9月27日 金曜日 朝から雨の一日でした…

今朝も目覚ましのアラームで5時には目が覚めたけれど、またウトウトとして、結局、家を出たのは6時過ぎなのでした。蕎麦打ち室に入って、今朝の蕎麦粉を捏ねれば、室温26℃、湿度70%だったけれど、いつもと同じ39%の加水率だったけれど、どうも少し硬い気がする。生地がなめらかになるまでにかなり時間がかかった。まあ、時間をかければなめらかになると分かっているので、柔らかすぎるよりも好いと言うことなのでしょう。雨の朝なのです。

家に戻れば、今朝は亭主の好物の銀ダラの煮付け。煮物の得意な女将のヒット食材なのでした。筑前煮も豆腐と三ツ葉の味噌汁も、美味しく頂くのです。食べ終われば、居間でお茶をもらってひと休み。いつもと違って書斎に入ってひと眠りをせずに、髭を剃るのでした。毎日剃るほど髭は濃くないのですが、昨日は女将もいて厨房に入ったままだからとサボってしまった。今日は亭主一人の営業なのでそうもいかないのでした。雨の中を車で蕎麦屋に行く。

雨に濡れながら幟を出してチェーンポールを降ろし、厨房に戻って大釜に水を汲み、蕎麦を洗う大きなボールにも水を入れる。その間にほうじ茶を沸かして陶器のグラスに入れ、蕎麦茶や器を温める爲のポットを並べておきます。エアコンを入れなくても涼しい朝なのでしたが、昨日よりは少し暖かい。蕎麦粉の発注の電話を入れたら、ついでに10月のクラス会の締め切りが間近だったので、幹事に連絡を取って参加の旨を伝えておくのです。

外の雨は一向に弱まる気配もなく、10時前には大根をおろして、これでは到底お客も来ないだろうと思いながら、野菜サラダの具材を刻み始める。ブロッコリーとアスパラを2分半塩水で茹でたら笊に取り、レタスを洗って、キャベツの葉を刻む。研いだ包丁の刃で細いキャベツが切れるから気持ちが好い。アーリーレッドをスライスして、赤と黄色のパプリカを切ったところで、人参のジュリエンヌを刻む前にひと休みするのがいつもの癖。集中しないとね。

強くなった雨の中を、来るはずのないお客がいらっして、天せいろの大盛りと普通盛りのご注文なので、嬉しくも有り難い気持ちなのでした。同じ会社の上司と部下なのか、ゆっくりと食事をなさって「今日はおごって上げるよ」と男性の上司が金を払うのでした。1時を過ぎても雨は収まりそうもない。スポーツクラブに出掛けた女将は濡れただろうなと思いながら、賄い蕎麦を食べて片付けを始める。9月も末でみずき通りのハナミズキの葉が紅葉していた。

9月28日 土曜日 雨の予報が外れて曇り空が広がれば…

今朝は目覚まし時計のアラームをセットしなくても5時には目が覚めました。習慣が付くと自然と決まった時刻に起きられるのは、歳を取った証拠かも知れない。身体が覚えているのか、昨日も11時過ぎまで起きていたのですが、頑張って床の上に座る。居間の部屋に行って、蕎麦屋に出掛ける準備をするのでした。蕎麦屋に着いたら、まずは冷たいほうじ茶を飲んで目を覚まし、蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打つ。加水率はいつもと同じく39%なのでした。

7時前に家に戻って朝食を済ませ、やはり寝不足の分を取り戻すかのように、書斎に入ってひと眠りするのでした。着替えと洗面を済ませたら、雨は降っていなかったので、土曜日だし車では出掛けられない。みずき通りを渡れば、ハナミズキが何時の間にか紅葉しているではありませんか。バス通りを歩けば、珍しい事に土曜日の朝なのに、向かいのサツマイモ農園の朝市が開かれていなかった。はやばやと来ていたお客も諦めて帰って行くではありませんか。

その小母さんが、一番最初のお客でやって来たから話が弾む。女将が「昨日の雨の予報で今日は中止と決めたのではないかしら」と言えば、亭主は「今日はお休みと張り紙ぐらいした方が好い」と付け加える。次々とお客が来たので、話の途中で忙しくなってきた。雨が降らなかったお蔭で、蕎麦屋のお客は増えたようなのです。1時過ぎまでお客が入って、生舟の蕎麦も半分以上がなくなったのです。小鉢もなくなったから、夜はお新香を漬けに来なければ…。

返しがなくなって、膝下の戸棚を見れば味醂がない。キノコ汁の材料もなくなったので仕入れに行かなくてはならない。今日は防犯パトロールがある日だったのに、またしても参加出来ないのが悔やまれる。今月は休んだ日の方が多いのです。家に帰ってひと眠りしたら、隣町のスーパーに買い出しに出掛け、ついでに美容院に出掛けた女将が夕食の用意をするのは大変だろうと、トンカツを買って帰る。店で残った野菜サラダと合わせて夕飯のおかずにする。

早めに夕食を食べ終えて、今日は三度も蕎麦屋に出掛ける亭主。カウンターの上に干してあった盆や蕎麦皿、丼などを片付け、忘れないうちにとお新香を糠床に漬けるのでした。昼寝をしたのに、一日の蓄積した疲れが出て来たからか、動作が緩慢になって休み休みの仕事になる。返しを作るにも味醂とワインビネガーを鍋で沸かす前に醤油を入れてしまうし、最初に溶かさなくてはならない氷砂糖も、最後になってしまうのでした。今日は早く寝ることにしよう。
9月29日 日曜日 最近になく混んだ日曜日で…

今朝も5時には目が覚めて、蕎麦屋に出掛けようと思ったのですが、週末の疲れが出て来たのか、なかなか起き上がれない。眠い目を擦りながら、やっと6時前に蕎麦屋に着いて、コーヒーを沸かして、冷蔵庫の中から糠床を取りだし、お新香を切り分けるのです。大根のなた漬けもあったから、お新香は10鉢もあれば足りるだろうと思っていたら、今日はお客が多くて足りなくなったのです。蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。13食の蕎麦を用意。

打ち粉が足りなくなりそうで心配でしたが、何とか足らせて蕎麦を打つのでした。加水率はいつもと同じく39%で、生地はちょうど好い硬さで仕上がるのでした。腱鞘炎の左手首が痛いのが気になったけれども、そんなことは言っていられない。なかなか治らないのは、毎日の蕎麦打ちで動かしているからなのでしょうか。他に不自由なことはないから、そのままにしているけれど、自然に治癒するまでにはかなり時間がかかりそうなのでした。

7時過ぎに蕎麦を打ち終えて、家に戻ればちょうど朝食が出来上がったところで、食堂に入ってご飯を食べる。居間の椅子に座って食後のお茶をもらったら、いつもの習慣で書斎に入って横になる。今日は蕎麦粉や醤油が届く日だから、早めに家を出ないと行けないと思いながら眠ったら、8時半前には目が覚めて無事に蕎麦屋に着いたのです。早く着いても今朝はあまりすることがなく、珍しく新聞の一面の記事を読んだ。目が悪いから文字を読むのが疲れる。

今日は開店の前からお客が来たので、暖簾を出して中に入ってもらう。早くお客を迎えた分、蕎麦が早くなくなって早く終わったのです。日曜日とは言え、給料日の後だからかいつになく混んで、しかも皆さん天麩羅ばかり頼むから、天麩羅の具材が直ぐになくなったのです。暖かい天麩羅蕎麦やぶっかけが幾つも出て、汁も作り足さなければならなかった。天せいろよりもぶっかけ蕎麦が多かったのは、ご時世を反映して、値段が安いからなのでしょうか。

蕎麦がすべてなくなって、早めに店を閉めた分、沢山あった洗い物もお椀を洗う物が多かったので、2時半には女将と蕎麦屋を出られたのです。蕎麦汁もお新香も天麩羅の具材も、すべてなくなったので、夜の仕込みが大変だとは思いながら、家に帰るのでした。女将に話せば、昔は夜の10時頃まで仕込みをしていたと言う。簡単な夕食を食べてひと休みしたら、また蕎麦屋に出掛けて夜の仕込みなのでした。明日は定休日前だけれど用意だけはしておかなければ。

9月30日 月曜日 早いもので今日で9月も終わり…

涼しい朝でした。4時半に目が覚めて5時半には家を出て蕎麦屋向かう。混んだ昨日の盆や蕎麦皿を後片づけしたら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。室温は23℃、湿度は73%だったから、いつもと同じく39%の加水で蕎麦粉を捏ね始めたのです。ところが、どういうわけか今日は生地がなかなか柔らかくならない。時間をかけて何度も捏ねて、やっとなめらかな生地になるのでした。生地が硬いと伸すのにも労力を使うから大変なのです。

家に帰って朝食には涼しいからか、蒸し野菜が土鍋で出て来た。女将が「今日は長袖が好いわよ」と言うものだから、洋服ダンスから薄手の長袖を取り出して蕎麦屋に向かう。玄関を出たら雨が降っていたので、月曜日だしお客も少ないだろうからと車で蕎麦屋に出掛けるのでした。厨房に入って大根や生姜をおろし、野菜サラダの具材を刻んで、今日も三皿の野菜サラダを盛り付ける。夕べ準備できなかった天麩羅の具材も切り分け、10時半には仕込みが終わる。

今日は涼しいからと、二番出汁に返しを加えて、温かい汁を作って沸騰する前に火を消す。天麩羅鍋に新しい油を入れて温める。昨日は天麩羅ばかり出たので、油がほとんど残らなかったのです。大釜の湯が沸いてポットに湯を入れたら、また水を足して湧かしておく。調理台に天麩羅の具材を並べたら開店の準備が終わるのです。雨は上がった曇り空も、時折、陽射しが出るほどの回復でした。外の気温は23℃。動いたら暑くなる湿気なので、エアコンを入れる。

こんなに涼しいからお客は来ないかと思ったけれど、昼過ぎに常連のご夫婦がいらっして、天せいろとヘルシーランチセットを頼まれる。今日はそれが最後のお客なのでした。準備は万全でもお客が来るか来ないかが分からないのが辛いところなのです。ラストオーダーの時間になったら、暖簾と看板と幟をしまってチェーンポールを上げる。賄い蕎麦を食べて家に帰るのでした。郵便局に蕎麦粉の代金を払いに出れば、家の前の坂道を登ってくる女将に出会う。
