2025年6月上旬



6月1日 日曜日 久し振りに青空が覗いて五月晴れ…

 今日は朝から久し振りに陽が差していた。6時過ぎには沢山の荷物を持って車で家を出る。昨日の蕎麦がほとんどそのまま残っていたので、今日は蕎麦打ちはなしだったのです。いつも時間に追われて最後に作る苺大福を、最初に作ってみたらどうかと、朝飯前のひと仕事にしてみたのです。昨日わざわざ白玉粉を買いに行ったけれど、苺がもう終わりらしく今日で最後の苺大福なのでした。次のデザートには何を作ろうかと思案するのでした。

 7時には家に戻って、昨日買って帰った鰯を蒲焼き丼にした朝食を食べる。鰯が大きいので食べ応えがあったのです。食後のお茶をもらって書斎に入り例によってひと眠りする。8時30分にアラームをセットしてあるから、それで目を覚ますのでした。昨夜はテレビの映画で『アラビアのロレンス』を前半だけ見て、11時半に眠ったから少し寝不足なのでした。それにしても何度見てもスケールの大きな映画だと思った。名作と言われる由縁なのでしょう。

 洗面と着替えを済ませて家の門を出れば、隣の家との境にも差次の花が雑草に紛れてしっかりと咲いている。強い花なのかもう40年も毎年のように咲き続けているのです。やはりこれも蕎麦屋に移植しなければならないだろうと、花の終わるのを半分楽しみに待っているのです。みずき通りを渡れば、ハナミズキの枝が鬱蒼と茂っていた。青空と白い雲を背景に綺麗な風景だと感じる。蕎麦屋の前のサツマイモ農園では、沢山の家族が集まって芋の苗植えらしい。

 今日は野菜サラダを作るだけだったので、10時40分にはもう開店の準備が整って、カウンターの隅の椅子に座って、ゆっくりと女将の来るのを待っていた。暖簾を出せば、昼前にもう二組ほどお客が入った。午後も続けてお客がご来店で、晴れたのが蕎麦でも食べようという気にさせるようなのでした。最後は女性三人連れで、見れば昔の教え子が、母親と祖母らしき女性を連れて来てくれた。遠い街からわざわざ何度も足を運んでくれるのは有り難い事なのです。



6月2日 月曜日 明日は手術だというのに今日は忙しかった…


 朝はまだ寒い陽気なのでしたが、定休日なので6時過ぎに蕎麦屋に出掛けて、カウンターの上に干してある昨日の洗い物を片付け、洗濯機の中の洗濯物を干して、午後からの出汁取りの準備をして、家に戻るのでした。向かいのサツマイモ畑には、昨日、大勢の家族連れが苗植えをした名残りで、様々な案山子が立てられていた。自分の植えた苗の場所を示す標識なのでしょう。7時過ぎに家に着けば、今朝は鮭の塩焼きがおかずで、ご飯を美味しく頂くのでした。

 食後にひと眠りしようと思ったけれど、なかなか眠れない。考えたら夕べは10時に床に就いて今朝は6時まで眠ったから、眠くならないのは当たり前なのでした。ドジャースとヤンキーズ戦がBSで始まっていたので、お袋様と仕入に出かけるまで観ていた。明日は朝から市民病院に行って耳の腫瘍の手術をするので、一日早く買い物に行くことにしたのです。農産物直売所に行けば、知り合いの農家の奥さんに会って「あれっ、いつも火曜日なのに」と言われる。

 事情を話して仕入れる暇がないから、今日買いに来たと言う。彼女の持って来た朝採りの新キャベツの大きなものが、120円だからかなり安いのでした。更に隣町のスーパーへ行って、食材を買い込む。女将に頼まれた塩麹で浸けた鯖の缶詰と、一切れ100円の鮭の切り身を買ったけれど、135円の缶詰は随分と小さなものなのでした。家に帰って話をすれば「そんなものなのかも知れないわね」と言う。昼は残った野菜サラダをあんかけにして焼きそばを食べる。

 午後はやっと眠りに就けて、2時から車の半年点検にスバルに出掛ける。車検証がいつもの場所に入っていないと言われ、家に帰って捜すと応えれば、車検証がないから今の車には乗れないと代車を貸してくれた。机の上の沢山のファイルを立てかけた中に、葉書ほどの小さな車検証を発見して、急いで戻るのでした。大きさが変わったのを聞いていなかったから、慌ててしまったのです。それから蕎麦屋に出掛けて小一時間かけて出汁取りをする。

 曇っているのに午後から暑くなってきたので、帰りがけに女将に電話をして、夜は冷やし中華にしようということになって、一番近いスーパーに寄って、シマダヤの冷やし中華と薄切りの豚バラ肉を買って帰る。5時を過ぎていたので、女将が錦糸卵を作って、大鍋を火にかけておいてくれた。モヤシと豚肉を茹でてキュウリを千切りにして、麺を茹でる。亭主は氷を敷いて冷たくして最後に紅生姜と辛子を添える。蒸し暑い夕方だったけれど、満腹になって幸せ。


6月3日 火曜日 今日は手術日だから早朝だけの仕込みで…


 夕べも10時半には床に就いたので、今朝も4時半には目が覚めたのです。8時過ぎには家を出なければならなかったから、朝食前のひと仕事には5時半前に蕎麦屋に出掛けるのでした。まずはなくなりかけていた返しを作るために、味醂やワインビネガー、減塩の再仕込み醤油や減塩醤油を用意して、氷砂糖を大鍋に入れて味醂とワインビネガーを沸騰させる。醤油と塩30gを加えて沸騰直前まで加熱するのです。これを冷ませば返しの出来上がりです。

 次に、農産物直売所で買った知り合いの農家の朝採り春キャベツを、少し多めに刻んでキュウリとニンジンと昆布に生姜の千切りを加えて、塩を振りよく混ぜるのでした。いつも混んだ日は二日でなくなるから、今朝はいつもの倍ほどの量を漬け込んだのです。明日には水が上がって、柔らかくなるから、塩抜きをして小鉢に盛り付けられる。7時過ぎには家に帰って、女将の用意してくれた朝食を食べるのでした。ひと眠りする間もなく弟が迎えに来てくれた。

 Facebookの新しい投稿が、ピカピカと光っているのが気になって開けて見れば、前の校長が亡くなった知らせ。弟に言えば、それはもう半年も前のことだという。家族葬だから誰にも知らせていなかったのだそうな。亭主よりも5つほど上の先輩で、蕎麦屋にも好く来てくれていた。釣りにもよく一緒に出掛けて、家も近かったのに知られたくなかったのかと少し寂しかった。これで昔の職場の仕事仲間や釣り仲間だった先輩たちは、皆鬼籍に入ったことになる。
 雨の降る中を市民病院について、指定された時間までに受付を済ませれば、二階の手術室に連れて行かれて、手術用の着物に着替えさせられたから、耳の後ろの腫瘍を取るだけなのに、随分と大袈裟だと思った。手術室に入れば、明るく元気な先生が待っていた。簡単に終わるかと思ったら、形成外科というのは傷口を丁寧に再生させるために何針も縫うのでした。上機嫌の先生は蕎麦の蘊蓄を話し始めるし、1時間半の手術もあっという間なのでした。


6月4日 水曜日 今日は術後の通院で、朝夕が仕込みでした…

 夕べは床に就いてもよく眠れずに、深夜まで起き出してしまったので、今朝は7時に目が覚めました。前日の長い手術の緊張で、身体がいつもと違って調子が狂ってしまったのか。耳の裏と首の付け根の絆創膏がひりひりとして、なかなか寝付けなかったのです。食堂で女将の用意してくれた朝食を食べ、書斎に入って小一時間また眠る。10時には家を出て病院に向かわないといけないから、9時前に蕎麦屋に出掛けて、朝の仕込みをするのでした。

 昨日漬けておいたキャベツとキュウリの浅漬けは、すっかり水が上がって半分くらいの量になっていました。随分と沢山漬けたつもりが、小鉢で10鉢分ほどしかないのです。水で洗って塩抜きして、取りあえず6鉢だけ盛り付け、冷蔵庫に入れておきます。次に出し汁を空になった蕎麦徳利に詰めていく。これだけの作業を済ませたら、もう10時前になっていたので、急いで車に乗り込み市民病院を目指すのです。駐車場が広いから受付まで歩くのに時間がかかる。

 10時30分からの診療でしたが、今日は診療室の前の広い待合室が人で一杯なのでした。お入り下さいと自分の番号が掲示板に出たので、中に入ればいつもの先生が「昨日はお疲れ様でした」「どうもありがとうございます」と挨拶をして、手術の跡を観てもらう。殺菌剤をガーゼに塗って、またテープで耳の後ろと首の後ろにとめる。この作業を毎日家でやらなくてはならないのです。「誰かやってくれる人はいますか?」と言われ「家内がいます」と応えるのでした。

 隣町を抜けて京成線の踏切りを越えたら、いつも行く隣町のスーパーまでもう少し。昔、この近くに昨日亡くなった長嶋茂雄選手の実家があったところです。ここから彼は佐倉高校に通ったのだと言う。スーパーの駐車場は天気が好いせいか、車で溢れていました。女将に頼まれたらっきょうを2kgとトンカツを買って、家に果物が何もなくなったのでキウイを買って家に帰る。女将が鍋に湯を沸かしておいてくれたので、スパゲッティを茹でて昼はボロネーズ。

 ドジャース戦をBSでやっていたので、食後はテレビで観戦する。しばらくしたら椅子で居眠りをしていたので、書斎に入って横になるのです。女将はスポーツクラブに出掛けたらしい。1時間ほど眠って居間に行ってテレビを点ければ、ちょうどドジャースが同点に追いついて延長戦に入ったところでした。逆転勝ちをするところまで無事に見とどけて、コーヒーを淹れて目を覚ますのです。午後はまた蕎麦屋に出掛けて、天麩羅の具材の仕込みです。



6月5日 木曜日 湿度は低いけれど、昼には27℃まで上がった…

 午前5時にアラームで目覚めて、コーヒーを淹れて居間の部屋で頭をすっきりとさせる。今日は暑くなると言うから、蕎麦を沢山用意しなければならないから、5時半には家を出て蕎麦屋に向かうのでした。蕎麦打ち室に入って900gの蕎麦を捏ね、蕎麦玉を寝かせている間に、厨房で昨日のブログを読みながら一服するのでした。再び蕎麦打ち室に入って生地を伸して畳めば、室温が高いからか、いつもと同じ加水率で打ったのに、柔らかめの蕎麦に仕上がる。

 7時に家に帰って食卓につけば、今朝は鰯の蒲焼き丼なのです。昨日の晩もこの蒲焼きは食べたのだけれど、銚子で上がった新鮮な鰯は、15匹で200円ととても安かったから病院の帰りに買って帰ったのです。身体にも好いし、続けて食べても飽きないから不思議。食後は書斎に入って横になるが、どうも眠くならないのです。起き出して着替えと洗面を終えたら、9時前に歩いて蕎麦屋に向かう。食事の時には雨が降っていたけれど、からりと晴れて青空だった。

 今日は女将が来るのが開店の時刻からだったから、急いで大根をおろし、生姜を擦って、早速、野菜サラダの作成に取りかかるのでした。まずはスナップエンドウの筋を取って、ブロッコリーをひと口サイズに切ったら、最初に敷くレタスをちぎってキャベツを刻むのです。アーリーレッドをスライスしたら、盛り付けを初めて、パプリカを切り、ニンジンのジュリエンヌを造る前にひと休みです。10時過ぎにはサラダが出来上がり、お次は苺大福を作るのです。

 スーパーでは苺がもう終わっていたので、農産物直売所で地元の苺農家の作ったものを手に入れた。ひとパック500円といい値段だったけれど、粒が大きく甘いのでした。大きな粒だから白餡で包みきれずに、熱々の求肥を練り上げて片栗粉の上で伸ばし、一つずつ包んでいくのです。包み終わって10時半。新しい胡麻油を天麩羅鍋に注いで、天つゆも新しく鍋に作る。テーブルを拭いて回ったら、ちょうど11時になるのでした。女将はまだ来そうにない。

 室温が25℃を越えていたから、エアコンの冷房を入れていたのだけれど、動かなくなったら足元が冷えてきたので、クーラーを消して窓を全開にする。女将が来る前に暖簾を出して、お客を待つのでした。ところが昼になってもお客の姿がなく、バス通りを走る車の数もいつもより少ないのでした。やっといらっした女性客が一人。テーブルに座ってヘルシーランチセットをご注文でした。それでも食べきれなくて、デザートの苺大福はお持ち帰りなのでした。

 それから女将と二人で待つこと1時間。客が来そうにないので、亭主は賄い蕎麦を食べる。降ろしたばかりの天麩羅の油やパットが汚れるのが嫌だから、蕎麦を茹でて大根おろしと山葵だけで食べるのでした。女将は何度も新聞をめくって読んでいる。静かな午後なです。外は暑すぎて歩く人の姿もない。閉店の時間になったので、残った野菜サラダを包んで大鍋や座の洗い物を始める。2時前には女将と蕎麦屋を出て家に帰るのでした。


6月6日 金曜日 今日も暑かったけれど、お客は今ひとつ…

 昨日はお客が少なかったから、蕎麦をはじめとして準備した食材がそのまま残っている。蕎麦打ちもなく、仕込みもないので、朝はゆっくりと食事をして、蕎麦屋に出掛けるのでした。手術して縫合した耳の後ろと首の根元の三箇所の縫い目を、女将に消毒してもらって、ガーゼと絆創膏で留めてもらう。半袖のシャツにジーンズの出で立ちで、歩くから雪駄ではなく素足でウォーキングシューズを履いて出掛けたのでした。風も暖かく、今日も暑くなりそう。

 昨日よりは雲がうっすらとかかっていたけれど、みずき通りを渡って蕎麦屋の前のバス通りに出れば、サツマイモ畑に植えられた苗が元気に育っているのでした。陽射しは段々と暑くなってくる。蕎麦屋に着いたらまずはチェーンポールを降ろし、玄関の鍵を開けて看板と幟を出します。厨房に入ってカウンターに干してある昨日の洗い物を片付け、冷蔵庫から大根を取り出しておろしておく。次に野菜サラダの具材を取り出して、いつものように三皿分準備する。

 十分に柔らかい苺大福を冷蔵庫から取り出して、カウンターに並べる。女将の来ない日だからと、ペースを上げて準備したら、11時過ぎにはもう開店の支度が終わったのです。電話が鳴って出れば、「水泳部の○○ですけれど」と懐かしい声が、「父親が霊犀亭に行きたいと言っているので、来週の金曜日12時からいいですか?」と断り切れない話なのでした。予約はやっていないと伝えた上で、お待ちしていますと言ってやった。彼女は女子部の部長だったのです。

 確か、先日お母さんと一緒に蕎麦屋を訪れたので、久し振りに話をしたのでした。暖簾を出すのに玄関を出れば、紫陽花が咲き始めていた。鉢植えの綺麗な珍しい品種を、蕎麦屋の地面に移植したものが、10年で随分と大きくなった。あまり素敵だからと、挿し木にするからと枝を持って帰った女性もいたほどなのです。昼までは客はなく、昼を過ぎてやっと女性客がいらっしゃった。いつもカレー蕎麦とビールの常連さんも来店して、ほっと胸をなで下ろす亭主。

 それでも後が続かずに、今日も昨日の続きで暑すぎてお客は少ないのでした。1時半まで待ったけれど、お客は来そうにないので、新しい油でかき揚げを揚げて、賄い蕎麦を食べるのでした。2時過ぎには家に帰り、クーラーを入れてハーフパンツに着替えて、居間の椅子でゆっくりと寛ぐのでした。女将がスポーツクラブから帰ってきて、「お父さん、今日はスバルに行くんじゃないの?」と言われて、約束の時刻まであと僅かなので焦った。今週は二日病院に行ったり車の点検に行ったりで、忙しかったのです。


6月7日 土曜日 昼は暑くなってお客も沢山いらっした…

 今朝も5時起き、アラームで起こされて居間の部屋に行けば、まだ眠たいので、台所でお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。コーヒーをの飲むまでに何分かかっているのだろう。煙草に火を点けるのにはもっと時間がかかるのでした。結局、6時前にガレージのシャッターを開けて蕎麦屋に出掛け、急いで蕎麦打ち室に入るのでした。今朝は750g8人分の蕎麦を打って、昨日の残りと合わせて13食の蕎麦を用意したのです。7時過ぎに家に戻って朝食を食べる。

 鰺の開きを女将と半分ずつ食べ、食事を終えたら居間の部屋でお茶をもらって、書斎に入って横になったのですが、20分経っても眠れない。仕方がないから洗面と髭剃りを済ませて、半袖に薄手のズボンをはいて、ひと休みするのです。9時前には家を出て歩いてみずき通りを渡る。蕎麦屋の駐車場に着けば、ビオウヤナギが咲き乱れているのでした。空は青空が広がって、今日も暑くなる気配なのです。湿度が低いから、窓を開け放って厨房に入りました。

 朝飯前に出来なかったお新香の盛り付けを済まして、大根をおろしていたら、女将がいつもより早くやって来た。「暑くなってきたわね」と言いながら奥の座敷に洗濯物を畳みに行く。亭主は野菜サラダの具材を刻み、盛り付けを始めるのでした。女将が早お昼を食べに帰った頃には、野菜サラダも仕上がって、苺大福を包む準備を始めるのです。苺の蔕を取り、片栗粉をラップの上に敷き、白餡で苺を包んでいく。白玉粉に砂糖と水を加え、火にかけて求肥を作る。

 熱々の求肥で白餡で刳(く)るんだ苺を包み、片栗粉をまぶしていく。やり始めればものの10分で仕上がるのだけれど、準備が大変な作業なのです。再び女将がやって来て、更に暑くなったと言うので窓を閉めてエアコンの冷房を入れる。と、蕎麦屋の下の家のお婆さんがやって来て「お蕎麦をもらえますか」と言うのでした。いつも蕎麦と蕎麦汁だけ持って帰られるのです。息子さんと二人で昼に食べるらしい。最近は、通りでよく見かけるから元気なのでした。

 暖簾を出してお客を待てば、今日はすぐに駐車場に車が入ってきた。それから盆や皿を洗う暇もなく、ずっとお客が続いたのです。天麩羅を揚げては蕎麦を茹で、女将がテーブルに運んでいる間に、亭主が盆と蕎麦皿をセットする。12時半になるころには、もう生舟の中の蕎麦は残り僅かなのでした。へルシーランチセットや鴨せいろも出て、厨房は息つく暇もなくとても忙しい。今日の最後は初めての女性客が二人、天せいろのご注文なのでした。

 最近では珍しく12名のお客が来たので、洗い物には随分と時間がかかった。隣では女将が亭主の洗った皿や小鉢をどんどん拭いてくれる。二人とも無口になる時間なのです。亭主は台所の洗い場が腰を屈めないといけないので、すぐに背中が痛くなる。12組の盆と皿を洗い終わったら、椅子に座ってひと休みするのでした。「今日の晩は何を食べる?」と亭主が女将に聞けば「肉と野菜がないのよ」と言うので「隣町のスーパーに行って刺身でも買ってこようよ」と、2時半に家に帰って、二人で隣町まで出掛けて行くのでした。


6月8日 日曜日 二日続けては混まないのが長年の経験で…

 今朝は緊張していたからか4時半に目が覚めた。蕎麦が売り切れるほどお客が来た翌日は、用意してあった小鉢も蕎麦徳利もみんな空になったので、新しく補充しなければならないのです。大根のなた漬けとキャベツとキュウリの浅漬けだけでは数が足りないので、家で女将が作った切り干し大根の煮物を分けてもらって、蕎麦屋に持ってきたのでした。蕎麦豆腐もなくなったし、天麩羅の具材のレンコンもないので、昼までには用意しなければならない。

 蕎麦汁を蕎麦徳利に詰め終えたら、蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つ。幸いにも外は曇りで雨模様だったから、今日は昨日みたいには混まないだろうと考えて、900gの蕎麦粉を捏ねて、10人分の蕎麦を打ったのです。蕎麦を打ち終えて時計を見れば、7時を回っていた。急いで家に帰って朝食の食卓に就く。昨日女将と買って帰った鰯の蒲焼き丼だったから、とても美味しく頂いたのです。食べ終えてお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのです。

 8時半にアラームで目覚めて、洗面と着替えを済ませたら、雨がぱらついていたので車で蕎麦屋まで行く。玄関脇のウチワサボテンの花が見事に開いて、曇り空なのに明るく華やかなのでした。蕎麦屋に着いてチェーンポールを降ろし、幟と看板を出したら、厨房に入って、早速、蕎麦豆腐を仕込んでおきます。大根をおろす前に、レンコンの皮を剥いて輪切りにしたら、酢水で茹でて天麩羅の具材を用意しておくのでした。やることが決まっていると意外と早い。

 それでもいつもよりは時間が押していて、野菜サラダの具材を刻んで盛り付けを終えたのは、10時半なのでした。それから苺大福を包むのです。11時過ぎには仕込みを終えて、天麩羅の油を鍋に空けたり、天麩羅の具材を調理台に並べたりして、女将の来る時間までには開店の支度が調ったのです。湿度が高いらしくて、曇り空なのに室温が25度もあったので、エアコンの冷房を入れて扇風機を回すのでした。どうも亭主は湿気に弱いらしいのです。

 昼になってもお客が来ないので、やはり混む日は続かないと言う気がした。やっといらっした老夫婦はしばらくメニューを眺めて、ヘルシーランチセットの天麩羅なしをご注文なのでした。せいろ蕎麦に野菜サラダと蕎麦豆腐とデザートの苺大福が付いて1350円。ご主人がビールを頼まれて、随分とゆっくりなさっていかれた。次にいらっしたのは若いカップルで、二人とも天せいろで、すぐに調理をしてお出しする。今日はこれだけで後が続かなかったのです。



6月9日 月曜日 今日はスマホを忘れて写真三枚だけ…


 一週間の緊張の糸が途切れたのか、今朝は7時前まで目が覚めなかった。9時にはお袋様を病院に送っていかなければならなかったので、朝食を食べてゆっくりとひと休みするのでした。鮭の塩焼きとナス焼きは、どちらも亭主の大好物。美味しく頂いて居間の部屋でお茶をもらうのです。いつもなら書斎に入ってひと眠りするところなのですが、今朝は十分に眠ったので大丈夫。9時前には家を出て、お袋様のマンションの下で待つのでした。

 わずか5分で病院に到着して、お袋様は受付を済ませて診療室に入っていく。亭主は車の中で煙草をふかして待つこと30分ほど、肩に電気を当てるだけだから、すぐに終わってしまうのです。それからいつもの買い出しに出掛ける。農産物直売所に行けば、知り合いの農家のご夫婦が野菜を運び入れているところなのでした。採れたての春キャベツや茄子などをもらい、隣町のスーパーにも出掛けて行く。今日は三ツ葉が出ていなかったので買えなかった。

 お袋様を家まで送って、蕎麦屋に寄って野菜類を冷蔵庫に収納する。11時を過ぎていたから、急いで家に帰って昼飯の用意をするのでした。先週残った冷凍したカレーを二人分持ち帰って、昼はカツカレーにしたのです。揚げたてのトンカツを買って帰ったので、まだ温かかった。帰ってすぐに塩抜きをしたシジミの味噌汁がとても美味しかったのです。満腹になったら急に眠くなって、書斎に入ってひと眠りする。女将はその間にスポーツクラブに出掛けた。

 1時間ほど眠ったら目が覚めて、居間の部屋でテレビ映画を観ながらコーヒーを淹れて飲む。午後は蕎麦屋に行って、新しくカレーを仕込もうと思っていたけれど、女将が帰って来るまで西瓜を食べたりしながらテレビを見続ける。やっと女将が帰ってきて、頼んでおいた三ツ葉を買って来てくれたので、それを持って蕎麦屋に出掛けるのでした。カレーの仕込みは約1時間。6食分のカレーをジブロックに詰めて冷凍室に入れる。夜はハラミの串焼きで一献。