2024年2月上旬



2月5日 月曜日 朝からの雨が久し振りの雪に変わり…

 明け方から雨は降っていたけれど、今朝は不思議な日の出の光景を見たのです。太陽は見えそうでなかなか見えない赤く光った空なのでした。6時過ぎに蕎麦屋に出掛けてエアコンの暖房を入れて、昨日の洗い物を片付け、洗濯機の洗濯物を干しておきます。昨日打った蕎麦がそのまま残っていたから、今日は蕎麦打ちはなし。家に戻る途中で犬の散歩の弟に会って、お袋様の通院で何度も送ってもらった礼を言う。彼も目の手術の後らしく抜糸がまだだとか。

 雨の止んでいる間に蕎麦屋に着いて、看板や幟を出したりしたけれど、外気は冷たく空は雪の降りそうな様子なのでした。蕎麦打ちがないので、今朝は金柑を包む白餡を作る作業をしました。氷砂糖を水から溶かして、冷凍の白餡を入れてひたすら弱火で暖めていくのです。その間に金柑大福を包み、大根や生姜をおろして、野菜サラダの具材を刻み始める。こんな寒い天気の日にお客は来るのだろうかと、暖簾を出すけれど昼までは人の気配もないのでした。

 昼を過ぎて常連の年配のご夫婦がいらっして、天せいろと暖かい天麩羅蕎麦を頼まれる。駐車場にもう一台車が入ってきたと思ったら「この店はいつ来ても休みなんだよな」と、元気の好い大声の親父様が奥様と一緒にテーブル席に着く。「営業時間が一番大きな字で書いてありますよ」と亭主が言うと、「道路から見るだけだから判らなかった」と応える親父様。天せいろをお二人で頼まれて、作ったばかりの金柑大福を、全部お土産で持ち帰られたのです。

 外は雪が舞ってきたから、帰りは傘を差して帰らなければならない。明日は定休日だから好かったけれど、果たして仕入れに出掛けられるのか。次の日が晴れると言うから、一日延ばしても好いけれど、お袋様の予定はどうなっているのか判らない。白内障の手術を無事に終えて、目が良く見えるようになったので、体操教室に出掛けるかも知れない。夜はいよいよ本格的に雪が降り始めた。明日の朝はどれほど積もっているのか、起きてみなければ判らないな。




2月6日 火曜日 思ったよりも軽症だった雪の後…

 夕べからの雪の積もり具合によっては、今朝の仕入れは中止しようと考えていたけれど、ガレージのシャッターを開けて見れば、それほどでもなかった。朝飯前のひと仕事に蕎麦屋まで車を走らせてみたけれど、通る車の少ない家々の間ものノーマルタイヤで走れるほどで、みずき通りやバス通りはもう雪が溶けているのでした。それでも蕎麦屋の駐車場は薄く雪が積もっていました。雪かきの道具を車に積んでは来たけれど、これなら自然に溶けるのを待つべき。

 朝食を食べ終えてひと眠りする間もなく、今朝は洗面と着替えを済ませて、お袋様に電話をするのでした。マンションの中の通りの方が雪が多かったので驚いた。農産物直売所に行けば、さすがに客もいなくて、係の若者が今日初めてのお客だからと、お袋様と亭主に大きな薩摩芋をくれたのです。隣町のスーパーまでは交通量が多いから雪のない道で、スーパーの駐車場もほとんど雪は溶けていました。停まっている車も10台ほどで、店内もお客は少なかった。

 無事に買い物を済ませたお袋様を家まで送って、蕎麦屋に着いたら、まずはビニール袋に五つ分の荷物を厨房に運んで、冷蔵庫に収納できるものは片付けてしまう。大釜に湯を沸かしている間に、出汁取りの準備をしてガスレンジに載せておく。そして、大きな白菜の半分を四つに切って、小さな樽に塩で漬けていくのです。大釜に沸いたお湯で小松菜を茹で、タッパに小分けして急速冷凍室へ。これでやっと家に帰って昼の時間。昨日残った蕎麦を茹でて食べる。

 女将のスポーツクラブの予約を無事に取り終えたら、今日は早めに蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みをするのでした。まずは大根を切ってなた漬けの準備。塩を振って漬け物器に漬けるだけなのです。柔らかいから、みるみる水が上がってくるのは新鮮だから。昼前に漬けた白菜も重しが随分と下がっている。一番出汁を取って蕎麦汁を仕込み、二番出汁を取って容器に入れておく。時間があるから、明日のなた漬けのために、柚子の皮を挽いて刻んでおきます。

 二品目の小鉢は小豆を甘く煮たのが残っているので、南瓜を茹でて味つけしておく。これで午後の4時になったから家に戻るのでした。外は時雨から雨に変わっていた。昼は蕎麦の大盛りを食べたのに、もう空腹になっているから不思議。焼酎をセットして冷凍のハッシュドポテトを上げてもらう。夜は常夜鍋だと言うけれど、それだけでは足りないので、蛸の唐揚げとハッシュドポテトでまずは一杯飲んでいるのです。ストーブを点けないと寒い夜なのでした。



2月7日 水曜日 暖かな陽射しの一日でした…

 向かいの畑には昨日までの雪の残滓が残っていたけれど、朝の6時半には東の森の影から朝日が昇って来ました。風もなく雲一つない空が、今日の暖かな天気を約束しているかのようです。昨日、漬け物器に塩漬けしておいた大根の水か上がっていたので、更に小さな漬け物器に移して、酒粕と砂糖と昨日刻んだ柚子と唐辛子を加えて、漬け直すのでした。店の中で一番寒い蕎麦打ち室に置いてある漬け物の樽も、水が上がってきたので漬け物器に移しておきます。

 刻んだ柚子と昆布と唐辛子を何層にも敷き詰めて、全部を漬け込んでしまいます。昆布の旨味が広がって柚子の香りがしてくれば、もう食べられるのです。昨日は南瓜のいとこ煮も少し作ったから、今週は小鉢の品は3種類になる。それだけお客が来れば好いけれど寒さがどれくらい続くのかが気になります。蕎麦粉とタピオカ粉とを計量し、豆乳を加えて蕎麦豆腐を仕込んでおく。残る仕込みは天麩羅の具材切りと蕎麦汁の補充だけです。午前中に終わりそう。

 家に戻って女将の用意してくれた朝食を食べれば、ストーブに当たっているので直ぐに眠くなる。書斎に入って今日は定休日だからゆっくりと1時間も眠るのでした。10時前までテレビで映画を観てから、11時までには仕込みが終わるだろうと蕎麦屋に出掛ける。今日は夜の防犯パトロールがある日だったけれど、昨日のうちに電話があって、集会所の鍵が壊れて中には入れないから中止にするという連絡がありました。よって夜はプールで泳げるから嬉しい。

 蕎麦屋の厨房に入って、まずは玉葱と人参を刻み、南瓜を切り分けてチーンしたら、生椎茸、ピーマン、ナスを切って容器に入れ、ラップをかけて蓋をして冷蔵庫に入れておきます。それから最後に三ツ葉を刻んでタッパに入れてやはり冷蔵庫に。ぴったり11時に家に戻って、台所に立って昼の準備を始める。今日は残った野菜類を消化しようと焼きそばを買ってあるので、肉を刻んでソース焼きそばを作ったのでした。亭主はあんかけ焼きそばが好きだけれど…。

 どうも女将はソース焼きそばが好きなのです。小さい頃によく食べたとかで、家庭で作っていたのかのかも知れない。同じ東京育ちでも、亭主の家では中華は外で食べたから、店の味をよく覚えているのです。調理の仕方が見えるカウンターに座って、中華鍋を振って仕上げる店主の姿を、羨ましく眺めていたのを好く覚えている。今日は蒸し焼き蕎麦を一度油で炒めてから、肉や野菜を炒めて混ぜただけ。味つけは女将の好きなソースだけなのでした。

 食後は例によって書斎で昼寝。女将はその間にスポーツクラブに出掛ける。3時前に目覚めて、居間で映画を観ながら、女将の帰ってくるのを待つのです。彼女が帰ったら亭主は蕎麦屋に出掛ける。洗濯機の中の洗濯物を干して、空の蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めていくだけ。コーヒーを入れて飲みながら、明日の段取りをシュミレーション。4時過ぎに家に戻って、モヤシと挽肉を炒めてとろみを付けたら小松菜を入れ、別鍋でラーメンを茹でてモヤシラーメンを食べる。6時半には夜のプールに出掛け、一人一コースでゆったりと泳ぐのでした。クロール、バック、ブレストを繰り返して汗をかく。


2月8日 木曜日 天気予報に翻弄された一日でした…

 夕べの天気予報では、今日は晴れて気温も上がると言うことだったので、いつもと同じ蕎麦の量では足らないといけないと思ったのです。早めに床に就いて朝の5時から蕎麦屋に出掛けて、一回目の蕎麦を打つのでした。寒い日の続いた後は、急にお客が増えたりするので、残りの蕎麦の数を心配しして営業するのも嫌なのでした。今日は女将が手伝いに来てくれる日だから、お客が増えても大丈夫と考えたのです。蕎麦を打ち終えて家に帰る時にはもう日の出前。

 前の畑は霜が降りて凍っているのが判った。どうもそらには厚い雲がかかって、東の森の当たりだけが太陽に当たって赤く光っているのでした。家に帰ってもまだ6時過ぎだったから、書斎に入ってもうひと眠りする。1時間ほどぐっすりと眠ったら、台所で女将が朝食の支度をしていました。今朝はナス焼きと銀ダラの煮付けがおかずで、美味しくいただいたのです。食べ終えたらもう7時半を回っていた。洗面と着替えを済ませて、また蕎麦屋に出掛ける。

 蕎麦屋に着いたら西の空には青空が広がっていたので、天気予報通りなのかと、二回目の蕎麦を打つ。ところが直ぐに曇って、結局晴れたり曇ったりで、昼からはずっと曇り空なのでした。風がないからまだ好かったけれど、外はかなり空気が冷たくて、これではお客が来るはずもないと思えたのです。それでも、金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで、開店の準備には余念がない。暖簾を出したら直ぐに近所の常連さんがやって来たのです。

 瓶生ビールと温かい汁のぶっかけ蕎麦の大盛りを頼まれて、カウンターの隅でしばらく食べていらっした。それから1時過ぎまでお客はなく、やっと車が駐車場に入ってきたと思ったら、若い女性の一人客。カウンターに座って天せいろのご注文だった。すぐに天麩羅を揚げて、残ってしまう野菜サラダをサービスでお出ししている間に、蕎麦を茹でて配膳をするのでした。なんと今日はこれでお客は終わりなのでした。亭主は天麩羅を揚げて賄い蕎麦を食べる。



2月9日 金曜日 今日も晴れたり曇ったりで寒い一日…

 今朝も昨日がお客の少なかったお蔭で、準備しておくことがなかったから、エアコンの暖房を入れに蕎麦屋に出掛けたのです。6時半を過ぎて、東の森の向こうから朝日が昇るのが見えた。空には雲が随分と出ていたので、天気予報では晴れと言うけれど、昨日と同じような天気なのではないかと思われるのでした。昨日の蕎麦が沢山残っていたので、今朝は蕎麦打ちはなし。金柑大福も昨日作ったものがあるので、今日は1時間遅れで出掛ければ好いのでした。

 7時過ぎに家に戻れば、女将が台所で朝食の支度をしてくれていた。「最近、朝飯の時間が遅くなったよね」と言えば、「お父さんが起きるのが早くなったのよ」と言い返す女将。お腹が空いてしまうから朝食が遅くなったと言っているのだと思われた。実は、食後のひと眠りの時間が、以前に比べて長くなったから、出掛けるまでの時間に余裕がないのでした。今日は急ぐ仕事がないので、ゆっくりとひと眠りをして、9時半に家を出るのでした。

 蕎麦屋の前のバス通りからは、青空が雲に覆われているのが見えた。これは「晴れ」とは言えないのです。早朝の向かいの畑には真っ白に霜が降りていたから、気温はかなり低いのでした。看板と幟を出して、チェーンポールを降ろしたら、暖房の効いた蕎麦屋の中は暖かいので、すぐに厨房に入って今日の段取りを考える。大釜に水を張って、四つのポットを並べたら、野菜サラダの具材を刻むのでした。今日はいつもと違って10時半にはサラダが出来上がる。

 思っていたとおりに外は青空が少なくなって、どんよりとした雲が一面に広がっているのでした。寒い日にはお客が来ないと言うのは、つくづく思い知らされているから、今日もあまり期待が出来ない。それでも準備だけはしておかなければならないから、天麩羅鍋に油を注ぎ、天麩羅の具材を調理台に並べて、開店10分前には暖簾を出すのです。カウンターの隅の椅子に座ってひと休みしながら、何かやっておくことはないかと考えるのですが何もない。

 昼過ぎに若い女性が一人で歩いていらっして、暖かいぶっかけ蕎麦を頼まれる。サービスで野菜サラダを出せば、美味しそうに食べているのでした。白エビのかき揚げを追加で注文されて、天麩羅が多いかと思ったけれど綺麗に食べて、帰りに金柑大福をお持ち帰りになった。聞けば近所に実家があるそうで、もう住んで40年になると言う。亭主の上の娘と同じくらいの年齢なのでしょうか。今日のお客は彼女一人。徒然の話が出来て好かったと言うべきか。

 片付けを終えて、2時半には女将のいない家に戻って、書斎に入ってひと眠りする。午後の陽射しが暖かかったから、ゆっくりと眠って目覚めればもう5時を回っていたのです。女将が夕飯の支度をしてくれていたけれど、夜のプールがあったので、お茶をもらって食べずにプールに出掛けるのでした。金曜日は空いているから、ゆっくりと準備運動をして、今日はちょっとだけ多く泳いだのです。ぐっすりと眠った後だからか、身体の調子はすこぶる好いのです。


2月10日 土曜日 コロナ禍が過ぎて珍しくご来店のお客たち…

 今日は朝からずっと暖かく、夜明け前に蕎麦屋に出掛けて、ひと仕事なのでした。明日は少し寒くなるという予報だったから、今日はお客が来るかも知れないと思って、小鉢を多めに盛り付けておくのです。明日が一年ぶりの味噌造りの日で、店を臨時休業にしたのに、5日分のお新香を漬けてしまったから困った。なた漬けもカボチャの従姉妹煮もあるから、到底、出し切れない。お客が来ないと作ったものが出ないので、今日は期待していたのです。

 家に戻って朝食の後にひと眠りをしたら、また蕎麦屋に出掛けて蕎麦を打つ。昨日の蕎麦も残っていたから、今朝は500gだけ打って13食の用意で営業を始めるのでした。昼過ぎにご近所の親父様たちがぞろぞろと店にいらっして、いつもの席に座ってまずはビールと豚のハラミを頼まれる。いつもは四人なのに、今日は三人で賑やかに話し始めた。つまみに枝豆やトマトをサービスして、酒を頼み始めたら、白エビのかき揚げやワカサギの天麩羅をお出しする。

 いつものことで酒の終わりにはせいろ蕎麦かと思っていたら、今日は天せいろと言うから驚いた。亭主よりも年上の人たちだから、そんなに食べられるだろうかと心配したのです。1時間半以上は飲んで話していたけれど、さすがに酔ったらしく、帰る頃には千鳥足なのでした。帽子を忘れた人には女将が追いかけて持って行く。仲の好い年寄り連中で、今度は何処に旅行に行こうかと相談をしていたのです。閉店まで今日はこの三人にかかり切りの亭主と女将。



2月11日 日曜日 一年に一度の味噌造りの日…

 今日は蕎麦屋は臨時休業。年に一度の味噌造りに夫婦揃って出掛けるためです。それでも6時半には蕎麦屋に行って、昨日の洗い物の片付けをしたり、明日の段取りを考えたりと、朝飯前のひと仕事をこなしてくるのです。家に帰って朝食を食べたら、今日はひと眠りをする暇もない。車に荷物を積み込んで、8時過ぎには二駅先の駅前にある市民会館に向かうのでした。休日の朝だからか道が空いていたので、思ったよりも早く着いて、駐車場に車を入れる。

 今朝は寒くて二階の窓から富士山がよく見えたから、味噌の寒仕込みにはうってつけの天気なのでした。ひと晩水に浸した大豆を、圧力鍋で煮たら、蒸らして熱いうちにミンチにするのですが、これを冷ますのに日影において外気に晒すのです。だから暑い日ではいけないのだとか。直射日光に当てても駄目なのだそうです。例年、2月の始め頃にこの味噌造りが設定されているのは、一年で一番寒い時期を選んでいるのです。今年は少し暖かいけれど今日は寒い。

 調理室の鍵が開く時間までに、見覚えのある顔のお母さん達が集合して、決められたテーブルについて準備を開始する。前日に豆を水に浸けてくれたのは有志の方々で、皆の指導をしてくれる女性も含めて皆さんボランティアなのが素敵なのです。女将と亭主が一番若いくらいの年齢だから、煮た豆をミンチの機械で潰すのを手伝ったり、昼食の休憩を夾んでたっぷり5時間ほどかけて、全員が豆を潰して捏ねるのです。そして容器に詰めて後片づけをする。

 今年は亭主以外に男性の姿も見られて、ご夫婦で参加する人もいらっしゃった。茹でた豆をミンチで挽いたり、ミンチにした豆を潰して捏ねるのには、やはり力が要るのです。少ない人で5kg、多い人で10kgの豆を捏ねるから大変なのです。我が家では蕎麦屋でも出来た味噌を蕎麦豆腐のタレに使っているので、10kgを作っている。今日、仕込んだ味噌は、10月まで家の中の風が通る涼しいところに置いて、やっと仕上がりなのです。疲れた一日なのでした。