2022年12月中旬

12月13日 火曜日 冷たい雨の降る朝でした …

 定休日だと言うのに朝の5時前から目が覚めて、早朝のニュースを見終え、冷たい雨の降る中を蕎麦屋に出掛ける亭主。昨日の洗い物を片付けて、出汁取りの昆布と干し椎茸を鍋に浸したら、白餡造りを始めるのでした。以前は、一晩水に浸けて湯がいた大手亡豆の皮を剥き、濾していたけれど、同じ値段で手に入る冷凍白餡なら、時間と手間が省けるから、最近はスーパーで袋に入って凍ったものを買い求めてくるのです。水と氷糖蜜とで解凍して煮詰めていく。

 煮詰めきるまでに時間がかかるから、今朝も途中で止めて家に帰るのでした。コンビニに寄り、煙草と夜の酒のつまみを買って、7時過ぎには食卓に就く。今朝は塩鮭の焼いたものが出た。長女が年明けには夫婦の古稀のお祝いだからと、他の海産物と共に送ってくれたもの。国内産らしく身はしっかりとしていたけれど、昔ながらのしょっぱい味なのでした。半身で切り分けられてパックしてあるから、頭の部分は三平汁にでもしようかと話していたのです。

 朝食を終えていつものことながら亭主は、書斎に入ってひと眠りする。お休みの日だから緊張がほどけて、たっぷり1時間は眠ってしまったから、お袋様に電話をして仕入れに出掛ける時間を少し遅らせてもらった。雨の中を傘も差さずに車に乗り込みながら「寒いねぇ」と言って、農産物直売所に向かうのでした。いつもより時間が遅かったからか、野菜類が随分と並んでいました。顔見知りの農家の奥さんが「いつも買ってくれて有り難うございます」と挨拶。

 隣町のスーパーも雨だからか空いていました。今日はキュウリが少し細い物ばかりだったけれど、40品目近い買い物メモの食材を全て揃えて帰る事が出来ました。蕎麦屋に寄ってお袋様に昨日残った蕎麦や大福などを持たせて、家まで送ってまた蕎麦屋に戻る。昼までにはまだ時間があったので、白餡を煮詰めながら大根のなた漬けの仕込みをするのでした。今年は大根も豊作らしく、太くて長いものが1本77円で出ていたから、2本も買ってきたのです。

 冷たい雨は昼になってもまだ降り止まず、昼食の時間に家に戻れば、女将が鍋に湯を沸かして天麩羅をグリルで焼いてくれていた。居間のテーブルの上には、彼女のスマホと予約ノートが置かれて、予約を終える2時過ぎまでは、家を出られないことを思い出す。美味しく蕎麦を食べ終えた後は、やはり書斎に入ってひと眠り。でもそうそう眠れるものではなく、30分もしたらもう目を覚まして、予約の時間までと、このブログの午前中分を書き始めるのでした。

 午後の仕込みは、朝塩漬けにした大根を甘酒の素で漬け込むことと、出汁を取って蕎麦汁と天つゆを作ること。その前に蕎麦粉と辛味大根の代金を振り込みに、郵便局まで出掛けなければなりませんでした。やっと雨も上がって青空が少しだけ覗いてくるけれど、寒さは相変わらずなのです。蕎麦屋に着いてすぐに暖房を入れて、出汁取りの鍋にも火を入れる。白餡を煮詰めて火を消したままにしておいたら、具合好く固まっていたから、タッパに詰め替えて冷凍。

 甘酒の素に柚子と唐辛子をいれてなた漬けを漬けたらラップをかけて冷蔵庫に入れておきます。出汁取りは例によって小一時間はかかるから、洗濯機の中の洗い物を干したり、部屋干しにしてあった前の日の洗濯物を畳んだりと、やることは幾らでもあるのでした。一番出汁を取り終えて蕎麦汁を仕込んだら、5㍑の鍋で二番出汁を取る。最初の鍋は3㍑だったから、沸騰する少し前に追い鰹で出汁を取るのです。天つゆも作って家に帰ればもう4時半なのでした。

12月14日 水曜日 晴れても冷たい風の吹いた日 …

 夕べは夜の9時になったら、猛烈に眠くなってそのまま床に就いてしまいました。4時間ほど眠ったら目が覚めて、居間で煙草を吸いながら再び眠くなるのを待つのです。3時にはまた床に入って眠りに就いたのでが、目が覚めたらもう7時前なのでした。昨日考えていた今朝のスケジュールは白紙に戻った。「ご飯が出来ました」と女将に呼ばれて朝食の卓に就く。鰺の干物も脂が乗って美味しかった。最近は塩分も控えめに仕上がっているらしいのです。

 気分転換に最初に西の町のホームセンターに出掛けて、割り箸や布巾や、大晦日の年越し蕎麦を入れるパックやタレの容器を買い求めてくるのでした。途中の景色がいつもと変わるので心が晴れるのです。蕎麦屋に戻ってまずは蕎麦豆腐を仕込み、キノコ汁を作って小さな鍋とタッパに分けたら、昨日作った蕎麦汁を容器に詰めていく。昼飯までにはまだ時間があったから、何年も洗っていないグリルの中を取り出して、重曹をかけてお湯の盥に入れておく。

 油汚れには重曹が一番なのです。弱アルカリ性の水溶液は、酸性の油汚れには滅法強い。それを分かっていながら、なかなか掃除をしないのは、自分でも怠惰としか言いようがないのです。洗い桶に浸けたグリルが綺麗にするのは午後の楽しみ。家に戻って大釜に水を入れて湯を沸かせば、女将が天麩羅の最後の残りをグリルで焼いてくれる。家のグリルは女将がこまめに掃除をするから、いつもピカピカで羨ましい。今日も食事の後には洗って干してあった。

 午後の予定では、蕎麦屋の南側のタラの木が大きくなりすぎたので、剪定しようと思っていたけれど、冷たい風が強くなってとても外での作業は無理なのでした。大きな木の根が張ってあちこちに生えてきているのも刈り取らなければいけない。春の時期にタラの芽を採るにしても、あまり多すぎると使い切れないのです。山での生活する人たちのように、塩漬けにでもして保存してみようかしら。それでもやはり狭い庭だから、刈り取るのが一番好いのでしょう。

 厨房に入って、まずは午前中に重曹を溶かして浸けておいたグリルを洗う。何年も溜まった油汚れなのに、魔法のように綺麗に油が落ちてすっきりしました。気をよくして、蓮根の皮を剥いて酢水で茹で、南瓜の種を取って切り分けたら天麩羅用にレンジでチーンしておく。そして、また今週も切り干し大根の煮物を作るのでした。食材の残った物で作るのが一番安上がりなのです。筑前煮は季節のものだけれど、いろいろ買い足さなければならないから高く付く。

 最後に明日の天麩羅の具材を切り分けて、冷蔵庫に収納したら午後の仕込みは終わりです。火元の確認をして蕎麦屋を出たのは5時過ぎで、西の空が夕焼けで綺麗なのでした。家に戻って二階の部屋の窓から写真を撮ろうとしたけれど、もう夕焼けは終わって、沈む夕陽に富士山がシルエットで綺麗に見えていました。空気が随分と澄んでいるらしいのです。明日は放射冷却で冷えると言うけれど、晴れてくれれば日中は少しは気温も上がるのです。

 夜はキャベツが沢山残っているからと、またしてもちゃんこ鍋。途中まで食べたらうどんを入れて、本格的な夕飯になるのですが、亭主は酒の肴に鶏の手羽中を塩で焼いてもらったから、半分は食べられない。残りは女将が全部平らげたから、たいしたものです。風呂の前に体重計に乗ったら、案の定体重が増えている。今日も亭主はあまり動いていないから、当然と言えば当然。明日の蕎麦屋はどんな展開になるのかが楽しみな夜です。

12月15日 木曜日 この冬一番の寒さとか …

 6時を過ぎて蕎麦屋に出掛けてみれば、向かいの畑にはうっすらと霜が降りているのでした。店のエアコンを入れて水を張った大釜に火を点ける。じっとしてると寒さが足元から伝わってくるほどなのです。冷蔵庫から昨日作った小鉢の煮物を取り出して盛り付けていく。切り干し大根の煮物となた漬けで、今週もまた始めようと7鉢だけ用意しておきました。一日中晴れると言う予報は朝からもう違っている。沢山の雲の合間から朝日が昇るのです。

 よく見てみれば、雲は静かに東に向かって動いているようです。西の空は少し青空が覗いているから、日中は晴れてくるのかも知れない。しかし、空気はとても冷たくて、熱い珈琲を沸かして、飲みながら今日の段取りを考える。晴れても寒さが厳しければ、なかなかお客は来ないのが冬場の辛いところ。陽が差して人々が散歩にでも出て来るようなら好いのだけれど。7時前に家に戻れば、途中で近所に住む弟が犬の散歩に出ているのに出会った。

 朝食を食べ終え、今日は8時半には家を出て蕎麦屋に向かいました。陽はさしているものの相変わらず雲の多い天気なのです。手袋をしていない手は冷たく、ジャンバーのポケットで温もりを保つ。蕎麦屋まで歩く数分間が、随分と長く感じるのでした。幼稚園に子供を連れて行く若い母親に出会ったきり、誰とも会わずに蕎麦屋に到着。看板と幟を出したら、チェーンポールを下げて今日の始まりを知らせる。果たして何人分の蕎麦を打とうかと思案する亭主。

 二週続けて混んだ木曜日だったから、今朝は850g九人分の蕎麦を打つことにしました。加水は44%だから、水を加えて1200gちょっとになる計算。これならひと束135g以下なら確実に九人分取れるのです。たまにこうやって少しずつ蕎麦を打つ量を増やしておけば、昔のように1kgを無理なく打つことが出来るようになるかも知れない。急に一度に沢山の量を捏ねて、また腱鞘炎などになったら、歳を取った分だけ治るのも遅くなるだろううから。

 問題は大晦日の年越し蕎麦なのです。去年も、店で15人ほど、予約で持ち帰るお客が20食分ほどだから、軽く30食分は蕎麦を打たなければいけない。早朝から打っても750gでは、少なくても4回は打たなければいけない計算です。あまり早くから予約を宣伝すると、頼むお客が増えてはキャパシィティーを越えてしまう。歳を取るに従って、今現在の己の力量を知ることの大切さを痛感するのです。持ち帰りの天麩羅を揚げることも含めて考えておかなければ。

 昼になったら西風で雲が消え、青空が広がったのは好いけれど、寒さは相変わらずなのでした。換気のために少しだけ開けておく窓も、隙間を狭くしておくのです。通りを歩く人影もなく、こんなに晴れているのにお客は来ない。12時を過ぎた頃に、女将が来てくれて「先週も少し来るのが遅かったと言われたから」と有り難かったのです。隣町の常連さんもいつもより早くいらっして「木曜日はいつも混んでいるから、蕎麦がなくなる前にと思って来ました」

 「今日はお客も来ないからゆっくりしていって下さい」と、すっかり顔馴染みになった女将が珍しく話をする。結局、今日のお客は一人だけで、ゼロでないのがせめてもの救いなのです。洗い物も片付けも少ないから、早めに帰り支度を済ませて家に戻る。疲れていないので、ひと眠りをすることも出来ずに、4時を過ぎたらもう食べる事を考えている亭主。今夜は一年ぶりでおでんだと知っていたから、焼酎を飲みながら食卓に料理が出るのを待っていました。

12月16日 金曜日 なんと昨日よりも寒い朝でした …

 まだ暗い5時半に家を出て蕎麦屋に向かう。とても寒い朝なのでした。鼻水が出て止まらないから、頻繁に鼻をかむ亭主。店の暖房を入れて、大釜に水を張ったら蓋を開けたまま火を点けておくのです。IHでポットにお湯を沸かして、珈琲を入れて暖まる。昨日もお客がほとんどなかったから、新しくやらなければならないことはなかったのですが、買い置きしてある金柑の実を切って、種を取ったら、酢水でゆがいてから氷糖蜜を入れて甘露煮を作る。

 洗濯機の中の洗濯物も少ししかなかったけれど、部屋干しの物干しに掛けて奥の座敷に運ぶ。煮詰まった金柑は冷ましてから瓶に入れて、冷蔵庫に保管するのです。7時までにはまだ時間があったから、コンビニに寄って週末の分の煙草と酒の肴を買って家に帰る。台所で女将が用意していたのは、亭主が思っていたとおりおでんの残りとベーコンエッグなのでした。身体を温めてから、食後は書斎に入ってひと眠りするのが楽しみなのです。

 9時前には家を出て再び蕎麦屋に出掛ける。今日は珍しく革靴を履いて出てみたら、運動靴よりは歩きやすいような気がする。右足の親指の軟骨が変な具合に固まってしまったものだから、どうしても正常には歩けない。少し引きずってしまうのです。このままずっとこんな風なのだろうかと、少し心配になるけれど、手術をして何とかする気がないから、慣れるしかないのです。ゆっくり歩いている分には、支障がないから無理をせずに暮らしていたい。

 蕎麦打ち室に入って今日の蕎麦を打てば、最近は44%の加水率でとても好い具合に生地が仕上がるのです。菊練りを終えて蕎麦玉を作ったら、寝かせている間に厨房に戻って、大根おろしを済ませておきます。昨日の蕎麦がほとんど残っていたから、わずか500gの蕎麦打ちだったけれど、これも練習だと思って真剣に伸して畳むのです。切りべら26本で135gと、いつもと同じように綺麗に打てた。端切れも最後まで切って、昨日の端切れと合わせて明日の賄い蕎麦。

 天気は好いのですが何しろ寒いので、いつもなら外に出て写真を撮る亭主も、窓の内側から外の青空の写真を撮るのです。それでも昼になるにつれて少し気温は上がって、道を歩く人たちの姿も見られるようになりました。リックを背負い一人で歩く男性が蕎麦屋に来るのかと思ったら、駐車場を横切って玄関に着いたから、急いで準備をするのでした。入って来たお客を見れば、いつもの常連さんでビールと最近はカレー蕎麦を頼んで、ノートパソコンを広げる。

 ビールのお通しには大根のなた漬けを出して、カレーの汁を作る間に、カレー蕎麦に付いている野菜サラダを出して食べていてもらう。蕎麦の場合はうどんよりも、細い分だけ食べやすいように、少しとろみを減らすように作っているのです。太いうどんの場合は、汁のとろみがあった方が上手く絡むと思うのです。「ご馳走様でした」「毎度、有り難うございます」という言葉だけを交わして、今日も帰っていった。カウンターの隅に座る客は無口なお客が多い。

 1時をたいぶ過ぎて、駐車場に車が入ったので、スタンバイする亭主。女性のお客が何処に座ろうかとまごまごしているから、「お好きなところへどうぞ」と言えば、景色の見えるテーブル席に座って、何を頼もうかと考えている様子。「暖かい汁が好ければキノコつけ蕎麦が人気ですよ」と亭主が勧めれば、茸が好きらしくすぐにご注文になる。「キノコの香りが美味しいわ」と喜んで下さった。小鉢で出したなた漬けも気に入ったらしく、名前をメモしていた。

 それで今日はもうオーダーストップの時間になる。こんなに晴れた日なのに、朝が寒かったから、外に出て蕎麦を食べようなどとは思わないのが普通なのでしょう。明日は終日曇りで気温も上がらないと言うから、週末でも苦戦を強いられるだろうと思いながら家路に就くのでした。女将のいない家に戻って冷蔵庫を覗けば、昨日の野菜サラダがまだ残っていた。今日の分も合わせて5食分。夜は当然のことながら、亭主がお好み焼きを作るしかなかったのです。

12月17日 土曜日 昼も8℃までしか上がらなかった …

 朝食を食べ終えて、珈琲を一杯飲んだら蕎麦屋に出掛ける亭主。「陽が差しているわよ」と女将に言われて家の前の通りに出れば、雲の合間から薄陽が差していました。これが今日最後に太陽を見た瞬間なのでした。予報では終日の曇り空で、昼も気温が上がらないと言う。平年並みなのでしょうが、今週はいきなり寒くなったから身体に応える。暖かすぎた冬の始まりは、急な寒さで蕎麦屋のお客も今週は激減しているのです。コロナの感染拡大も影響している。

 それでも蕎麦屋に着いて朝の仕事を終えたら、小鉢を盛り付けて今日の準備をするのです。さすがにこの寒さでは今日は蕎麦を打てない。昨日残った12食の蕎麦で、十分に足りると判断したのです。蕎麦を打たなければ、時間がたっぷりあるから、野菜サラダも早く作り終えて、昨日の金柑大福と一緒にカウンターに並べる。これさえも今日は出ないだろうと思いながら、開店の準備をしていたら、11時過ぎに車が駐車場に入ってきたのでした。

 随分と早いけれど、お湯も沸いていたから暖簾を出して店の中にお客を入れる。「寒いから暖かいぶっかけ蕎麦を」と言う親父様は海老とキスの天麩羅を追加して頼まれる。奥の座敷で着替えをしていた女将が、あまりにもお客の来るのが早いので、慌てて店に現れるのでした。途中で気が付いた親父様は「11時半からなのですね」と申し訳なさそうに言う。天麩羅を揚げて、蕎麦を茹でてお出しすれば、美味しそうに食べていたから好かったのです。

 少しだけ窓を開けて換気をしていたけれど、あまりにも寒いのでお客が来たら少し開けることにして、窓を閉めて暖房を入れていたのです。外は今にも雪でも降るのではないかと思えるほど、暗く冷たい空模様なのでした。最初のお客が早かったから、後の客待ちの時間がとても長く感じられた。昼を過ぎて1時を過ぎてもお客が来る気配はなかったから、亭主は余分に残っている蓮根を揚げて、賄い蕎麦を食べておく。それが今日最後の調理なのでした。

 コシのある蕎麦は美味しかったけれど、寒いから最後はやはり暖かい蕎麦湯を入れて飲み干すのでした。2時過ぎには家に戻って、亭主はそのまま隣町のスーパーに食材を仕入れに行く。生姜が切れていたので、この店の綺麗な色の生姜を買い求めに行ったのです。女将はその間に美容院に出掛け、亭主は家に戻って書斎に入ってひと眠り。夜は防犯パトロールがあるから、身体を少しでも休めておかないと。80歳の老人の後について団地の通りを巡り歩くのです。

12月18日 日曜日 目まぐるしい天気の変わりよう …

 夕べの夜のパトロールで疲れたのか、今朝は8時間睡眠から目覚めて食堂に行く。寒い朝だったから、女将が気を利かせてシャケ粥にしてくれたのです。ご飯は少ないけれど餅が入っているので腹にも溜まる。洗面と髭剃りを終えて着替えをませたら、いつもよりは早く家を出て蕎麦屋に向かうのでした。明け方まで雨が降っていたらしく道路は濡れて、昨夜の天気予報で今日は晴れというのはまた外れなのでした。まったく最近の天気は変わりやすいのか。

 蕎麦屋に着いて最初にする仕事はやはり蕎麦打ち。昨日までに残った蕎麦はあるのですが、やはり日曜日だから足りなくなるのは避けたいと余分に打っておくのです。加水率はこのところ44%強。しっとりと仕上がった生地は伸して畳んで、切りべら26本で135gに。朝の雲は何処に消えたのか、外は青空がひろがっているのでした。蕎麦打ち室を出て厨房に入ったら、白玉粉の分量を量って氷糖蜜と水を加えて、金柑大福を四皿分包みます。

 そして、野菜サラダの具材を刻み始めるのです。包丁は研いだばかりだから切れ味も好く、キャベツやニンジンのジュリエンヌも今日は思うように刻めた。ところが、開店の時刻の15分も前に、家の近所の常連さんが四人連れで歩いていらしたから、店に入ってもらって女将がお茶を出すのでした。BGMの音楽も流さないうちに、天せいろ四つのご注文で、お一人はせいろうどんを頼まれる。賑やかな会話をされているうちに、天麩羅を揚げて蕎麦を茹でる亭主。

 その間に、橋の向こうの地区の常連さんがいらっして、カウンターでせいろ蕎麦の大盛りと辛味大根のご注文。ついでに毎年の事ながら年越し蕎麦の予約をされる。いつもご一緒に年越し蕎麦を頼まれるお友だちが、今年は施設に入ってしまったからと話をされる。亭主が奥の座敷で一休みしている間に、お客はみんな帰って女将が洗い物をまとめてくれていた。まずは日曜日の前半戦が終わったという感じで、時計はまだ12時半前だったのです。

 ところが、西の空から俄に黒い雲が立ち上り、今にも雨が降りそうな天気になっていた。まだ陽は差しているけれど、冷たい風が吹き始めて、これではお客は来ないだろうと女将と二人で話していたのです。この時間を利用して、亭主はかき揚げを揚げて昼の賄い蕎麦を食べておく。今日は蕎麦が沢山あるから、遠慮せずに端切れを使わずに蕎麦を茹でるのでした。サクサクの玉葱の天麩羅が美味しい。つゆに溶け込んだ山葵の味も抜群なのでした。

 1時を過ぎて駐車場に車が入ってきたと思ったら、女将の友だちの常連さんで「いつものお願いします」と、野菜サラダとせいろ蕎麦を頼まれる。最近は周囲にも認知症になる人が多いと言う話をして、大晦日の年越し蕎麦と天麩羅の注文もして行かれたのです。洗い物はほとんど終わっていたから、後片づけも楽ちんで2時過ぎには二人で蕎麦屋を出るのでした。夜は昨日の残った野菜サラダを消化しようと、亭主がまたお好み焼きを焼くのでした。

 日一日と年の瀬が近づいて、やることは沢山あるのだけれど、今年もすべてそのままで新年を迎える気配。明日も朝からとても寒くなると言うので、ワールドカップの決勝も見れずに今日も眠ってしまうのだろうか。日々是好日とは言うけれど、蕎麦屋をしているからか、食べることばかりに意識が集中して、自分の健康管理は大丈夫なのかとふと思う事があるのです。それにしても今夜のお好み焼きは野菜もたっぷりでカリッと焼けて美味しかった。

12月19日 月曜日 寒い朝、霜柱がびっしり …

 昨日にも増して寒い朝でしたが、ワールドカップの決勝戦を途中から起きて見だしたら、興奮してしばらく寝付けなかった。再び目覚めたらもう7時を過ぎていたのです。女将の用意してくれた朝食は今朝も美味しいシャケ粥だったけれど、卵とカブの葉が入ってカラフルに進化していたのでした。着替えを済ませて家を出れば、玄関前の植え込みの水仙の花が咲いていた。こんな寒い時期に咲くものだったかと、去年の記憶がないからただただ驚くばかり。

 雲一つない青空が広がって、背中に当たる陽射しが暖かい。長い影法師が冬の太陽の低さを物語っている。毛糸の帽子を被って手袋をしないと耐えられない寒さで、陽の光だけが唯一の救いなのでした。今朝はさぞかし霜がいっぱい降りているだろうと蕎麦屋に着けば、隣の畑には長い霜は柱がびっしりと立って、今朝の寒さを知らせているのです。晴れてもこの寒さでは、月曜日だしお客は見込めないのではと思いながら、いつもの朝の仕事を済ませる亭主。

 蕎麦打ち室に入って生舟の蕎麦の状態を確認したら、八人分と少し残っていたから、今日は蕎麦を打つのを諦めました。蕎麦を打たない日が週に二日もあるのはとても珍しいことなのです。厨房に戻って大釜の湯を沸かして暖を取る準備をしたら、今日の小鉢を盛り付けておきます。残っている蕎麦の数だけ用意したらラップを掛けて冷蔵庫に入れる。今週はお客が少なかったから、とうとうぬか漬けは漬けられなかった。仕入れた野菜はそのまま家に持ち帰る。

 蕎麦打ちをしないとかなり時間が余るから、買い置きしてあった柚子を取り出し、皮を剥いで千切りにしておくことにしました。研いだばかりの包丁の切れ味が好いので、今日は綺麗に甘皮を剥いで千切りにしたら、小さなタッパに一杯分の柚子皮を急速冷凍庫に入れておく。連日、霜が降りる日が続くから、そろそろ白菜の漬け物をする時期なのかと思いながら、この柚子を使う日を楽しみにするのです。今週は冬至の日になるから、柚子も旬の時期なのかな。

 柚子の香りが漂って元気が出るようで、野菜サラダの具材を刻んで開店の準備は11時過ぎには終わるのでした。天麩羅油を鍋に入れて、天麩羅の具材を調理台に並べたら、キノコ汁をIHで温め、天ぷら粉を取り出して、テーブルとカウンターをアルコールで拭くのです。開店の時刻を待って、やっとカウンターの奥の椅子に座ってひと休み。蕎麦打ちがない日は寂しいけれど、お蔭でゆっくりと準備が出来たのです。晴れていても寒い日はお客が来ない可能性も。

 予想に違わず、12時半までは誰もお客が来なかったのですが、それからが今日はいつもと違うのでした。初めての方たちもリピーターの方たちも、つぎつぎといろいろな品を注文して、亭主一人では対応に追われ、1時過ぎには蕎麦は売り切れる。前のお客が座ったテーブルに次のお客が座るから、盆や皿をカウンターに載せて、洗う暇もない忙しさだったのです。寒かったからか、キノコつけ蕎麦が売り切れて、ぶっかけも暖かい蕎麦が出るのでした。

 お蕎麦売り切れでやっと営業が終わり、遅い昼の賄い蕎麦を端切れの蕎麦を寄せ集めて食べ、洗い物を片付ける亭主なのでした。月曜日は一人の営業だから、混んだ時には後片づけが大変なのです。大釜を洗い、天麩羅鍋を掃除して、洗い物は洗いかごが一杯になるので、時間を空けて片付けなければならない。最後に生ゴミを外のボックスに入れた頃には、もう陽もだいぶ傾いていたのでした。やっと家に戻れば「随分遅いからどうしたかと思ったわ」と女将。