2022年5月中旬

5月15日 日曜日 昨日よりは気温が低かったけれど …

 朝食のおかずに出汁巻き卵を作って欲しいと言われて、店に残っていた一番出汁を取りに出掛けたのが6時過ぎ。週の終わりになると、蕎麦屋の残り物が出ることを見越して、女将は食料庫品の買い物をしなくなるのです。仕方がないから亭主は、銅の卵焼き鍋も一緒に持ち帰って、出汁巻き卵を作るのでした。しかし、しばらく使っていなかったから、油が直ぐに馴染まなくて、ちょっと上手く仕上がらなかった。味は好いのだけれど、見てくれが悪いのです。

 今朝も食後のひと眠りはせずに、8時にはもう家を出て蕎麦屋に向かうのです。とりわけすることがあるわけでもないけれど、日曜日はテレビもニュース番組がなく、亭主の居場所がないのでした。曇り空で少し肌寒いから、上着を着て出掛ければ、駐車場の美央柳がもう花芽を付けていました。モミジの青い葉の間には、赤いプロペラのような種が付いて、風に吹かれて飛ぶ準備を始めているのです。自然の営みはまさに種の保存の法則に則っている。

 新聞を取って、看板を出し、幟を立て、チェーンポールを降ろし終えたら、入念に手指を石鹸で洗って、蕎麦打ち室に入るのです。今日も500g5人分を打ち足して、14食の用意をするつもりなのでした。気温も低いし、昨日に引き続き曇り空が広がって、お客が来るとは思えなかったけれど、「日曜日を馬鹿にしてはいけない」と言うのが、過去の経験から学んだ亭主の戒め。加水率を42%弱にして丁寧に蕎麦を打つのでした。切りべら26本で135g。

 かなり満足な仕上がりだったから、「よ~しっ」と今朝も大きな声を上げて蕎麦打ち台の片付けに入るのです。女将がやって来て店の掃除を始めてくれる。「昨日よりもすこし寒いのね」と言いながら、駐車場の草が伸びているのを「店屋らしくない」とこぼすのでしたが、亭主は先日の金木犀の剪定で、足の親指がまた悪化したので、しばらくは我慢するしかない。屈んで作業をするとどうしても足の親指に力が入ってしまうと、医者にも指摘されたのです。

 厨房に戻って大根をおろし、苺大福を包んで、天気は悪いけれど日曜日だからと、野菜サラダの具材を刻み、四皿に盛り付けておきます。これが出なければ、家に持ち帰って、今夜はまたお好み焼きにでもするしかないのですが、そんなことを考えるのもまた楽しいものなのです。苺の時期がそろそろ終わるので、次のデザートは何にしようかとこの間から考えている。抹茶を買ってあるから抹茶小豆にでもしようか。白餡はもう仕入れなくてもいいだろう。

 農産物直売所で仕入れる旬の野菜のブロッコリーやアスパラは、とても好いものなのだけれど、これも時期が来れば替えていかなくてはならない。天麩羅に使う蓮根も新蓮根が出るまで、このまま値段の高い物を使うのだろうか。今週はパイナップルが甘くて美味しいものを選んだので、野菜サラダはとても作り甲斐があるのです。今日も思ったより沢山のお客が入って10人を越えたから、デザートの苺大福も野菜サラダもすべて売り切れたのでした。

 開店と同時に最初にご来店だったのは、すっかり常連さんになった隣町のご夫婦で、ご主人は相も変わらずカレーうどんと大福をご注文。奥様が鴨南蛮だったりすると、カレーと鴨肉との解凍で一つしかない電子レンジが大忙しになるけれど、今日はおろし蕎麦で助かったのです。駐車場には次々と車が入ったり出たりするから、三組目が店に入ったところで、直ぐに満席の看板を出す。
 鴨せいろやカレーうどんの大盛りまで出るから、調理場の亭主は楽しくなる。セットメニューは、女将が野菜サラダや蕎麦豆腐を出している間に、亭主が盆や蕎麦皿をセットして蕎麦を茹でるので、連係プレーでこなすのが絶妙なのです。歩いていらっしてビールやライムサワーを頼むご夫婦もいらっした。何人のお客が入ったのかそのうち判らなくなるのです。勿論、亭主は昼を食べる暇もない。

 やはり昨日よりも少し寒いからか、カレーうどんを始めとして暖かい蕎麦が沢山出たのです。店の中の気温は23℃まで上がっていたけれど、暖かい日に慣れた身体は少しの気温の変化にも、敏感に反応するらしい。温かい汁の蕎麦やうどんは、洗う時に丼だけで済むので、作る時の手間と相反して片付けが楽なのです。亭主が今日は温かい汁が出そうだと、朝のうちに鍋をもう一つ仕込んでおいたのは正解でした。洗い物と片付けを済ませて2時半には蕎麦屋を出られました。隣の花畑のシロツメクサも今が盛り。

 右足の親指をかばいながら歩く亭主は、女将よりもだいぶ後から家に着く。その間に女将は、亭主の昼飯代わりにと、餅を焼いて海苔で包んでくれる。テレビの番組はスポーツか競馬中継だから、餅を食べ終わった亭主は書斎に入って、今日の売り上げと写真をパソコンに入力するのです。3時過ぎには横になってひと眠り。女将はその間に買い物に出掛ける。夕食には亭主が先週の残ったキャベツとニンジン、玉葱を肉とを蓋をして炒めてホイゴーロウ。塩と砂糖とコショウで味つけをして、片栗粉を水で溶いて入れるのがコツ。

 5月16日 月曜日 冷たい雨が降りしきる中を …

 夕べは早く休んだから、今朝は5時前にはもう目が覚めてしまいました。これは単に生活習慣の問題で、歳を取ったから早く起きるのではなくて、夜遅くまで起きている必要がなくなったから、早く寝て早くに目が覚めるのでしょう。睡眠時間をしっかりと確保することは健康にも繋がるし、朝飯前のひと仕事に出掛ければ、次の蕎麦屋での仕事が楽になるのです。自分の生活に合わせて、時間を上手く使えるようになったということなのかも知れません。

 雨の中を車で出掛け、蕎麦屋に着いたら、まずは珈琲を入れて一服しながら、今日の段取りをつらつらと考える。そして、蕗と蓮根のキンピラを盛り付けたら、キュウリとカブとナスとラディッシュの浅漬けを漬けておく。八鉢もあれば十分だろうと、残ったキンピラは家に持って帰る。平日の月曜日は特にお客も少ないから、まして一日中降ると言う今日の冷たい雨の中を、わざわざ蕎麦を食べに来るお客はいないと思ったのです。

 6時40分には家に戻って、女将が起き出してくる前に、ル・クルーゼの鍋に新じゃがの子芋を入れて、水から茹で始める。20分はかかるから、その間に出汁巻き卵を焼く準備を調えておくのです。女将が台所に入る頃には、炊飯器のご飯も炊きあがり、ご飯をよそって味噌汁とお新香を出すのは彼女の仕事。今朝のタンパク質は、卵と味噌汁の豆腐だけだったかとちょっと反省する。でも、これで十分におなかが一杯になってしまうのです。

 食後にお茶をもらって、亭主は書斎に入ってひと眠り。20分ほど微睡んだら、朝ドラの始まる前に洗面と着替えを済ませ、女将が食堂でテレビに見入っている間に、居間で静かに外を眺めて一服するのがいつもの習慣。朝ドラが終わる時間に「行って来ま~す」と、玄関を出れば、団扇サボテンの花芽がびっしりと付いているから、元気になるのです。冷たい雨は止まないので、今日は平日だし、お客も来ないだろうからと、車に乗って蕎麦屋に向かうのでした。

 駐車場の一番端に車を停めて、今朝漬けておいた浅漬けを小鉢に盛り付ける。万が一、足らない場合を考えて、残った浅漬けをタッパに入れておく。昨日の沢山の洗い物と洗濯物は、早朝に片付けてあるから、蕎麦打ち室に入って、蕎麦を打つのが実にスムーズ。今朝は、500g を打ち足して、昨日の残りの蕎麦と合わせて11食分を用意しておきました。毎週のことですが、月曜日はお客は来ても二人か三人で、この雨だから今日はどうなることか。

 それでもいつものとおりに、葱切り、大根おろし、生姜おろしを済ませて、苺大福を四皿包み、野菜サラダの具材を刻んで三皿分盛り付けておくのです。女将がいない平日は、その後に店の掃除を始めるから、11時にはここまでの仕事を終えておくのです。開店時刻の10分前には暖簾を出せたから、今日は順調なのでした。カウンターの端の席に座って、降り続く雨を眺めていたら、昼前に軽トラックが入って来たので、有り難いお客と出迎える準備をする。

 仕事の途中らしい男性客お二人だったから、いきなり天せいろの大盛り二つのご注文で、厨房の亭主は俄に活気づくのです。まずは盆と蕎麦皿、天麩羅の皿と天つゆの器と蕎麦猪口、薬味皿を用意して、冷蔵庫から刻み葱、おろした大根、山葵におろした生姜を取り出して皿に盛る。それから油を温めておいた天麩羅を揚げて、温めておいた天つゆを器に注ぎ、天麩羅を皿に盛り付けたら、直ぐに蕎麦を茹でるのです。素早く、丁寧に盛り付けたらできあがり。

 「お待ちどうさまでした」と配膳をして、あとは蕎麦湯を作るだけ。その間に、車が二台でやって来て、小さな一台は路肩に止めて親子らしい三人連れがご来店。なかなか注文が決まらないから、その間に前のお客の会計を済ませ、テーブルを片付けておきます。下げた盆や皿の洗い物を半分終えた頃に、やっと決まったご注文は三人とも違ったメニューで、温かい天麩羅蕎麦とぶっかけ蕎麦にせいろ蕎麦の大盛り。せいろ蕎麦が一番簡単だからと真っ先に出す。

 天麩羅を揚げて温かい汁を温めて、蕎麦を茹でたら水で洗って、一度氷で締めてからお湯を掛け、水気をよく切ったら丼に入れる。熱々の蕎麦汁を掛けて、その間に天麩羅を揚げて、二つ同時に完成です。その作業の間に、雨の中を例の少年が、今日も傘も差さずに蕎麦屋にやって来る。「ちょっと待ってね」と声を掛けて、配膳をする。休む間もないので、亭主一人だと同じ時間ではこの人数が限界か。と、思っている間に、また一組お客が入ってくるのでした。
 大盛りの注文が多かったから、生舟の蕎麦は残り少ない。急いで「お蕎麦売り切れ」の看板を出したのが1時過ぎ。1時間余りで8人のお客が入ったから、平日の一人営業では過去最高なのでした。例の少年は、大盛りにしてあげた蕎麦を食べ終わり、カルピスと菓子を食べて会計を済ませる。「気をつけて帰ってよ」と言って、釣り銭を渡しながら亭主が言う。「お孫さんですか?」と、お客の奥様が言うから、「お客さんです」と応えて事情を話すのでした。

 お客の帰ったのは2時少し前。暖簾を下ろして、看板を締まったら幟は外に干して、まずは腹ごしらえと、かき揚げを揚げながら、端切れを集めた蕎麦を茹でて、ぶっかけ蕎麦をゆっくりと堪能するのでした。洗い物はほとんど済んでいないから、それからが大変。女将には「今日は雨だし車で行くから来なくてもいいよ」と言ってあるし、孤立無援で八人分の盆や蕎麦皿、丼などを休み休み洗っては片付けるのです。持ち帰る食材を袋に詰めて、やっと家に戻ったのが3時半近く。夜の食事の時間までぐっすりと眠ってしまう。

5月17日 火曜日 今日も降ったり止んだりの空模様で …

 何だか梅雨のような陽気が続く今日この頃、居間の部屋が16℃だったから、朝からストーブを点けて冷えた身体を温める。6時のニュースを見ている途中で、車に乗って蕎麦屋に出掛けました。昨日の洗い物の後片付けもまだ終わっていなかったから、結構、大変なのです。亭主が孤立無援で力尽きたという印象が強かった。一つずつ片付けていかないと終わりようのない仕事だから、気長にやっていくしかないのです。洗濯機に残った洗濯物を干して、乾いて取り込んだものはカウンターに置いたままで家に戻るのでした。

 今日は第三火曜日だから、月に一度の町内の子ども会の廃品回収の日。蕎麦屋で出た段ボールや新聞紙も車に積んで、家の近くの集積所に持って行く。地域の子ども達のために、少しでも役立ててもらえれば好いと思うのです。7時前だったから、女将はまだ台所に立っていなかったけれど、亭主は昨日残って持ち帰った天麩羅の具材に、肉を入れて野菜炒めを作っておくのです。片栗粉を水で溶いてとろみを付けるのがポイントで、女将が味噌ダレを作る。

 炊き込みご飯に豆腐と若布の味噌汁が付いて、塩を足したと言うぬか漬けの漬け物が出たところで、やっと今朝の食事が始まりました。定休日だと言うのに、我が家の朝食の時間はいつもと変わらない。平日だから女将の朝ドラの時間までに、食事は終わらないといけない。亭主がお袋様と仕入に出かける前に、食後のひと眠りをすることも考えてくれているらしいのです。いつもと変わらぬ生活習慣が身体にも好いのかも知れないけれど、ゆっくりと休みたい。

 お袋様を車に乗せて農産物直売所に出掛ければ、そろそろ終わりかと思っていた野蕗の束がまだ売られていました。農家で採れる春キャベツや、ハウス物のナスやピーマンやブロッコリー、ニンジンなどもここで買って、店で仕入れる質の好い生椎茸やアスパラガスも買うものだから、最近は随分と金額が増える。それから隣町のスーパーに行って、残りの野菜や女将に頼まれた果物や魚や肉を買って、蕎麦屋に戻ったのが10時過ぎ。昼前に出来る仕事は限られる。

 まずは、鍋に水を入れて、出汁取りの準備に干し椎茸と昆布を浸しておきます。それから野蕗を塩で板ずりして、大釜に沸かしておいた湯で茹でること約2分。水にさらして一本一本丁寧に皮を剥いていくのです。これに時間がかかるから、昼飯の用意もあるのでざく切りにしてタッパに入れたら、レンコンを茹でて、ニンジンの皮を剥いて蓮切りにしたものと一緒に、これもタッパに入れて冷蔵庫で保存する。後は昼飯を終えてからの仕込みなのです。

 女将も買い物から帰っていたから、家に買って帰った品物を手渡し、亭主は書斎に入って、仕入れの伝票をパソコンに入力する。家の食料として買って来たものは、しっかりと女将から代金をもらうのでした。一回の仕入れでかかる費用は、コロナ禍の後は一万円以下に抑えるようにしている。足らなければまた買い足せば好いと考えて、仕入れを減らしているのです。それでも、毎週のように食材が余るので、やはり、お客の数は減っている。

 昨日の野菜サラダが三皿分も残っていたから、刻んだキャベツやニンジン、アーリレッド、パプリカだけは、別にして取っておくのです。これを肉を敷いてお好み焼きの生地を焼いた上に載せて、蓋をしてしばらく焼いたらひっくり返す。野菜の側も焼けたところで皿にストンと返したところで、モッツァレラチーズを掛けて、あとはお好みで生姜、青海苔、鰹節を掛けて頂くのです。女将はソースを掛けて食べている。子どもの頃によく食べたのだとか。

 午後の仕込みは女将のスポーツクラブの予約を終えてから。それまで、2時間はあるから亭主は書斎に入ってひと眠りなのです。女将は稽古場に入って黙々と仕事をする。無事にスポーツクラブの予約が取れて、女将に報告をすればお茶と昨日残った苺大福と林檎が出てくる。やっと目を覚ました亭主は、雨の降る中をまた車で蕎麦屋に向かうのでした。出汁を取って約1時間。洗い物を終えて、洗濯物を畳んだら、もう4時過ぎなのでした。

 夕食は、午前中に隣町のスーパーで仕入れた活きの好い大きな鰯を、刺身にしてもらって一献です。6匹で104円とあまりにも安いので直ぐになくなるから、今日は店員が棚に並べる前にもらって来たのでした。一日経つともう刺身では食べられない。痛風の対策でもあるけれど、肉はバラ肉ではなくロースにして、魚を多めに仕入れてきたのです。それにしても、夜まで雨は降り続き、まるで梅雨入りのような天気でしたが、明日からは晴れると言うから楽しみ。

5月18日 水曜日 朝は濃い霧に覆われて …

 霧の深い朝でした。午前6時の太陽は、蕎麦屋の向かいにある森の上に、ぼうっと光を投げかけているだけで、あたりは霞んで何も見えないのです。定休日の二日目だから、早朝からあまりすることもなかったけれど、いつもの習慣で車で蕎麦屋まで行く。家でテレビのニュースを見ていても、どうせ朝食の時間にはまた同じニュースを見ることになる。夕べも早くから床に就いたから、睡眠は十分なのです。珈琲を入れて飲んで、頭はすっきりとしているのです。

 蕎麦豆腐を仕込んで型に入れたら、唐辛子を輪切りにしてごま油で炒める。昨日、切っておいた材料をフライパンに入れて出汁で煮る。薄口の出汁醤油と砂糖で味付けをしたら、蓋をしてしばらく火にかけておくのです。これで小鉢一品の出来上がり。後は午前中の仕込みで切り干し大根でも煮ようか。家に戻れば、女将がいつもより早い時間なのに台所に立っていました。「後は鰯が焼ければ終わりです」と言って、味噌汁とご飯をよそってくれた。

 食後にお茶をもらったら、女将の朝ドラが始まる時間まで書斎で横になってひと眠り。これもいつもと同じだから、洗面と着替えを済ませて、8時半前には家を出て再び蕎麦屋に出掛ける。いつもと同じなのがストレスがないのか、お蔭で隠居の蕎麦屋は退屈しないで済むのが、好いのか悪いのか。隣のお花畑に陽が差してきたので少し歩いて、駅前の高層マンションが見えるところで写真を撮る。青空が見えないからか、くすんだ景色になってしまった。

 厨房に入って、まずは空の蕎麦徳利に蕎麦汁を詰める作業。まな板を取り出して、ニンジン、シイタケ、揚げを刻み、ごま油で炒めたら、お湯で戻した切り干し大根を入れて出汁で煮る。味付けは出汁醤油と砂糖。早朝に作ったキンピラと、作り方はあまり違わないけれど、キンピラはピリ辛で汁がないから、大人向けのひと品で、酒のつまみにも合う。切り干し大根は甘めで、綠がないので色合いが寂しいから、絹さやを茹でて添えることにした。

 次は天麩羅の具材を準備するのですが、レンコンの皮を剥いて酢水から煮ている間に、カボチャをスライスしてレンジに掛ける。それから、生椎茸、ピーマン、ナスを切って容器に詰め、ラップをして冷蔵庫に入れておく。ナスが酸化して少し種が黒くなるのが嫌だけれど、当日、その場で切っている暇はないのです。後はかき揚げの材料の玉葱と三ツ葉を刻んで、これもラップをして冷蔵庫に入れます。ニンジンは、野菜サラダのジュリエンヌの端切れを使う。

 ここまで終われば、糠床にキュウリとナスとカブとラディッシュを漬けるだけだから、時間的にまだ早いのです。今日は午後から、足の指の具合を医者に見てもらいに行くので、その帰りにでも漬けに来れば好い。例によって11時半には女将のスポーツクラブの予約があるから、それまでに昼飯の支度をして、食べ終えたらパソコンの前でスタンバイしていなければならない。太陽が眩しくなってきたので、隣の畑に出て矢車草の写真を撮っておくのでした。

 キャベツが沢山残っていたから、今日の昼飯は焼きうどんにしようかと、朝のうちに女将と話をしておいた。ところが、何枚もキャベツの葉を使ったのに、肉と一緒に炒めているうちにシュンとなって、大きめに刻んだ新玉葱ばかりが目立ってしまう。紅生姜と青海苔を掛けて食べるのは、ソース味だし、まるでお好み焼きと一緒だった。それでも無事に昼食を終えて、ちょうど11時20分。亭主は書斎に入って、壁の時計の秒針を見ながら予約の時を待つのでした。

 午後はゆっくりと昼寝をして、女将がスポーツクラブに出掛けている間に、医者に出掛けて足の具合を見てもらった。指の軟骨が変形しているから腫れが引かないのですと言われて、無理をして夜の防犯パトロールに出掛けたのがいけなかったと反省する。それでも今日から少し薬が変わって、尿酸を溶かす薬を出してもらえた。発作の起きている間は出せない薬なのだという。長く付き合う病気だからと、亭主も諦めて煙草と焼酎を買って家に帰るのでした。

5月19日 木曜日 昼前にどどどっと客が入って …

 今朝も5時半には蕎麦屋に出掛けました。昨日の夕刻に漬けたお新香が気になっていたのです。ナスの色止めも上手く仕上がって、味もちょうど好い感じでした。野蕗とレンコンのキンピラと、切り干し大根も盛り付けて、三種類の小鉢を準備しました。店の窓からは眩しい朝の光が差し込んで、日の出の時間がひと頃よりずっと早くなっているのだと実感するのでした。空は雲一つなく晴れ渡り、今日は昨日にも増して暑くなりそうなのです。

 家に戻ったら、まだ6時半過ぎだったので、亭主は書斎に入ってしばらく横になる。朝の気温はまだ17℃ほどだったから、少し寒いと感じるくらいなのです。30分ほど微睡んだところで、「ご飯の用意が出来ましたよ」と女将が起こしに来てくれた。ホッケの塩焼きが脂が乗って薄味でちょうどいいおかずなのです。三ツ葉の卵とじもなかなか好い。茹でたカブの葉には、鰹節と醤油をかけて食べるのですが、どうも梅干しが欲しいと思うのは通風のせいか。

 食後のひと眠りは食休みの替わり。洗面所に立って髭を剃る亭主なのです。顔を洗って着替えをすれば、もう、出掛けるモード。朝ドラが終わる時間には「行って来ま~す」「はい、行ってらっしゃい」といつもの挨拶を交わすのでした。右足の親指をかばいながらゆっくりと、みずき通りを渡っていきます。青い空とハナミズキの青葉が、初夏の到来を告げているかのようです。薄手のポロシャツ一枚でも、今日は暑いくらい。腕まくりをして蕎麦屋まで歩く。

 店内の気温は朝からもう20℃を越えていました。朝の仕事を終えたら、蕎麦打ち室に入って蕎麦を打てば、蕎麦打ち室の温度計はもう23℃を表示しているのです。湿度が55%だったから、加水を42%ぴったりにしたのだけれど、生地を捏ねて幾うちに少し柔らかめなのに気が付いた。伸して畳んで包丁切りをすれば、やはり柔らかめの生地なので、切り幅が安定しないから失敗だった。慎重に包丁を降ろして、切りべら26本で135gの蕎麦を何とか仕上げるのです。

 蕎麦打ちを終えても、まだ時間が早かったから、次の作業に入る前に、汚れたレンジ周りの掃除をしておきます。時間があれば掃除をすることが一番の仕事。とは思っているけれど、いろいろと汚れているところが多いので、気が遠くなりそう。せめてレンジ周りぐらいは毎日綺麗にしておこうという考えなのです。大根と生姜をおろして、薬味の葱を刻めば、二つの大釜に火を入れる時間。小鍋に白玉粉と氷糖蜜、水を計量して求肥を作る準備をする。

 苺大福を作る準備には、ます苺を蔕の部分を切って白餡で包んでおきます。白玉粉が溶けてきたところで、火にかけて練っていきます。熱々の求肥を掌に伸ばして、白餡で包んだ苺をくるんでいくのが、気温が上がってきたせいか、本当に熱くて手で持っていられない。片栗粉の中に降ろして尻を閉じる。皿に盛り付けたら、ブロッコリーとアスパラガスを冷蔵庫から取り出して茹でる準備です。野菜サラダも30分はかかるから、その間に大釜のお湯が沸く。

 終わったところで新しい油を天麩羅鍋に注ぎ、天つゆの鍋を火にかけておく。そして、テーブルやカウンターをアルコールで拭いていくのです。開店の時刻の10分前には暖簾を出して、今日のお客を待つのでしたが、11時半ぴったりに最初のお客がご来店。お茶を出して注文の品を調理する間に、もう次のお客がやって来る。あれよあれよと席が埋まって、お茶を出す間もないくらい。幸い、全員が天せいろのご注文だから、次々と盆や皿を並べて仕上げていく。

 今日はスポーツクラブの予約が取れなかったので、女将が家にいるのを知っていたから、SOSの電話を掛ける。昼食を終えたばかりらしかったけれど、急いで蕎麦屋に来てくれた。亭主は注文の伝票も書く間がなかったし、会計をしてテーブルを片付ける暇もない。平日に30分で四組ものお客が入るのは珍しいのです。最後の若い女性客には随分と待って頂いたから、苺大福をサービスでお出ししたのでした。いろいろ話をして「また来ますね」と言って帰られた。

 二週間後の金曜日のスポーツクラブの予約を取ろうと、女将はアカウントを登録してあるスマホを持って蕎麦屋にやって来ていた。1時半が予約開始の時間だったけれど、ちょうどお客がいなかったので、亭主は例によって予約画面と睨めっこで、一番で好い場所を取る早技をこなす。彼女が自分で予約を出来るようになるのはいつのことなのだろう。そのちょっとが難しい。洗い物を片付け、食べ損なった昼を、餅を焼いてもらって食べたのは2時半でした。