12月20日 水曜日 久し振りにのんびりとした定休日…

昨日よりは少し暖かい朝でした。5時半に起き出して居間の部屋で寛ぐ亭主。6時半になったら、寝起きのヨーガをしている女将に声を掛け、車を出して蕎麦屋に向かう。今朝も余りすることはなかったのですが、蕎麦汁を蕎麦徳利に詰めたり、レンジ回りの掃除をしたり、細かなことも積もれば時間が取られるので、7時までの間に終わらせるのです。年末の定休日は大掃除をしたいのですが、無理をすると何処かにしわ寄せが来るから、そのままにしている。

朝食は煮物と鮭の焼いたものとキノコ汁で軽く食べておきます。ご飯のお替わりをしたいところですが、ぐっと我慢をして「ご馳走様」と言って居間の部屋に移ってしまう。女将がお茶を入れてくれたから、「どうも有り難う」と言って飲み干したら、書斎に入ってひと眠りするのです。最近は1時間近く眠って、すっきりとした頭で、着替えと洗面を終わらせる。夕べは7時間近くも目を覚まさずに眠ったので、睡眠は十分なのです。食べて眠るのは習慣かな。

ゆっくりとした後は、再び蕎麦屋に出掛ければ、店の玄関を開ければカサブランカの香りが漂う。三つ目の赤いカサブランカが花を開いているのでした。糠床にお新香を漬けるのも、天麩羅の具材を切り分けるのも、美味しく出す時間があるので、午後遅くでないと上手くいかないから、蕎麦豆腐をしこんで型に流し込み、午前中は時間のかかる蓮根の皮を剥いて、酢水で茹でることから始めて、南瓜を切り分けてレンジでチーンするだけ。11時過ぎには帰宅する。

昼食は昨日と同じく天麩羅をフライパンで焼いて、蕎麦を茹でて女将と食べるのでした。食後は例によって書斎でひと眠りなのですが、睡眠は足りているので1時間も眠らずに目が覚める。その間に女将はスポーツクラブに出掛けていく。亭主はコーヒーを入れて午後の仕込みに蕎麦屋に出掛けるのです。時間が早かったので、明日の分の蕎麦を打っておくことにしました。時間があるときに打つ蕎麦は仕上がりも上々で、明日の朝は少しだけ打ち足せばいい。

3時過ぎには天麩羅の具材も切り終えて、いよいよ冷蔵庫から糠床を取り出して、少し多めに野菜を漬けておきます。残った時間で包丁を研いでおくことが出来るから、今日は何故かゆったりと時間が過ぎていくのでした。日中は陽も差して暖かくなったから、気持ちが好いのです。今日の予定をほぼこなして、後は夜のパトロールに出掛けるだけ。4時過ぎに夕飯を作って一人で食べておきます。チーンしたご飯に肉と玉葱人参を炒めて焼き肉のタレで味つけ。

日が暮れると急に気温が下がるのがこの時期の特徴で、厚手のジャージにセーターを着込んで集合場所に出掛けて行きます。80歳前後の老人たちも次々と集まって来る。今日の話題は今の政権はどうなってしまうのかと、岡目八目の年寄りの会話なのでした。最近は明るい話題が少ないというのが皆さんの意見。年内最後のパトロールだから少し短めに歩いて5000歩。集合場所に集まり、一年間有り難うございました。良いお年をと言って別れるのでした。

12月21日 木曜日 寒い朝でした…

5時起床。居間の部屋でコーヒーを飲みながら、外が明るくなるのを待った。6時を過ぎてもあまり明るくならないので、仕方がないから蕎麦屋に出掛けるのでしたが、東の空はまだ夜明け前。空が晴れているからか、放射冷却でとても寒いのでした。店のエアコンを入れて厨房に入れば、10℃と冷蔵庫の中の温度なのです。それでも今年は去年よりは暖かい。冷蔵庫から糠床を取り出して、お新香を小鉢に盛り付ける。ついでになた漬けも盛り付けておきます。

明るくなった向かいの畑を見れば、うっすらと白い霜が降りている。それでも吐く息が白くならないから、今年は本当に暖かいのです。近くの農家に小松菜をもらいに行った女将が、伸びすぎて売り物にならないと言われたとか。蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打てば、昨日と同じ加水率で蕎麦粉を捏ねて、ちょうど好い塩梅に仕上がったのです。伸して畳んで包丁打ちをすれば、生地の柔らかい分、奥行きがあるので、切りべら25本で140gで仕上がりました。

レジの前に飾ったカサブランカは、いよいよ四つ目の花が開き始めました。香りが店中に広がって心地よいのです。この花束を置いて行ってくれたお客様にも見せて上げたいくらい。厨房に入って金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻めば、時計は11時を回っていました。木曜日は女将が来るのは開店してからだから、亭主がテーブールを拭いて回らなければならない。いつものことですが、この時間はお客が来てしまうのではないかとかなり緊張するのです。

暖簾を出してやっと開店の時刻を迎えれば、亭主はカウンターの奥の席に座ってひと休みするのです。ほどなく女将が来てくれて、駐車場に車が2台続けて入って来ました。外はかなり寒いので、暖かい蕎麦が出るかと思ったら、せいろ蕎麦と天せいろのご注文で、蕎麦湯も綺麗に飲んで帰られたから、蕎麦の好きなお客様らしかった。ても、さすがに寒くて風も強かったからか、その後はお客が続かないのです。早めに片付けを始めて、2時過ぎには店を出る。

12月22日 金曜日 今日は冬至で、寒いのにもかかわらず…

今朝は5時前から起き出して、居間のストーブに当たっていたら何時の間にか眠ってしまい、7時前に目が覚めた。寒い朝だから暖かいと直ぐ眠くなってしまうのです。女将が朝食の支度を始める前に、暖房だけでも入れてこようと蕎麦屋に出掛ける。昨日はお客が少なかったから、何も用意するものはない。家に戻って朝食を食べたら、書斎に入ってまた眠るのです。身体が疲れているわけでもないのに、自分でもよく眠れると感心してしまう。

今朝も雲一つない青空が広がり、みずき通りも冬のたたずまいなのでした。蕎麦屋に着いたら、看板と幟を出してチェーンポールを降ろして歩く。寒いけれどセーターの上にジャンパーを着込んで、革の手袋までしているから大丈夫。エアコンを入れておいた店の中は暖かで、厨房でコーヒーを一杯飲んだら蕎麦打ち室に入る。今朝も500gだけ打ち足して、小さな菊練りを作るのです。蕎麦玉を作って寝かせている間に、細々とした用意を済ませておきます。

再び蕎麦打ち室に入って、蕎麦玉を丁寧に伸して畳んで、包丁切り。四隅も綺麗に取れているから、切りべら26本で140gの蕎麦の束を5つ半取ることが出来ました。1kgだと11食分の蕎麦が取れるから、ちょうど計算は合うのです。厨房に戻って今度は大釜に火を入れ、4つのポットを並べて蓋を開けておく。小鍋に湯を沸かして塩を入れ、アスパラとブロッコリーを茹でる準備をするのです。と、窓の外を見れば見覚えのある外車が止まって、女性が降りて来る。

まだ開店には早すぎる時間だけれど、何やら手に持って玄関まで来る。餅をついたから持って来たと、つきたてでたれ落ちそうな柔らかな餅をいただいた。習志野からこれだけのために車を走らせてきてくれる常連さんの気持ちが有り難い。「良いお年を!」と言って帰る彼女を見送って、頑張らなければと野菜サラダの具材を刻むのでした。暖簾を出したらすぐにまた常連さんのご夫婦がいらっして、今度は鹿児島から送ってきたと言う蜜柑を持って来てくれた。

天麩羅を揚げて蕎麦を茹で、お出ししたところで、駐車場に何台も車が入ってくる。停められない車は隣のお花畑に停めて、5人の女性達がいらっしゃった。その合間を縫うように、橋の向こうの常連さんが、カウンターに座って何時も辛味大根とせいろ蕎麦の大盛りのご注文。後から入った女性達は賑やかで、四人のテーブルに五人で座ろうとするから「他のお客さんもいらっしゃるので」と注意をする。常連さん達が気を利かせてくれて早めに帰られるのです。延々と1時半まで喋って食べて、後片づけが大変なのでした。
12月23日 土曜日 昨日よりも寒い日だったのに…

朝はとても寒くて、暖房を入れてもなかなか部屋が暖まらない。6時前に蕎麦屋に出掛けて、今日の準備を始めるのです。暖房を点けたままで家に戻って朝食を食べる。女将の作る銀ダラの煮物は、亭主が汁までご飯に掛けて食べるほど美味しいのです。食後のお茶をもらってひと眠りしようと書斎に入るのですが、これが眠れないから困った。夕べは6時間ほどしか眠っていなかったけれど、顔を洗ったら目が覚めて、荷物が届くからと早めにまた蕎麦屋に行く。

昨日も最後にお客が来て生舟の蕎麦の残りが少なくなったから、今朝はどれだけ打とうかと考えたけれど、何時も打ってる分量なら失敗がないだろうと、750g八人分を打って12食分を用意した。今日の寒さでは、そんなにお客が来るとは思えなかったのですが、いざ開店をしてみると、10人を越えるお客が次々とご来店なのでした。この寒さの中を土曜日とは言えよくぞ来て下さった。最後は子供連れの二家族がいらっして、生舟の中の蕎麦はすっかりなくなった。

カレーうどんも出たから野菜サラダが一つはなくなったけれど、意気込んで作った金柑大福も四皿そのまま残ってしまう。3時前には洗い物を終えて、女将は家に帰り、亭主はお袋様のところに寄って、この間お客が持って来てくれた餅のお裾分け。女将が食べやすいようにと小さめに切って、ラップで包んでくれたのです。お袋様は昼を食べてない亭主を心配してくれたけれど、夕飯が食べられなくなるからと我慢して家に戻る。女将は買い物に出掛けていた。

女将が夕飯の支度をするより先に、亭主はもう酒を飲んで冷蔵庫にある直ぐ食べられる物をつまんでいる。メインは常夜鍋だったけれど、肉とホウレン草を少し食べてもうお終い。「お新香を漬けに行かないの?」と女将に言われて、今日は小鉢もなくなっているのを思い出した。蕎麦汁も明日の分はもうないのでした。出汁取りの準備はしてきたから、夜になってから歩いて蕎麦屋まで出掛ける。約1時間の夜の仕事です。明日は今日よりも更に寒くなるらしい。
12月24日 日曜日 昨日よりも更に寒い朝でしたが…

今朝は寒くてなかなか起きられませんでした。夕べ漬けてきたお新香が気になって、6時前には蕎麦屋に出掛けたのだけれど、向かいの畑は霜で真っ白なのでした。日中は10℃を越えると言うけれどあまりに寒くて、店の暖房を入れてもなかなか室温が上がらない。糠床からお新香を取り出したら、昨日入れたコーヒーの残りをレンジで温めて、換気扇を回してしばらくは喫煙タイムなです。外がやっと明るくなって、時間があるから蕎麦を打っておくのでした。

昨日はお客が大勢来て、生舟に蕎麦が残らなかったから、今日はまして日曜日だから、寒くてもお客が来る可能性が高いのです。しかし、6時半から蕎麦打ちを始めたので、今朝は家に戻るのが少し遅くなってしまいました。女将も寒くて二度寝してしまったと言っていたから、上手い具合に7時半の朝食で夫婦円満なのでした。勿論、食後のひと眠りはなしで、亭主は洗面と着替えを済ませて、また蕎麦屋に出掛けていく。庭の金柑が食べ頃になってきている。

8時半の段階では、外は低い雲が垂れ込めて、気温もあまり上がっていない様子。幟を立てても青空が背景にないと、寒々としてこれで今日はお客が来るのかと思ってしまう。二回目の蕎麦を打って蕎麦玉を寝かせている間に厨房に戻り、薬味の葱切りをして大根や生姜をおろしたら、また蕎麦打ち室に入って生地の伸しにかかる。二回目は綺麗に四隅も整って、蕎麦切りも順調に終えることが出来ました。朝は寒すぎて生地が十分に伸せなかったのです。

早くから仕込みを始めたから時間があったので、随分前に購入した自撮棒を使って写真を撮ってみる。ただ、まだ上手く扱えなくって、説明書をもう一度よく読んでみないといけない。老人の目には字が細かくて読み切れないのが原因なのです。野菜サラダの具材を刻み、早お昼を済ませた女将が来てくれたので話し相手が出来る。天麩羅鍋に油を注ぎ、暖かい蕎麦の汁を温めて、開店の準備は終わるのでした。暖簾を出せば最初のお客は歩いて来た常連さん一家。

この寒さの中をご家族四人が歩いていらっしゃったのは有り難い事で、ヘルシーランチセットを三つも頼まれて、野菜サラダと蕎麦豆腐、デザートの金柑大福が一挙になくなったのでした。続けていらっしたお客も年配の常連さんで、玄関を入ったご主人が手を上げておぅっという仕草をする。カレーうどんと暖かい天麩羅蕎麦のご注文。この寒さの中をよくぞ来て下さったと感謝の気持ちで一杯。閉店前にも若いご夫婦のお客が来て、新蕎麦を堪能して帰られた。

12月25日 月曜日 朝の寒さに昼の暖かさ、異常な陽気で…

今朝も寒さは増すばかりで、居間のストーブを点けても、室温がなかなか上がらない。諦めて蕎麦屋に出掛ければ、向かいの畑が真っ白な霜に覆われていました。雲はなく青空が広がって、今日も昼間は暖かくなると確信したのです。冷蔵庫の中の小鉢は6鉢しかなかったから、もしも、もっとお客が来れば出すものがないから、夕べ考えていとおりに、切り干し大根の煮物を作る。出なければ、来週も使えると考えたのです。それにしても寒い朝なのです。

7時には家に戻って、女将の用意してくれた朝食を食べる。食べ終えたら書斎に入って、例によってひと眠りするのです。うとうとと微睡んで、朝ドラの終わる時間には目覚めるのでしたが、ぐっすりと眠ったという気がしなかった。朝の寒さが応えたのか、コーヒーを入れて目を覚ますのでした。蕎麦は500g打てばいいから、ゆっくりと休んでから蕎麦屋に向かうのです。9時前に蕎麦屋に着いて幟を立てたら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つのでした。

このところ加水率は46%で、蕎麦の仕上がりも安定しているのでゆっくりと蕎麦打ちを楽しむ。昨日の残った蕎麦と合わせて、10食分の蕎麦を用意して、今日は営業を始めるのです。厨房に戻って、金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで、開店の準備も11時には終わるのでした。気温は急激に上がって、亭主は来ていたセーターを脱いで、店のユニフォームを着るのです。暖簾を出せば直ぐに見慣れた外車が駐車場に入ってくる。習志野からの常連さんです。

いつものように野菜サラダを出して、天せいろをお出しすれば、橋の向こうからの常連さんがいらっして、カウンターに座って新聞を読み始める。何も言わないから、いつものように辛味大根をおろして、大盛りのせいろ蕎麦をお出しするのです。大晦日の年越し蕎麦の注文をされて、いつも一緒に頼んでいた友人は介護施設に入ったので頼めないとおっしゃる。これで今日はお終いかと思っていたら、三人連れの男性がご来店で暖かいぶっかけ蕎麦を頼まれた。

外はまだ寒いのかも知れないと、熱々の汁で蕎麦を茹でて天麩羅を揚げる。今度こそ終わりかと思ったのですが、まだ駐車場に車が入ってくるから驚いた。陽が差して陽気が好くなると、天せいろが出るものなのです。天麩羅の具材もなくなってきたから、ここで売りきれの看板を出した。時計は1時半を回っていたのです。賄い蕎麦を食べてひと休みしてから、ゆっくりと洗い物にかかる。暖かな陽射しに感謝です。家に帰ってひと眠りしたら、夜のプールに出掛けるのでした。コースは空いていてゆっくりと泳ぐことが出来た。

12月26日 火曜日 朝と昼の温度差が15℃以上もあるから…

今朝も氷点下の朝。6時半になってもまだ陽は昇らない。昼の時間が一番短いという冬至が過ぎても、日の出の時刻が早まるわけではないのです。調べて見たら今朝の日の出は6時47分なのでした。寒さの中を蕎麦屋に出掛けて、昨日の洗い物の片付けをしたり、洗濯物を干したり、細かな仕事を7時までこなして家に戻るのです。厨房から見ても向かいの畑には真っ白な霜が降りているのが判る。蕎麦屋は暖房を入れたままにして、車に乗り込んだ。

先週はお客が多かったので、蕎麦屋の残りものが少なかった。月曜日に店から持ち帰る食べ物が少ないと、火曜日の朝は質素な食事になるのです。いいような悪いような。卵と納豆があれば十分で、先週、売れなかったキノコ汁を薄めた椀に三ツ葉を散らして、これが結構美味しいのです。キュウリとカブのぬか漬けは、女将の好みで薄味だけれど、最近は上手く漬いているから文句はないのです。何よりも蕎麦粉の農場から贈ってくれた米が美味しかった。

茨城のブランド米ミルキークィーンは水分が多いのか、モチモチとしてふっくら感があるのです。おにぎりにして冷めても美味しく食べられる。しかし、冷えたご飯を炒飯にすると、粘りけがあるだけに、強火で炒めてもパラパラに仕上げるのは難しいのです。9時前にお袋様に電話をして、今年最後の仕入れに出掛ける。農産物直売所で知り合いの農家の親父様が、大根を並べていたから挨拶をすれば、「三太郎という大根で煮物にはいいよ」と言われた。

隣町のスーパーにも出掛け、年明けも市場が休みのはずだから、いつもより多くの食材を買って帰る。店に戻って冷蔵庫に野菜類を収納したら、家に買ってきた肉や魚を家の冷蔵庫に入れる。女将は買い物に出掛けているのです。それから今日の予定である床屋に出掛け、ひと月以上も刈っていない頭を綺麗にしてもらうのでした。亭主よりも10歳は年上のはずなのに、腕はたしかで「髭もツルンツルンに剃っておいたからね」と言って元気なのでした。

家に帰れば12時過ぎで、女将が昼の炒飯の具材を調理台に並べておいてくれたから、直ぐに鍋を振ってカレー炒飯を作る。朝炊いたミルキークィーンは、思っていたとおり、高温で炒めてもなかなかパラパラにはならないのでした。やはり炒飯には向かない品種なのか、それとも亭主の腕が悪いのか。食後はお茶をもらって居間でゆっくりする。3時に蕎麦屋に出掛けようと思っていたら、先日、ミニ忘年会で一緒に飲んだ友人から電話で30分後に来ると言う。

家で待っていたら、チャイムが鳴って、会費をもらったのに、この間は沢山ご馳走になってと、酒やつまみと自宅で採れた大根を持って来てくれたのです。現役の頃よりも元気な声で喋るのが、印象的なのでした。定年後に始めた植木屋の仕事も、年末はすべて断ってゆっくりとしているのだそうな。蕎麦屋は大晦日まで営業だから羨ましい限りなのでした。明日は朝一番で整形外科に行って、月に一度の薬を処方してもらわなければいけない。