2024年1月始め




1月1日 元日 月曜日 ゆっくりと眠れた朝でした…

 いつもと同じ時間に床に入ったのに、今朝は外が明るくなるまで目が覚めなかった。食堂で女将と顔を合わせて「明けましておめでとうございます」と朝の挨拶を交わす。今朝は次にすることを考えなくて好いから、気持ちがリラックスしているのです。それでも、朝食を終えてしばらくしたら、昨日の片付けをしなくてはと、歩いて蕎麦屋に出掛けたのです。元日だから何処のお宅も外に出ている人はいない。空は青く住んで、風が少し冷たい朝なのでした。

 昨日の来客と夕刻にお袋様と食べた年越し蕎麦の盆と蕎麦皿は、カウンターの上にうずたかく積まれている。これを片付けないと新年は始まらないと、少しずつ後ろの戸棚の上下に入れていく。年を越したほうじ茶をレンジで温めて、厨房の中で一休み。明日の初仕入れに何を買えばいいのかと、冷蔵庫の中に残っている野菜類を確認する。いつもの週よりも元日の今日一日分だけ休みが多いので、ゆっくりと出来るのです。帰りの道も足を引きずらずに帰宅する。

 青空に庭の金柑がたわわに実っているが愛おしい。南側にも結構大きな実が沢山付いているのでした。こちら側も手の届く枝までは摘果をしたのです。やはり手入れが大切なのでしょう。今日も女将が笊に一杯収穫していた。朝食は雑煮だったから、昼は餅を焼いて食べる。昨日、蕎麦屋のお隣からいただいた蟹を切って食べる‥女将が今朝作ったという筑前煮も美味しかった。今年は今までなく質素な正月の料理なのです。二人だけだからこれで好い。

 古稀を過ぎたから、年賀状も親類だけと勝手に決めた暮れでしたが、やはり年賀状は50枚以上は届いていた。細かな文字や小さな写真の表情などは、目を凝らしてももう読むことが出来ないから、やはり年賀状はそろそろ終わりにした方が好いのかも知れない。午後は字幕のあるテレビ映画を観る。音も聞き取りづらいけれど、映画の字幕は大きいので助かるのです。少しずつ老いを受け入れている自分が、寂しくもあるけれど、それが自然で好いのでしょう。


1月2日 火曜日 今日はもう仕事始めの日…

 正月二日目の朝も質素な朝食。常連さんからいただいた美味しいお餅を雑煮にして、暮れに友人からもらった薩摩芋で、女将の作った昆布煮と、大根の葉とじゃこの漬け物。これにお新香が付いて、もうお腹は一杯なのです。食べられなくなったから、今までの贅沢な正月の料理がまるで嘘のよう。食後はひと眠りをせずに、居間の部屋で今朝の仕入れのメモを見ながら、買い忘れが内容にチェックするのでした。8時半には家を出て、蕎麦屋に向かうのです。

 洗濯機に入れたままの洗濯物を干して、お袋様に電話をすれば、もう仕入れに行く準備は出来ているという。農産物直売所は5日までお休みだから、寒い曇り空の中を隣町のスーパーまで車を走らせれば、正月の二日だというのに車が随分と停まっているのでした。あらかたの買い物を済ませて、蕎麦屋に戻れば、午前中に出来ることは、大根のなた漬けとカレーの仕込みだけ。カレーは残ったキノコ汁の材料も入れて、具沢山に輪を掛けて量が多くなりました。

 11時過ぎに家に戻って、昼は作ったばかりの熱々のカレーをかけてカツカレーにする。揚げたばかりのカツを買って帰ったから、肉が柔らかくて美味しいと女将も喜ぶのでした。食後は例によって書斎に入ってひと眠り。1時間ほどで起き出して、女将のスポーツクラブの予約をしてやる。早く自分でスマホの操作を覚えてもらいたいと思うのは亭主ばかり。2時半近くに家を出て、まずはショッピングセンターの電気店に行ってプリンターのインクを購入する。

 そのまま蕎麦に出掛け、午後の仕込みを開始するのでした。まずは冷めたカレーの袋詰めから。ジブロックの袋5つに冷めたカレーを詰めたら、水の上がっている漬け物器の大根を、よく水切りをして甘酒の素と砂糖を入れて、よくかき混ぜる。京唐辛子の種を取って調理鋏で輪切りにする。そして刻み柚子を加えて出来上がりです。まだ大根から水が出てくるけれど、これが甘酒の素を溶かして美味しい汁になるので、汁まで飲み干されるお客様もいるくらい。

 帰りはみずき通りの坂道を下り、大回りして家のガレージに車を前から入れてシャッターを閉める。朝から寒く曇っていた空が夕刻になってやっとあおぞらを見せるのでした。ちょうど沈む夕陽が今日一日の仕事始めをご苦労さんと言ってくれているようなのです。夕食は酢蛸と大根の煮物と豚のハラミの串焼きで、暮れに友人が持って来てくれた「天狗舞」をワイングラスに注いで飲む。やはり、飲みやすい日本酒なのです。今日は風呂を出て早めに眠くなった。



1月3日 水曜日 吐く息も白い寒い朝でした…

 午前3時に目覚めて、年賀状の返信を作成していました。20枚ほど仕上げ、郵便局のポストに入れに出掛けたら、そのまま蕎麦屋に行って朝飯前のひと仕事をするのでした。夕べは瞼が重くなって9時に床に就いたから、寝不足なわけではないのです。みずき通りを蕎麦屋に向かえばちょうど日の出前で、東の空が明るくなっていました。暖かい冬なのですが、朝は吐く息も白く寒さも真冬のもの。蕎麦屋の前の畑も真っ白な霜に覆われているのでした。

 暖房を入れて厨房に入り、まずは空の蕎麦徳利に蕎麦汁を補充しておきます。予備の一番出汁に返しを加えて作った蕎麦汁を、一つ一つ徳利に入れていく。やっと日の出の時刻になったから、玄関を出て東の空を写真に撮る。家に戻ればやっと餅がなくなったから、今朝は白いご飯に塩鯖の焼いたものが出た。暮れに友人からもらった大根が、まだ残っているので豚汁にして暖まるのです。食後は例によって書斎に入ってひと眠りなのですが、なかなか眠れない。

 やっと眠って目覚めればもう9時を回っていました。女将はその間に二歩の金柑を沢山収穫していたのでした。もうボールに5杯は採っているから、今年は金柑も豊作らしい。これを甘露煮にして冬場の我が家の喉の薬にしているのです。亭主は少し大きな実だけをもらって蕎麦屋の金柑大福の材料にできるので助かります。10時を過ぎたところで、女将は買い物に、亭主は午前中の仕込みに昼食の時間まで、また蕎麦屋に出掛けていくのです。

 蕎麦豆腐を造って、南瓜を切り分けてレンジでチーンする。蓮根の皮を剥いて切り分けたら、酢水で火にかけて明日の天麩羅の具材にするのです。蕎麦の打ち粉の支払いに郵便局まで出掛けたついでに、パンと牛乳を買って食べておくのでした。朝もしっかりと食べたのに、どうして腹が減るのだろうと不思議に思う。ちょっとおやつ代わりに食べたのは好いけれど、昼は女将と同じ時間にはやはり食べることが出来なかった。12時を過ぎて一人でラーメンを作る。

 やっと午後の昼寝が出来て、目覚めれば2時過ぎなのでした。お新香を漬けるのにあまり早い時間では拙いので、ゆっくりしていたら3時になった。蕎麦屋に出掛けて金柑の種取から始める。家で採った金柑は大きいものだけと思ったけれど、中には随分と小さな実もあったので数が多いから大変。そこいら中に金柑の香りがただよって、作る前から美味しそうなのです。酢水で火を通し、氷砂糖を入れた水を煮立たせて、金柑を入れて行く。800mlの瓶に一杯。

 天麩羅の具材を切り分けて、冷蔵庫から糠床を取り出し、ナスとキュウリとカブを漬け込んでいく。時間は4時半になっていた。家に戻れば女将がまた金柑の枝の中で、収穫をしているのです。もう入れる瓶がなくなったと言って、瓶を買ってきたらしい。夜は豚のハラミの串焼きと、女将が蟹を焼いて食べてみたいと言うから、餅焼きの網で10分ほど焼いて食べ始める。香ばしく部屋中に蟹の焼いた匂いが広がる。今年の正月は二人で蟹を随分と食べたのです。



1月4日 木曜日 正月明けで連休前だからか客はなし…

 暖かい朝だったのか、6時過ぎまでぐっすりと7時間も眠った。朝食の支度を待って食卓に付けば、ご飯の量の割にはおかずが多いのです。大根のたくさん入った豚汁だけでも、もうおなかが一杯になるほど。大好きな焼いた鮭の切り身もいつになく大きい。脂が乗ってとても美味しいのだけれど、筑前煮もあるから半分だけ食べて後は残しておいたのです。食後はひと眠りをせずに着替えと洗面とを済ませて、蕎麦屋に出掛けるのでした。風は少し冷たかった。

 朝日が雲間に隠れて、今日一日の天気が予想されるのでした。曇り時々晴れ。正月にしてはそれほど寒くはない。やはり今年は暖冬なのだろう。看板を出して幟をたてたら、チェーンポールを降ろして歩く。店の中もそれほど寒いとは感じなかったけれど、暖房を入れて厨房に入る。コーヒーを沸かして冷蔵庫からぬか床を取りだして、切り分けたら小鉢に盛り付ける。今日は少し厚めに切って、7鉢だけ盛り付けることにしました。なた漬けも3鉢盛り付ける。

 9時前に蕎麦打ち室に入って、今朝の蕎麦を打つ。一袋目の蕎麦粉がちょうどなくなるので、850g9人分の蕎麦を打つことにする。蕎麦粉の量が増えると捏ねるのに力が要る。46%の加水とは言え、力がなくなったのかと思うほどなのです。これが蕎麦打ちを止めようという気にさせるのか、年を取ってもう蕎麦が打てないと言う話をよく聞く。だから名人は腕の筋トレをしていたのかも知れない。週に1,2回の水泳だけでは足りそうにないのです。

 無事に9束の蕎麦を仕上げて生舟に並べ、厨房に戻って金柑大福を包む。薬味の葱切りも終えているし、大根や生姜も降ろしてあるから、野菜サラダの具材を刻み始める。蕎麦打ちに時間がかかったので、11時を過ぎて盛り付けが終わった。テーブルをアルコール除菌液で吹いてまわりながら、換気のために窓を少し開けておく。調理台に天麩羅の具材や天ぷら粉を並べ、天麩羅油を鍋に注いで、天つゆの鍋を火にかける。これで開店の準備は終わりなのです。

 お茶のポットにも湯を入れてある。暖簾を出せば、女将がやって来て手伝いの開始。しかし、気温は12℃まで上がったけれど、風が少し強くなってお客は来そうにないのです。三が日が終わって、今週末は三連休と来ているから、あまり出歩く人はいないのかも知れません。1時を過ぎて賄い蕎麦を茹でて食べる。洗い物が少ないように天麩羅は揚げずに、正月用に用意した蒲鉾だけを入れて、おろし蕎麦。大晦日に打った蕎麦だけれど、とても美味しかった。



1月5日 金曜日 少し暖かくはなってきたけれど…

 二階に続く階段の踊り場から東の空を眺めた朝。陽射しはあるけれど、この雲の流れでは快晴にはならないのではないかと、心配する亭主。朝は寒いから、とにかく陽射しが欲しいのです。朝食を食べてひと休みしたら、早めに蕎麦屋に出掛ける。昨日の蕎麦が生舟にそのまま残っていたから、今朝は蕎麦を打たなくても好い。蕎麦屋に着いて朝の仕事を終えたら、今日は店の床の掃き掃除を始めました。砂埃を少々掃き集めて、掃除をした気分になる。

 それでもまだ9時前だから、洗濯機に入っているままの洗い物を干して、奥の座敷を掃除機で綺麗にするのです。普段、あまり入らない部屋でも、人が通ればゴミや埃が溜まるもの。少しは身体を動かして暖かくなったけれど、店の中は暖房を入れてもまだ14℃しかなかった。昼は暖かくなると言うけれど、吐く息も白い朝はまだ寒いのです。厨房に戻って、大根をおろしたら、野菜サラダの具材を刻んで、いつものように三皿に盛り付ける。

 こんな寒い日には、サラダを頼む客もいないけれど、カレーうどんや鴨南蛮蕎麦にもサラダを付けるから、決めたとおりに毎日用意しているのです。暖簾を出して間もなく、スポーツクラブの予約が取れなかった女将が来てくれて、最初のお客が来るのに間に合ったから好かった。バイクに乗った若者が天せいろのご注文。その後はしばらくお客はなかったけれど、1時を過ぎてから、暮れにもいらっした親子が赤ん坊を連れてご来店なのでした。

 鴨せいろを二つにご主人がせいろの大盛り。せいろは直ぐにお出しして、焼いたばかりの鴨肉と葱を入れて、熱々でお出しすれば、美味しそうに食べておられた。汁まで綺麗に飲み干して帰られたので、満足されたのだと判る。洗い物は少しだったから、2時過ぎには女将と家に戻って、残った金柑大福を持ち帰ってお茶を飲む。亭主は書斎に入ってパソコンに向かい、今年の売り上げの入力画面を作成して、今日の売り上げを入力しておきます。

 それから横になってひと眠り1時間。身体が温まると眠くなるから不思議です。5時前に台所に立って今日の夕食にお好み焼きを作る亭主。店で毎日残る野菜サラダをどうやって消化しようかと、あれこれと考えて、週に一度はお好み焼きにするのです。かりかりで温かいのが女将も好きらしく、子ども達が小さかった昔はよく作ったものよと懐かしそう。食後の休憩をしたら、亭主は夜のプールに出掛ける。金曜日は空いているから一人ひとコースでゆっくり。