2025年2月初旬



2月6日 木曜日 陽射しがあっても空気が冷たい…

 今朝も5時前に目が覚めて、コーヒーを一杯飲んで蕎麦屋に出掛けました。外は相当な寒さで、蕎麦屋の蕎麦打ち室も6℃しかなかった。これでも例年は3℃ぐらいの時もあるから、暖かいのです。すぐに蕎麦粉を計量して、捏ね方を始めるのでした。暖房を入れてあるから、蕎麦玉を寝かせている間には10℃になっていた。東の森から朝日が昇を眺めて、家に帰れば女将が台所で朝食の用意をしているのでした。鍋の残りに生姜を沢山入れて茶碗蒸しも出た。

 とっくり襟のセーターにジャンパーだけではさすがに寒かったけれど、店は暖房を入れたままだったから我慢して蕎麦屋まで歩く。看板と幟を出してチェーンポールを降ろすのでしたが、屈むと左胸の肋骨の辺りが痛いので、高い位置からポールをすとんと落としていく。時間が早かったから、厨房に入ってまずは解凍した豚のハラミを切って串に刺していきます。先週もまったく出なかったけれどメニューにあるので用意だけはしておくのです。

 野菜サラダの具材を刻んで、三皿分盛り付ける。国内産のアスパラが高いのに細いものしか手に入らなかったので、スナップエンドウを加えてボリュームを出す。そして金柑大福を作る準備を始めておくのです。白玉粉に砂糖と水を加えて少し溶ける間に、ラップを敷いて片栗粉を撒いた上に、白餡を丸めて並べて金柑の甘露煮を載せていく。ここでやっと白玉粉を火にかけて求肥を作るのです。この硬さが問題で硬すぎると大福そのものが硬くなってしまう。

 新しい油を天麩羅鍋に入れて、テーブルを拭いて回ったら開店の準備は整った。と、まだ11時過ぎなのにもうお客がやって来たのです。寒いからと中に入って待ってもらったけれど、お茶を入れて女将の来るのを待ってもいられないから、注文を取るのでした。お二人ともヘルシーランチセットを頼まれたので、取りあえず野菜サラダと蕎麦豆腐をお出しする。やっと女将が到着するのでした。女性二人だから、ゆっくりと蕎麦を召し上がっていかれた。

 今日はその後で、男性の一人客がいらっしておろし蕎麦の大盛りを頼まれたきり、お客は来なかったのです。風あるこの寒い中を、3人の客が来ただけでも有り難い事でした。2時前には女将と二人で片付けを済ませ、家に戻って酸っぱい甘夏を食べる。女将は買い物に出掛けて、亭主は書斎に入ってひと眠りするのでした。4時過ぎに起き出して珈琲を飲んでいたら、業者から電話が入ってもう店に着いたという。どこも客が少なくて荷物が少なかったらしい。


2月7日 金曜日 午後から身体の左半身が動かなくなった…

 今朝は蕎麦打ちも数が少なかったので、6時前に蕎麦屋に着いて蕎麦打ち室で蕎麦粉を捏ね始めるのでした。室温は6℃と昨日とあまり変わらない。500gだけ打ち足せば好かったから、いつもと同じく47%ぴったりの加水で捏ねて行けば、綺麗な四角形が出来て、5束と半束取る事が出来ました。昨日の残りの蕎麦と合わせて9人分の蕎麦を用意して、今日の営業に臨むのです。厨房に戻って大根をおろし、野菜サラダの具材を刻んで行く。

 三皿だけの準備だから、これもすぐに終わって、窓の外を眺めれば、駐車場に高級外車が入って来る。まだ10時50分なのに、しっかりと停めて人が降りて来るではありませんか。玄関に出て行って、「随分と早いのですね。寒いから中でお待ちください」と言えば、「11時半からだと言うのは知っていました。ちょつとそこいらを散歩してきます」と年配のご夫婦は歩いて行くのでした。亭主は急いでテーブルを拭いて、油を天麩羅鍋に入れ、天つゆを火にかける。

 30分ほどして戻っていらっしたご夫婦は、リピーターらしくヘルシーランチセットの天せいろとせいろ蕎麦をご注文でした。作ったばかりの野菜サラダをお出しして、蕎麦豆腐も出して、盆や皿を用意して天麩羅を揚げ始める亭主。と、「今日は」「いらっしゃいませ」と、常連のお客が玄関から入って、いつものカウンターの奥の席に腰を下ろす。こちらはいつものカレー蕎麦とビールをご注文なのでした。後から付け出しを持って行ったら、ビールをもう一本。
 店の中は暖房を入れてあるから24℃もあって、亭主は気持ちが悪くなるほどなのでした。すると、何故か身体の左半分が動かなくなったから驚きなのでした。痺れているわけでもなく、筋肉が固まってしまったようなのです。セーターを脱いで暖房を消したけれど、お客が食べ終えた盆や皿を片付ける元気もない。年配のご夫婦は盆と蕎麦皿をカウンターまで運んでくれた。1時半近くに常連の女性がいらっして、カレーうどんと白エビのかき揚げを頼まれる。
 何故か冷や汗をびっしょりかいて、なんとか洗い物を済ませたけれど、昼飯も食べずに家に帰るのでした。左足が動かないから、10歩歩いてはひと休みしながら、やっと家まで辿り着くのでした。左腕の筋肉がこわばって力が入らない。初めての出来事にびっくりしながら、パソコンのスイッチも入れずに居間の椅子に腰を下ろすのでした。書斎でひと眠りしてゆっくりと休んだら、左手は動くようになり、 夜の風呂に入ったら左足も元通りになったのです。


2月8日 土曜日 寒い北風強し、今週は今日が最後の営業日…

 明日は年に一度の味噌造りの日だから、今週は今日が最後の営業日です。5時前に目覚めて、コーヒーを飲んだら6時前には蕎麦屋に出掛けていく亭主。暗い中を蕎麦屋に着けば、頭上には北斗七星がくっきりと見えるのでした。昨日、片付けずに帰った洗いかごに伏せたままの食器を拭いて片付ける。そして蕎麦打ち室に入ったら今日の蕎麦粉と小麦粉を計量して、47%の加水で捏ね始めるのでした。少し柔らかい程度の生地の仕上がりなのでした。

 20分ほど蕎麦玉を寝かせている間に、お湯を沸かしてグラス三杯のほうじ茶を入れておく。今日一日分の水分補給用なのです。昨日のブログを読み返したついでに、脳梗塞について調べて見たら、一過性のものがあって、身体の半身が麻痺する症状が現れるのだと言う。そのまま亭主に当てはまるので、これは大変と思い、この次の定休日には一度病院に行って見てもらおうと考えるのでした。まずは水分を補給して、蕎麦打ち室に帰って今朝の蕎麦を打つのです。

 元気な若い頃なら、気にもかけない事かも知れないけれど、歳を取ると身体の不具合に少しずつ敏感になるらしい。7時過ぎに家に帰って女将に話せば、「最近はご近所でも救急車が止まっていることがあるのよ」と言うのでした。今朝は再び蕎麦屋に行くのにも車に乗って出掛ける亭主。昨日、時間をかけて蕎麦屋から帰ってきた事を思い出すと、この寒さの中を無理をして歩いて行かなくても好いと思えたのです。暖房を入れたままの蕎麦屋は暖かかった。

 大根をおろしていたら、女将がやって来て「今日は寒いわねぇ」と玄関を入るなり言うのでした。北風が強く、陽射しはあっても寒さの方が勝っているのです。野菜サラダの具材を刻み、金柑大福を包んだら、油を天麩羅鍋に入れて天つゆの鍋を火にかけて、早お昼を食べに帰った女将が再びやって来るのを待つのでした。昨日はこの間にもうお客がやって来たのです。今日も12時前には四組もお客がいらっして、さすがは土曜日なのでした。

 寒い北風の強く吹く日だったけれど、午後も続けてお客が入る。明日は臨時休業だから有り難い事なのです。暖簾をしまった後にもお客が来たけれど、女将が出て営業は終了したと伝えたそうな。賄い蕎麦を茹でて食べ、二人で洗い物と片付けを済まして2時半には店を出る。亭主は朝食の後にも随分と眠ったのに、また2時間近くも昼寝をするのでした。とにかく身体を休めておかないとと言う気持ちが強かったのです。肋骨の痛みも少しだけ軽減してきた。




2月9日 日曜日 年に一度の味噌の寒仕込み…

 夕べは11時過ぎには床に就いたのに、2時間おきぐらいに目が覚めて、よく眠れなかった。今日は蕎麦屋は臨時休業の張り紙をしてあるから、出掛けて行かなくても好かったのだけれど、昨日の片付けや洗濯物を干す仕事があったので、6時過ぎには家を出るのでした。ついでに今日の味噌造りで必要なエプロンを持って帰ってくるはずだったのに、他の仕事をしているうちにすっかり忘れてしまった。出掛ける前にもう一度蕎麦屋に寄らなければいけなかった。

 家にコーヒーの粉がなくなったので、蕎麦屋で昨日のブログを読みながらコーヒーを飲んだ。家に戻って朝食を食べたら、今朝はひと眠りする時間もないのです。8時過ぎには荷物を車に積み込み、佐倉のミレニアムセンターまで約20分、駐車場に車を入れて4階までエレベーターで上がって、調理室の開くまで待つ。一年前にあったきりの人々が少しずつ集まって、挨拶をしながら近況を話すのでした。女将もその中に混じって話をしていたからひと安心。

 年々、参加する人の数は減っているらしく、今年は10人ほどの参加でした。以前は、2日間に分けて実施していたのですが、一日で終わるように、あまり声かけもしていない様子。皆さん後期高齢者の年齢になったらしく、亭主と女将が一番若いくらいなのでした。今までは10kgを作る人が多かったのに、今日は我が家を含めて3組だけなのです。女将が豆を茹でている間に、分けてもらった麹をほぐしておくのは亭主の仕事。外は寒いのに朝の陽射しは暖かい。

 前日の夕刻に豆を水に浸けてくれるのは代表の方と有志なのだそうですが、来年からは自分の豆は自分で洗って水に浸けるということになった。皆さん年齢が高くなっているので、自分で出来ることはするということらしい。10kgの大豆は圧力鍋で5回に分けて茹でていきます。水をできるだけ少なくして、15分ほど茹でたら15分冷やして圧の下がるのを待つ。この繰り返しで、その間に次の大豆を茹でて、挽いた豆を外の冷気で冷やしておくのです。

 5kgだけ作る人は早く終わったけれど、10kgを作る我が家は一番最後に終わる形になった。挽いた豆は盥に入れて麹と混ぜながら丁寧に潰していくのです。床に盥を置いて身体の重みで潰す女性もいたけれど、亭主は肋骨が痛いので立った姿勢で蕎麦打ちの体勢で、挽いた豆と麹を混ぜて潰していく。これが一番大変な作業なのでしょう。10kgをまとめて潰すのは大変だから、大きなボールと半分に分けて、女将と二人で潰すのでした。最後に玉にして焼酎で内部を拭いたプラスティックの容器に詰めてやっと完成です。それでも2時には終わったから、早めに家に帰れました。


2月10日 月曜日 普段、医者に行かないから捜すのが大変で…

 今朝はとても寒い朝なのでした。蕎麦屋に行ってコーヒーを飲みたかったけれど、朝のうちに暖かい部屋の中で出来ることを考えたら、戸棚の中の旅行雑誌や案内所を紐で縛っておくのが好いと思えた。もう使ってから何十年も経つ「地球の歩き方」や旅行雑誌はここにまとめて置いてあったのです。大好きなグループのCDも沢山あったけれど、これは取っておくことにしました。引き出しの中には、子ども達の中学・高校時代の通知表まで入っていたのです。

 9時を過ぎたら、脳神経科などはないようなので、取りあえず痔病を見てもらおうと、近隣の内科に電話をしてみたけれど、こちらも専門ではないと違う医院を教えてもらった。ところが電話をして見ると、治療は出来ないからと、肛門科のある医者を紹介してくれたのです。なんと、そこが家からは一番近い医者だったので、早速ネットで予約が出来た。半身が麻痺したのと同じ日にちで下血したので、ついでに相談してみようと考えたのです。

 スマホを持たないお袋様の老人友だち情報では、何時間も待たなければ診てもらえないという話でしたが、ネット予約なら何番目かすぐ分かるので、その時間に間に合うように行けば好いのです。やっと一段落して、蕎麦屋に出掛けて返しを作ってくる。店の中も寒いので手が悴んで、醤油の瓶の蓋がなかなか開かなくて困った。女将は寒いからと、近くの薬局まで買い物に出掛けていた。昼は冷たい蕎麦よりもと、鴨南蛮蕎麦を作って食べるのでした。

 午後は暖房を入れてもあまりにも寒いので、陽の当たる書斎で横になっていたけれど、なかなか眠くはならなかった。仕方がないからまた寒い蕎麦屋に出掛けて、出汁取りの準備をして金柑の甘露煮を作るのでした。本日、二杯目の珈琲を入れて、明日の朝、飲む分のコーヒーの粉を家に持ち帰る。じっと座ったままでテレビを観ていると、暖房を入れた家の中なのに手が冷たくなってくるのです。夜はおでんにしてもらって身体を暖めるのでした。


2月11日 火曜日 昼から冷たい風がビュービューと吹いて…

 連日、朝は-5℃だと女将が言う。道理で今朝も富士山が綺麗に見えた。今朝も朝のひと眠りをせずに、蕎麦屋に出掛けようと玄関を出れば、庭の金柑が青空に映えている。女将が何回か採って甘露煮を作っているのですが、枝の上の方は手が届かないらしく、そろそろ亭主の出番なのです。大きな実のなるこの金柑の樹を、蕎麦屋に移植したいと女将は言うけれど、業者は根が付くのが50%の確率だと言ったそうな。少し小さく切り詰めておこうか。

 蕎麦屋には植木鉢に植えた金柑の苗木があるのだけれど、水を遣ろうと如雨露を持てば、中の水が凍っているではありませんか。よほど寒い朝だったのです。お袋様に電話をして、買い出しの迎えに行く。今日は農産物直売所で3000円も野菜を買った。隣町のスーパーでは家の買い物を含めて1万5000円も使ったから、仕入れと言っても、赤字が増えるだけのような気がするのです。寒さでお客の減った先月は3万円ほどの赤字だった。今年は夏場で店を畳むのに。

 買い物から帰ってお袋様を家まで送ったら、店に戻って野菜類を冷蔵庫に収納する。白菜はすぐに塩漬けにして漬け物器で押し漬けにしておきます。新鮮だから今日の夕方にはもう水が上がってくるはず。家に帰って昼の準備を始める亭主。鍋に湯を沸かしてスパゲッティを茹でる。同じ鍋の中で、先日美味しいと感じたミートソースを温めて、最後に買って帰ったトンカツを載せる。スープは女将が担当したから、野菜がどっさりと入っていた。

 今朝はゆっくりと眠ったから、昼寝もせずに蕎麦屋に出掛けて、午後の仕込みに取りかかるのでした。まずはキノコ汁を作って、午後のコーヒーを飲みながら、白菜の水の上がり具合を見れば、そろそろ昆布を入れても好い頃合い。外は風が強くなってきた。霜の降りるくらいの寒い時期の白菜は、漬け物にすると甘くて美味しいのです。お客に出しても誰も残さずに小鉢を食べてくれるのは、やはり元の野菜が新鮮だからです。昆布の旨味も加わって美味しい。

 それから冷蔵庫の白餡の残り具合を見れば、あと一回分ぐらいしかなかったので、氷砂糖を水から沸かして溶かしながら、冷凍の餡を入れて沸騰するまで待ったら、今度は最小の弱火で水分を飛ばしていく。1時間ほど煮詰めたけれど、固まりそうにないので、そのまま蓋を半分占めて明日の朝まで乾燥させる。もう一度煮詰めればちょうど好い塩梅になるだろう。明るいうちに家に戻って、女将が夕飯の支度をする台所を覗けば、今夜はちゃんこ鍋なのでした。

2月12日 水曜日 今日は慌ただしい午後でしたが無事に通院…

 今朝は5時起き、明日からの生活パターンに戻って、コーヒーを入れて飲んだら、6時前には蕎麦屋に出掛けました。漬けておいた白菜のお新香の水を捨てて、唐辛子を刻んで入れる。一口だけ食べてみれば、昆布の甘さがちょうど好い味。午後には小鉢に盛り付けられると喜んだ亭主なのでした。ほうじ茶を沸かしながら、昨日の白餡作りの続きで鍋を弱火の火にかけている間に、空の蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めていきます。鍋に残った蕎麦汁は容器に入れておく。

 家に帰れば朝食の用意が出来て、今朝は茄子とピーマンの新焼と鯖の塩焼きがおかず。昨日買って帰った高価な苺がデザートに出ていたけれど、昨今は蜜柑一つでも100円近くするから怖いのです。美味しく頂いて居間でお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。ところが今朝はどうしたわけか2時間以上も眠ってしまい、目覚めたらもう11時前なのでした。女将が起こしに来たらしいが、暖房を入れて眠ったら熟睡していたのだと言う。

 昼は納豆とおでんの残りで簡単に済ませ、女将がスポーツクラブに出掛けて行った後に、亭主も蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みをするのでした。3時からはやっと見つけた医者に出掛けるので、午後の仕込みは忙しなくなった。ネットで予約した順番が29番だったけれど、朝から通しての番号なのかが不明なので、とにかく3時前には医者に出掛けてみようと、仕込みのスピードを上げるのでした。天麩羅の具材を切り分け、小鉢を盛り付け、蓮根を酢水で茹でる。

 開院15分前には玄関が開いたので、中に入って受付をする。29番は午前中からの通し番号だったらしく、9番目に名前を呼ばれて、診察室に入るのでした。若い先生だから手際が良く、肋骨を打った左胸を庇いながら、診療台に乗ったらすぐに検査は終わった。胸を庇う理由を聞かれたから、転んだのだと言えば「レントゲンを撮っておきましょう」と言われてレントゲン室へ。若い女性のスタッフが沢山いるので、早口で聞き取れないけれど、実に手際が良い。
 他の患者を診る間に、隣の部屋で患部の写真とレントゲン写真を見ながら、「肋骨は折れていますよ」と言われた。問診票に同じ日に左半身が麻痺したと書いておいたから、隣町の大きな病院に検査の予約をしてくれて、紹介状まで書いてくれた。ここまでものの30分ほどで終わったから、実に小気味が好いのでした。会計までの時間と近くの薬局での待ち時間を入れて1時間ほど。来週初めには、一番心配な脳の検査をしてもらえることになりました。