2024年12月末



12月28日 土曜日 今年の営業はあと二日…

 4時半起床。とは言ってもなかなか目が覚めずに、5時には居間の部屋に行くけれど、コーヒーを沸かして飲んでもまだ出掛けられない。5時半になったらそんな自分を振り切って、車に乗って蕎麦屋に出掛ける。カウンターに干してあった昨日の盆や蕎麦皿を片付けて、ほうじ茶を沸かして昨日のブログを確認するのでした。今朝は500gだけ打ち足せば好かったので、少し余裕があったのです。蕎麦打ち室の室温は9℃、湿度は45%なのでした。

 いつもと同じく43.5%の加水で蕎麦粉を捏ね始めたら、ちょっと硬くて堪らなかったから、少し水を出してまた捏ねたのですが、それでもまだ硬い。いつもなら捏ねている間に柔らかくなってくるのに、今朝はそうはならずにかなり力が要るのでした。伸して畳んでも硬い生地は変わらないから、短めの伸し棒を使って何度も伸し広げるけれど、やっと奥行き90cm近くまで伸したら、畳んで包丁切りをするのです。力を入れて伸したので腰が痛くなった。

 伸し終えたのが7時過ぎ、朝飯には間に合ったけれどこの寒いのに汗をかいてしまった。珍しく日の出の時間に蕎麦屋を出る。朝食を食べてひと眠りしたら、土曜日の朝市を開いている向かいのサツマイモ農園の若旦那と挨拶を交わし、幟と看板を出すのでした。厨房に入ってお茶を飲みながら、お湯を沸かして蓮根の皮を剥いて酢水で茹でる。続けてブロッコリーとスナップエンドウを茹でて、笊に上げるのです。そしていつもと同じく野菜サラダを盛り付ける。

 暖簾を出したら、昨日までとは違って今日はお客が続いた。年配のご夫婦が三組も入って、せいろ蕎麦の大盛りとヘルシーランチセット以外は皆さん天せいろのご注文なのでした。駐車場に新車を入れられないご主人に代わって、亭主が出やすいように前向きに停めてやる。亭主と女将と同年代の人たちは、やはり蕎麦屋では天せいろを頼むことが多いのです。最後に若いご家族がいらっして、帽子を被ったまま天麩羅蕎麦と鴨せいろと暖かい蕎麦を頼まれた。


12月29日 日曜日 今年最後の営業は…

 一年の最終日だと意気込んで、昨夜は午後の10時に床に就いて、アラームを4時半にセットしたのは好いけれど、やはりなかなか目覚めることが出来なかった。それでも台所に行ってコーヒーを沸かして、5時過ぎには家を出て蕎麦屋に向かうのでした。昨日の残りの蕎麦は1把しかなかったので、今朝は2回蕎麦を打たなければならないかったのです。カウンターに干した盆や蕎麦皿を片付けて、蕎麦打ち室に入ったのは6時前で、600gずつ二回の蕎麦を捏ねる。

 外は真っ白な霜に覆われて、この冬、最高の寒さで-5℃なのでした。昨日の失敗を生かして、蕎麦打ちは加水率を46%まで上げて伸していきました。これだとさすが柔らかくなるけれど、思っていたよりもしっかりとした生地に仕上がったから、よほど空気が乾燥しているのです。蕎麦打ち室の室温は6℃だったから、これからの時期はもう46%よりも加水率を下げられそうにないのです。7時過ぎには13束の蕎麦を打ち上げて、家に帰るのでした。

 朝食を終えて髭を剃ったら着替えを済ませて、とぼとぼと蕎麦屋までの道程を歩いて行く亭主。日曜日だというのに向かいのサツマイモ農園の若旦那が仕事に来ていてお互いに挨拶を交わす。看板と幟を出してチェーンポールを降ろしたら、厨房に入って暖かい汁を作り、ほうじ茶を沸かすのでした。大根と生姜をおろして、野菜サラダの具材を刻めば、11時過ぎには開店の準備が整う。父と娘らしき二人連れが、15分前にやってきたので店の中で待ってもらう。

 かけ蕎麦とせいろ蕎麦大盛りを頼んだから、早速、蕎麦を茹でてお出しした。それでも昨日は随分と混んだから、今日は寒さも手伝ってお客が少ないだろうという予想は当たって、1時前に3人連れの家族が来て、天せいろと鴨せいろとせいろ蕎麦をご注文になる。1時半になったので亭主もぶっかけ蕎麦を茹でて食べてしまうのでした。やはり二日続けてはなかなか混まないのでした。2時半には家に帰って、ひと眠りしたら夜はハラミの串焼きで熱燗を飲む。


12月30日 月曜日 今年は蕎麦屋の営業を休んだ年末…

 ゆっくりと眠った朝は久し振りなのでした。6時過ぎまで床の中にいて、起き出してコーヒーを沸かす。蕎麦屋に行かなくても好いから、テレビで「ベンハー」の映画を観る。70年近くも前の映画なのに、やはり名作なのです。朝食を夾んで最後まで見終えたら、もうお袋様と買い物に出掛ける時間になるのでした。今日は女将も一緒に車に乗って、農産物直売所と隣町のスーパーに行った。農産物直売所では知り合いの農家のご夫婦に会って挨拶を交わすのです。

 隣町のスーパーはいつもの日よりも早く開店しているのに、駐車場には車がびっしりと停められていました。店の仕入れがないのでゆっくりと商品を見回して、女将の買わない酢蛸や蟹などは、亭主が買って自分で代金を払うのです。蜜柑だけは二人で違う種類を買って帰った。亭主はばら売りの小さな蜜柑を10個、女将は袋入りの大きな蜜柑を買ったのでした。お袋様を送ってから家に帰って、亭主はまたテレビを観る。女将は夜のおでんの仕込みに余念がない。

 昼は昨日の残りの蕎麦を茹で、沢山余ったとろろ芋をすってとろろ蕎麦を食べる。46%で売った蕎麦もなかなかコシがあって美味しいのでした。食後にひと眠りしようと書斎で横になるけれど、身体が疲れていないから眠くならない。仕方がないから、玄関の前の木槿の木を剪定するのでした。葉が落ちたからとても切りやすく、目の高さまで切ってゴミ袋に入れていく。冬なのにもう新芽が出ていて、葉が出て来るともう始末に負えないから早くて好かった。

 女将が玄関から出て来て、「外の方が日当たりが好いから暖かいわね」と言う。庭に植えた芍薬や墨田の花火なども、蕎麦屋の庭に持って行って植えられないかと言うのでした。さすがに大きく育った金柑の木は、自分では移植できないから、この間、女将が朝市で買ってきた小さな鉢に実を付けた金柑の苗を、植え替えないといけないと言うのです。芍薬ぐらいは何とか持って行けるかも知れないと、やることが沢山あるのに気が遠くなりそうなでした。


12月31日 火曜日 大晦日は家族で年忘れ…

 大晦日の朝もいつもと変わらず6時には目覚めて、蕎麦屋に出掛けてひと仕事。今日は午後からお袋様と弟とが集まって、昭和世代の年忘れ会を開くよていだったから、食べる物を家から運んで冷蔵庫に入れておく。暖房を入れて大釜にお湯を沸かしておきました。昼は亭主がまたあんかけの堅焼き蕎麦を作り、女将と二人で美味しく食べるのです。書斎に入って横になるけれど、疲れていないので眠ることは出来なかった。結局、2時過ぎに女将のスポーツクラブの予約を取って、二人で蕎麦屋に向かうのでした。

 3時からという約束だったので、早めに蕎麦屋に行って、テーブルに並べる料理や皿やグラスを用意するのでした。お袋様が2時半にはやって来て、弟もすぐにやって来る。今年一年ありがとうございましたとビールで乾杯する。時間が早いから、あまり食べられなかったけれど、酒を飲んでいるうちに腹も空いてくる。天麩羅を揚げに亭主が立ち上がって厨房に入り、揚げたての天麩羅を振る舞うのでした。みんな近くに住んでいて好かったと、つくづく思う。来年は蕎麦屋に引っ越す予定なので、尚更のことけじめの年の瀬…。