2022年12月末


12月27日 火曜日 空気は冷たいけれど快晴で …



 今朝は仕入れに行く前に昨日残った蕎麦や煮物などを持って、蕎麦屋から近いお袋様のマンションを訪ねたのです。高いところから見る朝の気色はまた格別で、蕎麦屋の西側に広がる畑と森の木々が朝日を浴びて綺麗なのでした。南の方角には駅前の高層マンション群が見えて、今日の青空が何処までも続いている。寒いけれども気持ちの好い朝でした。二人で車に乗り込んで、まずは農産物直売所に向かう。寒いからか、通りを歩いている人は誰もいないのです。 

 小学校と女子大の脇を通って、田んぼの上を通る橋を渡れば、隣の地区に入る。中学校の敷地の切れる十字路を右に折れた道の、突き当たりがもう農産物直売所です。朝は9時から開店だというのにもう駐車場には車が何台か停まっていました。野菜を運んで来る農家の車は店側に停められて、お袋様と二人で「お早うございます」と挨拶をしながら店の中に入っていく。白菜が随分と出ていたから小さめのものを一つもらっていく。分厚い椎茸は3パック買う。

 隣町のスーパーにも足を伸ばして、残りの野菜類を買い込んで来る。女将に頼まれた家の買い物もあるから、押して歩くカートは上下の籠が一杯になるのでした。お袋様を家まで送って、店に戻ったら、早速、野菜を冷蔵庫に収納して、10時半には床屋に出掛ける。今月は最初の週に行ったのだけれど、正月が近いから、どうしても年内にもう一度髪を切りそろえてもらいたかった。お客が帰ったばかりという親父様に今年最後の散髪をお願いする。

 いつもより時間がかかったのは、いろいろ話をするから。それがまたお互いに息抜きになるから好いのです。家に戻れば、女将がもう大鍋に湯を沸かして、グリルで天麩羅を焼いていた。昨日残った蕎麦だからやはり美味しい。残り物とは言え、贅沢な話なのです。食後のひと眠りはせずに、亭主はテレビで映画を観て、女将のスポーツクラブの予約の時間まで時間をつぶす。定休日も何かと忙しいけれども、リラックスする時間は長いのです。

 映画を見終えてやっと蕎麦屋に出掛けたのが3時過ぎ。大根のなた漬けの仕込みをして、明日の出汁取りの準備をしたら、洗濯機の中の洗濯物を干して、家に持ち帰る物を確認する。4時半には家に戻れば、女将が台所で夕飯の支度をしていた。その間に、亭主は二階に上がって遠く富士山が夕暮れの空に見えるのを眺める。今夜は女将の大好きなすき焼き。仕入れに行ったスーパーで、たまたまブランド牛の肉が安く出ていたのです。すき焼きにはやはり日本酒。

 朝も昼も食後のひと眠りをしなかったせいか、風呂の時間まで書斎で横になってひと眠りする亭主なのでした。ブログを書いて年賀状を仕上げなければならないのだけれど、習慣となった時間の使い方の中に、新しく作業を入れるのはなかなか難しい。遠く離れた親類や友人たちに新年の挨拶を届けたいとは思うものの、気力と体力が衰えているのだろうか。早くから年賀状を買って用意していたのに、もう今年もあと僅かになってしまったのです。



12月28日 水曜日 今年最後の定休日は …


 朝食に何年かぶりで三平汁が出たので、気分を好くして蕎麦屋に出掛ける亭主。青空に映える庭の金柑を見ながら、車に乗り込むのでした。今朝はそれほど寒いとは思わなかった。でも、蕎麦屋の中は6℃で陽の当たらない分、足元から冷えてくるのです。昨日のうちに昆布と干し椎茸を浸しておいた鍋を火にかけて、沸騰直前になるまでに、塩漬けして水の上がった大根を取り出して、砂糖と柚子と唐辛子を加え、甘酒の素を入れてよくかき混ぜる。

 煮立つ直前に鍋に鰹の削り節を入れて火を止める。一番出汁には返しを加えて隣の火口でもう一度火を入れる。こちらも沸かしてはいけないので要注意。一番出汁を取った削り節は昆布と干し椎茸と共に、そのまま5㍑の大鍋に入れて二番出汁を取る。こちらも沸騰直前で追い鰹の削り節を袋半分の40gほど足してやるのです。ここまでほぼ1時間の行程。今朝は出がけに前の職場から記念誌が届いたのから、ちょっとゆっくりしていたので午前中はこれで終わり。

 実はキノコ汁を作ろうと、出汁に沢山のキノコを入れて煮始めたら、鶏肉を家に忘れて来たのに気が付いたのです。仕方がないから鍋のまま冷蔵庫に入れて、昼に間に合うように家に戻るのでした。今日も昼飯は蕎麦と天麩羅。「寒いのに冷たい蕎麦で悪いね」と、普段なら、寒い日には冷たい蕎麦は食べたくないと言う女将に言えば、「お茶を買いにお茶屋さんまで歩いて来たから大丈夫」と応えるのでした。筑前煮も蕎麦豆腐もすべて先週の蕎麦屋の残りもの。

 美味しく蕎麦を食べたら蕎麦湯までしっかり飲んで、食後はひと眠りをせずに、お茶をもらったら椅子にもたれてウトウトとしただけ。女将がスポーツクラブに出掛けたら、年賀状の第一陣を印刷し終えて、郵便局に出しに行きながら、亭主も蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みに入るのでした。ところが、またもや鶏肉を忘れて、結局2時間ほどかけて仕込みを終えたら、また家に取りに戻る。午後は蕎麦豆腐を仕込んで、切り干し大根を煮付け、天麩羅の具材切り。

 年内は残り三日の営業だから、仕入れも少なくしたのですが、使い切るのはなかなか難しい。年明けの5日から営業をするつもりだから、置いておけるものはあらかじめ買っておきました。正月はまだ市場が開いていないので、店に並ぶ食材も結局はその店が年末に仕入れた物だから、蕎麦屋の冷蔵庫に入れておいても同じ事なのです。農産物直売所は地元の店だから、早々早くは開かない。白菜も丸ごと一つ買ったので、年末に漬け込もうと思っているのです。

 午後に2時間の仕込みをして、鶏肉を鶏に一度家に戻ったら、珈琲を入れてひと休み。朝と昼と二度も同じ忘れ物をする自分が情けない。これも老化現象の現れなのでしょう。そもそも仕入れたときに、他の肉類と一緒に家に持ち帰ってしまうのが、最初の躓きなのです。今日は親戚や友人など30枚ほどの年賀状を出したけれど、まだ出していない友人たちには、明日にでも仕上げて出さなければ。切羽詰まってもなかなか日常の生活パターンは帰られない。




12月29日 木曜日 天気も好く気温も上がったけれど …


 6時20分の東の空は、日の出前のほの明るさで、亭主は蕎麦屋に入って暖房を入れる。店の中は6℃と冷たいのです。大釜にも水を張って火を点けて暖を取る。ポットにもIHで湯を沸かし、ほうじ茶をカップ三杯分作っておきます。次ぎに今朝の目的である小鉢の盛り付け。なた漬けと切り干し大根を、今日蕎麦を打つ予定の数だけ盛り付ける。去年は9人のお客があったと女将は言うけれど、このところの来客具合からは、到底、そこまで行きそうにない。 

 いったい何が去年と違うのだろうか。その日ごとの寒暖の差が大きいから、寒く感じるというのはあるような気がする。今日は寒いと感じれば客も外に出ないのです。日の出の時間になったから、外に出て向かいの畑を見れば、真っ白な霜に覆われているではありませんか。車の車外温度も3℃と表示されていた。空は晴れて雲一つないのだけれど、果たして何処まで気温が上がるのか。朝飯の時間に間に合うように家に帰ってストーブに当たる。

 朝食を終えたら満足して今朝はひと眠り。洗面と着替えを済ませたら、居間の椅子に座って、コーヒーを入れて今日の段取りを考える。まずは蕎麦打ち、天麩羅油の缶が空になっているから、新しいものと換えて、ビニール袋に入れて外のゴミ箱に出しておく。薬味の葱を刻んだら、大根と生姜をおろし、野菜サラダの具材を刻み、最後に金柑大福を包む。そこまでイメージトレーニングをしたら、「行って来ま~す」と女将に声を掛けて家を出るのです。

 始めてしまえば身体が覚えているから、何と言うことはないのだけれど、歳を取るに従って年々次の動作が不確かになるのです。だから、いつも次は何をするのだったっけと自問する。厨房での調理は時間内に終わらせなければならないから、常に手際の好さがものを言う。一人用に動きやすいように作ったダブルキッチンも、やっと真価を発揮するのです。それでも膝下の収納を開ける時や、冷蔵庫や蕎麦打ち室に用事がある時には、次の仕事を考えている。

 定休日明けは仕事が沢山あるから、朝飯前のひと仕事をしても、なかなか時間が稼げない。テーブルとカウンターをアルコールで拭いて回る間に、焦げた匂いがすると思ったら、IHにかけておいたキノコ汁が溢れていた。天麩羅油は新しい缶から鍋にあけて、天つゆを温め、天ぷら粉を入れ物に詰めたら、やっと開店の準備が整うのでした。ぴったり11時半なので冷や汗ものなのです。暖簾を出してもすぐお客が来るわけではないのでひと安心。

 昼前に若い男性が一人歩いて来て、カウンターの隅に座って鴨せいろを頼まれる。老いた亭主から見ればどう見ても子供なのだけれど、最近は自分が歳のせいか若い人の年齢が分からない。それでも汁も蕎麦湯も綺麗に飲み干して帰ったから、案外、蕎麦好きの青年なのかも知れないと思った。12時半を過ぎたので、お客も来ないし一服してこようかと思ったら、見慣れた車が勢いよく駐車場に入って、見れば隣町の常連さんで、今週はもう何回目だろう。

 いつもと同じく辛味大根とキノコ付け蕎麦のご注文で、コロナの話題や、新興宗教の話を終えたら、今日はブラジルのジャングルで山賊に追いかけられたという話が面白かった。途中から女将が来てくれたので、聞き役を代わってもらって、やっと奥の部屋で一服する亭主。洗い物も少なかったから、2時前には店を出て、家に戻ったら珍しく二人で隣町のスーパーに年末の買い物に出掛ける。誰も来ない正月用に少量のお節セットを買って、亭主は酢蛸をねだる。



12月30日 金曜日 やはり寒すぎるのか …



 今日も寒い朝でした。午前中は曇りという予報だったけれど、とろこどころに青空が覗いて、薄陽も差しているのです。みずき通りを渡ってバス通りに出れば、西の方は少し青空が多く、午後から晴れるというのも頷けるのでした。向かいの畑では枯れ草を燃やしているらしく、蕎麦屋の方まで煙が漂ってくる。朝のうちだから仕方がないとは思うのですが、炎が見える燃え方になると煙は出なくなるのです。店の中は6℃と寒いから、早速、暖房を入れる。

 蕎麦打ち室を覗けばまだ6℃だから、蕎麦打ちにはちょっと早すぎる。二つの大釜に水を張って火を点けたら、蕎麦汁を徳利に詰めたり、洗濯物を畳んだりしながら、室温が上がるのを待つのです。蕎麦打ち室がやっと10℃を越えたのが9時過ぎで、前掛けをした亭主が蕎麦を打ち始める。加水率はいつもより高く、今朝は45%まで上げたのです。空気が乾いているからか、それでも柔らかすぎずに逆にしっとりとした生地に仕上がったのでした。 

 無理に力を入れなくても、すんなりと菊練りが出来て、蕎麦玉を作ってビニール袋に入れて寝かせておきます。厨房に戻って大根をおろしたら、珈琲を入れてひと休みです。9時半を過ぎたらまた蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を取り出して両手で地伸しをしていく。40cm程の直径に丸く広げたら、今度は伸し棒を使って丸出しに入るのです。やはりこの時期はもう45%の加水で好かったのか、それほど力を入れなくてもスーッと広がってくれるのでした。

 ある程度の柔らかさがあるから、伸しても四隅が綺麗に仕上がるし、畳んで包丁切りをしても、包丁に蕎麦がくっついたりしない。切りべら26本で140g前後の束を八つ取ったら、端切れは出なかったのです。厨房に戻って野菜サラダの具材を刻み始める。今日は時間的に余裕があったので、11時にはもう開店の準備か終わるのです。昨日の失敗を反省して、キノコ汁の鍋は単独で温めて、様子を見ていることに。テーブルを拭いたら暖簾を出していよいよ開店です。

 12時前に年配の二人連れが車でいらっして、蕎麦好きのご夫婦らしくせいろ蕎麦の大盛りと辛味大根にせいろ蕎麦のご注文。盆と皿を用意して、辛味大根を摺りおろし、蕎麦を茹でてお出しするのでした。今日は来るはずでなかった女将が、12時半を過ぎた頃に店にやって来て「家にいても寒いから」と言って前掛けをする。お客は来ないけれども亭主は嬉しくなって、暇な時間を見つけて正月用の鱠(なます)を作り始める。外は相当に気温が低いらしい。

 例年、大晦日前の平日は少しは客が入るのだけれど、以前いらっしていた年配のお客たちは、歳を取ってこの寒さでは家を出ないだろうというのが、二人の意見なのです。そう言えば、今年はお持ち帰り用の蕎麦と天麩羅の予約も数が少ない。宣伝もしなかったけれど、こちらも歳を取ってきているから、無理に沢山の蕎麦を打って仕事を増やすのもどうかと思ったのです。残った蕎麦の具合から、明日は750gを一回打って、持ち帰り用の蕎麦は後で打てばいい。



12月31日 土曜日 無事に一年の蕎麦打ち納め …

 毎日の習慣で朝はやはり5時前には目が覚めてしまう。今朝も寒いという予報だったから、大晦日とは言えどれだけお客が来るのか不安なのでした。それでも準備だけはしておかなければならないから、5時半には家を出て蕎麦屋に向かう亭主なのでした。まだ真っ暗な冬の夜明け前は、寒さで店の中の温度は5℃。たしか今までに一番寒かったのは3℃というのがあった。暖房を入れ、大釜に火を入れて、片付け物をしながら、室温の上がるのを待つのです。

 空の蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めたら、10人分ほどの小鉢を盛り付けて、足らなければあとからまた盛れば好いと、時間があるので白菜の漬け物を仕込むのでした。これは年が明けてからの営業で出す分なのですが、三が日のうちに食べられれば好いかと期待している。漬け物は塩で漬けて水が上がるまで二日はかかるのです。そして漬け直してもう一日。四日目くらいからやっと美味しくなるから、味見が間に合うかな。やっと外が明るくなってきました。

 6時半過ぎに家に戻れば、女将が起き出して雨戸を開けている音が聞こえる。亭主は一人お茶を飲んで一服。「ご飯が出来ました」と女将に呼ばれて食卓に着けば、先日買って帰ったワラサのカマを大根と煮た鰤大根もどきがメインのおかずなのでした。脂ものって結構食べ出があるので美味しかった。大根が新鮮なのか、とても柔らかい。満足して食後にお茶をもらったら、亭主は書斎で横になる。30分ほど眠ったら、洗面と着替えを済ませて家を出る。

 さすがに今朝は寒かったので、毛糸の帽子と手袋を着けて門を出れば、庭の金柑がまた一段と黄色くなっていた。実の大きな金柑のはずだけれど、栄養が回らないのか摘果しないからか、小さな実のままのものもあるのです。空は雲が多かったけれど、ところどころ青空も見えるのが今日の希望。結局、日中は雲って暖かくなることはなかったのです。早朝に暖房をいておいた蕎麦屋はやっと暖まって、蕎麦打ち室も13℃になっていた。

 昨日の晩から思案した挙げ句に、例年のようにはお客は来ないと見込んで、今朝も750g八人分を打ち、昨日残った蕎麦と合わせて久し振りに生舟二箱の蕎麦を用意する。以前なら、いつも二箱を打っていたものだけれど、コロナ禍でお客が少なくなって以来、いつも一箱で足りてしまう。一箱に入る蕎麦の量は、だいたい15束ぐらいで、大晦日で年越しの蕎麦をお持ち帰りの予約があったから、少し多く打っておいたのです。足らなければこちらは打ち足す予定。

 金柑大福を包んで野菜サラダの具材を刻んでいると、11時だというのにもう駐車場に車が入ってきている。女将もまだ早お昼から帰って来ていないし、サラダを盛り付け終わるまでと、しばらく待っていただいた。10分ほどして女将が来たので、店の中に入ってもらってお茶を出す。聞けば、以前、大晦日に来た時には人が一杯だったから、今日は早く来たのだそうな。準備が終わっていれば、早いお客は歓迎するけれど、開店の時刻までは暖簾は出さない。

 いつも早くから入れると思われても間に合わないと困るのです。今日は例年の半分くらいのお客の入りで、やはり、客層が随分と様変わりしているのか。夫婦二人とも鴨せいろの大盛りを頼まれるなど、比較的若いお客が多かった。以前いらっしていた年配のお客はやはりコロナ禍で家を出ないのかも知れないと、女将と話をしていた。今週三日も通って下さった常連のお客は、いつものキノコつけ蕎麦にとろろを付けてのご注文なのでした。

 暖簾を下ろしてから、お持ち帰りのお客の天麩羅を揚げ始める。蕎麦はなんとか今日用意した分だけで足りるのでした。遠くから健康のためだと歩いて取りにいらっした方もいた。洗い物を終えて、亭主が家に車を取りに戻ったら、3時前に女将は一旦家に戻る。夕刻はお袋様を迎えに行って、蕎麦屋で三人で年越し蕎麦を食べるのが、コロナ禍で子供や孫たちが来ない最近の恒例となりました。昼から何も食べていない亭主は、一人大盛りの蕎麦で苦しくなる。