3月20日 木曜日 春分の日は陽射しが出たらお客が増えた…

日の出も随分と早くなりました。5時半に目覚めればもう外は明るいのです。コーヒーを飲んだら蕎麦屋に出掛けて、蕎麦打ち室に入るのでした。珍しく今朝は8℃と室温が低いけれど、いつもと同じ47%の加水で蕎麦粉を捏ね始めれば、ちょうど好い柔らかさなのです。蕎麦玉に仕上げて寝かせている間に、厨房に戻ってお新香を小鉢に盛り付ける。蕎麦汁は徳利に大盛り用と合わせて12あったから、今日打つ蕎麦の数よりも多いので新しく補充しなかった。

再び蕎麦打ち室に入って蕎麦玉を伸し広げ、畳んで包丁切りをすれば、切りべら20本で135gの蕎麦が8束取れた。予備には亭主の賄い蕎麦用に熟成の蕎麦が二束あったから、万が一足らなければこれを使えば好いのです。少し色が黒ずんでいるけれど、他の蕎麦と混ぜなければ十分に美味しく食べられる。片付けを終えて7時に蕎麦屋を出て、煙草を買いにコンビニまで車を走らせ、家に着いたのは7時15分頃なのでした。女将が朝食を作り終える時間でした。

食後のお茶をもらったら書斎に入ってひと眠り。随分ゆっくりと眠ったと思っえば、目覚めたのが9時なので驚いた。洗面と着替えを済ませて9時半までには家を出る。風は少し冷たかったけれど、みずき通りには青い空が広がって気持ちが好かったのです。看板と幟を出して、大根をおろし始めたら、女将がやって来たのでびっくりしたら「今日は休日だから早く来ないといけないと思ったのよ」と、亭主がすっかりそれを忘れていたので呆れられた。

生姜をおろして、野菜サラダの具材を盛り付ければ、一本100円もするアスパラの代わりに買ってきた一袋300円のスナップエンドウが、美味しそうなのでした。旬のものだし、約半分の値段で済んだので経済的でもあるのです。女将が早お昼を食べに帰っている間に、亭主は金柑大福を包んでおく。電話が入って「予約はやってないのですか」と言うから「店が狭いので」と応えれば「11時半に行けば大丈夫ですね」と一人で納得している風だった。

ところが電話の主がいらっしゃる前に、年配のご夫婦がやって来た。「電話したものですけれど」と言って歩いてこられたお二人は二番手なのでした。二組とも天せいろのご注文なので、天麩羅を揚げ始めて、続けてお出しする。やっと出し終えるかどうかという時に、五人連れのご家族がカウンターに座るから驚いた。まだ、12時前なのです。それなのにもうお蕎麦はなくなって、女将に売り切れの看板を出してもらった。5人分出すまでに時間がかかるのです。

12時半前に蕎麦がなくなった時には追加で蕎麦を打つと決めているのですが、蕎麦汁も足りなくなりそうなので、今日はここまでと諦める。1時を過ぎてから二組ほどお客がいらっしたけれど、申し訳ないとお断りしたのです。今日が祝日だと忘れていた亭主の失敗なのでした。2時過ぎには女将と家に帰って、亭主は今日の写真と売り上げのデータをパソコンに入力したら、またひと眠りです。今日は夕刻に出入りの業者が荷物を持ってくる日だったのです。
3月21日 金曜日 晴れても、やはり混んだ日の翌日は…

一昨日、野球が終わったと思ったら、夕べはサッカーの放送で、遅くまでテレビを観てしまった。そのせいで今朝はすっかり寝坊して、7時近くまで眠ってしまったのです。それでも慌てずに朝食のテーブルにつき、ゆっくりと朝飯を食べたら、着替えと洗面を済ませて、8時半には家を出て車で蕎麦屋に出掛けるのでした。看板と幟を出し、厨房に入ってコーヒーを沸かして飲む。洗い物の片付けは昨日の夕刻に済ませてあるから、後は蕎麦を打つだけなのです。

蕎麦打ち室に入って750g八人分の蕎麦粉を、加水率47%で捏ねて蕎麦玉を作ったら、寝かせている間にまた厨房に戻って、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充する。そして、お新香が一鉢もなかったから、白菜と大根のなた漬けを盛り付けておくのでした。再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸して畳んで、切りべら140gで八束の蕎麦を用意する。まさか今日は昨日のようには混まないだろうと考えたのでした。混んだ日の翌日は案外空いている日が多いのです。

大根をおろしたら、野菜サラダの具材を刻んで盛り付けていく。金柑大福は昨日作った物が冷蔵庫に手つかずで残っていたので、今日まではお客に出せる。三日目は硬くなりすぎて食べられたものではないので、二日以内に食べるのがベスト。調理台に天麩羅の具材と天ぷら粉を並べて、天麩羅鍋に新しい油を注いで天つゆと共に火にかけておく。後はテーブルを拭いて回れば開店の準備は完了なのですが、まだ11時を過ぎたばかりなのでした。

外の様子を見て歩こうと玄関を出れば、空は青く風もほどほどで気持ちの好い春の陽気なのでした。開店の時間に暖簾を出しても、お客は一向に来そうにない。暖かい日だったけれど、昨日が祝日で明日から週末だから、その間の金曜日に外で蕎麦を食べようという人は少ないのでしょう。息子と同じ歳のお隣の奥さんが車で帰ってきたので、挨拶をして店を止めたら食器類が要らなくなるから、いるものがあれば使ってくださいと伝えておくのでした。

お袋様には、まだ使っていないティーカップを二つ箱に入ったまま持っていってもらったし、長女が来た時にもいるものがあれば持って行ってと言っておいた。次女と息子の所には、まだ言っていないけれど、押し入れに二つも沢山あるから、まだまだなくなりそうにないのです。1時を過ぎでもお客は来ないから、今日はこれで終わりかと思っていたら、1時半近くに車が駐車場に入って、女性二人が玄関を入って来た。「畑仕事を終えたらお腹が空いたのよ」と

言って手を洗いに行く。聞けばお袋様と同じマンションに越してきたばかりで、近くの畑を借りてこれから苗を植えるのだそうな。先日、二回ほど来た料理教室をしている女性から、亭がもう直ぐ閉店する話を聞いたらしい。天せいろを二つと赤いかの天麩羅を頼まれたので、おろしたての油で揚げて、蕎麦を茹でて出して差し上げる。今日はもうこれでお終いだから、野菜サラダと金柑大福をサービスでお出しした。お客がゼロでなかったのが不幸中の幸いか。
3月22日 土曜日 晴れて暖かかったが、風がとても強かった…

5時にセットしたアラームの鳴る前に目が覚めて、お湯を沸かしてコーヒーを飲みました。5時半に家を出れば好かったから、テレビも点けずに今朝の仕事をイメージトレーニング。とにかく蕎麦を打たなければいけない。蕎麦屋に着いて暖房を入れる前に蕎麦打ち室に入ったのです。もう15℃もあったから、今朝は随分と暖かい。47%の加水で750gの生地を捏ね始めれば、ちょうど好い柔らかさで仕上がって、蕎麦玉を作りビニールの袋に入れて寝かせておく。

厨房に戻って昨日の洗い物の片付けを済ませて、ほうじ茶を沸かす。陽が昇ったようなので玄関を出て、日の出の写真を撮っておきました。外は風も心地よく、随分と暖かいのです。再び蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を伸して畳んで切りべら20本で8束の蕎麦を生舟に並べる。昨日の蕎麦と合わせて13束の蕎麦を用意して、今日の営業に備えるのでした。家に帰ればまだ7時前で、女将が魚焼き器を温め始めていたところ。今朝は鯖の塩焼きがとても美味しかった。

食後のひと眠りはせずに、テレビで『西部開拓史』という映画を最後まで観てしまう。椅子に座って身体を休めたから、「行って来ま~す」と女将に声を掛けて歩いて蕎麦屋に向かうのでした。庭の水仙がまだ咲いている。黄色の姫水仙の他にも背の低い白の水仙が咲き始めたから、交配したのだろうかと不思議に思うのでした。蕎麦屋に着いて幟と看板を出したら、家で洗濯を始めた女将のする仕事を少しでも減らそうと、洗濯機の中の洗濯物を干しておく。

大根をおろして、野菜サラダを盛り付け、そろそろ注文の入りそうな豚のハラミが半解凍の状態になっていたので、切って串に刺しておくのでした。天麩羅の具材を入れた容器を調理台に並べて、最後は金柑大福を作る準備に入るのです。店の掃除を終えて早お昼を食べに帰った女将のいない間に、大福を包んで天麩羅鍋に油を入れて、新しい天つゆを作っておきました。向かいのサツマイモ農園では、草刈りが終わって除草シートを敷いているらしかった。

開店の準備は11時前には終わって、カウンターの隅の椅子に座って休んでいたら、女将が歩いてやって来るのが窓から見えた。暖簾を出してしばらくしたら中年のご夫婦が車でいらっした。天せいろを二つ頼まれて、すぐに天麩羅を揚げてお出しするのでした。しかし、この後はいつまで待ってもお客は来なかった。風がとても強くなっていて、そのせいで皆さん家から出ないのだろうかと思えるのでした。とても暖かいのに道を歩いている人もいないのでした。

3月23日 日曜日 暖かくなった日曜日はやはりお客が入った…

6時前に蕎麦屋に行けば、明るくなりかけた空に飛行機雲が…。自衛隊の戦闘機なのでしょうが、こんな朝早くから何処へ行くのだろうか。昨日の盆や皿を片付けて、蕎麦打ち室に入れば、室温16℃湿度は47%。500gだけ打ち足しておこうと、今朝も47%の加水で蕎麦粉を捏ね始める。蕎麦玉にして寝かせている間に、厨房に戻ってお新香を盛り付け、ほうじ茶を沸かしておく。再び蕎麦打ち室に入って、伸して畳んで切りべら21本で140gの蕎麦を5束打った。

7時前に家に戻って朝食を食べたら、書斎に入って1時間ほど眠る。9時前に目覚めて洗面を済ませて歩いて蕎麦屋に出掛ける。今日は風も暖かく、初夏の感じなのでした。蕎麦屋に着いて、幟と看板を出したら、厨房に入って大根をおろす。女将がやって来て店の掃除と洗濯物を畳んでくれた。亭主はもう野菜サラダの具材を刻んでいる。最近は随分と早くサラダが出来上がるので、今日も10時半にはもう開店の支度が終わっていたのです。

タブレットで気になっていた庭木の剪定の時期を調べたら、玄関口にあるヒイラギナンテンは、花が終わる3月にはもう大きく剪定していいと書いてあったので、軍手と剪定ばさみと90㍑のビニール袋をもって玄関を出たのです。僅か20分ほどですが、90㍑の袋は一杯になって、葉の茂った部分を刈り取ったので、後ろにあった紫陽花や影に隠れていた馬酔木が姿を現したのです。女将も亭主も花が好きだから、蕎麦屋を止めても退屈はしないだろうと思った。

今日は開店の直後からお客が入って、夫婦や家族連れがいろいろなメニューを注文するのでした。不思議なことに天せいろはあまり出ずに、カレー蕎麦やキノコ汁などが二つずつも出て、閉店間際にいらっした若いカップルは、天せいろの大盛りとおろし蕎麦に、海老や赤いかの天麩羅を単品で頼まれた。洗い物はその都度終わらせていたので、最後に持ち帰る食材を揃えて袋に入れる方が時間がかかったのです。3時前に家に戻って、女将はすぐに買い物に出掛けた。大相撲の千秋楽だから早く帰ってテレビを観たかったらしい。亭主は午後の昼寝をしていて寝過ごしたので、最後だけ観られた。
3月24日 月曜日 やはり疲れが溜まっていたのか…

今日は11時に内科医の時間指定で病院に行かなくてはならなかった。朝の6時から目覚めていたのだけれど、コーヒーを飲んでゆっくりとしていたのです。それでも9時過ぎには家を出て車で蕎麦屋に出掛けていく。カウンターに干してあった昨日の洗い物を片付けて、出汁取りの準備をしておくのでした。食材がないから仕込みは出来ない。10時前には洗濯機の中の洗濯物も干して、時間が勿体ないと隣町のスーパーに出掛け、明日使う調味料などを買って帰る。

それからすぐに医者に行けば、ぴったり11時5分前に名前を呼ばれて、先生の診断。一週間、朝晩に記録した血圧の数値を見て、順調に下がっているから、今日は一月分の薬を出しておくと言われ、処方箋を持って病院のすぐ隣の薬局に行けば、こちらも客がなくすぐに薬を用意してくれた。11時半には家に帰って、亭主は蕎麦を茹でて食べられた。女将は亭主が遅くなると思ったのか、野菜スープを作って納豆で昼食を食べていたのです。

昼過ぎには彼女は家を出て、スポーツクラブに出掛けた。亭主は書斎に入って昼寝をしようと思ったけれど、横になっても眠くならないので、車を出して再び蕎麦屋に出掛けるのでした。買って帰った白菜を切り分けて、塩で樽に漬け込んだら、出汁取りを始めて、一番出汁と二番出汁を取る。明日はゴミ回収の業者が来る日なので今日までに溜まったゴミを外の大きなゴミ袋に入れる。まだ3時前だったから、国道沿いの酒屋まで行って焼酎と炭酸を買って帰る。
3月25日 火曜日 今日も暑く、目まぐるしい一日でした…
夕べは9時過ぎにもう眠くなって、10時前まで我慢して起きていたけれど、眠気には勝てなかった。案の定、3時前に目が覚めて、テレビで映画を一本見てから床に入るのでした。目覚めればもう7時前で、朝食の時間なのです。食後もぐずぐずとしてなかなか目が覚めない。やっと9時前にお袋様に電話をして、迎えに行くのでした。「血圧の調子はどう?」と尋ねられて「薬の威力は凄いね。飲んだ次の日から150以下に下がったよ」と応えるのでした。

二人で農産物直売所と隣町のスーパーに行って買い物をしたら、お袋様を送って蕎麦屋に戻る。野菜類を冷蔵庫に収納して、家に帰ってひと休みです。昼食に蕎麦を茹でて食べ、2時過ぎに女将のスポーツクラブの予約を済ませたら、ひと月振りに床屋に行って髪を刈ってもらうのでした。80歳になる親父様は、昼飯を食べたばかりで奥で休んでいたらしい。お互いに元気でいるかと話をしながら、綺麗に髪を刈ってもらって髭を剃って生き返るようなのでした。

5時を過ぎたら女将も仕事部屋から出て来て、夕飯の支度を始める。亭主は蕎麦屋の残りもののハラミの串焼きを焼いてもらって、白菜のお新香とホウレン草のお浸しとで焼酎の炭酸割りを飲む。女将はやはり蕎麦屋で残った鴨肉と長葱を焼いてご飯を食べていた。一度に沢山は食べられないから、その時はそれで腹が一杯になるのだけれど、夜になるとどうしてもまた腹が減るのでした。それでも今日は冷凍のたこ焼きを三つだけチーンして我慢するのです。