4月1日 土曜日 今日はよく晴れて暖かかった …

今朝は少しヒンヤリとして日の出前から紫色の靄が出ていた。朝飯前のひと仕事に蕎麦屋に出掛ければ、もう桜は終わりらしく、あちらこちらに花吹雪が舞っていたのです。今週は平日に連日10人以上のお客があったから、朝飯前のひと仕事も5時半に家を出て7時まで厨房で頑張る。蕎麦汁の徳利は空だし、小鉢は出尽くしているし、やることは沢山あるのです。鴨せいろも随分と出たから、夕べプールの帰りに買ってきた小松菜を茹でて用意しておく。

やっと家に戻って朝食を食べたら、もう眠くなって30分ほど書斎で横になる。朝ドラの終わる時間には洗面と着替えを済ませて、玄関を出れば、庭の片隅に釣鐘水仙の蕾が出ているのでした。女将が「今年もまたお婆ちゃんからもらった花が芽を出しているのよ」と言っていたのはこのことだった。もう何十年になるのか、毎年、庭のあちこちで咲いてくれるのが嬉しい。「主なしとて春を忘るな」と102歳まで生きた祖母の花を愛する気持ちが伝わってくるようだ。

蕎麦屋に着いて朝の仕事を終えたら、昨日の午後に打った蕎麦が少し残っていたけれど、今朝は750g 8.5人分と500g 5.5人分を打って、16食の蕎麦を用意するのでした。加水率は44%。捏ねて丸めた蕎麦玉を寝かせている間にも、天麩羅の具材を切り分け、レンコンを茹でて、南瓜をレンジでチーンする。蕎麦切りは順調で、切りべら26本で135g。大根や生姜をおろしたり、やることが多すぎて休む暇がない。女将もいつもより早く来てくれて忙しく働く。

女将が早お昼を食べに家に帰っている間に、亭主は厨房に戻って金柑大福を包み、野菜サラダの具材を刻むのです。天麩羅鍋に新しい油を注ぎ、天つゆの鍋を火にかけて、大釜の湯が沸いたので、四つのポットにお湯を満たす。やっと開店の準備が整ったのはもう5分前なのでした。暖簾を出せば、昼前にはもう二組のお客がご来店で、皆さん天せいろやぶっかけ蕎麦で天麩羅ばかりが随分と出る。午後も天せいろばかりが出て、他のメニューは注文がなかった。

ミニ菜園で採れたばかりのタラの芽をサービスで天麩羅にして、お出しすれば、季節を知る人は喜んでくれる。洗い物をする暇がある間隔でお客が来たから、今日は随分と助かったのです。後片付けを終えて2時半には女将と家に戻るのでした。「出汁を取らなくて好いの?」と女将に言われて、鍋に昆布と干し椎茸を浸けて帰ったのが正解で、夕食後に出汁取りと蕎麦汁の仕込みにまた蕎麦屋で1時間半の仕事をする。忙しかったはずの昔はもっと体力があったのか。

4月2日 日曜日 9年目の開店記念日は …

5時半になったら家を出て蕎麦屋に向かう亭主。今週はずっとこの習慣が続いています。朝飯前のひと仕事もやることが多すぎて、カウンターに干しておいた昨日の洗い物を片付けてから、珈琲を入れて飲みながら、今日の天麩羅の具材を切り分ける。足らなかった南瓜やピーマン、ナスは昨日の夜のうちに仕入れに出掛けた。連日10人を越えるお客が来るので、何もかにもが足らなくなってくる。今日は日曜日だから尚更のこと、お客が多いかも知れない。

ピーラーで蓮根の皮を剥いたら切り分け、酢水で茹でる。その間に昨日のうちに作っておいた蕎麦汁を、空になった徳利に補充しておくのです。15個あった徳利も二つ割ってしまい、残りの一つは家で補修中。一つ4000円の代物だから、なかなか買い足せないでいるのです。大盛り用の徳利は沢山あるけれど、どういうわけか昨日は大盛りが出なかった。冷蔵庫に収納したら、レンコンを水で洗ってタッパに入れる。10個もあれば足りるだろうと考えたのです。

家に戻って朝食を済ませ、亭主は書斎に入って30分だけ眠ることにしている。頭の中も身体もリセットしないと、次に続けて仕事が出来ないのです。「行って来ま~す」と玄関を出れば、昨日の釣鐘水仙の隣に十二単がもうは花を咲かせていた。春の足音は早く、もう初夏の花が咲き始めているのです。蕎麦屋に着いて看板と暖簾を出したら、駐車場のチェーンポールを降ろして歩く。今日は750gだけ打って15食の蕎麦を用意する予定でいる。

捏ねた蕎麦粉を蕎麦玉にして、寝かせている間に、今日が誕生日の友だちにメールで「古稀の誕生日おめでとう」と送っておいた。もう60年来の付き合いなのです。蕎麦玉を伸して包丁切りをしようと思ったら、今日はどういうわけか生地が柔らかい。女将がやって来て「今日は湿度があるのじゃない?」と言うから、湿度計を見ればなんと60%。切りそろわずに生舟に入れて、こんな日もあるのかと後悔するのでした。庭に出てコゴミとタラの芽を採ってくる。

これが案外と役に立って、お客が立て込んだ昼の終わりに、天麩羅の具材のレンコンがなくなったから、急遽、山菜の天麩羅を添えて出すのでした。開店の1時間以上も前に、家族のために自転車でやって来た親父様がいたから、店の中に入ってもらい、お湯を沸かしてお茶だけ出して、亭主は野菜サラダの具材を刻む。お客は昼前から次々といらっしゃるのでした。コロナ禍以後では初めての多い人数なのでした。15食の蕎麦が綺麗になくなったのです。

食器を洗う暇もなく、女将と二人で洗い物にかかるのでしたが、売りきれの看板を出してもまだお客が入って来たので、天麩羅の具材はレンコンがないと断って、山菜の天麩羅を付けて天せいろを出したのです。それでも何とか3時には後片づけが終わって、家に戻るのでしたが、珍しく女将が「疲れたわ」と言うのでした。亭主は長過ぎる昼食にピザトーストを焼いてもらって、小岩井の牛乳と一緒に食べたらまたひと眠りなのです。女将は散歩に出掛けたらしい。

開店9周年のお祝いにと、夕食には寿司を買ってきて、食べ終えたら亭主は疲れ果ててまたひと眠り。風呂の時間に目覚めて、風呂に入ったら、また蕎麦屋に出掛けて明日の準備をするのでした。さすがに片付け物も多すぎて、蕎麦汁を補充してもう終わり。明日の朝は、天麩羅の具材切りから始めなければならない。小鉢が全くないから、ワカサギの南蛮漬けでも作ろうか。疲れ果てるけれど、何故か楽しいのが蕎麦屋の営業なのです。

4月3日 月曜日 今日は昼過ぎでもうお蕎麦売り切れ …

今朝はあまりに疲れて起きられなかった。朝食を終えて朝ドラの始まる前に家を出て、蕎麦屋に着いたらすぐに蕎麦を打ち始めるのでした。800g9人分の蕎麦を44%の加水率で捏ね、蕎麦玉を寝かせている間に、小鉢に盛り付けるワカサギの南蛮漬けを作っておく。南瓜の従姉妹煮は、あと二鉢分しか盛り付けられなかったのです。お客が来なかった場合に備えて、南蛮漬けも二鉢だけ盛り付けて、残りはタッパに入れて冷蔵庫で保存する。

蕎麦を打ち終えて9束の蕎麦と、残りを最後まで丁寧に切って、昨日残った半分の束と合わせて、10束の蕎麦を用意した。厨房に戻って、天麩羅の具材を切り分けて、レンコンも7枚だけ茹でて用意しておく。時間が押しているから、今日の金柑大福は二皿だけ、野菜サラダも二皿だけの準備で終わらせる。この決断には勇気が要ったけれど、月曜日には客が多くてもあまり出ることはないのです。開店の時間に間に合わせて、湯も沸いたし、テーブルも拭いた。

暖簾を出せば、すぐに近くの常連さんがいらっして、ビールとカレー蕎麦を頼まれる。ビールと突き出しの枝豆を運んだところで、次のお客が入ってカウンターに座る。お茶を出して注文を聞いている間に、また3人連れの背広姿のお客が入った。ここまでは順調に注文伝票を書いて、調理に入ったのですが、続けて、お子さんを連れたお母さんがテーブルに座ったけれど、「今、お茶をお持ちしますから…」と言って最初のカレー蕎麦を運ぶのでした。

混んできても、順番にしか作れないので、慌てないことが大切だとは判っていても気が急くのです。鴨せいろの大盛りを二つと天せいろを頼まれたから、カウンターの男性客の天せいろと一緒に、天せいろだけを先にお出しする。鴨肉は解凍してあるし、長葱も焼いている。やっとお母さんと娘さんにお茶とお水をお出しして、注文を聞けば天せいろとせいろ蕎麦。すると玄関が開いて、カウンターのお客の連れらしき若者が二人もいらっしゃる。12時10分過ぎ。

これで今日の蕎麦はもうなくなったから、売りきれの看板を出すのでした。天せいろ二つを出して、鴨せいろも二つ出したら、今度はせいろ蕎麦と天せいろ。後からいらっした若者は、せいろ蕎麦とキノコつけ蕎麦のご注文で、全部出し終えたのが1時少し前なのでした。駐車場は車で満杯なのに、「他に駐車場はありませんか」と玄関を開けて聞きに来るお客もいる。入れずに帰るお客もいました。嬉しいけれど、能力の限界を知って、1時半には暖簾をしまう。

今週のお客は50人を越えたから、コロナ禍の以後初めてのことです。少しずつ、混む人数にも、対応できるようにはなってきたけれど、まだまだ以前のようにはいかない。毎月、人件費の赤字を覚悟で、人を雇っていたころが懐かしくはある。でも、今はそんなことも言っていられないのです。近くに住む前のスタッフが、また筍を持って来てくれた。お袋様の分までいただいたから、すぐに電話をすれば、洗い物を手伝ってくれるのでした。3時には家に戻れた。
4月4日 火曜日 好く晴れて暖かな一日でした …

忙しかった一週間分の疲れが溜まったのか、夕べは10時には床に就いたのに、今朝の6時過ぎまで目が覚めなかった。仕入れに出掛ける日だけれど、朝食を終えて8時前には家を出て蕎麦屋に向かうのでした。カウンターに並べた昨日の洗い物を片付けて、残った再仕込み醤油のある分だけで、返しを仕込んでおく。次に再仕込み醤油が届くのは木曜日だから、出汁を取っても蕎麦汁は仕込めないのです。そして、白菜の塩漬けを仕込んでおきました。

そのままお袋様に電話をして、一緒に今朝の仕入れに出掛ける。農産物直売所には、まだトマトも来ていなかったから、生椎茸やアーリーレッドと知り合いの農家のホウレン草を買って、隣の町のスーパーに行く。朝が少し涼しかったからか、駐車場は空いていて、買い物リストに載せた品物はすべて買うことが出来た。蕎麦屋に戻って買い足した白菜を漬け足して、先週の油を固めたものをゴミ袋に入れて出す。今日は週に一度のゴミの回収日なのです。

昼飯には冷凍のうどんを茹で、先週残った野菜類を全部使って焼きうどんを作る。食べた後は書斎でひと眠りなのでした。「天気が好いから布団を干そうと思うのだけれど」と女将は言うが、「今日はゆっくりと寝かせて欲しい」と断って、1時間あまり眠るのです。女将のスポーツクラブの予約の時間までには目が覚めて、珈琲を飲んで午後の仕込みに蕎麦屋に出掛ける。うっすらと雲がかかっていたけれど、陽射しは強くなり、金木犀の新芽が伸びたのがよく判る。

午後の一番は出汁取りの準備に、干し椎茸と昆布を鍋に入れて水を満たしておく。明日の朝にでも出汁を取ろうと思うのです。次にミニ菜園に出てベイリーフを採るついでに、コゴミとタラの芽の様子を見に行けば、もう伸びているではありませんか。ビニール袋に一杯採って厨房に戻る。カレーの具材を取り出して、ナスと鶏肉を炒めたら、野菜を刻んで煮ていくのです。その間に昨日貰った筍を切って、出し汁と出汁醤油で煮込む。

定休日には珍しく、女将がやって来て、割り箸を袋に詰める作業を始める。「木曜日と金曜日の分ぐらいはあるわね」と、また帰って行った。最近は、お客が多いから、用意した箸がもう一本もなかったのです。細かな所に気が付いてくれて有り難い。夜は今日買って帰った鰯を焼いて、筍の若草煮と一緒に食べるのでした。焼酎のライム炭酸割りを作っての飲むけれど、おかずが合わないから、あまり美味しくなかった。身体が疲れているのだろうか。

4月5日 水曜日 曇りだと言っていたけれど …

定休日の二日目は、少しは身体の疲れが取れたらしく、5時半には目覚めて蕎麦屋に出掛ける。風は少し冷たいけれど、薄い雲が紫色にたなびいて、清明(せいめい)の朝にふさわしい雰囲気なのでした。まだ日の出る前だから、今朝が曇りだか晴れだか判らない。それでも西の空には青空が見えるから、天気予報通りに朝のうち晴れなのだろうか。厨房に入ってひと仕事をすれば、東の森の影から朝日が昇ってくる。まだ6時前だから随分と日の出も早くなった。

朝飯前のメインは何と言っても出汁取り、蕎麦汁の仕込み。昨日なんとか少しだけ返しを作ったから、先週の残りと合わせて4㍑あまりの蕎麦汁が取れた。空の蕎麦徳利に蕎麦汁を満たして、さらに鍋一杯分あるから、今週の前半はこれで持つ。二番出汁も5㍑の鍋で追い鰹で取って、天つゆと温かい汁の他に4㍑分はストックしたのです。鍋を洗って、洗濯物を畳んだら、家に戻って朝食を食べるのでした。食後は書斎でひと眠り30分。また蕎麦屋に出掛ける。

レンジ周りがあまりにも汚れていたから、重曹を振りかけてお湯を撒く。しばらく置いてから金タワシで軽く擦れば、見違えるようにピカピカになるのです。後ろ側にもレンジがあるけれど、こちらは蕎麦を茹でるだけだから、油汚れではないので、洗剤で洗って汚れを落とす。綺麗になったところで午前中の仕込み。時間のかかるレンコンの皮を剥いて酢水で茹でている間に、南瓜を切り分けてレンジでチーンするのです。更に蕎麦豆腐を仕込んでひと休み。

11時には昼の支度があるので、家に帰らなくてはと思いながら、キノコ汁の仕込みを始める。1㍑ほどの二番出汁に鶏肉とナメコを入れて火にかけ、舞茸、シメジ、エノキを入れて、塩味を付ける。これで4、5人分のキノコ汁が出来るのですが、天麩羅用の生椎茸は小さな物を抜いて、こちらの鍋に入れてしまいます。後は食べる前に蕎麦汁を加えて出来上がり。キノコも火が入ると縮むから、予備のキノコ類は冷凍してあるのです。

女将の待つ家に戻って、野菜たっぷりのカレー炒飯を作る。キノコ汁を出汁を取って薄めてくれたから美味しい。食後は書斎に入って横になるのだけれど、眠ったのかどうかも判らないほど浅い眠りなのでした。女将は2時間も前にスポーツクラブに出掛けていく。歩いて30分、1時間近くはストレッチをして、開場を待つのだそうな。だから、昼食は早いほど好いのです。亭主も早い時間に蕎麦屋に出掛けて、午後の仕込みをするのでした。

夜は地域の防犯パトロールがあるので、お新香や筍の小鉢の盛り付けは明日の朝にして、天麩羅の具材を切り分けるだけ。すぐに終わって玄関を出れば、雀が一羽だけ電線に止まって、ピーチクと大きな声で鳴いているのです。巣立ったばかりの小雀なのか、近づいても逃げていかない。今日は結果的に一日中、雲はあったけれど晴れていた。駐車場に停めてあった車の温度計が、27℃にもなっていたから驚きなのです。女将の帰る前に家に戻ったのです。

4月6日 木曜日 今日は目まぐるしい天気の変化で …

曇りだという天気予報だったのに、朝から雨が降っていました。傘を差して蕎麦屋まで歩き、朝の仕事を終えたら厨房に入って、小鉢を盛り付けるのです。筍の煮物に削り節を載せて5鉢、白菜の漬け物を7鉢用意して、今日の蕎麦を打ち始める。750gではちょっと心許なかったので、600gを二回打つことにしました。ちょうど6人分ずつ二回で12人分と、端切れが120gほどになり、上手い具合に足りれば好いのだけれど。蕎麦打ちが終わるまで雨は降っていた。

きっちり水回しをしたつもりなのに、最初の蕎麦玉は44%の加水でも包丁の刃に蕎麦がくっついてしまう。二回目の蕎麦は同じ加水でも綺麗に切り整って、エッジの効いた蕎麦が仕上がるのでした。何が原因なのかと思案しながら、厨房に戻って金柑大福を包むのです。今日は金柑大福も野菜サラダもすべて売れて、気持ちが好かった。雨は何時の間にか止んで陽が差したり、雲が出て日が翳ったりと目まぐるしい天気の移り変わりなのでした。

それでも南風だったから店の中は暖かく、昼過ぎには窓を開けていても20℃まで上がったから、暖房は入れなかったのです。暖簾を出してすぐに近くの常連さんが「今日は若い人を連れて来ました」と天せいろ二つとビールを頼まれる。続けて好くいらっしゃるお婆さんが、カウンターに座ってヘルシーランチセットのご注文。まだ12時前だったから、早く女将が来ないかと気が急くのです。続けていらっした若い女性二人が、天麩羅蕎麦と鴨南蛮蕎麦のご注文。

やっと女将が来てくれて、亭主は天麩羅を揚げて鴨を焼くのでした。駐車場はもう満杯で、入れ替わり立ち替わり、お客が入るのです。青空が見えて陽も差してきたかと思えば、また曇り空。女性客は食べるのもゆっくりだから、次のお客が来るまでに、前のお客の盆や蕎麦皿を洗うことが出来る。最後にいらっしたのは、いつもせいろ蕎麦と野菜サラダを頼む老人でした。ゆっくりと食べて寛いだら、「ご馳走様でした」と帰って行かれた。

2時半には家に戻って、女将の剥いたデコポンを食べる。彼女はさらにヨーグルトを食べていた。夜は常夜鍋にすると決めたところで、亭主は書斎に入ってひと眠りする。5時前に蕎麦屋に戻って、洗い物を片付け、明日の小鉢を盛り付けておきました。飛べない雀が今日も一羽電線に止まっている。夕食を食べたら時間があったので、夜のプールに出掛けることにして、ゆっくりと泳いで来るのでした。明日はどうなるのか、心配で仕方がないけれど … 。
