10月10日 金曜日 秋らしい晴天の昼の涼しさで…
夜の10時台に床に入って、朝は4時台に目覚めるという生活が続いています。朝方が冷えるというので、長袖のジャージを着て眠ったら、朝はそれでもまだ寒いくらいでした。今日の朝飯前のひと仕事は、燃やせるゴミの袋を4つ集積場まで運んだら、向こうの家に行って土鍋やらすき焼き鍋やらを持ち帰ってくることでした。朝食はたまにはお魚を休みにして、大根とツナ缶の煮付けとじゃことピーマンの小鉢に、出汁焼き卵とブロッコリーとトマトのひと皿。

天気予報の通りに青空が広がって爽やかな朝になりました。駐車場のキンモクセイが開けた窓から居間の中にまで薫るのです。向かいのサツマイモ農園の倉庫と事務所の建設がいよいよ動き出して、今日は足場を組む作業が行われていました。その向こうにあるコスモスの畑が見えなくなるのが少し寂しいけれど、若い人たちが新しい事を始めるのは素晴らしいと、眉を細めて見守っています。ドジャース対フィリーズの試合が始まって、しばしテレビに釘付け。

昼の用意をする前に、昨日の間に伐採した月桂樹の木を少し細かく切ってやろうと、チェンソーを抱えて南の庭に出る。30分ほどかけて短い枝に切り分けたら、あとは業者に任せるつもりなのです。今日は動いても少しも暑くないから、外の作業をするにはちょうど好いのでした。手を洗って厨房に入り、玉葱、人参、オクラ、シメジ、ニラを冷蔵庫から取り出して、昼はカレー炒飯にすることにしました。カレー粉と塩だけの味つけでスープにはワカメも入れた。

昼食を終えても一向に眠くならないので、向こうの家から持って来た水道の分岐栓を取り付ける作業を始めました。何十年も前に昔の家のウッドデッキを作った際には、ステンレスの流しを付けて水道そのものを漬け替えたものですが、今となってはもう面倒で出来ないから、蛇口に分岐栓を付けて水を撒くホースを取り付けるのです。恰好は悪いけれど、これで水撒きと普通の水道として使えるので、便利なのです。外で作業をしていたら蚊に食われて大変。

女将がスポーツクラブから帰って来たら、亭主は煙草を買いがてら、向こうの家に行って庭で使っていたフェンスと植木鉢を持ってくる。昔の蕎麦屋の外観を少しだけ変えて、一般の住居だと判るようにしたいという願いから、アルミのフェンスを張り巡らせたのです。季節になったら蔓の伸びる植物を植えて、少しは見てくれをよくしたいという思いからなのでした。この時間でもまだ蚊に刺されて痒い痒い。蚊も元気になる季節なのでしょうか。

今日はLINEで高校時代の友人達で作る会の連絡が来た。蕎麦屋の注文以外にはほとんど使った事がないので、どうやって返信したら好いのかも判らない。時代の流れと没交渉なのも好いような悪いような。蕎麦屋を開業した時には皆で来てくれたから、なんとか参加したいとは思うのですが、明日は一日中雨だと言うから、少しやり方を研究してみよう。他に家の中で出来ることは、本棚の整理や捨てる物の分別ぐらいしかないのです。まだまだ片付かない。

10月11日 土曜日 朝から寒く、冷たい雨が降って…
今朝は今季で一番寒かった。居間の部屋も暖房を入れて、温かい蕎麦茶を飲むのでした。夕べは風呂から上がって、四つ切りのパンを焼き、バターを載せて牛乳を飲みながら食べたら、何時の間にか眠くなっていました。時計を見ればまだ9時だったけれど、眠気には勝てずにそのまま床に就いたのです。今朝は外が薄明るくなってから目が覚めたから、最近では珍しく8時間も眠ったから驚いた。向かいのサツマイモ農園の向こうのコスモスの花が綺麗です。

雨が降っていては向こうの家に行っても、何も運んでこられないから、今日は一日作業はお休みということにした。外は20℃まで気温が上がらないので、家の中も22℃止まり。冷たい雨がシトシトと降っているので、電気を付けないと家の中も暗いのです。夕べはしっかりと8時間睡眠を取ったから、朝食を食べても眠くならなかった。晴耕雨読ではないけれど、今の自分に一番足らないのは運動だろうと、雨の中をプールに行くことにしたのです。

すっかり紅葉したみずき通りを通って、駅前から続く中央通りに出れば、今日は土曜日とあって少し車が混んでいるのでした。タワー駐車場も連絡通路のある2階はほとんど空きがなかったけれど、なんとか車を停めてスポーツクラブまで歩くのです。まだ10時前だったから生活用品を扱う店は開いていなくて、途中からエスカレーターで3階に上がり、地元の建築業者の通路を通って、またエレベーターに乗ってやっと4階の入り口に辿り着く。

更衣室に入って水着に着替えてもまだ10時前だったから、プールに続く通路は開いていなかった。待つ間に柔軟運動をして、ドアの鍵が開けられたらすぐにプールサイドに出る亭主。シャワーを浴びて歩くコースの階段を下りたら、25mは歩いて水の中を進むのです。スイミング教室の子ども達が離れたコースで準備運動をしたいた。まだ誰も人がいないから、ゆっくりと背泳ぎや平泳ぎで25mを泳ぐ。すぐに他のお年寄り達が入って来たので普通に泳ぎ始める。

雨の日だったからあまり人は多くなかったけれど、久し振りのプールなのですぐに上がってしまいました。それでも身体を動かしたので気分が好かった。昼食の支度までにはまだ時間があったので、帰りに地階のスーパーに寄って、野菜や夜の食材を買うのでした。あまりにも今日は寒いのでおでんの具材を買って、女将に頼んで夜はおでんにしてもらおうと思ったのです。家に帰れば女将は部屋で片付け物をしていた。食材を渡して冷蔵庫にしまってもらう。

午後は少しだけ寝室のベッドで横になり、ひと眠りしたら女将と一緒に向こうの家に行って、片付け物をするのでした。今日は一日中雨だったので、女将も家で自分の部屋を片付けていたから、洋服を掛けた物干し竿が重みで外れてもなおしようがなく、そのままになっていた。釘と金槌は向こうの家だったから、ついでに持って帰って直してやるのでした。押し入れに入れる衣装ケースも空の物を使えるようにしてやった。これで少しは片付くのではないか。

4時を過ぎたら亭主は待ちきれなくなって、厨房でおでんを煮ている女将のところに何度も顔を出す。寒いから蕎麦湯を作って今夜は蕎麦焼酎にしようと準備をするのでした。やっとおでんが出来上がり、熱々の具材を皿に取って食べる。今日は本当に寒い一日なのでした。長袖の上にジャンパーを着込んでもまだ寒かったのです。明日は晴れ間も出ると言うから、少しは作業も進むのではないかと思いながら、二人でテレビを観ながら夕食を食べるのでした。
10月12日 日曜日 朝から曇り空で涼しい一日でした…

今朝は6時前の車外温度が16℃で、かなり涼しい朝でした。朝飯前のひと仕事に向こうの家に行って、まだ持って来ていない荷物を車に積み込むのです。すっかり空になっていると思った台所の棚の上に、ガスコンロが入っていたり、焼き肉用の鉄板が入っていたりで、玄関に出して車に積み込む準備をする。義父母の仏壇のあった脇の壁には、二人を囲んだ家族の写真が掛けたままだったので持ち帰る。沢山あった一人用の鉄鍋と七輪も一つだけ持って帰る。

向こうの家の庭には、まだ葵や木槿の花が咲いて朝露に濡れているのでした。何十年も手入れをしてきた庭の木も、あと少しでお別れだから、心寂しい気持ちは否めない。家に帰って朝食を食べ終えたら、今度は女将が午前中に向こうの家に行くというので、亭主も車で荷物を運ぶ準備をする。ウッドデッキと居間の間に作った棚には、一度も使っていないコールマンのバーベキューセットがあったのです。高級な備長炭も二箱も使わないで取ってあった。

家に持って帰った荷物は、置き場所を決めるまで取りあえずカウンターの机の上に置いておくことにする。新しい家の押し入れもまだ整理していないから、どれだけ入るのかが判らないのです。バーベキューセットと備長炭は、隣近所のアウトドア好きらしい家にもらってもらえるかと、声を掛けてみようかと思う。11時前になったので、亭主は厨房に入り昼飯の支度を始める。野菜と肉を刻んで今日は焼きそばにすることにしたのです。コンソメのスープも作る。

食後はしばらくカブスとブリュワーズの試合をテレビで観ていたけれど、途中で眠くなったので寝室のベッドで横になる。1時間ほど眠ったら目が覚めて、女将の部屋に行けば「そろそろ行きますか」と言われてコーヒーを淹れて飲んだら、また車に乗って出掛ける。埋め立てゴミの袋を8つ車に積み込んで、玄関の廊下の突き当たりにある物入れを片付け始めるのでした。分別しなければならないから、女将と二人でゴミ袋に入れて半分ほど片付けた。

加湿器やらグラインダー、ノコギリ、外壁の吹き付け器など、40年近い昔の道具が大事に取ってあったのです。その他に細かなものが沢山あるので、女将も疲れたらしく「後は明日にしましょう」と言うから、すぐに帰る準備をするのです。LINEの連絡が次々と入って、皆さん再会を楽しみにしているようなのだけれど、日にちは決まっても何時に何処へ行けば好いのかが判らないのでした。明日にでもまた聞いて見よう。夜は夕飯を食べながらテレビで巨人とDeNAの試合を観るのでした。他に土日はあまり見る物がない。
10月13日 月曜日 スポーツの日は昔の体育の日だったかな…

最近は9時に床に就いて、翌朝の4時台に起きる習慣が付いてきた。まるで古代人のような生活だけれど、体重は確実に落ちてきている。夜中にものを食べない習慣が出来てきたのです。102歳で亡くなった祖母が、夜の8時から眠って朝の4時に目が覚めると言っていたのを思い出す。90歳をとうに過ぎたお袋様も、同じように早く床に入るのだと聞いて、健康のためにはいいのかも知れないと思うのです。しかし、また少し明るくなるのが遅くなったようです。

5時を過ぎても外が明るくならないから、随分と日の出の時刻が遅くなった。5時半になってやっと薄明るくなって、燃やせるゴミを沢山車に積んで向こうの家まで出掛けるのでした。ゴミの集積場にゴミ袋を置いたら、散らかしたままの昔の家に行って、段ボールを潰して紐で括っておく。廊下の突き当たりにある物置の荷物は、今日の午後に女将と来て片付けの続きをしなければならない。分別の作業が思ったよりも大変で、何種類もの袋が必要なのです。

家に帰って朝食を食べたら、今日はお袋様と買い物に行く日だから、いつもの時間に電話をして迎えに行く。「涼しくなったねぇ」と言いながら車に乗り込んできたお袋様を乗せて、まずは農産物直売所に向かうのでした。すっかり顔馴染みになった若い店員の女性が「お早うございます」と元気な挨拶をしてくれた。ナスとトマトと人参だけをもらって、隣町のスーパーに向かうのです。三連休の最後の日だったけれど、駐車場も空いていて人も少ないのでした。

昼の支度は亭主の仕事で、今日は涼しいから天麩羅を揚げて、茹でた冷凍うどんを冷たい汁で食べることにした。揚げたての天麩羅はとても美味しく、ナスとオクラと生椎茸と海老を二つずつ揚げたけれど、二人でぺろりと食べて仕舞うのでした。食後はお茶をもらって寝室のベッドで1時間ほど昼寝をする。目を覚ましたら、女将が柿を剥いてくれて、いよいよ午後の仕事に向こうの家に二人で出掛けるのです。1時間半ほど頑張って、ゴミ袋を車に積みました。

3時を過ぎたので家に帰ろうと車に乗れば、庭の真っ赤な紅葉葵とピンクの葵が綺麗に咲いているではありませんか。朝に見た時はまだ花が十分に開いていなかったのです。家に帰って女将に話しをしたら、彼女も気が付いていたらしく「私を忘れないでと言っているようね」と、新しい家の庭に移植する花の中に含めて好かったということになる。移植と剪定の作業は10月の中旬からと言うから、そろそろ業者から連絡があっても好い頃なのです。

家に帰ってくれば、朝からブログに手を付けていなかったので、新しい書斎に入ってパソコンに向かう。本棚を二つ入れて、まだ蕎麦打ち室の冷蔵庫が一つ入っている。まだ行き所のない蕎麦屋時代の椅子も置いてあるので、とても狭く感じるのですが、すべてが片付くまで当分はこの環境で暮らさなければいけない。向こうの家も少しずつは片付いてると考える方が前向きだろう。明日は女将が仕事の日だからと思っていたのですが、まだ手本が届いていないというから、また向こうの家に行って廊下の物置の片付けが出来る。
10月14日 火曜日 今日も曇り空で涼しい北風が…

今朝は目が覚めたらもう6時半なのでした。夕べは寝そびれてしまって、11時前から始まるワールドスポーツのニュースを見てしまったから、ますます目が冴えてしまったのです。何度も床に入って眠ろうとしたけれど眠れずに、とうとう起き出してテレビで洋画を一本観てしまう。昨日までの理想的な睡眠生活は脆くも崩れた形なのでした。厨房で朝食の支度をしてくれていた女将の作った物を、箸を並べてからテーブルに運ぶ。亭主の希望で卵はバター味。

今朝はゴミを捨てる仕事がなかったから、早めに着替えて朝の散歩をするのでした。秋桜の花の咲き乱れるバス通りを越えて、お袋様の住むマンションを越えれば、駅前から続く中央通りに出る。真っ直ぐな並木道の景観は曇り空でも美しい。広い調整池を回るようにゆっくりと歩いて行く。軟骨の潰れた右足の親指の調子はまずまずで、少し慣れれば普通に歩けそうなのでした。これからの生活で毎日30分ほどかかるこのコースを歩くのも好いかも知れない。

家に戻ればMLBのロスアンゼルスドジャース対ミルウォーキーブルワーズの試合が始まっていたので、途中まで居間のソファーで観て、後は厨房のテレビで昼食の支度をしながら観るのでした。昼食はいつも麺類ばかりという女将の言葉で、急遽、カレー炒飯にして冷蔵庫にあった野菜と肉を切って、こんそめスープを作り、20分ほどで出来上がる。中華鍋を使って炒めるのは亭主の得意技。今日の米は地元の農家が作る新米だったので、少し水分が多く焦げた。

食後はお茶をもらって野球の結果も気になったけれど、奥の座敷に入ってベッドで横になる。夕べの寝不足のせいか、今日は1時間半も眠ってしまったのです。女将のスポーツクラブの予約を取る時間になって、女将が襖を開けて「お願いします」とやって来た。柿を剥いてお茶まで入れてくれる。2時半前には向こうの家に出掛けて、廊下の物置の片付けの続きを始めるのでした。約1時間の作業で片付けと分別を終えて、物置の中は空になったのです。

燃えるゴミは明日の朝に出すから、車の中に積み込んだのだけれど、明後日の埋め立てゴミの袋が沢山入っているから、全部は載せきれなかったのです。金物、埋め立てゴミ、段ボール、燃やせるゴミと分別するのが大変で、袋を並べて次々と入れていくのでした。先日も出した埋め立てゴミの残りがあったので、額に入った写真を取り出し、ガラス部分は埋め立てゴミの袋に、木と紙の部分は燃やせるゴミの袋煮入れるのです。こちらの積み込みは明日にする。

家に帰って4時。朝が遅かった分、今日はあまり何も出来なかった気がするのです。新しい家に持って来た荷物も、空いている場所に置くだけの生活で、決して片付いているわけではない。庭の剪定と移植の作業が終わって、向こうの家の引き渡しが終われば、少しは気持ちも落ち着くのでしょう。7月の末から初めて、3ヶ月の時間はとても長い気がするのでした。夜はジャガイモのバター焼きと切り干し大根にエノキの肉巻きが出て、焼酎の炭酸割りを飲む。
10月15日 水曜日 長袖で寝てもまだ寒い朝なのでした…

夕べは風呂上がりに体重を計ったら、やっと80kg台から抜け出して、79.3kgまで落ちていたから、朝の散歩が効いたのかと嬉しい。9時半には眠くなって4時半前に目覚め、いつものペースに戻ったのです。気をよくして温かい蕎麦茶を作って飲むのでした。暖房を入れなければ寒くていられないほどの気温で、身体を温めて明るくなるのを待つのです。今日は燃やせるゴミを出す日だから、車の中に積んである8袋のゴミを集積場まで運び、向こうの家に行く。

粗大ゴミに出す壁紙や障子紙を束ねて紐で括り、燃やせるゴミはまた車に積んで集積場に持って行く。家に帰ってもまだ6時過ぎだったから女将は部屋で寝起きのヨーガの最中。亭主はまた少し眠くなって、暖房を入れた寝室でベッドに横になったら眠ってしまうのでした。女将に起こされて朝食を食べる。7時半には食べ終えて、さあて何をしようかと考えるのでした。食後の腹ごなしに、昨日から始めた朝の散歩をすることにして、家を出たのです。

昨日と同じコースを歩くのも景色が変わらずに面白くないから、今日は家の西の小径を歩いて階段を下りて、長い坂道を下ってワンブロックが切れるところまで歩き、みずき通りに出てまた昇って来るコースを歩いたのです。登りの坂道は右足に負担がかかるので、早くは歩けないからゆっくりと景色を見ながら歩くのでした。同じ町なのに見る方向が違うといつも見慣れている景色が変わって見える。新しい家まで約20分。昨日よりは短いコースなのでした。

毎日ゆっくりとでもこのくらいの距離を歩いていれば、そのうちに右足の潰れた軟骨も回復してくるだろうか。医者に「手術をしなければ治りません」と言われたのはもう7年前のことだ。その医者kのいたクリニックもとうに閉院してしまったから、新しい整形外科に行かなければならないのです。紅葉もそろそろ終わるハナミズキの通りを上って、バス通りに出れば新しい我が家はすぐそこです。それにしてもジャンパーを着ているのにとても寒い朝なのでした。

家に帰ればちょうどドジャース対ブリュワーズの試合が始まっていた。亭主は居間の大きなテレビでしばらく観たら、昼の支度があるので厨房の小さなテレビに切り替えて、野菜を刻むのでした。今日は久々にスパゲッティーナポリタンを作ることにしたのです。ワカメとエノキと玉葱でコンソメスープを作り、炒めた野菜に茹でたスパゲッティーを入れてケチャップだけで味付けをした。亭主は食べる直前にソースを少し入れて、懐かしいナポリタンを食べる。

女将は少し休んでからスポーツクラブに出掛けた。2時間近く前に家を出るのは、歩いて行くので30分はかかるからなのだそうな。それからストレッチをして教室の始まる時間を待つのです。亭主は昼寝も出来そうにないので、酒や煙草を買いに出掛けて、帰りに向こうの家に寄って全身を写す鏡を持ってくる。窓だらけの居間には掛ける場所がなかったけれど、何とか書斎と洗面所の間の壁に掛けるのでした。そして長い午後は、いよいよギターを取り出して、硬くなった指を動かして「夜が来る」を歌ってみたのです。
10月16日 木曜日 今日も昨日と同じように寒い朝でしたが…

夕べは10時半に床に入って今朝は5時半に目が覚める。これが一番理想的な睡眠の形なのです。今朝の朝飯前のひと仕事は、プラスティックゴミと車に積んだままの埋め立てゴミを集積場まで運ぶこと。30分もあれば終えられると熱い蕎麦茶をすすって目を覚ます。無事に仕事を終えたら家に帰って、女将の用意してくれた朝食を食べるのです。今朝はホッケの塩焼きがメインディッシュで、糠漬けのキュウリと切り干し大根が付いてちょうど好い量なのでした。

食事を終えてひと休みしたら、女将が買い物に行こうというので車に乗って隣町のスーパーに出掛ける。今日は安売りの日ではなかったけれど、家に食べ物がなくなったのだと言う。最近は、お袋様と出かける月曜日以外に、もう一日買い物に行かなければならないというのが分かった。二人で三度三度ご飯を食べるから、おかずの材料が足りなくなるのです。歩いて出掛ける女将では、持ちきれない荷物は亭主が車を出してやらなければいけないのでした。

向かいのサツマイモ農園の事務所と倉庫の建設が、いよいよ本格的に始まった。若旦那が「煩くなるけれど済みません」と挨拶に来た。倉庫にするので少し背の高い建物になるらしいけれど、事務所は二階建てになるのかしら。職人さん達が柱を組み立てて行くのを見ているのが楽しかった。11時前になったので、今日は寒いからと湯麺と餃子にすることにして、野菜を刻んで中華鍋で肉と炒めてスープと一緒に煮込んでいく。野菜が多いので満腹になったのです。

ポットに作った蕎麦茶を二人で飲んで、亭主は奥の寝室に入って横になる。どのくらい眠ったのか、「すみません。お願いします」と女将に起こされた。スポーツクラブの予約の時間なのでした。いまだにスマホの使い方を覚えようとしない彼女に、返す言葉もなかった。しばらく椅子に座ってボーッとしていたけれど、テレビを見る気にもなれずに、コーヒーを淹れての飲むのでした。まずは煙草を買いに行って、向こうの家に寄って来週捨てる金物を積み込もう。

バス通りから一度曲がってみずき通りに出れば、すっかり紅葉したハナミズキが見事なのでした。突き当たりが駅前まで続く中央通りだから、新しい家はわかりやすいのです。信号で止まればちょうど下校途中の小学生達がたくさんいて、信号の向こうの家はこの何日かで取り壊しを終えたらしい。40年以上もあった家が取り壊されるのも時代の流れで、人ごとではないのです。どんどん新しい家が増えているから、ここの団地を「千年都市」と呼んだのも頷ける。

家に帰れば女将はまだ仕事中で、亭主は冷めた珈琲の残りを飲みながら、サツマイモ農園の事務所の建設作業に見入っていた。今日撮ったブログの写真を選び、ブログを書き始める時間なのでした。今日は昔来たことのあるらしいお客さんが、いきなり玄関を開けて入って来たから驚いた。「もう蕎麦屋はやっていないの?」「3ヶ月前に店を閉めて、今は普通の家なのです」と応えて帰って頂いた。フェンスや洗濯物がぶら下がっていても、気軽に入れるものなのか。

4時半を過ぎた頃には、亭主はそろそろ腹が減って、ワイングラスに氷を入れて夕食の食卓の準備を始める。女将が部屋から出て来て「今日はイカを焼いて、トマトと小松菜で好い?」と言うから、亭主は「イカのげそは茹でて山葵で食べよう」と応える。今年はイカが高かったから、なかなか食べる機会がなかったのです。「昔は大根と煮たりよく食べたわねぇ」と女将も言うので、沢山出ていたイカを買ってきて好かったと思うのでした。旬の食材なのです。

キムチを肴に焼酎の炭酸割りを飲んだ頃に、イカのげそが茹で上がって出て来たので箸を伸ばす。続けていよいよイカの本体がだいぶ縮んで焼き上がったので、生姜醤油で頂くのでした。「懐かしい味だわね」と女将が言って、「昔は買った方が安いから、釣り舟に乗ってもイカは狙わなかった」と亭主が応える。毎週のように船釣りに出掛けた日々が思い出された。冬場の脂ののったイサキなどが沢山釣れた日には、近所の奥さん達がボールを持って我が家の前に集まったほどなのです。懐かしい昔に乾杯なのでした。
10月17日 金曜日 朝から青空が広がって久し振りの陽射し…

久し振りに青空が覗いて陽射しが眩しかった。向かいのサツマイモ農園の事務所建設は、骨組みだけが一日で出来上がっていた。今日は燃やせるゴミを出す日だったので、厨房の入り口に出されたゴミ袋を集積場まで運んで行った。まだ6時過ぎだから、通りには人気もなくゴミ袋も少しだけしか出ていなかったのです。隣のお花畑には青空に色とりどりのコスモスの花が映えていました。我が家の駐車場も朝日を浴びてなかなか好い感じなのです。

今朝は7時過ぎからドジャース対ブルワーズの第三戦目が始まるのでしたが、ロスアンゼルスとの時差はどのくらいあったのだか。テレビを点ければ、向こうはまだ明るい午後なのでした。グランドを守る選手達の影法師は長く、大勢の観衆がスタンドを埋め尽くしているのです。5万6000人も収容できると言うから、東京ドームよりも10000人も入る計算です。大谷選手が3塁打を放っって、べッツが二塁打を打ち1点入るところまで見てテレビを消しました。

朝食には鮭の西京漬けを焼いて、出汁焼き卵と茄子焼きにぬか漬けのキュウリが出た。ドジャース戦も気になったけれど、少しは動かなくてはいけないと思って、近所へ散歩に出るのでした。隣のコスモス畑には、今が盛りとばかり赤やピンクの秋桜の花が咲き乱れている。バス通りをお袋様のマンションの方に歩いて、坂道を下って行けば中央通りにぶつかるから、これをまた左に折れて調整池の周りを行くのは、ちょっと遠すぎる気がするのでした。

駅前の高層マンション群が見えるところまで来て、今日は止めておこうと今来た道を戻るのでした。それでも20分ほどは歩いただろうか、家に帰れば女将も秋桜の花を見に隣のお花畑まで出たのだと言う。「昼は何にしようか」と聞けば、「素麺がまだあるんじゃない」と言うから、昼飯は天麩羅を揚げて素麺を茹でて食べることにしたのです。タンパク質にはシーフードミックスを解凍して、掻き揚げにすれば好いのでした。早速、亭主が厨房に入って準備をする。

新しく取り替えたガスコンロは「設定温度になりました」と、音声で知らせてくれるので年寄りには助かるのです。揚げた南瓜やかき揚げが「カリッと揚がっていて美味しいわ」と女将が言うのも、半分は新しいガスコンロのお蔭なのです。食後のひと休みをして、亭主はブログの写真を選んで書く準備を始め、女将はスポーツクラブに行く用意をしているのでした。朝のうちに出汁を取る準備をしておいたから、午後は鰹節と鶏肉を買いに出なければいけない。

涼しくなる夜はまた茶碗蒸しにしてくれるように亭主が頼んだのです。午後は隣町のスーパーまで車を走らせ、鰹節と鶏肉を買って来る。家に着いたら早速出汁取りを始めて、小一時間掛けて一番出汁を2.5㍑、二番出汁を2㍑作るのでした。一番出汁の2㍑は蕎麦汁にして、0.5㍑を夜の茶碗蒸し用に取っておいた。今日は夕刻まで青空は続いて、爽やかな一日なのでした。夜は一緒に買って帰ったトンカツを切ってカツの卵綴じにしてもらおうと思ったのですが…。

「朝も卵を食べたし、茶碗蒸しだから」と、女将に言われて、結局銀ダラを買って帰ったので、夜は銀ダラと茶碗蒸しと言うことになったのです。5時前からもう食卓の準備をした亭主は、トマトを肴にして焼酎と炭酸割りで一杯飲み始める。銀ダラの煮付けも茶碗蒸しもお腹に優しいから、ゆっくりと味をつて頂いたら、それなりに腹が満ちてくる。これで夜まで何も食べなかったら、また体重が減るのだろうか。明日は女将も休みだから一緒に向こうの家に行く。
10月18日 土曜日 プールに行った気怠い午後は…

夕べは9時前に眠くなって床に就いてしまいました。ところが、案の定、12時過ぎに一度目を覚まし、また眠ったら今度は3時半に目が覚めたのです。もう寝眠れないから起き出して厨房で蕎麦茶を淹れるのでした。身体が疲れていないからか、羽布団を少し厚い物に替えたからか、夜に飲む酒が足らなかったのか、よく眠れない理由を考えるけれど、隠居の身分は一日中休みだからあまり深く考えないでいる。今日の午前中はプールに出掛ける予定なのでした。

朝食は昨日買って帰って食べ損なったトンカツを卵で綴じておかずにした。干し椎茸と昆布を6時間も水に浸けて、鰹節を加えて出汁を取った味噌汁は、煮干しの出汁とはまた違ってとても美味しいのでした。元気を貰って食後はアメリカンリーグの第五戦をテレビで少し観て、ナショナルリーグは明日だろうと思ったから、9時半にはプールへ行く支度をして出掛けたのです。今日は昨日よりも少し暖かく、風は爽やかだったけれど陽射しはかなり強かった。

天気が好かったので、タワー駐車場からプールに続く外の階段を昇って4階にあるスポーツクラブの入り口まで歩く。時間がかかるかと思って少し早く出たけれど、まだプールへの扉は解錠されていなかった。階段を下りたところでしばらくアキレス腱を伸ばしたり身体を捻ったりと準備運動をして、10時になって鍵が開けられたらプールサイドに出るのでした。誰もいないコースで背泳ぎから始めて平泳ぎ、少しして人が来たらクロールで泳ぐ亭主なのでした。

帰りがけに地階のスーパーに寄って、女将が野菜が足りないと言っていたので、小松菜やモヤシと挽き肉を買い、ついでにシーフードミックスやラーメンとタレを単品で買って帰るのです。家に帰れば、女将が「野球やっているわよ」と言うのでテレビを点ければ、ドジャース対ブルワーズの第四戦が、1チャンネルでやっていた。BSばかりを気にして、番組表を見逃してしまったらしい。ラーメンを作って食べながら、ドジャースの優勝の瞬間を見たのでした。

午後は昼寝をするのかと思っていたけれどなかなか眠れずに、女将がショッピングモールの本屋に行って帰るのを待って、向こうの家に行って片付けの続きをするのでした。一階の押し入れは綺麗に片付いて、木曜日に出す金ゴミは袋に入れて車に積み込む。二階の息子の部屋にだいぶ大きな荷物が残っているけれど、後は業者に任せてしまおうと二人で帰って来るのでした。夜は高野豆腐の煮付けと舞茸と豚のロース肉との煮物で一献。今夜は温かそうなのです。
10月19日 日曜日 秋風も爽やかな日曜日…

朝食を食べ終えてひと休みしたら、今朝は西の小径を下に下りる階段を下り、散歩に出掛けるのでした。空は青く秋の雲が広がり、涼しい秋の風が吹き渡る。突き当たりには調整池があって、桜並木が綺麗に紅葉しています。日曜日の朝だから誰にも会わないと思ったら、以前蕎麦屋に好く来てくれていた亭主よりも少し年上の女性に出会って、しばし立ち話。どこまで正気なのか判らないけれど、今日もまた二年ほど前に亡くなったご主人の話を聞かされる。

みずき通りに沿って家の前のバス通りへの坂道を昇れば、空には鯖雲が出ているではありませんか。ハナミズキの紅葉も今年はすっかり赤に染まって美しい。「気分転換に散歩にでも行ったら?」と言ってくれた女将に感謝しなければいけない。新しく始まった隠居の生活は、時間に追われることがないから、自分でこれをしようと決めておかないと、本当になにもしないで過ごしてしまいそうなのです。今日は野球の試合もないから、プールへでも行けば好かった。

昼の支度が始まる頃にはやっと亭主のすべきことが見つかって、葱や南瓜を刻んでイカ・タコ・エビ入りのシーフードミックスを解凍する。蕎麦屋の時代に沢山仕入れた天ぷら粉は、小さな冷蔵庫の冷凍室にまだ沢山入っているのでした。一斗缶で仕入れていた胡麻油もまだもう少し残っていたので、銅の天麩羅鍋に注いで天麩羅を揚げ始める。蕎麦汁は先日作ったばかりだから、冷凍うどんを湯がいて皿に盛り付ければ、もう昼飯の出来上がりなのです。

午後は少しだけ昼寝をして、女将と二人で向こうの家に出かけるのでした。一階の荷物はほとんど片付いているから、今日は二階の部屋に残った荷物を片付けなければいけない。段ボールで出来た衣装ケースは、亭主が階下の居間に持って行き、潰して紐で括る。女将は息子の部屋の押し入れに入れてあった、沢山の表彰状や展覧会に出品した書の作品を、ゴミの袋に詰め、出した箱は下に持ってくる。約1時間の作業で二人はもう疲れてしまうからお終いにする。

車の中は明日の朝に捨てる燃やせるゴミの袋でもう一杯になる。二階の娘の部屋に置いてあった大型の裁断機は、車に積んで持って帰って来た。まだ4脚ほど残っている椅子も一つだけ持ってきて、亭主の寝室に置いた。隙間のある場所は、もうここしかないから、どんどんと荷物が増えて行く。3時を過ぎてこのブログを書き始めて、4時を過ぎたらまたギターを爪弾く時間になる。うまく指が動かないのがもどかしいのだけれど、女将が夕食の支度をするまで頑張るのです。「夜が来る」はなかなか好い曲です。
