2024年5月中旬




5月12日 日曜日 雨?曇り?晴?でも暖かい一日…

 夕べは暑くてよく眠れなかった。何回も目が覚めて、明け方に寝込んだらもう5時半なのでした。急いで蕎麦屋に出掛ける。今日は蕎麦がまったく残っていないので、二回打たなければならないのです。6時前から打ち始めて、蕎麦玉を寝かせている間に、小鉢を盛り付ける。1回目の蕎麦打ちを終えたのが6時50分だったから、二回目は朝食の後で打つしかないと家に帰る。食卓には別のカサブランカが飾られていました。おまけでいただいたのだそうな。

 食後のひと眠りも20分だけにして、9時前に雨の中を再び蕎麦屋に歩いて出掛ける。道路が濡れるほどに雨は降ってきたけれど、すぐに止んで薄陽が差したり、目まぐるしい天気なのでした。蕎麦打ち室に入って、二回目の蕎麦を打つのも500gだけにする。この天気では日曜日だとは言っても、そんなにお客は来ないだろうと思えたのです。早朝に打った蕎麦と合わせて13食の蕎麦を用意した。昨日の様には混まないだろうと確信していたのです。

 解凍した豚のハラミは、ドリップが出る前に切って串に刺しておく。天麩羅油は昨日で天麩羅鍋の中の油がほとんどなくなっていたので、新しいものを鍋に注いでおきます。開店の準備が整って、暖簾を出す前にカウンターの隅の椅子に座ってひと休みする。家で早お昼を終えた女将がやって来て、「暖かいわねぇ。湿度が高いのよ」と言う。そう言えば今朝の蕎麦打ちの加水率はいつもと同じ43%だったのに、それでも生地が柔らか目になったのはそれが原因か。

 10分ほど早めに暖簾を出せば、すぐに駐車場に車が入って、若い娘さんと母親らしい老人がご来店なのでした。ヘルシーランチセットの天せいろを二つご注文で、女将がサラダを出している間に、亭主が盆や蕎麦皿をセットする。小一時間掛けてゆっくりと食事をなさったのです。次にいらっしたのは、大きなワゴン車で家族四人の若い夫婦でした。天せいろの大盛りを二つ頼まれたので、女将が子供用に小さなお椀をテーブルに持って行くのでした。

 昨日の半分くらいの人数だったけれど、天せいろにビールを頼むお客も続いて、売り上げはそれほど落ちなかった。洗い物も合間に済ませておけたので、今日は早めに家に帰れたのです。女将が買い物に行っている間に、亭主はひと眠りして、相撲の中入りが始まる前に蕎麦屋に行ってお新香を漬けて帰る。これでゆっくりと飲みながら相撲が見られると思ったけれど、大関と横綱が若手の力士に全員負けてしまったので、なにか時代の流れを感じるのでした。


5月13日 月曜日 一日中強い雨の日も珍しい…

 5時に目覚めて居間の部屋で30分間、黙想をしていた。というより意識が醒めていなかったのか。定休日前の月曜日で終日雨の予報だから、お客も来ないのだろうけれど、夕べ漬けておいたお新香を取り出して、蕎麦だけは打たなければならない。となると、どうしても5時半には家を出ないと間に合わない計算なのです。雨はガレージまで降りる階段でも、もう着ている服が濡れてしまうほど激しく降っている。こんな日は休みにしたいと内心では思うのです。

 昨日、残った蕎麦に500gだけ打ち足して、9人分の蕎麦を用意した。亭主一人で営業の月・金は8食しか蕎麦を打たないと、看板にも書いてあるので、なんとか体裁は整えたのです。外は時折明るくなって小雨になることはあったけれど、午後まで向かいの森が白くなるほど細かな雨が降り続けて、これでお客が来るのだろうかと思うのでした。と、苺大福を包んで野菜サラダを盛り付け終えたら、11時に車が一台駐車場に入る。と、思ったらバックして帰る。

 11時半からという窓ガラスに張り付けてある掲示を見たのだろうか。開店の準備は整っていたのに、店の照明も点けていなかったから残念。こんな雨の日には、お客が来てくれるだけでも有り難いのだから、もう少し素早く対応できなかったかと悔やまれる。それでも12時半にはやっとお客がいらっして、天せいろが二つ出る。雨はしきりに降り続いているのでした。天麩羅を揚げてテーブルに運んで行く間にも、次のお客が来ないかと無用な心配をするのでした。

 女将がいない日だから、お茶を出したり、注文を取ったりしなければならないから、蕎麦を茹で終わるまでは他の事に気を取られたくないのです。そんな心配も必要ないほど雨は降り続いて閉店の時間。この雨の中を2kmも歩いてスポーツクラブに出掛けた女将は大変だったろう。賄い蕎麦を茹でてゆっくりと一人で食べる亭主。小野リサの歌う Dock of the bay の曲が店のスピーカーから流れてくる。横浜まで彼女のコンサートに友だちと行った日を思い出す。
 客は来なくても月曜日は帰りの支度が大変なのでした。冷蔵庫に残った物をすべて持ち帰らなければならなかったから、雨の日の今日は朝から車で出勤したのです。それでも3時前には家に戻り、今日のデータをパソコンに入力したら、持ち帰った荷物は食堂に置いたまま、書斎に入ってひと眠りするのでした。5時前には目覚めて早い夕食を終えたら、夜のプールに出掛ける亭主。帰りに地階のスーパーに寄って、家の食材を買って帰るのです。


5月14日 火曜日 久し振り定休日という感触で…

 夕べも2時間ほど眠ったら目を覚ますことを繰り返し、よく眠れなかった。最後に3時間も続けて眠れたのは好いけれど、もう7時を過ぎていたのでした。何かの加減で睡眠のリズムが一度狂ってしまうと、こんな結果になるのです。女将に言わせると、遅い昼寝も夜眠れない原因なのだとか。亭主はまた違った見解で、腹一杯になって眠ればよく寝られると考えている。太るからと我慢して空腹のまま眠ると、眠りが浅くなるような気がするののです。

 蕎麦屋に行けば、今朝は向かいの薩摩芋農園が、苗を売り出す日だというので「いよいよ今日から始めます」と、道の向こうから若旦那が挨拶をする。9時前にはお袋様のところに行って、一緒に農産物直売所に出掛け、野菜ばかりを3000円以上ももらって来る。生椎茸や大盛りの不揃い苺のパックが値段が高い。朝採りのそら豆も皮を剥いて出ていたから買ったのもいつもと違う出費なのでした。隣町のスーパーでは家の買い物がなかったので早く帰れた。

 蕎麦屋に戻って出汁取りの準備をして、大根のなた漬けを作るのに大根の皮を剥いて適当な大きさに切り分け、漬け物器に入れたら塩を振って圧力を掛けておく。これで昼過ぎにはもう水が上がってくるのです。家に戻って昼飯の準備をするのだけれど、今週は蕎麦以外に何も持って帰らなかった。すると女将が玉葱天を買って来たからと焼いてくれたのです。それに牛蒡の金平だけではちょっと物足りなかったから、蕎麦湯を二杯も飲んで腹を落ち着かせた。 

 食後は書斎に入って1時間ほど眠った。これはもう習慣としか言いようがない。定休日の昼寝が一番気が楽なのです。寝過ごしても稽古場で書を書いている女将が、自分のスポーツクラブの予約の時間になると、果物を剥いて持って来てくれるから助かるのです。無事に予約が取れたので、早めに、荷物の袋を二つ抱えて車に乗り込む。一つはお袋様の家のトースターが壊れたというので、家で買って1年ほどの物を持って行くのでした。蕎麦屋からは歩いて行く。

 パンが焼けると自動で上に飛び出す昔ながらのトースターだったが、今のものは四つ切りパンも焼けるし、冷凍したままのパンも焼ける。お袋様に説明すると「今でもこんなトースターがあるのね」ととんちんかんなことを言っている。冷凍した四つ切りパンもバターも持って行ったから、実演してみせる。彼女の家のトースターは横にして上下で焼くタイプの物だったから、中を見ていないと焦げるのだという。何にでも使える分、壊れやすいのだろう
 母の日に女将が持って行ったカサブランカが、二つの花瓶に入れて玄関に置いてあった。マンションはやはり暖かいと見て、もう全部咲き終わったという感じなのでした。お茶を一杯もらって焼いたパンを食べたら、店に戻って午後の仕込みを始める。朝の寝坊が利いて、一時間かけて出汁を取り、水の上がった漬け物器の大根に柚子と唐辛子と甘酒の素と砂糖を入れて漬け直すのでした。終わって帰ろうとしていたときに、犬を抱いた弟が懐かしいと友だちを連れてやって来た。小学校時代から兄貴が亭主の同級生なのでした。これからお袋様の所に行くのだと二人で出掛けて行く。


5月15日 水曜日 定休日の二日目も朝はゆっくりで…

 夕べも早く床に就いたけれど、目覚めたのは朝の7時でした。定休日二日目は、夜に防犯パトロールがあるだけで、昼は4時間ほど仕込みをすれば終わるから、早朝から頑張らなくても好いのです。勿論、蕎麦屋の周囲の草木を刈り取る仕事は残っているのですが、一度にはそんなにこなせないのです。カサブランカの香りで溢れる食堂に入って、女将の用意してくれた朝食を食べ、今朝はひと眠りをせずに洗面と着替えを済ますのでした。

 外は風もなく晴れて暖かく、ジーンズとポロシャツ一枚で十分なのでした。蕎麦屋に着いたら、まずは昨日の洗い物を片付けて、蕎麦豆腐を造る。そして、時間のかかる白餡を火にかけて弱火で煮込んでおきます。次に人参、出汁取りに使った干し椎茸、冷凍してあった油揚げを刻み、水で戻した切り干し大根と共にフライパンで炒めたら、出し汁で煮込んで出汁醤油と砂糖で煮詰めていく。昨日のうちに作ったなた漬けと共に、小鉢の二品目が完成なのです。

 昼になるに従って暖かくなったから、家に戻って女将に久し振りにざるラーメンで好いかと確認したら、餃子を焼いてラーメンを茹でる。野菜サラダの最後の残りは、海鮮ミックスと炒めてあんかけ煮にして食べるのです。ごまだれのざるラーメンは一年ぶりだったから、本当に美味しかったのです。満足してお茶をもらったら書斎で十分に昼寝をしたのでした。女将はその間に洗い物を済ませて、スポーツクラブに出掛けたらしい。

 居間の部屋に入って目覚ましのコーヒーを入れて飲む。大谷選手の出るBSのテレビを点ければ、ちょうど場外ホームラン12号を打つ場面で、やはり凄いと思うのでした。最近は野球もあまり見なくなったけれど、彼の活躍のお蔭でまた少し見るようになったのです。女将の解説する夕方の大相撲中継と共に、身体を動かす選手達の姿を見て、少しは自分も動けないかと思う昨今なのです。2時半には蕎麦屋に出掛け、午後の仕込みに入るのでした。

 窓の外にはヤマボウシの花芽が伸びて、いよいよ今年も季節が変わってきたと実感するのです。店の窓を全開にして、大音量でBGMを流しながら、天麩羅の具材を切り分け始めるのでした。天気が好いから気持ちが好いのです。ものの30分で掻き揚げ用の玉葱を刻むのも終わって、時間があるから小鉢に大根のなた漬けと切り干し大根の煮物を盛り付けて置きます。最後まで時間のかかったのは、午前中から煮詰めている白餡でした。硬くなるまでが大変なのです。

 4時半には家に戻って大相撲を観る。早めに夕食を作って一人で食べ始めれば、女将が仕事部屋から出て来て、自分の夕食を作り始めるのでした。夜のパトロールから帰った後で飲む酒がないのに気づいて、折角、納車した車を出して国道沿いの酒屋まで出掛ける。明日は業者が食材を持って来る日だから、お金を残しておかなくてはならない。余分な物を買わずにお気に入りの焼酎と炭酸だけ買って家に戻る。大相撲はいよいよ佳境に入っていたのです。


5月16日 木曜日 朝からの雨は午後になって晴れに…

 夕べも上手く眠れずに夜中に目を覚ましてしまうのでした。そう言えば防犯パトロールでかなり歩いたはずなのに、夜のお酒が美味しくなかったのです。再び眠って目覚めたのが5時半。もう蕎麦屋に行く時間なのでした。曇りという予報だったのに、朝から雨が降っていました。今朝は蕎麦を一回だけ打てば好かったから、6時過ぎから蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を寝かせずにそのまま伸しに入った。湿度は67%、室温は20℃だったから、加水率は42%。

 水の加減はちょうど好いくらいで、細めの蕎麦を8束打ち上げるのでした。時折、北風と共に強くなる雨は、店の窓を打つくらいなので、定休日明けでも、それほどお客は見込めないだろうと思うのです。7時過ぎに家に戻って、好いバラ肉が手に入ったので、今朝は女将がすき焼き鍋でシラタキと長葱と豆腐を入れておかずを作ってくれていた。分厚い鉄鍋も時代と共に二人用で小さなものに変わっているから、二人で食べてちょうど好いのでした。

 今朝もひと眠りはしないで、9時前には再び蕎麦屋に出掛け。雨は小降りだったから、傘を持たずに歩いて出掛けたのです。昨日のうちに小鉢も用意してあったので、厨房で椅子に座りながら、さて何から始めようと考える亭主。先週は木曜日にカレーの親父さんご夫婦がいらっしたので、いつも頼まれる豚のハラミの串焼きの準備をしておく。半分だけ解凍して切り分けたら、串に刺してタッパに入れておくのです。そして大根と生姜をおろして薬味の葱を刻む。

 木曜日は女将が来てくれるのが開店時刻なので、早め早めに作業を進めて、苺大福を包み、野菜サラダを盛り付けたら、天麩羅油を鍋に空けて天つゆの鍋を火にかける。最初のお客がいらっしたのは12時前でした。若い女性二人で天せいろを頼まれる。次にいらっしたのが、常連になった宅配のお兄さんで、最近は鴨せいろの大盛りに野菜サラダと蕎麦豆腐をご注文。1時近くになって作業着姿の男性二人がいらっして、せいろとおろし蕎麦に白エビの掻き揚げ。

 大盛りが出たから、二人分の蕎麦を蕎麦を残して今日は終わり。皮肉なことに、営業が終わる頃になって青空が広がっていました。洗い物もその都度終えているから、まな板の消毒を終えて布巾やタオルなどの洗濯物を女将が洗濯機に入れて、先に家に帰るのです。亭主はそれから笊やボールを洗い、水でふやかしておいた大鍋を洗う間に、天麩羅油を濾すのでした。暖かくなった空気の中を家に帰って、今日の売り上げと写真のデータをパソコンに入れたら、午後の昼寝をするのです。今日は業者が食材を届けに来る日だから、1時間ほどで眠りから覚め、車に乗ってまた店に行く。


5月17日 金曜日 朝から暑い日なのでした…

 6時前の店の中は、もう朝日に照らされて光で溢れていました。金曜日だというのに、朝からこの調子では、もしかするとお客が沢山来るのではないかと心配になります。今日は女将が来ない日だから、亭主一人で営業するからです。昨日の蕎麦を二束残し、今朝は750g8人分を打って、10食分の用意で営業を開始する予定。蕎麦打ち室の湿度が40%を切っていたので、今朝は43%に加水を戻して捏ね始めたけれど、寝かせている間に随分と柔らかい生地になった。

 蕎麦打ち室の温度を見たら、なんと26℃もあるのでした。朝から陽の当たる場所なのを忘れていた。無事に8束の蕎麦を仕上げて生舟に並べる。小鉢の器に切り干し大根の煮物と大根のなた漬けを盛り付けて、冷蔵庫に入れておくのでした。7時過ぎに家に戻れば、食堂から好い匂いが漂ってくる。亭主の好物の鮭の塩焼きがメインで、三ツ葉の卵綴じとキュウリのお新香、そして朝からスナップエンドウが茹でられて出ていた。晩の酒のつまみに食べたいのに。

 朝から暑い日だったけれど、長袖の上にジャンパーを羽織って出掛けたものだから、帰りはもうジャンパーを脱いで腕まくりなのでした。みずき通りも綠が濃くなって、初夏のたたずまい。今日も家の二階から富士山がうっすらと見えていました。蕎麦屋に着いたらまずは駐車場の雑草取り。ほんの少しの間でも手間を掛けないと、どんどん伸びて手の付けられない状態になるのです。加齢で動けなくなったなどとは言っていられない。

 ものの10分ほどで目立った雑草を取り除いて、東側の庭に置いておく。毎日少しずつこの作業を繰り返さないと、蕎麦屋の建物が雑草に覆われてしまいそうなのです。看板と幟を出したら、厨房に入って仕込みにかかる。野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿盛り付けておきます。11時には開店の準備が整って、ひと休み出来たのです。朝食の後のひと眠りが出来なかったから、眠気が襲ってくるけれど、蕎麦粉の宅配が届いてゆっくりとはしていられなかった。

 昼過ぎから、お客はどんどんいらっして、四人の家族で来てそれぞれが違うものを頼むから、出すまでに随分と時間がかかった。その間にも、常連さんがカウンターに座り、もう一人若者がやはりカウンターに座って注文をするのに待っている。お茶を出すのにも少し待ってもらって、最初のお客に蕎麦湯まで出してから、次のお客の対応になる。一人だとこれが大変。テーブル席も満席になって、1時過ぎには「お蕎麦売り切れ」の看板を出したのです。

 やはり今日の暖かさがものを言ったのでしょう。初めてのお客は金曜日は亭主一人なのを知らないから、関係なしにご来店で注文をするのです。気が付けばもう1時半を過ぎている。洗い物も出来なかったから、それからが大変です。まずは賄い蕎麦を茹でて腹ごしらえをするのですが、食休みに時間がかるのです。洗い物をすべて終えて、家に帰ったのはなんと4時前なのでした。すぐに書斎で横になってひと眠り。目覚めればもう相撲中継も終わる頃です。

 女将は先にもう夕飯を済ませていた。亭主が食堂に入れば、今日はグリンピースご飯だと言って、大関の取り組みを見ながら、鮭入りの出汁巻き卵と蓮根の金平を出してくれた。寝ぼけ眼で夕食を食べ終えて、今日は空いている金曜日のプールには行けないと断念。ひと休みしたら、また蕎麦屋に出掛け、返しを作ってお新香を漬ける。約1時間半の夜の仕事なのでした。8時前に家に戻って、風呂を沸かす間に、もう焼酎のオンザロックを飲んでいる。


5月18日 土曜日 昼の店の室温が27℃だったから窓は全開…

 今朝は4時半に起き出して、とにかく蕎麦屋へ行くのでした。足元がふらふらとする身体を玄関の靴箱につかまり立ちしながら、ガレージのくるまを出すのです。昨日よりも更に暖かくなって晴れると言うから、蕎麦は二回打たなくてはならないし、夕べ漬けておいたお新香を糠床から取り出して、小鉢に盛り付けなければいけなかったのです。二回蕎麦を打つとなると、やはり1時間では終わらない。蕎麦玉を寝かせる時間を考えるとやはりこの時間なのでした。

 蕎麦玉を作って寝かせいてる間に厨房に入って、冷たいほうじ茶を飲みながら、昨日のブログを読み返していると、向かいの畑では5時半だというのにもう親父様が枯れ草を燃やしている。煙がたなびいて、朝の空に流れていく。もう陽が昇っているのには驚いた。農家も朝が早いのです。蕎麦打ち室に戻って蕎麦玉を伸して畳んで包丁切りをする。今朝は43%の加水で打ったのに、部屋が暑いから冷たい水で捏ねたせいか、幾分、硬い仕上がりなのでした。

 7時には家に戻って朝食を食べ、今日はさすがに書斎に入ってひと眠りするのでした。今朝はこんなに大変だったと女将に話したかったけれど、彼女はいつもと変わらぬ時間で動くから、蕎麦屋に来る日の朝は忙しいのです。コーヒーを入れて飲んだら、9時過ぎに家を出て蕎麦屋に向かう。向かいのかち農園が今日も薩摩芋の苗の販売をする日なのでした。焼き鳥屋のお兄さんも車を出している。コーヒーを入れる若い女性が道路の向こうから亭主に挨拶をする。

 「お父さんが蕎麦を打ってるんですかー?」「はーいそうです。でも年だから、疲れますよー」と、声を掛けてもらうだけでも元気を貰うのでした。苺大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで盛り付けたら、いよいよ開店の準備か整う。向かいの農園にも少しずつお客が来ている様子なのでした。それなりにお客は来たけれども1時を過ぎたら、暑すぎて歩いている人もいない状況。昼で店を終えた焼き鳥屋のお兄さんが蕎麦を食べに来てくれたから嬉しかった。

 暑すぎてもお客は来ないというのは、過去の経験知で分かっていたのですが、こんなに早い時期に28℃を越える暑さが来るとは思いも寄らなかった。それでも蕎麦汁はなくなるし、小鉢もなくなったから、ひと眠りして夕食を作ったら、相撲を見ながら終えた食事の後で、また蕎麦屋に出掛ける亭主。蕎麦汁を詰め終えたら、蕎麦豆腐を仕込んで、冷蔵庫から糠床を出して明日の分のお新香を漬けるのです。天麩羅の具材を切り分け、蓮根の皮を剥いて輪切りにして茹でたら、南瓜を切り分けてレンジでチーンする。風呂を沸かす時間の前には家に戻り、やっと焼酎を煽るのでした。


5月19日 日曜日 曇り空だったけれどさすがは日曜日で…

 5時には目覚めていたのだけれど、起き上がるまでに30分、居間でコーヒーを飲んで30分休んでから、蕎麦屋に出掛けるのでした。少しずつ疲れが溜まってきたという感じなのか。昨日の蕎麦が半分近く残っていたから、今朝は600gだけ打つことにして、蕎麦玉を作って寝かせている間に、糠床からお新香を取り出して切り分ける。再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸して包丁切りをすれば、今日は綺麗に切りそろえられたのです。43%の加水がちょうど好かった。

 7時になったら家に戻って、女将の用意した朝食を食べる。絹さやの卵綴じに鰺の開きを焼いたものが出ていた。今年は絹さやも雨が降ったり暑かったりで、すぐに時期が終わってしまったらしい。食後のひと眠りは30分にして、洗面と着替えを済ませたら、玄関を出てすぐの木槿の枝を剪定した。ものの10分ほどで背の高さまで切り落として、残るはあと4本。これが単純に40分では終わらないから大変なのです。南天も金柑の木よりも大きくなっている。

 蕎麦屋に着いたらまずは看板と幟を出したら、厨房に入って大根をおろして薬味の葱を刻む。それから苺大福を包んで野菜サラダの具材を刻むのです。今日はここれがすべて売り切れたから嬉しかった。曇り空だったけれど、気温は高く、お客は昼前から次々とやって来たのです。やはり昨日は陽が差して暑すぎたから少なかったようなのです。女将は9時過ぎから近くのコミセンで食品衛生会の会費納入や検便の申し込みで、11時過ぎにやっと店に来てくれた。

 気温が高いから窓を開けて営業を開始したけれど、年配のお客様はそれでも温かい汁の蕎麦を注文するのでした。鴨せいろの注文もあった。天せいろは一番多かったけれど、天麩羅の具材はいつもより沢山用意してあったので助かった。最後のお客は三人連れで、お蕎麦売り切れの看板を出した。天麩羅を揚げて蕎麦を茹でたら、暑くて堪らずに冷房を入れてあった奥の座敷に入って涼んでいた。厨房に戻ったらまだお客様がいて話をしているのでした。

 厨房に戻れば、客席は何時の間にかダイビングの話になっているらしく、娘さんが亭主にも話を振るから、「私は去年で引退しました」と応える。楽しいダイビングも年を取って思うように身体が動かなかったり、何かあっても周りの人に迷惑がかかるからと説明したけれど、若い彼女にはまだ分からないらしい。閉店の時間までゆっくりとなさって、和やかな雰囲気で帰っていかれた。洗い物は少しずつこなしていたから、今日は3時前には家に戻れたのです。