2025年3月上旬



3月1日 土曜日 今日はうららかな春の陽射しで…

 今朝は寝坊して目が覚めたらもう6時半なのでした。スマホのアラームも消えていたから、セットするのを忘れていたのです。昨日は開店から閉店間際まで、長い時間お客がいたので立っていたせいか、疲れたのだろうと思います。蕎麦も打ってないので8時に玄関を出れば、鉢植えの梅が咲いていた。蕎麦屋に引っ越すことになってからというもの、庭も荒れ放題なのですが、「主(あるじ)なしとて春を忘るな」とばかり懸命に花を咲かせている。

 蕎麦屋まで緩やかな勾配のある道をゆっくりと歩けば、いつもならひきずってしまう右足も軽く、前に出せるのでした。疲れていないとゆっくりならば大丈夫なのですが、足の裏の地面に接する感覚が、やはり左足とは違って、足の裏全体ではなく親指の近辺だけで前に進んでいるような気がするのです。蕎麦屋に着いて幟と暖簾を出したら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。750gの蕎麦粉を47.5%の加水で捏ね始めれば、ちょうど好い生地が仕上がる。

 蕎麦打ちが終わったら、厨房に戻って昨日の洗い物を片付けて、蕎麦豆腐を作ったり、蓮根の皮を剥いて酢水で茹でたりと、結構、やることが沢山ある。大根をすりおろして、ブロッコリーとスナップエンドウを茹でるまでに、いつもよりも時間がかかったのです。早お昼を食べに帰っていた女将が戻り、開店の準備が整ったのは、もう11時20分を過ぎていた。暖簾を出したら、すぐに駐車場に車が入って、墨染めの衣を着たお坊さんがお客でいらっしたのです。

 続いて、年配のご夫婦と娘さんらしき三人連れがいらっして、更にいつも白エビのかき揚げとせいろ蕎麦を頼まれる老人がご来店なのでした。全員のオーダーの蕎麦を出し終えて一息入れたら、もう12時を過ぎていました。皆さんが帰ったのは1時前。それからが後半戦なのです。昨日よりも沢山のお客が来て嬉しかったけれど、売り上げは一番少なかったのです。せいろ蕎麦やぶっかけ蕎麦が出たのがその原因。でも、せいろ蕎麦を頼む人は本当の蕎麦好き。

 後半の方が人数も少なかったから、亭主は賄い蕎麦を食べて、洗い物もすぐに終わりました。女将と家に帰ったのは2時半前なのでした。店で残った金柑大福とお茶が出て、亭主は書斎に入ってパソコンに向かい、今日の売り上げ伝票と写真を入力したら、暖かい午後の陽射しを浴びながらひと眠り。4時過ぎには目覚めて、足りなくなった白玉粉とアスパラを買いに、隣町のスーパーに出掛ける。まだ店の混む前だったから、熱々のトンカツまで買って帰った。


3月2日 日曜日 とても暖かくなった昼…

 今朝は4時半にスマホのアラームを鳴らして目を覚ます。お湯を沸かしてコーヒーを入れたら、居間の部屋でしばらくぼーっとしていました。5時になったら家を出て車で蕎麦屋に向かうのです。蕎麦屋の中は暖かく、蕎麦打ち室も14℃もあった。それでもいつもの加水で蕎麦粉を捏ね始め、蕎麦玉を寝かせている間に小鉢を盛り付けるのでした。柔らかい生地は伸しやすく、四隅が綺麗に取れたので、畳んで包丁切りをすれば、135gで8束取れたのです。

 蕎麦打ちを終えて6時半。向かいのサツマイモ農園の人たちがこんな朝早くから来て仕事をしている。昇る朝日もどこか春めいているのでした。家に帰って居間に入れば、女将はまだ朝食の準備中。卵かけご飯でよければすぐに食べられると言われて、亭主はご飯をよそって卵を掛けて飯を食うのでした。朝が早かったからか、もう眠くて仕方がないのです。居間の部屋でお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。ぐっすりと1時間以上眠った。

 着替えと洗面を済ませて9時過ぎには家を出て、蕎麦屋に着いたら看板と幟を出して厨房に入る。大根をおろして薬味の葱を刻み、ブロッコリーとアスパラを茹でたところで、白餡がないのに気が付いた。早お昼に家に帰る女将と一緒に家に戻って、冷凍室に入れてあった白餡の袋を持って再び蕎麦屋に戻るのです。足の具合が良かったからスタスタと歩いてみずき通りを渡ったのでした。野菜サラダの具材を刻みながら、白餡を三分の一だけ割っ小小鍋に入れる。

 氷砂糖と水を入れて硬くなるまで煮詰めるのですが、その間に野菜サラダは出来上がるのでした。エアコンを入れていた店内が随分と暖かくなったので、24℃を越えたところでエアコンのスイッチを切る。女将が早お昼を済ませて蕎麦屋に戻る頃には、出来上がった白餡を丸めて伸ばし、金柑を載せて求肥を作っているところなのでした。今日は日曜だからかお客の出足も遅く、昼を過ぎてだいぶ経った頃にやっと最初のお客がいらっしたのです。

 暖かいからか、歩いていらっしたご夫婦は、お二人とも天せいろをご注文。次いで近くのマンションから歩いて来る常連さんが、今日はカレー蕎麦の大盛りとビールを頼まれて、いつものカウンターの隅に座るのでした。電話が入って道順を聞かれたからと、女将が受話器を亭主のところに持ってくる。JRの佐倉駅近くからいらっしゃると言う。「30分はかかるよ」とカウンターのお客が言えば、本当に店に着いたのが1時過ぎなのでした。ご夫婦で天せいろを二つ頼まれて、いろいろ話をし始めるから大変なのでした。


3月3日 月曜日 今日は朝から忙しかった…

 今朝も4時前から目を覚まして、家に残っていた最後のコーヒーを入れて飲んだ。どうも昨日の朝の早起きが今日にも影響を与えるらしいのです。定休日だったので、そんなに早く蕎麦屋に行く必要はなかったから、今の回転椅子に座ってストーブに当たりながら、6時過ぎまでウトウトしたら、やはり出掛けようと明るくなった外に出るのでした。冷たい雨が降って道路は濡れていました。昨日の洗い物を片付けて、家に持ち帰る蕎麦と蕎麦汁を詰めておく。

 週の終わりは蕎麦屋で残ったものと、肉や魚はなくなったから、生卵と納豆がタンパク源。それでも美味しく頂いて、亭主はひと眠りもせずに洗面と着替えを済ませる。今朝は8時から駅前の皮膚科に行って並ばなければいけないのでした。耳の後ろ側に妙な突起物が出来て、いじっていたら血が出てしまい、固まったら黒く柔らかな肉の塊がぶら下がっているので、見てもらいに行くのでした。1時間近く待って、1番で先生に見てもらえば、「手術が必要です」

 と、地域の大きな病院の形成医外科に紹介状を書いてくれた。先日、CTを撮りに行った病院なので勝手は分かっている。しかし、こう頻繁に病院に通うのは、やはり身体にガタが来ているのだろうか。時間はあるけれどお金がかかってしようがないのです。家に帰って、早速、電話で予約を取れば、明日の午後一番で来て下さいと言われて、午前中の仕入れも終わるし、ちょうど好かったのです。後は、仕入れの費用と残ったお金で病院の支払いが出来るか…。

 まだ10時前だったので、蕎麦屋に出掛けて返しを作って出汁取りの準備をする。明日の午後は病院に行かなくてはならないから、少しでも今日のうちに仕込みをしておかなくてはいけないのです。11時には家に戻って、温かい蕎麦が食べたいと言う女将の希望で、鴨南蛮蕎麦を作ることにしたのです。店で鴨肉を解凍しておいたら、そんな週末に限って一つも出なかった。ドリップが出て、来週はもう使えないのです。久し振りに美味しい蕎麦を食べる。

 雪交じりの雨の降る午後は、女将がスポーツクラブに行くのも大変そうだったから、「送って行こうか?」と言えば、いつもは拒否されるのに、今日は寒さも手伝ってか「助かるわ」と亭主の出した車に乗るのでした。いつも持って出ないスマホを持たせて、帰りも迎えに行くからと言っておくのです。そのまま蕎麦屋に向かって、亭主は出汁取りを始める。寒くなりそうな週末で、温かい汁の蕎麦が出そうだからと、二番出汁は5㍑も取っておきました。

 1時間も出汁を取って昼寝もしなかったので少し疲れたけれど、明日の予定を考えて、頑張って金柑の種を取り、甘露煮を作っておくのでした。それでも女将の帰る時間にはまだ早かったから、洗濯物を畳んで、洗濯機の中に洗ったままの洗濯物を干しておく。郵便受けにゴミ回収業者の請求書が入っていたので、コンビニまで行って振り込んでおくのでした。ついでに煙草と卵サンドと牛乳を買って、駐車場でパンを食べていたらちょうど女将から電話が入る。



3月4日 火曜日 今日も目まぐるしい一日でした…

 今日は午後から地域の大きな病院に行って受付を済ませなければいけなかったので、お袋様との仕入れに出掛ける前に、朝飯前のひと仕事。空になった蕎麦徳利に昨日作った蕎麦汁を詰めて、白餡を作ったり、キノコ汁を仕込んだりと早朝から忙しかった。家に帰って夕べの残りの鴨鍋にご飯を入れておじやを食べる。寒いから身体が温まってなかなか美味しかった。お袋様を迎えに行って、車の中で耳の裏にできた腫瘍の手術の話を伝えるのでした。

 隣町のスーパーに行けば、白菜が半分で450円もしたけれど、茄子や胡瓜を買ってぬか漬けにしても同じだと、買って帰るのです。長葱も一本100円以上もしたから、野菜は総じて値上がりしているのです。女将に頼まれた米も県内産のコシヒカリを買い、蕎麦屋に寄って白菜と大根のなた漬けの仕込みを済ませて、家に帰るのでした。昼はスパゲッティを茹でて、お肉ゴロゴロのミートソースを温め、買って帰ったトンカツを上に載せて食べる。

 病院は1時30分の予約だったけれど、駐車場に車を止めて受付を済ませ、問診票を書いたりする時間もあるからと、12時半には家を出て15分ほどの距離を車で走る。指定された診療室の棟は、廊下も広く、待っている人も少ないので静かで気持ちが好かった。待つこと40分ほど、歳を取ったせいかその時間も静かに椅子に座っていればいいから、まったく抵抗を感じない。他に誰もいなかったので、自分の番号がモニターに表示されて診療室に入るのでした。

 もっと簡単にただ切るだけかと思っていたら、詳しい手術の説明をされて、同意書を書かされた。来週の火曜日に手術室で手術をするのだそうな。その後のいろいろな検査が一時間近くかかった。それでも4時前には家に帰れたので、早速、女将に話をして、お袋様にも電話をして知らせておいた。当日は車の運転は出来ないというので、近所に住む弟に電話をして連れて行ってもらうことにしたのです。簡単な手術だと思っていたけれど、結構、大変なのでした。

 帰り道、女将から電話が入って、晩は茶碗蒸しにするから、蕎麦屋に寄って椎茸を少し分けてもらえないかと言うので、取りに寄って家に帰るのでした。結局、午後の仕込みは出来なかったので、昨日から少しずつ先に仕込みをしておいたのが正解なのでした。明日は朝からいつも通りの仕込みを済ませて、昼はまだ残っている蕎麦でも食おうか。結果論だけれど、月曜日から水曜日まで定休日にして良かったのです。来週は月曜日にお袋様と仕入に出かけよう。


3月5日 水曜日 朝はまだ冷たい雨が降っていました…

 今朝はゆっくりと6時過ぎに目覚めて、朝食を食べてからいつもの時間に蕎麦屋に出掛けました。厨房に入って、まずは昨日の鍋類を片付け、コーヒーを沸かして一服します。そして、漬け物器に塩漬けして水の上がった大根の水を切り、タッパに入れて刻み柚子と砂糖、甘酒の素を入れて唐辛子を輪切りにして漬け込むのです。次に蕎麦打ち室に置いてあった白菜を塩漬けにした樽を取り出して、先ほど洗った小さな漬け物器に塩と昆布を入れて漬け直すのです。

 ここまでで10時前。昼の準備に帰宅するまでに、後1時間ほどは仕込みが出来る。蓮根の皮を剥いて輪切りにし、酢水で茹でる。その間に玉葱をスライスしてかき揚げの準備。そして、天麩羅の具材の生椎茸を飾り切りにして、ピーマンとナスを切り分けるのです。容器に入れてラップを掛けたら、蓮根を笊に空けて水を切り、タッパに入れます。最後に南瓜の種を取ってスライスしたら、家に持ち帰ってチーン出来るようにタッパに入れておくのです。

 これで10時半になるから、残った時間でレンジ周りの掃除をし、砥石を水に浸して包丁を研ぐ準備をしておく。10分ほど包丁を研いで、少しは切れるようになっただろうか。火の点検をして家に戻ります。昼は温かい汁の蕎麦が好いと女将が言うものだから、大鍋に湯を沸かしながら、出し汁を温め、油揚げを甘く煮付ける。その間に女将が先週残った大根のなた漬けを小鉢に盛り付けてくれる。蕎麦を茹でて、小松菜と葱を散らしてきつねうどんの完成です。

 午後は居間の部屋でゆっくりとテレビを観ていたけれど、女将がスポーツクラブに出掛けてからは、書斎に入ってここまでの出来事をブログに書き留めておく。そして、これからいよいよ確定申告の数字を計算できるように、去年のデータを並べ替えて年間の金額を出す。仕入れ先は多い順に4つだけ並べるのですが、今年は蕎麦粉や出入りの業者よりも野菜などを買うスーパーの値段が多くなっているのです。最近の値上げブームで逆転したのでしょう。


3月6日 木曜日 今日は珍しくお客が一人もいなかった…

 昨日の続きで今朝も4時半には目が覚めた。5時過ぎまで居間の部屋でコーヒーを飲みながらゆっくりとして、蕎麦屋に出掛けるのでした。まずは蕎麦打ち室に入り、750gの蕎麦粉を捏ねて、寝かせている間に厨房に行って、白菜のお新香と大根のなた漬けを盛り付ける。合わせて10鉢だけれど、一日中曇りだと言うから、こんなには出るはずもないのです。最近は、木曜日が案外お客が少ないのです。そして亭主一人の金曜日にその分お客が来るから困るのです。

 柔らかめに仕上がったのは、同じ47%の加水でも室温が10℃を越えていたから。それでも綺麗に伸して畳んで、一束140gにならないようにして8束取れた。7時前に蕎麦屋を出てコンビニに煙草を買いに行く。いつものお姉さんが元気に挨拶をしてくれるので、こちらまで元気になるような気がするのです。家に帰れば女将が朝食の支度をしてくれていた。今日のメインは亭主が先日買って帰った鯖の西京漬けだったけれど、味か今ひとつで美味しくなかった。

 夕べは早くから床に就いたので、今朝は食後のひと眠りはしなかった。9時前に蕎麦屋に出掛けて、幟と看板を出す。雲に覆われた空は暗く、体感の温度はかなり寒いのでした。大根と生姜をおろして、薬味の葱を刻み、掻き揚げに使う三ツ葉を切っておく。そしていつものように野菜サラダの準備をするのでしたが、始めるのが早かったから、10時半過ぎにはもう仕上がって、金柑大福を包むのでした。新しい油を天麩羅鍋に注ぎ、天つゆの鍋を火にかけます。

 女将がやって来て金柑大福にラップを掛けてくれる。この天気ではお客が来そうにないと二人で話していたら、本当に1時間待ってもお客は来なかった。2時間待ってもお客が来ないので、今日は諦めて早めに暖簾を下ろすのでした。亭主は賄い蕎麦も食べずに、家に帰ってカップラーメンを食べる。午後の昼寝もせずに、居間の回転椅子に座ってウトウトとしたら、もう業者が食材を運んで来る時間なのでした。何処のお店も寒いとお客は少ないのだそうな。



3月7日 金曜日 冷たい北風が吹くのに陽射しが戻ったから…

 今朝は5時半には目覚めて、居間の部屋でコーヒーを飲んでいました。昨日の蕎麦がそのまま残っていたので、今日は蕎麦打ちをしなくても済むのでしたが、蕎麦粉もあと一回打つ分しか残っていなかった。木曜日が蕎麦農場の定休日なのを忘れていたから、発注が今日になってしまったのです。日曜日に打つ蕎麦粉がないので、何とか明日届くように頼まなければならない。とにかく蕎麦屋に出掛けて出来ることをしてこようと車を出すのでした。

 久し振りの陽射しが眩しく、玄関脇の紫陽花にはもう綠色の新芽が付いている。春になったと自然は教えてくれるのですが、風は北風でとても冷たく感じるのです。厨房に入ってほうじ茶を入れようとお湯を沸かしている間に、蕎麦打ち室に置いてある漬け物器を見れば、すっかり水が上がっていたので、更に小さな漬け物の器に移し替えて冷蔵庫に入れる。大釜には水を張って少し沸かしておく。7時過ぎには蕎麦屋を出て家に戻るのでした。

 台所で朝食の支度をしていた女将が鮭を焼いてテーブルに運ぶ。味噌汁をよそって冷凍のご飯をチーンしたら、「頂きま~す」と箸を取って食べ始める亭主。脂の乗っているはずの鮭がどうも美味しくない。焦げ目の付くまで焼かないで、魚焼き器の余熱で仕上げるからこうなるのだろう。焼いた跡のない魚ほど不味い物はないのです。それでも黙ってご飯を食べ終え、「ご馳走様でした」と居間の部屋に行く亭主。お茶をもらっても今日はひと眠りはしなかった。

 陽射しは出ていたのに風がとても冷たくて、蕎麦屋まで歩いて出掛けるのに手袋が必要なのでした。雲が多く、昼からは曇り空になったのです。蕎麦農場に電話をして、明日必着で蕎麦粉を送ってもらおうと、1kg詰めの袋を二つだけ注文した。5kgの袋二つだと、石臼で挽くのに時間がかかるから発送が遅れるのです。1kgの袋は店に並べてあるから今日のうちに発送できるはずなのです。無事に受け付けてもらって、厨房に戻って今日の仕込みを始める。

 早く家を出たから、野菜サラダも10時には出来上がった。暖簾を出せば、いつもの常連さんがバス通りを歩いて来るのが見えた。このところ、いつも同じビールとカレー蕎麦のご注文でなのでした。珍しく「引っ越しの準備は進んでいますか?」と話しかけてくる。続けて年配のご夫婦がいらっして、天せいろとぶっかけの温かい蕎麦を頼まれる。開業した頃にいらしたことがあるのだそうな。「今日は女将さんはいないの?」とこちらも話をし始めるのでした。

 更に、続けて若い男性の一人客が車でいらっして、「温かいとろろ蕎麦をお願いします」と言うから、初めての注文だったから一瞬面食らってしまう。温かいかけ蕎麦にとろろ芋をすって出せば好いと、すぐにイメージ出来なかったのです。続けて、駅前の高層マンションに住む常連さん夫婦がやって来て、奥様がカラーの花束を持って来てくれた。二人とも鴨南蛮蕎麦のご注文だったので、今日作った野菜サラダはこれですべて売りきれになった。
 蕎麦屋廃業の話をしてあったから、テーブルと椅子をもらえないかと言われていたので、7月の最後の週に取りに来て下さいと伝えておく。椅子を8脚欲しいと言うので、奥の座敷にあった二つをまずは今日持って帰れるかと聞けば、車に積んで持ち帰ってくれた。タケノコを茹でるのに大きな鍋があれば欲しいと言うから、押し入れの中に、ラーメンを作るときに使っていた大鍋があったから、二つ返事で持って行ってくれと言えば、次回と言うことになる。


3月8日 土曜日 頬を差すような冷たさの朝でした…

 午前5時半過ぎに目が覚めて、急いで蕎麦屋に出掛ける亭主。今日は最後の蕎麦粉を使って蕎麦を打たなければならない。加水率は47%ちょうどで捏ね始めれば、絶妙な柔らかさ。蕎麦玉を寝かせている間に昨日の洗い物を片付け、ほうじ茶を沸かすのでした。再び蕎麦打ち室に戻って蕎麦玉を伸していく。最初にするのが両手で地伸し。この時に丸く均等な厚味を出していくのが大切なのです。伸し棒を当てて本伸しにかかれば、綺麗な正円に伸されていく。

 今朝は少し遅くなったけれど、もう時計は気にしない。綺麗に四隅を固めて、畳んで包丁切りをする。切りべら20本で135g。8把半の蕎麦を打ち上げて生舟に並べるのでした。店の中を確認して、車に乗ったらコンビニまで煙草を買いに出掛ける。家に着いたのは、7時15分なのでした。女将が朝食の支度をちょうど終える時で、食堂に滑り込みセーフで椅子に腰を下ろす。最後に出汁焼き卵が出ておかずは終わりなのです。栄養のバランスはとても好い。

 今朝はぴったり1時間の食後のひと眠りをして、9時過ぎには歩いて家を出ました。道路から見える庭の黄色い姫水仙が可愛らしかった。背の低い女将は、庭からしか見えないのをいつも残念がる。水仙は下向きに咲くから、道路から見上げるのが一番なのです。蕎麦屋までの道すがら、空気が冷たくて頬を差すようなのです。今年初めてそんな感覚を味わったのは、暖かさに慣れてきた証拠なのだろうか。店に着いて幟と看板を出したら、厨房に入って仕込み。

 今日は開店の20分も前から駐車場に車が入って、早お昼を食べに帰った女将が来たので10分前には暖簾を出す。三人連れのご家族がテーブルに座って「先生、○○です」と母親らしい女性が言うのでした。40年以上も前の教え子なのです。その母親と息子を伴って今年で閉館になる佐倉の川村美術館に行った帰りなのだそうな。当時のクラスは医者になったのが15人もいたから、みんな優秀なのでした。今年還暦を迎えるという世代はまだまだ元気な様子。

 外の寒さにもかかわらず、次から次へとお客が入って、女将も亭主も休む間もなく、1時過ぎにはお蕎麦売り切れの看板を出すのでした。午前中に用意したデザートの金柑大福も野菜サラダもすべて売れたのが嬉しかった。1時半に洗い物を終えてそろそろ片付けようかと思っていたら、料理教室をしているリピーターの女性がやって来て、かけ蕎麦を頼まれた。亭主が賄い蕎麦で食べようと思って揚げておいた白エビのかき揚げをね小皿に載せて出してやった。
 今月末は古民家を借りて料理教室を開くのだと言う。前回来た時に、店を7月で閉める話をしておいたから、今日は松花堂弁当の箱や天麩羅を載せる籠を持って行かないかと言えば、5つだけ車に積んで帰ったのです。店屋だから10や15という数だけ揃えてあるのです。開業当時はいろいろな事をしたいと食器類を揃えたけれど、結局、現在のメニューに落ち着いて、一度も使っていない器なども多いのです。使うという人が来て、少しずつ減っていくのも嬉しい。


3月9日 日曜日 名残り雪も溶けて暖かな午後でした…

 4時前に一度目が冷めて、早すぎるからともう一度眠ったら、もう5時半になっていました。昨日は少し蕎麦屋が混んでいたから、疲れたのかも知れない。夜の11時に外は雪が降っていたから、もしかして積もったかと急いで外に出れば、団地の中は家々の屋根に、蕎麦屋の周りの畑にも、春の名残りの雪がうっすらと積もっているのでした。蕎麦打ち室に入って、昨日届いた1kg詰めの蕎麦粉を開けて、47%の加水で蕎麦を捏ね始める。

 小さな袋に詰まった蕎麦粉は、少し乾燥しているのかあまりにも硬いので水を足して捏ね上げる。菊練りを済ませて蕎麦玉を作り、ビニール袋に入れて寝かせている間に、厨房に入って昨日の洗い物を片付けながら、コーヒーを沸かすのでした。そしてタブレットで夕べ書いたブログを読み返せば、やはり、一箇所打ちミスを発見。6時40分を過ぎた頃に再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸して畳んで、今朝は切りべら20本で8食分と半分を打ち上げる。

 家に帰ればちょうど魚が焼き上がった頃で、美味しく朝食を頂くのです。居間の部屋でお茶をもらって一服したら、書斎に入ってひと眠りする。今日は1時間以上気持ちよく眠ってしまった。快眠・快便で洗面と着替えを済ませたら、一応、手袋をして蕎麦屋に歩いてで掛けるのでした。もう9時半近かったから、すぐに女将がやって来て、店の掃除や洗濯物の片付けを始めてくれた。亭主は大根と生姜をおろして野菜サラダの具材を刻み始める。

 今日も開店の前から車が駐車場に入ってきて、10分前にはお客さんに店の中に入ってもらう。最初のお客が天せいろの大盛りと普通盛りを頼まれて、天麩羅を揚げ始めたら、いつも開店の時刻に合わせていらっしゃるカレーうどんの常連さんご夫婦がいらっしゃる。奥様はとろろ蕎麦をご注文で、カレーうどんの方は後にお出しするのでした。その間にカウンターに男性客が座って、12時前にはもう忙しい状態になるのでした。天気が好いとやはり店は混み合う。

 途中、一区切り着いたところで、女将は店に置いてある新聞を読み始め、亭主は後半戦に備えて、厨房の椅子に座って一休みなのです。こんな日は、日曜日だから遅くいらっしゃるお客もあると思っていたら、案の定、1時を過ぎた頃にまた混み始めた。天麩羅の具材もなくなって、蕎麦も終わったから、お蕎麦売り切れの看板を出す。最後の3人連れの男性客は、皆さん天せいろを頼まれて、2時近くまで話し込んでいた。女将と店を出たのは3時近かった。