2024年7月上旬



7月3日 水曜日 2日間の葬儀を終えて…

 本家の伯母の葬儀で月曜日を臨時休業にして、久し振りに遠くまで車を走らせた。何年かぶりで顔を合わせる従兄たちは皆、風貌が変わって老人らしくなっている。成長したその子ども達や孫達が立派になっているのが嬉しいのでした。化粧をした伯母の眠る棺を夜中に何度も訪れて、幼い頃の自分たちの姿をしみじみと思い出す。地方の片田舎では本家の存在は実に大きなものなのでした。元気で今年90歳になるお袋様はいつも「姉さん姉さん」と呼んでいた。

 6時前に家を出て蕎麦屋に着けば、隣のお花畑に植えられたひまわりが随分と大きくなっていたのです。花の咲く頃には壮観な眺めとなるに違いない。畑を耕して草取りをして種を蒔いた親父様の苦労も報われるというもの。最初の仕事に予備の一番出汁で蕎麦汁を作り、隣の火口では漉し餡を氷砂糖で溶いて寒天粉を入れて、水羊羹を仕込んでおく。蕎麦汁を冷やしている間に、蕎麦豆腐を仕込んで、水羊羹と一緒に型に流し込んで冷めるのを待つのでした。

 洗濯物がまだ洗濯機の中に入れたままなのに気づいて、衣紋掛けや室内用の物干しに干しておく。日曜日は混んだから、洗った物も多かったのです。家に帰れば、一日営業日の少なかった先週の残った野菜類が沢山あったので、昼は亭主がスパゲッティーを茹でてナポリタンを作る。左手首が腱鞘炎で痛くて堪らないので、中華鍋が振れないので油を多めに入れて何とか仕上げるのでした。葬儀の日は二日続けて純和食だったからちょうど好かった。

 昼食の後はひと眠りをせずに、ショッピングモールに足りない食材を買いに出掛ける。ついでに同じ階の酒屋によって焼酎を買ってくるのでした。家に荷物を置きに帰れば、スポーツクラブに出掛けたはずの女将が帰っているから、どうしたのかと思ったら、予約したはずの席が取れていなかったのだと言う。いつも二人で確認しているのに不思議なことがあるものです。汗だくになって帰った女将は、歩いただけでも運動になって好かったと言うから偉い。

 再び蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みに入る亭主。まずは蓮根の皮を剥いて酢水で茹でて、南瓜を切り分けてレンジでチーンするのです。次は午前中に作った蕎麦汁を蕎麦徳利に詰めて、天麩羅の具材を切り分ける。店の中の温度はエアコンを効かせているのに32℃もあるから、外は相当に暑いのです。最後に糠床を冷蔵庫から取り出してキュウリとナスとカブを漬ける。夕方になって家に戻れば、夕食の用意も亭主が麻婆茄子を作らなければいけなかったのです。



7月4日 木曜日 エアコン入れても店は30℃の暑さ…

 朝から暑い日なのでした。4時半に家を出て、出汁を取ってお新香を切り分け、小鉢に盛り付ける。これでほぼ1時間。5時半になったら蕎麦打ち室に入って、今朝の蕎麦を打つのです。最近は、定休日明けの木曜日が混むから、今日も蕎麦を二回打たなくてはならない。二回打つとなるとどうしても1時間半はかかるから、今朝も打ち終えて家に帰ったのは、7時を10分ほど過ぎていたのです。朝飯前の2時間半のひと仕事は、ちょっと疲れる。

 朝食後に1時間ほど眠って、再び蕎麦屋に出掛ければ、もう陽射しは真夏の暑さで、帽子を被ってきて好かったと思う。店に着いたら看板と幟を出して、チェーンポールを降ろし、厨房に入ったら、まずは今日の分のほうじ茶を沸かして、グラス四杯分を冷蔵庫に入れておく。それから、薬味の葱切り、生姜と大根をおろして、やっと野菜サラダの具材を刻み始めるのです。女将が来るのは開店の時刻からだから、ゆっくりとしたペースでは間に合わない。

 暖簾を出す15分前には、もう車が駐車場に入ってきて、「中に入れてもらっても好いですか」と運転手の老人が玄関を開けて入って来た。年配の男性三人が「早くて済みませんね」と言って、奥のテーブルに座る。女将が来ていないので、亭主がお茶を出して注文を聞くのです。天せいろ三つを頼まれたので、盆や蕎麦皿などをセットして、天麩羅を揚げていたらやっと女将が来てくれた。もう次のお客が駐車場に車を止めている。やっと暖簾を出したのです。

 予測に違わず、今日も10人を超えるお客がいらっしたのです。リピーターのお客が一人、他は皆さん初めてのお客なのでした。天せいろが10個も出たので、天麩羅の具材が足りなくなって、何度も野菜を切り分けなければならなかった。隣の市からラベンダー畑を見にいらっしたと言う母と娘が、会計の段になってカードが使えないと分かって、娘を残したまま母が近くのコンビニにお金を下ろしに行かれた。まだそこまで亭は進化していないのです。

 1時半には蕎麦が売り切れて、お蕎麦売り切れの看板を出す。洗い物はほとんど終わっていなかったけれど、まずは亭主が端切れの蕎麦を茹でて賄い蕎麦を食べてしまう。その間が女将の休憩時間なのです。二人で沢山の皿や器を洗っては拭いて、3時近くにやっと片付けが終わるのでした。家に帰って亭主はエアコンを入れた書斎に入り、今日のデータをパソコンに入れたら、ぐっすりと午後の昼寝をする。女将はその間に買い物に出掛けたらしい。夕飯には亭主が五目あんかけの焼きそばを作り、ひと休みしたら蕎麦屋に出掛けて、片付けと明日の仕込み。店の中はまだ30℃近くあった。それから隣町のスーパーに買い出しに出掛けて、8時近くに家に帰った。



7月5日 金曜日 昨日にも増して暑すぎた一日で…

 今朝は朝からとても暑かった。5時過ぎに蕎麦屋に出掛けて、夕べ漬けたお新香を取り出して切り分け、塩漬けにしておいたなた漬けの大根の水を切って、甘酒の素と砂糖を入れて刻み柚子と輪切りにした唐辛子を加え、漬け直すのでした。5時半を過ぎたところで蕎麦打ち室に入ったら、なんと30℃を超えているのでした。この暑さでは、今日はあまりお客が来るのを期待できそうになかった。8人分の蕎麦を打って、家に戻って朝食を食べる。

 再び蕎麦屋に出掛けて、釣り銭を忘れたことに気が付いて、暑い中を家に取りに帰る。向かいのさつまいも畑が、綺麗に草を取って元気に葉を伸ばしている。昔、読んだ「夏の葬列」の場面をふと思い出す。家までの通りに面した駐車場で、小母さんが暑いのに車の掃除をしていたから「朝から暑いですね」と声を掛けたら、「おじさん転けないでよ」と言われる。足を引きずっていたのだろうか。やっと店の厨房に戻って、大根をおろすのでした。

 暖簾を出してもやはりお客は来ない。エアコンを入れた店の中は30℃を超えている。昼過ぎになって、暑いバス通りを歩いていつもの常連さんが歩いて来るのが見えた。今日もぶっかけ蕎麦の大盛りとビールのご注文。この間、財布を忘れて代金を払えなかったので今日は早めに二日分の金を払ってくれた。珍しく今日は話をして、お袋様の住む同じマンションに住んでいると分かった。閉店の前に中年のご夫婦がいらっして、せいろ蕎麦の大盛りとおろし蕎麦。

 ラストオーダーの時間が過ぎたので、亭主は残っている蕎麦を茹でて、折れた天麩羅の具材を揚げ、賄い蕎麦を食べる。洗い物はすぐ終わったので、出なかった野菜サラダを包んで家に持ち帰る。暑くて汗が止まらない。エアコンを効かせた書斎に入って、夕方の6時近くまで眠ってしまう。夕食を食べて風呂に入ったら、また眠くなって9時過ぎにはもう床に入るのでした。今朝の4時過ぎにやっと目が覚めて、このブログを書いているのです。


7月6日 土曜日 陽は差さなかったけれど暑さは酷く…

 5時半に蕎麦屋に着いて、今朝の蕎麦を打ち始めました。加水率は40.5%。これでなんとかこのところの柔らかい生地から抜け出したという感じなのでした。季節の変わり目や気温の変化が激しい日が続くと、適切な加水率を見失ってしまうのです。蕎麦玉にしてビニール袋に入れたら、厨房に入って、糠漬けのお新香以外の小鉢を用意しておきます。ほうじ茶も沸かして冷蔵庫で冷やしておくのです。蕎麦玉がこなれる間にひと休みなのです。今日は20分間。

 6時半になったら、また蕎麦打ち室に入って伸しにかかる。今日は850gで打ったので9人分の蕎麦が取れました。生地の具合がちょうど好い硬さだったので、切りべら22本で9束の蕎麦を生舟に並べる。最近にしては一番好く打てたのが嬉しかった。昨日残った4束の蕎麦と合わせて、今日は13食分の蕎麦を用意できました。大盛りが三つも出たのですぐになくなってしまいます。それでも昼前は暑すぎるのかお客が一人も来なかったのです。

 7時過ぎに家に戻って朝食を食べ、少しだけ横になったけれど、なかなか眠れない。やはり、昨日の夜は随分とよく眠ったからなのでしょう。蕎麦屋に出掛けようと用意をしていたら、女将が居間にやって来て「モミジアオイが咲きましたよ」と嬉しそう。もう10何年になるのだろうか。前の職場の用務員さんに、種をもらって家で育てたものが、今では庭の片隅に毎年咲くのです。元気を貰って、今日も熱い陽射しの中を歩いて蕎麦屋に向かうのでした。

 陽射しはじきに翳ってしまったけれど、暑さはそのままで店の中の気温はエアコンを点けても、昼の段階で30℃になった。外を歩く人もいなくなって、暖簾を出してもお客は来ない。向かいのさつまいも農園も、土曜日の今日は営業をしているけれど、ほとんどお客がなさそうなのです。蕎麦屋は、昼を過ぎてやっとお客が来てくれた。皆さん同じ時間にいらっしゃるものだから、カレーうどんの親父様夫婦も自転車の常連さんも、随分と待たせてしまいました。



7月7日 日曜日 今日は陽射しがとても熱くて…

 今朝は朝がなかなか起きられなかった。夜中も暑くて目が覚めるほどで、疲れが取れていないのだろうか。6時には蕎麦屋に出掛けて、とにかく蕎麦を打たなくてはならないのです。750gを打って、昨日の残りと合わせて13食の用意。加水率は40.5%だったけれど、まだ少し柔らかい気がする。店のエアコンを入れても、蕎麦打ち室が31℃もあるから、室温のせいかもしれない。平屋なので屋根が暑くなると、どうしても暑さが籠もってしまうのです。

 家に戻って朝食を食べたら、エフコンを聞かせてあるから、涼しい書斎に入って30分ほど眠った。今日の気温は36℃まで上がると言うから、厨房の中はまるで灼熱地獄なのです。20℃の設定で朝からエアコンを点けたままだから、9時の時点では26℃だつたけれど、時間が経つにつれてどんどん上がってくる。空になった蕎麦徳利に予備の一番出汁を使って蕎麦汁を仕込み、大盛り用の徳利を含めて20本ほど用意しておきました。問題は明日まで持つかどうか。

 女将が早お昼を食べに帰っている間に、亭主は野菜サラダを作っておきます。出ても出なくても、毎日三皿と決めているから、残った日には家に持ち帰って料理に使う。今日は一皿だけでも出たので助かった。開店の時刻の15分前にはもう駐車場に車が入って、暑いところを待つのも可哀想だと中に入ってもらう。女将がお茶を運ぶともう天せいろ二つのご注文なのでした。出し終わった頃に歩いて来る常連さんがいらっして、やっと暖簾を出すのです。

 暑すぎるから外出を控えましょうと、今朝の天気予報では言っていたから、さすが歩いている人はいなかった。ただ、車のお客はぽつりぽつりといらっして、さすがに日曜日。1時過ぎには天麩羅の具材が切れたので、お蕎麦売り切れの看板を出すのでした。店の冷房は全開なのに、厨房の温度は32℃。亭主の立っている火の傍は更に暑くて、アイスノンを首に巻いて血液を冷やす。洗い物はその都度片付ける暇があったので、今日は3時前には家に戻れました。



7月8日 月曜日 佐倉は恐らく今季初の37℃台に…

 今朝は5時半に目が覚めて、6時前に蕎麦屋に着いた。夕べ漬けておいたお新香を糠床から取り出して、切り分けたら小鉢に盛り付ける。10鉢分盛ったけれど、今日の蕎麦は9食にする予定。昨日よりも更に暑くなると言うから、それほどお客は見込めないのです。蕎麦粉と2割の小麦粉600gを計量して、40.5%の加水で捏ね始めたけれど、腱鞘炎の左手首が痛くて本当に添えるだけになった。何をするにつけても、どうしても使ってしまうものだから、治らない。

 蕎麦打ち室の室温は31℃で、昨日の暑さの名残りが消えていないのです。エアコンを入れ始めた店内は28℃で、やはり生ぬるい空気が残っているのでした。思い切って窓を開けたらと思うけれど、風のない外も同じ暑さだから空気は入れ替わらない。加水の量がちょうど好かったのか、生地は包丁の刃にくっつかずに綺麗に切れるのでした。6束の蕎麦だからすぐに終わるかと思ったら、片付けなどもあって、今朝は家に着いたのが7時20分になってしまった。

 朝食を食べてひと眠りしたら、洗面と着替えを済ませて9時過ぎに家を出る。庭の背の高いモミジアオイが、今朝も幾つか花を咲かせていました。10時になったら野菜サラダの具材切りに入るので、それまでに沢山のことをしなければいけない。天つゆを作って冷やし終えたら、大釜に水を入れて蓮根の皮を剥き、酢水で茹でたら水で洗う。その間にほうじ茶を沸かしておく。一度に多くの作業をするから、水を止めるのを忘れずに。そして、やっと大根おろし。

 開店の時刻には、カウンターに置いた温度計が30℃になっていたのです。厨房は更に暑いから、亭主は今日は初めから首にアイスノンを巻いている。それでもお客が来るから不思議なのです。常連さんは今日も歩いていらっした。一度に三組のお客が入って、お茶やビールを出したら、天せいろととろろ蕎麦、ぶっかけ蕎麦の大盛りとまた天せいろととろろ蕎麦と、順番に調理をしていくのです。さすがに今日は暑いからか、この5人だけでお客は終わり。

 洗い物はすぐに終わったけれど、手首が痛くて堪らないから、家に持ち帰る荷物は最小限にして、後は明日の朝来るまで取りに来れば好い。野菜サラダは夕食に使うだろうから、大根おろしと刻み葱と一緒に持ち帰る。家に着いたら、パソコンが立ち上がるのを待って今日のデータを入力する。そのままエアコンの効いた書斎で横になって、夕方まで寝込んでしまうのでした。目覚めればもうプールには行けない時間。夕食は残った野菜サラダで冷やし中華でした。


7月9日 火曜日 涼しいうちに庭木の剪定を…

 夕べも早く休んだから、いつもの習慣で5時前には目が覚めてしまいました。今朝はこの間切ったばかりの庭の木槿や南天がまた伸びてきたので、剪定ばさみを片手に枝を落としていくつもりでしたが、5時ではちょっと早すぎる。鋏のチョキチョキという音が近所迷惑になるのではと心配するのでした。コーヒーを飲んでゆっくりとしたら、やっと6時を過ぎて庭に出て、まずは木槿の伸びた枝を切り落としていきます。ついでにその奥にある南天が更に伸びているから、こちらも前回切ったところまで切り戻しておくのです。更に女将が洗濯を干す時に、通り道になる庭への入り口が棘のあるウチワサボテンの葉でふさがれていたのを切り開いておくのでした。

 お袋様を迎えに行って農産物直売所に行けば、沢山の種類の夏野菜が所狭しと並べられていました。持って行ったバックに入り切らないほどだったから、キャベツを買うのは、隣町のスーパーまで我慢しなければならなかった。あらたかの食材は揃ったけれど、新レンコンが出ていなかったので、明日にでも何処かで捜してこなければならない。やっと少し安くなってきたかと思っていたのに、残念なのでした。家には西瓜や桃と魚や肉の他に、昼に食べるトンカツを揚げたものを買って帰るのです。出がけに昼はトンカツと素麺にしようと女将と話していたのです。亭主がカツ煮を作って素麺を茹でたけれど、ちょっと多かったのかおなかが一杯になった。

 食後のひと眠りをしたら、午後は女将のスポーツクラブの予約を終えて、テレビの映画を見終える時間まで家にいた。外は相当に暑くて出掛けられる状態ではなかったのです。4時前になってやっと蕎麦屋に行ったら、店の中は32℃もあるのでした。エアコンと扇風機を点けて、まずはカウンターに干してあった蕎麦皿や盆を片付ける。そして、なにはともあれ返しがなくなったので、返しを仕込んで冷ましたら、大きな甕に入れて膝下の戸棚に収納するのでした。冷める間に大根を切り分けて、なた漬けの下ごしらえに塩で漬けておく。そして最後に明日の朝一番で出汁を取る準備をしようと思っていたけれど、これを忘れて家に帰って来てしまうのでした。