2024年5月下旬



5月20日 月曜日 朝から雨だったけれど…

 今日は昼過ぎまで雨だと言う予報だったので、お客もあまり来ないのではないかと、悲観的な思いで朝飯前のひと仕事に出掛けるのでした。お客は来なくても蕎麦は打たなければいけない。沢山打ってもどうせ残るのだから、昨日と同じ600gを43%の加水率で捏ね、蕎麦玉を作って寝かせている間に、カウンターの上の洗い物を片付けるのでした。これが沢山あるので、結構、時間がかかった7時前に生地を伸し始めて、蕎麦切りを終えたのが7時10分だった。

 家に戻れば、やっと魚が焼けて、女将が絹さやの卵綴じを作っているところなのでした。ほうれん草のお浸しもキュウリのお新香もすべて身体に優しい和食なのでした。最近はこれが我が家の習慣になっている。年を取ったせいか、ハムやソーセージなどはほとんど食べないのです。食後に居間の椅子に座って休んでいたら、なんだか右頬が腫れてきた。数年前に起きたのと同じ状態なのでした。耳鼻咽喉科の開く時間まで待って予約の電話を入れておく。

 口の中の唾液の出る腺が詰まって、耳下腺に唾液が溜まるので腫れてくるのです。以前、医者に言われたように唾液の出口を捜して揉んだり擦ったり。蕎麦屋に行く頃に少しは腫れが引いたけれど、心配だから予約の午後の時間に医者に行くことにして、蕎麦屋に出掛けるのでした。外はかなり雨が降っていたから、車を出して濡れないで出勤です。看板と幟を出して厨房に入ったら、小鉢が三鉢しか残っていなかったので、予定通り切り干し大根の煮物を作る。

 蕎麦豆腐も苺大福も一皿ずつしかなかったけれど、明日が休みだと勘弁してもらうことにする。野菜サラダは具材を刻んでいつも通り三皿盛り付ける。これは食材が残ってしまうから仕方がないのです。残れば家に持ち帰って食べるしかないのです。11時前に開店の準備を終えて、窓の外で降りしきる雨を恨めしそうに眺めていた。最初にいらっした若いカップルは天せいろご注文。帰りがけに会計をする時に、女性が「前の畑でコーヒーを売ってました」と言う。

 どうも見覚えのある顔だと思ったら、やはりそうだったのかと、「この間は声を掛けてくれて嬉しかったよ」と亭主が応える。雨の日の昼にわざわざ店にまで来てくれて有り難いのでした。続けて若いご夫婦がご来店で、天せいろの大盛りと普通盛りにハラミの串焼きを頼まれた。時計はもう1時を過ぎていたから、蕎麦も残り少ないし、耳鼻科にも行かなくてはならないので「お蕎麦売り切れ」の看板を出すのでした。ゆっくりと食べて行かれて、今日はもう閉店。

 洗い物を片付けて大鍋を洗い、天麩羅油を漉し器に移して、洗いかごの中身を布巾で拭いていたら、耳鼻科の予約の時間が迫っていた。家に持ち帰るものは冷蔵庫に入れて、洗濯機を回したら、そのまま車でスカイプラザに向かうのでした。受付を済ませて時間になったら診察室に入り、女医さんに向き合えば、7年前にも同じ症状だったと言う。唾液が濃くなって溜まるのだから、水分を取れということなのだった。お蔭で今夜のプールはお休みになる。


5月21日 火曜日 定休日なのに今朝も朝飯前のひと仕事…

 今朝も6時過ぎに蕎麦屋に出掛けて、昨日洗った盆や蕎麦皿を片付け、洗濯機の中の洗濯物を干しておくのでした。ついでにほうじ茶を沸かし、今日の昼間のために冷蔵庫に入れて冷やしておく。昨日のうちに持ち帰れなかった小鉢やキノコ汁の鍋を、盆に載せたまま車で家に運ぶのでした。まだ朝食の支度が調わなかったから、玄関前に出て、庭木の剪定を少しだけやっておく。庭の内側から手の届くところで、木槿(むくげ)と南天の枝を払うのでした。

 わずか10分ほどの作業で、もう玄関前は切った枝で一杯になったのです。朝食が出来たというので食堂に入れば、亭主の好きな茄子焼きが出し焼き卵と一緒に出て、グリンピースご飯を解凍してもらうのでした。持って帰ったばかりのキノコ汁を薄めて、三ツ葉を入れたお吸い物がついて、定休日の朝だから残りものばかりなのでしたが、それが結構おいしいのです。食後はひと眠りをせずに、ひと休みしたらまた庭木の剪定を続けるのでした。

 切り終えた庭の姿を窓から眺めれば、やっと金柑の枝に陽が当たるようになったので嬉しかった。南天は南の庭には不向きな植物なのかも知れないと、この歳になって初めて分かったのです。後は、木槿の枝を庭の側から切っていけば、道路から高い脚立に乗って切らなくてもいいのではないかと考える。脚立の高さも最近ではちょっと怖いのです。女将が庭の木々が綺麗になるのを見て嬉しそうに洗濯物を干しに来るのでした。そろそろお袋様と仕入の時間です。

 蕎麦屋の前を通れば、向かいの薩摩芋農園の売り出しの日とあって、何台も車が停まっていました。農産物直売所に行けば、店の配置が変わって、随分と広く販売のスペースが取られている。今日から変えたのだとレジの小母さんが言って、使いにくそうにキーを叩いていた。キャベツが高くなったとテレビのニュースでも言っていたけれど、地元の農家のものは30cmのキャベツが200円と相変わらずの値段でとても助かるのです。レジには行列が出来ていました。

 隣町のスーパーに行けば、今日は家の物も含めて沢山買い物があったので、レジ袋5袋も買って帰るのでした。蕎麦屋に戻って冷蔵庫に収納したら、もう10時半なのです。大根のなた漬けの準備をして、家に帰って昼飯の支度をしなければと、定休日なのに時間に追われている自分がおかしく思えた。昼は二人の希望でまたしても堅焼き蕎麦のあんかけ作り。昨日の残った野菜サラダを使って彩りが綺麗なのが嬉しかった。満腹になって書斎でやっとひと眠り。

 午後は女将のスポーツクラブの予約を済ませたら、蕎麦屋の酒を買いに出掛けて、古くなってぼろぼろの雪駄を買いにワークマンに寄るのでした。それから蕎麦屋に行って午後の仕込みを済ませて、家に戻ったのが4時近く。息子から電話が入ったと言う話を女将から聞いて、何かあったのかと心配になる。テレビの大相撲を観ながら、早い夕食を済ませたのです。夜の9時過ぎに駅まで息子を迎えに行き、夕食を作って久し振りにゆっくりと話をしました。


5月22日 水曜日 息子と夜遅くまで久し振りに話をしたら…

 夕べは0時過ぎまで久し振りに家に帰った息子と話をして、今朝も眠かったけれど5時半には起き出して朝食の用意をする。マグロ丼で好いというので、ご飯を丼に盛ったところで、女将が台所に現れて酢飯と味噌汁とを作ってくれたのです。亭主の話し声が大きくてよく眠れなかったのだと言う。息子を7時前に駅まで車で送って無事に出勤した。家に戻って今度は自分たちの朝食を食べて、亭主は寝不足だったからまた床に入ったのです。

 9時半過ぎに起き出して、蕎麦屋に出掛けて午前中の仕込みを開始するのでした。蕎麦豆腐を仕込んで、小松菜を茹でて切り分け、タッパに分けて入れて冷凍室に入れておく。それから小鉢の二品目として切り干し大根の煮物を作るのでした。11時過ぎに家に戻って今度は二人の昼食にキャベツやニンジンを刻んで炒飯を作る。食べ終えたら書斎に入ってひと眠り。1時間ほど眠っている間に、女将はスポーツクラブに出掛けた。亭主は午後の仕込みに蕎麦屋に。

 天麩羅の具材を切り分けて容器に入れたら、キノコ汁を作って冷蔵庫に鍋のまま入れておく。これで明日の準備はおおかた終わったから、家に戻って木槿の剪定の続きを始めるのでした。南側の道路に飛び出ている枝を何とかしたかったけれど、脚立を出して高いところで作業はしたくなかった。自宅の庭の側から、剪定用のノコギリで南にせり出した枝を根元から切ることにして、二株ほど切ったら段取りが分かった。後は明日の朝にでも続きをしよう。

 珍しく我が家の真上の電線にツバメが二羽止まっている。どこに巣を作っているのやら、団地の中には、結構、沢山ツバメがやって来るのです。子ツバメが群れて飛び出す巣もあれば、まだのところもある。人間は天敵ではないから、安心して子育てが出来るのかも知れない。大相撲をテレビで観ながら早めに夕食を食べて、夜のプールに出掛ける準備をする亭主。昨日の寝不足からやっと普段の生活に戻って、ひと休みしたら車をを出してスカイプラザへ。

 いつもより駐車場が空いていたから助かった。新しい雪駄を買ったので、素足で歩く心地よさ。最近は足も悪いのでエレベーターで四階まで上がる。ロッカールームに入ればいつになく空いているから驚いた。着替えてプールの階までは階段を下りなければならないから、手すりにつかまって入り口まで行き、子ども達のプールが終わるのを待つのです。やっと鍵が開いて一番乗り。空いているコースで準備運動を終えたら一人ゆっくりと泳ぎ始めるのでした。



5月23日 木曜日 今朝は蕎麦を二回打っておいて好かった…

 夕べはプールで疲れて早く休んだので、今朝は5時前に目が覚めた。コーヒーを一杯飲んでから蕎麦屋に出掛ければ、向かいの森からもう朝日が昇っているのでした。追い立てられるように蕎麦打ち室に入って、今日の蕎麦を打つ。加水は42.5%でちょうど好いかと思ったら、寝かせている間に水が馴染んで少し柔らかくなった。曇りという予報だったけれど、気温が高いのでお客が来るかも知れないと思い、時間もあったから、二回打って13食を用意したのです。

 昨日のうちに小鉢も盛り付けてあったから、7時前には家に戻って、朝食の出来るのを待つのでした。庭の木槿の木を何遍も眺めながら、どの枝を切ったら好いかと見当をつけておく。食事を終えたらひと眠りはせずに庭に出て、剪定用のノコギリを片手にどんどん枝を切っていく。二株終えたところで息が切れて、後は明日にしようということになる。年を取ると一気に片付ける事がとても難しくなるのです。女将がゴミ袋に入れやすいように細かく切っておく。

 8時半には蕎麦屋に出掛けて、途中、犬の散歩で歩いている昔の蕎麦屋の常連さんと挨拶を交わし、蕎麦屋に着いたら看板と幟を出して厨房に入る。湿気があるからか暑いから、窓を全開にして、薄手の長袖のポロシャツも脱いで、半袖の下着一枚で仕込みを始めるのです。薬味の葱を刻んで生姜をおろし、大根の皮を剥いておろしを作っておく。大方の仕込みは昨日のうちに済んでいたけれど、新しく仕入れた豚のこめかみ(かしら)を串に刺して焼いてみた。

 ハラミよりも油が少なく、軽い感じなのでした。いつものように苺大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで三皿ずつ用意したら、天麩羅油と天つゆを温めて、テーブルを拭いて回ったら、11時には開店の準備が整うのです。早く準備が終わるとお客が来るもので、10分前に「早くて済みませんね」とご夫婦が車でいらっして、天せいろに赤いかの天麩羅を二つずつ頼まれる。かと思えば、ほぼ同時に若い女性客が二人でご来店で、天せいろのご注文なのでした。

 女将は開店の時間に合わせてやって来たから、亭主が四人分のお茶を出して注文を聞いて、最初のお客の天麩羅を揚げたところに間に合った。木曜日だからか、駅前のマンションに移ったという常連さんも自転車でいらっして、例によって黙って店の新聞を読み始める。二組目の天せいろを仕上げて、やっと辛味大根をおろし、大盛りのせいろ蕎麦を茹でるのでした。今日も帰りに苺大福を二つ持って帰られた。まだ12時を少し過ぎたばかりなのでした。

 早いお客がひと通り食べ終えて帰ると、しばらく間があるのでした。その間に洗い物を頑張って、女将が次のお客の注文を聞いている間に洗い終わる。結局、今日は9人のお客が来て、朝のうちに2回の蕎麦を打って正解なのでした。店の中は暑くなったので、エアコンを入れて換気のために少し窓を開けておく。片付けを終えて、3時前に家に帰ったけれど、1時間ほど昼寝をしたところで、食材を頼んだ業者から電話。すぐに車で蕎麦屋に出掛けて行くのです。
 今日は夕食を食べ終えてからも、また蕎麦屋に行ってまずは出汁を取った。蕎麦汁を仕込んでお新香を漬け、明日の天麩羅の具材を切り分けて容器に詰めるのでした。8時前に家に戻って風呂を沸かす。女将が昨日からしつこくスポーツクラブの予約システムのパスワードを変えなければいけないと言うから、風呂から上がってパソコンに向かう。ブログを書きながら、いろいろ手続きを済ませて、やっとパスワード変更が出来たのでした。


5月24日 金曜日 今日は夜のプールにも出掛けられずに…

 昨日の疲れか、今朝は4時半に目を覚ましたと思ったら、何時の間にかまた眠ってしまい、気が付けば6時を回っていたのです。急いで車に飛び乗って蕎麦屋に出掛け、蕎麦を打つのでしたが、お新香も糠床から出さなくてはならないし、とても7時には間に合いそうもない。蕎麦玉をビニール袋に入れてそのまま冷蔵庫の中に保存して、7時過ぎには家に帰って朝食の時間に間に合わせるのです。初めての経験だったから、蕎麦の具合がとても心配なのでした。

 9時前に家を出れば、昨日切った木槿の枝を、女将が袋に詰めてゴミに出してくれたので助かった。残り二株はいつになったら剪定できるのか、身体の調子と蕎麦屋の忙しさと天気によって変わるのです。蕎麦屋に着いたら、美央柳が花を咲かせていました。花のつぼみが沢山あって、これからがこの花の季節なのです。看板と幟を出したら、蕎麦打ち室に入って今朝ほど冷蔵庫に入れておいた蕎麦玉を取り出して見る。少し硬くなっていたけれど蕎麦は打てそう。

 しかし、硬くなった分、伸すのに時間がかかった。もう少しタオルか何かで巻いて保存すれば好かったのかも知れない。硬い蕎麦玉を無理に伸そうと思うと、縁がひび割れてくるから心配なのです。それでも何とかいつものように伸し終えて、畳んで包丁切りをすれば、綺麗な蕎麦が取れたのでした。ただ、寝かせている時間が長いと、水分が十分すぎるほど回って、少し柔らかい生地に仕上がっていました。8食打って昨日の残りの2食分と合わせて10食の用意。

 平日の金曜日だし、看板には月曜金曜は8食しか蕎麦を打たないと明記してあるので、大丈夫だと思っていたのです。苺大福を包んで野菜サラダの具材を刻み、いつものように三皿ずつ盛り付けて、天麩羅鍋には新しい胡麻油を注いで、天つゆを火にかけて温めるのでした。暖簾を出してすぐに車が2台先を争うように駐車場に入って、テーブル席はもう一杯なのでした。皆さん天せいろのご注文で「順番にお造りしますから」とお茶と箸とおしぼりを出す。

 順番に天麩羅を揚げて蕎麦湯で、全部出し終わらないうちに、もう次のお客が入ってカウンターに座るのでした。まだ12時前なのです。今日の暖かさが原因なのだろうか。店の中はエアコンを効かせて、換気のために少しずつ窓を開けてある。しかも、全員が天せいろのご注文だったから、天麩羅を揚げて蕎麦を茹でるという単純な事を繰り返すだけ。女将がいないから、お茶出しや盆や蕎麦皿のセット、薬味や蕎麦汁、小鉢まで亭主が用意しなければならない。

 最初だけかと思ったら、これが1時前まで続き、盆や蕎麦皿を洗う暇もなく、カウンターの上に並べて次のお客を迎えるのでした。顔見知りのご近所の親父様も見えて、せいろ蕎麦に赤いか、稚鮎、伏見唐辛子の天麩羅を頼まれる。沢山用意したはずの天麩羅の具材も尽きて、また新しく切り分けなければならないのでした。天ぷら粉もなくなって、新しい袋を開けて用意する。暖かいからか、やたらと天麩羅が出る。そろそろ売りきれの看板を出そうと思っていたら、また年配のご夫婦がいらっしゃった。蕎麦はまだあったから、これが最後と看板を出したのです。
 1時過ぎに用意した蕎麦はすべて売り切れて、次にいらっしたお客には「お蕎麦が売り切れてしまったのです」と、何組かお断りしたのでした。洗い物がまったく出来ていなかったから、後の始末が大変で、4時前までかかって大鍋や天麩羅鍋を含めて、全部の洗い物を終えたのでした。女将は暢気に相撲中継を観ていた。早めの夕食を用意してもらって、亭主は再び蕎麦屋に出掛け、蕎麦汁の補充やお新香の漬け込みなどを済ませて8時前には家に戻るのです。明日は蕎麦を二回打たないといけないけれど、今朝の寝坊を繰り返さない様に気をつけなければいけない。


5月25日 土曜日 蕎麦を打ちすぎてか、両手首が腱鞘炎?

 昨日の寝坊の反省から、今朝は4時半にはもう目覚めていた。5時になる前に蕎麦屋に出掛けて、日の出前の森の写真を撮るのでした。木曜日金曜日と今週はずっと蕎麦屋が混んでいるから、休日の今日は更に混むだろうと思えて、今朝は750gを二回打つことにしました。先日から左手首が痛いのに気づいて、右手で生地を捏ねて左手は添えるだけ。夕べから何もしなくても痛みを感じるようになったので、要注意なのでした。どうも手首の腱鞘炎らしいのです。

 二つの蕎麦玉を寝かせている間に、厨房に入って糠床からお新香を取り出して切り分ける。ナスの色止めも効いて、浸けておいた時間も11時間とちょうど好いから、美味しく漬かったのです。小鉢は切り干し大根の煮物と大根のなた漬けを合わせて15鉢用意しておきました。酒を頼むお客には付け出しで使うし、残れば明日にも使えると考えたのです。蕎麦打ち室に戻って、二玉の蕎麦を伸して畳んで包丁切りする。痛い左手首を庇いながら無事に16食打ち上げる。

 7時前には家に戻って、女将の用意した朝食を食べる。手首が痛くて堪らないと言えば、「最近は急に混んで来たから、蕎麦を打ち過ぎなんじゃないの。よく準備運動をしなくては駄目よ」と知った風な事を言う。何年か前に1kgで蕎麦を打つていた頃、打ち過ぎて腕が腱鞘炎になったことがあるけれど、今回は手首だからやはり朝の起きたてに力を入れるから好くないのだろうか。大鍋に水を入れるのにも、重い鍋を持たずに蛇口を伸ばして入れるのでした。

 大根をおろしたら、苺大福を包んで野菜サラダの具材を刻み、出来上がった頃に早お昼を食べに家に帰っていた女将がやって来た。前の薩摩芋農園は、土曜日も営業するから、朝から人で賑わっている。薩摩芋の苗を買って帰る人が結構いるものだと感心する。蕎麦屋は暖簾を出しても昼前はまったくお客が来る気配がない。休日だから出足が遅いのか、沢山蕎麦を打ってしまって心配したけれど、昼を過ぎたらとたんにどんどん混み始めたのです。

 今日も天せいろのご注文のお客が多く、昨日よりは少し涼しかったけれど、厨房の亭主はもう汗だくなのでした。最近は仕入れを少なくしているせいか、混む日が続くと週末にはもう食材が尽きてくる。今日もまた買い出しに出掛けなければならないと腹をくくる。最後のお客は年配の女性で、小鉢のお新香が好い具合に漬かっていると褒めてくれた。全員帰ったのが1時半で、それからやっと洗い物を始めたから大変なのです。それでも3時前には家に帰れた。

 パソコンにデータを入力したら、横になって1時間ほど昼寝をする。腰も痛いし、手首も痛いしで辛い事が多いけれど、お客が沢山来てくれたのは実に有り難い事なのです。女将に言わせると、相撲取りは身体が痛いのは当たり前なのだそうだと言うから、よほど解説を聞き入っているのでしょう。4時半になったら隣町のスーパーに仕入れに出掛け、足りない物を揃えてくる。夕食は例によって堅焼き蕎麦だったけれど、重い中華鍋は振れないので困った。

 夕食を作り終えて相撲中継を見終わったら、またしても蕎麦屋に出掛けて明日の仕込みをする。まずは今日の沢山の洗い物を片付けて、予備の一番出に返しを加えて蕎麦汁を作り、冷ましてから空になった蕎麦徳利に詰めていく。調理台が片付いたら、時間を見計らって、買って来たキュウリとナスとカブを漬ける。そして、蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら酢水で茹でる。7時半を過ぎたところで後は天麩羅の具材切りだけれど、家に帰って風呂を沸かすのです。


5月26日 日曜日 今日も昨日より多くのお客に恵まれ…

 今朝は5時半に蕎麦屋に出掛け、ヤマボウシとビオウヤナギの花が咲いていたので写真に撮った。剪定したはずのモミジも細かな枝を落とさなかったから、ぼさぼさの葉の伸びようで、今は手のつけようがないのです。それぞれの植物の生命力に、年老いた自分の仕事量が追いついていないという状態なのです。荒れ放題の南側の庭はまだ手つかずで、蕎麦屋の仕事もお客が増えて大変なので、なかなか草刈りさえも出来ていないのでした。

 寝ぼけた頭で蕎麦粉を捏ね、菊練りを終えて蕎麦玉を作ったら、厨房に戻って冷蔵庫から糠床を取り出し、夕べ浸けておいたナスとキュウリとカブを取り出す。切り分けて10鉢の小鉢に盛り付けた。6時半近くに蕎麦打ち室に入って、寝かせて置いた蕎麦玉を伸し広げるのですが、やはり左手首は痛くて力が入らない。右手はそれほどでもないので我慢が出来るのです。今日は昨日の蕎麦が残っていたので、一回だけの蕎麦打ちだから助かった。

 加水率は42.5%でこのところ安定して上手く打てている。7時前に蕎麦を生舟に並べたら、家に戻って朝食を食べるのでした。食後はすぐに書斎に入って浅い眠りに就くのです。30分ほど眠ったら、洗面と着替えを済ませて居間でひと休み。天麩羅の具材を切り分け終えていないので、まずはその仕事から始めようと蕎麦屋への道を歩くのです。朝は足の調子も好くすんなりと歩ける。蕎麦屋の前のサツマイモ農園では今日は苗植えの体験らしく、人が沢山集まる。

 開店の準備が整って、蕎麦屋も営業を開始したら、開店前にもう車が駐車場に入ってくるのでした。それから1時半までひっきりなしにお客が出入りして、混んだ昨日よりも多いお客がいらっしゃった。天せいろが多く、とろろ蕎麦やぶっかけ蕎麦なども出た。今週は定休日明けから随分と混んでいたので、こちらも少し慣れてきたのかも知れない。昨日よりも多くのお客が来たのに、あまり抵抗を感じなかった。最後の四人連れで用意した蕎麦はなくなった。

 洗い物も少しだけ済ませておいたけれど、あとはもう店を閉めてから。女将が手際よく皿や器を並べて、亭主が洗いやすくしてくれていたのが効いたのです。昨日よりも多くの数を洗ったのに、3時前には家に戻れた。冷たいデコポンを半分にして二人で食べる。亭主は今日のデータをパソコンに入れたら、もう眠たくてそのまま眠ってしまうのでした。1時間以上も眠って目が覚めれば女将は買い物から戻っていて、いよいよ大相撲も千秋楽なのでした。