2024年6月初め



6月1日 土曜日 6月も初日から満員御礼で…

 今日は晴れて暖かくなると言う予報だったから、5時には起き出して5時半には蕎麦屋に出掛ける。21%の加水で蕎麦粉を捏ねて蕎麦玉を寝かせている間に、小鉢を盛り付けるのです。12鉢用意して足らなければ盛り足せば好いと思っていた。湿度58%、室温22℃だったから、ちょうど好い生地の仕上がりで、蕎麦切り包丁に蕎麦がくっつくことなく、綺麗に蕎麦が切れたのです。昨日の蕎麦の残りと合わせて15食の用意で開店に臨むのでした。

 7時前には家に帰って女将の用意してくれた朝食を食べる。例によって食後に書斎へ入ってひと眠りしたけれど、30分も眠れなかったのです。最近では珍しく8時半には家を出て、蕎麦屋に着いたら看板を出して幟を立てる。向かいの畑の親父様も、もう野良仕事を始めていた。朝のうちは曇りという予報だったのか、空はどんよりと曇っていたのです。デザートの苺大福は昨日作ったものが残っていたから、今朝は大根をおろして野菜サラダを作るだけでした。

 大根をおろして冷蔵庫の中の蕎麦汁を確認したら、だいぶなくなっていたので、補充しておくのでした。野菜サラダの具材を出して並べて見たら、最近は野菜の値段が上がっていると女将が言っていたけれど、アスパラは一日分の3本で200円、ブロッコリーも200円以上でそう考えると、300円で出す野菜サラダも、10種類の生野菜を使って、果たして元が取れているのかと心配になるのでした。メニューの値段は、そうそう簡単に変えることは出来ないからです。

 野菜サラダを刻んでいたら、10時半前に裏の奥様がやって来て、食事を終えてから出掛けたいのでと、天せいろを二つ作って欲しいと、蕎麦の持ち帰りを頼まれる。「えーっ、まだ早すぎますよ」と亭主は言いながらも、天麩羅油を温めて、野菜サラダは途中にしたまま、蕎麦を包んで蕎麦汁をペットボトルに入れて天麩羅を揚げるのでした。その間中、ずっと一人で喋り続ける彼女の姿が、痛々しくてならなかった。息子さんは「まだ早すぎる」と言ったのだとか。

 今日は二つのテーブル席に四人ずつ入って、カウンターに交互に四人座ったから、開店前のお持ち帰りを合わせて14人のお客が来たことになる。それで1時にはもう蕎麦は売り切れ。売りきれの看板を出してた後にも、お客は何組かいらっしたけれど、これが亭の出来る範囲と諦めるのでした。温かい汁のぶっかけ蕎麦が随分と出たほど、外は涼しい陽気だったらしい。3時前に洗い物を済ませて、女将と家に戻るのです。夜はまた明日の準備に蕎麦屋に行く。



6月2日 日曜日 6月に入って二日目も曇りなのに10人越え…

 今朝は3時に目が覚めて、まだ早いから寝ていようと思ったけれども、なかなか寝付かれなくてとうとう Give up 。仕方がないから外が明るくなるまで待って、蕎麦屋に出掛けるのでした。昨日は用意した15食の蕎麦がすべて売り切れたので、今日は二回の蕎麦打ちをしなければならなかったのです。気温が低く、天気も悪いとは言え、日曜日は油断大敵だから、しっかり蕎麦を打って開店に備えなければと思うのでした。加水率は41%。室温は22℃。湿度は57%。

 腱鞘炎で痛い左手を庇いながら、捏ねる蕎麦の生地を菊練りにして、蕎麦玉を二つ作ったところでビニール袋に入れて寝かせる。厨房に戻って、夕べ漬けに来たお新香を糠床から取り出し、切り分けて小鉢に盛り付ける。漬けた時間は10時間と少し短かったけれど、まずまずの出来栄えなのでした。これに大根のなた漬けと切り干し大根の煮物を小鉢に盛って、17鉢の小鉢を用意する。勿論、明日の分も入れて用意したから、今日はどれだけ出るのか心配です。

 早朝の2時間の仕込みを終えて家に戻れば、女将が「寝坊しちゃった」と、急いで朝食の用意をしてくれる。食事を終えてお茶を居間のテーブルに置いておくように言って、亭主は書斎に入ってひと眠りするのでした。1時間ほど眠ったのだろうか、目覚めたら8時半近くでした。今日は午前中に減塩の再仕込み醤油が届く予定だったので、洗面と着替えを済ませて蕎麦屋に向かうのです。向かいの薩摩いも畑では、いよいよ苗の植え付けを始めていました。

 蕎麦屋に着いたら看板を出して幟を立てて、薬味の葱切りと大根をおろすのを先に終えて、まずは苺大福を包むのです。10時を過ぎたところで、野菜サラダの準備に入るのでした。サラダの皿をカウンターに並べてこれから盛り付けようとするときに、玄関の扉が開いて、今日も裏の奥様がやって来た。昨日、11時を過ぎなければ用意が終わらないのでと言ったばかりなのに、今日も用事かあるから早く天せいろを作って欲しいと言う。さすがに亭主はお断りした。

 それでも開店の10分前には、車が駐車場に入ってきたので、暖簾を出さずに「中でお待ち下さい」と言って、若いご夫婦を店に入れたのです。常連のカレーうどんのお父さんご夫婦は、ぴったり開店の時刻にいらっして、いつものご注文。新聞配達屋のお兄さん達はカウンターに座って天せいろとぶっかけ蕎麦を頼まれる。昼前に駐車場はもう満杯で、今日も先が思いやられるのでした。用意した蕎麦の数だけ出たら売り切れなので、忙しさもそれで終わるのです。

 空いた時間でどんどん盆や皿を洗って行く亭主。女将も客が帰ったテーブルを拭いて、次のお客が来てもいいように準備してくれるのでした。1時前になって、四人連れの仕事着姿の若者達がご来店で、店の中を大声で話し出す。カレーうどんや鴨せいろなども頼まれたので、厨房は俄に忙しくなった。4人なのに注文の数が5つだからと確認すれば、兄貴風の青年が鴨せいろとカレーうどんを頼んだと言う。ビールやハラミの串焼きも出たから大変なのでした。
 2時半には洗い物を終えて家に戻って、女将は美容院に出掛け、亭主は書斎でひと眠りする。3時半には目が覚めて、雨が降っていなかったから、玄関前の木槿の剪定を始めたのですが、途中で雷と激しい雨。女将が帰って5時過ぎに早い夕飯を食べたら、夜の仕込みに亭主はまた蕎麦屋に出掛けるのでした。蕎麦汁もなければ返しも出汁もないのです。夜も1時間半の仕込みをして、8時前にはいえにもどるのです。今日は昨日よりも売り上げが多かった。


6月3日 月曜日 6月の三日目は平日なのにお蕎麦売り切れ…

 今朝も3時には目が覚めて、居間の部屋でコーヒーを飲んで一服したけれど、まだ早すぎるのでもうひと眠りするのでした。今日は蕎麦を打っても600g6人分だけで、他には6鉢しかない小鉢に何を作れば好いのかというのが悩み。平日のしかも月曜日で曇り空だから、お客はそんなんには来ないのではないかと思ったのですが、用意だけはしておかなければいけない。蕎麦打ち室に入って、このところ同じ41%の加水で生地を捏ね始めるのでした。

 蕎麦玉を作って生地を寝かせている間に、今日の水分補給のためにほうじ茶を沸かす。カウンターに干してある昨日の沢山の盆や蕎麦皿を片付けたら、換気扇を回してやっと一服。蕎麦打ち室に戻って、蕎麦玉を地伸ししたら60cmの伸し棒で伸し広げていく。片付けに時間がかかったので、もう7時を回っていた。急いで本伸しを終えて畳んだら包丁切りです。135gを越える分量で6束の蕎麦を打って、昨日の残りと合わせて9束の蕎麦を用意しました。

 家に帰ればちょうど女将が朝食の支度を終えるところで、亭主にはちょうど好いおかずと小鉢の量なのでした。食べ終えてお茶をもらったら、例によって書斎に入って最近はひと眠り1時間。眠りが浅いのかいろいろな夢を見て楽しかった。洗面と着替えを済ませて蕎麦屋に出掛ける。月曜日は持って帰る荷物が多いので、車でいくつもりが、昨日の夕刻に剪定した木槿の様子を見ているうちに、何時の間にか歩いて出掛けていた。曇りだけれど気持ちが好い。

 蕎麦屋に着いたら看板と幟を出して、郵便受けを見たら不在通知があったので、すぐに電話をしたら来てくれると言うことなのでした。車で来ていれば間に合ったのかも知れない。厨房に入ってやはり小鉢を作らなければと思って、切り干し大根の煮物を作ることにした。店に残っている食材で、簡単に作れるものは他にないのでした。そして、大根と生姜をおろして、天麩羅の具材を切り分け、やっと10時過ぎに野菜サラダの材料を刻み始めるのです。

 開店の準備が出来て、暖簾を出して待っていたら、バス通りの向こうから4人の作業着姿の男性達が歩いて来るのが見えた。これは蕎麦屋に来るのだと直感して用意していたら、玄関が開いてテーブル席に座ったのでお茶を出す。「天せいろの大盛り」と言うから四人とも大盛りなのかと確認して準備をするのでした。二人分ずつ天麩羅を揚げて蕎麦を茹でる。話している言葉を聞けば中国語でもないし、どこか東南アジアの国から働きに来ているのだろう。

 蕎麦湯を出したら蕎麦に掛けている若者もいたから、日本食は初めてなのでしょう。言葉が通じるのは一人だけで、自分が食べ終わったら外で煙草を吸っていたから、結局、蕎麦湯は誰も飲んでくれなかった。その後で、近所から来たというお母様と娘がいらっしてこちらはぶっかけ蕎麦を頼まれる。残っていた野菜サラダと苺大福をサービスしたら、盆や蕎麦皿までカウンターに下げてくれた。賄い蕎麦を茹でて食べ終えたら、すべて洗い終わって3時を過ぎた。
 珍しくスポーツクラブを終えた女将から電話が入って、「家には何も食べるものがないんだけれど、何を買って帰れば好い?」と言うから、「焼きそばと肉でも買えば…」と応えておいたのです。亭主は今日は夜のプールに行く予定だから、作るのが楽な物が頭に浮かんだのです。持ち帰る荷物を袋に詰めて道を歩いていたら、向こうから女将が迎えに来てくれた。手首の痛い亭主を慮って荷物を持ちに来てくれたのです。家に着いてひと眠りしたら、台所に入ってあんかけの堅焼き蕎麦を作る亭主。夜はプールにで掛けてひと泳ぎです。


6月4日 火曜日 やっと定休日で店は休みになったけれど…

 日の出は4時半、朝は6時まで家に居て定休日だけれど、朝飯前のひと仕事に蕎麦屋に出掛ける。カウンターの上に干した盆や蕎麦皿を片付けて、昨日持って帰れなかった残りものの食材を、お盆に載せて車で家まで運ぶのです。7時前に家に戻って台所の様子を窺えば、女将が出汁焼き卵を作っているところで、卵が出るというのは冷蔵庫に何も残っていないと言うことだから、持って帰った小鉢がものを言うのでした。カブの味噌汁がとても美味しかった。

 食後はお茶をもらっていつもならひと眠りするところだけれど、玄関を出て庭の木槿の剪定の続きを始めるのです。毎日、眺めてはどの枝を切れば通りに出る小枝をなくせるかと考えていたから、脚立を出して一段だけ上ったところで剪定用のノコギリで切っていくのでした。30分ほど切り続けて、やっと見通しが好くなった。南側の枝には沢山の小枝が伸びていたのです。これを上だけ切って剪定したつもりでいたら、翌年にはまた大変なことになる。

 心配なのは、これだけ枝を切ってしまって、木が枯れてしまわないかと言うこと。切った枝葉をゴミ袋に入る大きさに切るのは午後からの仕事にすることにして、お袋様に電話をして今日の仕入れに出掛ける。陽射しは強いけれど空気は冷たく、売り場の広くなった農産物直売所に行けば、野菜はいつもの茄子やピーマン、人参、トマトなどをもらって、生椎茸3パックを加えて3000円を超えた。大根やキャベツは高いから、次に行く隣町のスーパーに期待する。

 期待に違わず、キャベツも100円ほど安く買えたし、大根も150円はしなかった。ブロッコリーは前の店の方が100円安かったので、買って来て正解なのでした。家の魚や肉や果物も買ったので、総額1万3千円も支払うことに。ほとんどが野菜なのにこの値段は確かに高い。お袋様もいつもより値段が上がっているのに驚いていた。店に戻って野菜類を冷蔵庫に収納したら、大根を切り分けてなた漬けの仕込みを始める。漬け物器に入れて塩を振って混ぜるだけ。

 家に戻って昼食の支度を始めれば、買い物から帰った女将がカレー粉を買い忘れたと言うので、今日も塩とコショウと鶏ガラの顆粒を加えて炒飯を作る亭主。火は強めに油は多めにして、レンジで温める冷凍ご飯も時間を短くして冷たいままで炒めるのがポイント。午後はさすがにひと眠りしてから、女将のスポーツクラブの予約の時間まで、朝に剪定した木槿の枝を小さく切る作業を始める。

 無事に予約が取れたら、テレビで洋画を観てゆっくりとするのでした。少しは寛がなければ身体が参ってしまっては元も子もない。4時前になって涼しくなったら、もう一度蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みをするのです。丸ごと買ってきた南瓜を切り分けてレンジでチーンしたら、蓮根の皮を剥いて輪切りにして酢水で火にかける。水の上がったなた漬けの大根は、水を切って京唐辛子を散らして、甘酒の素と砂糖を加えて容器に入れるのでした。

 昨日の洗濯物を干していなかったことに気が付いて、物干しに乾いた前日の洗い物を畳んで、新しい洗濯物を干しておく。家に帰る前にビールの空瓶をひとケース車に積んで、国道沿いの酒屋に寄って、新しいビールと自分で飲む焼酎とをもらって家に戻るのです。夜の食事は活きの好い銚子産の鰯が手に入ったので、大蒜をおろして刺身にしてもらう。脂が乗っていてとても美味しかった。これだけでは足りないから、焼き肉と南瓜や生椎茸を焼いて食べる。