2024年12月下旬



12月20日 木曜日 寒い朝でしたが元気で楽しい夢を見た…

 夕べは10時に床に就いて、今朝は4時に目が覚めたのです。ぐっすりと眠ったという以外は何も覚えていない。コーヒーを入れて居間の部屋でテレビも点けずに一杯飲んだら、ぼうっとしていたからかすぐに5時になったのです。今日は500gだけ蕎麦を打てばいいから、あまり急がなくてもよかったのです。それでも5時半過ぎには車を出して、蕎麦屋に出掛けるのでした。車外温度は2℃。暗くて見えないけれど、霜がびっしりと降りているに違いない。

 蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を捏ねたら、蕎麦玉にして寝かせている間に外に出て日の出前の東の空を見る。最近の日の出は6時40分過ぎだから、まだまだ暗いのです。今日も43.5%の加水で打ったので、生地は適度な硬さで、伸して蕎麦切りをすれば、ちょうど好い仕上がりなのでした。7時前に家に帰ろうと外に出れば、向かいの畑は思った通り真っ白な霜に覆われていました。家に戻って朝食を食べたら、いつものように書斎に入ってひと眠りするのでした。

 7時半過ぎから9時近くまで眠ったのですが、実に楽しい夢を見たのです。何処かの海かプールか分からないけれど、イルカのように水の中を進む感覚を全身で味わって、喜んでいる自分が、とても楽しんでいるのが分かるのです。目が覚めても顔が笑っていたから健康には好いのでしょう。急いで洗面と着替えを済ませて、家を出るのでした。蕎麦屋に着いて幟と看板を出し、チェーンポールを降ろしたら、いよいよ今日の始まりなのです。

 野菜サラダの具材を刻んでいつものように三皿盛り漬けておいたら、今日は二皿も捌けたから嬉しかった。寒いけれど天気が好かったのでお客が来たのです。全員が常連さんかリピーターさんで、男性の一人客が自転車や歩きで、カウンターに代わる代わる4人も座ったから驚いた。最後は女性の二人連れが奥のテーブルに座って、せいろ蕎麦とヘルシーランチセットを頼まれた。カレー蕎麦やキノコつけ蕎麦なども出て、蕎麦豆腐も二皿出たのです。



12月21日 金曜日 有朋自遠方来、不亦楽乎…

 今朝も5時起き、5時半には家を出て蕎麦屋に向かいます。昨日の蕎麦が生舟には半分も残らなかったので、今朝は750g八人分を打たなければならないかった。まずは蕎麦粉と小麦粉とを計量して、43.5%の加水で生地を捏ねていく。今日は少し暖かかったので、しっとりとした生地に仕上がり、蕎麦玉を作って寝かせておく。厨房に戻って南瓜を切り分けてタッパに詰めて、家に持ち帰りチーンする準備。レンジは当分買えそうもないので毎日がこの繰り返し。

 今朝は少し暖かかったから、鼻水も出ずに身体も随分と楽なのでした。外はまだ暗く、6時を過ぎた頃から少しずつ明るくなってくるのです。切りべら20本で八束の蕎麦を打ったら、生舟に並べて昨日の蕎麦と合わせて12食分が用意できました。天気が好くて少し暖かいから、今日はお客が来るのではないかと期待するのです。7時前には家に帰って、女将が用意してくれた朝食を食べる。お茶をもらったら書斎に入ってひと眠りです。1時間ほど眠って目覚める。

 今日は土曜日だったから、向かいのサツマイモ農園では朝市の日なのです。若旦那が一人で焼き芋の準備をしていたから挨拶をすれば、ビニールハウスの裏の耕作放棄地の整地が大変だという。大きな木も生えてしまっているから、ユンボを使わなければいけないらしい。看板と幟を出して厨房に入れば女将がすぐ後からやって来たのでした。店の掃除を始めてくれたから、亭主は大根と生姜をおろして野菜サラダの具材を刻み始める。新しいパインは甘かった。

 暖簾を出してしばらくしたら、男女三人連れのお客が入ってきたので、「いらっしゃいませ」と出迎えたら、じっとこちらを見ているから不思議に思った。「卒業生なんですけれど…」と言われて、なんとなく昔の面影が浮かんだのですが、名前までは思い出せないのでした。ヘルシーランチセットとビールを頼まれて、今日の蕎麦を出せば、そのうち「学年は違うけれど、中学では水泳部でした。高校では古典を教わりました」と言うではありませんか。

 皆の名前が判って、楽しい時代の思い出が蘇ってくる。20年以上前の卒業生だから、我が家の一番下の息子と同じくらいの年齢なのです。「お元気そうで好かった」と言われて、「歳だから、来年で蕎麦屋も閉めようと思う」と応える。日除け暖簾の前で記念写真を撮って、モノレールの駅まで歩いて帰っていったのです。もう一つのテーブルにはリピーターのご夫婦が座って、奥様が吟醸酒とせいろ蕎麦と白エビや赤いかなどの天麩羅、ご主人がカレーうどんを頼まれた。こちらもゆっくりと1時過ぎまで食べて行かれたのです。


12月22日 日曜日 まさかの12時過ぎにもうお蕎麦売り切れ…

 今朝も5時にアラームで目覚めたけれど、夜中に一度目を覚ましたからか、なかなか頭がすっきりとしなかった。コーヒーを沸かして飲むけれど、テレビも点けずに1時間近く椅子に座っていたのです。今朝は500gだけ蕎麦を打てば好かったから、時間はかからないけれど、カウンターに干した洗い物を片付けたり、する事は沢山あったのです。暁方の東の空がとても神秘的で、静かな日曜日の朝という気がしました。蕎麦打ち室に入って早速、蕎麦粉を計量する。

 蕎麦玉を寝かせている間に、大釜に水を汲んで火を点けて暖を取る。いつもよりは暖かいけれど、室温はまだ12℃ほどなのでした。グラス四杯分のほうじ茶を入れて、一杯を飲みながら一服するのでした。再び蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を伸していけば、今日も綺麗な仕上がりで、5束の蕎麦を仕上げました。昨日の残りと合わせて12食分の蕎麦を生舟に並べて冷蔵庫に入れておきました。まさかこれだけの数が12時過ぎになくなってしまうとは、夢のよう…。

 家に帰れば女将が朝食の用意をしてくれていた。魚が出てこないのは、時間がかかるからだろうか。食後は書斎に入って30分ほど眠った。洗面と着替えを済ませて今週最後の仕事と、蕎麦屋に向かうのでした。看板と幟を出したら、厨房に入ってまずは小鉢を盛り付けておく。快晴だけれど風がとても冷たいから、そんなにお客は来ないだろうと、昼前に来ると言っていた防犯パトロールのメンバー4人の分をまずは作っておいたのです。

 大根をおろし、野菜サラダを盛り付けて開店の準備が整ったのが11時。店の前には大勢の若者が集まって、今にも来店しそうな様子だったので、玄関を開けて「何人ですか?」と尋ねれば6人だったので、「寒いから中でお待ちください」と言ってテーブル席とカウンターに座ってもらう。奥のテーブルには箸とおしぼりを四人分置いて、座れないようにしておいたのです。ところが、若者達はほとんどが大盛りの天せいろや鴨せいろのご注文なのでした。

 暖簾も「営業中」の看板も出さずに、亭主は二人分ずつ鴨肉を焼いていく。全員がビールや吟醸酒まで頼まれたから、女将も忙しかったのです。用意した小鉢はほとんどなくなって、もしかの時の爲に人参と蓮根の金平を、急遽、作っておいたのが、役に立った。白エビの掻き揚げも三人分の注文が入る。そのうちパトロールのメンバーが一人二人といらっして、総勢10人が皆ビールを飲む。天せいろ4つの注文だったから、亭主は天麩羅を揚げるのに忙しい。
 まだ12時を過ぎたばかりなのに、「お蕎麦売り切れ」の看板を出して、いつもなら十分に入れる時間にいらっした他の客はお断りするのでした。6人の若者たちは「大勢で押しかけて済みませんでした」と言って、皆が礼儀正しく挨拶をして帰って行った。時計を見ればまだ1時前なのです。パトロールのの御老人たちも1時過ぎには帰られて、洗い物が10人分溜まっていたので、女将と二人で手分けして片付ける。美容院の予約を入れていた女将を先に返して、後は亭主一人で片付けを終えるのです。暖簾は出さず終いでした。


12月23日 月曜日 定休日、まずはゆっくりと休んで…

 今朝はゆっくりと眠って5時半に目が覚めました。コーヒーを沸かして居間の部屋で椅子に座ってひと息入れるのです。テレビも点けずに頭の中は空っぽというより、まだ十分に目が覚めていないのか。身体を動かさなければと、車で蕎麦屋に行って昨日の洗い物を片付ける。そして、沢山の洗濯物を干していく。汚れの取れていないビールのグラスを10個、キッチンハイターに浸けておくのです。更に、出汁取りの準備で3㍑の鍋に干し椎茸と昆布を浸しておく。

 7時をだいぶ過ぎてから家に帰り、女将が朝食の支度を終えたところでちょうど食卓についた。鯖の塩焼きとサツマイモの切り昆布煮以外は、すべて蕎麦屋の残りものなのです。美味しく頂いてお茶をもらったら、書斎に入ってまたひと眠りする亭主。定休日だからいつ起きても好いと思うけれど、いつもの習慣で30分ほど眠ったらもう目覚めたのでした。それでも起き出してだらだらとテレビの洋画を観て、昼の買い物をしたら蕎麦屋に寄ってカレーを持ち帰る。

 ゴミの収集が火曜日なので、天麩羅鍋に固めた油をゴミ袋に入れて、生ゴミと一緒に外の大きな袋に詰めておく。塩素に浸けておいたガラスはピカピカに蘇って、布巾の上に干してあったのをひっくり返しておくのです。昼は買って来た「さぼてん」のカツを載せてカツカレーにしました。満腹になったら習慣で、また眠くなるから今日は嬉しい。ゆっくりと休んで女将がスポーツクラブに出掛けた後で、車のガソリンを入れたらまた蕎麦屋に出掛ける。

 駐車場の紅葉とヤマボウシの木を少し剪定しようと思ったのだけれど、紅葉の葉がすべて散っていたので、慌てなくても好いと考えた。もう少し暖かい陽射しの日に脚立に乗って切っていけばいい。どうしても自分で剪定すると、枝先ばかりを切るものだから、先のほうに新しい枝がまた生えてしまう。これを丹念に切らないと綺麗な形にはならないとつくづく思うのです。脚立の高さが足りなくなっているのです。ヤマボウシの方がまだ綺麗に枝を落としている。

 夜は茶碗蒸しと常夜鍋にすることに夫婦の意見が一致していたから、女将が食卓で銀杏の殻を割っていた。寒い夕べだったから、身体の温まるものが嬉しいのでした。女将はホウレン草が一把300円近くもしたことに驚いたらしく、頻りに亭主に話をするのでした。明日はお袋様と仕入れに行く日だから、朝のうちに蕎麦屋に出掛けて出汁を取って来よう。今夜は買い物リストを作って印刷しておけばよし。金柑大福の白餡を買うのを忘れないようにしなければ。


12月24日 火曜日 クリスマスイヴもいつもと変わらずに…

 アラームもかけずに寝たのに、5時半には目が覚めて、コーヒーを一杯飲んだら6時過ぎには蕎麦屋に出掛ける。今朝は出汁を取るのが目標でした。一番出汁を取ってかえしを加え、蕎麦汁を作り、二番出汁を取って天つゆと温かい汁を作って、残りは入れ物に入れて冷蔵庫に収納する。強火で鍋を熱しても1時間弱はかかる仕事なのです。無事に仕事を終えて家に帰れば、女将が朝食の支度をしてくれていた。「ただいま」「おかえりなさい」が朝の挨拶でした。

 食後は30分ほど書斎で眠って、洗面と着替えを済ませ、お袋様に電話をして迎えに行くのです。氷点下の寒い朝でしたが、青空と陽射しがあるので気分は好いのでした。開店直後だというのに、農産物直売所には沢山の車が停まっていました。知り合いの農家のご夫婦に挨拶をして、今朝は2000円ほどの野菜をもらってくる。隣町のスーパーに行っていつものように食材を買ったら、10000円を越えたから個々の野菜が随分と値上がりしているらしい。

 家の買い物は魚がまだ冷蔵庫に残っていたから、鮭の切り身と蜜柑と肉だけを買って、蕎麦屋で食材を冷蔵庫に入れて、帰宅すればまだ女将は買い物から帰っていなかった。急いで床屋に出掛ける亭主。今日最初の客だと言われて、後から二人ほどお客が来たけれど先に済ませてもらったのです。マスターに「好いお年を」と言って家に帰れば、女将が台所にやって来て、昼の材料を冷蔵庫から出してくれた。昼は残った蕎麦汁を薄めて肉うどんを亭主が作る。

 午後はひと眠りして蕎麦屋に出掛け、キノコ汁を仕込んだら、先週と同じく筑前煮を作るのでした。今日はしっかりと牛蒡を買うのを忘れなかった。里芋の皮を剥いてぬめり取りに茹でたら、今度は牛蒡の皮を金タワシで綺麗にして、乱切りにしたらまた茹でる。次に人参、蓮根などをそれぞれ茹でて、鶏肉を炒めた中華鍋で炒めていく。干し椎茸や蒟蒻も加えて酒と出汁で煮込んだら出汁醤油と砂糖とで味つけする。10分ほど煮込んで少し甘めで出来上がり。一つ一つ手間がかかるから随分と時間を取られた。大根の皮を剥いてなた漬けの準備をした頃には、もう辺りは暗くなっていたのです。


12月25日 水曜日 だらだらしていたら定休日の最後が辛い…

 朝はそんなにする事がなかったので、6時過ぎに蕎麦屋に出掛けて、蕎麦汁を徳利に詰めたり、なた漬けの大根を漬け直したりして家に帰るのでした。朝食は夕べの鍋の残りにご飯と餅を入れて雑炊で暖まる。亭主には茶碗蒸しの残りが温められて出たのです。食卓につけば女将はもう先に食べ始めていました。お茶を入れてくれたら、女将は自分の部屋に入ってしまう。朝ドラの前にひと休みなのです。亭主は食堂の電気とテレビを消して書斎でひと眠りする。

 9時過ぎに目覚めて、まずは昨日手に入らなかった野菜サラダのアスパラガスを買いに何処へ行けば好いかと考える。駅前のショッピングモールに行けばあるのは分かっていたけれど、鶏肉も買わねばならないし、柿が売っていたら買いたいなどと考えたら、やはりいつもの隣町のスーパーの方が安いと思って出掛けて行ったのですが、アスパラガスは今日も入っていなかった。仕方がないからスナップエンドウと女将に頼まれたトイレットペーパーを買って帰る。

 蕎麦屋に寄って午後の仕込みの段取りを考えていたら、もう昼飯の時間になる。家に帰って昼食の炒飯を亭主が作って、ワンタンスープを一緒に食べる。食後に居間の椅子でうたた寝をしていたら、女将が「行って来ま~す」と言ってスポーツクラブに出掛けて行く。亭主も後を追うように蕎麦屋に出掛けて、いよいよ午後の仕込みに入るのでした。する事がいろいろ沢山ありすぎて、何から片付けようかと迷うくらい。カレーの具材を刻んでまずはカレー作り。

 次に氷砂糖を湯で溶かして白餡を入れて餡作り。もう一つの火口では種を取った金柑をやはり氷砂糖と湯で煮込んでいく。農産物直売所で買った金柑は大きさがまちまちだけれど、種が少なく皮も柔らかいのでした。白餡が煮詰まるまで随分と時間がかかったような気がするけれど、その間にカレーをジブロックに詰めて冷凍庫に入れる。ちょうど6人分作れたから、今年はこれで大丈夫。金柑の甘露煮を瓶に詰め、餡をタッパに入れたら、お新香を漬けるのです。



12月26日 木曜日 去年の今日はお客がなかったけれど…

 今朝も5時起き。蕎麦屋に行って、夕べ漬けたお新香を、糠床から取り出して、小鉢に盛り付けるのでした。それから蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量する。最近はお客が少ないから、750g八人分を一回打って終わりにするのです。いつもと同じく43.5%の加水で捏ねていけば、今日は少し柔らかい。湿度計を見たら40%以上あったから、今朝は湿気が多いのでした。蕎麦玉にして寝かせている間に玄関を出て東の空を見れば、まだ陽は昇らない夜明け前の空。

 蕎麦を打ち終えて家に帰れば、朝食には、亭主の作った筑前煮と女将の作ったひじきの煮物が出て、ナス焼きと鰺の開きでかなりのご馳走なのでした。昨夜は7時間も目が覚めずに眠ったから、食後のひと眠りはしないで蕎麦屋に行こうと思ったけれど、満腹になったらやはり眠くなって、書斎に入って30分だけ眠るのでした。洗面と着替えを済ませて蕎麦屋に出掛ける。9時過ぎには家を出て、蕎麦屋に着いたら、看板と幟を出してチェーンポールを降ろす。

 と、黒い軽のワゴン車が止まって、宅配便なのかと思ったら、窓を開けて「大掃除してるの?」と弟が顔を出した。後でお袋様に聞いたら、米がなくなったので、弟に頼んで買ってきてもらったのだとか。息子二人が近くに住んでいるから何かと便利なのです。亭主はお袋様が今通っている内科が来春閉院すると言うので、交通の便利の好い場所に内科がないか捜して、駅から3分のところにある内科を見つけてお袋様に電話をしたのです。

 小鉢用に作ったなた漬けと筑前煮を盛り付けて、大根と生姜をすり下ろし、薬味の葱を刻んだら、野菜サラダの準備に入る。朝が寒いから、今日はお客の出足も悪いだろうと思って暖簾を出せば、女将が来て1時間近く経って一人目のお客がやって来た。今日は男性客ばかりで、二人目はカウンターに座ってビールと野菜サラダと蕎麦豆腐をご注文。ビールをもう一本頼んだら、仕上げはせいろ蕎麦の大盛りで、ゆっくりと1時間近く飲んで食べていらっした。


12月27日 金曜日 年末はどこもかしこも混んでいる…

 いよいよ年の瀬、霊犀亭の営業も残すところあと三日となりました。平日は今日が最後の一日で、亭主一人でこなさなくてはならないけれど、昨日のお客の入り方を見ても、そんなに多くはないだろうと予想できるのです。それでも、万が一と言うことがあるから、蕎麦は10食近く用意しなくてはいけないと、朝の5時から起き出して、6時前には蕎麦屋に到着するのでした。まだ電気を点けなければ暗い時間なのです。蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量する。

 500g5人分だけ打ち足して、昨日の残りと合わせて9人分の蕎麦を用意しました。家に帰って7時過ぎ。朝食を食べてひと眠りすれば、頭はすっきりしてやる気が出るのです。髭を剃るのが面倒だったけれど、今日は亭主一人だから、お茶を出したり、蕎麦を運んだりと、お客様に接しなければならないので、速攻で髭剃り。車を洗っていたご近所のご主人に「年末は忙しいでしょ」と挨拶されたけれど、「あと三日で今年はもう営業しません」と応えるのでした。

 幟と看板を出したら厨房に入って、大根をおろし、野菜サラダの具材を刻むのです。11時にはテーブルも拭き終わって、開店の準備が整ったら、椅子に座ってひと休みする。11時半に暖簾を出せば、風のない陽射しの中を歩いて来る常連さんが遠くから見えた。今日もビールとカレー蕎麦のご注文なのでした。カウンターの隅に座っていつものように文庫本を読んでいる。突き出しの小鉢とグラスを運んで野菜サラダとビールを持って行けば、早速、昼飲みに入る。

 その後はもうお客は来なかったので、揚げ物もなかったから、天麩羅用のパットが汚さないように、亭主はおろし蕎麦をぶっかけで食べておくのでした。後5分で暖簾をしまうという時間になって、駐車場に車が2台入って来るのでした。中年の女性が二人、テーブルに座って「何がお薦めですか」と尋ねるので「天せいろが一番出ますね」と応えれば、しばらくして「じゃあ鴨せいろを二つお願いします」とご注文。鴨肉を焼いて蕎麦を茹でてお出しする。