2月20日 木曜日 最近では一番寒い日、寒い朝でした…

今朝も寒さで目を覚ました。時計を見ればまだ4時半だった。居間の部屋に行ってストーブに当たる。エアコンではなかなか身体がすぐに温まらないのです。コーヒーを沸かして、5時のニュースを少し見たら、ガレージに降りてシャッターを開ける。手足腰の運動をしてからでないと、またぎっくり腰になったら困るから、老人の朝は慎重な動きが必要なのです。肋骨の痛みを堪えながら、屈んでシャッターを開けたら、冷たい車に乗り込んでエンジンを掛ける。

真っ暗な道を走って蕎麦屋に着いたら、エアコンを入れて蕎麦打ち室に入る。室温が5℃しかなかったから、今朝はかなり寒い朝なのです。750gの蕎麦粉を計量して、47%の加水で蕎麦粉を捏ね始めれば、今朝はちょうど好い硬さの生地に仕上がる。蕎麦玉をビニール袋に入れて寝かせている間に、ほうじ茶を沸かしてお新香を小鉢に盛り付けるのです。タブレットで昨日のブログを読みながら、一服していると、向かいの森の背景がうっすらと明るくなったきた。

蕎麦を打って8人分の蕎麦を生舟に入れたら、朝飯前のひと仕事は終わり。エアコンを点けたまま、家に帰って朝食を食べる。朝食を終えて居間でお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。1時間ほど眠って目覚めたら、車に乗ってまた蕎麦屋に出掛ける。幟と看板を出して厨房に入ったら、薬味の葱を刻んで、生姜と大根をすり下ろす。それから野菜サラダの具材を刻むのです。今日は女将の来るのが開店前だから、ゆっくりはしていられない。

幟がはためいているから、外は風が強く冷たいのです。室温がなかなか上がらないのでそれと分かる。11時前にはサラダを盛り付けて、テーブルを消毒液で拭いて回る。天麩羅の具材を調理台に並べて、天麩羅鍋に新しい油を入れ、天つゆの鍋を火にかけたら、いよいよ最後に金柑大福を包む準備をする。まな板の上にラップを広げて、片栗粉を撒き、白餡を丸めて丸く伸ばして金柑を載せる。これを包んで求肥でくるめば、女将の来る前に金柑は出来上がり。

冷たい風の吹く朝だったから、最初のお客が来るのは遅かった。それでも昼過ぎには、男性客が一人いらっしてテーブル席に座り、ヘルシーランチセットの天せいろを頼まれた。後から持ち帰りの天麩羅盛り合わせも追加。続けてもう一台車が入ってきて、三人連れのご家族がご来店なのでした。寒いのに本当に有り難い事です。キノコ付け汁と天せいろ、暖かい天麩羅蕎麦を注文されて、亭主は天麩羅を揚げ始める。蕎麦豆腐と大福も追加でご注文なのでした。

2月21日 金曜日 昨日よりは少し気温は上がったけれど…

今朝も5時前には目が覚めてスマホのアラームをOFFにした。台所でお湯を沸かして、居間の部屋でストーブに当たりながらコーヒーを飲むのです。今日は蕎麦を500gだけ打てば好かったから、少しゆっくりして、6時前に家を出て蕎麦屋に向かうのでした。蕎麦打ち室の室温は6℃と昨日よりも1℃だけ暖かい。向かいの畑の向こうの森の木々が、明るくなった空の下でシルエットで浮かんで、幻想的な夜明け前なのです。今日も47%の加水で蕎麦粉を捏ねる。

蕎麦玉を寝かせている間に空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充しておきます。再び蕎麦打ち室に入り、綺麗に伸して畳んだ蕎麦は、切りべら22本で5.5人分の蕎麦が取れた。7時前には家に帰って女将の用意した朝食を食べ、例によって食後のお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのです。今朝はなかなか眠れないと思っていたら、何時の間にか40分も時間が過ぎていた。8時半には洗面と着替えを済ませて、そろそろ歩いてでも行けるかと蕎麦屋に向かう。

蕎麦屋に着いて、玄関前のテラスの部分を眺めれば、こちらに移った時に、屋根はあるから、ここにはテーブルと椅子を置いて寛げるかと思う。冬場のこの時期や風のある日には、ちょっと辛いかと考えると、回りに囲いでもすれば好いのだけれどと、また亭主の空想が始まる。玄関を入っていきなり居間になるのもどうかと思っていたのです。職人に頼んでフェンスを張れば好いのだけれど、ちょっとお金がかかりすぎる。思案のしどころなのかも知れない。

幟と暖簾を出してチェーンポールを降ろす。厨房に入って大根をおろし、アスパラとブロッコリーを茹でたら、野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿盛り付けておきます。サラダを仕上げたのは、10時半でいつもより随分と早い時間でした。調理台に天麩羅の具材を並べて、金柑大福を包む準備をするのと、天麩羅鍋に油を入れて天つゆを火にかけるのとはほぼ同時なのでした。無事に大福を包んでテーブルを拭いて回れば、開店15分前なのでした。

今日も寒いからお客はなかなか来そうにないと思っていたら、12時前にご夫婦が歩いていらっして、せいろ蕎麦の大盛りとヘルシーランチセットのせいろ蕎麦を頼まれる。こんな冷たい風の吹く日に歩いて来たから、温かい汁の蕎麦かと思ったけれど、やはり蕎麦好きの人のようなのでした。「この店は開業してから何年になりますか」と尋ねられたので「12年になります」と応えれば、「大震災の時は大変でしたでしょう」と言われて返答に困る亭主なのでした。

その時の記憶がなかったので、後で調べて見たら大震災は2011年で、まだ蕎麦屋は開業していなかったのです。前の職場で昼過ぎに大地震にあって、対応に苦労した記憶が蘇る。その時に水も飲まずに深夜まで走り回って、初めて痛風の発作が出たのでした。蕎麦屋を開業したのは、それから3年してからだから、お客のご主人の記憶も曖昧なのだと安心したのです。閉店の前に片付けを済ませて、これで今日も終わりかと思っていたら、3人連れのお客がいらっして、また天麩羅の具材を取り出して調理を始めるのでした。
2月22日 土曜日 今日も気温は上がらなかったけれど…

今朝も4時半起床で5時には蕎麦屋に出掛けていく亭主。肋骨の痛みが少しは引いてきたけれど、まだ寝返りが打てるほどではないのです。痛い方の肋骨を上にして同じ姿勢で眠るものだから、早く目が覚めてしまうのかしら。蕎麦屋に入れば思ったよりも寒くはなくて、まずは気になっていた店の奥のテーブル周りに目がいく。右側の壁には背の低い本箱が置ける。テーブルを一つどかして回転椅子と背の低いテーブルを家から運んで来たい。亭主の空想です。

今朝も750gの蕎麦粉を47%の加水で捏ねて、少し柔らかめだったけれどこれがちょうど好くて、伸せば綺麗な四角形を作れて畳んで包丁切りをすれば、切りべら22本で8束の蕎麦を生舟に並べるのでした。昨日の残りと合わせて12食の用意で、今日は営業を開始する予定なのです。蕎麦打ちを終えて厨房に戻れば、今日はまだ時間があったので、キノコ汁を作っておく。冷凍してあったキノコと鶏肉を二番出汁で煮て、塩味を付けるだけだからとても簡単なのです。

家に帰れば「お帰りなさい」と言いながら、女将が台所で朝食の用意をしていた。ホウレン草にひじきの煮物、高野豆腐などにメインの出汁焼き卵が付いて、バランス好く健康に留意したメニューで本当に有り難いのです。食後のお茶をもらって亭主は書斎に入ってひと眠り。今日は1時間以上もゆっくりと眠ってしまいました。小鉢の盛り付けもあったし、朝の仕事が2時間もかかったから、少し疲れたのかも知れない。9時半前には家を出て歩いて蕎麦屋へ。

今日は暖簾を出す前にもう車が駐車場に入って、最初のご夫婦はリピーターの方なのでした。寒い朝だったのによくぞいらっしてくれました。鴨せいろと天せいろを頼まれたから、厨房は俄に忙しくなった。出し終える頃に次のお客がいらっして、いつもカウンターに座るご夫婦が、今日はテーブル席に座ることが出来たのです。カレー蕎麦と天せいろの大盛りを頼まれて、ゆっくりと昼食を食べていかれた。7月一杯で店を閉める話をすれば残念がっていた。

続けていらっした男性客は、カウンターに座って天せいろのご注文。まだ12時過ぎなのに、もうこんなにお客がいらっしたのは、やはり土曜日だからなのでしょうか。亭主は女将が下げてきた盆や皿を次々と洗っていくのです。1時を過ぎてお客の足が途絶えたのを見計らって、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べておく。女将もこの間にひと休み。後半に混むこともあるから油断は出来ない野です。今日は閉店間際にお客が入って、最後の天せいろを出した。
2月23日 日曜日 今朝は今季で一番寒かったのに…

今朝も4時半に目が覚め、コーヒーを沸かして居間の部屋で一服するのでした。テレビも点けずに椅子に座って煙草をくわえ火も点けずにぼうっとして30分。なかなか頭がはっきりとしないのです。それでも5時になったら、ウッドデッキの木につかまりながら車庫に降りて、シャッターを開け、車で蕎麦屋に出掛けるのでした。昨夜の予報では、この時間は-5℃と今季最低の気温なのです。蕎麦屋に入って、まずはカウンターに干した昨日の洗い物を片付ける。

大釜にお湯を汲みながら他の仕事をしていたら、釜に掛けて置いた蛇腹のホースが外れて床に水をまいてしまう。滅多にないのだけれど、後の始末が大変なのです。それから蕎麦打ち室に入り、今日の蕎麦粉を計量して、47.5%の加水で捏ね始めるのです。最近はいつも47%と思って捏ねていたけれど、どうも柔らかめだと思って、電卓で計算し直したら47.5%だったのです。でも、それがちょうど好い柔らかさで、四隅が綺麗に伸せるから好いのです。

蕎麦玉を寝かせている間に玄関を出て夜明け前の写真を撮って、空の蕎麦徳利に蕎麦汁を補充しておきます。お新香やなた漬けも小鉢に盛り付けておくのでした。再び蕎麦打ち室に入って、切りべら22本で135gの蕎麦を8.5束打ち終え、生舟に並べます。昨日の残りの蕎麦と合わせて、今日は13食分の蕎麦を用意しました。7時前には家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べ、お茶をもらったら書斎に入ってひと眠り。今日は1時間以上も眠ったのです。

頭がすっきりとして目覚めた朝は気持ちが好い。9時半には家を出て寒い北風の吹く中を歩いて蕎麦屋まで行く。向かいのサツマイモ畑では、新しく借りたという耕作放棄地の根の張った木を、ショベルカーで掘り起こしていた。若旦那が出て来て挨拶をするので、「いよいよ始まりますね」と応える亭主。幟を出し、厨房に入って大根をおろし、アスパラとブロッコリーを茹でるお湯を沸かします。女将が「今日は特別に寒いわ」と言ってやって来た。

昨日よりも冷たい北風が思ったよりも強く吹いて、今日はお客が来ないかも知れないと思ったけれど、暖簾を出して12時前には最初のお客がやって来た。久し振りに家の近所の奥様が、この寒い中を歩いていらっして天せいろを頼まれる。続けて、車でいらっしたご夫婦はよく見れば駅前のマンションに住んでいる常連さんなのでした。奥様がキノコ付け蕎麦でご主人は熱燗と海老や赤いか、鱚の天麩羅を頼まれる。すぐに次の三人連れが店に入って来たのです。

昼を過ぎて風も収まったのか、散歩に出てくる人の影がちらほらと見える。蕎麦屋もお客が途切れずにテーブルが埋まるのでした。今週は尻上がりにお客の数が増えているから嬉しいのでした。今日は開店前に、埼玉に住む長女が亭主の運転する車に息子と一緒に乗ってやって来た。結婚するときに全部荷物を持って行ったかと思ったら、まだ当時の自分の部屋にかなりの荷物が置いてあったらしいのです。今の自宅から蕎麦屋に引っ越すと知って、三連休だからとやって来たのでした。明日はお袋様を交えて昼食会の予定。
2月24日 月曜日 今日は朝食会の準備と片付けで終わる…

今朝は8時半に蕎麦屋に出掛けて、洗濯機の中の洗濯物を干したら、カウンターに干してあった昨日の洗い物を片付けるのでした。9時半前には家に帰り、店に持って行くものをスーパーのレジ袋に詰めて、女将の支度を待つのでした。それから駅前のショッピングモールに二人で行って、昼の食事に寿司とお総菜を買って蕎麦屋に行くのです。亭主はインスタントのお吸い物を買うのを忘れない。店では女将が茶碗蒸しを亭主が天麩羅を揚げることになっていた。

店に着いたら、早速、女将が調理場に立って、茶碗蒸しの具材を切り分ける。亭主は小皿が欲しいと言っていた娘のために、使えそうな店の小皿を何種類かカウンターに並べて、好きなものを選んで持って行けるようにしておく。みんな10枚とか15枚単位で揃えたものだから、少しでも減れば嬉しいのです。三越から取り寄せたひとつ5000円のティーカップや、香蘭社の小鉢など、まだ使っていない物もあって、どれだけなくなるのかが楽しみなのでした。

女将が準備をしている間に、亭主がデーぶるをセットする。12時前に皆が集まって、お袋様もバス通りを歩いてやって来た。酒を飲む人がいなかったので、乾杯の写真も撮れなかったのがちょっと残念。亭主はアルコールがないので少し間が持たない。孫の男の子が元気なのが女将も亭主も嬉しい。皆が寿司を食べ始めたら、茶碗蒸しの時間を気にしながら、亭主は天麩羅を揚げていく。今日は朝食後も昼食後も昼寝をせずに頑張った。久々の家族の集まりでした。
2月25日 火曜日 朝は寒く、日中はかなり暖かい一日でした…

夕べは10時半に就寝、今朝は6時過ぎに起床。これが亭主の理想的な睡眠のパターンなのですが、なかなかいつもこうとは限らないのが辛いところです。朝食を終えても眠くならないので、書斎に入ってパソコンに向かい、病院の予約をとっておくのでした。お袋様に電話をして迎えに行く。農産物直売所に開店の時間前に着けば、駐車場には車が一杯で、入り口には買い物客が並んでいた。野菜が高い時期だから、安くて新鮮なものを求めて来るのだろうか。

白菜はもう時期が終わったと見えて、いつもの陳列棚には並んでいなかった。隣町のスーパーで買ったのはいいけれど、大きな白菜の半分で450円だったから驚いたのです。大根も今日は大型で一本200円もしたから、やはり野菜は値上がりしている。今日はレジ袋に四つも買い込んで、1万5000円も支払ったのです。店に帰って、早速、大根と白菜を塩で漬けるのでした。日曜日の洗濯物を畳んで、昨日の洗濯物を干したらもう昼の準備をする時間なのでした。

家の大鍋に湯を沸かし、スパゲッティーとレトルトのミートソースを茹でる。その間に先週残ったレタスをちぎって皿に盛り付け、買って帰ったトンカツは女将が切っておいてくれた。腹も減っていたのか、今日はとても満足な昼食なのでした。食後にお茶をもらって書斎に入り、陽を浴びてひと眠りするのが楽しみな定休日です。女将のスポーツクラブの予約を済ませたら、彼女が剥いてくれた甘夏を食べて、ひと月振りに床屋に出掛けていくのでした。

暖かい午後だったからか、珍しく混んでいたので、近くの息子の床屋からマスターの奥様が手伝いに来てくれた。転んで肋骨を折ったという話をすれば、奥様も階段から落ちて尾てい骨にひびが入ったと言う。歳を取るとちょっとしたことで怪我をすると言うことで一段落。80歳を越えたマスターは、最近はあまり話もせずに髪を切ることに専念しているから、終わる時間も早いのでした。伸びた髪を刈ってもらって、気持ちよく蕎麦屋に戻り、午後の仕込みです。
2月26日 水曜日 午後は病院で検査の結果を聴く…

今朝は3時過ぎから目が覚めてしまったけれど、さすがに早すぎるからともうひと眠りしたら、次に起きたのは7時前なのでした。食堂に行けば女将が鮭を焼いてくれていた。菜花のお浸しももうこれが最後らしい。昨日の茶碗蒸しをレンジで温めて出してくれた。二階の部屋の片付けをした長女の出したゴミが、玄関に五つも袋に入れて置いてあったので、亭主が食後にゴミの集積場まで運ぶのでした。ストーブに当たって少しウトウトして蕎麦屋に出掛ける。

まずは昨日の洗濯物を干して、前の洗濯物を畳む。そして、カウンターに出したままだった沢山の小皿を片付け、出汁取りを始めるのでした。最近は週に一度の出汁取りで足りるから助かる。昔、店が混んだ時期には、これを週に二度ほど繰り返さないといけなかったから、返しも甕に二つ作っていたのです。一番出汁を取って返しを加えたら隣の火口で火を入れ、二番出汁を取り始める。と、誰やら玄関の扉を開けてやって来たから驚いたのです。

見れば、夜間パトロールの代表が、先日亭主が出しておいたメールを見てくれて、見舞いに来てくれたのでした。肋骨を折った事の経緯を説明して、ひと月経っても寝返りも打てない今の状況を話した。蕎麦屋を止めて暇になったら、右足の親指の潰れた軟骨を手術してもらおうと思っていると言えば、「まだ若いのだからそれが好い」と言ってくれた。一番年下なのに申し訳ないと言えば、新しいメンバーも入りそうなのでと言う話なのでした。

出汁を取り終えてキノコ汁を作ったら、もう昼の準備をする時間なのでした。家に帰って大鍋に湯を沸かし、蕎麦を茹でて女将と食べる。午後は女将がスポーツクラブに出掛けた後で、亭主は再び蕎麦屋に行って、天麩羅の具材を切り分け明日の仕込みをすべて終わらせる。3時から病院の午後の診察が始まるので、2時過ぎには蕎麦屋を出て、病院の駐車場で受け付けの始まるのを待つのでした。ネット受付では9番目だったけれど、早く先生に呼ばれて、先日、地域の大きな病院で撮ったCTの画像を見ながら、異常はないと言われた。「一番心配だった頭のことだから安心ですね。肋骨の具合はどうですか」と親切に様子を聞いてくれるのでした。
2月27日 木曜日 やはり暖かくなったらお客が増えた…

昨夜は2時間おきに目が覚めたけれど、最後は5時にアラームで目覚める。定休日明けは開店までの仕込みが沢山あるので、コーヒーを沸かして飲んだら、5時半には家を出て蕎麦屋に向かいました。東の空が明るくなっていたから、後で調べたらこの時期は月の初めよりも30分ほど日の出が早くなっているのでした。蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量するのでしたが、今日は暖かくなると言うのでお客が増えるのではないかと、850g9人分を打っておきました。

蕎麦玉を寝かせている間に、厨房に戻って白菜のお新香となた漬けを小鉢に盛り付けておきます。そして、ほうじ茶を飲みながら、昨日のブログを読み返しておくのです。9人分の生地を伸していけば、47.5%の加水だとかなり柔らかくなるのですが、逆に綺麗に四角形が出来て角もすっきりと伸し広げられるから好かった。蕎麦打ちを終えて片付けをしても、7時前には家に戻って女将の作る朝食を食べて、ゆっくりとひと眠り出来たのです。

再び蕎麦屋に出掛けて、幟と看板を出したら、向かいのサツマイモ農園の若旦那と挨拶を交わす。厨房に入って、大根と生姜をおろし、薬味の葱を刻んで、蕎麦豆腐を仕込んでおく。それから野菜サラダの具材を出すのですが、ブロッコリーを買うのを忘れていた事に気づき、今日はスナップエンドウだけで勘弁してもらった。野菜が馬鹿に高くなっているから、原材料費だけでも一皿300円は軽く越えているのでしたが、簡単に値上げするわけにはいかない。

次に空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充するのです。大盛り用に6本、普通用に6本用意したら蕎麦の数を越えたので、それで終わりにしておく。そして、金柑大福を包む準備を始めます。まな板の上にラップを敷いて、片栗粉を散らし、白餡を丸く潰して金柑を包んでおく。最後に白玉粉に砂糖と水を加えて求肥を作り、火にかけて硬くなったら、これを包んでいくのです。熱々だから、4つも包めばもう手が火傷の状態。テーブルを拭いて女将の来るのを待つ。

今日は開店前からもうお客がいらっして、やはり暖かくなったからか、随分とお客が入ったのです。古民家で料理教室を開いているという女性客に店を畳む話をしたら、小鉢や皿をもらってくれるというので嬉しかった。帰りがけに名刺を置いていったから、まんざら話だけではなさそうなのが好かった。暖かくなったからか、今日は天麩羅がよく出たのです。昼は外の16℃まで上がって、暖房を入れた店の中は25℃になったのでエアコンのスイッチを消した。

ヘルシーランチセットの天せいろも出て、ビールや酒まで出たから、売り上げも上々。作ったばかりの金柑大福は全部売れてしまったので、明日もまた作らなければいけない。洗い物を済ませて、女将と二人で2時半には蕎麦屋を出た。帰りがけに向かいのサツマイモ農園の若旦那に会ったら、「お疲れ様です」とまた挨拶をしてくれる。午後の昼寝から目覚めたら、すっかりなくなった日本酒や洗剤を買いに出掛ける。夜も暖かいので鮪の手巻き寿司を食べる。
2月28日 金曜日 早いものでもう2月も終わり…

今朝は5時半過ぎに目を覚まして、スマホのアラームが鳴らなかったことに気が付いた。慌てて身支度をして車で蕎麦屋に出掛けるのでした。蕎麦打ち室に入って750gの蕎麦粉を計量して、47.5%の加水で捏ねて蕎麦玉を作る。ビニール袋に入れてこれを寝かせいてる間に厨房に戻って、昨日の片付けをしながらコーヒーを沸かす。外はもうすっかり明るくなっていた。雲が沢山出ていたので、今日は曇りなのに暖かくなるのかと不思議に思ったのです。

蕎麦を打つ前に、昨日なくなった小鉢に白菜のお新香と大根のなた漬けを盛り漬けて、冷蔵庫に入れておく。蕎麦打ち室に戻ったのが6時45分だったから、今朝は7時には打ち終わりそうにない。柔らかめに仕上がった生地は、綺麗に四隅を整えて伸し広げ、畳んで包丁切りをすれば、8束と半分の蕎麦が仕上がる。時計を見れば、7時15分だったから、やはり30分はかかるのです。家に戻れば、女将が魚の煮付けを終えて、味噌汁とご飯を出すところなのでした。

食べ終えて7時30分、お茶をもらってひと休みしてから書斎に入り、ひと眠りしたら8時40分。1時間近く眠ったのに、まだ頭がすっきりとしなかった。今日も暖かいのでお客が来ると思い、車を置いて歩いて蕎麦屋に出掛ける。肋骨の痛みは薄れたけれど、右足がどうも地面に引っかかるのでした。やはり蕎麦屋を止めたら足の親指の手術をしてもらおう。未知の世界なので上手く元のように歩けるようになるのか不安だけれど、時間が出来るから試してみたい。

蕎麦屋に着いて看板と幟を出したら、厨房に入って大根をおろし野菜サラダの具材を刻み始める。女将に頼んで昨日ブロッコリーを買って来てもらったから、今日は綠も豊富で、農家の大きなミニトマトがひときわ綺麗に配置できたのです。カレーうどんとヘルシーランチセットで、このうち二皿は出たから嬉しかった。お客の数は昨日ほどではなかったけれど、開店から閉店間際まで、ずっとお客がいたので、賄い蕎麦を食べて休んでいたら遅くなってしまう。
