2025年7月上旬



7月1日 火曜日 昼の暑い時間は動くのを止めて…

 夕べは8時半に風呂から上がって、もうすぐに眠くなったから、定休日なのを好いことに床に就いたのです。夜中に目が覚めてしまうかと思ったら、意外にも朝の3時過ぎまで眠ったから好かった。まあ、そんな早くからする事はないのですが、夕べのブログを書いて、居間の部屋でコーヒーを飲んでいたら、外は明るくなった来たのです。書斎の窓から庭の木槿の様子を見たら、確かに剪定の始まる前にもう花が咲いていた。今朝の仕事はここから始めよう。

 朝飯前のひと仕事に、庭の木槿の剪定の続きをし始めたら、市のゴミ袋2杯分の枝を切って30分ほどで終了。7時前にはもうお腹が空いて、今年女将が漬けたらっきょうがひと月経ったからと、食卓に出してあったので、自分でご飯をよそって食べ始める。今朝のおかずは鰯の蒲焼きだったので、後から皿に載せてもらって食べるのです。早めに朝食を終えたから、エアコンの効いた書斎に入って9時までぐっすりと眠りました。暑いと涼しい部屋でよく眠れる。

 今日の予定はまずコンビニに行って、蕎麦屋のゴミ回収の業者に支払いの代金を振り込む。そして、ショッピングモールに入っている大型電気店に出掛け、プリンターのインクと血圧測定器を買うことなのでした。帰りがけに広い店内のラジオのコーナーがあったので、いつも女将が欲しがっていた携帯ラジオの台所用を買って、家に戻るのです。屋上の駐車場に停めておいた車の中は、相当な暑さになっていた。それから蕎麦屋に出掛けて午前中の仕込みをする。

 まずは、昨日のうちに昆布と干し椎茸とを浸けておいた3㍑の鍋に火を入れて、一番出汁を取る。2㍑分だけを片手鍋に入れて返しを600cc余り加え、火にかける。これを冷やして鍋ごと冷蔵庫に入れてしまう。残った出汁はボールのまま冷やして、瓶に入れて冷蔵庫へ。次に二番出汁を4㍑作って2㍑入りの容器に二つ取り、水で冷やしてからやはり冷蔵庫に入れるのです。次にキャベツとニンジンとキュウリの押し漬けをつくり、漬け物器に入れて置いておく。

 11時半に家に戻れば、女将がキュウリと卵焼きと蒲鉾を刻んでおいてくれたので、亭主は麺を茹でたお湯でモヤシと豚肉の薄切りを茹で、皿に盛り付けるのです。二人の連係プレーで、あっという間に昼の食事が出来上がる。三日に一度はこの冷やし中華を食べているけれど、暑さが尋常ではないので飽きないのです。午後は女将のスポーツクラブの予約を終えたら、亭主はまた蕎麦屋に出掛ける。新レンコンの皮を剥いて輪切りにしたら、酢水で茹でてタッパに入れて冷蔵庫へ。水の上がったキャベツの塩漬けに昆布を切って入れたら、これも冷蔵庫に入れておく。これで午後の仕込みも終わり。


7月2日 水曜日 降ったり止んだり晴れたり曇ったりと不安定…

 朝のうちは雨が降っていたかと思ったら、昼間は晴れて青空が広がっていた。今日は薬をもらいに近所の内科に行かなければならなかったが、午前中の37番という予約なので、10時過ぎに出掛ければ好かろうと、ガソリンスタンドへ寄って給油をする。それでもまだ早すぎるから、明日の仕入れもあるので、コンビニに寄ってお金を下ろしてくる。10時半に待合室に入ればまだ24番の表示。やっと先生に診てもらったのが11時半過ぎで、薬をもらって12時を過ぎた。

 女将はスポーツクラブへ出掛ける都合があったので、先に昼を食べたらしく、亭主は一人で素麺を茹でて汁に卵を入れて食べる。食後のひと眠りもせずに、暑くなったので居間でMLBのドジャース戦を観ながら涼んでいた。1時半には家を出て蕎麦屋に出掛ける。ガレージに入れた車の車外温度は40℃にも達していた。蕎麦屋に着いたらまずは水羊羹と蕎麦豆腐を仕込み、すっかり水の上がったキャベツのお新香を、小さな漬け物器に移すのです。

 大釜に湯を沸かしている間に、玉葱や三ツ葉を刻んで、かき揚げの具材を用意したら、生椎茸、ピーマン、ナスを切り分けて天麩羅の具材を容器に詰めて冷蔵庫に入れておきます。大釜の湯が沸いたら小松菜を茹で、切り分けてタッパに詰めて急速冷凍室に入れておく。ひと休みしてもまだ3時だから、明日の蕎麦を半分だけ打っておくことにしました。時間に余裕のある時に打った蕎麦は、やはり出来が好い。加水率は40.5%でかなり硬い生地なのでした。

 蕎麦屋の店内はずっとエアコンを点けているけれど、夕方になってやっと25℃まで室温が下がってきました。空は曇って今にも雨が降りそうな天気です。帰り道に国道まで出て、酒屋で焼酎と炭酸を買って帰ります。家に戻れば、女将はエアコンを点けた仕事部屋で涼んでいました。それでも室温計は26℃近くあったのです。冷蔵庫を開ければ、さすがに三日間の定休日の間に、二人で三食食べるから、肉と魚以外は何もなかった。夜は生姜焼きでご飯を食べる。


7月3日 木曜日 外は暑すぎてお客も少なかった一日…

 今朝はアラームで目が覚めたのに、また何時の間にか眠ってしまい、時計を見れば6時を過ぎていたから慌ててしまった。取るものも取りあえず車に乗って、蕎麦屋まで出掛けていく亭主なのです。とにかく蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量し、600gの粉に対して、40.5%の水はと電卓ではじき出し、捏ね方を始めるのでした。昨日のうちに半分打っておいて大正解なのです。蕎麦玉を寝かせる時間も短くして、切りべら22本で140gの蕎麦を6束仕上げる。  

 いつもの時間に家に戻って朝食を食べたら、エアコンを効かせた書斎に入ってひと眠りするのです。8時半のアラームで起こされて洗面と着替えを済ませて、今日は髭まで剃れたからまずまず。蕎麦屋に着いてチェーンポールを降ろして看板を出し、厨房に入って早速お新香を盛り付けておきました。あんなに沢山漬けたはずのキャベツの浅漬けが、水が出て少しになっているから、美味しさを閉じ込めたと思って、6鉢だけ盛っておくのでした。

 今日は昨日よりも暑く、厨房は昼間29℃まで上がった。開店の時刻にやって来た女将が「ああ暑いわねぇ」と汗を拭うので驚いた。わずか300mの距離を歩いて来ただけで、そんなに汗が出るものなのかと、車で移動している亭主には分からないのでした。相当に陽射しが強いらしい。開店前の仕事を終えて、暖簾を出してお客を待つけれど、あまり暑すぎて誰も来る気配がない。やっとやって来たのは仕事の途中で昼を食べる若者だけなのです。皆大盛りのご注文。

 女将が家を出る前に、先日蕎麦屋を訪ねてくれた友人のところから、浜名湖の鰻が届いたと言うのです。遠くからわざわざ来てくれたから、酒と蕎麦と料理の代金をもらわなかったのに、却って高いものになってしまった。割り箸やおしぼりを用意していた女将が、急に大きな声で「お父さん、おしぼりがないと言ったのに」と週末の分のおしぼりがないと言うのでした。店を終えてから、車で駅前のショッピングモールまで行って、あり合わせのおしぼりを買う。

 ついでに、最近、果物を食べていないと思って、桃やシャインマスカットを買い、夕飯に寿司の盛り合わせと野菜サラダを買って家に戻る。女将が喜んで「ありがとう」と言って、早速、一年ぶりの桃を剥いてもらった。「手で皮が剥けるから、これは美味しいわよ」と嬉しそうに言う。結局、午後の昼寝をしないままで、業者から電話が入り、もう蕎麦屋に着いていると言うから、急いで車を走らせるのでした。夜になっても気温は下がらず、暑い一日なのでした。


7月4日 金曜日 どうして一人営業の日に混むことが多いのか…

 今朝はアラームの鳴る前に目が覚めて、5時間の睡眠で我慢。でも、コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりで、結局、蕎麦屋に出掛けたのは5時半過ぎなのでした。MLBのスポーツニュースで日本人選手の活躍を見てしまうと、どうしても寝るのが遅くなるのです。元気を貰っていながら、朝が辛く感じるのは、やはり歳のせいかもしれない。蕎麦屋に着いて、伸び放題に伸びた駐車場の雑草や木々に夏の暑さを感じて、少しずつ剪定を始めなければと思うのでした。

 昨日の蕎麦が残っていたので、今朝は500gだけ蕎麦粉を計量し、30分ほどで5束の蕎麦を打ち上げる。一人の営業の日だから、そんなに沢山蕎麦がなくてもいいのだけれど、12食分を用意して家に戻るのでした。朝食にはほっけとナス焼きが出て美味しく頂く。食後はエアコンの効いた書斎に入ってひと眠り。8時半のアラームがなる前に目覚めて、着替えと洗面を済ませたら再び蕎麦屋に出掛けるのです。玄関前の植木鉢に女将の播いた種から芽が出ていた。

 紅葉葵の種だと言っていたけれど、葉の形がどうも違う。蕎麦屋に持っていくつもりでいるらしいが、いったい何の種を蒔いたのだろう。蕎麦屋に着いてチェーンポールを降ろし、看板を出したら、早速、厨房に入って蕎麦豆腐を造っておく。宅配の若者が来ると一人で二つずつ頼むから、すぐになくなってしまうのです。今日もまた、一番でいらっして鴨せいろの大盛りと、蕎麦豆腐を二つ頼まれた。大きなグラスに氷を入れた水をお替わりしていた。

 今日はヘルシーランチセットを注文した女性の二人連れ以外は、全員が大盛りの蕎麦のご注文で、1時前に作業服を着た4人の男性がご来店で、皆さん天せいろととろろ蕎麦の大盛りを頼まれた。それで蕎麦は売り切れなのでした。野菜サラダもすべて出尽くして、1時半に皆さんがお帰りになった後は、亭主もぐったりと椅子に腰を下ろしてひと休みするのです。落ち着いているつもりでも、蕎麦湯を出し忘れたり、蕎麦猪口を出し忘れたり、結構、大変でした。

 それでも、頑張って洗い物をこなし、片付けを始めたら、今日は3時過ぎにはすべて終わって、家に帰ってゆっくりとするのです。居間の部屋は、スポーツクラブから帰った女将がエアコンを入れておいてくれたので涼しかった。亭主はまず書斎に行ってエアコンとパソコンのスイッチを入れて、居間で涼むのでした。書斎の部屋がやっと冷えてきた頃に、パソコンに向かって今日の売り上げを入力する。四人連れの男性達の天せいろが、大盛りと注文票には書いていながら、普通盛りの値段で計算していたから、やはり慌てていたのです。4時前に横になったら、6時過ぎまで寝てしまった。「そろそろご飯にしませんか」と女将に起こされて、食堂に行けば、浜名湖の鰻が鰻重の入れ物に入って並べられていたのでした。


7月5日 土曜日 朝から蒸し暑い一日でしたが…

 今朝もアラームの鳴る前に目覚めて、割とすっきりと起きられたから好かった。やはり昨日は11時になったら床に入ったのが正解なのでした。6時間は眠らないと身体が回復しないのかも知れない。コーヒーを飲んで5時半には家を出る。雲のかかった合間から、朝日が見えていました。朝から蒸し蒸しとした陽気なのです。蕎麦打ち室に入る前に、昨日のの洗い物を片付けて、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めておく。それから蕎麦打ち室に入って蕎麦打ち。

 昨日の残りの蕎麦が一把だけしかなかったので、今朝は900gの蕎麦粉を計量して、久々に硬い生地を捏ねました。10年前なら何のことはなかったものを、今ではやっとのことで、なめらかな生地にするのが大変でした。蕎麦玉を寝寝かせている間に、お新香を盛り付けて10鉢だけ用意しておくのでした。蕎麦は何とか10把取れて、今日は11把の用意で営業を開始するしかないのでした。それが綺麗になくなったから、今日も蕎麦屋は混んだのです。

 7時過ぎに家に帰れば、居間の部屋までぷーんと魚の焼けるいい匂いが漂って、今朝は脂の乗った鯖の塩焼きと、沢山のおかずが食卓に並んでいたから嬉しかったのです。食事を終えたら居間の部屋でお茶をもらって、書斎に入ってひと眠り。緊張しているせいか、8時半のアラームを待たずに目が覚めて、洗面と着替えを済ませて再び蕎麦屋に出掛ける亭主なのでした。玄関を出たところに、女将が植え替えた葵の新芽が並んでいるではありませんか。

 背の高くなる植物だから、蕎麦屋の庭の何処に植えるつもりなのだろうかと、首をかしげる亭主。大きな植木鉢に移して、駐車場にでも置いたらどうだろうか。真紅の花の咲く紅葉葵の芽がないのが残念でした。蕎麦屋に着いたらチェーンポールを降ろして看板を出す。幟は生地が切れてしまったので、あとひと月だから、もう立てないことにしたのです。厨房に入って大根をおろし、蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら、酢水で茹でて天麩羅の具材の用意をする。

 野菜サラダを盛り付け終えたら11時前で、天麩羅鍋に油を注ぎ、天つゆを火にかけて開店の準備が整ったら、もうお客の車が駐車場に入ってきた。年配の4人連れのお客だったから、店の中に入って待っていただいたのです。女将もやって来て注文を取れば、天せいろを四つ頼まれる。天麩羅が揚げ終わる頃にやっと暖簾を出して、亭主は奥の座敷でひと休みです。それから1時過ぎまでお客が絶えなかったから、この暑いのに有り難い事なのでした。

 開店前にいらっした年配のお客達は、1時間以上も大声で話して楽しそうに過ごして行かれた。女将がい言うには、歳を取ると他の人のことはあまり気にしなくなるのだとか。耳も遠くなるから自然と声が大きくなるのだそうな。狭い店の中で、あれだけ大きな声で話をすれば、他のお客に迷惑にならないかと思わないのだろうか。地声の大きな亭主は、昔からプールで選手達を指導するのに端まで届くように注意したものだけれど、歳を取ったらやはり耳は遠い。
 2時半には洗い物を終えて二人で家に帰る。今日は天せいろばかりが随分と出て、油がすっかり汚れてしまったから、明日は新しい油で天麩羅を揚げなければならない。エアコンで冷えた書斎に入って、夕方まで眠ったら、買い物から帰った女将は汗だくになって、髪の毛までびしょびしょだった。外は夕方でも相当に暑いらしい。鍋に湯を沸かして、夜はまた冷やし中華を食べる。蕎麦がなくなったので打ちに行けば明朝が楽だけれど、そんな元気はなかった。


7月6日 日曜日 暑い日なのに今日もお蕎麦が売り切れて…

 今朝も5時半に家を出て蕎麦屋に向かう。ガレージに続く階段の踊り場から、いつもなら駅前の高層マンション群が見えるのに、今朝は靄がかかって何も見えない。白や赤の木槿の花だけが元気に咲いているのでした。蕎麦屋に着いたらまずは厨房に入って蕎麦豆腐を仕込んでおく。四日間で三回も作るのは珍しい。毎日いらっしゃる宅配の青年が一度に二皿ずつ食べるから、なくなるのも早いのです。ヘルシーランチセットが出ても必ず一皿出るのです。

 今朝はどれだけ蕎麦を打とうかと、残っている蕎麦粉の量を量ったら、あと900g打つだけしかなかったので、40%の加水率で捏ね始めるのでした。水が少ないと両腕にずっしりと重みを感じる。時間をかけてこの重みと戦いながら、なめらかになった生地を蕎麦玉にして、伸して包丁切り。久し振りにエッジの効いた蕎麦を打つことが出来て、嬉しかったのです。昔はいつもこの硬さで打っていたから、両腕の腱鞘炎にもなったもの。もう無理は出来ないのです。

 家に帰って朝食を食べたら、1時間余り眠って、また蕎麦屋に出掛けていく。小鉢を8鉢準備して、大根をおろし、薬味の小葱を刻んで、天麩羅の具材を切り分ける。連日、お客が多いものだから、ピーマンが残り少なくなったので、女将に言って家からインゲンを持って来てもらったのです。余分な仕事をした割には、野菜サラダを盛り付け終えても11時前には開店の準備が整った。今日で今週も終わりと思うと、元気が出るというものなのです。

 暖簾を出して女将とお客を待てば、タクシーに乗った四人連れが蕎麦屋に歩いて来る。見覚えのある姿だと思ったら、歳を取った昔の教え子たちと、もう直ぐ70歳の定年を迎えるかつての同僚なのでした。店を閉めることを聞きつけて、訪ねてくれたらしい。少し閉店の経緯を話しながら、天せいろを四つあげている間に、もう次のお客がいらっしてテーブルに座る。更にカウンターにも常連さんが次々と座るのでした。すぐに今朝打った蕎麦の数に達したのです。

 ゆっくりと話も出来ずに、四人連れは帰って行った。お互いが元気でいるのを確認しただけの短い再会なのでした。有り難い事なのです。2時半には洗い物を終えて、二人で家に戻る。今日は天せいろと鴨せいろが半々の数だけ出た計算です。今週は、あまり残り物も出なかった。それだけお客が多かったのです。夕方までひと眠り擦る亭主と夕方から散歩に出る女将。夕飯は素麺と鰻に卵を散らしておかずにする。風呂を出たらまた眠くなったので8時に就寝。


7月7日 月曜日 あまりにも暑すぎて今日は汗だくなのでした…

 夕べは疲れ果ててあまりにも早く床に就いたので、やはり朝の3時過ぎにはもう目が覚めてしまいました。7時間の睡眠だから、かなり正常な身体の回復なのです。パソコンに向かって蕎麦屋への引っ越しの準備に、何をどこから始めたら好いか書き出したのです。厨房のレンジを取り替えて、床や壁を掃除してもらう事から始まって、トイレの床や店内の天井のひび割れを直してもらう事など、ひとつひとつ書きだして、優先順位を決めておかないといけない。

 それでも6時になったらまた眠くなって30分ほどひと眠り。朝食を終えたらまた30分ほど眠って、着替えを済ませてお袋様に電話をする。昨日のうちに仕入れは月曜日にしようと話してあったので、お袋様を迎えに行って農産物直売所と隣町のスーパーに出掛ける。朝から陽射しは強く、家に帰って来たときにはもう汗だくで、下着もシャツもすべて取り替えなければならないほどなのでした。昼はスパゲッティーを茹でて、久し振りにナポリタンを作って食べる。

 食後は居間の部屋でテレビの映画を1本観て、女将がスポーツクラブに出掛けた後は、蕎麦屋に行こうかと思ったけれど、まだ暑すぎるので、書斎に入ってまたひと眠りする。1時間ほど眠ったら、女将はもう帰っていた。夜は女将が焼売を食べたいと言うので、店に行く前に団地の中の西のスーパーに寄って、餃子と焼売の材料を買ってくる。店に寄って大根のなた漬けを漬け、天麩羅の具材の南瓜を切り分けてタッパに詰める。家に帰ってレンジでチーン。

 5時過ぎには家に戻り、台所で玉葱をみじん切りにして、挽肉を混ぜて調味料と片栗粉を加え、焼売の皮で包むこと15分。後は女将に任せて、夕飯には店で残った鴨肉と葱の塩焼きと、作ったばかりの焼売が食卓に並ぶのでした。久し振りにご飯は食べずに、焼酎の炭酸割りで美味しく頂く。今日も風呂を上がったらすぐに眠くなったけれど、少し我慢をしてこのブログを書いている。明日は午前中に蕎麦粉が届くから、店に行っていなければいけない。



7月8日 火曜日 日に日に暑くなるような気がして…


 夕べは9時まで我慢してブログを書いていたけれど、朝が早かったからか眠気に負けた。朝の4時前に暑くて目が覚めて、やはり、7時間ぐらいで目覚めてしまうものだと思った。日中もかなりひと眠りを繰り返しているのに、どうしてこんなに眠れるのか。今朝も居間の部屋でコーヒーを飲みながら、蕎麦屋に出掛けて紫陽花の終わった花を切った方が好いかと考えていたけれど、5時過ぎにまた眠くなって再び床に入る。朝飯前に目覚めるから不思議なのです。

 今日は午前中に蕎麦粉が届く日だからと、9時には家を出て蕎麦屋に出掛ける。昨日干し忘れた洗濯物を干して厨房に入り、水の上がった塩漬けの大根を漬け直し、甘酒の素と砂糖、唐辛子、刻み柚子を加えて、タッパに入れて冷蔵庫で保存する。次にキャベツとキュウリとニンジンを切り分けて、漬け物器に塩で漬けるのです。一度に漬けると全体に塩が回らないと思って、キャベツはキャベツだけで、キュウリとニンジンは別のボールで一度塩をまぶした。

 次にピーラーでレンコンの皮を剥いて輪切りにし、酢水で茹でて天麩羅の具材を用意した。少し細いから、一度に二枚ずつぐらい盛り付けないと物足りないかも知れない。新レンコンなので白い色が鮮やかなのでした。11時半を過ぎてやっと蕎麦粉が届いた。見ればいつも蕎麦屋に食べに来る青年が運んで来てくれて、「ギリになって済みません」と言いながらカウンターの上に荷物を置いた。これでやっと家に帰って昼食の支度をする事が出来るのでした。



7月9日 水曜日 朝の8時から30℃を越える暑さで…

 夕べは10時に床に就いて、今朝は4時に目が覚めた。徐々に営業日の生活時間帯に戻っているからひと安心。朝食はニラの卵綴じと鰯の蒲焼きを女将と半分ずつ食べた。昨日、餃子を作った残りの韮を上手い具合に消化したのです。女将が「庭のモミジアオイが咲いたわよ」と言うので、蕎麦屋に出掛ける前に庭に出て写真を撮っておくのでした。暑さに負けずに、もう何十年も、毎年咲いてくれるから嬉しい。これを何とか蕎麦屋の庭に持って行けないか。

 朝から30℃もあるので、蕎麦屋に出掛けても店の中は28℃と、かなり暑かったのです。花の終わった紫陽花の枝を、少しだけ切ったら、もう暑くて敵わない。エアコンの効いた店の中に戻って、厨房で水羊羹を仕込み、冷ましている間に蕎麦豆腐を造る。玉葱をスライスして、ニンジンを刻み、三ツ葉を刻んだらかき揚げの材料は終了。生椎茸とピーマンを切り分けて、ナスを四等分して切れ目をつけたら、天麩羅の具材も完了です。薬味の細葱を刻んで終わり。

 昼は家に帰って冷やし中華を作る亭主。あまりにも暑いので、午後の仕込みは夕方にしようと居間の部屋で涼んでいたら、女将は昼過ぎにいつものようにスポーツクラブに出掛けて行く。彼女が無事に帰ってきたのを見届けてから、蕎麦屋に出掛けて行く亭主。エアコンを点けたままにしておいたから、涼しくなっているかと思ったら、27℃もある。湿度が下がっているから過ごしやすいのです。お新香を小鉢に盛り付けて、冷たいほうじ茶を飲んでひと休み。

 残る仕事は明日の分の蕎麦打ちですが、最近はお客が多いので、今日は750gを打って8人分の蕎麦を用意しておきました。明日の朝に5人分打てば、13食の用意が出来るという計算です。5時半に家を出ても十分に紫陽花の枝を切る事が出来る。6時から蕎麦打ちを初めても間に合うという計算なのです。明日のドジャース戦は午前3時からと言うから、少しはテレビを観ていけるだろうか。蕎麦は加水率40.5%でもまだ少し柔らかい生地なのでした。

 5時半に家に帰り、再び台所に立って、モヤシとニラの残りと肉とをごま油で炒めて、隣の火口で餃子を焼く。テレビは何も面白い番組がないので、書斎に入って引っ越しの段取りと修理、取り替えの区別を写真を添えて用意しておく。換気扇や床や調理場の壁は掃除してもらう事にして、どれだけ費用がかかるのかを出してもらう事にしたのです。これに建物の周りに伸びた木や雑草を綺麗にしてもらうと、かなりの額がかかるだろうと思うと、出来ることは自分でやっておこうという気になるけれど、この暑さではどこまで…。