3月10日 月曜日 まだ寒い朝と昼の暖かさが対照的…

朝飯を食べ終え、仕入れに行く少し前に蕎麦屋に寄って、カウンターに干してあった昨日の洗い物を片付ける。亭主はコーヒーを入れて一服したら、お袋様に電話をして迎えに行くのでした。朝の空気はまだまだ寒いけれど、空は晴れて陽射しが懐かしい。農産物直売所ではトマトやホウレン草などを仕入れて、隣町のスーパーまで車を走らせる。なぜか今日は駐車場も空いていて、買い物リストに印刷した食材はすべて揃えることが出来たのです。

お袋様を家まで送って蕎麦屋に戻れば、もう陽が高くなって温かくなって来た。空になった蕎麦徳利に、ストックしてあった蕎麦汁を入れてもまだ足りないから、昨日のうちに、出汁取りの準備をしておいた鍋に火を入れて、隣で白菜と大根を切って塩漬けにする。出汁取りには小一時間かかるから、出来上がった頃にはもう昼飯の準備をする時間になったのです。家に戻って先週の残ったカレーを温めて、買って帰ったトンカツを切ってカツカレーを作る。

揚げたてのトンカツは少し冷えてしまったけれど、一枚200円だから随分と安いのです。最近は自分で作る物と出来合いの総菜を組み合わせて、美味しく食べるという習慣が付いてきているのです。カレーは午後からの仕込みで、新しく作る予定なのです。鶏肉を出汁で煮込んで野菜を入れて作るカレーは、具が多くて好きな人には密かな人気だから、寒いこともあってカレーうどんやカレー蕎麦で随分と出るのでした。最後のひと袋は家に持ち帰って食べる。

午後はいつものようにひと眠りはせずに、女将がスポーツクラブに出掛けた後に、蕎麦屋に出掛けて仕込みを始める。明日は午前中が病院で耳裏の腫瘍の手術。麻酔が効いている間は車は運転できないから、弟に車で送ってもらうのです。少しでも今日のうちに仕込みをしておこうと、小一時間掛けて最初に出汁を取り、キノコ汁とカレーを仕込んでおきます。家に帰ったのが4時で、大相撲を見始めたら、知っている力士たちが随分と下位で登場するので驚いた。

3月11日 火曜日 早朝から頑張りすぎて…

夕べは10時半に床に就いたので、夜中に何回か目を覚まして、4時にはもうすっかり目覚めてしまったのです。暖かいこともあったけれど、今日は耳の裏にできた腫瘍の手術だったから、緊張していたのかも知れない。コーヒーを沸かして1時間ほどテレビのニュースを見て、時間の経つのを紛らわせていました。5時には車を出して蕎麦屋に出掛ける。朝飯前にたっぷり1時間半もしこみをしたから、沢山の仕事が出来たのです。家に帰ればまだ6時半過ぎ。

もう一度眠ろうかとも思ったけれど、女将が早く起き出して台所に入ったので、今朝は7時に朝食を食べ始められた。彼女も暖かい夜だったのも手伝って、亭主の手術が心配でよく眠れなかったと言う。骨取りの塩鯖は脂が乗っていてとても美味しかった。先週店で漬けた白菜のお新香も好い味を出していた。茄子焼きにはチューブに入った大蒜を買ってきたので、すり下ろす手間が省ける。青魚とキノコ汁とで身体にも良いものばかりなのでした。

腹が一杯になったところで、書斎に入ってひと眠りする。8時半には目が覚めて、ちょうど1時間眠った計算です。9時5分前には弟が来てくれて、隣町の大きな病院に行ったのですが、今日は駐車場も満配で、停めるのにひと苦労しました。混んでいる受付を済ませて血圧を測り、順番を待てば、看護師さんがやって来てもう一度血圧測定。しばらくして今度は担当の医師が一緒にやって来て「血圧が高すぎるので今日は中止にしましょう」と言うのでした。
「先日の検査結果は三ヶ月有効だから、かかりつけの内科に行って血圧の薬を処方してもらって下さい。150以下にならないと手術は出来ません」と言われた。しばらく血圧などは気にしていなかったけれど、最近は家にある自動血圧測定器も埃を被っていた。肋骨を折ってからというもの、ますます動かなくなったし、歩かなくなって、血流が悪くなったと自分でも思っていたところだから、ちょうど好いシグナルなのでした。早速、近くの内科の予約を取った。
3月12日 水曜日 一日中、暖かな春の雨で…

今朝はゆっくりと目覚めて、食堂で寝起きの血圧を測ってみる。180の104と依然として高いままなのでした。もしかすると最近はずっとこんな調子なのかも知れないと不安になる。朝食後に蕎麦屋に出掛ければ、朝から暖かな雨が降っていました。午前中の仕込みの最初は、冷凍された白餡に氷砂糖と水を加えて、弱火で煮詰めること。硬くなるまでに時間がかかるから、隣の調理台で白菜のお新香を漬け直すのでした。その間にタブレットを充電しておきます。

ここでコーヒーを沸かして一服したら、今度は天麩羅の具材を仕込んでおきます。蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら、酢水に浸けてそのまま茹でる。薬味の小葱を刻んだら、生椎茸、ピーマン、茄子の順番で切り分けて、容器に入れていく。今週は農産物直売所に蕗の薹が出ていたので、天麩羅に揚げて添えることにした。硬くなった白餡をタッパに入れて冷蔵庫で保存しておきます。10時半になったので、午前中の仕込みを切り上げて家に帰るのでした。

昼食は軽く納豆とお新香で済ませて、女将がスポーツクラブに出掛けてから、書斎に入って確定申告の準備をするのでした。蕎麦屋の売り上げや取引先の金額合計は既に用意してあるから、今日は公的年金の源泉徴収票や火災保険の保険料控除証明書などを、机の上の書棚から捜して揃えておく。後はパソコン入力の画面で一つずつ入力していけば好いのだけれど、先日、保存したはずの画面が出て来ないではありませんか。もう一度最初からやり直さなくては…。

女将が帰ってきて、夕飯の支度を始めたら、ちょっと蕎麦屋で蕎麦を打ってくると言って、明日の分の蕎麦を少しだけ打ちに出掛けたのです。明日は暖かくなると言うから、蕎麦ちが一回では足りないかも知れないと、あらかじめ一度は打っておきたかったのです。捏ねた蕎麦玉を寝かせている間に、お新香を小鉢に盛り付け、再び蕎麦打ち室に入って、8人分の蕎麦を打つのでした。急いで家に帰れば、テレビの大相撲がちょうど佳境に入っていた。

3月13日 木曜日 曇っていたけれど初夏の暖かさで…

今朝は半袖の下着の上に長袖のシャツとベストだけで家を出た。朝から随分と暖かかったので、6時過ぎに蕎麦打ちに出掛けて、5束半だけ打ったら家に帰ったのです。蕎麦は昨日の晩に8束打っておいて正解なのでした。どうしても定休日明けは忙しないから、昨日のうちに出来ることは全部やっておいたのです。蕎麦打ち室の温度は15℃、湿度が57%もあったから、蕎麦も打ちやすかった。玄関脇の馬酔木もつぼみが膨らんで、春の訪れを知らせているのです。

7時過ぎに家に帰れば、女将が台所に立って朝食の支度をしてくれていた。茄子焼きの大蒜醤油だけでご飯茶碗の半分くらいは食べて、残りは鰺の開きで食べるのでした。菜花のお浸しがまだ売っているらしい。食後のお茶をもらったら、書斎に入って1時間ほど眠る。洗面と着替えを済ませて、玄関を出たのが9時半近くで、女将がもう洗濯物を干しに庭に出ていた。「姫水仙が綺麗でしょ」と、通りに出た亭主に庭から声を掛ける。「下から見るのがいいね」

木曜日は女将が来るのが開店の時間からだから、看板と幟を出したら、厨房に入って大根と生姜をおろし、10時半までに野菜サラダを作ってしまう。それから金柑大福を包んで、店の掃除を始めるのです。薄陽が差すけれど、青空は見えなかった。でも、室温は徐々に上がって、昼には24℃になったのでエアコンを消したのです。今日はのんびりとお客がやって来たけれど、皆さんリピーターの方ばかりなのです。「まだ、店は閉めないんだね」とお年寄りが言う。

ビールを頼まれる老人もいれば、鴨せいろを頼まれる老人もいて今日はお年寄りが多かった。暖かくなったからなのかも知れない。近くに蕎麦屋がないからと、隣の町からいらっしゃった年配のご夫婦もいた。「ここの店の蕎麦の太さがちょうど好いんだよ」と鴨せいろに豚のハラミの串焼きを頼まれる。かと思えば、生後4ヶ月と言う赤ん坊を連れたご夫婦もいらっして、天せいろとヘルシーランチセットをご注文なのでした。赤児はニコニコと笑っていた。

3月14日 金曜日 今日も暖かかったけれど…

夕べは深夜まで確定申告書の作成をしていたので、今朝は目覚めたらもう6時半なのでした。暖かい朝だから暖房のスイッチを入れに蕎麦屋へ行く必要もない。朝食を食べ終えても書斎へは行かずに居間でお茶をもらったら、洗面と着替えを済ませて、8時前には車に乗って蕎麦屋へ出掛けたのです。空は晴れて陽射しはあったけれど、陽射しの暖かさではなく空気そのものが暖かかったのです。幟と看板を出したら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。

室温15℃で湿度は57%もあるから、47%では少し生地が柔らかくなりすぎるかと思ったら、1kg詰めの作り置きだったからか、ちょうど好い硬さで生地が仕上がりました。今朝は昨日の夕方に業者を待つ間に、洗い物も片付けてあったから、生地を寝かせている間に何もする事がなかった。玄関を出て馬酔木の蕾を眺め、西の小径まで歩いて、暖かくなって草が伸びていないか確認してくるのです。幸い、まだ草は伸びておらず、木槿やタラの芽も芽吹いていない。

30分ほどして再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸して畳んで蕎麦切りまで終える。後は大根をおろしてアスパラガスとブロッコリーを茹でたら、野菜を刻むだけ。10時前にはこれも終わってしまい、少し時間があったので、国税庁の確定申告書の作成コーナーヘルプデスクに電話をして、夕べ行き詰まった疑問を尋ねたのです。収支内訳書の画面が出て来ないと言ったら、とても親切に対応してくれて最初の画面での選択が違っていたことが判明したのです。

歳を取ったせいか、一つの画面を眺めても、いろいろな情報が一度には頭に入らないのです。タブレットで入力画面を見ようと思ったら、パソコン画面の出力をOFFにしろと出て来たので、いろいろいじってしまってからでは後が大変と、そこで止めておく。どうせプリンターのインクがなくなったので、買いに行かなくてはならないので、明日の午後にでも電気店に行ってこよう。その前に、今日は午前中に届いた蕎麦粉の代金を支払いに行かなくては。

エアコンのスイッチを切るほどに暖かな昼だったけれど、お客はリピーターのお年寄り夫婦と親子らしき二組いらっしただけなのでした。駐車場には亭主の車を含めて三台車が停まっていたので、他のお客は来ないはず。皆さん亭主よりも年上で「蕎麦屋を止めてしまうのは勿体ないね」と言う。病気や手術の話をゆっくりと話しながら、蕎麦を食べて帰られたのです。ヘルシーランチセットの天せいろを頼まれた方は、デザートをお持ち帰りになられた。

3月15日 土曜日 北風が昨日よりも冷たく感じる一日…

今朝もスマホのアラームより先に目が覚めて、台所でお湯を沸かしてコーヒーを入れる。NHKのデジタル放送で佐倉の天気予報を見たら、今日は昨日よりも少し気温が低かった。朝だけ晴れて、後は曇りの一日なのでした。車で蕎麦屋まで行って、蕎麦打ち室に入り、今日の蕎麦を打つ。蕎麦粉が来たので750g打って、昨日の蕎麦と合わせて15食用意しました。残れば明日も使えるので、心配はないのです。室温15℃、湿度は50%を越えていました。

7時前に家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べ、書斎に入ってひと眠りするのです。今朝は40分ほどで目が覚めて、9時前に再び家を出て蕎麦屋に歩いて向かうのでした。確定申告の収支報告書は今日の午後に仕上げて、既に印刷してある確定申告書と合わせて仕上げれば好い。一つ一つこなしていけば、何事もいつかは終わるのだと思いながら、蕎麦屋の玄関に辿り着くのでした。幟と看板を出して、厨房に入れば、大根をおろして野菜サラダを作る。

天麩羅の具材を入れた容器を調理台の上に並べ、まな板の上にラップを敷いて、片栗粉を撒いたら、いよいよ金柑大福を作り始めるのです。白餡を両手で丸めて丸くなるように潰し、金柑の甘露煮を載せて、白餡で包んでおく。白玉粉に水と砂糖を混ぜて火にかけ、小さなしゃもじで掻き回しながら、硬くなってきたら火を止めれば求肥の完成。これを四等分して片栗粉の上で正円に伸ばし、白餡で包んだ金柑の玉をくるんでいけば、金柑大福の完成です。

昨日よりも風が冷たいからか、今日は土曜日なのにお客が少なかった。それでも、月に一度ほどいらっしゃる年配の常連さんご夫婦が、ヘルシーランチセットの天せいろを頼まれるのでした。7月いっぱいで店を閉めて、ここに引っ越してくるのですという話をすれば、「それは残念ですね」と何回も言っていた。惜しまれて閉店するのは悪い気分ではないけれど、何事も区切りと気持ちの転換が大切だと自分に言い聞かせるのでした。
3月16日 日曜日 やっと確定申告の書類が完成した…

夕べはまた遅くまで確定申告の書類を作っていたので、今朝はなかなか起きられなかった。幸いにも、蕎麦は十分にあったので、朝飯前に蕎麦屋に行かなくても済んだから助かったのです。朝飯までに昨日のブログを書いて、食堂に行けば今朝のご馳走は、旬の鰯の蒲焼き丼なのでした。とても美味しく頂いて、書斎に入って食後のひと眠りをするのです。どこだか分からないけれど友だちを車に乗せて、目的の場所になかなか辿り着かない夢を見て目が覚める。

時計を見れば9時を過ぎていたけれど、慌てずにゆっくりと支度をして9時半前に家を出るのでした。外は雨が強く降っていたので今朝は車で蕎麦屋に出掛けたのです。一日中雨の予報だったから、これではお客も来ないだろうと、傘を差して歩いて来た女将と話をするのでした。そんな天気でも朝の仕込みはちゃんとしなくてはいけないので、薬味の葱を刻んだら大根をおろして、野菜サラダの具材を刻み、いつものように三皿に盛り付けるのです。

暖簾を出してから1時間経っても2時間経ってもお客は来なかった。天気予報通りに雨は降り続き、亭主は賄い蕎麦を茹でて食べるのでした。週末の蕎麦屋での残りものは、家に持ち帰らなければならなかったので、天麩羅の具材は揚げて蕎麦を食べる明日のおかずにしようと考える。蕎麦はかなりの数が残ってしまったから、家でも消化するのが大変なのです。持ち帰る荷物を車に載せて、女将と一緒に家まで帰ったのが、2時半なのでした。

店で残った金柑大福を女将と二人で食べて、お茶をもらったら亭主は午後の昼寝をするのでした。お腹が一杯になってストーブに当たっているとどうしても眠くなる。テレビの大相撲の途中から目が覚めて、コーヒーを入れて飲むのだけれど、確定申告の書類はまだ完成していない。昨日、印刷してみたけれど、何処かに入力ミスがあって、税金を納めなければいけない。よく考えたら、蕎麦屋の外壁塗装の費用を入力していなかった。夕食を終えた夜になってもう一度最初から作り直したら、例年通りの書式が完成したのです。
3月17日 月曜日 とても忙しない一日でしたが、無事に帰宅…

今朝は朝食を終えて8時半に家を出て、近くの内科に行って9時からの受付を済ませる。予約の番号は10時半頃ですねと言われて、それまでの時間を無駄にしてはいけないと、9時から始まる確定申告の受付の場所に向かうのでした。毎年行っているのだけれど、家から車で20分ほどの公民館は、分かりづらい場所にあるのでした。運良く間違わずに見つけて、駐車場に車を停めて中に入れば、確定申告の受付は金曜日で終わったと言われたのでした。

「成田のイオンモールに行けば今日まで受付をしていますよ」と言われて、午後一番で出掛けて行かなくてはと頭を切り換えて、朝の病院に戻って診察を待つ。待合室で30分ほど待ったら名前を呼ばれて、診察室の中に入れば、沢山の看護師がそれぞれの仕事をして動いていた。血圧を測ったら170の100と言われて、毎朝一回の血圧を下げる薬と、160と180を越えた時に飲む頓服薬とを処方してくれたのです。薬をもらって家に帰ったのはちょうど11時半でした。

女将が天麩羅をフライパンで焼いて、鍋に湯を沸かしておいてくれたので、亭主はすぐに蕎麦を茹でて二人で蕎麦を食べるのです。食休みもそこそこにして、今日は女将がスポーツクラブに出掛けるよりも先に亭主が車に乗り込んだ。成田までは自宅から約30kmだから、片道1時間はかかるのです。イオンモールで確定申告をしたのはもう何年も前だから、道も忘れてしまったので古いカーナビの案内に従って、道を選んでやっとのことで辿り着くのでした。

成田のイオンモールはとても広すぎて、受付の会場が何処なのかを捜すのも大変。覚束ない記憶を頼りに建物の外れの入り口を車で上って、確か二階だったなと、近くのエレベーターで降りたのですが、幸運にも受付会場の目の前に出て、僅か1分ほどで報告書を提出することが出来たのです。帰りもまた1時間のドライブで、こんな長い時間の運転は、ここ数年経験したことがないから、眠い目を擦りながらやっと隣町まで走り着いたのでした。

昨日思い描いていた計画通りにいつも行くスーパーに寄り、明日の墓参に持って行く花を6買って家に帰るのでした。なんと2時半過ぎになっていたのです。陽射しの差し込む書斎に入って、バタンギューでひと眠りなのでした。目覚めれば4時半で、女将はとっくに帰ってきていました。夜は焼き蕎麦をお願いしますと言われて、大相撲の中継を観ながら、店で残った野菜サラダ三つ分の野菜を入れて、あんかけ焼きそばを作るのでした。

3月18日 火曜日 春の墓参は陽も出て天気に恵まれた…

昨日は忙しなく移動していたので疲れたのか、今朝はゆっくりと目覚め、朝飯前に蕎麦屋に出掛けて洗濯物を畳んだだけ。洗濯機の中の洗濯物は部屋干しのハンガーに干しておく。新聞受けに溜まっていた新聞と、ひと月分の古新聞の入った袋を車に積んで家に帰るのでした。朝食を食べ終えたら着替えを済ませて、女将と一緒にお袋様を迎えに行く。農産物直売所に寄ってから、隣町のスーパーに行く前に間にある霊園に墓参に出掛けるのでした。

天気が好かったからか、墓参りに来る人たちが随分いたのです。三人で三つの墓にかわるがわる線香を供えて、また一つ行事が終わったと安堵するのでした。スーパーではいつもと違って女将が一緒だったので、亭主は店の食材だけ自分の籠に入れれば好かった。女将とお袋様を家まで送って蕎麦屋に戻り、買って帰った野菜類を冷蔵庫に入れたら、大根のなた漬けの下ごしらえと、白菜の塩漬けを済ませて、出汁取りの準備をしてから家に帰るのでした。

昼は昨日と同じく天麩羅の残りと蕎麦を茹でて天麩羅蕎麦を食べる。日曜日の分の蕎麦がまだ残っているのでした。食後は女将のスポーツクラブの予約があったので、またひと眠りは出来なかった。居間の椅子に座ったままストーブに当たってウトウトするだけでした。無事に予約を終えたら、仕事部屋で書を書いている女将に声を掛けて、蕎麦屋に出掛けて出汁取りをする。ついでにキノコ汁も作っておくのでした。夜は常夜鍋と茶碗蒸しで一献。

3月19日 水曜日 今日は朝から激しい天気の移り変わりで…

今朝も6時過ぎに目覚めて、朝の血圧を計ったら薬を飲み始めたせいか、いつもより低い数値なのでした。毎朝の飲む錠剤以外に、160~180まではピンクの頓服を、180以上ならオレンジの頓服を飲むように言われているから、今日は170だったので、ピンクの錠剤を飲んだのです。体調はいつもと変わらず、目に見えない血圧だけが気になるのです。ゆっくりと眠った朝だったから、食後はひと眠りをせずに9時前に蕎麦屋に出掛けて午前中の仕込み。

まずはなた漬けと白菜のお新香を漬け直して、明日の朝には出せるように準備しておきます。それから蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら、酢水で茹でて冷やし、玉葱をスライスしてかき揚げの具材を用意しておくのです。三ツ葉を刻んでタッパに入れて、長葱をみじん切りにして容器に入れておく。南瓜はレンジが壊れているから、種を取って半分に切り、七枚だけスライスしてタッパに入れて家に持ち帰り、チーンして冷蔵庫で保管しておきます。

時間があるので、レンジ周りをセスキの掃除液でスプレーしたらタオルでゴシゴシ擦って、油汚れを落とします。ひと通り綺麗になったら南瓜の入ったタッパと今日の新聞を持って家に帰るのです。外は朝から雨だったけれど、この時間には霙に変わり、昼飯前には雪に変わっていました。激しい雷が鳴って、空の様子はみるみる変わって行くのでした。昼は寒いので蕎麦を食べたくないと言う女将のために、ラーメンを薄味で作って餃子を焼いてやるのでした。

亭主は残った蕎麦を二人分茹でて一人で食べる。ラーメンがそれほど好きではない女将も、背に腹は替えられず暖かい汁が好いと見えた。東京の下町で育った亭主は、子どもの頃からチャルメラの屋台に父と一緒に食べに行ったり、近所の中華屋に家族でラーメンを食べに行ったりと、親しみがあったのですが、山の手で年寄り夫婦に育てられた女将は、ラーメンそのものをあまり食べなかったらしい。子供の小さな頃にはよく家で鶏ガラスープで作ったものだが。

昼の暖かい時間に降った雪だから、一時は大粒だったけれど、積もるところまでは行かなかった。それでも女将は心配らしく、スポーツクラブまで車で送ってくれと言うのでした。午前中にすべての仕込みを終えた亭主は、どうせテレビの映画を観ているだけだから二つ返事で車を出すのでした。晩のおかずはおでんにするからと、昼までに大根も煮てあったのです。ところが、スポーツクラブが終わる時間になって「財布を忘れた」と電話が入ったのでした。

珍しくスマホだけは持って出掛けたらしい。ちょうど蕎麦屋に出掛けようと思って準備していたから、すぐに財布を届けて、彼女の荷物を車に積んで、そのまま蕎麦屋に行く亭主なのでした。ところがカバンの中を覗いたら家の鍵を入れたままで、買い物をして家に帰っても中には入れない。亭主が気が付いて車で家に向かった時には、女将はもう蕎麦屋に向かっていた。みずき通りを渡ったところで捕まえて、一緒に家に帰るのでした。「思わぬ雪で慌ててしまったのよ」と、台所で晩の支度を始める女将なのです。