2023年2月上旬


2月6日 月曜日 春の気配の暖かさ …

 今朝も朝飯前のひと仕事に蕎麦屋に出掛けた亭主。6時をとうに過ぎていたけれど、まだ陽は昇っていなかった。向かいの畑には真っ白に霜が降りていましたが、昨日よりは暖かいのか、あまり寒いとは感じなかったのです。やはり霜の降りた西隣の畑の彼方に、満月の大きな月が沈んでくのが見えたから、慌てて写真に撮る。蕎麦屋に入れば、室温は8℃とやはりついこの間よりは暖かい。それでもエアコンの暖房を入れて、昨日の洗い物の片付けをする。

 昨日は前の日がお蕎麦売り切れだったので、頑張って二回蕎麦打ちをしてのは好いけれど、天気も好いのにそれほどお客が来なかったから、生舟には随分と蕎麦が残っていた。8人分はありそうだったから、今日は蕎麦を打たないと決める。白菜のお新香とワカサギの南蛮漬けの小鉢を確認して、7鉢もあれば十分だろうと、残りを家に持って帰って、朝食のおかずにして食べることにしたのです。7時前に家に戻れば、女将は南蛮漬けを待っていた。

 ベーコンエッグに昨日の野菜サラダの残りを添えて、亭主の持ち帰った南蛮漬けを付けたら、今朝のおかずは完成。味噌汁には豚汁が付いたから、炊きたての茶碗一杯のご飯には、十分なおかずの量なのでした。食事を終えたらお茶をもらって、例によって亭主は書斎に入り、ひと眠り30分。女将の観る朝ドラが始まる時間には起き出して、洗面と着替えを済ませるのでした。早朝に珈琲はもう飲んだから、蜜柑を半分だけ食べて「行って来ま~す」と家を出る。

 気温はそれほど高くないのでしょうが、帰りに荷物になるのが嫌だったから、手袋もはめず、帽子も被らずに蕎麦屋に出掛けたのです。午後は13℃まで気温が上がると言うので、朝は少し寒くても我慢できないほどではない。みずき通りに面した角のお宅の白梅が咲き出していたから、やはり春の兆しなのでしょう。亭主の野生がそれを敏感に察知していたのかも知れない。バス通りを歩けば、家の影の畑には霜が残っていたけれど、気分はもうすぐ春なのです。

 古今集の貫之の歌を引くまでもなく、節分、立春を通りすぎて、昔の人たちの知恵にはつくづく感心させられるのです。蕎麦屋の中はもう15℃もあるから、暖まるのが速いのです。蕎麦打ちがないと時間があるので、洗濯物を干したり畳んだり、奥の広い座敷に溜まっていた段ボールを潰して、紐で括って子ども会の廃品回収に出す準備までしておくのでした。金柑大福も昨日残った三皿があったから、後は野菜サラダの具材を刻んで盛り付けるだけ。

 それでも昼前はお客が来ない。昼を過ぎて少し暖かくなったら、一挙に客が入って賑やかになるのでした。亭主一人の営業だから、一度に複数のお客が入ると「今、お茶をお待ちしますね」と席に着いてオーダーを出したがるお客に、声を掛けて前のお客の蕎麦を茹でる。今日は天せいろばかりが随分と出たのです。やはり温かくなって来た証拠。晴れて暖かい陽には天せいろがよく出るのです。隣町の常連さんは相変わらずキノコつけ蕎麦のご注文。

 1時半近くにご家族三人連れでいらっしたお客は、天せいろの大盛り二つと並一つのご注文で、天麩羅の具材がなくなったので、新しく包丁で生椎茸やピーマン、ナスを切りながら天麩羅を揚げる。時間も時間だからさすがにお蕎麦売り切れの看板を出すのでした。2時20分にお客が帰って、亭主は遅い昼飯に残った天麩羅の具材を揚げて、ゆっくりと賄い蕎麦を食べる。それから洗いものだから、今日は家に帰ったのが4時。女将が心配してやって来たのでした。


2月7日 火曜日 定休日は曇っても暖かな一日で …


 夕べは店の終わりが遅かったので、夜のプールには行けないかと思っていたけれど、ひと眠り30分で身体が回復したので、夕食を食べてひと休みしたら、元気に出掛けて行ったのです。月曜日に泳いでおくと、その週の運動バランスが上手くとれる。火曜日がスポーツクラブの定休日だから、月曜日に休んでしまうと間が空きすぎるのです。夜のプールは空いているけれど、空いたコースはなく、同じくらいのスピードで泳ぐコースに入って泳いだのでした。

 ぐっすりと眠った朝は気持ちが好い。寒さが少し緩んでいるのかも知れません。朝食を終えていつもの時間に蕎麦屋に出掛ければ、店の中はもう10℃もあったから、エアコンも点けずにそのまま仕入れに出掛けたのです。お袋様を乗せて農産物直売所に向かう陸橋の上の空には、うっすらと雲が出ていた。今日の予報は終日曇りだったから、朝のうちだけでも陽が差したのが幸いと言うべきか。先週は随分と客が入ったと、お袋様に話しながら農産物直売所に着く。

 とても立派な白菜が出ていたので嬉しくなる。トマトもニンジンも生椎茸もピーマンも、今朝は新鮮な野菜ばかりで好かった。隣町のスーパーにも足を伸ばして、残りの野菜や女将にに頼まれた魚や肉を買い、お袋様を家まで送って蕎麦屋に戻る。早速、冷蔵庫に収納して、白菜を切り分けて樽に塩漬けをするのでした。朝採りの野菜はビニールの袋が水分で曇っているからすぐに判るのです。トマトもヘタの部分がみずみずしい綠色をしている。

 立派な白菜は中まで黄色く色づいているから柔らかい。塩をまぶしながら漬け込んでい行けば、樽に入りきれないほどの量になるけれど、午後にはもう水が出て重しで沈んでくるのです。もうひと仕事したいところですが、今日は、昨日の蕎麦が残っていなかったので、昼の支度に時間がかかりそうだったから、11時前には家に戻り、女将が買い物から戻るのを待つのでした。白菜が沢山残って困るとと言われたので、肉と長葱と白菜で中華丼を作る亭主。

 身体が温まって、急に眠くなるから、書斎に入ってひと眠り。女将は稽古場に入って今週の課題をこなす。2時過ぎに女将のスポーツクラブの予約を済ませたら、亭主は彼女に声を掛けて西の町のホームセンターに店の備品を買いに出掛け、そのまま蕎麦屋へ戻って出汁取りに専念するのでした。4時過ぎに仕込みを終えて、夕食の支度に家に戻るのです。今夜は久し振りにキノコ鍋にしようと亭主が提案したから、白菜と長葱を刻んでたっぷりと入れて煮込む。

 今週末の日曜日は、一年ぶりに味噌造りがあると言うから、亭主も店を臨時休業にして、圧力鍋や造った味噌を入れる桶を持ち、女将を送って味噌造りを手伝う予定なのです。天気も好さそうで気温も上がりそうだから、蕎麦屋を開いていればお客も来そうなのでしたが、一人で営業するにはちょっと勇気が要る。結局、去年と同じに一年に一度だからと臨時休業の看板を出す。寒仕込みの味噌は半年寝かせて10月には美味しく食べられる。気の長い話なのです。



2月8日 水曜日 時折、薄日は差すけれど …

 朝の5時半には目が覚めたけれど、居間でお茶を飲んでゆっくりとしていた亭主。あまり寒くはなかったのにストーブを点ければ、やはり身体が暖かくなってまったりとしてしまう。6時を過ぎたら「さーて、行くか」とかけ声はかけるのですが、なかなか立ち上がれない。朝飯前のひと仕事は、返しの仕込みだけなのでした。車を出して蕎麦屋に出掛ければ、ちょうど市営のバスが通りすぎる。店から100mほどの小竹入口が6時33分の第一便のバスなのでした。

 駅の北口からは6分で小竹入り口まで着くけれど、左回りのバスはここから奥の地区を回るから駅に、着くのに30分ほどかかる。第二便として今度は反対回りですぐに駅を出て、7時41分に駅に向かって6分で着くと言うわけ。これが右回りと言われているバスで、蕎麦屋の前でも手を上げれば止まってくれるから便利が好い。調理台に返しの材料を揃えたら、味醂とワインビネガーを先に煮立て、二種類の減塩醤油を入れ、氷糖蜜と塩を加えたら沸騰前で終わり。

 7時過ぎに家に戻れば、今朝は大根の甘い豚汁とほっけの塩焼きがおかずで、小さな茶碗にご飯を一膳しか食べない亭主には、ちょうど好い分量。お茶をもらって一服したら、書斎に入ってひと眠りです。定休日だからと9時過ぎまでゆっくりと眠って、再び蕎麦屋に向かうのです。午前中の仕事は、まずは水の上がった白菜の樽から小型の漬け物器に白菜を移し、塩をまぶしながら昆布と唐辛子を間に入れていく。樽一杯だったのにほとんどが水なのでした。

 調理台が片付いたら、今度は筑前煮の仕込み。里芋の皮を六方に剥いたら二つに切って、ニンジン、牛蒡を乱切りにして、先週残ったレンコンを加えて下茹でをする。その間に、出汁取りに使った干し椎茸を切り、蒟蒻を大さじでちぎるように切り取っていく。まな板ごと後ろの調理台に移して、生もの用のまな板を出して、今度は鶏肉を切り分けていく。キノコ汁と筑前煮の両方に使うから、一度に油で炒めて、二つの鍋に分けて具材を入れていく。

 中華鍋には筑前煮の材料と出汁を入れて、砂糖と出汁醤油で味付けをする。雪平鍋にはキノコと出し汁を加え、こちらは塩で味をつける。ナメコと生椎茸を入れるのを忘れていたから、後から加えて更に煮込むのでした。キノコ汁は5人分ほどの分量で、筑前煮はだいぶ沢山取れそうだから、半分は家に持ち帰る。今週は日曜日が味噌造りで臨時休業だから、その分、小鉢の量も少なくて済む。鍋類を全部洗って、11時半前には家に戻るのでした。

 午後からは女将がスポーツクラブに出掛けるので、家の調理台には昼の炒飯とスープの材料が並べられていた。蕎麦屋で2時間も調理をして、すぐに家でもフライパンを振らなくてはならない亭主の仕事量も結構大変。「少しは休ませて欲しい」と文句を言いながらも、先週残った玉葱や人参、レタスなどを使い切ってカレー炒飯の出来上がりです。2時過ぎから始まるヨーガの教室に出るのに、女将は12時過ぎにはもう家を出た。徒歩の30分とストレッチの時間。

 食後は書斎で横になって眠ろうとしたけれど、さすがに今日は朝も長く眠ったので眠くないのでした。仕方がないから、今日の写真をパソコンに取り込んでブログを書き始める。3時を過ぎた頃に、女将が戻って来て、今日は暖かいけれどとうとう晴れなかったと言う。夜は常夜鍋にすると言うのを聞いて、プールに出掛けようと思っていた亭主はちょうど好いと思った。蕎麦屋に出掛けて約1時間ばかり午後の仕込みをして家に帰るのでした。

 4時半を過ぎた頃に台所で女将が夕飯の支度を始める。鍋に生姜のスライスを入れて塩味を付けたら、後は豚肉のバラとホウレン草を入れるだけのシンプルな食事。蕎麦豆腐と筑前煮が小鉢で並び、例によってご飯は小さな茶碗に軽く一膳。生姜の効用か身体が温まるのです。これから小一時間休んだら、夜のプールに出掛けてひと泳ぎです。明日は夕刻に業者が海老や天ぷら粉を運んで来るので、今週は月・水・金と泳ぐことになりそう。ちょうど好い間隔です。



2月9日 木曜日 晴れたけれど風の強い日で …


 午前5時半に家を出て蕎麦屋に向かう。定休日明けは仕込みは済んでいるものの、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めていなかったり、昨日までに仕込んだ白菜のお新香や筑前煮の煮物などを、小鉢に盛り付けていなかったのです。早く目が覚めてもう一度眠ると、もう朝飯前には蕎麦屋に行けなくなってしまうから、まだ辺りが暗い中を車で出掛けて行くのでした。寒くはなかったけれど風が強いのがちょっと心配。風のある日はお客が来ないからです。

 朝飯前のひと仕事を終えて家に帰れば、まだ6時半だったので、再び布団に潜り込んで1時間ほど眠ったら、ちょうど朝食の時間になる。今朝は髭を剃って着替えを済ませたら、女将のドラマの最中にもう蕎麦屋に出掛けたのです。庭の金柑が黄色く色づいているけれど、鳥も女将もあまり興味を示さないから、やはりあまり美味しくないのだろうか。亭主が取った分の金柑も甘露煮にしたけれど、ちょっと皮が固く感じられたので、店では出さなかったのです。

 蕎麦屋に着いて朝の仕事を終えたら、早速、蕎麦打ち室に入って蕎麦を打つ。蕎麦打ち室の温湿度計は16℃、LLという表示なのでした。エアコンを点けているせいもあるかも知れないけれど、湿度がかなり低いと言うことなのでしょう。加水率を47%強にして、生地を捏ねていけば、柔らかめだけれど伸し易い状態で、切りべら26本で140gの蕎麦を八束取って、生舟に並べるのでした。風は朝よりも強くなって、畑の土埃が舞い上がって大変でした。

 気温は昨日よりも高かったけれど、この風では暖かいとは感じられない。だから、風のある日はお客が来ないと、経験的に思ってしまうのです。それでも開店の支度は進めなければならないから、厨房に入って金柑大福を包む。大根おろしや生姜おろし、薬味の葱きりは蕎麦玉を寝かせている間にもう済ませているから、後は野菜サラダの具材を刻むだけなのです。日曜日の味噌造りで一日営業日が減るから、今週は具材がどうしても残りそうなのでした。

 外の様子を見に玄関を出れば、強い風と青い空で、陽射しはあるものの暖かいとは思えない。暖房を入れた店の中はとても暖かいけれど、散歩をする人の姿も見えないのです。暖簾を出して1時間ほどお客を待っていたら、車が駐車場に入って若い女性客がご来店。天せいろのご注文だったから、盆や皿をセットして天麩羅を揚げているところで、今日は早めに女将が来てくれた。先週はこの時間でもう満席だった。蕎麦や天麩羅が美味しいと言って帰られた。

 その後、隣町の常連さんがいつものようにビューンと車を飛ばして駐車場に入り、例によってキノコつけ蕎麦と辛味大根、野菜サラダのご注文。今日の話題はまた今の政治家に対する文句で、何処までが本当のことなのかと耳を疑うことばかり。寝違えたという首の湿布を見せるから、女将が「動かないから肩が凝るのよ」と言う。寒い日は家から出ないと言うお客なのです。それでいて、酒を飲みに電車で西の町に出掛けたりしているらしい。

 電話が入って女将が「ラストオーダーは1時45分なのですよ」と応えていた。来るかどうかは判らないと言っていたお客が、1時半にやって来て、せいろ蕎麦に辛味大根のご注文。個人タクシーの運転手さんで蕎麦が好きらしく、「一人前は何グラム?」と亭主に聞くので、「打って130g、茹でて200gです」と応えれば、普通盛りでお願いしますということになる。綺麗に蕎麦湯まで飲んで、金柑大福を食べてお帰りになる。それから亭主は遅い昼を食べた。



2月10日 金曜日 昼の気温が2℃、寒すぎる一日 …


 冷たい雨の降る中を車で蕎麦屋に出掛けて、朝飯前のひと仕事をする。と言っても、昨日もお客が少なかったから、片付け物もあまりなく、エアコンを入れて大釜に水を張って火を点けておく。7時前でも外は暗く、時折、しぐれに変わる雨の行方を見るばかりなのです。厨房は6℃と冷たかった。熱いコーヒーを入れて、タブレットで昨日のブログを読み返しておく。毎日、同じような記事ばかりで、書いている自分でも飽きてくるのです。

 それでも家に戻って朝食を食べたら、朝ドラの終わる時間には家を出て再び蕎麦に出掛ける亭主。時雨が降り続けているけれど、道が濡れるばかりで積もることはない。雪でなくて好かった。昨日の蕎麦が残っていたから、今朝は500g五人分だけ蕎麦を打つ。外が寒いからか、蕎麦打ち室もなかなか温度が上がらないので難儀した。加水率は48%近くで少し柔らかめの生地で伸し始めた。切りべらは26本、140gで五束半の蕎麦を仕上げる。

 厨房に戻って大根をおろしたら、金柑大福は昨日作ったものが三皿の残っていたので、後は野菜サラダの具材を刻むだけ。時間に余裕があったから、洗濯物を畳んだり、キノコ蕎麦の汁を温めたり、合間の時間に済ませておく仕事に精を出す亭主。こんな寒い日にはお客は来ないだろうと思いながらも、開店前の緊張はいつもと同じなのです。1時を過ぎた頃に、車が一台駐車所に入って、見れば先週もいらっした女性客が玄関を入ってカウンターに座るのでした。

 「寒いですよねぇ」と言えば、「車の外気温度が1℃でした」と言う彼女。店の中は20℃もあるけれど、温かい蕎麦が好いとぶっかけ蕎麦の温かい汁をご注文。この間来て、金柑大福が美味しかったからと追加で注文をされた。20年間も専業主婦をやって、子供がやっと大きくなったから仕事をしているのだけれど、毎日が楽しくて仕様がないと言う。今日は隣の町の団地から農産物直売所に野菜を買いに来たのだとか。生き生きとしているから随分と若く見える。

 それきりお客は来なかったので、亭主もかき揚げを揚げてぶっかけで賄い蕎麦を食べるのでした。外は、時折、霙交じりの雨で、雪にならないだけでも好かった。後片づけはすぐに終わって、ゴミ出しだけが最後の仕事。早めに家に戻って女将の帰りを待てば、さすがに今日は寒かったと言って帰ってきた。夕飯には昨日仕入れた甘エビのクリームコロッケを揚げてもらって、ひと休みしたら亭主は夜のプールに出掛けるのでした。リハビリは順調に進んでいる。



2月11日 土曜日 今日は何故か疲れて爆睡の午後 …


 夕べは雨が降ったのか、道路が濡れていた夜明け前。いつものように朝飯前のひと仕事で蕎麦屋に出掛けても、あまり仕事はないのでした。昨日はお客が少なかったから、洗濯物もなかったし、片付け物も少ないのです。それでも週末だから小鉢を盛り付けるのに、白菜を切り分けたりと何かしらやることはあるものです。店のエアコンのスイッチを入れて、朝食後に来て蕎麦を打つのに備えるのでした。家に戻れば、今朝も美味しい朝食が待っているのでした。

 朝ドラの終わる時間に珈琲を入れて、飲み終えたら再び蕎麦屋に向かう亭主。今日の陽射しは暖かいから、お客がたくさん入るだろうかと期待をするのです。雲一つない青空が広がって、いよいよ春の兆しなのかと嬉しくなる。犬の散歩のご近所の小父さんに今朝も出会って挨拶をする。股関節の具合が悪かったのに、手術をしたら随分とよくなったらしい。亭主の足の具合もかなり改善して、つかまり立ちをしなくてもズボンが履けるようになった。

 蕎麦屋に着けば葉の枯れたモミジの枝にスズメたちが止まって日向ぼっこをしているように見えた。今日は畑に椋鳥のつがいの姿も見えたから、季節はどんどん移り変わっているのでしょう。空が青いと心まで洗われるようで、気持ちの好い朝なのでした。店の中に入れば、すっかり暖まって室温も上がっているから、すぐさま蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。昨日の蕎麦も残っていたけれども、足りなくなるのを恐れて、今日は750gを打つのでした。

 加水率は47%強。しっとりとした生地に仕上がり、切りべら26本で140gの蕎麦を八束取って生舟に入れる。厨房に戻って大根を卸したら、金柑大福を包み始めるのでした。明日が味噌造りで臨時休業だから、残ればみんな家に持ち帰って食べなければならない。それでも営業をする以上は、準備はしておかなければならないのが辛いところなのです。野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿盛り付け手おく。昨日のサラダも全部残ったから、家で食べるのが大変。

 開店の時刻まではいつも緊張するのです。今日も電話が入って、「昼は営業していますか」と言うから、「営業していますよ。宜しくお願いします」と応える亭主。それでも昼を過ぎても一向にお客は来ないのでした。こんな天気の好い日なのに、道を歩いている人の姿もほとんどない。昨日の寒さで少しからだが縮んでいるのか。蕎麦屋の中は23℃もあったけれど、じっとしていると冷えてくるのです。最近の気温の変化には随分と惑わされるのです。

 信じられないことなのですが、結局、今日は一人もお客が来なかった。気を揉んで疲れたからか、家に帰って午後は2時間も昼寝をしてしまった。目が覚めれば、夜のパトロールの時間まで1時間を切っていた。日の出の時間は遅くなっているのに、随分と日が長くなったのか、集合時間に間に合うようにと家を出れば、まだ空は明るいのでした。70歳を過ぎた年配の人たちが集まって、夜のパトロールが始まる。足の具合が少し好くなったけれどまだ坂道は辛い。



2月12日 日曜日 蕎麦屋は臨時休業、味噌造りの日 …

 今日は年に一度の味噌造りの日で、朝から慌ただしかった。女将も6時半には台所に立って、ご飯のの焚けるのを待ちながらおかずを作っていたのです。亭主はいつもと同じ5時過ぎには目覚め、居間の椅子に座ってお茶を飲んでいた。蕎麦屋は先週から張り紙を貼って臨時休業にしてあるから、朝飯前のひと仕事には出掛けなかったのです。昨日の終日晴れという予報とは違って、朝から曇り空でちょっとがっかりなのでしたが、日中は暖かいと言うことでした。

 圧力鍋や味噌を入れる桶など沢山の荷物を車に積んで、京成佐倉駅前のミレニアムセンターまで車で約20分。日曜日だから道が空いていて助かったのです。亭主にしてみれば久し振りの遠出というところか。新型コロナの感染拡大の後、終息してきたとは言え、県内でも毎日二桁の死者が出て、その割合が感染者の1%に達しているのです。ほとんどが高齢者だから、若い人たちのようにインフルエンザと一緒と考えるわけにはいかない。気をつけているのです。

 会場の待合室で一年振りに合う人たちと、珍しく女将も元気に挨拶を交わすのでした。調理室に入れば、昨日のうちに有志の方々が材料を用意しておいてくれて、亭主は配られた米麹を盥の中に空けて、細かくほぐしておくのです。その間に女将が圧力鍋の中に、これもボランティアの人たちが、夕べから水に浸しておいてくれた大豆を入れて煮始めるのです。豆の量は10kgあるから、鍋の3分の1の量ずつ入れて、8回は煮ないといけない計算です。

 一回目の豆が煮えたら笊に採ってミンチの機械で熱いうちに挽いていく。10人いる参加者が一斉に始めるから、一台しかないミンチの機械には行列が出来るのです。男性の参加者は3人だけれど、皆さん年配の方で、若い亭主は何人もの人の豆をハンドルを回して挽いてやるのでした。豆を挽き口に入れる作業もあるから、二人で作業すると早く出来る。9時から始めても、皆の豆を挽き終わるのが1時過ぎ。途中で昼食を取りながら、会場は和やかな雰囲気です。

 お弁当は各自おにぎりなどを持って来ていたけれど、有志の方が豚汁を作ってくださったり、お茶を入れてくれたり、お菓子を配ってくれたりするので、かなりお腹は一杯になる。主催者の女性は、自分の味噌造りはそっちのけで、皆の作り方を指導して回るから大変です。挽いた豆は外の風に当てて冷ますのが肝心。寒仕込みの味噌と言うのは、冷たい風で早く冷めるから好いのだとか。挽いて冷ました豆を今度は米麹と混ぜ合わせて捏ねていくのです。

 捏ねる作業は蕎麦打ちの経験が生きるから嬉しい。早めに終えて10kgの豆と麹を空気の入らないように桶に詰め、参加費を支払ったら、他の人たちより一足早く帰り支度をする。来年の味噌造りを希望する人は、今年の11月には連絡をしてくださいと、主催者の女性が皆に話すのでした。自分たちよりも年配の人たちばかりなのに、皆さん元気で活動しているから、何かこちらが元気を貰ったよう。年に一度の蕎麦屋の臨時休業も、決して無駄ではなかったと思う。

 蕎麦屋での仕事と同じく3時近くに家に戻ったのだけれど、いつもとは違う緊張と労働ですっかり疲れた亭主は、夕刻まで眠るのでした。夕食前に目覚めて食堂に行けば、女将が亭主の希望を聞いてくれたらしく、先日、業者の若者が持って来た甘エビのクリームコロッケを揚げてくれていた。昨日残った野菜サラダが好い付け合わせなのでした。今日一日の活動を二人で楽しく思い出しながら、夕食のひとときを過ごすのです。さあて、明日はどうなるのか。