2024年5月初め



5月1日 水曜日 終日の雨で気分も塞いだ…

 今朝も5時には目が覚めて、居間の部屋でコーヒーを飲んだのですが、椅子に座ったままどうも動き出せない。そのまま長いインド映画を見続けて、朝食の時間になるのでした。筍ご飯と茄子とピーマンの味噌炒めで美味しくいただいたら、夕べも随分と長く眠ったのに、また書斎で横になる。外は雨だったから、蕎麦屋にもあまり行きたくなかった。夜まで雨だと言うので、防犯パトロールも中止に違いないのです。あまり急がずに今日の仕事がこなせれば好い。

 結局、10時過ぎまで眠って、いろいろな夢を見た。最近は、バスや電車を乗り継いで、途中で食事をして家に帰るといった夢が多いのです。漫然と見ているテレビのバス旅やグルメ番組の影響かも知れない。起き出して台所に行けば、女将がもう昼の食材を用意しているのでした。店で残った野菜サラダを消化するために、昼は焼きそばを作るのが亭主の仕事らしい。ものの5分で仕上がるから、まずは居間で一服するのです。五目あんかけの堅焼き蕎麦で昼食。

 雨が激しく降っていたので、女将がスポーツクラブに行くのも大変だろうと、今日は送って行くという亭主の言葉に素直に従って、スマホを持って助手席に座った。亭主はその足で蕎麦屋に出掛けて午後の仕込みに入るのです。午前中に行かなかった分、仕事は多かったけれど、女将を迎えに行くまでの2時間もあれば十分。蕎麦豆腐やキノコ汁の仕込みを終えて、切り干し大根の煮込みを作り、別の火口で白餡を煮込んで、春キャベツの浅漬けを漬けておきます。

 最後に明日の天麩羅の具材を切り分けて、本日の仕込みは完了なのでした。女将から電話が入るまで白餡を煮込んで、固まりそうもないから冷蔵庫に入れておきました。雨はますます降りしきって、3時前に女将から電話が入って、雨に濡れない待ち合わせ場所まで迎えに行く。「雨は止みそうにないから、夜はプールに行くのね」と言われて、ハッと思い出した自分の予定。30分ほど書斎で横になったら、鮪の手巻き寿司を食べて、夜のプールに出掛けるのでした。



5月2日 木曜日 寒い朝だからか、暖かくなってからお客が…

 5時に目覚めて5時半には蕎麦屋に出掛ける。部屋の温度が10℃もない寒い朝なのでした。昨日のぬくもりが残っていた蕎麦屋の中は17℃。蕎麦打ち室は16℃だったので、暖房も入れずに蕎麦粉を計量した。昼は晴れるとは言っても、朝がこの気温ではお客は来ないだろうと、750g8人分だけ打つことに決めました。加水率43、5%で蕎麦粉を捏ね始めて菊練りを終え、蕎麦玉を寝かせている間に厨房に戻って、昨日浸けておいたお新香を取り出して盛り付ける。

 ついでに切り干し大根の煮物を盛り付け、蕎麦の数だけ盛ったら今朝の仕込みは終わりです。7時前に家に帰って朝食を食べる。食後のひと眠りは約1時間。洗面と着替えを済ませて、また蕎麦屋に出掛けて行く。早朝は曇っていたのに、みずき通りを渡る頃には青空が広がっていました。幼稚園に通う母子や家の前の通りを掃除する奥様に挨拶をしながら、蕎麦屋に着いたら看板と幟を出して、チェーンポールを降ろすのです。これがいつもの朝の日課。

 木曜日は女将が開店の時刻からの出勤なので、店の掃き掃除をしたり、結構、仕事があるものです。9時からの1時間は貴重な時間で、返しがなくなっているのに気が付いたから、材料の醤油や味醂などを出して大鍋で作り始める。それからやっと苺大福を包み、野菜サラダの具材を刻むのです。返しを作った分、時間を取られて、テーブルを拭いて開店の準備を整えるまで休む暇がなかった。暖簾を出す前に懐かしい常連さんが駅前から自転車でいらっしゃる。

 車を止めて生活に便利な駅の近くに移ったのは好いけれど、毎週食べに来てくれていたのに、もう、来られないのかと思っていたから、とても嬉しいのでした。いつものせいろ蕎麦の大盛りと辛味大根を頼まれて、今日は帰りがけに苺大福を二つも持って帰られた。女将がやって来て、やはり常連さんが来てくれたのを嬉しく思ったのか、苺大福を袋に入れて渡しているのでした。風は冷たい北風で陽射しはあるものの、これではお客は来ないと1時間は待った。

 1時前になってもお客が来ないので、亭主はおろし蕎麦で賄い飯を食べておく。やっと気温も上がってきたからか、今日はそれからが混んだのです。とは言っても蕎麦の大盛りばかりの注文が多かったから、8食の蕎麦はすぐになくなる。電話で営業しているかと尋ねた女性達は、売り切れの看板を出してからいらっしたらしい。もう1時半だったから仕方がない。女将のスポーツクラブの予約の時間だと知らされて、奥の座敷で予約を取る亭主。明日は朝がもっと寒いと言うから、果たしてどうなることか。


5月3日 金曜日 連休後半の初日は、やはり寒い朝…

 今朝は4時半に起きて、5時前にはもう蕎麦屋に着いていた。明るくなるのが早いこともあったけれど、蕎麦が残っていないので、今朝はどうしても二回打たなければならなかったのです。向かいの森の木の間から朝日が昇って、日の出の時刻がこんなに早くなったのかと驚く亭主。陽の昇る位置も随分と北に移っているではありませんか。日々の喧噪に追われて、季節の移り変わっているのを忘れている自分にふと気が付いた。単に加齢のせいばかりではない。

 二つの蕎麦玉をこしらえて、ビニール袋に入れて寝かせようとしていたら、トントンと蕎麦打ち室の窓を叩く音がする。見れば近所に住む弟の顔が笑っている。玄関に出て随分と久し振りに話をしたけれど、犬の散歩にしても早い時間なのでした。6歳になると言う小さな犬が、亭主の足元でじゃれついている。元気で暮らしているというから、まずは好かった。今日は同じ加水率で打った筈なのに少し柔らかく仕上がって、蕎麦切りも気をつけて丁寧に仕上げる。

 家に戻って朝食を食べたら、今朝も40分ほど眠って、早めに家を出るのでした。看板と幟を出したら厨房に入り、まずは豚のハラミを切り分けて串に刺しておきます。二日ほど真空のフリーザーの中で解凍したら、ちょうど好い柔らかさになっていた。まな板と包丁を洗って、今度は苺大福を作る準備です。昨日の大福は全部売れてしまったので、今朝もまた三皿包んでおく。今週仕入れた苺は、質が良かったので、傷んでいるところもなくなかなか美味しい。

 野菜サラダの具材を刻んでいつもの通り三皿に盛り付ける。開店の準備をして10分前には暖簾を出してお客を待つのでした。最初のお客は常連の宅配便の若者で、今日も鴨せいろの大盛りをご注文。野菜サラダと蕎麦豆腐も頼まれて、美味しかったと言って帰っていく。昨日と同じく1時近くまでお客がなくて、それから閉店の時間までにどっとお客が入ったのです。休日だから出足が遅いのか、最後のお客が帰ったのはちょうど2時なのでした。



5月4日 土曜日 まだ三日目なのにかなり疲れてきました…

 寒い朝でした。5時前に蕎麦屋に着いたら、もう向かいの森から朝日が昇っていた。燕たちが飛び交い、生まれたばかりの雛たちに餌を運んでいる。蕎麦打ち室に入って、今朝は43%ジャストの加水率で蕎麦粉を捏ね始める。水回しをしてサラサラとパン粉のように粉が広がるのは、上手く打てている証拠。いつも水を分けて入れないから、どうしても固まってしまうのですが、今日は違っていた。昨日の残った蕎麦と合わせて15食半の蕎麦を用意しました。

 厨房に戻って夕べ漬けたお新香を切り分け、盛り付けておく。冷蔵庫には昨日の残りが少し入っているから、蕎麦の数だけ盛ったらそれでよしとする。7時前に家に戻って女将の用意してくれた朝食を食べ、書斎に入って1時間ほど眠っておくのですが、今朝はなかなか起きられなかった。洗面と着替えを済ませて家を出たのが9時20分で、連休後半の二日目はちょっと疲れているという感じです。それでも蕎麦屋に着くと、いつもと同じ仕事を繰り返す。

 苺大福を包んで、野菜サラダを盛り付けた頃には、もう店の中は25℃を越えているから、窓は全開なのです。外気温は朝の10℃に対して、昼は26℃を越えるから、この寒暖の差だけでもかなり疲れる感じがするのです。朝に着ていった薄手のポロシャツを脱いで、ノースリーブのアンダーウェアーの上に店のシャツを着て、暖簾を出せば、開店直後に若いご夫婦がいらっしゃる。蕎麦好きらしいご主人が、暖かいかけ蕎麦と冷たいせいろ蕎麦の大盛りを頼まれる。

 奥様は天せいろで、天麩羅を揚げていたら、常連さんがいらっしてカウンターの隅に座り、いつものようにビールと今日は温かいとろろ蕎麦の大盛りを注文された。それからが次々とお客が入って、息をつく間もないほどなのでした。生舟の蕎麦が残り少なくなった頃に、何度も電話が鳴るので亭主が出れば、今日は営業しているかと言う。今日は新しいお客が多かったのです。7人でいらっしたお客も、席が空いていないし、蕎麦の数も足りないからお断りした。

 「小さなお蕎麦屋さんって書いてあるのに」と亭主が呟くと、テーブル席のお客が笑っていた。最後のお客は3人連れで、天せいろを三つご注文。大盛りも出たから、13食出たところで1時過ぎだったけれど、売りきれの看板を出す。ちょうど天つゆや天麩羅の具材も切れたのでした。洗い物は何もしていなかったから、後片づけが大変なのでした。家に帰ってひと眠りし。夕食を食べ、亭主はまた蕎麦屋に行って、蕎麦汁の仕込みやお新香を漬けて来るのでした。朝2時間、昼に6時間、夜に2時間とかなり疲れた一日なのです。