12月10日 日曜日 久し振りに沢山のお客が…

夕べは暖かかったからかよく眠れた晩でした。朝の6時には目覚めて、朝食の前に蕎麦屋には行かずに珈琲を飲む。銀ダラの煮付けと三ツ葉の卵綴じで朝食を食べて、早めに洗面と着替えを済ませるのでした。今朝は蕎麦粉が届くので、8時半には蕎麦屋に行っていなければと、頑張って家を出るのです。家の前の通りは公園の森から昇った朝日が眩しい。雲ひとつない青空が広がって、風もないから、今日も暖かな一日になりそうなのでした。

蕎麦打ち室に入って今朝のの蕎麦を打つ。今日は思い切って46%の加水率で捏ね始めたのですが、これがとても好かった。もうこんな時期なのかと、冬場の蕎麦打ちを思い出していたのです。季節の移る度に、粉の新しくなる度に、加水を替えないと上手く打てないことが多いのです。12食半の蕎麦を生舟に用意して、今日は営業に臨むのでした。厨房に戻って金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻んで、開店の準備を進めるのです。

暖かい朝だと思ったけれど、午前中はまだ気温が上がらずに、昼前にはお客がないのでした。昼を過ぎてからやっとお客が入り始めて、次から次へと入れ替わり立ち替わり、テーブルやカウンターが埋まっていく。やはり温かくなって来たのか、午後は最近には珍しく10人を越えるお客があったのです。下げてカウンターの上に置いた盆や蕎麦皿を洗う暇もないほど、女将も亭主も嬉しい賑わいなのでした。最後のお客が帰ったのは2時過ぎで、生舟は空っぽ。

3時近くまで女将と二人で洗い物や片付けをして、やっと家路についたのですが、相変わらず空は青く雲ひとつないのです。20℃近くまで上がったと言うから、季節外れの暖かさなのでした。亭主の食べる蕎麦もなくなったから、昼を食べていなかったけれど、金柑大福の残りと柿を剥いてもらって食べたら、もう眠気の方が先で、そのまま5時過ぎまで眠ったのです。夕飯には亭主がお好み焼きを焼いて、それから蕎麦に出掛けてお新香を漬けてくるのでした。

12月11日 月曜日 突然、石垣島からのご来店で…

今朝も6時になったら蕎麦屋に出掛け、昨日の大量の盆や蕎麦皿を片付けたら、糠床からお新香を取り出して、小鉢に盛り付けるのでした。そして、明日のミニ忘年会の爲に、しばらく使っていなかった出刃包丁と刺身包丁を研いでおくのです。どんな魚が出ているか魚屋スーパーに行ってみないと判らないから、一応、二つだけ研いでおきました。イナダかアジか1匹で売っていれば、活き作りで出せるのですが、なかなか難しい。月に一度は自由に調理したい。

帰り道は家のガレージに車を前から入れる都合で、みずき通りを下まで下ってから家に帰る。寒さは感じないけれど、暗く曇った空なのでした。家に戻れば女将が朝ご飯の用意をしていた。刻み鮪を食べてしまわなければいけないと、今朝も豪華に手巻き寿司なのでした。明日の忘年会に使おうと思って仕入れたのに、鮪はもう残り少ないのです。まあ、家庭に比べたら蕎麦屋は食材の宝庫だから、他にも出すものは沢山あるので心配はない。

食後はひと眠りもせずに、女将が洗濯物を干すのに棘に当たってしまうと言うので、玄関脇のウチワサボテンを少し剪定した。どんどん上に伸びて大きくなっているから、そのうちノコギリで切らなくてはならないのでしょう。天麩羅にしても美味しいと聞くのですが、それがこの種類なのか心配で、まだ試したことがないのです。朝の気温は随分と高く、曇っている割には帽子もマフラーも要らないから不思議です。蕎麦屋までゆっくりと歩いて行くのでした。

幟を出したら、蕎麦打ち室に入って、今朝の蕎麦を打つ。加水率は昨日と同じく46%でした。伸す時に均等な厚味にするために、今日は90cmの伸し棒を使ってみた。これだと全体に圧力が行き渡り、長い部分が打ち台に当たって、左右の圧力が違っていると知らせてくれるのです。扱いやすいからと、60cmや75cmの伸し棒を使うことがあるのだけれど、これはあくまでも部分的な作業に使うもの。そんな反省から、今日は四隅も綺麗に載せて蕎麦切りも良好。

月曜日だから今日は8人分の蕎麦を用意して開店の準備をした。昼間ではお客もなく、やっといらっした宅配の若者が、今日は珍しくキノコつけ蕎麦の大盛りを注文する。その蕎麦を茹でている間に店の電話が鳴るけれど出られない。やっと蕎麦を出し終えたら、今度は携帯に電話が入る。見れば石垣島の海メロの奥さんからなのでした。ご主人の実家に帰っているらしく、今から4人で行くからと言うのです。予約は受けない霊犀亭だけれど、これは困った。

残る蕎麦は6.5人分だから、四人でいらっしてもあと二人はお客に出せるけれど、そう上手くはいかないだろうと、思い切って暖簾をしまって、幟を降ろすのです。1時を過ぎた頃に船長と奥様が、船長のお母様とお父様を連れていらっした。天せいろ四つの注文を受けたところで、駐車場に若い女性の車が入ってくる。「一人だから入れて上げたら」と船長に言われ、テーブルの四人にはサラダや蕎麦豆腐をお出しして、先に女性の天せいろを仕上げるのでした。

天麩羅は二人ずつしか揚げられないから、二人ずつ蕎麦を茹でて二回に分けてお出しした。詳しい話も出来なかったけれど、本来の閉店時間をだいぶ過ぎて、2時半近くまでいろいろな話をして、コーヒーを飲み終えてお帰りなったのです。石垣島でも随分と世話になったけれど、島で市内に行くくらいの時間だからと、利根川の向こうから車を飛ばして来るのにはいつも驚かされるのです。3時過ぎに賄い蕎麦を食べ、家に電話をして遅くなった理由を言えば、スポーツクラブから帰ったばかり女将が片付けを手伝いに来た。
12月12日13日 火曜日水曜日 昼から蕎麦を打つ定休日…

定休日の一日目、今日は久し振りのミニ忘年会だというのに、朝から雨が降っていました。それでも6時には蕎麦屋に出掛けて、返しを仕込んで出汁取りの準備をしておきます。今夜の料理の材料は昨日までに仕入れてあるから、普段の仕込みに加えて少しずつ夜の準備をするのです。これが楽しいと思うのはまだ時間があるから。朝食を食べに家に戻ったら、今日は脂の乗った塩鯖の焼いたのが出て、とても美味しくいただいたのです。

食後のお茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのでした。8時半には目覚めて、お袋様を迎えに行こうと洗面と着替えを済ませたところに、女将がやって来て今日は一緒に買い物に行くと言うのです。先週は何も残らなかったから、家の食材がなくなってしまったらしい。農産物直売所と隣町のスーパーに出掛けて、亭主は店の仕入れを、女将とお袋様は買い物をするのでした。二人をそれぞれ家まで送って、亭主は蕎麦屋に戻って午前中にひと仕事。

家に戻って昼食にカレーライスを食べて、眠かったけれど再び蕎麦屋に出掛けて、昨日は蕎麦が残らなかったから、昼に夜の忘年会用に蕎麦を打つ。打ち終えたら、車を置きにまた家に戻り、再度蕎麦屋に出向いて、今度はいよいよ夜の料理の仕込みに入る。前菜に三品、野菜のミニサラダと枝豆、そして刺身三種に天麩羅の具材や蛸の唐揚げ、串焼き、デザートなどを用意して、夕刻を待つのでした。珍しく女将が飛び入りで参加するのでした。

みんな同じ職場の仕事を勤め上げ、子ども達も中年の域で、孫達も元気で暮らしているのだとか。今は第二の人生を楽しく過ごしている老人たちは、一年一年ごとに老いを感じるのだと言う。料理を食べて蕎麦を茹でてやった女将も、昔からの顔馴染みの現在を微笑ましく聞いているのです。女将が帰ったその後も、延々と5時間近く杯を交わし、10本近くあった冷蔵庫の日本酒の小瓶が空になる。亭主は皆が帰った後に、皿や瓶をカウンターにおいて帰宅する。

定休日二日目の朝はは起きるのが大変なのでした。11時前には床に入ったのに、朝は女将に起こされる。あれだけ飲んだのに、楽しかったからか、二日酔いもないのが不思議でした。それでも身体が疲れているから、朝食を終えたら早めに蕎麦屋に出掛けて、ゆっくりと昨日の片付けにかかる。たった四人分だからわけもないことなのですが、洗い物を終えて、出汁を取り、後は午後に漬け物と野菜サラダの具材切りをすればもう4時半を回っていたのです。

12月14日 木曜日 今日も嬉しい常連さんたちのご来店で…

今朝も5時前に目が覚めて、居間の部屋でコーヒーを飲んでいました。まだ外は真っ暗なので、テレビのニュースを見て時間をつぶす。6時前になったら重い腰を上げて蕎麦屋に出掛ける支度をするのでした。最近は6時でもまだ辺りは暗く、夜明け前の東の空を写真に撮ろうとしたけれど、暗いので手ぶれが酷くて雰囲気だけ。厨房に入って糠床からお新香を取り出して、小鉢に盛り付ける。ついでに昨日漬けた大根のなた漬けも小鉢に盛っておくのです。

洗濯物を畳んだり、細々とした仕事をこなして、7時前には家に戻るのでした。食堂に入れば魚を焼いた良い匂い。今朝は鰺の開きと豚汁でご飯を美味しくいただくのです。食後は書斎に入ってひと眠りの亭主。ゆっくり1時間は眠ってしまったから大変です。急いで洗面と着替えを済ませて、蕎麦屋に出掛けるのですが、店に着いたのはもう9時を過ぎていました。幟と看板を出して、蕎麦打ち室に入れば、気持ちがシャキッとしてやる気十分なのでした。

今朝も加水率46%でちょうど好い硬さの生地に仕上げて、蕎麦玉を寝かせている間に厨房に戻り、生姜や大根をおろして薬味の葱を刻みます。再び蕎麦打ち室に入って、伸し棒で蕎麦を伸していく。四隅が綺麗に決まったら、八つに畳んで包丁切り。奥行きがあったから今朝は切りべら24本で140g。これを八回繰り返して、八束の蕎麦を生舟に入れるのでした。時計を見れば10時を回っているから、何処かで急がなくては開店時刻に間に合わない。

金柑大福を今日は三皿だけ作って、野菜サラダもいつもと同じく三皿盛り付けておきます。ポットにお湯を入れ、天麩羅鍋に油を注ぎ、テーブルを拭いて回ったらもう開店の時刻になっていた。幸いにまだお客が来ていなかったから、急いで暖簾を出すのでした。嬉しい事に女将が早めに来てくれたから、亭主はやっとひと休み出来たのです。その5分後には習志野からの常連さんがいらっして、娘さんの運転する外車が駐車場に停まるのでした。

時を同じくして、何時も歩いていらっしゃる男性客が玄関を開ける。先の親子が天せいろのご注文だったから、天麩羅の準備をしていたら、後から来た男性客はビールと鴨せいろの大盛りを頼まれたのです。鴨肉を解凍している間に天麩羅を仕上げて、蕎麦を茹でるのです。その間にまた玄関が開いて、橋の向こうの常連さんがご来店なのでした。女将がいなければもうお茶も出せないのです。皆さんがお帰りになったのは12時半過ぎで、それからは暇なのでした。

12月15日 金曜日 寒い曇り空の日…

今朝は寒さでなかなか床の中から出られなかった。エアコンのタイマーをセットしているのだけれど、その前に一度目が覚めてしまうからもう一度眠ったのでした。再び目覚めればもう7時前。朝食の時間なのでした。朝飯前のひと仕事に、蕎麦屋に行かなかったので今朝は早めに家を出ました。蕎麦打ちを終えて、大根をおろし、薬味の葱を刻んだら、早速、金柑大福を包む。そして、野菜サラダの具材を刻むのです。これで何とか開店前に仕事を終える。

こんな曇り空の寒い日には、お客は来ないだろうと思って店の椅子に隅に座って、1時間ほど待っていたけれど、やはりお客は来ないのです。仕込みもあるから始めてしまえば好いものを、いざお客が来ると中断されるからと躊躇ってしまう。それでも南瓜を切って天麩羅の具材にしたり、豚のハラミを解凍したり、少しは明日の準備をするのです。金柑の種を取って甘露煮にするのは、時間がかかるから手を付けられなかったのです。

午前中は小雨交じりの曇り空でしたが、午後は雨は降らずにどんよりと曇り空だけ。風かないので店の幟も元気がなく、まるで亭主の心境そのもの。1時過ぎにやっと車が駐車場に入って、若い女性がお一人でご来店なのでした。誰もいないからテーブル席にどうぞと案内する。BGMが流れる静かな店内には、蕎麦を啜る音だけが聞こえる。温かい汁のぶっかけ蕎麦を頼まれたけれど、昼前に作った野菜サラダをサービスでお出ししたら、綺麗に食べて下さった。

帰りがけに、「お花をもらってもらえますか」と言われて、玄関を開けたままで待っていたら、車からカサブランカの花の部分だけを集めた花束を持って来て下さった。早速、蕎麦焼酎用の徳利に入れてカウンターに飾るのでした。こんな日もある金曜日。家に帰ってハソコンに向かい、今日の写真と売り上げを入力したら、横になってひと眠りするのです。5時前に起き出して、軽く夕飯を食べたら、夜のプールに出掛けて行く亭主なのでした。

12月16日 土曜日 昼の気温が20℃を越える異様な暖かさ…

今朝は朝から随分と暖かなのでした。6時過ぎに蕎麦屋に出掛ければ、まだ陽は昇らない。昨日、お客にいただいたカサブランカの一輪が、もう花を開いて好い香り。朝飯前のひと仕事は、まずカウンターの上に干してある盆や椀を片付けて、金柑の甘露煮を作る事でした。3パックで30個以上あるから7時までに終わるかと心配したのです。水洗いしたら、半分に切って種を取っていくのがひと苦労。酢水で茹でて氷砂糖を溶かした密で煮込んでいきます。

800ccの瓶にひとつ半取れて、綺麗な色に仕上がりました。これで年内は金柑大福を作り続けられる。白餡と白玉粉の方がストック分が少ないので、次の仕入れでは買ってこなければいけない。外は明るくなってきたけれど、夕べの強い風で駐車場のモミジがすっかり散ってしまいました。家に帰って女将の用意してくれた朝食を食べ、書斎に入って30分ほどひと眠りする。「今日も宜しく、行って来ま~す」と玄関を出て、再び蕎麦屋に出掛けるのです。

蕎麦打ち室に入って今朝は500gだけ蕎麦を打つ。昨日の蕎麦が生舟に沢山残っていたので、合わせて13食あれば十分だろうと思ったのです。最近は加水率46%で蕎麦を打っているのですが、これがやはりこの時期一番仕上がりが好く出来る。蕎麦切りの際も包丁にくっつくこともなく、綺麗に仕上がるので助かります。これがもう少し水が多いともう上手く切れないから、その差が微妙なのです。女将が来て、玄関にまで散り飛んだモミジを掃いてくれていた。

今日は暖かいからか開店前からお客が入り、入れ替わり立ち替わり沢山のご来店。それが一度に来なかったので、天麩羅を揚げるにはちょうど好い間隔なのでした。続けて天麩羅を揚げると、降ろしたばかりの油も疲れて美味く上がらない事があるのです。7人入って1時半になったから亭主は賄い蕎麦を茹でて食べようとしたら、駐車場に車が入ってくる。奥の座敷で素早く蕎麦を食べて厨房に戻れば、まだ女将が注文を聞いているところなのでした。

最後のひと組だったけれど、天せいろやせいろの他に、日本酒を頼まれて白エビや赤いかの天麩羅を注文するのでした。一度片付けに入ったボールや天麩羅の具材をまた取り出すのでした。閉店時間の2時を過ぎるまでゆっくりと食べて行かれた。今日はお客が重ならなかったから、合間に洗い物が出来たので、3時前には家に帰ることが出来ました。亭主はひと眠りして早めに軽く夕食を食べて、夜の防犯パトロールに出掛けたのです。1日で7000歩。ちょうど好いか。暖かいので汗ビショで家に戻ったのです。
12月17日 日曜日 昨日よりも10℃も低い北風の日…

午前6時過ぎの空の様子は、青空も少し覗いてはいるけれど雲が多いのでした。北風がとても冷たく、昨日の暖かさがうそのよう。朝飯前のひと仕事は、カウンターの上に干した盆や蕎麦皿を片付けて、空になった蕎麦徳利に蕎麦汁を補充する。そして、今日の小鉢に盛り付けるために、切り干し大根の煮物を作るのでした。実は、夕べお新香を漬けに来ようと思っていながら、夜の防犯パトロールがあったりで、ついつい忘れてしまったのです。

7時過ぎに家に戻れば、今朝はハムエッグに大根と鶏肉の煮物、大根の葉とじゃこのお浸しに豚汁が付いていた。寒い朝だから暖かい食べ物が美味しいのです。食べ終えたら居間の椅子に移って、ストーブを点けて暖まる。お茶をもらったら、書斎に入ってひと眠りするのです。朝ドラの終わる時刻に目が覚めて、着替えと洗面を済ませたら、最後の一服をして家を出る。帽子もマフラーもなかったから、ちょっと寒かったけれど陽が出ているのが救いなのでした。

蕎麦屋に着いて朝の仕事を終えたら、まずは厨房に入って今朝ほど作った切り干し大根の煮物を小鉢に盛り付ける。なた漬けの小鉢がまだあるから、これで今日の分は十分。9時過ぎに蕎麦打ち室に入って、今日の蕎麦を打つ。加水率は46%。このところこれで上手い具合に仕上がっている。今朝は少し生地が柔らかくなって、薄く伸したから、細い蕎麦が出来上がる。毎日、同じようには行かないのが、手打ちの好さなのか。細い蕎麦の好きなお客もいるからね。

しかし、ぴったり46%で打ち始めたのに、どうして柔らかさが昨日と違うのだろうか。これは永遠の謎なのです。湿度や室温にも多少は影響されるけれど、今日は寒いから逆に硬くなっても好さそうなのです。まあ、あまり神経質にならないで、切りべら26本で140gの蕎麦を8束打ち終えて、昨日残った3束と合わせて11食分の蕎麦を用意して、今日の営業に臨むのです。日曜日にしては少ないけれど、この寒さだからそれほどお客は見込めないと思ったのです。

暖簾を出す開店の時刻の15分前に、お客の車が駐車場に入ったから、仕方なく店の中に入って頂いたけれど、まだ準備が終わっていないから、お茶だけお出ししますと言えば、もう注文を始めるから気が早い。金柑大福を包んでいた亭主は、少しむっとして女将に当たるのです。蕎麦を茹でてお出ししたところで、女将がやっと暖簾を出すのでした。その後で、いつもなら一番乗りのカレーうどんの小父さんご夫婦がいらっして、キノコつけ蕎麦とカレーうどん。

ご夫婦が珍しく今日は少し話をして行かれる。ご主人はここのカレーうどんは何処よりも美味しいと褒めて下さる。毎回、カレーうどんとハラミの串焼きばかりを頼まれる。奥様は今日はキノコ蕎麦のご注文なのでした。寒いから暖かい汁物が欲しかったのかも知れない。あら鋳物も終えて、それから1時間はお客が来ないので、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を食べてしまう。1時半を過ぎた頃になって、今日は三人でご家族がいらっしゃったのです。

お年寄り夫婦と娘さんらしい女性が別々の車でやって来て、娘さんは年老いたお母様の隣に座って世話をする。最近、亭でもこうした光景はよく目にするのです。同じく年老いたご主人が、閉店の時刻を過ぎて申し訳なさそうに挨拶をするのでした。お客の食べている間に亭主は鍋や釜を洗い、女将も洗い物を片付ける。二人で家に帰ったのは3時前で、それから女将は美容院に出掛けていった。亭主は昼寝もしないで、テレビの映画を観てゆっくりとする。
12月18日 月曜日 今日も寒い北風が吹いて…

夕べは11時まで起きて眠ったのだけれど、朝の6時までまったく寝覚めることがなかった。夜の9時にモヤシラーメンを作って食べたこと、暖かい下着を着けて寝たこと以外には、普段と変わったことはなかったのですが、気持ちよく目覚めて、朝飯前のひと仕事に出掛けるのでした。6時半近くになるというのに、まだ日の出には早いのです。カウンターの洗い物を片付けて、コーヒーを入れて一服する。週の最終日だから、特に何もすることはないのです。

帰り道に1㎞先のコンビニまで車を走らせて、煙草を買って家に帰る。食卓にはいつもと同じ豚汁と、銀ダラの煮付けが並んでいました。大根も薩摩芋も、先日蕎麦屋のミニ忘年会に来た旧友が実家の畑で作った物で、土産にくれたものなのでした。大根が柔らくて甘いと女将も絶讃するのです。豚汁が美味しいので、銀ダラの煮付けの影が薄くなってしまう。朝から美味しいものを食べて、元気が出るから嬉しい。食後のひと眠りもせずに蕎麦屋に出掛けていく。

今朝は500gを打って終わりにするはずなのでしたが、何をどう間違えたのか、加水を750g分用意してしまって、篩を掛けた蕎麦粉に水を注いだところで、おかしいと気づいたのです。慌てて蕎麦粉を足して、結局、750gの蕎麦を打つことになりました。蕎麦粉9割の蕎麦になったのです。それでも、切りべら26本で140gの蕎麦を打って、無事に今朝の蕎麦打ちを終えるのでした。年に一度ほどは、こうした間違いがあるから、決して呆けたわけではないのです。

野菜サラダの具材を刻んで、11時にはもう開店の準備が整うのです。昨日よりも外が寒いからなのか、店の中にいてもくしゃみや鼻水が止まらずに、難儀したのです。暖簾を出してお客を待つのだけれど、一時間経っても客は来そうになかった。この北風の寒い日では、晴れているとは言ってもお客は来ないのです。やっと1時近くになって車が一台、駐車場に入ってくる。会社員風の二人連れが、カウンターの隅に座って注文をするのでした。

せいろ蕎麦の大盛りと温かい汁のぶっかけ蕎麦。直ぐに作ってお出しすれば、食べるのも早く、直ぐにお会計となるのでした。今日はお客がゼロかと思っていたから、ひとまず安心したのです。この寒さでは後が続くはずもないと、亭主はかき揚げを揚げて賄い蕎麦を茹でて食べておく。1時半を過ぎた頃に、歩いて3人の老人がやって来た。天せいろを三つご注文で、耳の遠いご主人が、壁に掛けてある蕎麦屋の由来を読んで、亭主に質問をするのでした。

その姉だという女性が、書道をやっていたらしく、なかなか好い字だと褒めちぎる。最近、亭主と同じ町内に越してきたのだと言うから、いろいろと話が弾むのでした。閉店時間を過ぎて、やっと店を出る。亭主はそれから一人で洗い物を片付ける。女将は今日は歯医者へ行くと言っていたから、助けには来てくれないのです。帰る荷物をまとめ、洗った物を綺麗に片付けて、家に帰ったのは3時半を過ぎた頃なのでした。今日は夜のプールをお休みにした。
12月19日 火曜日 今朝は真冬の寒さで…

今朝は6時半に家を出て、7時まで30分間の朝飯前のひと仕事。空はどんよりと雲が厚く覆い被さって、寒さもいつになく厳しかったのです。まずは昨日の洗い物を片付けて、洗濯機の中の洗濯物を干し、奥の部屋に溜めてあった段ボールの箱を潰して紐で縛る。新聞のストックを袋ごと結んで、それぞれ車の中に入れておきます。最後に午前中に出汁を取れるように、昆布と干し椎茸を鍋に入れ、水を加えてガスレンジの上に置いておく。これで30分は凄い。

家に帰って女将に話せば「目的を持って動けば早く終わるのよ」と、いつもの彼女の朝の仕事ぶりを思い出させるのでした。今朝も食後のひと眠りをしないで、蕎麦屋に空になったタッパなどを運んでから、お袋様に電話をして迎えに行く。「イヤー寒いね」と言って車に乗り込んだ彼女は、先週はお客が少なかったかと心配そうに尋ねるのでした。「寒くなった割にはまずまずの入りだった」と、年寄りのお客は付き添いの娘がいたりと話をするのです。

店に戻って野菜類を冷蔵庫に収納したら、5㍑の鍋に湯を沸かして、小松菜を茹で、タッパに入れて急速冷凍しておく。次に出汁を取って蕎麦汁を作り、二番出汁で天つゆとストック分を容器に入れて、それぞれ水で冷やし、冷蔵庫に保存するのです。11時半になるから、家に戻って昼飯を作らなければ。女将が下準備を終えて、後は亭主が蕎麦を茹でるばかりにしてくれていました。今日は業者が持ってきたごまだれで天せいろを食べる。値段が高いから…。

食後はさすがに書斎に入ってひと眠り。1時半過ぎに目覚めて、蜜柑を食べて目を覚ます。仕事部屋で書を書いていた女将に声を掛けて、また蕎麦屋に出掛ける亭主。朝はまだ開いていなかった黄色のカサブランカが、見事に花を咲かせていました。辺り一面にユリの香りが漂っていたのです。午前中に使って洗った鍋類を片付けてから、コーヒーを入れて次の段取りを考える。目の前に漬けてある大根の塩漬けはもう水が上がっていたので、まずはこれから。

漬け物器の水を絞って、大根を大きめのタッパに入れたら、甘酒の素を注いで、砂糖を加える。十分に伸び広がったところで、唐辛子の種を取り、輪切りにして散らす。そして、柚子を皮の黄色い部分だけを残して千切りにしていきます。これで小鉢のひと品目を仕込む事が出来ました。明日の午後にぬか漬けを漬けたらもうひと品出来ることになるのです。まだ時間が早かったから、レンジ周りの掃除をして、明日の仕込みに備えるのでした。
