9月5日 木曜日 母の90歳の誕生日をみんなで祝う…

涼しい朝でした。5時に目覚めてコーヒーを沸かし、飲んで一服したらもう5時半なのでした。朝飯前のひと仕事は、蕎麦屋に出掛けてお新香を糠床から取り出して小鉢に盛り付け、蕎麦を打つことです。玄関を出れば、今朝はまた木槿が沢山咲いているではありませんか。庭のモミジアオイもまた二つ咲いている。少し涼しくなって、季節を間違えているかのようです。空は曇り空でしたが、咲いた花々に元気を貰って、今日も頑張ろうという気になるのでした。

今日はお袋様の90歳の誕生日で、ささやかな誕生会を弟と計画していました。亭主は店を早く閉めて皆の食べる物を買い出しに行かなければならなかったので、お客も多くはないだろうからと今朝は750gの蕎麦を打って、8人分の蕎麦を用意しただけでした。お新香を小鉢に盛り付けてまずは一服。なかなかすっきりと目が覚めないのでしたが、蕎麦を打って身体を動かしたら、やっと頭がすっきりとしてくるのでした。家に戻れば朝食の支度が出来ていた。

7時半には食べ終えて、昨日、足元が覚束ないと言っていたお袋様に、心配だったから電話をする。今日はかかりつけの医者に行って、検査の結果を聞いてくることになっていたのです。弟が付き添って医者まで連れて行ってくれるので安心でした。蕎麦屋を早く閉めてすぐに買い物に出掛けるので、いつもの時間に車で店に行って今日の仕込みを開始する。小鉢の二品目に切り干し大根の煮物を作り、野菜サラダの具材を刻んだら、店の掃除をしておく。

女将も開店の時間に来てくれて、こまごまとした仕事を片付けてくれる。暖簾を出してすぐに、カレーうどんの親父様が今日は一人でいらっして、ハラミの串焼きも注文なさる。続けて昼前に歩いて来る常連さんが、いつものようにビールとカレー蕎麦を頼まれる。続けて最近は好くいらっしゃる宅配のお兄さんが、ぶっかけ蕎麦の大盛りと野菜サラダと蕎麦豆腐を注文するのでした。1時過ぎに弟が店にやって来て、お袋様の検査の結果を伝えてくれた。

検査の結果は貧血と言うことでした。歳を取って心臓の能力も衰えているのだそうです。洗い物と片付けを済ませて女将を先に返したら、亭主は酒を運んでお袋様の家に行き、今度は彼女から血液検査の結果を見せてもらった。高かった血圧も低くなり過ぎているからと、医者は薬を変えてくれたのだそそうな。続けてショッピングモールまで買い物に行く。再びお袋様の家まで運び、家に戻って30分だけ横になって眠る。曇っていた空も青空が広がって暑くなる。

4時前にお袋様の家に着けば、弟が早く来て食卓の用意をしてくれていた。仕事を辞めてから家でまめに動いているから、家事も苦にならない様子なのでした。それから延々と3時間、昔話に花が咲いて、皆でいろいろな事を思い出す。午前中一杯混んだ医者のところにいて、昼は疲れた顔をしていたお袋様も元気になった様子なのでした。7時過ぎに三人でお袋様の家を出て、右足の具合が悪くて歩くのが遅い亭主は、後から家に着くのです。
9月6日 金曜日 一夜明けてお袋様は検査入院に…

5時に目覚めてコーヒーを沸かして飲んだら、5時半には蕎麦屋に出掛ける。今日は新しい蕎麦粉が届く日だったから、春蕎麦の粉は全部使ってしまっても好かった。750gの蕎麦粉を40%の加水で捏ね始めたけれど、少し柔らかめの仕上がりで、寝かせている時間も短めにする。伸して畳んで包丁切りをするけれど、やはり生地の柔らかい分だけ、綺麗には仕上がらない。伸しムラきり、切りムラが出来てしまうのです。明日は39%の加水に戻そうか。

昨日のお新香がまだ残っていたけれど、足りないと困るから、昨日のうちに作っておいた切り干し大根の煮物を小鉢に持って、冷蔵庫に入れておきます。7時を過ぎて家に戻れば、朝食の支度がちょうど終わったところで、すぐに食べてひと休みする。今朝はひと眠りをせずに、着替えと洗面を済ませて早めに家を出るのでした。今日は蕎麦粉が届く日なので、9時前には蕎麦屋に着いていないと、先日のように後回しになってしまうから、急いで出掛けて行く。

今日は開店の10分まえから、自転車の常連さんがいらっして、暖簾を出して店の中に入っていただく。外はむっとする暑さになっていたのです。この時期、最後の一本になった辛味大根を半分に切ってすり下ろし、せいろ蕎麦の大盛りと共にお出しする。続けてご夫婦がいらっして天せいろを二つご注文。更に男性客が一人、カウンターの奥に座ってせいろ蕎麦の大盛り。続けて中年のご夫婦がテーブル席に座って天せいろ。昼過ぎの時刻はいつもこんな具合です。

夕べ別れたお袋様の具合が気になって、お客に蕎麦を出し終えては奥の部屋に入って何度か電話をするのだけれど繋がらない。今日はどこにも出掛ける予定はなかったはずなのに。弟に電話をしても「現在出られません」のメッセージが帰って来るばかり。洗い物を済ませた頃にやっと繋がって話を聞けば、かかりつけの医者から連絡があって、やはり大きな病院へ行ってくださいと言うので、結局、隣町の病院に行ったら、検査入院が必要と言われたとか。

昨日に続けて弟が付き添って病院まで連れて行って、結局、輸血と検査入院が必要とのことでした。やはり、血圧が下がって貧血になる理由が分からないと言うことなのでしょう。家に戻って女将が帰ってきたから事情を話して、明日は二人で仕事を終えてから病院に行くことにする。面接時間は午後の2時からだというので、車で15分ぐらいの場所だからわけもない。歩くと息切れがするのだけれど、それよりも心細くなってしまったようだと弟は言う。
9月7日 土曜日 久し振りに混んだけれど、1時半で閉店…

今朝も5時半には蕎麦屋に出掛け、夕べ漬けたお新香を取り出して小鉢に盛り付けておく。昨日の残りと合わせて10鉢もあれば足りるだろうと思ったのです。それから蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つのでした。加水率を昨日までよりも5%減らして、39.5%にしたのだけれど、まだ少し生地は柔らかく仕上がった。明日は39%で打ってみようと思うのです。柔らかな生地だとどうしても、満足のいく蕎麦切りが出来ないから、悔いが残るのでした。

家に帰って朝食を食べたら、今朝もひと眠りをせずに早めに蕎麦屋に出掛ける。今日は「今週は1時半に閉店します」と言う張り紙をして、終わったらすぐにお袋様の入院している病院に、女将と出掛ける予定なのです。道路を挟んだ向かいの農園では、毎週土曜に開催する朝市の準備で忙しそうでした。若い人たちの活動は元気で「お早うございます」と亭主の姿を見て、若旦那やコーヒーを売っている若い女性が挨拶をしてくれるから、こちらも元気に応える。

早く出掛けると、準備も早く終わるから、細かな支度も出来るというもの。今日も野菜サラダの具材を刻んで盛り付けたら、まだ10時過ぎだったから、豚のハラミの肉を解凍して串に刺しておきました。ただ、それでも開店までは1時間近くあるから、ちょっと早すぎるのです。11時過ぎに車が1台駐車場に入ってきたけれど、まだ女将も早お昼から帰って来ていないし、店を開けるわけにはいかないのです。開店の10分前には暖簾を出してお客を入れるのでした。

今日は珍しく混んで、蕎麦皿や盆を洗う暇もなかったほど。カウンターも満席で、入れ替わりでなんとか10人をこなしたのです。二人ともカレーうどんのご夫婦には、野菜サラダが二つ出て、ヘルシーランチセットの奥様にも野菜サラダが出たので、野菜サラダはもう終わり。鴨もせいろも二つ出て、天せいろは沢山出ました。カウンターの上には下げた盆がそのままになっていた。売りきれの看板を出してから来たお客はお断りして、何とか1時には閉店できた。

亭主は賄い蕎麦を食べて、沢山の皿や小鉢や盆をなんと30分で洗い、いつもと違って猛烈なスピードなのでした。予定の時刻を10分ほど過ぎて、1時40分には女将と二人で蕎麦屋を出て、隣町の病院に向かう。思っていたよりも近かったから、炎天下の駐車場に車を止めて、休日だから随分と歩いて裏口に回る。受付でマスク着用を指摘され、亭主は売店でマスクを買って、お袋様のいる階に行くのでした。輸血の袋をぶら下げたまま、食堂で面会をしました。
検査入院だから思ったよりも元気で、輸血したせいか顔色も随分とよくなったのです。パジャマも歯磨きもタオルもすべて用意されていて、一昔前の入院のイメージとは随分違っているのです。弟が気を利かせてオプションでテレビも冷蔵庫もあるから、食事が物足りないだけで快適な入院生活のようでした。亭主のスマホを使って姉妹に電話でお袋様自身が連絡をする。気丈な彼女だから、何とか1週間の検査を乗り越えて帰宅して欲しいと思いました。
9月8日 日曜日 今朝は8時過ぎに家を出て…

昨日の疲れか、今朝は朝飯前に蕎麦を打ちに来られなかったのです。その分、7時には朝食を食べ始めて、8時過ぎには蕎麦屋に出掛けるのでした。看板と幟を出してチェーンポールを降ろしたら、蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦粉を捏ね始める。昨日までの反省から加水率は39%ぴったりにして、菊練りを済ませたら蕎麦玉を作ったら20分ほど寝かせておきました。生地は心持ち硬くはなったけれど、まだ伸しムラがあるような気がするのです。

10時前に厨房に戻って蓮根の皮を剥き輪切りにしたら、酢水で湯がいて笊に揚げて水を切る。その間に大根と生姜をおろして野菜サラダの具材を準備するのでした。そろそろ包丁も研がないと、人参のジュリエンヌもだいぶ太く切れている。開店の準備が整う前に、歩いて来る男性が玄関の前に立つので、扉を開けて中に入ってもらう。「○○です」と名乗るから顔を見れば、見覚えのある30年以上前の卒業生。広島からこちらに出てわざわざ訪ねてくれたらしい。

高3の時に何故か初めて理系のクラスを持たされた時の教え子なのでした。同じクラスでは地方の国立大の医学部へ何人か合格したのをよく覚えている。今は二児の父親で地道な仕事をしているとかで、バスの時間を気にしながら、天せいろをゆっくりと食べていった。今日はそれ以後、昨日ほどではないけれどお客が続いて、盆や皿を洗う暇もなかった。亭主のブログを読んでくれているという奥様が、お袋様の具合を心配してくださった。有り難い事です。

最後のお客は女将の古くからの友人で、いつものようにせいろ蕎麦と野菜サラダを頼まれて、天麩羅の盛り合わせをお持ち帰りになった。片付けが終わったのが1時50分で、昨日よりも少し遅くなったが、お袋様の入院している病院に車を走らせた。駐車場で弟と出会って、二人で病室まで行く。食堂でお袋様と三人で話をして、今日は日曜日だから輸血もお休みで、元気に寛いだ様子なのでした。ただ、先行きの不安はぬぐえずに、心配そうに話すお袋様に、後は医者に任せるしかないのだからと慰めるのです。明日は胃カメラを撮るのだと言う。亭主一人の営業の日で、病院へは少し遅れそう。
9月9日 月曜日 重陽の節句は仕事を終えてお袋様の病院へ…

一日中曇りの予報でしたが、朝から晴れて庭のモミジアオイがまた沢山咲き出していました。やはり、長い枝の上半分を切ったから根元に花が咲いたのか。今朝も6時前には目覚めていたのですが、蕎麦打ちは500gだけだったから、昨日と同じく7時に朝食を食べて8時半には家を出たのです。蕎麦打ち室に入って、今日こそは39%以下の加水で蕎麦粉を捏ねた。生地はかなり硬かったけれど、頑張って菊練りまで持ち込み、蕎麦玉を寝かせて好い塩梅になった。

これが蕎麦切りというものだと、往年の蕎麦打ちを思い出す。やはり、年々、歳を取ると捏ねる力も弱くなって、柔らかい生地で打つようになるのかも知れない。少ない量なら、今朝のように上手く打てるのではないかと考えたのです。今日のお客も昨日の10人は越えないだろうと、昨日の残りと合わせて10食分だけ用意して厨房に戻るのでした。デザートの水羊羹が売り切れていたので、まずは氷砂糖を水に溶かして温め、寒天の粉を溶かして練り餡を入れる。

荒熱を取ってから豊缶に流し込み、大根をおろしたら薬味の葱を刻み、湯を沸かしてブロッコリーとアスパラを茹で始めるのです。これでやっといつもの時間にいつもの作業に入っている。と、大釜に水を満たしたきり火を点けていなかったことに気が付いて、慌てて火を入れるのでした。開店の時刻にはギリギリ間に合う時間なのです。お茶のポットにはIHで湯を沸かし、間に合わない場合に備えるのでした。最初のお客は歩いて来る常連さんなのでした。

今日は1時前にお客がなくなったので、幟と看板をしまってチェーンポールを上げてしまう。月曜日は油を固めたり、家に持ち帰る品をとりまとめたりしなければならないので、少し早めに動き出したのです。油の温かいうちにとかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。洗濯機に洗い物と洗剤を入れてスイッチを入れたら、忘れたことがないかとチェックをして、お袋様のいる病院に向かうのでした。平日だから駐車場はかなり混んでいました。

ナースステーションで受付を済ませたら、お袋様を呼びに行ってくれました。面会場所は食堂と決まっているのです。午後の検診を終えてパジャマ姿のお袋様が、今日は輸血用のパックを外して現れた。足取りも元気そうで、午前中の胃カメラも無事に終えて、すっかりいつもの様子なのです。異常はないと言われたとか。弟もやって来て何か要るものがあるかとお袋様に尋ねるのでした。明日は大腸の検査だと言うから、それでひとまず検査は終わりです。