3月20日 水曜日 今日も風は強かったが晴れて暖かく…
先週もピーマンが足りなくなったので、今朝は農産物直売所へピーマンだけを買いに行った。お彼岸だからか水曜日だからか、魚屋さんが来ていてケーキのマーケットまで開いて、駐車場は車で一杯なのでした。そのまま蕎麦屋に出掛けて、今日の仕込みの仕上げをするのです。空の蕎麦徳利に蕎麦汁を補充したら、天麩羅の具材を切り分けて容器に入れていく。白菜は昆布と唐辛子と柚子を入れて小さな漬け物器に漬け直し、午後まで漬け込んでおきます。
11時過ぎに家に戻って、亭主が焼きうどんを作る。久し振りだったからとても美味しく食べられた。今日は休日だから女将のスポーツクラブはお休みで、亭主もあまりすることがないので書斎で横になるのだけれど、夕べはぐっすりと8時間睡眠だったから、眠ることが出来なかったのです。仕方がないから、洗い終わったタッパ類と昨日買い忘れた冷凍うどんを持って、蕎麦屋に出掛けるのです。昼過ぎまでは晴れて暖かくなって来たので助かった。
遅い午後になったら、黒い雲が空を覆って雨が降るのではないかと思ったけれど、何とか降らずに持ちこたえたのです。厨房に入って昨日使って洗い終えた鍋類を片付け、明日の分のほうじ茶を沸かして冷ましておく。冷蔵庫に入れたままの糠床を取り出して、表面に付いた白カビを取ったら、新しい焼き糠と塩を足して好くかき混ぜておく。白菜がもう終わりの時期だから、次はぬか漬けの準備なのです。漬け直した白菜の漬け物は五鉢分だけ切って盛り付ける。
5㍑の鍋に湯を沸かし、小松菜を茹でて小さなタッパに小分けして急速冷凍室に入れておく。最後にやはりレンジ周りの掃除かと思って、重曹を振りかけて湯をかけておく。煙草を一服し終えたら、タワシでこすって雑巾で綺麗に拭いておきます。4時過ぎに家に戻って、夜の防犯パトロールがあるといけないので早めに夕食を食べる。5時過ぎには西の空が陽が差して明るいのに、雨が降りだしたから、若手の活躍する大相撲を最後まで観られたのです。
3月21日 木曜日 彼岸を過ぎても朝は寒い今日この頃…
4時半起床。定休日明けは緊張しているのか、夕べは11時半に床に就いたのに早く目が覚めた。早く蕎麦屋に行って、今朝の蕎麦を打ってしまった方が好いと思い、お湯を沸かしてコーヒーを入れたら、頭がすっきりするまでひと休みです。5時半になったら家を出て車で蕎麦屋に向かう。夜明け前の森はまだシルエット。店と厨房の照明を点けて、蕎麦打ち室に入るのでした。外は思ったよりも寒かったので、暖房を入れて9人分の蕎麦を打つ準備をする。
加水率47%では柔らかすぎるとは思ったけれど、まだ室温は8度だったから、蕎麦粉を捏ねればちょうど好い柔らかさで、伸して畳んで包丁切りをする。一束135gにしたら、9人分と80gの蕎麦が取れた。80gは大盛りの注文が入ったら使えるので、最後の一切りまで気を抜かずに同じ太さで包丁を降ろすのでした。6時過ぎに蕎麦を打ち終えて、今日のほうじ茶を沸かして、ラップをかけて冷蔵庫に入れておきます。煙草を買いにコンビニまで行って家に戻る。
朝食を終えて二階の窓から富士山の写真を撮る。このところ地平線が霞んで富士が見えなかったけれど、今日は冷たい風が吹いていたので、思った通りよく見えたのです。東京などでもあちらこちらに「富士見通り」などと言うのがあるけれど、高層のビルなどなかった昔は、ちょっと小高い所から富士山が見えたのに違いない。書斎に入ってひと眠りしたら、かなり大きな地震で目が覚める。最近は地震が多いので、古い我が家も心配ではあるのです。
9時半になったら家を出て歩いて蕎麦屋に向かう。帽子と手袋をしてもまだ寒いくらいの北風が吹いていました。お隣の小母さんがゴミ袋を持って集積場に出掛けるのに出くわして、「今朝は寒いですね」「ホントにねぇー。行ってらっしゃい」と挨拶を交わすのでした。早朝に蕎麦打ちを済ませていると、時間的にも精神的にも余裕があるので、野菜サラダの具材を刻み、金柑大福を包みなから大根をおろして、ハラミの串刺しまで作っておけるのです。
今日になっても風はおさまらずに、空は晴れて菜の花畑にも黄色い花が咲き乱れているけれど、エアコンを消しておくといつの間にか室内は20℃を下回っているのでした。外の空気が冷たいということなのです。開店の時刻を過ぎて女将がやって来て、蕎麦屋は暖かいから、10℃台の家で暖房を点けているよりも経済なのだと言う。今日は宅配の車に乗ったいつもの若い青年が来て、鴨せいろの大盛りと野菜サラダを頼み、とても美味しいと言って帰ったのです。
2時半前には家に戻って、女将と二人で果物を半分ずつ食べて、彼女が買い物に行くというので、亭主は書斎に入ってひと眠りするのでした。外は北風が吹いて寒いけれど、午後の陽射しを浴びながら、気持ちよく夕方まで2時間以上も眠ってしまった。今日は業者が食材を運んで来る日なので、慌てて蕎麦屋に出掛ける亭主。家に戻った頃には、ちょうどテレビで大相撲が最後の頃。常夜鍋を突きながら箸を止めてテレビの画面を見入る二人なのでした。
3月22日 金曜日 陽射しよりもまだ北風が冷たい朝でした…
午後の昼寝が長かったからか、夕べはなかなか眠れなかったのです。昨日の蕎麦がそっくり残っていたので、今朝は蕎麦打ちもないから、ゆっくりと蕎麦屋に出掛ける亭主。着いていろいろ準備を始めたら、釣り銭を家に忘れたのに気が付いて取りに帰るのでした。玄関を開ければ、「どうしたの?」と女将が仕事部屋から出て来て尋ねる。自分でもどうしたのだろうと今朝の呆けを不思議に思うのでした。足の調子が悪いから5分もかかって蕎麦屋に戻るのでした。
青く澄んだ空が気持ちが好いのですが、風は北風で冷たく、朝から強く吹いていました。蕎麦打ちもないし、金柑大福は昨日作ったものが全然出ていなかったから、時間には余裕があると思っていたら、家に戻って時間を無駄にしてしまった。野菜サラダの具材を刻んで、いつもの時間に間に合うように開店の準備を整えたのです。テーブルを拭き終わってひと休みしようと思ったら、先週もいらっした裏の奥様がやって来て「この間のお蕎麦が美味しかったので」
と、また蕎麦と天麩羅を持ち帰りたいと言うのでした。暖簾を出す前に蕎麦を包み、天麩羅を揚げてお渡しするのでした。待っている間にいろいろ話をなさるのだけれど、亭主には半分しか聞き取れない。やっと暖簾を出したけれど、この冷たい風の影響か、今日はお客が現れないのでした。そろそろ片付けに入ろうかという1時半過ぎに、年配の男性が車を乗り付けて、せいろ蕎麦の大盛りのご注文なのでした。「蕎麦が美味しかった」と言って帰られる。
片付けを終えて女将の帰る前に2時半には家に戻る。「灯油がなくなりました」と、書き置きが居間のテーブルにあったので、休んでしまう前にと車を出して、ガソリンスタンドに出掛けて灯油を買って帰る。先週は寒かったから、随分と灯油を使ったらしい。それから陽の当たる書斎に入って昼寝をする。今朝は朝寝をしなかったからか、目覚めればもう5時すぎで、大相撲も佳境に入っていた。昨日の野菜サラダが残っているというので、亭主があんかけを作る。夫婦が贔屓の大関が勝ち越して、明日の取り組みが楽しみなところ。ひと休みして、寒い中を夜のプールに出掛けるのでした。
3月22日 土曜日 外は4℃で雨だと言うのに…
寒い朝でした。7時間も眠って5時過ぎに蕎麦屋に出掛ければ、向かいの畑にはうっすらと霜が降りているではありませんか。室内は8℃とまだ蕎麦を打てる温度ではなかったけれど、早く来たのだから少しでも後が楽な方が好いと、蕎麦粉を計量して水を用意するのです。暖房を入れたらすぐに暖かくなるのが、やはり春の気候なのでしょうか。蕎麦後を捏ねている間に、蕎麦打ち室は10℃を越えるのでした。47%の加水だから生地は好く伸びて切りべら20本。
最近は以前のように26本という日はないのです。その分、蕎麦が少し太くなっているのかも知れない。もっとも生地の奥行きを90cmまで目一杯取っているから、重さで計ると20本分になるのです。これを46%で打てば、もう少し硬く仕上がるから、細くはなるけれど今度は四隅をきちんと取るのが難しくなるのです。今は季節の替わり目だから、当分、このぐらいの仕上がりで満足しなければいけない。7時前にコンビニで煙草を買って家に戻るのです。
食後にまた書斎に入って、ぐっすりと1時間は眠る。女将がよく眠れると呆れているくらい。9時前に家を出ても、蕎麦を打ってあるからゆっくりと支度ができるのです。金柑大福を包んでいたら、女将が「外は寒いわね」と言ってやってきた。予報の温度は4℃だから、朝も霜が降りるはずです。しとしとと雨は降り続き、隣の菜の花畑ではヒヨドリが一羽、辺りをきょろきょろと見回しながら、地面を突く。この鳥が玄関前のヒイラギナンテンの実を食べに来る。
家の庭の取り残した金柑も、すっかりなくなるまでこの鳥が食べに来ている。この雨と寒さとではお客も来ないだろうと思っていたら、電話が鳴って「予約をお願いしたい」と言うから、「テーブル二つの小さな店なので、予約はやっていません」と応えたら「混んでいませんか」と言うから「今日はこの雨と寒さでは混まないと思いますが、心配でしたら11時半の開店の時刻にいらっしゃれば好いですよ」と応えておくのでした。暖簾を出す頃にまた電話が鳴った。
先ほどのお客が、すぐ近くまで来ているのに、道が分からないと言うので、丁寧に説明して上げた。開店時刻に二台の車が入ってきて、一組は電話の方でテーブル席に座ってメニューを見ている。もう一組は常連さんご夫婦で、カウンターに座ってお二人ともカレーうどんをご注文なのでした。カレーを温めている間に、前のお二人は暖かい天麩羅蕎麦とヘルシーランチセットを頼まれる。これでもう今日は野菜サラダが出尽くしたと、女将が嬉しそうに言う。
その後もパラパラとお客が続いて、こんな寒さなのによくぞまあいらっしてくださったと、最後の1時半までに10人のお客が入ったのには亭主も女将も驚いたのです。寒いからか、暖かい蕎麦の注文が多かったけれど、丼や椀は洗うのも楽だったから助かった。2時半前には二人とも片付けを終えて、家に戻ることが出来ました。女将は買い物に出掛け、亭主はまた昼寝に書斎に入ったのです。相撲の後半には目覚めて、あんかけ焼きそばを作って二人で食べる。
3月24日 日曜日 朝の寒さは相変わらずで…
週の疲れが溜まってくる時期ですが、今朝も5時起きで蕎麦屋に出掛けていく亭主。日の出前の東の空がぼうっと赤く輝いていた。向かいの畑は一面の白い霜で、昨日降った雨で土が湿気を持っているかららしい。蕎麦屋の中は昨日と同じく8℃と、エアコンの暖房を入れないといけなかった。大釜に水を汲んだり、お茶を沸かしたりしているうちに、蕎麦打ち室もやっと10℃を越えたのでした。二日続けては混まないという経験知で、今日は9人分の蕎麦を打つ。
昨日の残りの蕎麦と合わせて12人分。雨で寒かった昨日と比べれば、今日は曇ってはいても気温が上がると言う。寒かった昨日がお客も多かったので、暖かくなると言う今日はどうなのかまるで分からないのです。1時間で6人のお客が来ても、2時間は耐えられるから、こんなものだろうと妥協点を見いだしたのです。厨房に戻って白菜の漬け物を小鉢に盛り付ける。白菜ももう最後の時期なのです。霜は降りているけれど、農家の畑には白菜は見当たらない。
家に帰って朝食を食べ終えたら、例によって書斎に入ってまた眠るのです。朝飯前のひと仕事で蕎麦を打ってしまえば、遅く出掛けても好いから、ゆっくりと眠れるような気がする。再び蕎麦屋に出掛ければ、日曜日だからか誰にも会わない。金柑大福を包む準備をして、白玉粉が蜜に溶けるまでの時間、換気扇を回して一服する。時間に追われないから、気持ちは穏やかなのです。店が混んでも混まなくても、それが一番健康に好いのかも知れない。
厚手の上着を着て女将がやって来て「やっぱり外はまだ寒いわね」と言う。20℃近くある蕎麦屋の中は別天地らしい。店の掃除を終わらせ、洗濯物を畳んで割り箸とおしぼりを用意したら、早お昼を食べに帰って行く。亭主は野菜サラダの具材を刻み始める。11時前にはすべての準備か終わって、カウンターの隅の椅子に座って表を眺めている。女将が現れて金柑大福と野菜サラダにラップをかけてくれた。それから1時間待っても今日はお客は来なかった。今日は後半の1時間で6人のお客がいらっしたのです。
3月25日 月曜日 暖かな雨の中をお客がいらっした…
今朝も5時前に目覚めて居間の部屋へ行ったのだけれど、一週間の疲れが出たのか、椅子に座ったまま6時まで居眠りをしてしまった。急いで車を出して蕎麦屋に出掛けたのですが、今日は暖かな雨の朝なのでした。蕎麦屋の室内は15℃もあって、湿度は60%を越えている。昨日の蕎麦が4束残っていたので、500gだけ打ち足して、9人分の蕎麦で今日は終わろうと考えた。雨の月曜日だから、それほどお客が来るとは思えなかったが、準備はしておかなければ。
最近は850g9人分を打つことが多かったから、500gの蕎麦は何のことはない。あっという間に打ち終えて、生舟に並べて冷蔵庫に入れる。それから冷蔵庫にある小鉢の数を確認したら、5鉢はあったから、足らなければ盛り付ければ好いと、7時前に蕎麦屋を出て、家に戻るのでした。女将が台所でほっけを焼いていたから、好い匂いが食堂まで漂ってくる。ナス焼きと金平牛蒡と大根の甘い豚汁が付いて、美味しく朝食が食べられたのです。
居間でお茶をもらってひと休みしたら、亭主は例によって書斎に入りひと眠りです。最近は1時間は眠るから体調が良い。9時過ぎに傘を差して蕎麦屋に出掛け、看板を出して幟を立てチェーンポールを降ろすのです。厨房に入って、まずはまったく残っていない蕎麦豆腐を仕込み、金柑大福を包みます。それからまだ時間が早かったけれど、野菜サラダの具材を刻みながら、天麩羅の具材も切り分けておきます。11時過ぎにはテーブルを拭いて開店の準備が整う。
暖簾と営業中の看板を出せば、外は相変わらず細かな雨が降っていました。駐車場の刈り込んだ金木犀も、赤い新芽がどんどん伸びて、幟の向こうの菜の花畑はもう満開の時期。今年の春の訪れは、気温が低い日が多かったのでちょっと戸惑う。でも、自然は正直だから、玄関前の馬酔木の花も随分と膨らんできているのです。昼前にバス通りを傘を差して歩いて来る常連さんの姿が見えた。今日はぶっかけ蕎麦の大盛りを温かい汁でご注文。ビールは忘れない。
出し終える頃に車が入って会社員風の男性が一人。カウンターに座って天せいろの大盛りにキスの天麩羅を追加でご注文でした。このお二人で今日は終わりかと思っていたら、雨の中をまだお客は続くのでした。天せいろ二つに、せいろ蕎麦の大盛り二つ。最後は小鉢がなくなったので、新しく盛り付けるのも面倒だったから、野菜サラダを代わりにお出しした。皆さん、美味しかったと言って帰られたから好かったのです。賄い蕎麦を茹でて亭主も昼ご飯です。
3月26日 火曜日 菜種梅雨、今日も朝から雨の一日…
この一週間の疲れは、昨日の夜のプールで泳いで吹き飛ばしたはずなのに、今朝もなかなか起きられなかった。6時を過ぎてやっと起き出して、雨の中を車に乗って蕎麦屋まで行く。玄関前の馬酔木の花がだいぶ膨らんで少しは見られる程になっていました。厨房に入れば温度計は13℃と昨日より少し低かったので暖房を入れる。カウンターの上の洗い物を片付け、陶器のグラス三杯分のほうじ茶を沸かし、生ゴミの袋を取り出して、外の大きなゴミ袋に詰める。
新しい30㍑のビニール袋をゴミ箱にセットしたら、割り箸を捨てるために、削り節の空いた袋を内側にガムテープでくっつけるのです。これをやっておかないと後で割り箸が本体のゴミ袋を突き刺して破ける。長年の生活の知恵なのです。お茶を飲みながら、タブレットで昨日のブログを読み返し、今日の段取りを考えるのでした。お袋様と仕入に出かけたら、蕎麦屋に戻って荷物を収納して、家の買い物を届けたら、そのまま床屋に行く予定なのでした。
7時過ぎに家に戻れば、女将はまだ台所で魚を焼いていました。テレビのニュースは、ドジャースの大谷選手が巨額の横領にあった話と、大手製薬会社の紅麹で身体の被害があったと言う話。毎日、よくぞまあ次々と事件が明るみになるものです。政治家達の金の問題も少しは進展があったのだろうか。今日は書斎に入ってひと眠りするのにも、スマホのタイマーにアラームをかけて、30分だけ眠るのでした。9時少し前にお袋様を迎えに行って仕入れに出掛ける。
雨は途中で酷く降ってきたので、お袋様が濡れないように農産物直売所の軒の下で降ろして、車を駐車場に入れる。雨だからあまり沢山は野菜が出ていなかったけれど、生椎茸や人参、玉葱、トマトなど取りあえずは新鮮なものを買って、隣町のスーパーに行くのでした。こちらも雨だからお客は少なかった。印刷して置いたリストに従って、次々と品物をカートの中に入れていく亭主。品数が多いから、買い忘れた物を午後から買いに行かなければならなかった。
一月振りの床屋で、綺麗に髪を刈ってもらったら、気も持ちもすっきり。家に帰って五目焼きそばを作るのです。野菜は昨日残った野菜サラダだけだったので、今日は具材が多すぎたか。女将と二人で珍しくお腹が一杯と言うほど食べたのです。食後の昼寝をせずに女将のスポーツクラブの予約を終えたら、遅い午後にまた蕎麦屋に出掛けて、午後の仕込みをするのでした。大根のなた漬けの仕込みと、返しを作っておくことが一番の仕事なのでした。
3月27日 水曜日 うららかな陽射しの一日でした…
雨の昨日に比べたら、晴れて暖かい朝なのでした。今朝は5時半には蕎麦屋に出掛けて、夕べ漬けておいた糠漬けのお新香を取り出してみたのです。半年ぶりの糠漬けだったから、少し心配したのですが、無事に美味しく漬かっていたので安心しました。失敗したときのことを考えて、分量は一日分だけにしておいたのです。それから昨日のうちに用意しておいた出汁取りにかかる。これで約1時間かかったから、終わったらもう7時前なのでした。
昨日作ったばかりの返しを一番出汁に加えて蕎麦汁を作る。本当は1週間ほど寝かせなければならないのだけれど、一回目はどうしても作りたての返しを使うことになる。二番出汁で天つゆを作り、残りは容器に入れて冷蔵庫で保存するのです。家に戻って朝食を食べ、今朝は30分ほど書斎で横になったら、整形外科で薬をもらうために8時半には家を出るのでした。「検査の結果が出ていますので中へお入りください」と言われて、久し振りに先生と向き合う。
「数値は安定していますので、大丈夫ですね」と言われた。5月で閉院すると言うので、今日は90日分の薬を出してくれたのです。娘さんが家の次女と中学で同じ部活だったこともあって、昔、亭主がアキレス腱を切ったときにも世話になったことがある。今回も10年ぶりの発作で、3年も通ったから、そろそろ終わりにしても好いのかも知れない。本来、病気とは縁のない亭主なのでしたが、体質や怪我は如何ともし難い。年を取って病院通いはやはり気が滅入る。
昼は亭主がチャーハンを作って女将と二人で食べる。午後はゆっくりと昼寝をしてから長いテレビ映画を観た。女将がスポーツクラブから帰って、遅い午後になって蕎麦屋に出掛ける亭主。天麩羅の具材を切り分けて、小鉢のなた漬けを盛り付けておく。白餡を作って、薬味の葱だけでも刻んでいたら、もう時計は5時を回っていたのです。家に帰れば、ガレージのシャッターを閉める音で女将が台所に入り、夜は久し振りに鮪の手巻き寿司なのでした。