料理は何故か好きなのです。満足して書斎で横になっていたら、風呂の時間を過ぎても眠ってしまったので、今日は女将が風呂を沸かしてくれた。身体のあちこちが痛いのも、2日間の定休日ですっかり取れて、暑くなると言う明日に向かう。



4月25日 木曜日 こんな天気の好い日にお客が来ない…

 今朝は5時起き。コーヒーを飲んで一服したら、蕎麦屋に出掛ける。犬の散歩で店の前を通った農家の親父様が「お早うございます。早いねぇ」と声を掛けてきたから、「お早うございます。これから蕎麦を打つのです」と応えた。蕎麦打ち室に入って、今朝は850g9人分の蕎麦を打つのでした。暖かくなると言うから、お客が来てくれるかも知れないと、少しでも余分に用意しておこうと考えたのですが、10人は越えないのがいつものことなのです。

 加水率45%で最後まで綺麗に切りそろえ、生舟の中に並べる。厨房に戻り、昨日漬けておいた新キャベツの浅漬けを取り出して小鉢に盛り付ける。大根のなた漬けと合わせて、打った蕎麦の数だけ用意しておきます。7時前には家に帰って朝食を食べる。食べ終えたら書斎に入ってひと眠り。今日は40分ほどで目が覚めたから、洗面も着替えにも余裕があるのでした。「行ってきま~す」と女将に声を掛けて玄関を出れば、近所のウツギが綺麗に咲いていました。

 9時半前に蕎麦屋に着いて、大根や生姜をおろして薬味の葱を刻んだら、少し早かったけれど苺大福を包み始めるのです。材料を準備する方が時間がかかり、蜜に溶かしておいた白玉粉に火を入れて求肥を作ったら、後は片栗粉を手に付けて包んでいくだけです。大釜に火を入れて、四つのポットを準備して、野菜サラダの具材を刻み始めます。11時前にサラダを作り終えたところで、車から人が降りて来たから「11時半からなんですよ」と窓の内側から声を掛ける。

 ところが今日は、開店30分以上も前にいらっしたそのお客以外には、誰もお客が来ないのでした。女将と二人で暇をもてあまし、こんなに暖かいのに、いったいどうしたのだろうと話をしていた。散歩で歩く人の姿もないのです。隣のお花畑はホピーの花が綺麗に開いて、その他にもいろいろな花が咲き乱れているのでした。2時過ぎに家に帰って夕刻までひと眠り。業者が食材を持ってくるので、また蕎麦屋に出掛けていく。今日は天麩羅油と海老と山葵が来た。



4月26日 金曜日 連休前のお客減少は例年のことで…


 今朝は霧が濃かったけれど、昼は思ったほどは晴れなかった。昨日の蕎麦がそのまま残っていたから、6時過ぎに蕎麦屋に出掛けても蕎麦打ちはなし。代わりに業者の持ってきたほうぼうの開きを解凍してタッパに入れる。そして週末に向けて豚のハラミを切り分けて串に刺すのです。一本150円で出しているから、出ないときには儲けがない。家に持って帰って酒の肴にするだけ。それでも何か美味しいものを出したいと思って準備しておくのです。

 家に帰って朝食を食べたら、今日は蕎麦粉が届く日だから30分だけ眠ってすぐに蕎麦屋に出掛ける。玄関前のツツジが見事に咲いていた。女将に寄れば、今年は近所の藤の花ももう終わると言う。タケノコが、今頃、店頭に並んでいるからやはり季節がおかしいのです。厨房に入って蕎麦粉の来るのを待ちながら、大鍋に水を入れたり、お茶のポットを用意したりして、大根をおろし、ブロッコリーとアスパラを茹でる。まだ10時前なのですが今日は少し早すぎる。

 向かいの薩摩芋農園では何やら人が出て仕事を始めていた。ハウスに植えた薩摩芋の苗を切って集めているらしい。それを広い畑に植えていくのだというのは、この間店に来たスタッフに聞いた話。昼を過ぎても作業を続けていたから、随分と大変な仕事なのでしょう。亭主も厨房で野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿盛り付け手おくのでした。テーブルをアルコール除菌液で吹いて、開店の準備を整えたけれど、昼過ぎまではお客は来ないのでした。

 やっといらっした男性客はぶっかけ蕎麦の大盛りをご注文。前にもいらっしたことがあるとおっしゃって、定休日を確認して帰られた。昨日に続いてあまりにも暇だったから、この間、水泳部の元部長たちが来てリモコンのセッティングをしてくれた自撮棒にスマホを付けて、駐車場に出る。首尾は上々。いちいち三脚とセルフタイマーで撮らなくても、これなら気軽に写真を撮れるのでした。若い人の理解力は相当なもので、老人が時間をかけても追いつかない。

 1時を過ぎたので、今朝、解凍したホウボウとかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べる。キスよりも白身魚という気がしてとても美味しかったのです。2時前には蕎麦屋を出て女将の帰っていない家に帰るのでした。ひと眠りしたらもう4時半で、早い夕飯を食べて、プールの支度をして蕎麦屋に行き、明日のぬか漬けを漬けて、そのまま人気のない夜のプールに出掛けるのでした。今日は疲れていないから、少し余分に泳いだのです。金曜日はゆったりと泳げる。