2022年8月初め

8月1日 月曜日 朝の8時から30℃を越える暑さで …

 今朝も4時半から朝飯前のひと仕事に蕎麦屋へ出掛けたけれど、カメラを持って行くのを忘れて、向かいの森の空が真っ赤に染まった美しい朝焼けも、写真に撮れませんでした。カウンターの上の洗い物を片付けて、新しい天つゆを作り、浅漬けを漬け込んだら、洗濯機の中の洗濯物を干して、最後に西の小道の槿の花びらを掃き集めるのでした。家に戻ってもまだ6時半だったから、エアコンを効かせた書斎で20分ほどひと眠りする亭主。

 7時を過ぎたので食堂に行って朝食を食べる。痩せたサンマの開きが焼かれていました。ジャガイモを茹でてバターを塗って食べればご飯が進むのです。朝ドラの終わらないうちに宅急便の配達が来て、受け取りに出た女将が「今朝は外も相当に暑いわよ」と言っていました。今日から8月だと、元気に蕎麦屋に出掛ける亭主でしたが、陽射しの強いのには閉口するのでした。早朝の雲はどこかに消えて、みずき通りも真夏の暑さ。明日は定休日と頑張って歩く。

 今朝も燕の親子がお隣の軒下から、蕎麦屋をめぐって元気に飛び交っていました。よく見ると中に小さな燕が何羽かいるようで、時折、電線に止まって休んでいる様子。やはり、今年は二回産卵したようで、親鳥以外にも身体の大きな燕がいるのは、先に生まれて育った兄弟らしいのです。何とか、カメラの画角の中に収めようと、少し粘ってはみるけれど、スピードが速すぎて、そのうち朝日がジリジリと肌に照りつけるから、エアコンの効いた店内に逃げ込む。

 店内は27℃までしか下がっていないのですが、湿度も下がっているから蕎麦打ちには快適な環境。早速、蕎麦打ち室に入って、今日の蕎麦を打つ。昨日の蕎麦はほとんど売り切れたから、今朝は750g八人分を打つと決めていました。7月の月曜日は、毎週6~8名のお客の数だったから、それ以上の場合は御免なさいと、売切れにしようと考えていました。しかし、混んだ週末の翌日は判らないのです。暑さやコロナの感染者数の増加もあって、読めないのが本音。

 43%の加水率で蕎麦粉を捏ねれば、今朝は幾分生地が柔らかい。少し包丁の刃に蕎麦が絡みつく場面もあったけれど、なんとか凌いで、切りべら26本で135gの蕎麦を八束仕上げるのでした。蕎麦粉の袋にはあと一日分の蕎麦を打つだけしか残りがないから、この定休日には次の蕎麦粉を注文しなければならない。天婦羅の具材の海老も今週は頼まなければならないし、天婦羅油も来週にはなくなる。明日の仕入れもあるから、今日の売り上げ如何で持ち出しになる。

 そんなことを考えながら、蕎麦を打ち終えて厨房に戻り、早朝に漬けておいた浅漬けを取り出して小鉢に盛り付ける。揚げび浸しもあるから、蕎麦の数だけ小鉢が出来れば好いという計算。定休日前は、出来るだけ食材を残したくないと言うのが正直なところなのです。野菜サラダも今週は毎日のように随分と残ったけれど、メニューに出しているからには、ある程度用意しておかなければならないのです。昨日も夜になってから、辛味大根を捜しに出かけた。

 月曜日には常連さんが来て辛味大根を頼まれることが多いので、駅前のショッピングモールに出掛けたけれど、そこにはなくて、隣の小さな八百屋に辛味大根のコーナーがあったので助かった。一昨日も西の街のスーパーでたまに出ていることがあるからと、他の買い物がてら出かけてみたけれど置いていなかった。ネットや蕎麦粉の農場で頼めばすぐに手に入るのだけれど、送料が入ると倍の値段になる。ミニ菜園が機能していればこんな苦労はないのですが。

 開店の準備が整って、10分前だったけれど車が駐車場に入って来たので、待っていましたとばかりに、暖簾を出して「営業中」の看板を掲げたのです。母と娘らしい女性二人お客が店に入られて、しばらくメニューを眺めてから、せいろ蕎麦と天せいろのご注文。盆と蕎麦皿に蕎麦猪口、薬味の皿と蕎麦汁、小鉢を用意してから、天婦羅を揚げる。蕎麦を二人分茹でたら盛り付けて配膳。次のお客が来ても慌てないように、しっかりと練習のつもりでお出しする。

 ところが今日は珍しく後が続かないのです。ゆっくりと食べて帰られたお客がいなくなって、後片付けと洗い物を済ませたら、ぽつねんと椅子に座って次のお客を待ち続ける亭主。そういえば辛味大根の常連さんは金曜日に来たばかり。1時を過ぎたのでかき揚げを揚げて賄い蕎麦をぶっかけで食べておく。それでもお客は来ないから、残った天婦羅の具材をすべて揚げて、家に持ち帰る準備を始める亭主。夜は残った食材を消化しながら一献なのです。

8月2日 火曜日 佐倉も午後は38℃になるとの予報 で…

 定休日の今朝は朝飯前のひと仕事には出掛けずに、冷蔵庫の中が空になったから、残り物で質素に朝食を済ませるのでした。食後のひと眠りもせずに、女将の朝ドラの時間に亭主は前の通りに脚立を持ち出して、お隣の家との境に伸びた紫陽花の剪定に取りかかる。雪柳や連翹の伸びた枝に蔦がからまって、鬱蒼とした状態なのでした。お隣の奥様も出て来て「助かるわぁ」と水撒きを始める。朝日陽の差す前でないと、暑くて仕事が出来ないのです。

 蕎麦屋に寄ってエアコンのスイッチを入れて、お袋様を迎えに行けば、「今日は朝から暑いねぇ」と言って車に乗り込むのです。農産物直売所に着けば、ナスやキュウリなどの夏野菜が沢山並んでいる。「天麩羅にするならこの大きさが好いよ」と農家の親父様が、まだ値札を貼っていないナスの袋を持って来てくれた。知り合いの農家の親父様に「冬瓜とナスをもらったよ」と挨拶をすれば、オクラの袋を抱えてお袋様に渡していた。有り難いことなのです。

 隣町のスーパーに足を伸ばせば、朝から凄い暑さのせいか、今朝はお客が少ないのでした。小葱以外は新鮮な野菜がすべて揃って、店に帰って買って来た野菜を冷蔵庫にしまうのにひと苦労。昨日の洗い物もまだ片付けていないのです。20℃の設定で冷房を入れていているのに、店の中の温度は29℃。外は相当に暑くなっているらしい。野菜籠に入りきれない野菜は、上の冷蔵室に並べて、すぐに使うものは取り出しやすいように見える場所に入れておく。

 カウンターに干した盆や皿を片付け、洗濯物を干し終えたら、もう11時近くになっていたから、家に戻って昼食の支度を始めるのでした。亭主は鍋にお湯を沸かして昨日残った蕎麦を茹で、女将は亭主が昨日揚げて帰った天麩羅をグリルで焼くのです。家で茹でる蕎麦は、どうしても鍋の大きさが蕎麦屋とは違うので、水で洗うにしても狭い場所でボールと笊に入れるから、仕上がりが違ってくる。氷で締めないから綠色だけれど、食感はやはり今ひとつなのです。

 それでも天麩羅もカリッとして立派な天せいろだから、贅沢な昼食なのです。最後に蕎麦を茹でた鍋から蕎麦湯を蕎麦猪口に取って啜るのがまた格別。女将には一人前130gの蕎麦ではちょっと多いので、いつも100gほどにして盛り付けてやる。その分、亭主が余計に食べられるから嬉しいのだけれど、食べ終えてみるとやはりまだ物足りない。スルスルスルッと食べるのが早いから「満腹中枢がまだ働かないのよ」と女将に言われる。

 居間で食休みをすれば、女将がお茶を入れて持って来てくれる。ついでに二週間後のスポーツクラブの予約をして欲しいと、彼女のスマホと記録するノートを置いていくのです。2時5分が予約開始の時刻だから、今日はまだ何も仕込みをしていなかったので、彼女のスマホをポケットに入れて、まずは酒屋に出掛けて焼酎と炭酸を買って蕎麦屋に行く。時間通りにスマホを操作して予約を済ませたら、朝のうちに準備しておいた出汁を取って蕎麦汁を作るのです。

 3時過ぎには仕込みは終わったけれど、エアコンを効かせた蕎麦屋は34℃より室温が下がらないので、首にアイスノンを巻きながらも、次の仕込みに入る元気がなかった。午前中に手に入らなかった小葱を買いに、橋を渡って団地の中のスーパーに行こうと、車に乗り込めば、駐車場の日影に停めておいた車の車外温度計は、なんと45℃を表示しているではありませんか。外は確かに体温よりも暑いのです。アイスノンを首に巻いたまま、マスクも忘れて店内へ。

 明日が定休日のスーパーには、野菜も残り少なくなっていたけれど、無事に小葱を手に入れたついでに、上手そうな冷凍銀ダラを買って、だいぶ陽の傾いた中央通りを家路につくのでした。女将は稽古場でまだ頑張っている。亭主は昨日残ったハラミの串刺しと茹でたジャガイモをグリルで焼いて、一足先に晩酌を始める。やっと女将が台所に現れたところで、野菜サラダとかき揚げの具材の残りでカレー炒めを作る。二人が同じ事を考えていたから不思議です。

8月3日 水曜日 暑い暑いとばかりは言っていられずに …

 夕べは暑くて何度も汗をかいて目が覚めたけれど、エアコンのタイマーを30分にセットしてまた眠る亭主。夜中27℃より下がらなかったらしいから、熱帯夜もいいところなのです。5時半にはすっかり目覚めて、コーヒーを入れて一服したら、蕎麦屋に出掛けて朝飯前のひと仕事。昨日は家の庭木の剪定をしたから、今朝は蕎麦屋の駐車場のヤマボウシとモミジの剪定をしようと、車に脚立を積み込んで出掛けて行ったのです。6時前だというのに陽射しが強い。

 突き出た枝を手の届くところは剪定ばさみで切り、脚立を使ってもう少し上まで切っていく。落ちたら危ないからと、次は高枝鋏を伸ばして上に飛び出た枝を切り落とす。朝の散歩の奥様が挨拶をして通りすぎる。90㍑のビニール袋に切った枝を詰めていくと、ちょうど満杯になる分量で、亭主も少し疲れてきた。袋を運ぼうとチェーンポールのチェーンをまたいだつもりが、足が引っかかって歩道に転んでしまった。通りがかりの車が止まって「大丈夫ですか」

 朝食の時に女将にこの話をすれば「ぼうっとしてると危ない年齢なのよ」とたしなめられた。身体の感覚が鈍くなってくるのです。車を運転していても、時々、注意が散漫なことがある。気をつけないと高齢者の事故になりかねないから、いつも通り慣れた道で蕎麦屋に向かうのです。午前中に切り干し大根の煮物と揚げ浸しと、小鉢二種類を仕上げて、冷蔵庫で冷やしておいた蕎麦汁を徳利に詰める。洗い物を終わらせればもう11時なのでした。

 店のエアコンを最強にして運転しても、厨房の温度は29℃までしか下がらない。外はうだるような暑さなのでした。車のエアコンを入れて家まで帰れば、玄関まで歩くのも暑いのです。「昼は何を食べようか」と女将に聞けば、まだキャベツが二玉も残っていると言うから、亭主が台所に立って回鍋肉を作り、女将がレタスと若布のスープを作ってくれた。甜麺醤を入れて本格的に味つけをしたのは好かったけれど、香りが強すぎて好きではないと女将が言う。

 世界に誇る中華料理も、子どもの頃から食べつけない女将には縁遠い料理らしいのです。そう言えば、昔、隣町にあった中華料理屋で食べた回鍋肉は、もっと甘くて優しい味だったかも知れない。日本人向けに工夫をして出していたのでしょうか。我が家でも豆板醤も辛いからとあまり好かれないから、砂糖を入れて甘めに仕上げる必要があるのです。午後は整形外科にひと月振りに出掛け、血液検査をして尿酸値を計ってもらう。少しは薬の効果があるのかな。

 そのまま蕎麦屋に行って、午後の仕込みをする亭主。蕎麦豆腐と明日のデザートを作ったら、天麩羅の具材を切り分けて、お新香を漬け込む。その間に、業者が天麩羅油と海老と稚鮎を持って来るのでした。油も海老も値上がりしたばかりだから、明日は蕎麦粉が届くけれど、果たして支払いが間に合うかどうか。家に戻れば、女将がコロナの感染者数がまた増えていると大騒ぎ。世の中の人は自分たちとはかなり違う感覚らしいと二人でニュースを見るのでした。

8月4日 木曜日 未明から激しい雨と雷の音で …

 朝まだ暗い時分でした。ドドーンという雷鳴と共にザーッと激しい雨の音で目が覚めたのです。夕べ蕎麦屋で漬けたお新香を取り出さなくてはならないし、小鉢も盛り付けなければと、コーヒーを一杯飲んでから5時半過ぎに、雨の降る中を車に乗り込む亭主。これでは今日は開店休業だろうなぁと、昨日作った揚げ浸しも少なめに盛り付けて、6時過ぎにはもう家に戻るのでした。することもないから、また床の中に横になって夢の続きを見るのでした。

 珍しく女将が「ご飯ですよ」と起こしに来てくれた。いつになく涼しい朝だったから、ぐっすりと寝込んでしまったらしいのです。食堂に行けば定番の和食のメニュー。まずは豚汁で身体を温める。蕎麦屋で大根が残ると家に持ち帰って来るのだけれど、夏場の豚汁も馬鹿に出来ないのです。若い頃は暑い夏にはなんでも冷たい物を欲しがったものですが、最近は女将の出す暖かな料理が嬉しい。鰺の干物も小さなもので十分なのです。

 今日は車で出掛けようかなと言っていたのに、雨が上がったらしく、涼しい朝の風の中を、蕎麦屋までゆっくりと歩いて行くのでした。隣のお花畑もやっと小さなひまわりが咲き出して、これからが見物だろうと楽しみになる。耕すのも種を蒔くのも大変だろうに、よく続けてくれるのです。蕎麦屋に来るお客様が「素敵ですね」と言う姿が今から目に浮かぶようです。雨の上がっているうちに、西の小径に散ったムクゲの花を掃き集めておく。

 幟を立てて看板を出し、チェーンポールを降ろしたら、手指をよく洗って今日の蕎麦打ちに入るのです。いつも定休日明けの木曜日は、沢山お客が来たらどうしようかと多少の躊躇いがあるけれど、今日はこの天気ではあまり期待できないと、750g八人分をしっかりと打つのです。加水率はいつもと同じ43%でしたが、湿度が高い分だけちょっと柔らかめ。心が落ち着いているからか、今朝は打ち下ろす包丁の運びも軽く、140g前後の蕎麦の束を生舟に並べました。

 雨は降ったり止んだりで、空は暗いままでした。小鳥たちの姿も見えずに、亭主は一人厨房に帰るのです。蕎麦玉を寝かせている間に、薬味の葱も刻んだし、大根も生姜もすり下ろしておいたから、まずはブロッコリーとアスパラを茹でて、レタスの葉をちぎり、キャベツを三皿分だけ刻んでしまいます。お客が来なければ野菜サラダも出るはずもないのですが、アーリーレッドとパプリカをスライスして、ニンジンのジュリエンヌ。今日は綺麗に切れました。

 キュウリとトマトとパイナップルを載せて、最後にブロッコリーとアスパラを添えて今朝の仕込みは完了です。時計はまだ11時前。新しい天麩羅油を鍋に注いで、作っておいた天つゆをレンジに乗せたら、ちょうど大釜の湯が沸いて、蕎麦湯の器を温めるポットと、蕎麦茶用の四つのポットに入れて行く。後は店の掃除をするだけ。開店までに早朝を含めて4時間の準備をして、2時間半の営業は、考えたら割に合うものではないかも知れない。

 それでも毎日飽きずに続けられるのは、やはり好きだからなのでしょうか。お客に趣味の蕎麦屋だと言われても、最近では笑って済ませることが出来るようになったのです。店内は換気のために窓を開けていても、今日は27℃より上がらない。外はだいぶ涼しいのです。1時前になってもお客の姿がなかったので、下ろしたての天麩羅油でかき揚げを揚げて、月曜日に打った蕎麦を茹でて賄い蕎麦を食べておく。木曜日のヨーガのなくなった女将が来てくれた。 

 何かすることはないかと言うけれど、お客が来ていないから昨日の洗濯物を畳むことぐらいしか仕事はないのです。亭主は奥の座敷に入って一服させてもらう。やっと陽が差してきたらしく、障子に映る蔦の影が素敵でした。ラストオーダーの時間の1時45分になったところで、暖簾と幟と看板をしまい、チェーンポールを上げて、大釜の掃除に取りかかるのです。女将は天麩羅のパッドを洗い、亭主の昼飯の後片付けをしてくれる。2時前には店を出るのでした。

 家に戻れば、雨の降っていた朝には撮れなかったアオイの写真をじっくりと撮っておく。ピンクのアオイも何時の間にか交配したのか、花の芯の方がモミジアオイの真紅になっているから不思議なのです。まだ蕾もあるから、当分は楽しめそうで嬉しい。珍しくエアコンを入れない居間で、女将の切ってくれた桃を食べる亭主。書斎に入って今日の写真のデータをパソコンに取り込んだら、ひと眠りするのでした。お客が来なくても7時間の労働は疲れるのです。

8月5日 金曜日 今日も涼しい一日で …

 女将の稽古場に置いてあるプルメリアの花がまだ咲いている。7月の初めからだから、ひと月近くも次々と咲き続けているのです。部屋に立ちこめる香りが好いと、炎天下の外には出さずにおいたのが好かったのでしょうか。常夏の島では大きな木になるのに、植木鉢に植えられて本来の姿ではないのが、ちょっと可哀想な気もするけれど、30cmほどのただの棒切れがここまで育ったことを考えると、生命力の素晴らしさを感じないではいられないのです。

 朝食を終えて朝ドラが終わる時間に家を出て、みずき通りを渡れば、陽が出ていないからか風は涼しいのでした。先日、農家のお兄さんが、草刈りをして耕したばかりの向かいの畑には、もう青々とした雑草が伸び広がっている。やはり、作物を植えていないと、手入れが行き届かないのでしょう。蕎麦屋のすぐ前の親父様の畑は、しょっちゅうトラクターを走らせているから、黒い土が綺麗に見えているのでした。蕎麦屋のミニ菜園もまったく同じことが言える。

 今日は昨日の蕎麦が生舟に一杯残っていたので、蕎麦の様子を確認して今朝は蕎麦を打たないと決める。昨日と同じように暑くならないという予報だったし、コロナの感染者数もあまり減っていないから、今日もお客は期待できないと思ったのです。それでも野菜サラダはいつもの平日のように三皿盛り付けて、準備は万端で開店の時刻を待つ亭主。そろそろ暖簾を出そうかと思っていたところに、ガス屋さんが来て一酸化炭素の検知器の交換だと言う。

 ブザーが鳴ったら直ぐに電話をするという仕組みで、随分と親切なことだと感心する。亭のガスレンジは年老いた時のことを考え、一般の家庭用のレンジを向かい合わせて二つ入れているから、空だきや鍋の温度が高くなり過ぎても自動で火が止まる仕組み。厨房の天井にはガス漏れの検知器も設置してあるし、このコロナの時期には常時窓を開けているから、まずは心配がないでしょう。二重三重に安全を確保して、蕎麦屋の営業をしているから安心です。

 隣のお花畑のひまわりも、昨日よりは咲いている花の数が少し増えたのです。道路を挟んで向かいの畑も同じ農家の畑で、やはりひまわりの種を蒔いたらしく、全部が咲いたら圧巻だろうと今から楽しみにしているのです。昼を過ぎてもお客はなくて、賄いの蕎麦を茹でてさあ食べようかと思ったところに、駐車場に車が入ってきたから、汁は入れずにラップをかけて冷蔵庫にしまった。きっと食べる頃にはコンビニのざる蕎麦状態になっている。

 奥のテーブルに座ったご夫婦のこ注文はヘルシーランチセット。サラダは作って直ぐに冷蔵庫に入れてあるから、「まずはサラダを召し上がっていてください」と、ドレッシングと共にお出しする。蕎麦豆腐をお出しして、天麩羅を揚げないから出すのに時間はかからない。「今日は奥様はいないのですか」と聞かれて、彼女の来てくれるのは週末だけだと応える亭主。以前にもいらっしたお客なのだろうかと思いながらも、蕎麦湯とデザートまでお出しする。

 家に帰って女将がスポーツクラブから戻る前に、蕎麦粉の支払いに郵便局まで車で出掛ける亭主。銀行でお金を下ろしたついでに、いつもの酒屋まで車を走らせる。女将の帰ったところで、このお客の話をすれば、いつも休みの日に来てくれていた方ではないかと、好く覚えているから凄い。雪の降った日にもいらっしたのだとか。厨房で調理をする亭主は、元来、話をしてもあまりお客の顔を見ていないのかも知れない。物忘れが激しいのでなければ好いけれど。