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2024年12月末



12月28日 土曜日 今年の営業はあと二日…

 4時半起床。とは言ってもなかなか目が覚めずに、5時には居間の部屋に行くけれど、コーヒーを沸かして飲んでもまだ出掛けられない。5時半になったらそんな自分を振り切って、車に乗って蕎麦屋に出掛ける。カウンターに干してあった昨日の盆や蕎麦皿を片付けて、ほうじ茶を沸かして昨日のブログを確認するのでした。今朝は500gだけ打ち足せば好かったので、少し余裕があったのです。蕎麦打ち室の室温は9℃、湿度は45%なのでした。

 いつもと同じく43.5%の加水で蕎麦粉を捏ね始めたら、ちょっと硬くて堪らなかったから、少し水を出してまた捏ねたのですが、それでもまだ硬い。いつもなら捏ねている間に柔らかくなってくるのに、今朝はそうはならずにかなり力が要るのでした。伸して畳んでも硬い生地は変わらないから、短めの伸し棒を使って何度も伸し広げるけれど、やっと奥行き90cm近くまで伸したら、畳んで包丁切りをするのです。力を入れて伸したので腰が痛くなった。

 伸し終えたのが7時過ぎ、朝飯には間に合ったけれどこの寒いのに汗をかいてしまった。珍しく日の出の時間に蕎麦屋を出る。朝食を食べてひと眠りしたら、土曜日の朝市を開いている向かいのサツマイモ農園の若旦那と挨拶を交わし、幟と看板を出すのでした。厨房に入ってお茶を飲みながら、お湯を沸かして蓮根の皮を剥いて酢水で茹でる。続けてブロッコリーとスナップエンドウを茹でて、笊に上げるのです。そしていつもと同じく野菜サラダを盛り付ける。

 暖簾を出したら、昨日までとは違って今日はお客が続いた。年配のご夫婦が三組も入って、せいろ蕎麦の大盛りとヘルシーランチセット以外は皆さん天せいろのご注文なのでした。駐車場に新車を入れられないご主人に代わって、亭主が出やすいように前向きに停めてやる。亭主と女将と同年代の人たちは、やはり蕎麦屋では天せいろを頼むことが多いのです。最後に若いご家族がいらっして、帽子を被ったまま天麩羅蕎麦と鴨せいろと暖かい蕎麦を頼まれた。


12月29日 日曜日 今年最後の営業は…

 一年の最終日だと意気込んで、昨夜は午後の10時に床に就いて、アラームを4時半にセットしたのは好いけれど、やはりなかなか目覚めることが出来なかった。それでも台所に行ってコーヒーを沸かして、5時過ぎには家を出て蕎麦屋に向かうのでした。昨日の残りの蕎麦は1把しかなかったので、今朝は2回蕎麦を打たなければならないかったのです。カウンターに干した盆や蕎麦皿を片付けて、蕎麦打ち室に入ったのは6時前で、600gずつ二回の蕎麦を捏ねる。

 外は真っ白な霜に覆われて、この冬、最高の寒さで-5℃なのでした。昨日の失敗を生かして、蕎麦打ちは加水率を46%まで上げて伸していきました。これだとさすが柔らかくなるけれど、思っていたよりもしっかりとした生地に仕上がったから、よほど空気が乾燥しているのです。蕎麦打ち室の室温は6℃だったから、これからの時期はもう46%よりも加水率を下げられそうにないのです。7時過ぎには13束の蕎麦を打ち上げて、家に帰るのでした。

 朝食を終えて髭を剃ったら着替えを済ませて、とぼとぼと蕎麦屋までの道程を歩いて行く亭主。日曜日だというのに向かいのサツマイモ農園の若旦那が仕事に来ていてお互いに挨拶を交わす。看板と幟を出してチェーンポールを降ろしたら、厨房に入って暖かい汁を作り、ほうじ茶を沸かすのでした。大根と生姜をおろして、野菜サラダの具材を刻めば、11時過ぎには開店の準備が整う。父と娘らしき二人連れが、15分前にやってきたので店の中で待ってもらう。

 かけ蕎麦とせいろ蕎麦大盛りを頼んだから、早速、蕎麦を茹でてお出しした。それでも昨日は随分と混んだから、今日は寒さも手伝ってお客が少ないだろうという予想は当たって、1時前に3人連れの家族が来て、天せいろと鴨せいろとせいろ蕎麦をご注文になる。1時半になったので亭主もぶっかけ蕎麦を茹でて食べてしまうのでした。やはり二日続けてはなかなか混まないのでした。2時半には家に帰って、ひと眠りしたら夜はハラミの串焼きで熱燗を飲む。


12月30日 月曜日 今年は蕎麦屋の営業を休んだ年末…

 ゆっくりと眠った朝は久し振りなのでした。6時過ぎまで床の中にいて、起き出してコーヒーを沸かす。蕎麦屋に行かなくても好いから、テレビで「ベンハー」の映画を観る。70年近くも前の映画なのに、やはり名作なのです。朝食を夾んで最後まで見終えたら、もうお袋様と買い物に出掛ける時間になるのでした。今日は女将も一緒に車に乗って、農産物直売所と隣町のスーパーに行った。農産物直売所では知り合いの農家のご夫婦に会って挨拶を交わすのです。

 隣町のスーパーはいつもの日よりも早く開店しているのに、駐車場には車がびっしりと停められていました。店の仕入れがないのでゆっくりと商品を見回して、女将の買わない酢蛸や蟹などは、亭主が買って自分で代金を払うのです。蜜柑だけは二人で違う種類を買って帰った。亭主はばら売りの小さな蜜柑を10個、女将は袋入りの大きな蜜柑を買ったのでした。お袋様を送ってから家に帰って、亭主はまたテレビを観る。女将は夜のおでんの仕込みに余念がない。

 昼は昨日の残りの蕎麦を茹で、沢山余ったとろろ芋をすってとろろ蕎麦を食べる。46%で売った蕎麦もなかなかコシがあって美味しいのでした。食後にひと眠りしようと書斎で横になるけれど、身体が疲れていないから眠くならない。仕方がないから、玄関の前の木槿の木を剪定するのでした。葉が落ちたからとても切りやすく、目の高さまで切ってゴミ袋に入れていく。冬なのにもう新芽が出ていて、葉が出て来るともう始末に負えないから早くて好かった。

 女将が玄関から出て来て、「外の方が日当たりが好いから暖かいわね」と言う。庭に植えた芍薬や墨田の花火なども、蕎麦屋の庭に持って行って植えられないかと言うのでした。さすがに大きく育った金柑の木は、自分では移植できないから、この間、女将が朝市で買ってきた小さな鉢に実を付けた金柑の苗を、植え替えないといけないと言うのです。芍薬ぐらいは何とか持って行けるかも知れないと、やることが沢山あるのに気が遠くなりそうなでした。


12月31日 火曜日 大晦日は家族で年忘れ…

 大晦日の朝もいつもと変わらず6時には目覚めて、蕎麦屋に出掛けてひと仕事。今日は午後からお袋様と弟とが集まって、昭和世代の年忘れ会を開くよていだったから、食べる物を家から運んで冷蔵庫に入れておく。暖房を入れて大釜にお湯を沸かしておきました。昼は亭主がまたあんかけの堅焼き蕎麦を作り、女将と二人で美味しく食べるのです。書斎に入って横になるけれど、疲れていないので眠ることは出来なかった。結局、2時過ぎに女将のスポーツクラブの予約を取って、二人で蕎麦屋に向かうのでした。

 3時からという約束だったので、早めに蕎麦屋に行って、テーブルに並べる料理や皿やグラスを用意するのでした。お袋様が2時半にはやって来て、弟もすぐにやって来る。今年一年ありがとうございましたとビールで乾杯する。時間が早いから、あまり食べられなかったけれど、酒を飲んでいるうちに腹も空いてくる。天麩羅を揚げに亭主が立ち上がって厨房に入り、揚げたての天麩羅を振る舞うのでした。みんな近くに住んでいて好かったと、つくづく思う。来年は蕎麦屋に引っ越す予定なので、尚更のことけじめの年の瀬…。

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2024年12月下旬



12月20日 木曜日 寒い朝でしたが元気で楽しい夢を見た…

 夕べは10時に床に就いて、今朝は4時に目が覚めたのです。ぐっすりと眠ったという以外は何も覚えていない。コーヒーを入れて居間の部屋でテレビも点けずに一杯飲んだら、ぼうっとしていたからかすぐに5時になったのです。今日は500gだけ蕎麦を打てばいいから、あまり急がなくてもよかったのです。それでも5時半過ぎには車を出して、蕎麦屋に出掛けるのでした。車外温度は2℃。暗くて見えないけれど、霜がびっしりと降りているに違いない。

 蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を捏ねたら、蕎麦玉にして寝かせている間に外に出て日の出前の東の空を見る。最近の日の出は6時40分過ぎだから、まだまだ暗いのです。今日も43.5%の加水で打ったので、生地は適度な硬さで、伸して蕎麦切りをすれば、ちょうど好い仕上がりなのでした。7時前に家に帰ろうと外に出れば、向かいの畑は思った通り真っ白な霜に覆われていました。家に戻って朝食を食べたら、いつものように書斎に入ってひと眠りするのでした。

 7時半過ぎから9時近くまで眠ったのですが、実に楽しい夢を見たのです。何処かの海かプールか分からないけれど、イルカのように水の中を進む感覚を全身で味わって、喜んでいる自分が、とても楽しんでいるのが分かるのです。目が覚めても顔が笑っていたから健康には好いのでしょう。急いで洗面と着替えを済ませて、家を出るのでした。蕎麦屋に着いて幟と看板を出し、チェーンポールを降ろしたら、いよいよ今日の始まりなのです。

 野菜サラダの具材を刻んでいつものように三皿盛り漬けておいたら、今日は二皿も捌けたから嬉しかった。寒いけれど天気が好かったのでお客が来たのです。全員が常連さんかリピーターさんで、男性の一人客が自転車や歩きで、カウンターに代わる代わる4人も座ったから驚いた。最後は女性の二人連れが奥のテーブルに座って、せいろ蕎麦とヘルシーランチセットを頼まれた。カレー蕎麦やキノコつけ蕎麦なども出て、蕎麦豆腐も二皿出たのです。



12月21日 金曜日 有朋自遠方来、不亦楽乎…

 今朝も5時起き、5時半には家を出て蕎麦屋に向かいます。昨日の蕎麦が生舟には半分も残らなかったので、今朝は750g八人分を打たなければならないかった。まずは蕎麦粉と小麦粉とを計量して、43.5%の加水で生地を捏ねていく。今日は少し暖かかったので、しっとりとした生地に仕上がり、蕎麦玉を作って寝かせておく。厨房に戻って南瓜を切り分けてタッパに詰めて、家に持ち帰りチーンする準備。レンジは当分買えそうもないので毎日がこの繰り返し。

 今朝は少し暖かかったから、鼻水も出ずに身体も随分と楽なのでした。外はまだ暗く、6時を過ぎた頃から少しずつ明るくなってくるのです。切りべら20本で八束の蕎麦を打ったら、生舟に並べて昨日の蕎麦と合わせて12食分が用意できました。天気が好くて少し暖かいから、今日はお客が来るのではないかと期待するのです。7時前には家に帰って、女将が用意してくれた朝食を食べる。お茶をもらったら書斎に入ってひと眠りです。1時間ほど眠って目覚める。

 今日は土曜日だったから、向かいのサツマイモ農園では朝市の日なのです。若旦那が一人で焼き芋の準備をしていたから挨拶をすれば、ビニールハウスの裏の耕作放棄地の整地が大変だという。大きな木も生えてしまっているから、ユンボを使わなければいけないらしい。看板と幟を出して厨房に入れば女将がすぐ後からやって来たのでした。店の掃除を始めてくれたから、亭主は大根と生姜をおろして野菜サラダの具材を刻み始める。新しいパインは甘かった。

 暖簾を出してしばらくしたら、男女三人連れのお客が入ってきたので、「いらっしゃいませ」と出迎えたら、じっとこちらを見ているから不思議に思った。「卒業生なんですけれど…」と言われて、なんとなく昔の面影が浮かんだのですが、名前までは思い出せないのでした。ヘルシーランチセットとビールを頼まれて、今日の蕎麦を出せば、そのうち「学年は違うけれど、中学では水泳部でした。高校では古典を教わりました」と言うではありませんか。

 皆の名前が判って、楽しい時代の思い出が蘇ってくる。20年以上前の卒業生だから、我が家の一番下の息子と同じくらいの年齢なのです。「お元気そうで好かった」と言われて、「歳だから、来年で蕎麦屋も閉めようと思う」と応える。日除け暖簾の前で記念写真を撮って、モノレールの駅まで歩いて帰っていったのです。もう一つのテーブルにはリピーターのご夫婦が座って、奥様が吟醸酒とせいろ蕎麦と白エビや赤いかなどの天麩羅、ご主人がカレーうどんを頼まれた。こちらもゆっくりと1時過ぎまで食べて行かれたのです。


12月22日 日曜日 まさかの12時過ぎにもうお蕎麦売り切れ…

 今朝も5時にアラームで目覚めたけれど、夜中に一度目を覚ましたからか、なかなか頭がすっきりとしなかった。コーヒーを沸かして飲むけれど、テレビも点けずに1時間近く椅子に座っていたのです。今朝は500gだけ蕎麦を打てば好かったから、時間はかからないけれど、カウンターに干した洗い物を片付けたり、する事は沢山あったのです。暁方の東の空がとても神秘的で、静かな日曜日の朝という気がしました。蕎麦打ち室に入って早速、蕎麦粉を計量する。

 蕎麦玉を寝かせている間に、大釜に水を汲んで火を点けて暖を取る。いつもよりは暖かいけれど、室温はまだ12℃ほどなのでした。グラス四杯分のほうじ茶を入れて、一杯を飲みながら一服するのでした。再び蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を伸していけば、今日も綺麗な仕上がりで、5束の蕎麦を仕上げました。昨日の残りと合わせて12食分の蕎麦を生舟に並べて冷蔵庫に入れておきました。まさかこれだけの数が12時過ぎになくなってしまうとは、夢のよう…。

 家に帰れば女将が朝食の用意をしてくれていた。魚が出てこないのは、時間がかかるからだろうか。食後は書斎に入って30分ほど眠った。洗面と着替えを済ませて今週最後の仕事と、蕎麦屋に向かうのでした。看板と幟を出したら、厨房に入ってまずは小鉢を盛り付けておく。快晴だけれど風がとても冷たいから、そんなにお客は来ないだろうと、昼前に来ると言っていた防犯パトロールのメンバー4人の分をまずは作っておいたのです。

 大根をおろし、野菜サラダを盛り付けて開店の準備が整ったのが11時。店の前には大勢の若者が集まって、今にも来店しそうな様子だったので、玄関を開けて「何人ですか?」と尋ねれば6人だったので、「寒いから中でお待ちください」と言ってテーブル席とカウンターに座ってもらう。奥のテーブルには箸とおしぼりを四人分置いて、座れないようにしておいたのです。ところが、若者達はほとんどが大盛りの天せいろや鴨せいろのご注文なのでした。

 暖簾も「営業中」の看板も出さずに、亭主は二人分ずつ鴨肉を焼いていく。全員がビールや吟醸酒まで頼まれたから、女将も忙しかったのです。用意した小鉢はほとんどなくなって、もしかの時の爲に人参と蓮根の金平を、急遽、作っておいたのが、役に立った。白エビの掻き揚げも三人分の注文が入る。そのうちパトロールのメンバーが一人二人といらっして、総勢10人が皆ビールを飲む。天せいろ4つの注文だったから、亭主は天麩羅を揚げるのに忙しい。
 まだ12時を過ぎたばかりなのに、「お蕎麦売り切れ」の看板を出して、いつもなら十分に入れる時間にいらっした他の客はお断りするのでした。6人の若者たちは「大勢で押しかけて済みませんでした」と言って、皆が礼儀正しく挨拶をして帰って行った。時計を見ればまだ1時前なのです。パトロールのの御老人たちも1時過ぎには帰られて、洗い物が10人分溜まっていたので、女将と二人で手分けして片付ける。美容院の予約を入れていた女将を先に返して、後は亭主一人で片付けを終えるのです。暖簾は出さず終いでした。


12月23日 月曜日 定休日、まずはゆっくりと休んで…

 今朝はゆっくりと眠って5時半に目が覚めました。コーヒーを沸かして居間の部屋で椅子に座ってひと息入れるのです。テレビも点けずに頭の中は空っぽというより、まだ十分に目が覚めていないのか。身体を動かさなければと、車で蕎麦屋に行って昨日の洗い物を片付ける。そして、沢山の洗濯物を干していく。汚れの取れていないビールのグラスを10個、キッチンハイターに浸けておくのです。更に、出汁取りの準備で3㍑の鍋に干し椎茸と昆布を浸しておく。

 7時をだいぶ過ぎてから家に帰り、女将が朝食の支度を終えたところでちょうど食卓についた。鯖の塩焼きとサツマイモの切り昆布煮以外は、すべて蕎麦屋の残りものなのです。美味しく頂いてお茶をもらったら、書斎に入ってまたひと眠りする亭主。定休日だからいつ起きても好いと思うけれど、いつもの習慣で30分ほど眠ったらもう目覚めたのでした。それでも起き出してだらだらとテレビの洋画を観て、昼の買い物をしたら蕎麦屋に寄ってカレーを持ち帰る。

 ゴミの収集が火曜日なので、天麩羅鍋に固めた油をゴミ袋に入れて、生ゴミと一緒に外の大きな袋に詰めておく。塩素に浸けておいたガラスはピカピカに蘇って、布巾の上に干してあったのをひっくり返しておくのです。昼は買って来た「さぼてん」のカツを載せてカツカレーにしました。満腹になったら習慣で、また眠くなるから今日は嬉しい。ゆっくりと休んで女将がスポーツクラブに出掛けた後で、車のガソリンを入れたらまた蕎麦屋に出掛ける。

 駐車場の紅葉とヤマボウシの木を少し剪定しようと思ったのだけれど、紅葉の葉がすべて散っていたので、慌てなくても好いと考えた。もう少し暖かい陽射しの日に脚立に乗って切っていけばいい。どうしても自分で剪定すると、枝先ばかりを切るものだから、先のほうに新しい枝がまた生えてしまう。これを丹念に切らないと綺麗な形にはならないとつくづく思うのです。脚立の高さが足りなくなっているのです。ヤマボウシの方がまだ綺麗に枝を落としている。

 夜は茶碗蒸しと常夜鍋にすることに夫婦の意見が一致していたから、女将が食卓で銀杏の殻を割っていた。寒い夕べだったから、身体の温まるものが嬉しいのでした。女将はホウレン草が一把300円近くもしたことに驚いたらしく、頻りに亭主に話をするのでした。明日はお袋様と仕入れに行く日だから、朝のうちに蕎麦屋に出掛けて出汁を取って来よう。今夜は買い物リストを作って印刷しておけばよし。金柑大福の白餡を買うのを忘れないようにしなければ。


12月24日 火曜日 クリスマスイヴもいつもと変わらずに…

 アラームもかけずに寝たのに、5時半には目が覚めて、コーヒーを一杯飲んだら6時過ぎには蕎麦屋に出掛ける。今朝は出汁を取るのが目標でした。一番出汁を取ってかえしを加え、蕎麦汁を作り、二番出汁を取って天つゆと温かい汁を作って、残りは入れ物に入れて冷蔵庫に収納する。強火で鍋を熱しても1時間弱はかかる仕事なのです。無事に仕事を終えて家に帰れば、女将が朝食の支度をしてくれていた。「ただいま」「おかえりなさい」が朝の挨拶でした。

 食後は30分ほど書斎で眠って、洗面と着替えを済ませ、お袋様に電話をして迎えに行くのです。氷点下の寒い朝でしたが、青空と陽射しがあるので気分は好いのでした。開店直後だというのに、農産物直売所には沢山の車が停まっていました。知り合いの農家のご夫婦に挨拶をして、今朝は2000円ほどの野菜をもらってくる。隣町のスーパーに行っていつものように食材を買ったら、10000円を越えたから個々の野菜が随分と値上がりしているらしい。

 家の買い物は魚がまだ冷蔵庫に残っていたから、鮭の切り身と蜜柑と肉だけを買って、蕎麦屋で食材を冷蔵庫に入れて、帰宅すればまだ女将は買い物から帰っていなかった。急いで床屋に出掛ける亭主。今日最初の客だと言われて、後から二人ほどお客が来たけれど先に済ませてもらったのです。マスターに「好いお年を」と言って家に帰れば、女将が台所にやって来て、昼の材料を冷蔵庫から出してくれた。昼は残った蕎麦汁を薄めて肉うどんを亭主が作る。

 午後はひと眠りして蕎麦屋に出掛け、キノコ汁を仕込んだら、先週と同じく筑前煮を作るのでした。今日はしっかりと牛蒡を買うのを忘れなかった。里芋の皮を剥いてぬめり取りに茹でたら、今度は牛蒡の皮を金タワシで綺麗にして、乱切りにしたらまた茹でる。次に人参、蓮根などをそれぞれ茹でて、鶏肉を炒めた中華鍋で炒めていく。干し椎茸や蒟蒻も加えて酒と出汁で煮込んだら出汁醤油と砂糖とで味つけする。10分ほど煮込んで少し甘めで出来上がり。一つ一つ手間がかかるから随分と時間を取られた。大根の皮を剥いてなた漬けの準備をした頃には、もう辺りは暗くなっていたのです。


12月25日 水曜日 だらだらしていたら定休日の最後が辛い…

 朝はそんなにする事がなかったので、6時過ぎに蕎麦屋に出掛けて、蕎麦汁を徳利に詰めたり、なた漬けの大根を漬け直したりして家に帰るのでした。朝食は夕べの鍋の残りにご飯と餅を入れて雑炊で暖まる。亭主には茶碗蒸しの残りが温められて出たのです。食卓につけば女将はもう先に食べ始めていました。お茶を入れてくれたら、女将は自分の部屋に入ってしまう。朝ドラの前にひと休みなのです。亭主は食堂の電気とテレビを消して書斎でひと眠りする。

 9時過ぎに目覚めて、まずは昨日手に入らなかった野菜サラダのアスパラガスを買いに何処へ行けば好いかと考える。駅前のショッピングモールに行けばあるのは分かっていたけれど、鶏肉も買わねばならないし、柿が売っていたら買いたいなどと考えたら、やはりいつもの隣町のスーパーの方が安いと思って出掛けて行ったのですが、アスパラガスは今日も入っていなかった。仕方がないからスナップエンドウと女将に頼まれたトイレットペーパーを買って帰る。

 蕎麦屋に寄って午後の仕込みの段取りを考えていたら、もう昼飯の時間になる。家に帰って昼食の炒飯を亭主が作って、ワンタンスープを一緒に食べる。食後に居間の椅子でうたた寝をしていたら、女将が「行って来ま~す」と言ってスポーツクラブに出掛けて行く。亭主も後を追うように蕎麦屋に出掛けて、いよいよ午後の仕込みに入るのでした。する事がいろいろ沢山ありすぎて、何から片付けようかと迷うくらい。カレーの具材を刻んでまずはカレー作り。

 次に氷砂糖を湯で溶かして白餡を入れて餡作り。もう一つの火口では種を取った金柑をやはり氷砂糖と湯で煮込んでいく。農産物直売所で買った金柑は大きさがまちまちだけれど、種が少なく皮も柔らかいのでした。白餡が煮詰まるまで随分と時間がかかったような気がするけれど、その間にカレーをジブロックに詰めて冷凍庫に入れる。ちょうど6人分作れたから、今年はこれで大丈夫。金柑の甘露煮を瓶に詰め、餡をタッパに入れたら、お新香を漬けるのです。



12月26日 木曜日 去年の今日はお客がなかったけれど…

 今朝も5時起き。蕎麦屋に行って、夕べ漬けたお新香を、糠床から取り出して、小鉢に盛り付けるのでした。それから蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量する。最近はお客が少ないから、750g八人分を一回打って終わりにするのです。いつもと同じく43.5%の加水で捏ねていけば、今日は少し柔らかい。湿度計を見たら40%以上あったから、今朝は湿気が多いのでした。蕎麦玉にして寝かせている間に玄関を出て東の空を見れば、まだ陽は昇らない夜明け前の空。

 蕎麦を打ち終えて家に帰れば、朝食には、亭主の作った筑前煮と女将の作ったひじきの煮物が出て、ナス焼きと鰺の開きでかなりのご馳走なのでした。昨夜は7時間も目が覚めずに眠ったから、食後のひと眠りはしないで蕎麦屋に行こうと思ったけれど、満腹になったらやはり眠くなって、書斎に入って30分だけ眠るのでした。洗面と着替えを済ませて蕎麦屋に出掛ける。9時過ぎには家を出て、蕎麦屋に着いたら、看板と幟を出してチェーンポールを降ろす。

 と、黒い軽のワゴン車が止まって、宅配便なのかと思ったら、窓を開けて「大掃除してるの?」と弟が顔を出した。後でお袋様に聞いたら、米がなくなったので、弟に頼んで買ってきてもらったのだとか。息子二人が近くに住んでいるから何かと便利なのです。亭主はお袋様が今通っている内科が来春閉院すると言うので、交通の便利の好い場所に内科がないか捜して、駅から3分のところにある内科を見つけてお袋様に電話をしたのです。

 小鉢用に作ったなた漬けと筑前煮を盛り付けて、大根と生姜をすり下ろし、薬味の葱を刻んだら、野菜サラダの準備に入る。朝が寒いから、今日はお客の出足も悪いだろうと思って暖簾を出せば、女将が来て1時間近く経って一人目のお客がやって来た。今日は男性客ばかりで、二人目はカウンターに座ってビールと野菜サラダと蕎麦豆腐をご注文。ビールをもう一本頼んだら、仕上げはせいろ蕎麦の大盛りで、ゆっくりと1時間近く飲んで食べていらっした。


12月27日 金曜日 年末はどこもかしこも混んでいる…

 いよいよ年の瀬、霊犀亭の営業も残すところあと三日となりました。平日は今日が最後の一日で、亭主一人でこなさなくてはならないけれど、昨日のお客の入り方を見ても、そんなに多くはないだろうと予想できるのです。それでも、万が一と言うことがあるから、蕎麦は10食近く用意しなくてはいけないと、朝の5時から起き出して、6時前には蕎麦屋に到着するのでした。まだ電気を点けなければ暗い時間なのです。蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量する。

 500g5人分だけ打ち足して、昨日の残りと合わせて9人分の蕎麦を用意しました。家に帰って7時過ぎ。朝食を食べてひと眠りすれば、頭はすっきりしてやる気が出るのです。髭を剃るのが面倒だったけれど、今日は亭主一人だから、お茶を出したり、蕎麦を運んだりと、お客様に接しなければならないので、速攻で髭剃り。車を洗っていたご近所のご主人に「年末は忙しいでしょ」と挨拶されたけれど、「あと三日で今年はもう営業しません」と応えるのでした。

 幟と看板を出したら厨房に入って、大根をおろし、野菜サラダの具材を刻むのです。11時にはテーブルも拭き終わって、開店の準備が整ったら、椅子に座ってひと休みする。11時半に暖簾を出せば、風のない陽射しの中を歩いて来る常連さんが遠くから見えた。今日もビールとカレー蕎麦のご注文なのでした。カウンターの隅に座っていつものように文庫本を読んでいる。突き出しの小鉢とグラスを運んで野菜サラダとビールを持って行けば、早速、昼飲みに入る。

 その後はもうお客は来なかったので、揚げ物もなかったから、天麩羅用のパットが汚さないように、亭主はおろし蕎麦をぶっかけで食べておくのでした。後5分で暖簾をしまうという時間になって、駐車場に車が2台入って来るのでした。中年の女性が二人、テーブルに座って「何がお薦めですか」と尋ねるので「天せいろが一番出ますね」と応えれば、しばらくして「じゃあ鴨せいろを二つお願いします」とご注文。鴨肉を焼いて蕎麦を茹でてお出しする。

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2024年12月中旬



12月10日 火曜日 陽射しはあっても空気が冷たい一日…

 今日は5時半に目が覚めました。『蕎麦を打ちに行かなければ』と思って起き出したけれど、よく考えたら今日は定休日の二日目なのでした。今日も明日もまだお休みだから慌てなくて好いのです。コーヒーを沸かして一服したら、6時過ぎに家を出て蕎麦屋に向かう。塗り直された外壁がピカピカに光って見える。昨日の朝よりは少し気温が高いのだろうか、鼻水は出て来なかった。昨日固めた油をゴミ袋に入れて、外の混み箱に入れに行くのでした。 

 カウンターに干したままの蕎麦皿や盆を片付けて、洗濯機の中に入れたままの洗濯物を干して、乾いたものを畳んでおきます。7時前には家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べる。食後のお茶をもらったら、書斎に入って30分ほど眠ったのです。夕べは疲れてもいなかったからか、なかなか眠れずに夜中にカップ麺を食べてやっと眠くなった。椅子でこっくりと居眠りを始めたら、初めて床に入ってゆっくりと休むのです。0時を過ぎていただろうか。

 8時半に目覚めて、洗面と着替えを済ませたら、お袋様に電話をして一緒に仕入れに出掛ける。お互いにこの一週間の出来事を話しながら、農産物直売所に着けば、今朝は随分と沢山車が停まっているではありませんか。米を精米してもらっているお年寄りや若い奥さんが開店の時間からやって来ていたのです。最低限の野菜をもらって、隣町のスーパーに出掛ける。メモを見ながらカートに食材を入れて、レジを済ませるのでした。

 昼食の時間前に家に戻って、今日は亭主が蕎麦屋で残った塩味のキノコ汁に、小麦粉を牛乳で溶いてバターとチーズを加えてとろみを付ける。メインディシュはスパゲッティ・ボロネーゼに、買って帰った揚げたてのトンカツを女将と半分ずつにして食べるのです。午後は少しだけ昼寝をして、蕎麦屋に出掛けて仕込みを開始する。干し椎茸を買い忘れたのに気が付いて、帰り道に隣町のスーパーにまた出掛けて行った。夜はおでんに日本酒で身体を温める。


12月11日 水曜日 午前中は家にいて午後は仕込みに…

 今朝も寒い朝でした。6時に居間の部屋に行ってコーヒーを飲んだら、蕎麦屋には行かずに、朝食の時間までゆっくりとしていた。朝食を食べてまた書斎に入ったら、9時過ぎまで眠って、なかなか起きられなかったのです。やっと起き出して着替えを済ませたら、また居間の椅子に座ってストーブに当たる。昼は湯麺を食べることになっていたので、亭主が台所に立ち、葱や白菜などを切って汁を作る。麺を茹でたら「はいできましたよ」と女将に言って昼食。

 午後は早めに蕎麦屋に出掛け、蕎麦豆腐を仕込んだら、明日の小鉢に切り干し大根の煮物を作る。先週の切り干し大根の煮物は、家に持って帰ってやっと今日になって食べ終えた。お客が来ないと小鉢だけでも大変なことになるのです。それでも今日はお新香も漬けておく。天麩羅の具材を切り分けて容器に入れ、蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら酢水で茹でておくのです。明日も氷点下の朝だと言うから、どれだけお客が来るのかが心配なのです。

 寒い夕べは昨日のおでんを小さな鍋に入れてもらって、一人で酒を飲みながらつまんで夕食。女将は先週の残りの鴨肉を葱と焼いておかずにしていた。次の週が始まる前に、前の週の残りものをすべて食べてしまいたかったけれど、大根のなた漬けを食べても、まだ残っているのでした。酒がなくなったけれど酒代がなかったから、店から吟醸酒の瓶を一つ持って帰って、半分ほど飲んだらもう飲めなくなった。身体を動かしていないから酒も入らないのかも。



12月12日 木曜日 氷点下の朝に蕎麦を打ち…

 今朝は5時半前まだ暗いうちに家を出て、蕎麦屋に出掛けたのでした。とても寒い朝なのです。まずは糠床を取り出して、キュウリとナスを切り分け、小鉢に盛り付けておきます。それから、蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量するのでした。今日の寒さからは、お客がそんなに来るはずもないと思って、8人分750gを計って43.5%の加水で水回しを始めたのです。乾燥しているからなのか少し硬い生地になったけれど、許容できる範囲の硬さなのでした。

 蕎麦玉をビニール袋に入れて寝かせている間に、厨房に戻ってお茶を沸かしてグラス4杯分のストックを作っておきます。そのうちの一つを飲んで身体を温める。タブレットを取り出して、今日の天気予報と昨日のブログを読み返しておきます。日中も10℃までしか上がらずに、風もあるから相当に寒い一日になるそうなのでした。再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸し広げれば、なんと弾力のある硬さなのか。今日は相当にコシのある蕎麦が仕上がったのです。

 7時前に家に帰って、魚が焼けるのを待っていたら、今朝は鰺の開き以外は全部蕎麦屋の残りもの。味噌汁に入ったナスも天麩羅の具材の残りものなのです。お客が来ないと、こんなにも長く残りものを食べなくてはならないのです。それでも美味しく頂いて、居間の椅子に座ってお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。40分ほどぐっりと眠ったら、洗面と着替えを済ませて、歩いて再び蕎麦屋に出掛けるのです。天気は好いけれど風が冷たい。

 庭の金柑がだいぶ色づいて黄色くなってきた。この古い家を売却する時には、この木も置いて行くのかと、女将が名残惜しそうに言っていたのを思い出す。もう十年以上も冬になると金柑蜂蜜を作って喉の薬にしていたのです。粒が大きいので、蕎麦屋で金柑大福にも入れていた。今日は辛味大根が届く日だったけれど、蕎麦屋に着いてもまだ不在連絡票はなかったから、午前中に来るだろうと、幟や看板を出すのでした。年末年始の営業日を窓に張り付けておく。

 大根をおろして野菜サラダの具材を刻み、今日も三皿のサラダを盛り付けておいたけれど、寒い日にはサラダはほとんど出ない。11時前には開店の準備が整って、カウンターの隅の椅子に座って休んでいたら、開店の20分前だというのにもう車が駐車場に入ってきたのです。寒いから店中に入ってもらうと、なんと千葉市からわざわざいらっしたと言う。奥様が友人と一度いらっして、蕎麦が美味しいからとご主人を連れて来たのでした。有り難い事です。

 他のお客もいないから、話をしているうちに女将と亭主と同じ世代だと分かる。蕎麦と天麩羅が美味しかったとご主人が言えば、お新香もとても好く漬かって美味しかったと、奥様が褒めてくださったのです。こんな寒い日に遠くから来るのは、よほど蕎麦が好きなのでしょう。蕎麦湯まで綺麗に飲み干して帰られた。1時を過ぎて亭主が賄い蕎麦を食べ終えた頃に、駅の南側から自転車でやって来た常連さんが、キノコ蕎麦の大盛りと蕎麦豆腐をご注文でした。
 母親が北海道の出身で、年に一度は祖母に会いに札幌に行くと言うので、父方の親戚がみんな北海道にいる亭主と話が盛り上がったのです。冷たい風の吹く昼過ぎも10℃までしか気温は上がらないのでした。この寒い中をわざわざ蕎麦屋に来てくれるお客は、本当に珍しいのです。今日はお客が少なかったけれど、皆さん蕎麦の好きな方で、いろいろな話をして帰られたから、亭主も女将も幸せな気分なのでした。2時過ぎには片付けを終えて家に帰りました。


12月13日 金曜日 日中も7℃の寒い一日でした…

 夕べは早く床に就いたはずなのに、今朝は目覚ましで5時に目が覚めたと思ったら、二度寝してしまい6時前に家を出たのです。東の空はまだ夜明け前の明るさで、蕎麦粉を計量して水回しをしている間に少し明るくなってきた。時間がなかったから今日は久し振りに早打ちで、蕎麦玉を10分も寝かさずに伸し広げていくのでした。
加水率は昨日と同じく43.5%だったけれど、今日の方が少しだけ柔らかい気がした。全体の蕎麦粉の量が少ないからかも知れない。

 昨日の残りの蕎麦と合わせて8.5人分の蕎麦を生舟に並べて、これでもまだ残るだろうと思いながら冷蔵庫に入れる。今日は一日中曇りの予報で、朝の寒さから考えると、どうしても日中は10℃を越えるとは思えなかったのです。女将のいない金曜日だけれど、お客が来なければ一人で退屈していればいいから気が楽なのでした。7時過ぎに家に戻って朝食を食べる。好物の鮭は亭主が選んで買って来た一品。脂の乗り具合が絶妙な美味しさでご飯が進んだのです。

 食後のお茶をもらって書斎でひと眠りすれば、浅き夢見しで楽しんで目覚めたのです。最近は、心が伸びやかになっているせいか、怖い夢や何かに追われる夢を見ることはなくなったのです。潜在意識にも何の強迫観念もないらしい。洗面と着替えをませたら、早速蕎麦屋に出掛けて行く。幟と看板を出したら厨房に入って大根と生姜をおろすのです。今日も出るはずがないと思いつつ、野菜サラダの具材を刻み、いつもと同じく三皿盛りつけておきました。

 天麩羅の具材を調理台に並べて見て、南瓜が四切れしかないのに気が付いた。電子レンジが壊れているから、家に持って帰ってチーンしてこようと思ったのですが、それを忘れて来たのです。仕方がないので家まで歩いて取りに帰るのでした。玄関を開ければ女将がびっくりして「どうしたの?」事情を話して冷蔵庫に切り分けてあった南瓜をレンジに入れてチーンする。待つ間に蜜柑の皮を剥いて頬張るのでした。足の調子が良いから分けなく往復が出来た。

 朝の6時からエアコンの暖房を入れておいたので、店の中は午後には23℃まで室温が上がったけれど、外は相当に寒いのでした。佐倉市の天気概況を見れば、12時で7℃と出ていたから、これではお客が来るはずもない。それでも1時を過ぎて若い女性が車でいらっして、せいろ蕎麦の大盛りと白エビのかき揚げをご注文でした。ゼロかと思っていたから嬉しかったのです。しかも、蕎麦好きと見えて蕎麦粉を溶いて作った蕎麦湯も綺麗に飲んで帰られた。


12月14日 土曜日 冷たい北風の吹く一日だったけれど…

 昨夜は10時に床に就いたからか、朝の4時にはもう目が覚めたのです。コーヒーを沸かして居間の椅子に座って飲むのだけれど、まだすっきりと目が覚めない。やっと5時過ぎに家を出て蕎麦屋に向かうのでした。昨日の洗い物を片付けて、お茶を沸かし、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充する。6時前には蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打ち始めます。加水率は昨日と同じく43.5%。ビニール袋に入れて蕎麦玉をしばらく寝かせておきます。

 やっと外が明るくなった頃に、再び蕎麦打ち室に入って伸しにかかります。手首も腰もだいぶ好くなったと見えて、身体の動きが以前のようにスムーズになってきた感じがする。少し長めの生地を畳んで、切りべら20本で140gの蕎麦の束を8束仕上げ、昨日の残りの蕎麦と合わせて、今日は12食分の蕎麦を用意できました。早めに家に戻って食卓につけば、女将がナス焼きを終えて出汁焼き卵を作っていた。亭主は自分でご飯を大盛りによそって豚汁を待つのです。

 自分で大蒜をおろしたりご飯をよそったりした分、いつもより早く食べ始められて早く食べ終えることが出来た。居間の椅子に座ってお茶をもらったら、7時半から8時半までゆっくりと書斎で眠れたので、頭はすっきり身体も元気なのでした。着替えと洗面を済ませて、9時過ぎには家を出て歩いて蕎麦屋に向かう。門を出るところで、夜間パトロールの日程表を配り歩いていた隊長に出会って、途中まで一緒に歩いて話をするのでした。散歩のついでだと言う。

 看板と幟を出したら、厨房に入って大根をおろす。野菜サラダの具材を刻んで今日も三皿盛り付けておくのでした。今日は最後のお客様が鴨南蛮蕎麦を二つも頼まれたので、二皿はなくなったから嬉しいのでした。開店の10分前にはもう車が駐車場に入って、早い時間から店は混んだのです。向かいのサツマイモ農園も、焼き芋を買いに来るお客が後を絶たない。陽射しはあっても、風も強くこんなに寒い日なのに、やはり週末なのでした。

 それでも暖かい天麩羅蕎麦やぶっかけ蕎麦など、温かい汁の蕎麦ばかり出るものだから、二回も作り足したのです。久し振りに賑やかになった蕎麦屋でした。1時を過ぎるともうお客はなく、亭主は天麩羅を揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。新聞を読んでいた女将も後片づけの体勢に入る。2時過ぎには家に帰って、亭主は書斎に入ってひと眠り。夕飯の五目あんかけ焼きそばを作って食べたら、また蕎麦屋に出掛けて洗い物の片付けと明日のお新香を漬けて帰る。



12月15日 日曜日 外は冷蔵庫の中の温度なのに…

 午前5時前、アラームのなる前に目覚めて、熱いコーヒーを入れる。今日はいつもより沢山の蕎麦を打つからと、朝から頑張っている亭主。まだ真っ暗な時間に蕎麦屋に出掛ければ、月が地平線に沈む頃なのでした。厨房に入って夕べ漬けたお新香を糠床から取り出し、切り分けて小鉢に盛り付ける。キュウリとナスを一本ずつ漬けて、残りは切り干し大根の煮物を小鉢に盛ればいい。できるだけ残らないように、殘っても家に持ち帰りやすいようにと考える。

 蕎麦打ち室に入って粉を計量し、軽量カップに用意したお湯を捏ね鉢に入れて、捏ねて行けばどうもおかしい。最近は500gで打つことが多かったから、加水を500g分しかしていなかったのです。慌ててお湯を汲みに厨房に戻って、ちょうどいいくらいに加水するのでした。後は両手の感覚に任せて、蕎麦を捏ねて行く。蕎麦玉を寝かせた後で、伸した蕎麦もなかなか好い仕上がりなのでした。粉のせいなのか、最近は随分とコシのある蕎麦が出来るのです。

 7時前に家に戻って朝食を食べ、いつものように書斎で横になるけれど、昨日も随分と眠ったからか、眠ることが出来ずにそのまま起き上がって着替えをするのでした。再び蕎麦屋に出掛けようと玄関を出れば、庭の金柑の黄色い実が青空に映えていました。もう何年目になるのか、最初は大きな粒ばかりだったけれど、きちんと摘果をしないものだから、今では小さな実も随分と多い。数が多いからいちいち面倒を見て上げられないのです。それでも使えるから。

 蕎麦屋に着いて幟と看板を出したら、後からやって来た女将が、「常陸秋そばの幟は立てないの?」と言うものだから、今日は久し振りに片側二本目の幟を立ててみた。「遊び心で書いた字なのね」と書の師範を越えた女将は言うけれど、亭主にはどうも馴染めないのです。いつものように大根を摺り下ろし、野菜サラダの具材を刻んだら、今日も開店の準備が整って暖簾を出す。しかし、陽射しはあるものの、昼になっても戸外温度は10℃しかないのでした。

 12時半を過ぎた頃に続けてお客が入って、皆さん天せいろのご注文なのでした。天せいろを頼んだのに白エビのかき揚げまで頼まれるお客もいました。大盛りも出たから、11食用意した生舟の蕎麦は残り少なくなってきたのです。1時を過ぎていらっした男性客も、キノコつけ蕎麦の大盛りを頼まれた。1時半になったので、亭主も天麩羅を揚げて賄い蕎麦を食べるのでした。茹でる時間が短いわけではないのに、最近打つ蕎麦は随分とコシがあるのです。


12月16日 月曜日 定休日一日目も朝からよく働いた…

 今朝は食後に書斎に入って、古語大辞典の梱包にかかりました。高級な厚手の紙に印刷されて、出た当時は重宝したものですが、後に小型の縮刷版が出てがっかりしたのを覚えいます。今となっては一冊1.5㎏近くもあるこの本は、本棚の一番下で転倒防止の役にしか立っていないので、愛着はあるけれど断捨離のターゲットなのでした。書斎から玄関まで運ぶのも大変でした。一汗掻いて蕎麦屋に出掛ければ、昨日の野洗い物がまだ洗濯機の中に残ってるのです。

 亭主と女将の上着や前掛けは部屋干しにして、タオルや生舟に敷く布巾などを室内干しにしておきます。昔は干しきれなくて、10枚干せるハンガーを二つも買って洗濯場にかけておいたものですが、今ではほとんど使う機会がない。それだけお客の数が少なくなっているのです。厨房に戻ってカウンターの上に干した盆や蕎麦皿を片付け、空の蕎麦徳利は冷蔵庫の盆の中に並べておくのです。昼前には家に戻り、蕎麦を茹でる鍋に水を汲んで火にかけておきます。

 昼は昨日揚げて帰った天麩羅をフライパンで焼いて、蕎麦を茹でて天麩羅蕎麦にする。どうしても家の鍋は小さくて水の量が少ないので、蕎麦は美味く茹でられないのです。一束ずつ茹でれば好いのですが、面倒くさいのでつい一度に沢山茹でてしまう。食後はお茶をもらって、書斎に入って今日初めてのひと眠りをするのでした。1時間ほど眠って目覚めれば、女将はスポーツクラブに出かけているので、亭主も蕎麦屋に出掛けて次の仕事にかかるのです。

 西の小径にはみ出して伸びている紅葉の枝を落とすのが仕事なのですが、この時期は先端だけ落としても来春にはまた生い茂ってしまうので、残す枝を選んで根元からノコギリで切っていくのです。高いところは脚立を使っても届かなくなってしまったので、後は思案のしどころなのです。刈れた紅葉葉が道路に散り広がったので、枝を小さく切ってビニール袋に詰めた後で、更に掃き集めなければいけなかった。小一時間の作業で汗びっしょりになったのです。

 まだ時間が早かったから、手を洗って厨房に戻り、朝のうちに昆布と干し椎茸を浸けておいた出汁取りの鍋に火を入れて、小一時間かけて出汁を取る。4時過ぎには家に戻って、コーヒーを入れてひと休み。冷蔵庫の中を覗いても、真空保冷室に鶏肉が入って、焼きそばの気配はないから、今夜はおそらく鶏鍋なのだろうなと想う。シラタキの袋が出ていたし、白菜や蕎麦屋で残った長葱が残っているはずなのでした。夫婦で会話をしながら夜の鍋を突くのでした。


12月17日 火曜日 今日も寒い一日でした…

 午後は陽の当たる西の小径も、朝は隣の畑に霜が降りています。子供会の廃品回収に出す新聞を取りに蕎麦屋に出掛けたついでに、昨日切った紅葉の様子を見に行けば、道にはみ出した枝は綺麗に切り落とされていました。脚立に乗っても届かなくなってしまった上の枝は、長い剪定ばさみで切れるか。冬の間に何とか始末をすれば好いから、あまり慌てることはないのですが次が気になるのです。脇にある長い間放ったままのグリストラップの掃除もしなければ。

 家に帰って重い古語辞典の束を5つも道路脇に出して、女将の出したゴミも捨てに行ったら、それだけでもうからだが暖まるから不思議なのです。寒い冬場は身体を動かさないと冷えるばかり。食後のひと眠りはせずに、洗面と着替えを済ませ、9時前にお袋様の家に行って、一緒に仕入れに出掛ける。車内の話で、彼女が現在通っている内科のクリニックが、来春早々に閉院になるというので、近くで何処かいいところがないかを調べてやると応えておく。

 この街の創生期に開院した医院は、代替わりするか閉院する所が多いのです。店屋も同じで新しいテナントに替わるところもある。かく言う蕎麦屋も開業して十何年で店を畳む予定なのです。それまでは出来るだけのことをしようと、買ってきた野菜類を冷蔵庫に収納して、大根のなた漬けの準備をしたら、南瓜を切り分けて家に持って帰ってチーンする用意をしておきます。オーブン付きのレンジが壊れて、そう簡単には新しいものを入れられないのです。

 昼は、蕎麦屋で残った最後の野菜サラダをあんかけにして、今週も湯麺を食べる。先週と同じではつまらないから、今日は冷凍の餃子を買ってきて焼いたけれど、はねつきの餃子はどうも上手く出来ない。自分で作れば一番いいのだけれど、最近はあまり餃子を食べたいとも思わないから、やはり加齢のせいなのだろうか。食後は書斎で一時間ほど眠って、仕事部屋の女将に声を掛けて蕎麦屋に出掛けるのでした。亭主の午後の仕事はキノコ汁となた漬けの仕込み。

 早めに家に帰れば、女将がおでんを煮ていた。明日の朝も食べられるようにと、沢山煮るから味が染みて美味しくなるのです。亭主はハラミの残りを焼いてもらって日本酒で一献。300mlの吟醸酒を半分飲んで飲んで、もう酔いが回ってきた。後は風呂上がりに焼酎を炭酸で割って、オンザロックを飲むのが最近の楽しみなのです。年賀状も試し刷りをして女将に見せたら「これでいいんじゃない」と言うので、今夜のうちに仕上げて明日投函してこよう。



12月18日 水曜日 定休日三日目は少し忙しく…

 夕べは10時に床に就いたら、身体が疲れていないからか、4時間眠ってすっきりと目が覚めてしまったのです。仕方がないからコーヒーを入れて居間の部屋でテレビの洋画を観ていた。合間に書斎に戻って年賀状を仕上げてしまう。今年は親戚と家族、親しい友人にだけ出そうと考えて、30枚ほどの数だったから、すぐに終わってしまうのでした。往時の10分の1だから随分と人付き合いがなくなった。年が明けて元日に届いたものには出すつもりではいるのです。

 昼食の支度をするまで家に居て、今日は随分とゆっくりなのでした。やはり早く起き出したのが響いたのです。カレーチャーハンにこんそめのスープを作るのは亭主の仕事だから、食べ終えてやっと書斎に入ってひと眠りなのです。それでも1時間で目が覚めて、女将がスポーツクラブに出掛けたら、後を追うように亭主も蕎麦屋に出掛けて、まずは蕎麦豆腐を仕込みます。そして、年末は筑前煮を小鉢で出してみようかと、中華鍋で炒めて煮てのひと仕事です。

 蓮根も里芋も皮を剥いて適当な大きさに切ったら、一度下茹でをしないといけないから手間がかかるのです。隣の火口では天つゆを作って、沸き出すのを待ちながら、中華鍋で鶏肉を炒め、水切りをした蓮根と里芋を炒めていく。残りの材料を入れて出し汁で煮込んだら、最後に出汁醤油と砂糖で味付けをする。材料費はお新香の何倍もかかるけれど、年末ぐらいは賑やかな小鉢も好いかと思ったのです。牛蒡を買うのを忘れたけれど、まあこれで出してみよう。

 ひと休みしたら、天麩羅の具材を切り分けて容器に入れておきます。明日は一番の寒さだと言うから、お客も来るかどうか分からないので、少しずつにして足らなくなったらすぐに作り足せば好い。玉葱を刻み、三ツ葉を切ってかき揚げの材料の準備も忘れない。3時半になったら家に戻って、夜の防犯パトロールの爲に身体を休めておくのでした。4時半には夕食にしてもらって、女将の作るちゃんこ鍋にうどんを入れて暖まったら、寒い夕暮れの道を集合場所に歩いて行くのでした。お年寄り達は元気に集まってくるから凄い。


12月19日 木曜日 朝から雨で時折時雨れていました…

 三日間の定休日明けには、やることが沢山あるのです。5時にアラームで目が覚めて、コーヒーを入れて頭をすっきりとさせるけれど、やはり身体を動かさないと本当には目が醒めないのです。5時半過ぎに蕎麦屋に出掛ければ、南の空の雲間からほんの少し月が見えていた。今朝はどうやら曇りらしい。佐倉市の天気予報では、今日は日中が昨日よりも寒く、北風も強いというから、あまりお客は望めない。厨房でまずは昨日使った鍋類を戸棚に収納する。

 それから蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つのでした。加水率43.5%でいつものように捏ね始めれば、ちょうど好い硬さで生地は打ち上がるのです。ビニール袋に蕎麦玉を入れて、寝かせている間に厨房に戻ってほうじ茶を沸かす。陶磁器のグラスに四杯分のお茶を入れたら、一つは身体を温めるためにその場で飲み始める。大釜に湯を入れて沸かしながら暖を取るのです。また蕎麦打ち室に入って蕎麦の生地を伸して包丁切り。今日も好い蕎麦が打てました。

 7時過ぎに家に帰れば、今朝の食卓には昨日のおでんの残りと、鮭の塩焼きと豚汁が並んでいる。身体の温まる食べ物ばかりで女将に感謝なのです。歳を取ったせいか、動いていないと身体が冷えてくるのから、どうしてもストーブを点けて暖まる。今朝は蕎麦打ちを終えた後でもまだ寒い。書斎に入ってひと眠りすれば、頭もすっきりして、洗面と着替えを済ませて再び蕎麦屋に出掛ける.大根や生姜をおろし、薬味の葱を刻み、いつものように野菜サラダを作る。

 外は時雨れて来たから、今日は相当に寒いのです。時間があったので、小鉢を盛り付けて、テーブルを拭いて回る。木曜日は女将が来てくれるのが開店前だから、亭主がそれまでに開店の準備を済ませておかなくてはならないのです。この寒さだからお客は来ないのではと思っていたら、女将も来て暖簾を出せば、すぐに男性客が一人歩いていらっした。なんと隣町から歩いていらっしたとか。天せいろを頼まれて美味しかったと言って帰られる。

 昼を過ぎて西の空に青空が見えるようになったけれど、外は6℃と真冬の寒さなのでした。向かいのサツマイモ農園では、新しく借りたという右手奥の畑の草を刈り始めている。若い人の勢いは素晴らしいもので、広い耕作放棄地に育った草や木を次々に刈っていくのでした。広いからそれでもまだ半分以上残っているから、明日もまだ仕事をするのでしょう。こちらも元気を貰ってお客を待つけれど、今日はもうお客が来そうもないのでした。

 

 

 

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2024年12月上旬



12月4日 水曜日 久し振りに朝から歩いてやっと回復…

 定休日の最後の朝は、いつも通りに5時前に目覚めて、コーヒーを沸かして飲む。今日の仕込みは、天麩羅の具材の切り分けと、明日の蕎麦を半分だけ打っておくだけだから、急がなくても大丈夫。それでも、やはり心配だったから、6時過ぎに歩いて家を出て蕎麦屋に向かうのでした。今日は12月最初の防犯パトロールのある日だったので、回復してきたぎっくり腰は大丈夫なのかと試して見たのです。無事に蕎麦屋に着いて厨房に入って小鉢を盛り付ける。

 すぐに終わってしまうから、帰り道は夜のパトロールの道を通って、近くの公園まで足を伸ばすのでした。銀杏の木が黄葉してとても綺麗なのでした。ご近所の老人達が道に出て、散った銀杏の葉を掃いていました。紅葉したモミジも盛りは過ぎていたけれど、近場で秋を感じることが出来なかった今年の見納めと、しみじみと眺めて家路につくのです。多少、足は引きずっているものの、2000歩以上を歩いても、以上はなかったのでまずはひと安心なのでした。

 朝食を終えてゆっくりとしたら、昼前に再び蕎麦屋に出掛けて、天麩羅の具材を切り分ける。すぐに終わってしまうから、家に戻って昼食の支度をするのでした。客の来なかった日曜日に残った蕎麦の最後の三束を茹でて、今日もまたとろろ蕎麦。昨日買って帰った豚肉の厚切りロースを焼いて、女将と二人で食べる。三日間、蕎麦を食べ続けたことになるのです。暖かかったから、女将も文句を言わずに付き合ってくれたけれど、有り難い事なのでした。

 午後はゆっくりと昼寝をして、女将がスポーツクラブから帰ったら蕎麦屋に出掛け、明日の用意する蕎麦の半分を打っておくのでした。一度に沢山打つのは時間もかかるし、体力も要るから、最近は無理をしないようにしているのです。家に戻って早めの夕飯を食べたら、パトロールの集合場所に早めに出掛ける亭主。金星が沈む眉の月に寄り添って明るく輝いていました。集まった80歳前後の老人達は皆さんお元気で、一番後からついてコースを回るのでした。


12月5日 木曜日 今日は風の冷たい曇り空で…

 今日から四日間の営業日には、朝の5時にアラームが鳴るようにスマホを設定してあるのです。それでもアラームが鳴る少し前に目が覚めて、しばらく床の上に座ったままで、ぼうっとした頭を少しだけ整えたら立ち上がるのです。トイレに行って台所でコーヒーを沸かしたら、居間の椅子に座ってやっとコーヒーカップに口を付ける。煙草を一服するのはその後なのです。目覚めてから30分、5時半を過ぎて蕎麦屋に出掛け、今朝の蕎麦を打ち始める。7時前には家に戻って朝食を食べるのです。食後のひと眠りは約1時間。

 再び蕎麦屋に出掛けたのは9時半近くで、店に着いて、看板と幟を出したら、厨房に入って、まずは大根と生姜をおろす。薬味の小葱を刻んだら、もう10時近かった。野菜サラダの具材を刻んで、いつものように三皿に盛り付ければ、まだ11時前なのです。テーブルを拭いて回って、外に出てみれば青空が見えたけれど、すぐに曇ってくるのでした。陽射しは弱く、寒く感じるのです。外を歩いている人は誰もいない。向かいのサツマイモ農園では、今日は広いビニールハウスの中を耕しているらしかった。

 天麩羅鍋に油を入れて、調理台に天麩羅の具材を並べたら、もう11時を過ぎていました。女将が来てくれるまでにはまだ時間があるのです。そこでデザートの蕎麦饅頭を作っていなかったことに気が付いて、急いで蕎麦粉と小麦粉を取りに蕎麦打ち室に行く。蕎麦粉と小麦粉を70gずつ計量してふくらし粉を混ぜ、お湯を100cc加えて捏ねていくのです。まな板にラップを敷いて蕎麦粉の団子を6個作り、漉し餡も6個丸めたら、打ち粉を撒いた上で蕎麦の団子を潰して、餡を包んでいく。沸騰した蒸かし釜に載せて15分で仕上がる。

 寒いこともあるけれど、やはり建物全体が工事中の覆いに包まれているから、なかなかお客は来ないのです。昼過ぎにいらっしたリピーターさんは、駅の南側から自転車でご来店なのでした。ぶっかけ蕎麦の大盛りと蕎麦豆腐をご注文で、年末はいつまでやっているのかと尋ねられたので、30日がちょうど定休日の始まりなので、29日の日曜日まで営業すると応えた。奥様が大晦日の年越し蕎麦を頼めるのかと言われたとか。今年は30日を過ぎたらもう蕎麦を打つことはしないつもりなので、年明けの1月8日まで長い休みになる。


12月6日 金曜日 陽射しは弱く風も冷たい日で…

 外壁を塗る作業がやっと終わったらしく、外の覆いも一部取り外されていました。外されていた「霊犀亭」の大きな日除けのれんも元に戻され、灰皿やベンチも前にあった場所に返っていた。空はどこまでも青かったけれど、今朝は風がとても冷たいのです。看板と幟を出して厨房に入れば、温度計は12℃を表示していました。エアコンを点けたら、大釜に水を入れて沸かし始めるのでした。蕎麦茶を沸かして三つのグラスに入れて、一つは暖を取るために飲む。

 アスパラガスとブロッコリーを茹でて、レタスをちぎって洗ったら、キャベツの葉を刻みます。アーリーレッドをスライスして、パプリカを二種類刻んだら、人参の皮を剥いて千切りの準備。いつもここでひと休みするのです。ちょうど大釜の湯が沸いたので、四つのポットに入れて、大釜にまた水を足す。野菜サラダが仕上がったのは10時40分と随分と早かった。天麩羅の具材を調理台に並べ、天麩羅油を鍋に入れたら、冷蔵庫から天ぷら粉の入れ物を取り出す。

 今日は時間があったので少し解凍してあったハラミを切り分け、竹串に刺していく。先週も全部残ってしまったから、四本もあれば足りるだろうと、残りはまた冷凍室に入れておきました。これで、週末の準備も整ったし、テーブルを拭いて回っていよいよ開店の準備は終了なのです。お客が来ても来なくても、この準備は毎日しなければならないけれど、今日の寒さではどれだけお客が来るのか、覆いの取れた足場越しに窓の外を覗けば、青空が広がっている。

 1時まで待ってもやはりお客は来なかった。このところ木曜日よりも金曜日の方がお客が多かったのに、やはり、寒さと店の建物を覆っている工事中の垂れ幕のせいだろうか。お客が来ない時は、めげていても仕方がないので、賄い蕎麦を茹でて食べるのです。今日は食用菊の「もってのほか」の天麩羅を綺麗に揚げようと、定番のレシピどうりに額の側から油に浮かべた。しばらくしてひっくり返して少し揚げれば、綺麗な花の形が保たれたのでした。



12月7日 土曜日 陽射しはあっても寒い一日でした…

 今朝は4時半にすっきりと目が覚めて、台所に行ってお湯を沸かし、コーヒーを入れました。寒いから居間のエアコンとストーブを点ければ、なんと室温は10℃。冷蔵庫の中の温度なのでした。テレビも点けずに熱いコーヒーを飲んで暖を取る。まだ動き出せる温度ではないのです。やっと暖まって一服。蕎麦屋に出掛けたのは5時半過ぎなのです。まだ夜明け前だから辺りは真っ暗で、やっと東の空が少し白んで来ました。蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つ。

 蕎麦打ちが終わって車に乗り込もうと外に出れば、隣の畑は真っ白な霜が降りている。駐車場のモミジも紅葉が終わってもう枯れ始めているのです。7時には家に戻って朝食を食べ、いつものペースで書斎に入ってひと眠り。9時半前には今度は歩いて再び蕎麦屋に出掛ける。今日は土曜日の朝市の日だから、向かいのサツマイモ農園は八百屋も出てなかなか賑やかなのでした。近所のお年寄り達が歩いてやって来て、野菜や焼き芋を買っていた。

 亭主に少し遅れて女将が来て「今日は八百屋が出ているわね。ちょっと言って来るわ」と道路を渡るのでした。サツマイモや野菜を買って帰って来てきたら、「植木鉢で大きな実のなった金柑が出ていたから買ってこようかしら」と珍しく亭主に尋ねるのでした。自宅にある金柑の木を移植するのには、それなりのお金がかかるけれど、小さな植木鉢なら安いという考えなのです。再び道路を渡って小さな植木鉢に接ぎ木で植えた金柑の木を買ってきたのです。

 野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿だけ盛り付けておく。寒いから今日もお客は来ないかと思ったら、暖簾を出す時間に合わせて常連さんのお年寄りがやって来たのです。カウンターのいつもの席に腰を下ろして、せいろ蕎麦と白エビのかき揚げを頼まれる。1時過ぎになってワゴン車にのった年配の男性がやって来た。カウンターに座ってせいろ蕎麦の大盛りと野菜サラダをご注文で、食べ終えて「蕎麦が美味い」と新蕎麦の香りがあると褒めてくださる。



12月8日 日曜日 結局はお蕎麦が売り切れた寒い午後…

 今朝もスマホのアラームの鳴る5時前には目が覚めて、居間でコーヒーを飲みながら今日の段取りを考えていました。昨日の蕎麦は随分と余っているはずなのですが、今週は寒さのためかお客が少ないので、今日もそんなに来るはずもないだろうと思えたのです。先週は最後の日に蕎麦を打って、残った蕎麦を三日間の定休日に食べ続けなければならなかったのが苦い思い出。足りなくなれば、ご免なさいでお客様に謝るだけだと、決心して6時過ぎに家を出る。

 晴れると言う予報だったのに空は雲に覆われて、寒い朝なのでした。カウンターの上に干してあった盆や蕎麦皿を片付け、冷蔵庫の中の蕎麦や小鉢の数を確認したら、昨日のブログを読み返しながらお茶を一杯飲んで休憩です。今朝は昨日残った野菜サラダをどうしても処理しなければならなかったので、亭主が早めに家に帰って、残った野菜サラダであんかけの野菜炒めを作るのでした。寒い日だから暖かい食べ物が好いと言う女将のリクエストなのです。

 夕べは珍しく10時には床に入ったので、7時間の睡眠で今朝は食後のひと眠りはしなかった。8時半には家を出て歩いて蕎麦屋に出掛ける。日曜日は明日で終わりの業者の仕事もお休みだから、足場に昇らせてもらって、高く伸びてしまった月桂樹の木を剪定してしまおうと、ノコギリと剪定ばさみを持って足場の階段を昇る。歳を取って高いところが怖くなったので、手すりにつかまりながら南東の角まで進み、苦労せずに綺麗に枝を落としたのです。

 いつもの通り野菜サラダは三皿盛り付けて、天麩羅の具材も少しだけ切り足しておいたけれど、今日はほとんど天麩羅は出なかったのです。開店の1時間も前に、蕎麦屋の下の通りに住む小母さんがやって来て、「蕎麦と蕎麦汁を二人分ください」と言う。晩に息子さんと二人で食べたいのだとか。暖簾を出してすぐに年配の男性が車でいらっして、ノンアルビールとせいろ蕎麦の大盛りをご注文。そのお友だちが後からいらっしてぶっかけ蕎麦とハラミの串焼きを二人で食べると四本、そして蕎麦饅頭を二つ頼まれたのです。
 お二人でしばらく話をしていたから、順番にお造りして、帰られたのが1時前なのでした。亭主は賄い蕎麦を茹でて食べてしまうのでしたが、その後でまた車が入って鴨せいろの大盛りをご注文なのでした。今日は早くからお客が入ったと思ったら、閉店間際にも三人連れで「いいですか?」とお客が来たのだけれど、もう生舟には蕎麦はなくなっていたのでお断りしたのです。鴨せいろを美味しいと食べて帰られたお客は、店のパンフレットをお持ち帰りでした。


12月9日 月曜日 やはり冬、今季一番寒い朝なのでした…

 今朝は6時に起き出して居間の部屋に行けば、なんと7℃しかありませんでした。急いで暖房を入れて、コーヒーを沸かすのでしたが、すぐに鼻水が出て来て、やはりもう冬なのだと実感しました。今日の最初の仕事は、市役所の出張所に出掛けて、印鑑登録書を発行してもらいに行くことでした。蕎麦屋の外壁塗装の作業が終わって足場の解体作業をする日だったから、蕎麦屋を回って行ったけれど、まだ業者は来ていませんでした。すぐに終わるからなのか。

 出張所には係の人以外は誰も客がいなかったので、窓口に行って「印鑑証明書が欲しいのですけれど」と言えば、「今は機械がなくなったのですよ」と、申込書を書いたら向こうで処理をしてくれたから驚いた。確かに亭主のような年寄りは、どうせ使い方を聞かなくてはならないから、高額な機器を導入しても人手は必要なのかも知れない。役所の前の廊下は広く、椅子や綠が置かれていて、陽の当たる場所には、お年寄りが椅子に座ってのんびりしていた。

 昼食を終えてひと眠りしたら、女将はスポーツクラブに出掛けていた。そろそろ足場の解体作業が始まっているかと、車を出して蕎麦屋に行けば、駐車場には亭主の車が入る隙間もない程、大きなトラックが横付けされていて、ちょうど足場を外しているところなのでした。空は朝からずっと晴れて雲一つないのです。北風が吹いてとても寒いのでした。中で仕事が出来なかったので、作業の職人さんと少し話をして、そのまま家に戻ってきた。

 今日は蕎麦屋で仕事が出来なかったので、家でテレビを観ることが多かった。途中途中で椅子から立ち上がりながら、懐かしい映画を3本も観たから、好い加減飽きてしまったのです。夜のブログを少しずつ仕上げて、5時になったら台所に立って夕食の支度をするのでした。蕎麦屋で残った野菜サラタやチーンしてほぐした蒸し焼き蕎麦、キクラゲや海老や肉など、材料はすべて女将が用意してくれるので、亭主はフライパンを二つ並べて仕上げるだけ。

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2024年12月初め



12月1日 日曜日 寒く晴れた一日でしたが…

 今朝も5時起き。コーヒーを沸かして、5時半には蕎麦屋に出掛けたのです。日の出が遅くなっているから、まだ地平線が薄ぼんやりと明るいだけなのです。店に入って照明と暖房を点け、蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量する。計量カップに厨房からお湯を汲んできて、水回しを始めると、腰の調子が少し好くなったのか、楽に両手が使えるので助かった。それでも捏ねる時に力を入れるのはまだ痛みを堪えなければならない。蕎麦玉を作って厨房に戻ります。

 夕べ漬けに来たお新香を糠床から取り出して小鉢に盛り付ける。キュウリとナスとを一本ずつだから、これで5鉢。残りはなた漬けを盛っておくのでした。蕎麦茶を沸かしてグラスに入れたら、また蕎麦打ち室に戻り、蕎麦玉を伸し広げて今日も6束の蕎麦を仕上げる。昨日の残りの蕎麦と合わせて12束。この寒さではそんなに多くはお客は来ないだろうと思えたのです。7時前に家に戻って、女将が鮭を焼き上げるのを待って朝食を食べる。

 食後のひと眠りからは40分ほどで目覚め、あまりすることはなかったけれど再び蕎麦屋に出掛けていく。空気は冷たかったけれど、陽射しがあるので助かった。正午の気温の予報が15℃だったから、今日も暖房を入れてもなかなか20℃にはならなかったのです。開店の準備を整えて暖簾を出しても、お客の姿はないのでした。外壁塗装の覆いのせいもあるかも知れないけれど、やはり寒いのが一番の原因かお客は久々のゼロ。沢山の荷物を持って家に帰るのでした。



12月2日 月曜日 のどかな定休日の出来事… 

 今朝はあまりにも早く3時前に目が覚めてしまったので、コーヒーを沸かして飲んだら、腹が減っていると感じた。ニュースを見ながら蕎麦を茹でて、温かい汁のきつね蕎麦にして食べればやっと眠くなる。そして5時過ぎにまた床に入って眠ったのです。7時過ぎに女将に起こされて、朝食の時間だったけれど、茶碗蒸しとおかずの茄子とピーマンの味噌焼きだけ食べたのです。やっと休みになった月曜日は、朝から初めて消化器の内科を受診するのでした。

 数日前に二日も続けて下血したから、大腸癌だったら困ると思ってやはりいろいろ心配したのですが、80歳を越えているらしい医者の言うには、「多分、痔でしょう。座薬だけ出しておきます。」と軽くあしらわれたので逆にホッとしたのです。家に戻って心配していた女将に話せば、「お母さんにも連絡しておいた方が好いわよ。心配しているだろうから」と言われて電話を掛ける。昼は朝に続いて蕎麦を食べる亭主。とろろ蕎麦を女将と二人で食べるのでした。

 朝と違って陽射しの出た午後は暖かく、女将がスポーツクラブに出掛けている間に、煙草を買いに出て、隣の公園の紅葉が綺麗に紅葉していたわよと言われたので、写真を撮っておいた。それから蕎麦屋に出掛けて返しを作るのでした。返しは2週間で使い切ってしまうから、二種類の醤油も、年内にもう一度仕入れなければいけない。天麩羅の油も来週で一斗缶が空になる計算です。今年は30日が月曜なので、正月過ぎまで店を休もうと考えているから赤字か…。

 店に戻って返しを作っていたら、お袋様が珍しくやった来た。ちょっと散歩をしようと思って蕎麦屋の前を通ったら、亭主の車があったので寄ってみたのだとか。彼女も通う内科の先生の話になって「何を言っているのか分からないことがあるのよね」と言うから、「先生の声が小さいのではなく、早口だから聞いている方がその速さに付いていけないのだよ」と亭主が応える。70代、80代、90代の老人の会話なのです。ゆっくりとした午後なのでした。



12月3日 火曜日 今日も暖かな陽射しの一日なのでした…

 昨夜はゆっくりと7時間ほど眠って、6時前に目が覚めました。コーヒーを沸かしてニュースを見ながら一服したら、蕎麦屋に出掛けていく亭主。昨日作った返しは鍋のまま冷ましてあるから、甕に入れなければならなかった。干し椎茸と昆布は小さい方の中鍋に浸したままだから、出汁取りをしなければならなかったのです。蕎麦屋に着けば駐車場のモミジが赤く色づいているのに気が付いた。薄暗がり中、カメラのシャッターを切っておく。暖かい朝でした。

 出汁取りは、強火にして急いでも40分はかかるから、慌てずに休み休み仕事を進める。返しを作った大鍋を洗って乾かしたら、二番出汁を取るのに使う。寒くなったから、温かい汁が沢山必要になるのです。7時を過ぎてやっと出汁を取り終えて、家に戻って朝食を食べました。食後は例によって書斎でひと眠り。9時前に起き出して、洗面と着替えを済ませてお袋様を迎えに行くのです。暖かい朝だったから、陽射しを受けて車の中は暑いほどなのでした。

 仕入れから戻って蕎麦屋に帰れば、窓の覆いが取れたので店の中は昨日までよりは明るくなった。工事が終わるのは来週の月曜日の予定だから、見違えるように綺麗になるはずなのです。買って帰った野菜類を冷蔵庫に収納して、なた漬けの大根を切り分け、塩で漬け込んでおきます。11時を過ぎたので家に戻ると、家に買って来た荷物を女将が取りに来てくれた。昼食は昨日に続けてとろろ蕎麦。暖かい日だったから、女将も文句を言わずに食べてくれた。

 食後の昼寝をして、女将のスポーツクラブの予約を取ったら、再び蕎麦屋に出掛け、キノコ汁と小鉢に使う切り干し大根の煮物を仕込んでおく。なた漬けの大根の水が上がっていたから、今度は水を絞って甘酒の素に漬ける。刻み柚子と砂糖と唐辛子の輪切りを入れて、明日には食べられる状態になるはずです。4時半になったからガスの点検と戸締まりをして家に戻る。女将が早くから台所で夕食の支度をしていた。今夜はまた茶碗蒸しを作ってくれるらしい。