2022年7月下旬

7月20日 水曜日 あまりにも熱い日 …

 朝から青空の覗いたのが嬉しくて、6時過ぎには家を出て蕎麦屋に出掛けたのですが、朝の陽射しがもう熱いのです。まずは西の小径に散った木槿の花を掃き集めて、厨房に戻って出汁を取る準備をするのです。昨日の洗い物を片付けたら、昨日作って冷蔵庫で冷やした揚げ浸しをタッパに詰めて、家にも味見のために少し持ち帰ります。7時を過ぎて家に戻れば、女将も定休日だからと少しゆっくりで、亭主は家の前の通りに散ったムクゲの花も掃き集める。

 食後にお茶を入れてもらって、ひと眠りをせずに朝ドラの終わる時間に、床屋に行こうと車を走らせるのでした。開店時刻に着けるかと思ったら、一足違いで車で送られてきた老人に先を越された。「午後からまた来ましょうか」と言えば、長男がまだ出掛けていなかったからと、髭だけ剃ってくれるのでした。久し振りに会ったお兄さんも随分と歳を取っていた。近くに自分の理髪店を開業してもう30年になるのだとか。亭主は40年も親父様の店に通っている。

 大リーグのオールスター戦を店のテレビで見ながら、前のお客が終わった親父様に頭を刈ってもらって、再び蕎麦屋に出掛けるのです。朝飯前に仕込んでおいた抹茶小豆が固まっていたから、小豆を載せて完成。後は、朝のうちに準備をしておいた出汁を取って、蕎麦汁を仕込むだけ。これが午前中の亭主の忙しい日程なのでした。外はギラギラと暑い太陽が照りつけて、車の車外温度は37℃にもなっていた。蕎麦屋の中はエアコンを効かせても28℃が精一杯。

 亭主は首に凍ったアイスノンを巻き付けて、全身に流れる血を冷やしている。今日は35℃まで気温が上がるというから、まったく異常な暑さなのです。出汁を取って蕎麦汁を仕込むまでに、小一時間はかかるから、のんびりとラテン音楽を聞きながらリラックスする亭主。する事があって幸いなのか、道楽の蕎麦屋といえども、週に七日を楽しませてくれる。久し振りの青い空は、熱すぎてちょっと馴染めない。沖縄の青い海が懐かしく思い出されるのです。

 家に戻れば、女将が昼食の支度をしてくれて、後は亭主が新蕎麦を茹でるだけ。二日続けて新蕎麦を食べるのも贅沢だけれど、三連休の最後の日にお客があまり来なかったから、随分と蕎麦が余ったのです。タンパク質が足りないからと、女将が高野豆腐を煮て小鉢を一品増やしてくれた。亭主は薄緑色の蕎麦湯を飲んで腹の足しにしたけれど、それでも物足りないから、二人で食後に冷えた西瓜を食べる。食後は書斎に入って横になったら直ぐ眠りに落ちた。

 1時間ほど眠ったら、女将はもうスポーツクラブに出掛けていました。冷蔵庫で冷えたプラムを囓って目を覚ます亭主。居間の室温は31℃、慌ててエアコンを入れて風で涼むのでした。3時前には家を出て、蕎麦屋で午後の仕込みを開始するのです。昨日、草刈りを終えた東側のミニ菜園は、それなりに綺麗になっていた。後は屋根より高くなった月桂樹を剪定して、南側のミニ菜園の草刈りをしなければならない。一気には行かないところが歯痒いところ。

 午前中の洗い物を片付けて、蕎麦豆腐を仕込み、天麩羅の具材を切り分け、4時を過ぎたら、冷蔵庫から糠床を取りだして、胡瓜と茄子と蕪を漬けておきます。今日使った道具を洗って、まな板を消毒したら、布巾類を洗濯して、午後の仕込みは終了なのです。明日はどれだけ蕎麦を打てば好いのか、この時点で考えている亭主。木曜日のお客の数は、今月は7人止まりだから、750g八人分を打てば足りるだろうかと、記憶にとどめておくのです。

 家に戻れば、女将が相撲中継を観ながら「またコロナの感染で部屋ごと休場なのですって」と最新のニュースを伝えてくれる。晩のおかずには、亭主が韮とモヤシと肉の炒め物を亭主が作り、女将は鴨肉の残りと葱を焼いておかずにする。夜は風呂から上がって、焼売を作る仕事が残っていた。玉葱を刻んで片栗粉をまぶし、生姜を刻んで、挽肉を入れて卵と酒と胡麻油、醤油、塩、オイスターソースを加えて、少し小振りの焼売を20個ほど包んで冷凍する。

7月21日 木曜日 晴れたのに蒸し暑い一日で …

 6時前に蕎麦屋に出掛けようと玄関を出たら、庭のモミジアオイが咲き出していたので、写真に撮っておいた。昔、職場の用務員さんから種を頂いて庭に植えたら、以前は随分と沢山咲いていたのですが、10年以上も経って手入れもしないから、今はこの花だけになってしまいました。眠そうに花びらを広げている姿が、なんとも美しいのです。雲は出ているけれど陽は差して、朝からむっとする暑さなのが堪らない。亭主は本当に湿気に弱いのです。

 蕎麦屋に着いたら、まずは糠床を冷蔵庫から取り出して、夕べ漬けた夏の野菜類を切り分ける。知り合いの農家で作っている中長ナスは、結構大きいので食べ出がある。今回はキュウリの大きい物がなかったから、ナスが目立ってしまうのでした。小鉢に盛り付け、冷蔵庫に収納したら、今度は昨日作った蕎麦汁を空の蕎麦徳利に詰めていきます。あまり早くに徳利に詰めると、徳利を洗うときに蕎麦汁の色が底に付いてなかなか取れないのです。

 まだ7時前だったから、西の小径に散ったムクゲの花びらを掃き集めて、家に戻っても、また、通りに落ちたムクゲを掃く亭主。女将は早くから台所に入っている様子なのでした。今朝のおかずは蕎麦屋で残った三ツ葉に厚揚げを入れて卵とじ。すりおろした山芋とお新香。いつものことながら、食べ終えるとどっと汗が噴き出してくるのです。朝から食堂も28℃を越えているから、今日も相当に暑くなるに違いない。八人分だけで蕎麦が足りるだろうか。

 そんなことを考えながら、少し早めに蕎麦屋に出掛ければ、玄関脇のツツジの枝に絡まった昼顔が、花を咲かせていました。放っておくとあちらこちらに伸びてしまう雑草だけれど、花の咲く間はそっとしておいてあげよう。看板を出してチェーンポールを降ろしたら、幟を立てる。春の新蕎麦の幟もあるから、当分は二本立ててひと目を惹くのも好いかも知れない。店の中は早朝からエアコンを入れておいたから、爽やかな高原の涼しさなのでした。

 蕎麦打ち室の温度は25℃、湿度は45%と活動しやすい環境なのですが、亭主が入って蕎麦粉を捏ね始めると室温は27℃まで上がる。やっと適切な加水率を掴んだので、最近は、41%の加水で、蕎麦粉を捏ねている。硬過ぎず、柔らか過ぎずにしっとりとした生地に仕上がるのです。蕎麦玉にして寝かせている間に厨房に戻り、大根や生姜をおろして、葱切りを済ませたらひと休み。一旦、椅子に座ってしまうと、なかなか立ち上がるのが億劫になるのです。

 何時の間にか、厨房の温度計も27℃になっているから、外気温度が上がってきたらしい。平屋の建物だから、外の温度が直ぐに建物の中に影響するのです。換気のために窓を少し開けると、いくら冷やしても28℃よりは下がらない。蕎麦打ち室に戻って蕎麦玉を伸していけば、ちょうどいい柔らかさなのだけれど、伸し棒にはかなり力を入れるのです。これでまた汗が噴き出る。無事に八人分の蕎麦を取り、生舟に入れて冷蔵庫に収納しておく。

 厨房に戻って野菜サラダの具材を刻み、平日だから今日は三皿だけ盛り付けておきます。大釜に火を入れて、天麩羅鍋に油を注ぎ、天つゆの鍋を冷蔵庫から出してコンロにかける。店の掃除を終えたら、開店の準備は終了。最初のお客が来るまでは、緊張した面持ちで待つ亭主。昼過ぎに、以前いらっした三人連れのお客がやって来て「先日はどうも有り難うございました」と、畑で採れたらしいトウモロコシや野菜を持って来てくれました。

 書を書く親父様で、女将が使わなくなった二八の大きな紙を、家まで取りに行って沢山もらってくれたと聞いている。展覧会にでも出品しない限り、使わない大きさなのです。注文の蕎麦を出し終える頃に、ご近所らしい老人がいらっして、先日食べた海老とインゲンの天麩羅が美味しかったから、またお願いしますと言ってせいろ蕎麦を頼まれる。帰りがけに、ここの蕎麦は開業当初に比べたら、格段に美味しくなっていると褒めてくれたのでした。

7月22日 金曜日 今日は朝から気温が高くて …

 夕べは10時に床に就いたのに、夜中に汗をかいて目が覚めてしまう。エアコンのタイマーを30分にセットして、再び心地よく朝まで眠ったのは好かったけれど、寝る前に見ていたテレビ映画が影響したのか、自分が結婚する頃の、実に不思議な夢を見て目が覚めた。居間の部屋に行けば朝から28℃もあるから、今日は外気が暑いのだろうとエアコンを入れて涼むのでした。今朝もコーヒーを一杯飲んで、蕎麦屋に出掛ける亭主。外はむっとする暑さなのでした。

 今朝は大した仕事もないだろうと、西側の小径に散ったムクゲの花を掃き集めていたら、早朝の散歩に出掛ける母と娘らしき二人が「木槿の花が素敵ですね」と挨拶をする。今日の分のほうじ茶を沸かして、小鉢を盛り付けたら、残ったお新香を持って家に戻るのでした。7時前だから、まだ女将は朝食の支度をしていた。亭主はもう一度玄関を出て、通りに落ちたムクゲの花を掃き集めるのです。昨日の蕎麦が二束だけ残っていたので、今朝も八人分を打つ予定。

 朝食を食べ終えて書斎で少し横になるけれど、夕べは十分に眠ったから眠ることは出来なかったのです。それにつけても朝から暑い日なのでした。薄陽が差してはいるけれど、雲は多く、蕎麦屋に着いても暑さがあまりにも酷いので、幟を出してチェーンポールを降ろしたら、駐車場に水を撒いて植え込みの木々にも久し振りの水遣りです。きっと、湿度もかなり高いのでしょう。からりと晴れない今年の夏は、もどり梅雨を引きずりながら続くのでした。

 隣の家の軒下から、大きな親燕が飛び出したかと思ったら、小さな子燕が四羽続けて空に舞い上がる。まだ体力がないのかそのうち三羽はすぐに電線に止まって休んでいるらしい。とっくに子ども達は飛び立ったかと思っていたら、最近は、まだ巣の中に親燕が戻っていくから、二回目の産卵だったのかも知れない。蕎麦打ち室に入って亭主は今朝の蕎麦を打つ。暑いからお客が来るかも知れないけれど、この天気では果たしてどうなのだろうと気になるのです。

 今日も加水率は41%強で打ったのだけれど、四つ出しを終えて四隅の角が上手く出ないのが気にかかる。もう少し水を増やして生地を柔らかめにして、しっかりと四隅を整えた方が、畳んで包丁打ちをするのには都合が好いのです。加水率43%というのが、蕎麦打ちの定番なのですが、季節によってこれでは柔らかすぎることもあるから、苦労をするのです。明日は42%台で打ってみようかと考えながら、750g 八人分の蕎麦の束を作って生舟に入れる。

 野菜サラダの具材を刻み、三皿分を盛り付け、天麩羅鍋に油を注ぎ、新しい天つゆを作って開店の準備をする。暖簾は出したけれど昼になってもお客は来ない。12時半近くにやっとお客が入ったかと思えば、それからが今日は大変でした。1時間近くの間に8人のお客が入れ替わりいらっしたから、さすがの亭主も『次のお客が来たらどうしよう』と内心不安なのでした。幸いにも、おろし蕎麦やぶっかけ蕎麦、とろろ蕎麦という注文が多く、手早く出せたのです。

 自転車でいらっした最後のカップルだけがリピーターで天せいろのご注文。今日はご新規のお客がほとんどだったのです。厨房はすでに30℃を越えて亭主は汗だく。1時半に最後のお客が帰って、やっと賄い蕎麦を茹でるのでした。半分だけ洗い物を済ませたところで、昼飯を食べてしばしの休憩です。西の小径の窓の下には生まれて間もない雀の子ども達が集まって、何やら話をしているらしい。今日は女将は手伝いに来ないから、3時半になってやっと帰宅。

 平日に思わぬ数のお客が来たので、蕎麦汁を入れた徳利もほとんど空になり、小鉢も出尽くしたのです。家に戻ってひと眠りしたところで、大相撲を見るのも諦めて、夕刻にまた蕎麦屋に出掛け、明日の準備をするのでした。厨房は32℃もあったから、首にアイスノンを巻きながら、蕎麦汁を補充して小鉢を盛り付ける。明日は今日よりも晴れて暑くなると言うから、蕎麦は二回を打たなければならないでしょう。今日は汗をかいたから、体重が随分と減っていた。

7月23日 土曜日 朝から陽射しがジリジリと … 

 朝飯前のひと仕事を終えて蕎麦屋から戻れば、まだ朝食の支度が出来ていないので、前の通りに落ちたムクゲの花を掃き集めに出る亭主。今朝は綺麗な青空が広がっていましたが、陽射しは強く、道路の家の影になる部分を伝わって、蕎麦屋まで行くしかない。朝食を食べ終えて、朝ドラの始まる前に出掛ければ、まだ日影の部分も長くて幾分かは涼しいのです。蕎麦は、昨日ほとんど売り切れたので、今日は二回蕎麦を打たなければならなかった。

 みずき通りまで出ると、この先は、東側の森の手前に畑が広がっているから、もう陽射しを遮るものがないのです。早朝にエアコンを入れてきたから、涼しくなっているはずの蕎麦屋に急ぐだけ。百日紅の花が歩道に突き出すように咲いていたから、写真を撮らせてもらったら、その家の小母さんが「朝から暑いわねぇ」と、玄関脇から挨拶をするものだから、ちょっと立ち話。朝からこんなに暑いとは、昼の暑さが思いやられるのです。

 やっと蕎麦屋に着いて玄関を開ければ、爽やかな高原の朝が広がって、生き返るようなのでした。蕎麦打ち室の扉を閉めたままだったから、「しまった!」と開けて見れば、なんと33℃もあるではありませんか。狭い蕎麦打ち室には、蕎麦粉や天ぷら粉などと酒類を冷やす冷蔵庫が二台も入れてあるので、朝日の当たるのと相俟って相当に暑くなるのです。厨房に置いた温度計は25℃まで下がっているのでした。幟と看板を出してチェーンポールを降ろしに出る。

 ひと休みしてしまう前にと、まだ暑い蕎麦打ち室に入り、二回分の蕎麦粉を計量して、蕎麦玉まで作っておく。一旦休んでしまうとなかなか動き出せないのが、最近の亭主の傾向なのを、自分でもよく判っているのです。やっと店の冷気が入り込んで、30℃まで下がった蕎麦打ち室で、蕎麦粉を捏ねればもう汗が噴き出してくる。慌ててレックレスのアイスノンを、冷凍室から取りだして首に巻くのでした。今朝は42%の加水で捏ねたら、ちょうど好い柔らかさ。

 丸出し、四つ出しを終えれば、昨日よりも四隅の角がしっかりと出ていました。生地が硬すぎると、これがなかなか難しいのです。八つに畳んで包丁切りをしても、蕎麦が包丁の刃にくっつくほどではなかったのが好かった。これを二回繰り返し、今日は昨日の残った蕎麦と合わせて、15食の蕎麦を用意しました。これだけあれば、大盛りが出ても、何とか間に合うだろうと思えるのでした。暑すぎる日にはお客が少ないと女将が言うから、半信半疑で厨房に戻る。

 野菜サラダの具材を刻んで、週末だからと今日は四皿盛り付けておく。開店の準備が終わって、大釜の湯も沸いていたから、10分前に暖簾を出せば、直ぐに年配のご夫婦が車でいらっして「まだ早いけれど、大丈夫?」とテーブル席に着くのでした。天せいろとヘルシーランチセットのご注文でしたが、天麩羅の付くBセットはちょっと多いかも知れませんよと亭主が言って、せいろ蕎麦のAせットを頼まれる。全部出し終える前に、次のお客がいらっしゃる。

 歩いていらっしたのは、最近、よく見えるお客さんで、今日はお友だちと待ち合わせていたらしかった。ビールと天麩羅の盛り合わせ二皿を頼まれて、女将が酒を運んでいる間に、亭主は天麩羅を仕上げるのでした。酒が進むにつれてハラミの串焼き4本を追加でご注文です。昨日、仕込んだばかりの串焼きが出てホットする亭主。男性二人の割には、随分と話が弾んで、最後にせいろ蕎麦を頼まれて終わりかと思えば、まだ話が終わらない。女将が片付けに入る。

 1時を過ぎていたから、これで今日は終わりなのかと思ったら、ご家族連れが車でいらっして、遅いお昼を頼まれた。子ども達はせいろ蕎麦、ご夫婦は天せいろで、先にせいろを出して、後から天麩羅を揚げてお出しするのでした。蕎麦を食べ終えたお子様達にはカルピスとバームクーヘンのサービスです。洗い物は半分終えていたから、今日は早めに片付けが終わる。亭主が揚げ玉を載せてぶっかけで賄い蕎麦を食べて、その間に女将が洗い物を片付けてくれる。

 暑い最中を家に戻れば、居間の部屋は33℃もあった。さすがに熱くて堪らないから、ひと休みする前に女将の剥いてくれた桃を食べたら、店と家のティッシュやアルコール消毒液を買いに出る。お客が出すのが万札ばかりで、釣り銭がなくなったから、ついでに両替をしてくるのでした。エアコンの効いた書斎でひと眠りしたら、蕎麦屋に出掛けて、明日の仕込みです。女将も買い物に出て、釣り銭を作ってきてくれた。夜はまた残ったサラダでお好み焼きでした。

7月24日 日曜日 こんな田舎でも第七派の影響が出てきたか …

 午前6時前、蕎麦屋の向かいの畑では、もう親父様が仕事を始めている。太陽は森の上に昇っているのだけれど、雲に覆われて薄陽が差すだけなのです。西の小径に散ったムクゲの花を掃き集めて、店のゴミ箱に捨てに行く亭主。エアコンのスイッチを入れて、カウンターに乾した昨日の洗い物を片付ける。珍しく売れた豚のハラミを串に刺して補充したら、小鉢も切り干し大根の煮物を足して、今日のお客に備えるのでした。日曜日だからどれだけお客が来るか。

 家に戻って台所に立った女将の支度の具合を見計らって、亭主は家の前の通りに散ったムクゲの花を掃き集める。今まではこれも女将に任せっきりだったのに、蕎麦屋でムクゲを掃くようになって、あまり苦ではなくなったから不思議。これも生活習慣というものかしら。お互いに歳を取っていろいろと手が回らなくなるから、出来る範囲で助け合うのがいいのかも知れない。食堂に入って小鉢を盛り付けたり、出来上がったおかずを食卓に並べるのも同じです。

 今朝は食後にお茶を一杯もらったら、書斎で横になって10分ほど眠ったのだろうか。洗面と着替えを済ませて、9時少し前に家を出るのでした。陽は差しているのだけれど、雲は多く、晴れるのだか曇るのだか判らない空模様。日中は33℃まで気温が上がると言うから、昨日ほどではなくてもかなり暑い陽気のようです。蕎麦屋の厨房はエアコンを入れておいたから、25℃と爽やかな涼しさ。蕎麦打ち室も今日は扉を開けてあったから、26℃まで下がっていた。

 昨日の蕎麦が生舟に半分ほど残っていたから、今朝は750g八人分を打って15人分の蕎麦を用意する予定。加水率を42%で蕎麦粉を捏ね始めれば、絶妙な湿り気で生地は思うように伸していける。丸出しも綺麗な正円に仕上がり、四つ出しも角がしっかりと取れるのでした。これを伸し広げて、八つに畳んだら、切りべら26本で135gの蕎麦の束を八つ取って蕎麦打ちは終了。仕上がりが綺麗だと、打った後の気持ちもさっぱりと、次の仕事に取りかかれるのです。

 野菜サラダも四皿盛り付けたけれど、店の中も28℃になってきたから、早めに冷蔵庫に入れるのでした。厨房は30℃までは直ぐに上がってしまう。亭主は首にアイスノンを巻いて、全身を流れる血を冷やしている。暖簾を出して間もなく、女将の友人がやって来て、天麩羅と蕎麦を持ち帰りたいと珍しく急ぐ様子。時間を置くと蕎麦は伸びてしまうと念を押して、容器に入れて蕎麦徳利や薬味まで持たせるのでした。何でも娘さんが来て昼に食べさせるのだとか。

 ところが今日は、それきりお客は来ずに、女将と二人で暇をもてあますのでした。連日、コロナの感染者数が過去最高を記録して、市内でも連日100人を超える感染者数なので、そろそろ気をつけなければと皆が思うようになったのかも知れない。日曜日にお客が来ないと言うのは、今までないことなのでした。二人の関心事は夕刻からの大相撲の千秋楽で、新聞をよく読んでいる女将は、最近の相撲事情にやたらと詳しい。コロナで休場の力士も多いのだとか。

 片付ける物もあまりなく、早めに家に帰って亭主はエアコンを入れた書斎でひと眠り。夕刻になって女将は買い物に出掛け、起き出した亭主は、相撲を見ながら酒のつまみを作って早くから一献。野菜サラダが四皿分も残ったから、亭主は夕飯に冷やし中華を作って食べる。女将が帰って一緒に相撲を見ながら、お互いの贔屓の力士を応援するのでした。本来はスポーツの嫌いな女将だったのに、最近では亭主よりも詳しいから、話を聞いていて楽しいのです。

7月25日 月曜日 昨日とはうって変わって満員御礼 …

 夜中に何度も暑くて目を覚ましたけれど、エアコンの30分でオフのタイマーを入れてまた眠りに就いた亭主。5時前に居間に行けば思ったよりも涼しい。窓を開け放って風を入れれば、エアコンなど必要のないくらいなのでした。昨日はお客がなかったので、今朝は片付けるものもないけれど、あまり時間が早いので、コーヒーを一杯飲んだら蕎麦屋に出掛ける。やることは何もないから、ムクゲの散った花を掃いていたら、ゴミを出しに西の小径の階段を下りる近所の奥様に「いつも早いですね」と挨拶をされるのでした。

 それでも天麩羅のパッドにキッチンペーパーを敷いたり、大釜の水を張ったり、洗濯物を畳んだり干したりと、細々とした仕事をこなして家に戻って、通りに散った木槿の花を掃いておくのです。まだ7時前だから、女将は起き出したばかりで、亭主の帰った音を聞きつけて台所に入るけれど、急がしてはいけないと箸を並べたり、小鉢を盛り付けたりしながら、味噌汁とご飯の焚けるのを待つのです。彼女は彼女で亭主が眠たいのだろうと急ぐから有り難い。

 今日は蕎麦打ちがない分、ゆっくりで好いのにとは思うけれど、食後のひと眠りで1時間ほど休めたので、気持ちの好い朝なのでした。玄関を出れば朝日を浴びたムクゲの花が、今朝の青空に映えている。明日が定休日だと言う安堵感も手伝ってか、平日の月曜日だからあまりお客も来ないだろうと、すっかり気が緩んでいる亭主。蕎麦屋に着いても、蕎麦打ちのない分、時間をもてあますばかりなのです。忙しいのに慣れているから、ゆっくりした時間が怖い。

 野菜サラダの具材を刻んでも、まだちょっと早すぎる。その分、丁寧にキャベツやニンジンを刻んで、今日は三皿だけ盛り付けておきました。天麩羅鍋の油や天つゆを所定の位置に置き、大釜の湯が沸いたらポットに入れて準備は万端。店の掃除を簡単に済ませ、早めに暖簾を出してお客を待つのです。昼過ぎに近所の仲好し三人組が、自転車を停めてご来店。月に一度ぐらいのペースで彼女たちは来てくれるので有り難いのです。ヘルシーランチセットのご注文。

 サラダと蕎麦豆腐、天せいろにデザートは、お年寄りには多いように思えるけれど、いつも同じご注文で、ゆっくりと間食されるから元気なのです。その間に他のお客も入って、店は俄に忙しくなるから大変。テーブル席に三人ずつと、カウンターに二人入ったところで、表の看板を準備中に換える。亭主一人だから、とても対応できないのです。おまけにビールや酒の肴を頼まれて、嬉しいけれど後のお客に少しずつ、待ってもらうしかないのです。

 全部の注文を出し終えた頃には、もう天麩羅の具材も切れて、小鉢もなくなってきたから、売りきれの看板を出してひと息つくのでした。まだ1時過ぎなのに、亭主の感覚では8人が限度。それでもお客が来れば、大釜の湯は沸いているから、新しく天麩羅の具材を切り分けて、蕎麦のあるだけ対応するつもりなのですが、幸いにも今日はこれで終わりでした。間が空いていればどうと言うことはないのですが、1時間で8人はちょっと辛いのです。

 お客が皆帰った後で、暖簾と幟をしまったら、亭主はかき揚げを揚げてぶっかけで蕎麦を食べる。厨房の気温計は31℃を差しているのです。十分に食休みをとったら、もう動きたくないから、後片付けがしんどいのでした。それでも、首にアイスノンを巻いて、冷蔵庫に入れる物は先に片付け、大釜を洗い、少しずつ盆や皿を運んでは洗い、拭いては片付け、その繰り返しを延々と続けるのです。今日は深川青磁の天麩羅皿や魯山釜の蕎麦猪口がすべて出尽くした。

 二時間近く経っても片付けは終わらないから、洗い籠の中身はそのままにして、家に帰ることにする。あまり亭主の帰りが遅いからと、心配になった女将が蕎麦屋に向かうのに途中で出会う。午後の暑さで、もう何もする気力がなかったけれど、家に食べるものもなかったので、女将と二人で隣町のスーパーに出かける。魚や肉と果物を買い求め、夕食には土用の鰻を買って、二日遅れで食べるのでした。鮪の好きな女将は一人鰻重を作って食べていた。