2024年12月中旬



12月10日 火曜日 陽射しはあっても空気が冷たい一日…

 今日は5時半に目が覚めました。『蕎麦を打ちに行かなければ』と思って起き出したけれど、よく考えたら今日は定休日の二日目なのでした。今日も明日もまだお休みだから慌てなくて好いのです。コーヒーを沸かして一服したら、6時過ぎに家を出て蕎麦屋に向かう。塗り直された外壁がピカピカに光って見える。昨日の朝よりは少し気温が高いのだろうか、鼻水は出て来なかった。昨日固めた油をゴミ袋に入れて、外の混み箱に入れに行くのでした。 

 カウンターに干したままの蕎麦皿や盆を片付けて、洗濯機の中に入れたままの洗濯物を干して、乾いたものを畳んでおきます。7時前には家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べる。食後のお茶をもらったら、書斎に入って30分ほど眠ったのです。夕べは疲れてもいなかったからか、なかなか眠れずに夜中にカップ麺を食べてやっと眠くなった。椅子でこっくりと居眠りを始めたら、初めて床に入ってゆっくりと休むのです。0時を過ぎていただろうか。

 8時半に目覚めて、洗面と着替えを済ませたら、お袋様に電話をして一緒に仕入れに出掛ける。お互いにこの一週間の出来事を話しながら、農産物直売所に着けば、今朝は随分と沢山車が停まっているではありませんか。米を精米してもらっているお年寄りや若い奥さんが開店の時間からやって来ていたのです。最低限の野菜をもらって、隣町のスーパーに出掛ける。メモを見ながらカートに食材を入れて、レジを済ませるのでした。

 昼食の時間前に家に戻って、今日は亭主が蕎麦屋で残った塩味のキノコ汁に、小麦粉を牛乳で溶いてバターとチーズを加えてとろみを付ける。メインディシュはスパゲッティ・ボロネーゼに、買って帰った揚げたてのトンカツを女将と半分ずつにして食べるのです。午後は少しだけ昼寝をして、蕎麦屋に出掛けて仕込みを開始する。干し椎茸を買い忘れたのに気が付いて、帰り道に隣町のスーパーにまた出掛けて行った。夜はおでんに日本酒で身体を温める。


12月11日 水曜日 午前中は家にいて午後は仕込みに…

 今朝も寒い朝でした。6時に居間の部屋に行ってコーヒーを飲んだら、蕎麦屋には行かずに、朝食の時間までゆっくりとしていた。朝食を食べてまた書斎に入ったら、9時過ぎまで眠って、なかなか起きられなかったのです。やっと起き出して着替えを済ませたら、また居間の椅子に座ってストーブに当たる。昼は湯麺を食べることになっていたので、亭主が台所に立ち、葱や白菜などを切って汁を作る。麺を茹でたら「はいできましたよ」と女将に言って昼食。

 午後は早めに蕎麦屋に出掛け、蕎麦豆腐を仕込んだら、明日の小鉢に切り干し大根の煮物を作る。先週の切り干し大根の煮物は、家に持って帰ってやっと今日になって食べ終えた。お客が来ないと小鉢だけでも大変なことになるのです。それでも今日はお新香も漬けておく。天麩羅の具材を切り分けて容器に入れ、蓮根の皮を剥いて輪切りにしたら酢水で茹でておくのです。明日も氷点下の朝だと言うから、どれだけお客が来るのかが心配なのです。

 寒い夕べは昨日のおでんを小さな鍋に入れてもらって、一人で酒を飲みながらつまんで夕食。女将は先週の残りの鴨肉を葱と焼いておかずにしていた。次の週が始まる前に、前の週の残りものをすべて食べてしまいたかったけれど、大根のなた漬けを食べても、まだ残っているのでした。酒がなくなったけれど酒代がなかったから、店から吟醸酒の瓶を一つ持って帰って、半分ほど飲んだらもう飲めなくなった。身体を動かしていないから酒も入らないのかも。



12月12日 木曜日 氷点下の朝に蕎麦を打ち…

 今朝は5時半前まだ暗いうちに家を出て、蕎麦屋に出掛けたのでした。とても寒い朝なのです。まずは糠床を取り出して、キュウリとナスを切り分け、小鉢に盛り付けておきます。それから、蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計量するのでした。今日の寒さからは、お客がそんなに来るはずもないと思って、8人分750gを計って43.5%の加水で水回しを始めたのです。乾燥しているからなのか少し硬い生地になったけれど、許容できる範囲の硬さなのでした。

 蕎麦玉をビニール袋に入れて寝かせている間に、厨房に戻ってお茶を沸かしてグラス4杯分のストックを作っておきます。そのうちの一つを飲んで身体を温める。タブレットを取り出して、今日の天気予報と昨日のブログを読み返しておきます。日中も10℃までしか上がらずに、風もあるから相当に寒い一日になるそうなのでした。再び蕎麦打ち室に入って、生地を伸し広げれば、なんと弾力のある硬さなのか。今日は相当にコシのある蕎麦が仕上がったのです。

 7時前に家に帰って、魚が焼けるのを待っていたら、今朝は鰺の開き以外は全部蕎麦屋の残りもの。味噌汁に入ったナスも天麩羅の具材の残りものなのです。お客が来ないと、こんなにも長く残りものを食べなくてはならないのです。それでも美味しく頂いて、居間の椅子に座ってお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。40分ほどぐっりと眠ったら、洗面と着替えを済ませて、歩いて再び蕎麦屋に出掛けるのです。天気は好いけれど風が冷たい。

 庭の金柑がだいぶ色づいて黄色くなってきた。この古い家を売却する時には、この木も置いて行くのかと、女将が名残惜しそうに言っていたのを思い出す。もう十年以上も冬になると金柑蜂蜜を作って喉の薬にしていたのです。粒が大きいので、蕎麦屋で金柑大福にも入れていた。今日は辛味大根が届く日だったけれど、蕎麦屋に着いてもまだ不在連絡票はなかったから、午前中に来るだろうと、幟や看板を出すのでした。年末年始の営業日を窓に張り付けておく。

 大根をおろして野菜サラダの具材を刻み、今日も三皿のサラダを盛り付けておいたけれど、寒い日にはサラダはほとんど出ない。11時前には開店の準備が整って、カウンターの隅の椅子に座って休んでいたら、開店の20分前だというのにもう車が駐車場に入ってきたのです。寒いから店中に入ってもらうと、なんと千葉市からわざわざいらっしたと言う。奥様が友人と一度いらっして、蕎麦が美味しいからとご主人を連れて来たのでした。有り難い事です。

 他のお客もいないから、話をしているうちに女将と亭主と同じ世代だと分かる。蕎麦と天麩羅が美味しかったとご主人が言えば、お新香もとても好く漬かって美味しかったと、奥様が褒めてくださったのです。こんな寒い日に遠くから来るのは、よほど蕎麦が好きなのでしょう。蕎麦湯まで綺麗に飲み干して帰られた。1時を過ぎて亭主が賄い蕎麦を食べ終えた頃に、駅の南側から自転車でやって来た常連さんが、キノコ蕎麦の大盛りと蕎麦豆腐をご注文でした。
 母親が北海道の出身で、年に一度は祖母に会いに札幌に行くと言うので、父方の親戚がみんな北海道にいる亭主と話が盛り上がったのです。冷たい風の吹く昼過ぎも10℃までしか気温は上がらないのでした。この寒い中をわざわざ蕎麦屋に来てくれるお客は、本当に珍しいのです。今日はお客が少なかったけれど、皆さん蕎麦の好きな方で、いろいろな話をして帰られたから、亭主も女将も幸せな気分なのでした。2時過ぎには片付けを終えて家に帰りました。


12月13日 金曜日 日中も7℃の寒い一日でした…

 夕べは早く床に就いたはずなのに、今朝は目覚ましで5時に目が覚めたと思ったら、二度寝してしまい6時前に家を出たのです。東の空はまだ夜明け前の明るさで、蕎麦粉を計量して水回しをしている間に少し明るくなってきた。時間がなかったから今日は久し振りに早打ちで、蕎麦玉を10分も寝かさずに伸し広げていくのでした。
加水率は昨日と同じく43.5%だったけれど、今日の方が少しだけ柔らかい気がした。全体の蕎麦粉の量が少ないからかも知れない。

 昨日の残りの蕎麦と合わせて8.5人分の蕎麦を生舟に並べて、これでもまだ残るだろうと思いながら冷蔵庫に入れる。今日は一日中曇りの予報で、朝の寒さから考えると、どうしても日中は10℃を越えるとは思えなかったのです。女将のいない金曜日だけれど、お客が来なければ一人で退屈していればいいから気が楽なのでした。7時過ぎに家に戻って朝食を食べる。好物の鮭は亭主が選んで買って来た一品。脂の乗り具合が絶妙な美味しさでご飯が進んだのです。

 食後のお茶をもらって書斎でひと眠りすれば、浅き夢見しで楽しんで目覚めたのです。最近は、心が伸びやかになっているせいか、怖い夢や何かに追われる夢を見ることはなくなったのです。潜在意識にも何の強迫観念もないらしい。洗面と着替えをませたら、早速蕎麦屋に出掛けて行く。幟と看板を出したら厨房に入って大根と生姜をおろすのです。今日も出るはずがないと思いつつ、野菜サラダの具材を刻み、いつもと同じく三皿盛りつけておきました。

 天麩羅の具材を調理台に並べて見て、南瓜が四切れしかないのに気が付いた。電子レンジが壊れているから、家に持って帰ってチーンしてこようと思ったのですが、それを忘れて来たのです。仕方がないので家まで歩いて取りに帰るのでした。玄関を開ければ女将がびっくりして「どうしたの?」事情を話して冷蔵庫に切り分けてあった南瓜をレンジに入れてチーンする。待つ間に蜜柑の皮を剥いて頬張るのでした。足の調子が良いから分けなく往復が出来た。

 朝の6時からエアコンの暖房を入れておいたので、店の中は午後には23℃まで室温が上がったけれど、外は相当に寒いのでした。佐倉市の天気概況を見れば、12時で7℃と出ていたから、これではお客が来るはずもない。それでも1時を過ぎて若い女性が車でいらっして、せいろ蕎麦の大盛りと白エビのかき揚げをご注文でした。ゼロかと思っていたから嬉しかったのです。しかも、蕎麦好きと見えて蕎麦粉を溶いて作った蕎麦湯も綺麗に飲んで帰られた。


12月14日 土曜日 冷たい北風の吹く一日だったけれど…

 昨夜は10時に床に就いたからか、朝の4時にはもう目が覚めたのです。コーヒーを沸かして居間の椅子に座って飲むのだけれど、まだすっきりと目が覚めない。やっと5時過ぎに家を出て蕎麦屋に向かうのでした。昨日の洗い物を片付けて、お茶を沸かし、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充する。6時前には蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打ち始めます。加水率は昨日と同じく43.5%。ビニール袋に入れて蕎麦玉をしばらく寝かせておきます。

 やっと外が明るくなった頃に、再び蕎麦打ち室に入って伸しにかかります。手首も腰もだいぶ好くなったと見えて、身体の動きが以前のようにスムーズになってきた感じがする。少し長めの生地を畳んで、切りべら20本で140gの蕎麦の束を8束仕上げ、昨日の残りの蕎麦と合わせて、今日は12食分の蕎麦を用意できました。早めに家に戻って食卓につけば、女将がナス焼きを終えて出汁焼き卵を作っていた。亭主は自分でご飯を大盛りによそって豚汁を待つのです。

 自分で大蒜をおろしたりご飯をよそったりした分、いつもより早く食べ始められて早く食べ終えることが出来た。居間の椅子に座ってお茶をもらったら、7時半から8時半までゆっくりと書斎で眠れたので、頭はすっきり身体も元気なのでした。着替えと洗面を済ませて、9時過ぎには家を出て歩いて蕎麦屋に向かう。門を出るところで、夜間パトロールの日程表を配り歩いていた隊長に出会って、途中まで一緒に歩いて話をするのでした。散歩のついでだと言う。

 看板と幟を出したら、厨房に入って大根をおろす。野菜サラダの具材を刻んで今日も三皿盛り付けておくのでした。今日は最後のお客様が鴨南蛮蕎麦を二つも頼まれたので、二皿はなくなったから嬉しいのでした。開店の10分前にはもう車が駐車場に入って、早い時間から店は混んだのです。向かいのサツマイモ農園も、焼き芋を買いに来るお客が後を絶たない。陽射しはあっても、風も強くこんなに寒い日なのに、やはり週末なのでした。

 それでも暖かい天麩羅蕎麦やぶっかけ蕎麦など、温かい汁の蕎麦ばかり出るものだから、二回も作り足したのです。久し振りに賑やかになった蕎麦屋でした。1時を過ぎるともうお客はなく、亭主は天麩羅を揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。新聞を読んでいた女将も後片づけの体勢に入る。2時過ぎには家に帰って、亭主は書斎に入ってひと眠り。夕飯の五目あんかけ焼きそばを作って食べたら、また蕎麦屋に出掛けて洗い物の片付けと明日のお新香を漬けて帰る。



12月15日 日曜日 外は冷蔵庫の中の温度なのに…

 午前5時前、アラームのなる前に目覚めて、熱いコーヒーを入れる。今日はいつもより沢山の蕎麦を打つからと、朝から頑張っている亭主。まだ真っ暗な時間に蕎麦屋に出掛ければ、月が地平線に沈む頃なのでした。厨房に入って夕べ漬けたお新香を糠床から取り出し、切り分けて小鉢に盛り付ける。キュウリとナスを一本ずつ漬けて、残りは切り干し大根の煮物を小鉢に盛ればいい。できるだけ残らないように、殘っても家に持ち帰りやすいようにと考える。

 蕎麦打ち室に入って粉を計量し、軽量カップに用意したお湯を捏ね鉢に入れて、捏ねて行けばどうもおかしい。最近は500gで打つことが多かったから、加水を500g分しかしていなかったのです。慌ててお湯を汲みに厨房に戻って、ちょうどいいくらいに加水するのでした。後は両手の感覚に任せて、蕎麦を捏ねて行く。蕎麦玉を寝かせた後で、伸した蕎麦もなかなか好い仕上がりなのでした。粉のせいなのか、最近は随分とコシのある蕎麦が出来るのです。

 7時前に家に戻って朝食を食べ、いつものように書斎で横になるけれど、昨日も随分と眠ったからか、眠ることが出来ずにそのまま起き上がって着替えをするのでした。再び蕎麦屋に出掛けようと玄関を出れば、庭の金柑の黄色い実が青空に映えていました。もう何年目になるのか、最初は大きな粒ばかりだったけれど、きちんと摘果をしないものだから、今では小さな実も随分と多い。数が多いからいちいち面倒を見て上げられないのです。それでも使えるから。

 蕎麦屋に着いて幟と看板を出したら、後からやって来た女将が、「常陸秋そばの幟は立てないの?」と言うものだから、今日は久し振りに片側二本目の幟を立ててみた。「遊び心で書いた字なのね」と書の師範を越えた女将は言うけれど、亭主にはどうも馴染めないのです。いつものように大根を摺り下ろし、野菜サラダの具材を刻んだら、今日も開店の準備が整って暖簾を出す。しかし、陽射しはあるものの、昼になっても戸外温度は10℃しかないのでした。

 12時半を過ぎた頃に続けてお客が入って、皆さん天せいろのご注文なのでした。天せいろを頼んだのに白エビのかき揚げまで頼まれるお客もいました。大盛りも出たから、11食用意した生舟の蕎麦は残り少なくなってきたのです。1時を過ぎていらっした男性客も、キノコつけ蕎麦の大盛りを頼まれた。1時半になったので、亭主も天麩羅を揚げて賄い蕎麦を食べるのでした。茹でる時間が短いわけではないのに、最近打つ蕎麦は随分とコシがあるのです。


12月16日 月曜日 定休日一日目も朝からよく働いた…

 今朝は食後に書斎に入って、古語大辞典の梱包にかかりました。高級な厚手の紙に印刷されて、出た当時は重宝したものですが、後に小型の縮刷版が出てがっかりしたのを覚えいます。今となっては一冊1.5㎏近くもあるこの本は、本棚の一番下で転倒防止の役にしか立っていないので、愛着はあるけれど断捨離のターゲットなのでした。書斎から玄関まで運ぶのも大変でした。一汗掻いて蕎麦屋に出掛ければ、昨日の野洗い物がまだ洗濯機の中に残ってるのです。

 亭主と女将の上着や前掛けは部屋干しにして、タオルや生舟に敷く布巾などを室内干しにしておきます。昔は干しきれなくて、10枚干せるハンガーを二つも買って洗濯場にかけておいたものですが、今ではほとんど使う機会がない。それだけお客の数が少なくなっているのです。厨房に戻ってカウンターの上に干した盆や蕎麦皿を片付け、空の蕎麦徳利は冷蔵庫の盆の中に並べておくのです。昼前には家に戻り、蕎麦を茹でる鍋に水を汲んで火にかけておきます。

 昼は昨日揚げて帰った天麩羅をフライパンで焼いて、蕎麦を茹でて天麩羅蕎麦にする。どうしても家の鍋は小さくて水の量が少ないので、蕎麦は美味く茹でられないのです。一束ずつ茹でれば好いのですが、面倒くさいのでつい一度に沢山茹でてしまう。食後はお茶をもらって、書斎に入って今日初めてのひと眠りをするのでした。1時間ほど眠って目覚めれば、女将はスポーツクラブに出かけているので、亭主も蕎麦屋に出掛けて次の仕事にかかるのです。

 西の小径にはみ出して伸びている紅葉の枝を落とすのが仕事なのですが、この時期は先端だけ落としても来春にはまた生い茂ってしまうので、残す枝を選んで根元からノコギリで切っていくのです。高いところは脚立を使っても届かなくなってしまったので、後は思案のしどころなのです。刈れた紅葉葉が道路に散り広がったので、枝を小さく切ってビニール袋に詰めた後で、更に掃き集めなければいけなかった。小一時間の作業で汗びっしょりになったのです。

 まだ時間が早かったから、手を洗って厨房に戻り、朝のうちに昆布と干し椎茸を浸けておいた出汁取りの鍋に火を入れて、小一時間かけて出汁を取る。4時過ぎには家に戻って、コーヒーを入れてひと休み。冷蔵庫の中を覗いても、真空保冷室に鶏肉が入って、焼きそばの気配はないから、今夜はおそらく鶏鍋なのだろうなと想う。シラタキの袋が出ていたし、白菜や蕎麦屋で残った長葱が残っているはずなのでした。夫婦で会話をしながら夜の鍋を突くのでした。


12月17日 火曜日 今日も寒い一日でした…

 午後は陽の当たる西の小径も、朝は隣の畑に霜が降りています。子供会の廃品回収に出す新聞を取りに蕎麦屋に出掛けたついでに、昨日切った紅葉の様子を見に行けば、道にはみ出した枝は綺麗に切り落とされていました。脚立に乗っても届かなくなってしまった上の枝は、長い剪定ばさみで切れるか。冬の間に何とか始末をすれば好いから、あまり慌てることはないのですが次が気になるのです。脇にある長い間放ったままのグリストラップの掃除もしなければ。

 家に帰って重い古語辞典の束を5つも道路脇に出して、女将の出したゴミも捨てに行ったら、それだけでもうからだが暖まるから不思議なのです。寒い冬場は身体を動かさないと冷えるばかり。食後のひと眠りはせずに、洗面と着替えを済ませ、9時前にお袋様の家に行って、一緒に仕入れに出掛ける。車内の話で、彼女が現在通っている内科のクリニックが、来春早々に閉院になるというので、近くで何処かいいところがないかを調べてやると応えておく。

 この街の創生期に開院した医院は、代替わりするか閉院する所が多いのです。店屋も同じで新しいテナントに替わるところもある。かく言う蕎麦屋も開業して十何年で店を畳む予定なのです。それまでは出来るだけのことをしようと、買ってきた野菜類を冷蔵庫に収納して、大根のなた漬けの準備をしたら、南瓜を切り分けて家に持って帰ってチーンする用意をしておきます。オーブン付きのレンジが壊れて、そう簡単には新しいものを入れられないのです。

 昼は、蕎麦屋で残った最後の野菜サラダをあんかけにして、今週も湯麺を食べる。先週と同じではつまらないから、今日は冷凍の餃子を買ってきて焼いたけれど、はねつきの餃子はどうも上手く出来ない。自分で作れば一番いいのだけれど、最近はあまり餃子を食べたいとも思わないから、やはり加齢のせいなのだろうか。食後は書斎で一時間ほど眠って、仕事部屋の女将に声を掛けて蕎麦屋に出掛けるのでした。亭主の午後の仕事はキノコ汁となた漬けの仕込み。

 早めに家に帰れば、女将がおでんを煮ていた。明日の朝も食べられるようにと、沢山煮るから味が染みて美味しくなるのです。亭主はハラミの残りを焼いてもらって日本酒で一献。300mlの吟醸酒を半分飲んで飲んで、もう酔いが回ってきた。後は風呂上がりに焼酎を炭酸で割って、オンザロックを飲むのが最近の楽しみなのです。年賀状も試し刷りをして女将に見せたら「これでいいんじゃない」と言うので、今夜のうちに仕上げて明日投函してこよう。



12月18日 水曜日 定休日三日目は少し忙しく…

 夕べは10時に床に就いたら、身体が疲れていないからか、4時間眠ってすっきりと目が覚めてしまったのです。仕方がないからコーヒーを入れて居間の部屋でテレビの洋画を観ていた。合間に書斎に戻って年賀状を仕上げてしまう。今年は親戚と家族、親しい友人にだけ出そうと考えて、30枚ほどの数だったから、すぐに終わってしまうのでした。往時の10分の1だから随分と人付き合いがなくなった。年が明けて元日に届いたものには出すつもりではいるのです。

 昼食の支度をするまで家に居て、今日は随分とゆっくりなのでした。やはり早く起き出したのが響いたのです。カレーチャーハンにこんそめのスープを作るのは亭主の仕事だから、食べ終えてやっと書斎に入ってひと眠りなのです。それでも1時間で目が覚めて、女将がスポーツクラブに出掛けたら、後を追うように亭主も蕎麦屋に出掛けて、まずは蕎麦豆腐を仕込みます。そして、年末は筑前煮を小鉢で出してみようかと、中華鍋で炒めて煮てのひと仕事です。

 蓮根も里芋も皮を剥いて適当な大きさに切ったら、一度下茹でをしないといけないから手間がかかるのです。隣の火口では天つゆを作って、沸き出すのを待ちながら、中華鍋で鶏肉を炒め、水切りをした蓮根と里芋を炒めていく。残りの材料を入れて出し汁で煮込んだら、最後に出汁醤油と砂糖で味付けをする。材料費はお新香の何倍もかかるけれど、年末ぐらいは賑やかな小鉢も好いかと思ったのです。牛蒡を買うのを忘れたけれど、まあこれで出してみよう。

 ひと休みしたら、天麩羅の具材を切り分けて容器に入れておきます。明日は一番の寒さだと言うから、お客も来るかどうか分からないので、少しずつにして足らなくなったらすぐに作り足せば好い。玉葱を刻み、三ツ葉を切ってかき揚げの材料の準備も忘れない。3時半になったら家に戻って、夜の防犯パトロールの爲に身体を休めておくのでした。4時半には夕食にしてもらって、女将の作るちゃんこ鍋にうどんを入れて暖まったら、寒い夕暮れの道を集合場所に歩いて行くのでした。お年寄り達は元気に集まってくるから凄い。


12月19日 木曜日 朝から雨で時折時雨れていました…

 三日間の定休日明けには、やることが沢山あるのです。5時にアラームで目が覚めて、コーヒーを入れて頭をすっきりとさせるけれど、やはり身体を動かさないと本当には目が醒めないのです。5時半過ぎに蕎麦屋に出掛ければ、南の空の雲間からほんの少し月が見えていた。今朝はどうやら曇りらしい。佐倉市の天気予報では、今日は日中が昨日よりも寒く、北風も強いというから、あまりお客は望めない。厨房でまずは昨日使った鍋類を戸棚に収納する。

 それから蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つのでした。加水率43.5%でいつものように捏ね始めれば、ちょうど好い硬さで生地は打ち上がるのです。ビニール袋に蕎麦玉を入れて、寝かせている間に厨房に戻ってほうじ茶を沸かす。陶磁器のグラスに四杯分のお茶を入れたら、一つは身体を温めるためにその場で飲み始める。大釜に湯を入れて沸かしながら暖を取るのです。また蕎麦打ち室に入って蕎麦の生地を伸して包丁切り。今日も好い蕎麦が打てました。

 7時過ぎに家に帰れば、今朝の食卓には昨日のおでんの残りと、鮭の塩焼きと豚汁が並んでいる。身体の温まる食べ物ばかりで女将に感謝なのです。歳を取ったせいか、動いていないと身体が冷えてくるのから、どうしてもストーブを点けて暖まる。今朝は蕎麦打ちを終えた後でもまだ寒い。書斎に入ってひと眠りすれば、頭もすっきりして、洗面と着替えを済ませて再び蕎麦屋に出掛ける.大根や生姜をおろし、薬味の葱を刻み、いつものように野菜サラダを作る。

 外は時雨れて来たから、今日は相当に寒いのです。時間があったので、小鉢を盛り付けて、テーブルを拭いて回る。木曜日は女将が来てくれるのが開店前だから、亭主がそれまでに開店の準備を済ませておかなくてはならないのです。この寒さだからお客は来ないのではと思っていたら、女将も来て暖簾を出せば、すぐに男性客が一人歩いていらっした。なんと隣町から歩いていらっしたとか。天せいろを頼まれて美味しかったと言って帰られる。

 昼を過ぎて西の空に青空が見えるようになったけれど、外は6℃と真冬の寒さなのでした。向かいのサツマイモ農園では、新しく借りたという右手奥の畑の草を刈り始めている。若い人の勢いは素晴らしいもので、広い耕作放棄地に育った草や木を次々に刈っていくのでした。広いからそれでもまだ半分以上残っているから、明日もまだ仕事をするのでしょう。こちらも元気を貰ってお客を待つけれど、今日はもうお客が来そうもないのでした。