2023年12月上旬



12月5日 火曜日 今日は寒い冬の一日で…

 夕べはプールで泳いだのに、珍しく10時過ぎまで起きていた。今朝は5時前には目覚めて、7時間は眠っただろうか。暁のコーヒーを一杯飲んだら、蕎麦屋に出掛けて朝飯前のひと仕事なのでした。冷蔵庫に溜まったカボチャやニンジンの切れ端と、天麩羅があまり出なかったので残ったナスを使い切ろうと、カレーを作ることにしたのです。鶏肉もカレーのルーも買ってあるし、キノコ汁の具材も残っていたから、残り物一掃の大作戦なのです。

 それから洗濯機の中の洗い物を干して、製氷機の氷の水を満杯にしたら、家に戻って女将の用意しくれた朝食を食べる。今朝は夕べ亭主がプールの帰りに買って帰った鮭の塩焼きと茄子焼き。肉と野菜の入った豚汁がとても美味しいのでした。自分でよそったご飯はちょつと多すぎたけれど、最後は梅干しをおかずに食べ終えるのでした。食後に居間の部屋でお茶をもらって、書斎に入って眠ろうとしたのですが、眠ることが出来ずに洗面と着替えをするのです。

 定休日だけれど、身体がもう休みの日のバージョンになっていないのです。仕方がないので蕎麦屋に出掛けて、細々とした仕事をしたら、お袋様に電話をする。寒い冬の朝だから、襟巻きと帽子を忘れない。農産物直売所に出掛けたら、知り合いの農家のご夫婦が来ていて大根をもらい、奥様には今頼んでいる農家が米作りを止めると言うので、来年からは米を分けてもらえるかと話をする。隣町のスーパーも寒いからか客が少なく、早く買い物が終わったのです。

 買って帰った大根を早速細かく切って、なた漬けの仕込みをするのでした。午後に出汁取りをする準備をしたら、家に戻って昼食には寒いからと、あんかけの湯麺を作って、昨日までに残った野菜サラダを消化する。麺が一つしかなかったので、亭主は温めたご飯に具材を載せて中華丼にしたのです。身体が暖まったので上着を脱いだ。食べるか動くかしないと家の中では温度調節が難しいのです。女将のスポーツクラブの予約をし終えたら蕎麦屋に出掛ける。

 椋鳥が群がる寒い午後、蕎麦屋の暖房を入れて、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めたら、新しい出汁取りをする。毎日、寒い日が続くから、温かい汁が沢山出るのです。二番出汁の準備は欠かせないのです。蕎麦汁の倍の量は用意しておくけれど、今週の後半は暖かくなると言うから、どうなるものか。今日は日中も晴れ間がなかったから、寒い一日なのでした。午前中に、塩で浸けておいた大根に、甘酒の素と砂糖を入れ、柚子の皮を刻んで唐辛子を入れる。

 4時過ぎに家に戻ればもう空腹になってきた。夜は蕎麦屋で残った串焼きを焼いて、買って帰ったメカブと共に酒の肴にする。寒いだろうからと、女将には一人分のおでんをパックを買って帰った。たまには別々の食材でもいいかと思うのです。家族の少なくなった団地の高齢化は、商品の変化にも見て取れる。いつもより早めに風呂を沸かして、ゆっくり入っていたら女将が「もう9時になったわよ」と心配してやって来た。湯船で眠ってしまったのだろうか。


12月6日 水曜日 ダイビング引退、何か世界が狭まるようで…

 今朝も早くから目覚めて蕎麦屋に出掛け、朝飯前のひと仕事を済ませて家に戻る。今日は晴れるのかと思ったら、朝のうちは雨が降って、その分寒さが少し和らいでいました。朝食には昨日蕎麦屋で仕込んだカレーの残りを一人分だけ持ち帰ったので、亭主は温めてもらって食べたのです。ワンプレートだから女将が片付けるのにも世話はない。朝からカレーを食べるのは刺激が強すぎると女将は言うけれど、美味しいものは何時食べても美味しいのです。

 満足して書斎に入ってひと眠りしたら、再び蕎麦屋に出掛ける前に、海メロにメールを送ってダイビングを引退する事を伝えたのです。30年以上も海で潜り続けて海外に疲れ、日本で見つけた絶好のスポットが石垣島でした。世界中でもこれほど珊瑚と海の多い美しい場所はなかった。以来、ご夫婦が経営する「海のメロディー」というダイビングショップにお世話になって15年ほどか。家庭的で瀟洒な宿を切り盛りする奥様の料理は特に美味しかったのです。

 午前中の仕込みは、なた漬けの付け直しをしたら、出汁を取って蕎麦汁を作ったら、もう昼の時間になる。昼食には鮭を焼いて三ツ葉の卵綴じと一緒にご飯を食べる。午後は女将がスポーツクラブに出掛けて、亭主は年賀状の写真を選んで構成まで考えたら、テレビの洋画を観て3時過ぎに蕎麦屋に出掛けるのでした。家の前の坂道を女将が昇ってくるのが見えた。お新香を漬けて蕎麦豆腐を仕込むだけの作業だから4時過ぎにはまた家に戻るのです。

 夜は例によって週に一度の防犯パトロールなのでした。4時半には夕食を食べ終わらないと、パトロールで歩けないないので、切り干し大根とメカブをおかずに、肩ロースの薄切りを焼き肉のタレで炒めて、ご飯に載せて食べるのでした。とろろ粉昆布のスープまで付けて結構贅沢な夕食なのです。やっと食堂に現れた女将にお茶だけ入れてもらって、居間の部屋でひと休みです。日が暮れると急激に気温が低くなるから、少し厚着をして出掛けるのでした。


12月7日 木曜日 常連さんばかりに助けられて…

 夕べは10時半に床に就いて、今朝は4時半に目覚める。コーヒーを入れて居間の部屋でゆっくりとしたら、5時のニュースが始まってしまう。慌てる必要はないのだけれど、椅子に座っているとじっとそのまま動かないから、意を決して立ち上がる。車を出して暗い道を蕎麦屋に向かうのです。今朝の朝飯前のひと仕事は、夕べ漬けたお新香を糠床から出して小鉢に盛り付けること。それでも6時前だから、思い切って蕎麦の一回目を打っておくのです。

 750g八人分の蕎麦を捏ねて菊練りにしたら、蕎麦玉を作ってビニールに入れて寝かせておく。その間に少し明るくなった外に出て、暖かくなると言う外気を肌で感じてみるのです。暖房を入れた店の中は16℃まで室温が上がっているから、確かに今朝は暖かい。綠がかった新蕎麦を伸して包丁切りすれば、今朝は少し細く切れた。同じ45%の加水でも、室温が高いから少し柔らかな生地になって、薄く伸せたのでしょう。それでもまだ四隅は綺麗に決まらない。

 蕎麦を打ち終えたらもう7時前だったので家に戻る。女将の用意してくれた朝食を食べて、お茶をもらったら書斎に入ってひと眠りするのです。1時間ほど眠ったら、洗面と着替えを済ませてまた蕎麦屋に出掛ける。風は暖かい南風で、今日は二十四節気の「大雪」だというのに、随分と暖かいのです。昨日の夜の防犯パトロールで歩いたのが応えたのか、今朝はちょっと右足が…。歩く速さが早くなった分、どうしても少し引きずる形になってしまうのです。

 蕎麦屋に着いて看板と幟を出し、チェーンポールを降ろしたら、いよいよ今日も始まるという気分。青い空がとても綺麗なのです。蕎麦打ち室に入って、本日二回目の蕎麦を打つ。500gだけ打って、合計13食分の蕎麦を用意したのです。昼は20℃近くまで気温が上がると言うので、定休日明けの木曜日には、沢山のお客が来ることがあるから、後で後悔するよりもと余分に蕎麦を打ったのでした。蕎麦が売り切れでお客をお断りするのは本当に申し訳ないのです。

 打ったばかりの新蕎麦の美味しさを、お客に味わってもらいたいと思うけれど、新蕎麦の幟も出していないし、少し宣伝不足はなのは否めない。それでも暖簾を出したら、直ぐに常連さんがやって来て、「通りかかったから」と四日続けていらっした言い訳をする。今年も持ち帰りの年越し蕎麦をお願いできますか、と聞かれていいですよと応える亭主。そうしているうちに駐車場に見慣れた外車が入って来た。今日は三人連れの様子で、背の高い男の子が一緒。

 お婆様が随分と大きな柿を袋に入れて持って来てくださった。男の子は中学三年の長男なのだと言われて、柔道部に入っているのだとか。今日は試験の後の休みで…と母親がまた一人で喋る。新蕎麦が美味しいと言ってくれた。娘の前では無口なお婆様が、デザートに出した金柑大福がとても美味しかったと喜んでくれた。いつもは開店の時刻に合わせていらっしゃるのに、今日は来る道で事故があったとかでだいぶ時間が遅かった。1時前には洗い物も終えた。

 家に戻って女将と二人でいただいた大きな柿を食べたのですが、これが身が柔らかく、糖度25度程もあろうかと思われる甘さなのでした。今までに食べたことのない柿の美味しさに驚いた。どうしていつもこんなに好くしてくださるのか、不思議でならない。真面目に蕎麦を打つことでしか恩返しは出来ないのです。夕刻に業者が注文した品物を持って来たから、コーヒーを入れて話を聞けば、どこの蕎麦屋もお客が少ない様子なのです。こんなに暖かい日なのに。


12月8日 金曜日 今日は初めてのお客ばかりで…

 今朝は女将が朝食が出来たと起こしに来るまで目が覚めなかったのです。8時間以上も眠ったことになる。夕べは酒を飲み過ぎたという記憶もないし、悪いことではないから、気にもしなかったのだけれど、朝飯前のひと仕事がないという安心感があったからなのかも知れない。着替えと洗面を終えて玄関を出れば、黄色く色づいた金柑が朝日に当たっているのでした。風もなくうららかな陽射しで蕎麦屋まで、右足を気にしながらゆっくりと歩いて行く亭主。

 9時前に蕎麦屋に着いて、看板と幟を出したらチェーンポールを降ろして、早速、蕎麦打ち室に入るのでした。昨日の蕎麦が生舟に随分残っていたから、今朝は500gだけ打つことにして、45%の加水率で伸して畳んで、綺麗に均等な幅で包丁切りをするのでした。生地の真ん中が十分に伸されていないなど、細かな問題点は沢山あるけれど、一つ一つクリアしていかなければならない。打ち癖とでも言うのか、慣れて来るとどうしても伸し方に癖が手でしまう。

 10時前には厨房に戻って、今日の金柑大福を包む。求肥の作り方もすっかり勘が戻って、白餡でくるんだ金柑の甘露煮を、15分ぐらいで包み終えるのでした。横浜に住む幼なじみの友だちが焼いてくれた皿は、なぜか愛着が湧くのでこの時期は毎日使っている。それからお湯を沸かしてブロッコリーとアスパラを茹で、レタスをちぎって野菜サラダの具材を刻み始めるのです。11時前にはすべて終了して、テーブルをアルコール消毒液で拭いて回る。

 暖簾を出しながら玄関から外に出て、今日の陽気を肌で感じる。暖かく穏やかに晴れた、好い蕎麦日和なのです。そう思っていたら昼過ぎに、駐車場に車が入って年配の女性の二人連れがご来店。カウンターに並べた野菜サラダや金柑大福を見て、「美味しそうね」と言いながらテーブルに着けば、頼まれたのはせいろ蕎麦。新蕎麦の美味しさを味わってもらうには、せいろ蕎麦が一番好いと思いながらお出しするのでしたが、話に夢中で味わっていただけたのか。

 蕎麦汁が美味しいわなどと言って、食べ終えてからカウンターの金柑大福が気になったらしく、二つ頼まれて席に戻って行った。クレーンの付いたトラックが店の前で止まって、駐車場に入るのを躊躇って、少し先の路肩に停まったと思ったら、男性3人が降りて蕎麦屋にやって来るのでした。年配の男性がビールと鴨せいろ、少し若いお二人はカレー蕎麦と温かい天麩羅蕎麦のご注文でした。一つずつ作らなければならないので、時間がかかるのです。

 1時半近くに皆さんお帰りになって、亭主はかき揚げを揚げて、賄い蕎麦を食べてしまう。もうお客は来ないだろうからと、ゆっくりと休んで洗い物を始めるのです。片付けが終わったのは3時前。家に帰って女将に今日の報告をして、柿を剥いてもらったら、書斎に入ってひと眠りです。5時前に目覚めて、早い夕食を食べたら、蕎麦屋に戻って今日の洗い物の片付けをして、明日のお新香を漬けてくる。そのままプールに出掛けて、今日は少し長く泳ぐのです。



12月9日 土曜日 晴れて異様に暖かい日だったけれど…

 今朝は5時前から目覚めていたのですが、暖かくなるとは言え朝はまだ寒いので、居間のストーブの前で寛いでいました。外が明るくなった頃にやっと蕎麦屋に出掛けて行きます。カウンターの上に干してある盆や蕎麦皿など昨日の洗い物を片付けて、夕べ漬けたお新香を糠床から取り出して、小鉢に盛り付けるのが朝飯前のひと仕事なのでした。それから空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充しておきます。朝ご飯の前に身体を動かしておく事は大切なのです。

 家に戻って食堂に入れば、ぷ~んと酢飯の匂いが漂っている。来週の定休日に友だちを呼んで、ささやかな忘年会をするのですが、何時もの業者から刻み鮪を仕入れたので、その試食らしい。朝から手巻き寿司とは贅沢だったけれど、野菜のたくさん入った豚汁やお新香まで付いて、ご馳走なのでした。準備も早ければ食べるのも早いから、食後は随分と時間があったので、亭主は書斎に入ってひと眠りしようと思ったけれど、コーヒーを飲み過ぎたのか眠れない。

 仕方がないので8時には起き出して洗面と着替えを済ませる。こんなに早く再び蕎麦屋へ行っても、余りすることがないので、テレビも点けずに椅子に座ってゆっくりとしていました。8時半になったら「行って来ま~す」と女将に声を掛けて蕎麦屋に向かう。お隣の息子さんが出勤の時間だったので挨拶をして、歩き始めのです。足の具合は今朝は好さそうで、右足を少し意識して前に踏み出せば引きずらないで歩ける。これも慣れなのだろうと我慢するのです。

 蕎麦屋に着いたら朝の仕事を済ませて蕎麦打ち室に入る。エアコンを入れたままだったから、蕎麦打ち室も17℃はあったのですが、いつもの失敗を繰り返さないために、今朝は加水率を46%にして、蕎麦粉を捏ね始めるのでした。すると少し柔らかめの生地に仕上がって、伸した時にきちんと四隅の角が取れたので好かった。以前はこんな感じで蕎麦を打っていたのだろうか。思っているよりは柔らかい生地の方が、冬場はいいのかも知れない。

 いつものように野菜サラダの具材を刻んでいたら、玄関を開けて中年の女性が現れる。家に入っている大工さん達に昼を出したいから、蕎麦を譲ってもらえないかというのです。大晦日の持ち帰り蕎麦と一緒だから、二つ返事で蕎麦汁と薬味の葱と山葵をパックに入れて差し上げたのです。女将の情報では直ぐ裏の家らしいのです。上手く茹でられたかなと暖簾を出しながら思いながら、女将と二人でお客を待つのでした。外はすこぶる好い天気で暖かい。

 昼を過ぎて車が一台二台と駐車場に入ったけれど、皆さんお一人の男性なのでした。カウンターに座って天せいろやぶっかけ蕎麦を頼まれ、黙々と蕎麦を啜る音が聞こえる。「美味しかった」と言って店置きのパンフレットをお持ちになるお客もいらっしたのです。洗い物を片付けて、2時過ぎには女将と蕎麦屋を出るのでした。店で残った二日目の金柑大福を持ち帰ったので、お茶を入れて果物の代わりに二人で食べる。これが、結構、腹に溜まるのでした。