2024年7月末



7月28日 日曜日 この暑さでもさすがに日曜日…

 5時の窓辺からの風景。スカイプラザに朝日が当たって輝いている。夕べはブログを途中にして、9時に床に就いたのに、なんと8時間近くも目も覚まさずに眠ったのです。昼の暑さが疲れたのか、今朝の涼しさが効いたのか、とにかく頭はすっきりとして、30分でブログを書き終えたのです。いつも眠い目を擦りながら我慢してブログに向き合ったりしているから、夜の睡眠が上手く取れないことが多いのです。少し考え方を変えた方が好いかも知れない。

 蕎麦屋に出掛けて小鉢を盛り付けて、蕎麦汁を空の徳利に詰めたら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。蕎麦玉を寝かせいてる間に、蓮根の皮を剥いて酢水で茹でて、南瓜を切り分けてチーン。蕎麦は加水率40%で捏ねたのだけれど、ビニール袋に入れて寝かせる時間が少し長かったからか、ちょっと柔らかな生地に仕上がってしまった。包丁が切れなくなっているからなのか、時折、ぐにゃっと切れが悪くなるのです。それでも何とか打ち終えて15食の用意。

 7時前に家に帰れば、女将が朝食の支度をしていた。食後のお茶をもらって、エアコンの効いた書斎に入っていつものようにひと眠りする亭主。40分ほどで目が覚めて、居間の部屋に行けば、次女から電話が入って、日暮里に着いてこれからユーカリに向かうのだと女将が言う。昼に友だちと会ってユーカリ祭りに行くのだそうだけれど、暑くなる前にと随分と朝早くに家を出てきたと見える。今年43歳になったはずなのに、やはり若いから元気なのでしょう。

 コーヒーを一杯飲んで9時前に蕎麦屋に出掛ければ、幟や看板を出してチェーンポールを降ろしてしばらくして、汗をかきながら娘が玄関を開ける。女将もやって来て久し振りに話をするのでした。亭主も女将も仕事の手を休めずに、大きくなった孫たちの様子を聴いたりする。みんな元気でやっているらしいから、とにかく安心なのでした。女将は早お昼を食べに家に帰り、娘はエアコンの効いた奥の座敷で少し横になり、開店前にモノレールの駅に向かった。

 女将も亭主も少し元気をもらって、無事に店を開ければ、昼前からぽつりぽつりとお客が入った。さすがに日曜日だけあって、今日は年配のご夫婦も家族を連れていらっしゃる。若い女性達も来店したから、皆さんユーカリの祭りに行くのだろうか。洗い物を溜めないようにその都度洗っておいたので、2時半には女将を帰して、亭主は大釜を洗ったり、明日の支度を考えながら3時前には帰宅するのです。大相撲の千秋楽やオリンピックの中継を観て夜を過ごす。



7月29日 月曜日 やはりこの暑さではお客は来ないか…


 夕べは暑くて何度も目が覚めました。エアコンのタイマーが切れると部屋が暑くなるのは、外がかなり暑い証拠なのです。朝も目は覚ましたけれどなかなか起きられずに、このまままた眠ってしまいたいと思うのでしたが、週の最後の営業日だからと、腹筋10回をこなして、蕎麦屋に向かうのでした。5時過ぎの東の空には、森の向こうから太陽が昇って、雲の多い空を明るく照らしているのです。昨日の片付けも後にして、早速、蕎麦打ち室に入って蕎麦を打つ。 

 加水率は40%。十分によく捏ねて蕎麦玉にしたら、寝かせている間に厨房に戻り、盆や蕎麦皿を片付けるのです。空の蕎麦徳利に蕎麦汁を補充して、小鉢はどうかと冷蔵庫の中をのぞいたら、あと5鉢しかなかったけれど、客が来たら盛り付ければ好いということにする。朝から昨日にも増して相当な暑さだから、今日は月曜日でもあるし、あまりお客が来ないかも知れないと考えたのです。ただ、デザートの水羊羹と蕎麦豆腐だけは造っておくのでした。

 野菜サラダの具材を刻んで、今日はレタスが切れたから、ブロッコリーとアスパラを多めに盛り付けておくのでした。天麩羅油も、まだ使えそうなのでしたが、週の最後の日だからと言って、汚れた油を使うのも気が引けたので、新しいものに取り替える。天麩羅の具材も生椎茸が少ししか残っていなかったけれど、足りなくなれば冷凍庫にある他の食材を代わりに使えると考えるのでした。昨日の夜も買いに出掛けようかと悩んだけれど、暑いので動きたくない。

 昼前に、歩いていらっしゃる常連さんが「暑い暑い」と言いながら店に入って来る。「ビールとぶっかけ大」と言ってカウンターの隅に座る。厨房の中も31℃になっているから、亭主は首にアイスノンを巻いて、ビールと先付けになた漬けをお出しする。新しい天麩羅油で揚げる天麩羅はどこか誇らしいのです。しかし、今日はそれっきりお客は来なかった。この暑さでは、外に出るのが大変という気温なのでした。家に帰るにも汗だくになってしまうほどでした。    
 蒸し風呂になっていた書斎のエアコンの設定温度を20℃にして、部屋が冷えるまで居間で冷たい西瓜を食べる。居間は二階があるからか、エアコンも大型なのですぐに冷えて心地よいのです。女将が帰らぬ3時前なので、よく冷えた書斎に入って今日のデータをパソコンに入力したら、横になってぐっすりと寝込んでしまう。6時を過ぎた頃に女将に起こされて、一瞬、もう朝になったのかと錯覚する。夜は冷やし中華を作って二人で食べるのでした。


7月30日 火曜日 朝から30℃もある異常な暑さ…

 昨日の夕刻は3時間も昼寝をしてしまったので、夜は早くには眠れなかった。でも、朝になるといつもの習慣で、5時前には目が覚めてしまう。定休日だから、もう一度眠っても好かったのですが、少しでも涼しいうちにと、気になっていた蕎麦屋の駐車場の植木の剪定に出掛けました。車の入るラインに沿って植え込みの枝を落として、奥の紫陽花の終わった花を切ったら、ビニール袋が一杯になってしまうのです。汗びっしょりでエアコンの入った店内へ。

 駐車場だけでもまだ半分は残っているし、建物の南側の庭や西側部分の草も伸び放題なので、何とかしたいもの。一回にビニール袋一つ分だとまだまだ日にちがかかるのです。昔のように、一気に終わらせるというのが難しいから、年を取った分、忍耐でやるしかない。家に帰って朝食を食べたら、ひと眠りしてからお袋様と仕入に出かける。農産物直売所も夏野菜が一杯なのでした。隣町のスーパーで買い出しメモに残った野菜や家の果物や魚や肉を買って帰る。

 昼は昨日の蕎麦が残っていたけれど、タンパク質がないとトンカツを買って帰ったら、女将も喜んで半分だけ食べるのでした。腹が一杯になったら、エアコンの効いた書斎で横になってひと眠りなのです。女将のスポーツクラブの予約の時間まで眠ったら、冷えた桃を剥いてもらうのでした。女将は仕事部屋に入って書を書いているので、「行って来ます」と静かに玄関を出て蕎麦屋に向かう。カレージに止めてあった車の車外温度は40℃と驚きの暑さです。

 午前中から2時過ぎまでエアコンを点けておくのはどうかと思ったので、消して家に帰ったのが失敗。蕎麦屋の中は34℃もあるではありませんか。午後の仕込みを終えて帰るまで、最強で点けていても31℃までしか下がらなかったのです。出汁を取って蕎麦汁を仕込んで1時間、カレーを仕込んで30分。今日の仕事はこれで終わりにする。5時前に家に戻って、テレビを点ければオリンピックをやっているから、見るものに飽きることはないのです。

 6時を過ぎる頃に、亭主は台所に立って夜のおかずを作る。昨日の残った野菜サラダを、肉を入れて炒めてあんかけにしてはい出来上がりです。亭主は豚のハラミの串焼きを焼いて焼酎を飲む。小鉢は昨日出なかったなた漬けで、女将も嫌がらずに食べてくれるので助かる。カレーの残りを家に持ち帰ったから、夜にまた腹が減ったら、カレーライスを食べてもいいと考えている亭主。でも、結局、そんなには食べられないから、冷凍たこ焼きをチーンして食べた。



7月31日 水曜日 今日も猛烈な暑さで何もしなくても疲れた…

 7月も最終日。そう言えば今年は暑中見舞いも出していない。暑さに参ってそれどころではなかったのか。昨日の夜も9時過ぎには眠ったから、今朝も早くから目を覚ましたけれど、蕎麦屋の駐車場の植木の剪定にも出掛けずに、また床に入って眠ってしまった。夕べ持ち帰ったカレーは今朝のご飯に出たのです。さすがに、食後のひと眠りはせずに、駅前のショッピングモールまで出掛けて、8月の会食準備に海草が売られていないかを見に出掛けた。

 係の男性に聴けば、朝に出ていないときにはその日は入らなかったと言うことだと応えるのでした。仕方がないから、果物のコーナーに、珍しくライムが並んでいたので幾つか買って帰る。やはり都会ではないから、手に入れたいと思っても、なかなか品物がないことが多いのです。まあ、ショッピングモールの食料品売り場だけが朝の8時から開いていることが分かって、これなら毎日見に来られるとひと安心なのでした。明日も出掛けて見ようか。

 昼食にとろろ蕎麦を食べて、女将がスポーツクラブに出掛ける頃には、亭主は書斎でひと眠り。目が覚めても午前中に天麩羅の具材は切り分けてあるから、午後は一回目の蕎麦を打って糠床にお新香を漬けるだけなので、あまり早く蕎麦屋に出掛けても仕方がない。テレビの映画でココシャネルの伝記をやっていたから、ついつい最後まで観てしまう。3時過ぎには女将が帰ってきて、二人で冷たく冷えた西瓜を食べる。外はうだるような暑さなのだとか。

 蕎麦屋に出掛ければ、午前中にエアコンを消していったのが失敗で、室内は34℃と竈の中ような暑さなのでした。それでもシャツを脱いで蕎麦打ち室に入って蕎麦を打つ。今日も40%の加水でちょうど好い硬さだと思っていたら、先日と同じように寝かせる時間が長過ぎたらしく、ビニール袋から出したときには、随分と柔らかくなっていました。暑さと湿気が原因なのでしょう。それでも何とか打ち終えて、お新香を漬けたら家に帰るのでした。