2024年4月末



4月27日 土曜日 やっとお客が戻って来た感じか…


 今朝も6時前から蕎麦屋に出掛け、今日の蕎麦を打つ。蕎麦粉を捏ねて蕎麦玉にしたら、寝かせている間に厨房に戻って夕べ漬けておいたぬか漬けを取り出す。キュウリとナスとカブを切り分けて、小鉢に盛り付けるのです。再び蕎麦打ち室に入って、丸出しから四つ出し、本伸しまで順調にこなしたのですが、今日はちょっと生地が柔らかい。湿度が高かったからか、45%の加水では多すぎたらしい。それで無事に打ち終えて、今日は14食の用意です。

 家に帰って朝食を食べたら、書斎に入って小一時間ひと眠り。小雨が降っていたので傘を差して蕎麦屋に出掛けるのでした。朝のうちはまだ肌寒いので、薄手の長袖ポロシャツを着てちょうど好い。蕎麦屋に着いて看板や幟を出したら、室内は20℃以上あったから、袖をまくり上げて作業をする。いつもと同じく、大根をおろしたら苺大福を包んで、野菜サラダの具材を刻む。11時前にはもう終わって、早お昼を食べに帰った女将が来るのを待つのでした。

 隣のお花畑には、車で通りかかった何処かの親父様が、カメラを取り出してしばらく写真を撮っていた。女将がやって来て、暖簾を出したらすぐにご夫婦でご来店なのです。カウンターに座ろうとするから、テーブル席へどうぞと勧めた。「この間来た時は満席だったから、入れなかったのですよ」とおっしゃるから、「たまにはそういう日もあるのです」と応える。天せいろとヘルシーランチセットを頼まれて、前回、食べられなかった分を取り返したのです。

 その後、お一人でいらっしゃったお客が続いて、皆さんカウンターに座ってご注文。せいろ蕎麦と白エビのかき揚げの親父様は、いつも同じものを頼まれる。カレーうどんと豚のハラミの女性はデザートまで注文された。15分ほど歩いて来たという初めての若い女性は、天せいろを頼まれて、ゆっくりと食べて行かれた。まだ12時を過ぎたばかりだったから、今日は混みそうな勢いなのでした。結局1時過ぎまでお客が続いて、忙しい一日なのでした。

 亭主もお客がいなくなって、やっと昼の賄い蕎麦を食べることが出来たのです。カウンターにお客がいると洗い物が出来ないので、皆さんがお帰りになってからまとめて洗い物を始める。無言で洗う亭主と無言で拭いて片付ける女将。連休でどこかに出掛ける人が多いのかと思ったけれど、蕎麦屋にも来る人が増えて嬉しかった。家に帰ってひと眠りしたら、夕食にあんかけの堅焼き蕎麦を作って、早めに夕食を終えたらまた蕎麦屋に出掛け、蕎麦汁を作ったり、明日の用意に余念がない。今日は夜のパトロールは休ませてもらう。



4月28日 日曜日 やはりお客は戻って来たのか…

 今朝はMLBのドジャースの試合が早朝から放映されていたので、コーヒーを入れて飲みながら大谷選手の活躍を見ていたのです。5時半には家を出て、蕎麦屋に着いたらすぐに蕎麦打ち室に入って、今朝の蕎麦を打つのでした。今日は看板にあるとおりに15食の用意で、加水率44%で打ったのですが、それでもまだ生地が柔らかくて困った。室温は20℃あったけれど、湿度計は45%になっていたのです。タブレットで天気予報を見れば佐倉市は90%を越えていた。

 室温と室内の湿度よりも大きな大気状態に、蕎麦粉は敏感に反応しているような気がしてならない。玄関前のツツジが満開で、手入れもしていないのに、朝日が当たる場所だからねこんなに見事に咲くのだろうかと思えたのです。早めに家に戻って女将の朝食の支度が終わるのを待てば、今朝のメインのおかずは出汁入り卵のふわとろ炒めとホウレン草のお浸し。物足りなかったけれど、若布と豆腐の味噌汁がちょつと濃いめで、美味しくいただいたのでした。

 再び蕎麦屋に出掛けて、朝日を浴びたモミジの姿を見れば、冬の間にあんなに剪定したのに、やはり枝の先端の手入れをしなかったから鬱蒼とした状態になっていた。南側の庭の手入れもまだ済んでいないから、まだまだやることは沢山あるのです。厨房に入って苺大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで、11時前には開店の準備が終わるのでした。女将もやって来て、今日はどのくらいのお客が来るのかと、緊張した時間を過ごすのでした。

 昨日の混みようからして、更に暖かくなると言う今日は、かなりの数が予想されたのですが、思った通りにお客はいらっして、12時過ぎには店はもう満杯。向かいの薩摩芋農家の若旦那がいらして、「今、三人来るのですがいいですか」と言う。直前にご夫婦で店に入ったご夫婦が、カウンターに座ってくださったから、ちょうどこれで満席なのでした。今日はなぜか大盛りのご注文が多くて、生舟に用意した蕎麦はみるみるなくなっていったのです。

 「暖かいので薩摩芋の芽が伸びて大変なのです」とおっしゃっていた若旦那は、「椎茸の天麩羅が美味しかった」と言うから、「地元の農産物直売所で仕入れているんですよ」と亭主が応える。混んだ時間が過ぎて洗い物をしていたら、母と小さな娘がカウンターに座っていろいろな注文をなさる。白エビの掻き揚げも、豚のハラミの串焼きも出来たてを席に運んで、小さな女の子にはカルピスのサービスです。蕎麦がなくなったから売り切れの看板を出して、1時過ぎにはもう閉店にしたのです。今日は大盛りが効いたかな。


4月29日 月曜日 昭和の日々も遠くなりにけり…

 5時前に目覚めて、まだ頭がふらついていたけれど蕎麦屋に出掛ける。昨日と一昨日の店の混みようでは、今日は蕎麦を二回打たなくてはならないかも知れないと思ったのです。厨房の椅子に座ってコーヒーを入れて飲んでいたら、5時を過ぎたばかりなのに、もう朝日が森陰から昇って来るではありませんか。いつのまにか日の出の時刻が随分と早くなっているのに驚くばかり。そんな気は毛頭ないのだけれど、それだけ毎日の生活に追われているのだろうか。

 蕎麦打ち室に入って、昨日までの加水率よりもさらに下げて、今朝は43%で蕎麦粉を捏ね始めました。硬いこと硬いこと、昔はこんなに硬い蕎麦を捏ねていたのかしら。いつもよりも時間をかけて、やっと菊練りに入ったら生地がこなれて来たから、少し安心した。蕎麦玉を作ってビニール袋に入れて寝かせている間に、厨房に戻って夕べ漬けたお新香を取り出して、切り分けたら小鉢に盛り付けるのです。ついでに大根のなた漬けも少しだけ盛っておく。

 再び蕎麦打ち室に入って生地を伸し始めたら、硬いからこれも手強い。やっと本伸しを終えて畳んで包丁切りをすれば、綺麗なエッジの効いた蕎麦が出来上がる。最近では最良の出来だと小躍りするのでした。こんな日に蕎麦を食べに来てくれたお客は、きっと美味しいと言ってくれるに違いない。家に帰って朝食を食べたら、今朝は小一時間眠って、9時になったらまた蕎麦屋に出掛けるのです。まだ、天麩羅の具材切りが終わっていなかった。

 花の咲いたみずき通りも新緑の季節。空はどんよりと曇っていたが、時折、陽が差す程度の陽気なのでした。蕎麦屋の中は窓を全開にしても24℃と蒸し暑い。昼近くには27℃まで上がったので、エアコンを入れるのです。三連休で月曜日の今日も手伝いに来てくれた女将は美容院にも行けずに可哀想。今日は早く終えたら先に帰ってもらおうと朝から考えていた。暖簾を出せば、すぐに歩いていらっした二人連れの男性がご来店なのでした。

 今日もお客が続くかと思ったけれど、さすがに三日目は客が少ない。1時を過ぎていらっしたご夫婦が最後のお客で、天せいろ二つに稚鮎の天麩羅を頼まれた。ご主人が美味しいと頷きながら天麩羅を食べる。帰りがけには奥様が「お蕎麦がとても美味しかったです」と褒め言葉。ご主人は店置きのパンフレットをお持ち帰りになる。今日は静かな「昭和の日」でした。二人で手分けして残った食材を家に持ち帰り、夜は野菜サラダの消化のために焼きうどんを作る。



4月30日 火曜日 さすがに疲れて今朝は起きられなかった…

 夕べは10時半に床に就いたのに、今朝は7時まで起きられなかった。やはり先週の疲れが溜まっていたのだろうか。食堂に行けば、今朝は店で残ったホウボウを、女将が小麦粉を付けて焼いてくれていた。白身魚だから天麩羅にしても美味しいけれど、いろいろな食べ方があるのだ。海の中では七色に光る胸びれを広げて泳ぐ姿が美しく印象的なのです。お袋様と仕入に出かけて、帰ったらそのまま床屋に出掛ける亭主。家に戻って昼飯は蕎麦を茹でて食べる。

 午後は女将のスポーツクラブの予約を済ませたら、蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みを始めるのでした。厨房でコーヒーを入れて30分ほどゆっくりと休んでから、先週随分と出たカレーを作っておきます。最近は彼の親父様以外にも注文する人が多く、一度に6食分しか作らないから、出る時には直ぐになくなってしまうのです。女将に言わせると、単品で300円の野菜サラダが付いているので、サラダを食べたい人にも受けるのではないかと言うこと。

 午後の仕込みを終えて、家に帰る前に午前中に手に入らなかったパイナップルとアスパラガスを買いに、駅前のスーパーに出掛けるのでした。雨だった午前中とはうって変わって、青空が広がって気持ちの好い天気になったのです。でも、明日は終日の雨らしい。夜は残った野菜を肉や魚と焼いて、バーベキューにしたのですが、二人ともあまり食べられないから、6時のニュースが始まる前に食事を終えたのです。夜も昨日の続きで早い時間に眠くなる。