2025年上旬



1月5日 日曜日 長かった正月休みもそろそろ終わり…

 7時過ぎまでゆっくり眠った朝は、気分も爽快なのでした。鮭の塩焼きで朝食を済ませて、一週間目となった正月休みもあと少しで終わると、午前中は居間の椅子に座ってテレビを観ていたのです。やっと昼食の準備をする時間になって、亭主が台所に立って野菜を刻む。昼飯はカレー炒飯にしようと女将と話していたから、女将が肉を切ってくれて、亭主が中華鍋で野菜を炒め始める。冷蔵庫の中には本当に綺麗にものがなくなっていたのでした。

 午後は隣町のスーパーに食材を買いに出掛けようと、お袋様にも電話をすれば、ちょうど好い具合と、一緒に出掛けることになったのです。女将と三人でスーパーに行けば、駐車場は満杯で運良く一番店に近い場所が空いていたので、難なく車を停めることが出来ました。蕎麦屋の仕入れはなかったけれど、蓮根やアスパラガスなどは火曜日に買いに来ても同じものだから、今日のうちに好いものを選んで買っておくのでした。女将も家の肉や魚や野菜を買った。

 今日は外に出たのがこの買い物だけで、身体が疲れていないので昼寝も出来なかった。こんな日曜日があってもいいかと、夕方からとても長い映画の「アラビアのロレンス」をテレビで観てしまう。何度も観ているのですが、長すぎていつも途中で止めてしまうのでしたが、今日は夕食を夾んで最後まで観ることが出来ました。たまには違ったものを食べたいと、牛肉を焼いてご飯を食べる。アメリカ産のバラ肉と値段が倍もする常陸牛を買って来たけれど、薄く切ったアメリカ産の方が美味しかったような気がするのでした。


1月6日 月曜日 忍び寄る老いに愕然とする日々…

 夕べは夜中に身体が痒くて目が覚めた。乾燥しているからか、背中や腕の付け根が痒くてならなかったのです。触って見ると肌がざらざらとした感触で、掻いてはいけないと思いながらもつい掻いてしまう。2時間ほど起きていたけれど、これではいけないと5時前にまた床に入るのでした。女将に起こされて朝食を食べれば、お茶を飲んでまた書斎に入ってひと眠りする。これで今日一日の生活のペースは完全に崩れてしまったから大変なのでした。

 10時過ぎに目覚めて、起き出してみると夕べ違和感のあった左膝が痛い。先日も左足の親指付近が赤く腫れて痛かったので、すぐにロキソニンの湿布を貼ったら好くなったから、放っておいたのが好くなかった。これは明らかに通風の発作なのです。右足の発作から4年経つから忘れていたけれど、やはり整形外科に行って薬をもらわないと。尿酸値が高くなっているのが身体の感触で分かるのです。近くの整形外科に電話をしてみたら、予約は必要でないけれど、1時間半ほど待ちますと言われて、今日は断念したのでした。
 テレビを観ている場合ではなかったから、他にすることがないかと考えたら、夕べメモ書きで伝票や領収書を這っている大学ノートを買うという仕事があったから、急いで駅前のホームセンターに出掛けるのでした。気にするせいか、車に乗るにも左足を曲げるので膝に痛みがあるのです。果たしてホームセンターのノート売り場まで歩いて、駐車場の車に戻ったのです。家に帰って去年のノートと比べて見たら、大きさが一回り小さいB5番を、二つも買ってしまったことに気が付いた。呆けたと言って笑って済まそうか…。


1月7日 火曜日 なんとなく暖かい一日で…

 今朝は7時まで眠って朝食を食べる。9時からお袋様と仕入に出かけるので、昨日までの怠惰な生活とはお別れなのです。痛風の膝の痛みは相変わらずで、午後にでも医者に出掛けようと思っているのでした。ゆっくり歩く分には支障がないので、農産物直売所と隣町のスーパーに出掛けて、目当ての食材を仕入れて蕎麦屋に帰る。一昨日、お袋様とスーパーに出かけたので、彼女も今日は少しの買い物で済んだらしい。女将に頼まれた米を持って家に帰る。

 昼は亭主が野菜のあんかけで湯麺を作って二人で食べる。ラーメンはあまり好きではない女将も、湯麺なら美味しいと言って食べるから不思議なものです。女将のスポーツクラブの予約を取り終えるまでは、医者にも行けない。午後の診察は3時からなので、2時半を過ぎたら車で隣町まで出掛けていく。受付で書類を書いたら、QRコードの紙を渡されて、読み取ってアプリを開くと、自分があとどのくらい待てば好いのかが判るから、とても便利なのでした。

 受付の女性が「あと二時間ぐらいは時間がありますが中でお待ちになりますか」と言うので、一旦家に帰ることにした。これなら、長いこと混んだ待合室で待つ必要もないから、快適なのです。家に帰ってテレビ映画を観ながら、コーヒーを飲んでゆっくりとした。5時前にもう一度医院に出掛け、30分もしないうちに膝のレントゲンを撮って、医師の診察を受ける。5年前のデータがあるらしく、薬も治療の段取りもすぐに決まったのです。便利な時代ではある。


1月8日 水曜日 風がとても冷たい一日でした…

 昨日医者でもらった薬を置いたままで、説明書きをよく読んでみたら、最初は痛み止めのロキソニンを一日に3回飲むのだとか。ジェネリックだからか胃の薬まで一緒に飲むから、一度に二錠。もう一つの内服薬の袋には、痛みが止まったら飲む尿酸を溶かす薬。これは一日一錠だから助かる。60日分もくれたので当分医者に行かなくて好さそうなのです。後は湿布薬でこれも痛みが止まったら止めてしまおう。その後に採血をして尿酸値の検査なのだそうです。

 今朝は朝飯前には蕎麦屋に行かずに、塩分50%の再仕込み醤油を発送したと連絡があったので、8時過ぎには家を出たのです。減塩醤油はもう届いているから、両方が揃えば返しを作れると期待していたけれど、午前中には届かなかった。大根のなた漬けと白菜のお新香を漬けて、家でチーンするためにカボチャを切り分けておく。そして、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を詰めて午前中の仕込みを終わりにしました。昼は昨日と同じ湯麺のあんかけスープを食べる。

 二日続いても飽きないように、今日は焼き豚と魚介ミックスもいれて、スープに隠し味で砂糖を加えたのです。ラーメン嫌いの女将も「美味しい」と言ってくれたので、料理人としては嬉しい限り。寒い日にはあんかけのスープが身体を温めてくれるからちょうど好いのです。丼二つで洗い物も少ないから、昼からスポーツクラブに出掛ける女将にも優しい。テレビを観ていた亭主に、夜はちゃんこ鍋でいいかと確認して、女将はスポーツクラブに出掛けて行った。

 1時を過ぎて女将の後を追うように、亭主も蕎麦屋に出掛ける。なた漬けをタッパに漬け直して、柚子と唐辛子と甘酒の素と砂糖を加え、水の少し上がってきた白菜を漬け物器に移し、昆布を入れてまた押し漬けをしておく。それから蕎麦豆腐を仕込み、型に入れて冷蔵庫で冷やしておきます。後は、天麩羅の具材を切り分けて容器に入れ、帰る頃にナスとキュウリを糠床に入れれば終わりです。ロキソニンが効いてきたのか、立ち上がるのにも少し楽になった。

 

 3時前ではぬか漬けをするには早すぎるので、外に出て辺りを眺めるのでした。雲は多く、風も冷たいけれど青空が見えて陽射しもあったから、少しは気分も晴れる。帰るまでとうとう荷物は届かなかった。奈良から発送するから時間がかかるのかも知れない。お新香を漬け終えて家に帰ればまだ3時半前。女将はまだ帰っていなかった。スーパーに寄って来るから時間がかかるのだろうと、亭主は居間の部屋でコーヒーを沸かして飲んでいたのです。


1月9日 木曜日 陽射しがあっても風がとても冷たい日で…

 5時にスマホのアラームで目を覚ましたのですが、なかなか起きられずに5時半に居間の部屋に行って水を飲んで煙草を一服する。座ったままでそのまま動けずに、蕎麦屋に出掛けたのは6時をすぎていたのです。長すぎた正月休みの習慣がすぐには抜けないのか。急いで蕎麦打ち室に入れば、なんと室温は5℃。蕎麦粉を計量して厨房に戻って軽量カップにお湯を入れてくる。2月頃は3℃という日もあるから、頑張って粉を篩いに掛けて生地を捏ねていく。

 46%でも空気が乾燥しているからまだ生地は硬い。蕎麦玉にして寝かせている間に、冷蔵庫から糠床を出して昨日漬けたお新香を取り出して、小鉢10鉢分に切り分けるのでした。大釜に湯を入れて火を点け、ケトルにお湯を入れてほうじ茶を沸かしたら、また蕎麦打ち室に入って伸しにかかる。やはりまだ生地が硬い。この時期はもう少し水を入れても好いかも入れない。やっと8食分の蕎麦を打ち上げて、家に帰ったのはもう7時半なのでした。

 いつもより30分も遅い朝食を食べ終えて、ひと眠りしたら目覚めたらもう9時半近かった。これも長い正月休みの習慣なのです。医者が足の痛いうちはあまり歩かない方が好いと言ったのをいいことに、車で蕎麦屋に出掛ける。風が冷たいから、こんな日にはあまりお客も来ないだろうと思ったのです。生姜をおろして大根を擦り、薬味の葱を刻んで野菜サラダの準備を始める。ここでやっといつもの時刻に追いついた。今日は金柑大福を一年ぶりで包むのです。

 心配していつもより少し早く来てくれた女将にテーブルを拭くのを任せ、亭主は求肥を作って白餡にくるんだ金柑の甘露煮を包んでいく。初日だから四つだけ作って皿に盛り付ける。出なければ二日ほど経ったら硬くなってしまうので、沢山は作れないのです。暖簾を出す時間になって、女将が店の中が暖まっていないと珍しく寒がる。朝の6時から暖房を入れているのに、まだ18℃にしかなっていないのです。外は相当に寒いはず。お客はまったく来る気配がないのでした。やっといらっした男性客が鴨せいろを頼まれて、丁寧に鴨を焼いてお出ししたら、美味しかったと言って帰られる。


1月10日 金曜日 昼の気温は7℃、冷たい風が吹き荒れ…

 午前5時にスマホのアラームで目覚め、コーヒーを入れて居間の部屋でひと休み。30分ほどかけて頭が覚醒してくるのを待つ。膝の痛みもかなり引いたので、ガレージまでの階段もすんなりと降りられた。車に乗り込むのにも、左足を引き込む時間がかからなくなったので、すぐに蕎麦屋に向かうことが出来ました。辺りはまだ真っ暗で、新聞を取って店の中の電気を点ける。暖房を入れたら、室温5℃の蕎麦打ち室に入って、今日の蕎麦粉を計量するのでした。

 47%の加水で捏ね始めれば、いつもよりは柔らかい仕上げとなるけれど、蕎麦玉を寝かせた後に、実際に伸しに入れば、まだ思うように伸し広げられない。これは捏ねる回数が少ないからだろうか、それとも水回しの時間が足りないのだろうか。毎日のように何回やっても、分からないことは多いのです。それで10年以上も蕎麦を打っているのだから、進歩がないと言えばかなり自虐的。伸し広げた生地を綺麗な四角形にして畳むのが、最近では難しくなった。

 蕎麦を打ち終えたら家に戻って、朝食を食べ、いつものように書斎に入ってひと眠り。今日は30分眠っただけで目覚めた。女将の来ない日だからという緊張があったのかも知れない。蕎麦屋に出掛けて幟と看板を出したら、厨房に入って大根をすり下ろし、野菜サラダの具材を刻む。仕入れたばかりのキャベツが古いのか、水気がなくなっているから、お湯で洗って刻んだら水に浸けておく。金柑大福は、昨日作ったものが今日も出せる状態なのでした。

 暖簾を出してお客を待てば、この寒さと強風ではなかなか来ないのではと思っていたら、男性客が一人歩いてやって来たのです。しかもヘルシーランチセットを頼まれて、美味しそうに食べて行かれた。帰りがけに「今度来た時にはカレー蕎麦を頼みます」と言って店を出て行かれた。その後も女性の二人連れがいらっして、天せいろのご注文なのでした。今日はお客が来ないと思っていたので、元気を貰うのでした。1時過ぎに帰るまで、緊張は続くのでした。

 最近はどういうわけか木曜日よりも金曜日の方がお客が入る。これで土日が混んでくれれば嬉しいのだけれど、今週の日曜日は雪のマークが出ていたので安心は出来ないのです。暖簾を下ろして看板と幟をしまったら、残りものをかき揚げにして、賄い蕎麦を食べるのでした。今日は珍しく天麩羅ばかりが出たから、明日は天つゆを作り足しておかなければいけない。白菜のお新香も漬けたのに、お客が少ないから今週も随分と残りそうなのでした。


1月11日 土曜日 寒い日だけれど風もなく陽射しがあって…

 今朝もアラームで5時には目を覚ますのだけれど、コーヒーを沸かして飲んでも、まだ頭が動き出さない。ぐっすりと眠ったつもりなのに、身体の末端まで血液が回らないのだろうか。6時前にやっと家を出て蕎麦屋に出掛けるのでした。室温5℃の蕎麦打ち室に入って500gだけ蕎麦を打つ。加水率は47%にして久々に綺麗な四角形の生地を仕上げて、畳んでみればとても切りやすいのでした。気温も低く乾燥しているので、やはりこの時期は加水が多めが好い。

 7時過ぎに家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べ、お茶をもらったら書斎に入ってひと眠り。やっと正月休みの習慣から抜け出して、30分だけ眠ったら起き上がることが出来ました。洗面と着替えを済まして玄関を出れば、広がる青空の下、庭の金柑が見事に色づいているので嬉しかった。風がないので昨日よりは随分と暖かく感じるのです。痛風の発作の後、初めて歩いてそば屋まで出掛ける。膝が少し痛いような気がするけれど、頑張って歩いた。

 土曜の朝市を開催する向かいのサツマイモ農園の若旦那が、道路際に出て来て挨拶をしてくれた。今日は寒いからビニールハウスの中で商売を始めるのだとか。何本も幟を立てているからお客もすぐにそこと分かるのでしょう。蕎麦屋の女将もサツマイモを買って来たらしい。亭主は厨房に入って大根をすり下ろしたら、野菜サラダの具材を刻み始めるのでした。小さなキャベツ一個が300円を越える昨今だからか、今日はこれが全部出たので喜んだのです。

 暖簾を出して最初にいらっしたのは、近くに住む知り合いの農家のご家族なのでした。農産物直売所で奥様に「今年で蕎麦屋を閉めるつもりなのです」と挨拶をしたら「また食べに行きますよ」と言ってくれたのです。お婆様と孫娘と四人でいらっして、ゆっくりと食事をなさったから、サービスで金柑大福をお出ししたら喜んでくださった。今日はその後もお客が続いたのです。明日は雪も降るという天気らしいので、三連休はどうなるのだろうと心配していた。

 12食用意した蕎麦が4つしか残らなかったので、新年の初めとしては沢山のお客が来てくれたのです。キノコつけ蕎麦も三つ出て、鍋が空になったから、明日はまた仕込んでおかなければ。寒いからカレーうどんや天麩羅蕎麦、キノコつけ蕎麦など、やはり温かい汁の蕎麦が多く出たのです。亭主が昼の賄い蕎麦を食べたのが2時近かったから、膝の痛み止めの薬を飲むのも忘れていました。忘れるくらいに好くなったのかと、夜はしっかりと薬を飲むのでした。



1月12日 日曜日 曇天模様の寒い一日でした…

 とても寒い日だという予報でしたが、暖かくして眠ったからか、アラームで目覚めて、今日はすっきり頭も冴えていたのです。コーヒーを飲み終えて、5時半には家を出て蕎麦屋に向かう。蕎麦打ち室の室温は6℃と昨日よりは少し暖かかったので、加水率は47%弱にして600gの蕎麦粉を捏ね始めました。ちょうど好い硬さで仕上がって蕎麦玉を作り、ビニール袋に入れて寝かせておく。厨房に入ってお新香を取り出し、キノコ汁を作っておきます。

 6時40分前に再び蕎麦打ち室に入って、伸しを始めました。やはり47%の加水だと、綺麗な四角形に仕上がって上手く畳める。切りべら20本で140g前後の蕎麦を6束取って、昨日の残りと合わせて今日は10食の蕎麦を用意をしました。日中はとても気温が低いと言うから、お客はあまり来ないと言う読みなのです。7時前に蕎麦屋を出て家に帰り、女将の用意してくれた朝食を食べて、今朝も30分だけ書斎でひと眠りするのでした。曇り空がどうも憂鬱なのでした。

 女将が洗濯物をウッドデッキに干しに行ったら、雨が降っていたと言う。亭主が家を出るときにはもう止んでいたけれど、道は濡れているのでした。日曜日だから車も通らないみずき通りを渡って、蕎麦屋までゆっくりと歩いていく。左足の膝の痛みは随分と取れたけれど、まだ完全に治ってはいないらしい。右足を引きずるのと合わせて、すっかりガタが来た身体の具合に辟易しながら、なんとか蕎麦屋まで辿り着く。尿酸値を下げる薬は痛みが取れてから。

 蕎麦屋に着いたら幟と看板を出しながら、向かいのサツマイモ農園で作業をしていた若旦那に道を挟んで挨拶をする。日曜日でも仕事はあるらしい。厨房に入って蕎麦豆腐を作ろうと思ったら、豆乳の予備がないので断念して、大根をすり下ろして野菜サラダの具材を刻む。天麩羅の具材も少ししかなくなっていたけれど、どれだけお客が来るか分からないので、足りなくなったら用意することにしました。残るは金柑大福を包む作業でしたが、今日は四つだけ。

 時間になったら暖簾を出して、女将と二人でこの陽気ではお客は来ないだろうと話をしていたら、12時半過ぎになって駐車場に車が入ってきた。「お客が来たみたいよ」と女将が言うので、蕎麦打ち室の窓から覗けば、いつもカレーうどんを頼む親父様が、今日は奥様を連れずに一人でご来店なのでした。ハラミの串焼きも一本だけご注文。女将が野菜サラダを出した後に、解凍してあったハラミを切って串に刺して、一本だけ焼いてお出しするのです。この寒い日に、隣の町からわざわざ食べに来て下さって本当に有り難かった。