2023年11月中旬




11月10日 金曜日 今日は朝も昼も寒かったのに…

 寒い朝でした。5時半に目覚めて、6時まで珈琲を飲んで身体を温める。以前なら、今朝は何をしようかと前の晩にシュミレーションしていたのですが、最近はどうもそれさえも億劫になって、蕎麦屋に行ってから考えることが多い。朝日が昇る間際に雲が横たわって、今朝も日の出は見られませんでした。昼からは雨と言うけれども、青空の部分が多い朝なのです。蕎麦屋の中は寒いから、暖房を入れて厨房で小鉢の盛り付けを済ませておきます。

 今日は女将も来ない日だから、亭主が昨日の洗濯物を洗濯機から取り出して干すのです。奥の座敷の六畳は、亭主の着替えや煙草部屋になっているので、ここに洗濯物を干しておく。この部屋に泊まって眠ったのは、10年で何度あったろうか。風呂も同じくらいしか使っていない。まったく無用の長物なのです。7時前に家に戻って女将の用意してくれた朝食を食べる。今朝はナス焼きと肉と長葱の煮物がおかず。お新香を加えてとても美味しくいただくのです。

 朝食を終えてお茶をもらったら、書斎に入っていつものひと眠りをするのですが、最近はちょっと遅く目が覚めるので、今日も9時少し前になって目覚めて、慌てて洗面と着替えを済ませるのです。昼から雨が降る寒い一日だと言うので、車で出掛けて急いで看板と幟を出してチェーンポールを降ろす。そして、蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つ。今朝は43%の加水率で、600g6人分を打って、昨日の残りと合わせて8人分の蕎麦を用意しました。

 午前中から細かな雨が降り始めて、気温は上がらないまま。厨房に戻って野菜サラダを刻んで、いつものように三皿盛り付けておきました。包丁を研いだのでキャベツの千切りや人参のジュリエンヌが上手く仕上がる。開店の準備を整え、暖簾を出せば、5分ほどしてに習志野からの常連さんの母と娘がいらっしゃる。お茶を出したら、もう次のお二人がテーブル席に座って、続けて男性客がカウンターに座る。「順番にお作りしますから」と言って待ってもらう。

 この雨の中を昨日よりも多い人数だから驚いた。全員が天麩羅の付く料理だったから、天麩羅を揚げては蕎麦を茹でることの繰り返し。後の方は随分と待たせるからと、作ったばかりの野菜サラダをサービスでお出しする。習志野の常連さんは、今日もバームクーヘンの大きな包みを持って来て下さった。先日はわざわざ亭主の自宅を捜して、焼き芋や生の薩摩芋を箱で持って来て下さる。どうしてそんなに好くして下さるのか、不思議でならないのです。
 混んだのは最初のうちだけで、以前のように後半にも人が来ることは少ない。1時半になったらかき揚げを揚げて、亭主は賄い蕎麦を食べておく。それからゆっくりと休んで、洗い物を片付けるのです。雨はまだ降っていた。3時過ぎにやっと片付けが終わって、家に戻れば、ちょうど女将が家の前の坂道を登って帰ってくるところなのでした。書斎に入ってひと眠りしたら、簡単な夕食を食べて、三日続けてのプールへ出掛ける。金曜日は空いているのです。


11月11日 土曜日 昼の気温14℃、北風の冷たい日なのに…

 午前6時前、今朝も日の出は見られそうにない。厨房に入って、夕べ漬けたお新香を糠床から取り出して切り分けながら、出汁を取る。朝飯前のひと仕事はこれで終わりなのです。急に寒くなったから、温かい汁が随分と出るので、どうしても出汁が足らなくなる。新しい糠床の具合も順調で、新鮮な野菜の色つやも好いのです。7時になったら家に戻って朝食を食べる。食べたら直ぐに書斎に入ってもうひと眠り。最近はどうしても1時間近く眠ってしまう。

 8時半前に家を出て、みずき通りを渡れば、角のお宅の山茶花がもう咲いている。向かいのお宅の蜜柑は、随分と黄色くなっているのです。空は曇って北風が吹き、今朝は今までで一番寒いのです。蕎麦屋に着いたら朝の支度を終えて、直ぐに蕎麦打ち室に入り、今朝の蕎麦を打ち始める。思い切って最初から43%の加水で蕎麦粉を捏ね始める。これだとかなり柔らかくなって、生地も伸しやすく、四隅も綺麗で、包丁切りも楽なのでした。

 ただ柔らかい分だけ少し太めに切れるから、切りべら24本で140gで仕上げるのです。昨日の残りと合わせて9人分と半分で終わり。少し足らないかも知れないけれど、時間もないので二回は打てなかった。早い時間に蕎麦がなくなれば、準備中の看板を出して打ち足せば好いと考えていた。実際、今日は10人のお客がいらっして、カレーうどんが出たので救われたのです。常連さんが三組と、ご新規の客が一組。1時半近くに男性が二人来たけれど蕎麦は売り切れ。

 カレーうどんに鴨南蛮蕎麦、キノコつけ汁に暖かいぶっかけ蕎麦と温かい汁が随分と出たのです。北風は冷たいのに、意外なほどお客が入ったのには女将も亭主も驚きなのでした。3時前には家に戻って、ひと眠りした亭主は4時過ぎにまた蕎麦屋に出掛け、お新香を漬けて小松菜を茹でる。カウンターに干した盆や蕎麦皿を片付けて、家に戻るのでした。今日は夜の防犯パトロールのある日だったから、歩いた歩いた7800歩。これなら横浜にもいけるだろう。



11月12日 日曜日 昼の気温11℃、昨日よりも寒い…

 午前5時半、まだ外は暗い。今朝は蕎麦を二回打とうと、張り切って蕎麦屋に出掛けたけれど、冷たい雨が降って昨日よりも寒かったのです。750gの蕎麦粉を計量して、加水率43%で水回しに入る。蕎麦玉を作って寝かせている間に、厨房に戻ってお新香を糠床から出すのです。昨日の小鉢はほとんどなくなっていたから、今日の小鉢はこのお新香と残り少なくなったなた漬けだけ。糠床もかなりこなれてきたので、漬け物の味もなかなか好くなってきた。

 7時過ぎに家に戻って朝食を食べたら、今朝はひと眠りをせずに洗面と着替えを済ませる。二回目の蕎麦打ちは500gだけだったけれど、何故か気持ちが急いて早めに家を出るのでした。空気がとても詰めたいうえに雨が降っているので、こんな日にお客が来るものだろうかと心配になってくる。それでも馬鹿にしてはいけない日曜日だからと、気持ちを引き締めて蕎麦打ち室に入るのです。生地の仕上がりは上々で、蕎麦切りも綺麗に五人分揃って生舟に入れる。

 店に来てくれた女将も「外は寒いわぁ」と言っていた。亭主は二回目の蕎麦打ちを始めて、やっと新しい蕎麦粉になれてきたので、今回も上手く仕上がったから気をよくしている。昨日は最後に来た男性のお二人を、蕎麦がなくなってお断りしたから、その分、今日は多めに打っておくのでした。蕎麦を入れた生舟を冷蔵庫にしまって、再び厨房に戻れば、女将は最後のなた漬けを四鉢盛り付けて、早お昼に家に帰るのでした。亭主は野菜サラダの具材を刻む。

 開店の準備も整って早めに暖簾を出したけれど、この寒さと雨では前の道を通る人もいない。昼を過ぎてもお客は来なかったので、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べておく。カリッと揚がった熱々の天麩羅は、汁を掛けても歯ごたえがあって美味しい。繰り返し天麩羅を揚げて、油が疲れているとどうも上手く上がらないのです。焦らずにゆっくりと次の天麩羅を揚げるのがポイントなのでしょう。腹が一杯になったら、少し元気が出て来た。




11月13日 月曜日 昼の温度は10℃、陽射しはあったけれど…

 今朝は晴れてとても寒かった。放射冷却で気温の下がる時間帯を避けて、8時半過ぎに家を出て蕎麦屋に出掛けるのでした。昨日の蕎麦がそのまま残っているから、今日は蕎麦打ちはなし。それでも早すぎる時間で、蕎麦屋に着いてしまうのでした。看板を出して、幟を立て、チェーンポールを降ろしていたら、お隣の奥さんがゴミ出しから寒そうに帰って来たから、「今朝は寒いですね」と挨拶をした。冷たい北風が吹き抜けていくので、尚更、そう感じる。

 厨房に入ってまずはお湯を沸かしてコーヒーを入れる。そして、今朝の段取りを考えるのです。昨日は日曜日なのに珍しくお客がなかったから、小鉢も蕎麦汁も全部そのまま残っていた。前日のブログを読み直して、横浜の構内図を検索して、「中央改札口」というのを捜すのだけれど、北中央改札口と南中央改札口があるものの、どちらのことを指しているのやら。それからもう少し早く着けないいかと調べるけれど、9時3分がちょうど好いらしい。

 10時になる前に大根をおろして、野菜サラダの具材を刻み始めたら、10時半にはサラダ三皿の盛り付けが終わってしまうではありませんか。蕎麦を打たないとこんなにも時間が余るのです。天麩羅油を鍋にあけ、天つゆの鍋を冷蔵庫から取り出して、それぞれ火にかける。大釜に沸いた湯をポットに入れて、天ぷら粉や天麩羅具材を調理台に並べたら、テーブルを拭いて回って、もう開店の準備は整ったのです。カウンターの隅の椅子に座って、暖簾を出す用意。

 こんな寒い昼だというのに、昼前にお客が続けていらっしゃる。男性客がカウンターに座って天せいろを頼めば、お婆さんと娘らしい女性が、なんとヘルシーランチセットの天せいろを注文される。「この間は上の娘と来たんだけれど、お蕎麦か美味しかったのでまた来ました」と聞けば、電車では二駅も向こうの街から車で来たらしい。「この辺りには美味しい蕎麦屋がないんですよ」とはお婆さんの言葉。ゆっくりと1時間近く話ながら食べて帰られたのです。

 亭主が足を引きずっているのに気づいたのか、娘さんが盆や蕎麦皿をカウンターまで運んでくれた。洗い物は少なかったから、残った天麩羅の具材を揚げて、家に帰ったのが3時過ぎ。今日は車の1年点検だから、4時までにディーラーに行かなくてはならないのでした。女将も帰ってきて、亭主が持ち帰った荷物を冷蔵庫に入れてくれた。時間に間に合ってディーラーに着けば、たっぷり1時間半はかかったろうか、何カ所か修理が必要なのでした。16年も乗っていれば、いくら好い車でも古くなる部分があるのです。


11月14日 火曜日 未明の気温は3℃、日中は陽射しも出て…

 寒すぎて午前3時に一度目を覚ましたのです。天気予報で放送される千葉の気温とは随分とかけ離れているから、要注意なのです。今朝はやっと寒さが緩んできた9時前にお袋様を迎えに行って、仕入れに出掛けました。車庫に続く階段の上には水仙の新芽がびっしりと並んで、朝日を浴びているのでした。雲一つない真っ青な空が広がって、今朝までの寒さが嘘のよう。朝と昼の気温差が15度以上もあるのは嘘のようで、車の中は陽射しを浴びて暖かいのです。

 今週は土曜日が臨時休業なので営業日が一日少ない。仕入れも心持ち少なめで好いのですが、パイナップルやキャベツ、ブロッコリー、レタスなどは、分けて買えないので、どうしても量は減らないのです。野菜類を冷蔵庫に保存したら、肉や魚や果物などの家の買い物を車に積んで、家に帰るのでした。昼食には昨日残った蕎麦を茹で、揚げて帰った天麩羅をフライパンで温めて食べるのでした。歩いて買い物に出掛けた女将は、盛んに暑い暑いと言っていた。

 食後はお茶をもらって一服したら、暖かい陽射しが差し込む書斎に入ってひと眠りする。2時になったら女将のスポーツクラブの予約を済ませて、西の町のホームセンターに店の備品を買いに行くと言えば、女将が庭の空き地に植える花を買いたいからと、珍しく一緒に出掛けるのでした。家からは3㎞近くあるから、最近はあまり行かないのですが、天削げの割り箸や業務用の消毒液などはここでしか買えない。空は雲一つなく晴れ渡って気持ちが好かった。

 女将を家まで送って、亭主は蕎麦屋に行って午後の仕込みを開始する。床屋にも行かなければいけないのだけれど、今日はまだ何も仕事をしていなかったので、蕎麦徳利に作ってあった蕎麦汁を詰める。予備の一番出汁もかえしを加えて蕎麦汁にして詰める。返しの甕が残り少なくなっていたので、明日は返しも作らなければいけない。蕎麦豆腐やデザートの仕込みもあるし、小鉢を作っていないから、大根のなた漬けや切り干し大根の煮物も作らなければ。

 夜は防犯パトロールがあるので、定休日だというのに忙しい一日になりそうなのです。4時半になったので家に戻れば、女将はもう買って来たビオラを庭に植え終えて、夜のおでんの用意をしていました。一年振りに紀文のおでんの具を買ったら、随分と値上がりしていたので驚いたと言う。亭主は一週間ぶりに買って来た焼酎を飲んでおでんをつまむ。冬場は身体が温まるから好いと思っていたけれど、今日は午後から随分と暖かいのでちょっと困った。


11月15日 水曜日 朝の4時半からの仕込み…

 夕べも早くから床に就いたので、今朝は4時過ぎにはもう目が覚めていました。コーヒーを一杯飲んで頭をすっきりさせたら、蕎麦屋に出掛けて朝飯前のひと仕事です。今日は床屋にも行かなくてはならないし、夜には防犯パトロールがあるから、その合間に仕込みをいなくてはいけない。そんなタイトな緊張感が、呆け防止にはいいのかも知れない。蕎麦屋に着いたらまず返しを作る作業に取りかかる。減塩醤油の最後の3本を使ってしまうから補充しなくては。

 30分ほどで返しが出来上がり、先週の二番出汁を使って天つゆを作っておく。後ろのシンクでこれを冷やしている間に、まな板を出して大根を切る。長い大根は10cmほどに4つ取って、残りは4日間の大根おろし用に野菜室に入れておく。切った大根は皮を剥いてなた漬け用に漬け物器に入れて塩を振って漬けておきます。まだ6時半前だったので、洗濯機の中の洗濯物をやっと干すことが出来た。家に帰って女将の用意してくれた朝食を食べる。

 今朝も食後はひと眠りをしないで、8時半の床屋の開店時間に間に合うように家を出るのでした。今年80歳になるはずの床屋の親父様は、相変わらず元気でしたが、幾分、痩せたような感じで、今日はあまり話もせずに亭主の髪を刈ってくれていました。それでも、一時間あまりの時間をかけて、綺麗に仕上げてくれたのです。そのまま蕎麦屋に行き、まずは切り干し大根の煮物を仕込んで、次いで水羊羹と蕎麦豆腐を仕込み、11時前には家に戻るのでした。

 昼は月曜日に残った蕎麦がまだあったので、昨日のおでんの残りと一緒に食べる。寒いのに郵便局まで歩いたら身体が温まったからと、蕎麦を付き合ってくれた女将に感謝。三日目の蕎麦もまだまだ硬くて、コシがあるのが嬉しかった。昼食を終えたらいつもの習慣で、亭主は書斎に入って昼寝をする。その間に女将はスポーツクラブに出掛けるのです。1時過ぎに目を覚まして、蕎麦屋に出掛ければ、まずはコーヒーを入れて午後の段取りを考えるのです。

 お新香を漬けるのは一番最後にして、まずは蓮根の皮を剥いて輪切りにして酢水で茹でる。南瓜を切り分けてレンジでチーンしします。それから天麩羅の具材を切り分けて、容器に詰めたらラップで蓋をして冷蔵庫に入れる。それからぬか漬けに浸ける野菜を取り出して、水で洗ってから塩をして漬け込むのです。ナスにはミョウバンをまぶして色止めをするのを忘れない。今週は土曜日を臨時休業にするので、少しだけ漬けておきました。

 家に戻って4時には早い夕飯を食べておきます。夜の防犯パトロールは6時集合だから、5時半には家を出なくてはいけない。運動靴を履いて足の具合を気にしながら集合場所に行けば、いつものメンバーが集まっている。今日の話題はコミニティセンターで行われる来週の福祉祭りなのでした。バザーの品物集めから始まって、当日に出す豚汁や餅の話。そんな活動を地域の年寄り達が支えているのがよく判った。今日は4㎞弱の行軍で助かったのです。


11月16日 木曜日 常連さんの有り難さ…

 夜のパトロールの晩は、ぐっすりと眠れて目覚めれば6時前。急いで蕎麦屋に出掛けて、出汁を取りながら小鉢を盛り付けるのでした。蕎麦汁はまだ余裕があったのですが、二番出汁のストックがなくなって、寒い時期にキノコ蕎麦や温かい汁の蕎麦が出ると困る。強火で加熱して1時間で仕上げるのでした。ちょうど朝日が森の上に昇って、雲一つない空が綺麗に澄んでいるのです。7時になる前に家に戻って、女将の用意する朝食を食べる。

 食後はお茶をもらって、ひと眠りはしないで8時前にまた蕎麦屋に向かう。土曜日の朝のことを考えたら、とてもひと眠りなどしていられないのです。10時38分横浜着では余裕がなさ過ぎるので、いろいろと調べた結果、8時40分ユーカリ発の電車に乗れば、10時29分には横浜に着けることが判ったのです。問題は駅までのタクシーが上手く迎えに来てくれるかどうかなのです。8時になったらタクシーの会社に電話をしてみようと思う。最悪、歩いても間に合う。

 今日は朝は寒いけれど、天気が好いので、もしかしてお客が多く来たら困ると思って、850g9人分の蕎麦を打つ。43%の加水ではあまりにも硬すぎるので、45%程加水してやっと菊練りを済ませたのです。真冬は46%まで加水することが多いと記憶しているから、ちょうど好いのかも知れない。これだと上手く伸せて綺麗に包丁切りも出来たので、ひと安心なのでした。前掛けの粉を払いに玄関を出れば、外の気温は16℃。青空が広がって幟が風に揺らいでいます。

 暖簾を出したら直ぐに、習志野からの常連さん母娘がいらっしゃる。今日も天せいろのご注文で、いつも釣り銭を取らないので、野菜サラダとデザートをサービスでお出しするのでした。新しく飼ったマルチーズの子犬が逃げ出して、警察に届けられて大変だったとか。続けてすぐに、よくいらっしゃる女性二人がテーブル席に座って、キノコつけ蕎麦を頼まれる。更に続けて、橋の向こうから来る常連さんがカウンターに座ってキノコつけ蕎麦の大盛りをご注文。

 昼前に5人のお客が来て、それからやっと女将が手伝いに来てくれた。しかし、天気は好くても寒い昼だからか、今日もお客はそれで終わりなのでした。常連さんばかりでなんとか成り立っている感じなのです。1時半に女将のスポーツクラブの予約を終えたら、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べておきます。2時半前に家に戻って、パソコンに今日のデータを入力して、ひと眠りしたら隣町のスーパーに出掛けてキノコ汁の食材を買ってくる。今日は業者の来る日だから、そのまま蕎麦屋に行ってキノコ汁を作っておく。


11月17日 金曜日 朝から降った雨は昼に激しくなり…

 今朝は特別に何かをしなければならないということはなかったのですが、いつもの習慣で6時前には蕎麦屋に出掛けました。朝飯前のひと仕事で今日の蕎麦を打って、朝食後の出勤に余裕を持たせようと考えたのです。加水率は45%で、しっとりとした生地を捏ね上げて、包丁切りもスムーズに終えたら、ちょうど7時前になっていました。冷たい雨の朝だったから、店の暖房を入れたままで、家に戻って女将の用意してくれた朝食を食べるのです。

 午後まで雨が降るという予報だったから、今朝は車で蕎麦屋に出掛けて、まずはコーヒーを入れて飲むのでした。9時半になってもまだ野菜サラダの具材を刻むのは早いのです。タブレットで横浜の駅の構内図を眺めたり、電車の時刻を確認したりと気持ちは明日の再会の準備。8時前にタクシー会社に電話をして、8時31分の電車に乗れれば、横浜着が10時8分。少し早いけれど、余裕を見ておいた方が好い。駄目なら駅までの2kmを歩かねばならないのです。

 やっと時間になったので、大根をおろして、野菜サラダの具材を刻み始めたら、最近は随分と手際が好くなって、10時45分にはもう終わってしまった。大釜の湯をポットに入れて、油を鍋に移し、天つゆの鍋も火にかける。天麩羅の具材の入った容器を調理台に並べて、天ぷら粉の入れ物を冷蔵庫から取り出して、テーブルやカウンターを拭いて回ったら、まだ11時過ぎなのに開店の支度は終わってしまう。カウンターの隅の椅子に座って雨の降る外を眺める。

 こんな日にはお客は来ないだろうと思いつつも、一縷の望みを抱いて待つこと1時間。雨は次第に激しく降りだして、到底お客の来る状態ではないのでした。1時を過ぎても雨は弱まらずに、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。食べたら眠くなりそうなのですが、それだけ緊張しているのか、これまでも営業時間中に眠ったことはない。ラストオーダーの1時45分にならないうちに、雨が止んできたので暖簾をしまうのでした。

 野菜サラダとすり下ろした大根を持って家に帰り、女将の帰りを待つのでした。大相撲を見ながら夕食を終えて、明日の着る物をチェックし始めたら、女将が出しておいてくれた10年前の背広が、どれも腹周りがきつくて着られないのには、我ながら驚いたのです。「夜中にラーメンを食べるからいけないのよ」と傍で女将が言うのを聞きながら、すっかり体型の変わった自分の姿を笑うのでした。自由に生きてきたのだから、今更、慌てても仕方がないのです。



11月18日 土曜日 久し振りの臨時休業は…


 15000歩も歩いて横浜を往復しました。電車に乗っていたのは1時間半ほどなのですが、最寄りの駅までタクシーを使えば好かったものを、電車に間に合えば好いと2kmの道程を歩いてしまった。帰りは駅にタクシーが止まっていなかったので、また歩いたのです。元気だったのは好いのですが、足の具合が悪くなってからこんなに歩いた日はない。夜の防犯パトロールでリハビリを兼ねて歩いているとは言え、最後はもうへろへろになって家に辿り着くのでした。

 久し振りに横浜の友人と昼食を共にしようと、そごうの10階にあるイルピノーロでイタリアンのコースを予約しておいた。スカイテラスからの眺めはよく、予約した席は抜群の眺望なのでした。小学校からの同級生だったから、家族や兄弟、友人達の近況や昔話に花が咲いて、何年かぶりに会ったのに月日が過ぎたのも忘れて、つい昨日のことのように親しく話をする。夕刻からのクラス会に出席する亭主を送って、お互いに元気で好かったねと言って別れた。

 クラス会は賑やかな中華街の一角にある小さな中華料理店での開催だったけれど、土曜の午後とあって通りを行き交う人が多すぎてなかなか辿り着かなかった。50年以上も昔の同級生達が一人二人と集まって、15人以上が参加した夕食会は、みんな70歳を越えたとは思えないほどに元気なのでした。一人一人が近況を話すけれど、やはり年齢だけにいろいろなことがある。今も現役で活躍する人は、亭主を含めて前向きな話をするのでした。明日の朝から仕事があるから二次会はパスをさせてもらった。帰りが大変なのでした。



11月19日 月曜日 雲一つない青空でしたが…

 昨日の遠出が疲れて、夕べは早く床に就いたけれど、8時間も眠ってまったく目が覚めないのでした。6時過ぎに目覚めて、心配そうに亭主を見る女将に昨日一日の話をする。朝食を食べながら、幼なじみとの会食の、沢山の話をするのには無理があるのでした。高校の同級生達の話もしなければならなかったから、尚更なのです。着替えて早めに蕎麦屋に出掛け、幟と看板を出したらコーヒーを入れて一服する。今日は蕎麦を8食分だけ打つことにしました。

 みずき通りも抜けるような青空が綺麗で、すっかり丸坊主になったハナミズキの並木が、冬の訪れを物語っているかのようなのでした。陽射しは暖かいけれど、気温はまだ低い。蕎麦打ち室に入って今朝は初めから45%の加水で蕎麦粉を捏ね始めたのです。すると打って応えるかのように、しっとりとした生地が仕上がり、菊練りを終えて蕎麦玉を寝かせたら、厨房に戻って次の段取りを考える。身体はまだ疲れでいる感じがして、蕎麦打ちで元気を貰うのでした。

 9時半になったら女将が来て、店の掃除をして洗濯物を畳んでくれる。その間に亭主は蕎麦を伸して切りそろえるのです。女将は10時には早お昼を食べに家に戻る。亭主は厨房に入って野菜サラダの具材を刻み始める。大根をおろしたり、南瓜を切り分けてレンジでチーンしながら、今日も三皿のサラダを用意するのでした。11時過ぎに女将がまた来てくれて、開店の準備は着々と進む。こんな晴れた日なのに、前の通りを歩く人がいないのもちょっと心配です。

 昼前に何時もの常連さんがいらっして、キノコ蕎麦の大盛りのご注文。その後で1時過ぎに、先週も来た常連さんの女性がご主人とご来店。天せいろ二つの注文だったから、油を温めながら天麩羅を揚げる準備にかかる。今日は日曜日だから、お客の出足が遅いのかと思ったけれど、それ以後はもうお客はなかったのです。早めに片付けて、2時過ぎには女将と家に帰る。昼寝こそしなかったけれど何故か身体が疲れていると感じるのでした。