12月27日 水曜日 定休日なのに今日も朝から忙しかった…

今朝は日の出の時間に合わせて蕎麦屋に出掛けた。7時少し前だったが、日の出る位置が随分と東に移っていた。霜の降りた向かいの畑は、相変わらず寒々としてしたけれど、朝日が見られるのが幸せな気分なのです。寒い厨房に入って昨日作った返しを大甕に移して、大根を切り分けたら、塩を振って漬け物器に漬けておく。時間がないのでこれで朝飯前のひと仕事は終わり。家に戻って女将の用意した朝食を食べるのでした。今朝は夕べから作っていたおでん。

一晩おいた方が味が染みて美味しい。冷たい身体には持って来いのおかずなのでした。大根がとても柔らかく煮えて崩れてしまいそう。昔ながらのおかずは、何故か心まで温かくなるのです。食後は居間の椅子に座って、もう次の行動を考えている亭主。今朝は一番で整形外科に出掛けて、処方箋を書いてもらわなければならない。同じフロアの薬局に行けば、待ち番号2で9時前には受け取れた。一階のスーパーに降りて、パイナップルとアスパラを手に入れる。

昨日の仕入れでは、いつものスーパーにパイナップルがなくて、アスパラガスは萎びた物だけしか出ていなかったから、年末最後まで野菜サラダを作るつもりで、買って帰るのでした。パイナップルは、まだこの間買ったものが半分あるから、市場が休みの年始まで持ちそうです。そのまま蕎麦屋に寄って、午前中の仕込みに入る。一番出汁を取って蕎麦汁を仕込んだら、二番出汁を沸かして温かい汁を作っておく。少し余分に作るのは大晦日のテイクアウト用。

外は少し暖かくなったけれども、亭主は鼻水が止まらない。家に帰って歩いて買い物から帰った女将に話せば、「動いていないからじゃないの?」と手厳しい。彼女が起き出す前から仕事をしているのに、確かに車を使う分、歩いてはいないけれど、亭主にしてみれば、これで目一杯の仕事量なのです。11時を過ぎたから、台所に立ってキャベツと人参、肉を刻み、フライパンで炒めて先日作っておいた挽肉とモヤシのあんかけを混ぜて、味つけをする。

塩と胡椒と砂糖を入れて、温かい中華丼の具材を皿に盛ったら、二人でご飯にかけて食べるのです。「美味いだろう!」と言えば、「味が好いわ。身体が温まる」と中華の好きでない女将も喜ぶのでした。居間でお茶をもらった亭主はもう午後の予定を考えている。明日の業者に支払う金を銀行で下ろして、煙草と灯油を買って蕎麦屋に出掛ける。午後は蓮根の皮剥きから始まって、南瓜を切り分けたら、天麩羅の具材を用意して、最後にお新香を漬けて来る。

先日、買ってきた年賀状を、机の上に置いたまま、そのままになっているから、これを仕上げるのは夜の仕事か。昔のように夜中に仕事をする習慣がなくなったので、一つ違った仕事を入れるのが大変なのです。今年は数を減らして、本当に親しい人たちだけにしようとは思っていながら、未だに手つかずの状態なのが、老いの証なのか。書斎に入ってひと眠りしたら、コーヒーを入れて午後の仕込みに出掛ける。1時から4時まで3時間もかけてやっと終わった。

最後に糠味噌にキュウリとカブとナスを漬けて、後は明日の朝のお楽しみ。キノコ汁を仕込んでおこうと思ったけれど、鶏肉を買うのを忘れたから、帰りがけに近くのスーパーに出掛けて買い求めておく。夕方になって急に気温が下がったので、今夜も冷え込むのでしょう。朝から鼻水が止まらないので、今日はプールをお休みにした。6時前に夕食を済ませて、いよいよ夜の仕事に入るところ。何処までできるのか、無理をしないでゆっくりと終わらせよう。

12月27日 木曜日 朝の4時半から蕎麦屋に出掛けたのに…

午前4時起床。夕べは年賀状の作成を諦めて、10時には床に入ってしまったのです。生活のリズムが早寝早起きになってしまっているから、早々すぐには変えられない。今までにこんなに賀状の作成が遅くなったことはないのでした。それでも素直に自分の老いを受け入れて、今朝は早々と蕎麦屋に出掛け、昨日のうちに漬けた糠漬けを取り出して、小鉢に盛り付ける。ついでになた漬けと切り干し大根の煮物も盛り付けておくのでした。外はまだ真っ暗なのです。

時間があるから、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。データを読み間違って、去年のこの木曜日は12℃と記録していたのを、12人と思って今日は二回打つ覚悟なのでした。何時もの加水率で綺麗に仕上げて、8人分の蕎麦を打ち終えたら、6時過ぎになっていました。キノコ汁の具材を取り出し、まずは鶏肉を二番出汁で煮て、キノコを切り分けて少しずつ鍋で煮ていくのです。1600ccの鍋で煮詰まると容量が少なくなるけれど、4人分ほどの量が取れる。

だいぶ外が明るくなったけれど、今日は一日中曇りの予報なのでした。7時過ぎに家に戻れば、「お帰りなさい」と女将が台所から出迎えてくれた。朝、早くから、出掛けたのを知っているらしい。脂の乗った塩鯖をおかずにご飯を食べ終えて、お茶を一杯もらったら、書斎に入って横になるのでした。小一時間眠って、朝ドラの終わる時間にぼうっと寝覚めたら、洗面と着替えを済ませて、コーヒーを入れて一休み。9時10分前になったら家を出ました。

蕎麦屋に着いたら幟を立てて、蕎麦打ち室に入って5人分だけ蕎麦を打ち足す。この時点では去年のデータの読み間違いに気づいていない亭主。開店の準備を終えて女将がやって来て、始めて去年はそんなにお客は来ていないということが判るのでした。日中も外の温度は9℃にしかならならずに、いくら待ってもお客は来ないのです。1時頃になってやっと青空が覗いたけれど、すぐに元の曇り空に変わってしまう。12月になってお客の来ない日は珍しい。

おろしたばかりの天麩羅油を汚すのは躊躇われるから、かき揚げは揚げずに賄い蕎麦も素蕎麦で食べる。それでも、新蕎麦の仄かな香りとコシがとても美味しくて満足するのでした。早めに暖簾をしまって、2時前には女将と店を出る。待ち疲れたのか、1時間以上昼寝をしてしまう。蕎麦屋に出掛けて業者が食材を運んでくるのを待つのです。今日は正月用の蟹を持って来るはずなのでした。待っている間に白餡を仕込んで、業者の若者に出すコーヒーを用意。

12月29日 金曜日 今日は泳ぎ納めの日…
早寝早起きを逆手にとって、今朝は3時に起き出し、濃いコーヒーを入れて年賀状の作製に取りかかる。取りあえずは親戚に20枚ほど、印刷したらもう4時を回っていた。郵便局のポストに入れに車を出して、帰りにコンビニで煙草を買って蕎麦屋に寄る。エアコンのスイッチを入れて、昨日の洗濯物を干したらもう仕事はないのです。家に戻ってまた布団に潜り込んで、ひと眠りするのでした。7時過ぎに女将に起こされて、食堂に行くのです。

今朝は蕎麦打ちがないから時間に余裕があった。ヒヨドリに食べられてしまう前に、庭の金柑を採らなくてはと女将に言われていたので、剪定ばさみを持って庭に出る。秋前に摘果した東側の一角は大きな実になって、蕎麦屋の金柑大福用の甘露煮に出来そうです。採った金柑の実を玄関に置いたまま、亭主は蕎麦屋に出掛けていくのでした。マフラーや手袋をしなくても耐えられる程の暖かさだったから、陽も差して今日は少し寒さが緩んでいるらしい。

9時前に蕎麦屋に着いたけれど、蕎麦打ちがないと時間をもてあますのです。幟を出して、今朝の青空を見上げれば、今日こそはお客が来ると思えるから不思議。豚のハラミを切り分けて串に刺したら、後は野菜サラダの具材を刻むだけなのです。9時半になったら玄関が開いて、ヨガの教室の予約を取り損ねた女将がやって来てくれた。俄然、元気の出た亭主はレンジ周りの掃除を始めるのです。慣れているとは言え、お客が来た場合の安心感が違うのです。

天麩羅油は昨日おろしたばかりの綺麗な胡麻油。11時前には野菜サラダも三皿盛り付けて、開店の時間までにはまだ十分に時間がある。暖簾を出して間もなく、外車に乗ったご夫婦がいらっして、「テーブル席にどうぞ」と勧めたけれど、亭主と話をしたいのか、カウンターに並んで座る。リピーターの方なのでした。奥様がカレーうどんでご主人は天せいろの大盛りと日本酒のご注文。ちょうど女将がやって来て、古稀を境に年賀状を出すの止めた話になる。

どれだけ気が楽になったかと奥様が言えば、ゴルフをしているご主人が酒を飲みながらジムに通っているという話をする。小一時間話してお帰りになったら、もう次のお客がいらっしゃる。今日はお客の出足が遅くて、閉店過ぎまで厨房は忙しかったのです。3時前には洗い物を済ませて女将と家に帰るのでした。昨日のお客ゼロが悔やまれる。今日のデータをパソコンに取り込んで、30分だけ昼寝をしたら、郵便局に寄って蕎麦粉の支払いを済ませ、プールに泳ぎ納めに行くのでした。子ども達のスイミングがないのでゆっくり。

12月30日 土曜日 暮れの一日も蕎麦好きの常連さんが…

今朝も向かいの畑は真っ白な霜に覆われていました。寒さにも慣れてきたから、朝飯前のひと仕事にもエアコンの暖房を入れて、蕎麦打ち室に入る。明日は、年越し蕎麦のお持ち帰りの注文を何件か受けているので、今日は少し余分に蕎麦を打って、明日の来客分を補えないかと思うのです。何時もの加水率で750g8人分を一回打って生舟に並べる。身体がまだ十分に目覚めていないのか、なかなか満足のいくような均等な幅で蕎麦切りが出来なかった。

丸出しから四つ出しまで順調に進み、八つに畳むところまでは好かったけれど、時間に余裕はあるのに切り幅が一定しない。こんな日もあるのです。家に戻れば今朝は餅を焼いてみると言って、昨日女将が買ってきた昔ながらの餅焼き網を使ってみる。始めはガスレンジで焼いていたけれど、ゆっくりと食べられないからと、ポータブルのガスコンロを出して、その上で食べながら焼く。女将はカリカリとしたのが好きだから、電子レンジではいけないのです。

朝食を食べ終えて、ひと眠りする暇もなく、洗面と着替えを済ませて再び蕎麦屋に出掛ける亭主。昨日、少し収穫した残りの金柑が今朝の青空に映えているのでした。午後から今度は、女将が反対側の午後から陽の当たる場所の金柑を収穫したらしい。亭主は金柑大福用に甘露煮にして、女将は冬の喉の薬に甘露煮にするのです。蕎麦屋に着いて二回目の蕎麦を打ったら、厨房に戻ってYouTubeで拓郎と中島みゆきの歌を聴きながら、金柑大福を包むのでした。

暖簾を出す前に、家の近所の奥様が蕎麦を食べに来る。ご主人が亡くなって寂しくてしようがないと、広いお宅に一人住まい。昨今はこの界隈もそんなお宅が多くなった。車が運転できなくなったら施設に入ろうと考えていると言う。亭主と女将とで話を聞いていれば、今日はいつになくゆっくりと話をして行かれたのです。その後も、明日の年越し蕎麦を頼まれている蕎麦好きの常連さん達が、ぽつりぽつりとお一人でいらっしゃる。後は暇な時間が続くのです。

1時を過ぎてもお客が来そうにないから、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を茹でて食べる。今朝打った蕎麦は、切り幅が揃わなかったけれど、実に美味しいのでした。この蕎麦を食べに来て下さる常連さん達は、やはり素朴な蕎麦が好きなのでしょう。でも、皆さん亭主と女将よりも年上なのでした。いろいろと話は合うのだけれど、未来の夢を語ることは少ない。もっと前向きな話題を提供しなければいけないのかと、亭主も少し考えたところです。

閉店間際になって、外車に乗った中年のご夫婦がご来店で、テーブル席に座ってお二人とも天せいろを頼まれる。新しくしたばかりの天麩羅油で、カリッとした天麩羅を仕上げ、早い時間でお出しするのでした。外は陽射しあるのだけれど、昨日ほど晴れてはいなかった。2時過ぎに洗い物もすべて終わって、女将と二人で蕎麦屋を出る。明日はまた二回の蕎麦を打たなければならないかと、考えながら家路につく亭主なのでした。いよいよ大晦日です。
12月31日 日曜日 大晦日で年越しの蕎麦…

午前2時半に蕎麦屋に出掛けて、今日の蕎麦を打つ。お持ち帰りの年越し蕎麦が8人分もあるので、一回はこれだけのために打たなければならない。夕べは9時に床に就いたから、かなり寝不足ではあるけれど、一旦、寝てしまうと朝まで起きられそうにないから、年甲斐もなく頑張ったのです。昔なら、大晦日は何回も蕎麦を打って、大勢のお客を相手にしたものですが、最近は、すっかり体力も落ちて、コロナ禍以後はお客も少なくなったのです。

小鉢を盛り付けて、蕎麦汁を持ち帰り用のパックに詰め、まずは朝飯前のひと仕事は完了するのでした。家に戻って4時。布団に潜り込んでやっとぐっすり眠るのでしたが、目覚めればもう8時を回っていました。女将が亭主が蕎麦屋から帰ってきたのを知らずに、朝食の用意をしたまま、起こしてくれなかったのです。おにぎりを握ってもらって、着替えて再び蕎麦屋に出掛ける亭主。二回目の蕎麦打ちは5人分だけ打ち、昨日の蕎麦と合わせて14食の用意です。

今日の来客は9人。最後のご家族が閉店間際に4人連れでいらっして、一時間近くもゆっくりとしていた。開業以来10年、こんなお客も珍しいので、亭主が思いあまって大きな声をだしてお帰り願った。家に戻って休む暇もなく、夕刻からのささやかな会食を準備するのでした。今年90歳になるお袋様と女将とでテーブルを囲んだ。毎年のようにこうして集まれるから、近くに住んでいるのは好いことで、お互いの健康を祈念して乾杯なのでした。
