2024年1月下旬



1月20日 土曜日 曇り空、朝から寒く感じる…

 夕べのプールで泳いだのが疲れたのか、今朝は6時半過ぎまで目が覚めなかった。店のお客が多かったわけでもないし、そんなに泳いだわけでもないのに、やはり寒い朝だったからかも知れない。居間の部屋に行って、台所にいる女将が入れてくれたエアコンの暖房以外に、ストーブを焚いて暖まるのでした。食事を終えたら今朝は早めに家を出て、冷え切った蕎麦屋に行って暖房を入れる。朝の出足が遅いと、最近では開店前まで苦労するからなのです。

 看板と幟を出したらチェーンポールを降ろして、厨房に入ってまずは昨日までになくなったお新香の小鉢を追加しておく。大根のなた漬けもあるのですが、天麩羅にはさっぱりと白菜のお新香を出すのです。昨日は天せいろばかりが出たのです。そして、蕎麦打ち室に入り、今朝の蕎麦を打つ。このところ、上手い具合に生舟の蕎麦がなくなってくれるから、毎日、750g8食ずつ打ってちょうど足りている。本当はそれではいけないのだけれど、お客は来ない。

 寒い日は、46%の加水ではちょっと生地が硬く仕上がるので、明日はもう少し水を増やして見ようかと考える。生地が硬いと、四隅が綺麗に伸びずに薄くなるのです。それでも切り幅も綺麗に揃ってなんとか無事に打ち終えるのです。厨房に戻って金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻めば、もう11時を過ぎていました。早お昼を食べに帰った女将がやって来て、手伝ってもらって、溜まっていた生ゴミをビニールに入れて外の大きなゴミ箱に移す。

 女将が「今日は寒いわ」と言う外は曇り空で、暖簾を出すと同時にいらっした男性の二人連れは、温かい汁のぶっかけ蕎麦をご注文なのでした。一挙に鍋に作っておいた汁がなくなったので、冷蔵庫から二番出汁の容器を取り出し、かえしを加えて1.5㍑の汁を作る。次いで橋の向こうの常連さんが今日も来てくれて、白海老のかき揚げとせいろ蕎麦の大盛りをご注文。今度はご夫婦でテーブル席に座って、キノコ蕎麦とおろし蕎麦と天麩羅のご注文なのでした。

 時計を見れば何時の間にかラストオーダーの時間を過ぎている。女将と二人で片付けに入り、2時半頃に女将が先に店を出るのでした。亭主は残った蕎麦汁や小鉢を確認して、明日の段取りを考えるのです。12人分の蕎麦汁があるから、何とか明日は足りるだろうと蕎麦汁を作らずに家に帰る。返しも底をついたし、出汁から取るから1時間はかかるのです。明朝は返しを作るところから始めないといけない。明日は終日の雨と言うけれど、予報は判らないのです。



1月21日 日曜日 こんな日もある日曜日だけれど…

 夕べ考えたとおりに、朝早くに蕎麦屋に出掛けて返しを仕込む。外はまだ真っ暗で雨が降っていました。隣の鍋に昆布と干し椎茸を入れて出汁取りの準備をしておく。これは昨日のうちにやっておけば好かったと後から思う。蕎麦を打ち始める時間に出汁取りをするのは、相当に忙しくなるからです。無事に返しを作って、まだ鍋が熱いので、そのままにして家に帰るのでした。まだ明るくはならないから、6時過ぎから寝床に入ってまたひと眠りするのです。

 女将が「ご飯ですよ」と起こしに来てくれて、鯖の塩焼きで朝食を食べたら、今朝は朝ドラがないので8時を過ぎたところで家を出る。大鍋の返しを甕に移して、少し早いけれど出汁を取ってしまおうと思ったのです。9時にはすべて終わり、雨の中を傘を差しながら幟を立てて、チェーンポールを降ろして歩く。そして、蕎麦打ち室に入って、いつもの蕎麦打ちから始めるのでした。今朝は忙しかったせいか、ここで加水率をちょっと間違えてしまう。

 心配なときは、レジに置いてある電卓でもう一度計算をして確かめるのですが、今朝はそれをしなかった。10gほど少ない水で蕎麦粉を捏ね始めてしまったのです。雨で部屋の湿度が高かったから、ここでも気が付かなかったのですが、伸していくうちにやけに硬いなと思ったけれど時は遅し。余計な時間をかけて何とかごまかして包丁切りに入るのでした。四隅がきちんと取れていないから、最後の一束はお客には出せない仕上がりなのでした。

 厨房に戻って野菜サラダを刻み終えた頃に、早お昼を済ませた女将がやって来て、「道路が川のようになっていた場所があった」と言う。雨はそれほど激しく降り続いていたのです。今週はブロッコリーもアスパラも、柔らかくて好いものが手に入ったので、野菜サラダを盛り付けるのにもワクワクするのでした。寒い日にはサラダは出ない、ましてこの雨の中を店に来るお客はいないと、分かってはいても、準備する楽しさには変わりはないのです。

 1時前になって、今日はお客は来ないと見切りをつけて、天麩羅を揚げて正式なぶっかけ蕎麦を作って食べる。これだけ天麩羅があれば、蕎麦だけよりもずっとボリュームがあって腹が一杯になる。あまり片付けるものがないので、使った布巾やタオルを女将が洗濯機に入れたら、2時前に先に家に帰るのでした。火の元の点検や明日の段取りを考えて、亭主も2時過ぎには店を出る。今朝が早かったから、書斎に入って遅い昼寝を決め込むのです。




1月22日 月曜日 口笛が吹けなくなった日…

 金柑の採り残した実が黄色くなって、随分と沢山あるように見えた。ボールに10杯も採ってまだこんなにあるのだから、やはり去年は暖かかったせいか豊作なのでした。明日の定休日に少し採って、金柑大福の材料にしようかと思いながら家を出る。昨日までとはうって変わって、バス通りに出ても青空が広がって今日は好い気分。客のなかった翌日は蕎麦を打たなくて好いから、ゆっくりと蕎麦屋に出掛ける亭主。暢気なものでそれでも開店の支度を始める。

 金柑大福を包んで、野菜サラダの具材を刻めば、天麩羅の具材を調理台に並べ、油を鍋に入れたり、天つゆを温めたりと、もう後は細々とした準備をするだけ。今日は晴れたからお客も来るだろうと暖簾を出して待っていたけれど、昨日の続きで昼を過ぎても1時になってもお客は来ないのです。冬場の月曜日は毎年のようにお客が少ないけれど、日曜日に続いて二日も客が来ないと言うのには驚いた。窓の外の鳥たちを眺めていたら、鴬らしき鳥が枝に止まる。

 ホケキョと口笛を吹いて鳴かせてみようと思ったら、なんと口笛が鳴らないのです。乾燥しているからか、幾らやっても音が出ないから驚いた。結局、閉店の時間までお客はなく、開業以来、二日続けては初めてではないだろうか。これでは明日の仕入れの費用も足らない状態。実はとても深刻な問題なのです。夜は書斎のパソコンに向かって、どれだけ資金を補充すれば好いのかを真剣に考える。家賃を払う店なら、とうの昔に閉店しているのです。

 お客がなくても、家に帰って書斎で横になれば、大相撲の始まる時間までぐっすりと眠る。残った野菜サラダを使って夜はお好み焼きを食べ、いつもの時間に夜のプールに出掛けるのでした。いつものコースでいつもの人と一緒に少しだけ泳いだら、すぐに上がってしまう亭主。それでも身体は温まって、元気になるから不思議なのです。ダイビングを引退したら、泳ぐ目標もなくなって、寂しい気もするけれど、長年の習慣というものは大切な事なのです。



1月23日 火曜日 今週の仕入れは少なめに…

 定休日の朝だったけれど、6時過ぎには蕎麦屋に出掛ける。夕べも10時半には床に就いたのです。蕎麦屋の室温は12℃だったけれど暖房は入れずにきのうの洗い物の片付けをする。冬場の電気代も馬鹿にならないから、我慢できるものは気力でカバーするのでした。何処かで節約をしないと、このままではいけないと言うのが、先週の反省なのです。家に戻って朝食には、新鮮な生卵を割って久し振りに卵かけご飯を食べる。おかずはほとんど昨日の蕎麦屋の残り。

 9時前になったらお袋様に電話をして一緒に仕入れに出掛ける。農産物直売所の入り口を入れば、各農家が持って来た新鮮な大根が山積みになっている。知り合いの農家のものを一本もらう。トマトもいつもの農家のものをもらって、ブロッコリーも人参も名前を知っている農家のものを選んで籠に入れる。キノコ園の生椎茸を2パックもらって、野菜だけで2000円を越える金額。隣町のスーパーでは買い残した野菜や、家の魚と肉を買い込んで帰るのです。

 蕎麦屋に戻れば室内は14℃。重い荷物を車から運ぶから、暖房を入れるまでもない。野菜類を冷蔵庫に収納して、大根のなた漬けの仕込みをしたら家に帰ってひと休みです。買い物に出掛けた女将はまだ帰っていなかった。軽い細かな買い物は、身体を温めるために女将が往復3㎞ほど歩いて買ってくるのです。今日はどこどこの家の梅が咲いていたと言う。亭主は台所で大きな鍋に水を汲んで、昼の蕎麦を茹でる準備に取りかかるのです。

 沢山残った蕎麦は亭主が大盛りにして食べ、昨日で終わりの油で揚げた天麩羅は二人で三つずつほど食べて、昼を終えるのでした。書斎に入ってひと眠りしようと思ったら、今日はなかなか眠くならない。身体が疲れていないのだろうか。2時過ぎに女将のスポーツクラブの予約を取ったら、ひと月振りに床屋に出掛ける。前に一人お客がいたけれど、ちょうど息子さんの店から奥さんが手伝いに来たところで、すぐに始められたから好かった。

 もうすぐ八十路になろうかと言う親父様の腕は確かで、今日も元気に髪を刈ってくれた。見習わなければならない。もう40年以上も通っているけれど、いつも元気を貰って帰って来るのです。店の壁には昔の霊犀亭の持ち帰り用のパンフレットがまだ貼ってあった。髪の毛がさっぱりと短くなった所で、蕎麦屋にそのまま出掛けて、午後の仕込みにかかるのです。切り干し大根の煮込みを作って、4時半には家に戻るのでした。女将が食堂で大相撲を観ていた。




1月24日 水曜日 時代の変化の速さについて行けない…

 寒い朝でした。蕎麦屋の前の畑も新しく土を入れた場所の向こうは凍っていたのです。今朝はひと月に一度の薬をもらいに、高層マンションの中にある整形外科に出掛けなければならなかった。開院と同時に受付をして、処方箋を書いてもらう。同じ階にある薬局も一番で並んで薬をもらうのでした。それから蕎麦屋に出掛ける途中でガソリンスタンドに寄って、灯油を買って車に積み込む。定休日は時間があるから、何かと細かな仕事が多いのです。

 蕎麦屋に着いたら、まずは湯を沸かしてほうじ茶を入れ、蕎麦豆腐を作って冷蔵庫に入れる。それから空になった蕎麦徳利に作ってあった蕎麦汁を詰めて、今週前半の分を作っておくのです。お客が多く来れば、作り足さなくてはならないけれど、先週は一回作ってそれで終わりなのでした。1月2月は蕎麦屋にとっては氷河期で、寒いからどうしてもお客が少ないのです。蕎麦好きの常連さんや、通りがかりで蕎麦でも食べようというお客だけが頼りなのです。

 今日は時間があったので、午前中に天麩羅の具材まで仕込んで、家に帰って早めに昼食を食べる。女将がスポーツクラブに出掛けたら、書斎に入ってひと眠りしようとしたけれど、何故か眠れない。仕方がないから、市から届いた償却資産の申請書を、もう一度よく読んで記入し始める。説明書にはネットで簡単に出来ますなどと書いてあるけれど、亭主は到底その知識はない。なんでもスマホでこなせる時代らしいけれど、時代の変化にはついて行けないのです。

 結局、市の資産課に電話をして、教えてもらったら直ぐに記入出来たから、封筒に入れて郵便局に出しに行く。午後は陽射しが暖かかったので、庭の金柑の剪定を兼ねて、沢山なっている金柑の実を採るのでした。枝ごと切り落として玄関に置いておけば、後は女将が実を採ってくれる。大きな実は蕎麦屋の金柑大福に使って、後は家で女将が甘露煮にしてくれるので、喉の薬となるのです。夕刻の相撲を見ながら、女将が枝から金柑の実を採っていた。

 それにしても今年は金柑も大豊作で、まだ随分と取り残しているから、明日は脚立を蕎麦屋から持って来て、上の部分を枝ごと切り落とそうか。夜は鍋にしてもらって身体を温める。相撲が終わってひと休みしたら、亭主は夜のプールに出掛けてひと泳ぎです。これが唯一の運動だから、40年も泳いできたから何とか続いているのです。今週は週三日のペースで泳げるので身体も軽い。明日も朝から寒いと言うから、晴れてもどれだけお客が来るのか…。



1月25日 木曜日 この冬一番の寒さとか…

 昨日よりも寒い朝でした。明け方に寒さで目を覚まし、セーターを着込んでまた眠る始末。夕べは泳いできたから、8時間は眠ったのです。朝食を済ませて早めに蕎麦屋に行って、幟を出したら道路脇に大きなたぬきが死んでいた。犬が車にはねられたかと思ったけれど、よく見れば身体の割に小さな足と尖った顔つきは、紛れもなくたぬきなのでした。可哀想だとは思ったけれど、佐倉市の廃棄物処理係に電話をして、引き取ってもらうことに。

 厨房に戻って今日の小鉢を盛り付け、蕎麦打ち室に入って蕎麦を打とうとしたら、今度はガス会社の車がやって来て、ガスのメーターの交換の話をしていく。朝からたぬき騒動で時間に追われている亭主は、丁寧に説明をしようとする係員の会話を遮って、交換に来る時は電話をしてくださいと言って帰ってもらう。蕎麦打ち室は、最初は5℃と寒くて蕎麦を打つどころではなかったけれど、やっと8℃まで上がったので、今日の蕎麦粉を捏ね始めるのでした。

 寒さのせいか47%近い加水をしたのに、まだ生地が硬くてよく伸びないのでした。なんとか8束の蕎麦を生舟に入れ、厨房に戻って野菜サラダの具材を刻む。今日は宅配の荷物が来たりで、早くから店に来たのに時間はいつもより押していました。金柑大福を包む暇はなく、テーブルを拭いて回って、女将がやって来てから開店の時間に遅れて暖簾を出す。それからお客の来ないうちにと、金柑大福を包むのでしたが、結果的に昼過ぎまではお客が来なかった。

 今朝は蕎麦屋に来る途中で近所の奥様が、寒いのに車の窓を開けて「お早うございます」と挨拶をして行かれた。「行ってらっしゃい」と挨拶を返す亭主。チェーンポールを降ろしていたら、朝の散歩に歩いていた家のすぐ近くのご主人が、「お早うございます」と挨拶をして通りすぎていくから、「お早うございます」と挨拶を返したのです。たぬきの死骸を運んで行った係員とも話をしたし、ガス会社の係員とも話をした。肝心のお客は常連さんが一人だけ。

 常連さんはせいろ蕎麦の大盛りと辛味大根のご注文だから、降ろしたばかりの油も使わずにそのまま。1時になってもお客が来そうになかったから、日曜日に打った蕎麦を茹でて賄い蕎麦を食べておく。二日以上経った蕎麦を熟成と言うのだそうだが、これがなかなか美味しいのです。きちんと打てていることと、保存の状態が好いのがポイントかも知れない。家に帰って夕刻までひと眠りしたら、業者が食材を運んでくるので、また蕎麦屋に出掛けるのでした。


1月26日 金曜日 真っ白な富士山が見える…


 朝の6時半にエアコンの暖房を入れに蕎麦屋に出掛けた。西の空に満月が沈もうとしている。店内の室温は6℃と昨日よりは少し暖かい。蕎麦打ち室は5℃だったから、暖房を入れておかないと蕎麦打ちも難しいのです。洗濯機の中の洗濯物を干したら家に戻って朝食を食べる。寒い朝が続くから、食堂も居間も暖房をフルに使って暖めているのです。温かいご飯と味噌汁がとても美味しく感じるひととき。ホウレン草のお浸しが甘くて愛おしかった。

 二階の出窓から西の地平線を眺めれば、真っ白な富士山がくっきりと見えた。風の強い晴れた日には、よく見える季節なのです。今日は亭主一人での営業の日だから、早めに家を出て朝の仕事をこなすのでした。陽射しはあるものの空気は冷たく、昨日よりは暖かいとはいえ、風の寒さが身に沁みるのです。早朝に暖房を入れておいたお蔭で、すぐに上着を脱いで蕎麦打ち室に入ることが出来た。昨日の蕎麦が残っているから、今日は500gだけ打つことにしました。

 加水率47%で蕎麦粉を捏ねていけば、いつもよりは少し柔らかめだけれど、まだ硬いという印象を拭いきれない。それでも四隅は綺麗に取れて、無事に5束の蕎麦を仕上げて生舟に並べる。お客の来ない冬場の蕎麦打ちは、基本に返って少量をきちんと打つ練習のようなものなのです。打ち終えて厨房に戻ったら、まだ時間は早かったけれど、大根をおろして野菜サラダの具材を刻むのでした。蕎麦を打つ量が少ないと、随分と時間に余裕が出来るのです。

 11時にはテーブルも拭き終わり、すべての準備が整って、カウンターの隅の椅子に座って一休みする亭主。今日も冷たい西風が強くて、幟がはためいている。昨日と同じで、これではなかなかお客は来そうにないのです。腕を回したり、身体を捻ったり、足のストレッチをしたりして身体を温めるけれど、室温が22℃もありながら何処かスーッ冷えてくるのです。冷たい風に吹かれて建物全体が冷蔵庫の中の様な状態なのでした。時計は1時を回った。

 バス通りを歩いて来る少年の姿を見つけて、いつも来るあの子かと思ったら、玄関の扉を開けていつもの席に腰を下ろす。「いつものでいいのかい?」と問えば頷き、亭主は黙ってせいろ蕎麦を茹でて、海老の天麩羅を揚げてやる。「沢山食べられるか?」と聞けばうんと言うから、大盛りにして出してやるのでした。しばらく見ないうちに身長も伸びて、一回り大きくなった。給食が食べられずに昼休みに家に帰って食事をするのは今でも変わらないらしい。

 お婆さんが車椅子の生活になって、まだ回復していないらしい。中学校から家に戻るのは大変のに、走って帰るのだと言う。帰りもバス通りを駆けて帰って行った。亭主も天麩羅の油が冷めないうちに、かき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。今日のお客は少年一人。女将の帰っていない家に戻って、書斎に入ってひと眠りするのでした。大相撲を見ながら夕食の支度をして、一休みしたら夜のプールに出掛けていく。金曜日は空いているからゆっくり…。


1月27日 土曜日 日の暮れが遅くなった…

 今朝もあまりすることはなかったけれど、蕎麦屋に出掛けてエアコンの暖房を入れてくる。店内は昨日よりも1℃高い室温で、少しは暖かくなるのかも知れないと思えたのです。朝食を終えてひと休みしたら、今日はマフラーをしないで手袋だけで出掛ける亭主。庭の剪定した金柑の木がさっぱりとして気持ちが好かった。残っている実は次の定休日には全部採ってしまおう。風は冷たいけれど陽射しが暖かく感じるので、今日は少しはお客が来るかも知れない。

 生舟には沢山蕎麦が残っていたけれど、女将に相談したら、「打っておいた方が好いんじゃない?」と言うので、また500gだけ内足しておくのでした。今朝は思い切って48%の加水で蕎麦粉を捏ねたら、これが見事に的を得てちょうど好い具合に仕上がったのです。菊練りの後も表面がなめらかになって、この冬、一番の出来なのです。伸しても四隅がしっかりと取れて、昨日までの蕎麦打ちは何だったのだろうと思う。それだけ空気が乾燥しているのでした。

 野菜サラダと金柑大福を仕上げて、女将が早お昼を終えて来た頃には、もう開店の準備が終わっていました。10分前には暖簾を出せば、昼前にご夫婦がいらっしゃって天せいろのご注文なのでした。気温が少しは上がって、風もあまりないのでした。常連さんがカウンターに座って、いつもの辛味大根とせいろ蕎麦の大盛り。何も言わないけれど、亭主も黙って用意をするのです。1時を過ぎたので亭主は端切れの蕎麦を茹でて食べてしまう。

 今日は珍しく閉店間際までお客さんが入ったから嬉しかった。天せいろが随分と出たので、天麩羅の具材もなくなったのです。女将と二人で洗い物と片付けを終えて、2時半には店を出られた。亭主は書斎に入ってひと眠り。女将は買い物に出掛けて、夕食前に帰って来る。大相撲の中継を最後まで観られずに、今日は夜間パトロールのある日だったから、寒い中を揃いのジャンバーの下にセーターを着込んで、拍子木を打ちながら小一時間の巡回なのでした。