9月20日 火曜日 彼岸の入りだったけれど …
台風一過の強い南風の影響で、今朝は28℃と異様な暑さ。庭の木槿がまた咲き出して、夏の名残りを感じさせるのでした。朝食後に蕎麦屋に出掛けて、昨日の後片付けをしたら、洗濯物を干して出汁取りの準備を済ませる。レンジフードを外して大釜に入れ、ついでに天麩羅鍋ももう一つの大釜に入れて、それぞれに重曹の粉を振りかけてお湯で浸けておく。子ども会の廃品回収に出す段ボールと新聞紙を持って家に帰るのです。それから今日の仕入れに出掛けた。
お彼岸の墓参りの花を買うからと珍しく女将も一緒に、お袋様を迎えに行き、農産物直売所と隣町のスーパーに出掛けるのでした。農産物直売所では、台風の後だからと農家も野菜を持ってくるのが遅れているらしく、目当ての野菜があまり手に入らなかったので、隣町のスーパーでほとんどの品を揃えなければなりませんでした。三連休後のスーパーはいつもより空いていたので、女将とお袋様を送り届けて、10時前には蕎麦屋に戻って野菜の検品。
朝のうちにお湯に重曹を入れて浸けておいたレンジフードの様子を見れば、油汚れが綺麗に落ちているから嬉しかった。これを午後にもう一度沸かして、さらに汚れを剥がすのが楽しみ。あとは台所洗剤の原液を使って、傷の付かないようにタワシで擦れば好いのだろうと考える亭主。今までにいろいろな方法を試してみたのですけれど、やはり重曹の威力が一番凄い。銅の天麩羅鍋はあと少しで全部の焦げが落ちるのですが今週で三回目の挑戦です。
昼飯は、蕎麦屋で残った野菜でカレー味の肉炒めを作り、レタスと三つ葉と椎茸の残りでスープをこしらえて、簡単に済ませる。女将が庭のアンデスの乙女が花を咲き始めたと言うので、外に出て写真を撮る。カッシアの花が咲くのは秋口だったかしらと、もう去年の事は忘れているのでした。一面に黄色い花が付く姿はとても綺麗なのです。雨が上がったら墓参りに出掛けようと、お袋様とも話していたのですが、午後はずっと雨が降っているのでした。
仕方がないから、女将は稽古場に入って作品を書き始め、亭主は女将のスポーツクラブの予約を終えたら、蕎麦屋に出掛けて出汁を取り始める。雨はシトシトと休みなく降り続く。後ろのレンジでは二つの大釜で、天麩羅鍋とレンジフードを煮ているのです。汚れがどんどん落ちて、大鍋の湯が真っ黒になるから凄い。一番出汁を取り終え、返しを加えて蕎麦汁を作ったら水で冷やして、次ぎに二番出汁を取り始める。時間がかかるからここで珈琲を入れる。
カウンターの上には、以前メニューに珈琲を載せていた時に使っていたコーヒーメーカーが置かれたまま。本場イエメン産の炭火焙煎のコーヒーモカマタリを入れて、お客に出すのを楽しみにしていたのですが、蕎麦屋で珈琲を飲む人の数も減って、メニューから外してしまった。週末の夜の営業もそろそろ始めても好いかと思っているけれど、コロナの終息が今ひとつ … 。二番出汁を取り終えて水で冷やしている間に、冷やした蕎麦汁を蕎麦徳利に詰めていく。
天つゆを仕込み、鍋やボールを洗って4時過ぎには家に戻る亭主でしたが、思ったよりも仕込みがはかどらない。明日に延ばした彼岸の墓参りも、お袋様の都合で朝のうちに出掛けることにした。家に戻れば、亭主が焼売を作った皮の残りで、女将がチーズ揚げを作ってくれる。横綱が休場で大関が全員負けるという大相撲を見ながら、若い世代の台頭を切実に感じる二人。30代前後の力士が活躍する世界でそれだから、さらに年寄りの世界ではどうなのだろうか。
9月21日 水曜日 やっと墓参の日 …
朝の6時過ぎに蕎麦屋に出掛けたら、いつものように雀の群れがピーチクパーチクと賑やかなのでした。写真を撮ろうと近くに寄れば、目の好い彼等は一斉に飛び立って電線に止まる。屋根の雨樋のあたりに巣があるのかも知れない。雀も群れるのかと意外に思う亭主なのでした。定休日の朝だからこんな暇もある。今朝は昨日の洗い物の後片付けと、レンジフードに重曹を入れて二回目の洗浄をするのが目的だから、涼しい朝の店に入って仕事を始めるのでした。
今朝は8時半からお袋様を迎えに行って、近くの霊園に墓参をする予定だったから、あまりゆっくりはしていられない。重曹の威力は大したもので、大鍋で沸かしたらレンジフードの油汚れもどんどん落ちていく。ただ、その後が、台所洗剤の原液でタワシで擦ったくらいで綺麗に落ちるものなのかが、ちょっと心配なのでした。やはりひと月に一度ぐらいは掃除しないと、綺麗に落ちないのかも知れない。火を止めて後は昼間の仕事と、家に戻るのでした。
幸いに雨は降らずに曇っていたから、女将とお袋を車に乗せて霊園まで行けば、まだ誰も来ていなかった。手分けをして我が家の墓と女将の親の墓と、弟の家の墓の三つの墓所の草取りを済ませ、花を供えて線香を焚く。「やっぱり花があると好いわね」とお袋様が喜んで、三箇所の墓を次々に参るのです。朝の9時前だから他に人もなく、無事に墓参を済ませて家に帰るのでした。お袋様もこれから病院に出掛け、午後は集会所で体操だと言うから忙しい。
女将を家まで送って珈琲を入れてもらったら、亭主も9時過ぎには蕎麦屋に出掛ける。昨日は出汁取りだけで終わったから、今日の仕事は沢山あるのです。小鉢を二品仕込んで、天麩羅の具材の切り分けと、デザートと蕎麦豆腐を作らなければいけない。午前中に何処まで出来るか、残った時間との闘いで、まずは切り干し大根の煮物を作る。隣の火口では天麩羅の具材のレンコンを下茹でしておきます。次ぎに冬瓜の皮を剥いて、下茹でしたらもう11時になった。
冬瓜が透き通ってきたらオクラを輪切りにしたのを入れ、一緒に笊に上げる。ここまでやったところで11時になったから、家に戻って昼食の準備をするのでした。今日は気温が随分と低かったから、昼食は女将もラーメンと餃子で好いと言うので、亭主は嬉しい限りなのです。餃子もだいぶ前に包んで冷凍してあるし、ラーメンや、チャーシュー、シナチクなども用意してあったのです。東京の下町育ちの亭主にとってはまさにソウルフードなのでした。
餃子を焼くのは女将に任せて、亭主は麺を茹でてラーメンを仕上げる。余分なものは入れずに、葱を刻んで海苔を載せただけのオーソドックスなラーメンを作るのです。亭主の少年時代に東京の下町では、30円ラーメンというのがあって、なるととハムと葱だけが乗ったラーメンを食べさせてくれる店があった。仲間と連れだった少年たちが年に一度の贅沢で、昼を食べた記憶がある。父に連れられて夜泣き蕎麦を食べに行ったのも、ラーメンの美味しい記憶。
母がやはり調理師だったこともあって、チャーシューも自前で作る事を覚え、若い頃はラーメン屋を次々と食べ歩いたものでした。それが渓流の釣りに惹かれて山里を巡っているうちに、美味しい蕎麦と出会って、歳を取ってみると、やはり蕎麦が好いと思うようになったのです。調理師学校を卒業する頃には、ラーメン屋ではなく蕎麦屋を開業しようと思っていたから、亭主の心の中ではごく自然な成り行きと言えると言えるのかも知れない。
女将がスポーツクラブに出掛けている間に、昼寝から目覚めて蕎麦屋に出掛け、午後の仕込みにかかるのでした。明日ののデザートには抹茶小豆を仕込んで、蕎麦豆腐を作ったら、天麩羅の具材を切り分ける。朝から重曹で煮ていたレンジフードの掃除が一苦労で、換気扇の掃除までは出来なかった。4時過ぎに家に戻って大相撲を見ながら一献。夕食には、先日、亭主の作った焼売が出されて、昼に続いてとても美味しい料理なのでした。
9月22日 木曜日 台風の合間に …
涼しい朝でした。長袖を着込んで更に上着を着なければならないほどの陽気なのでした。6時前に蕎麦屋に行けば、今朝は毎朝賑やかな雀たちの姿が見えない。ちょっと寂しい気もしたけれど、彼等も巣立っていくのだろうからと、老いて取り残されるのは自分だけのような気がしたのです。厨房に入って小鉢を盛り付け、今日のこの涼しさではお客はあまり見込めないと、夕べはお新香を漬けないで正解だったのです。昨日の洗い物を片付けて家に戻る。
台所では女将が朝食の用意をしていたけれど、定休日明けだから少し遅めの開始なのでした。遅い時間に慣れてしまうというのは、亭主ばかりでなく同年代の彼女も同じなのです。それでも亭主が小鉢の盛り付けを手伝って箸を揃えている間に、ベーコンエッグを作りながら茄子を焼いて、10分後には豚汁をよそって炊いたばかりご飯を持って来てくれた。蕎麦屋の向かいの畑の親父様から頂いた長ナスがやっと終わったと言う。大蒜も今日で終わりなのでした。
7時半には食事を終えて、書斎でひと眠りしようと横になったけれど、すんなりと寝入れないので起き出して洗面所に行く。髭を剃って着替えを済ませれば、もう出掛ける準備は完了です。考えたら昨日も早い時間に床に入ったから、これも習慣のなせる術なのでした。朝ドラの終わる時間に家を出て、蕎麦屋に着いたら看板と幟を出してチェーンポールを下げる。でも、少し早すぎるから厨房で珈琲を沸かしてひと休み。掃除をした換気扇のフードが綺麗です。
今日の段取りをシュミレーションしたら、蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。こんな涼しさだけれども、750g八人分を打つしかないのでした。足りなくなるということはまずない。明日の休日も終日の雨だと言うから、むしろ週末に向けての蕎麦の残り具合が気になるのです。蕎麦粉の残りはあと僅か。いつ注文をしようかと考えているけれど、売り上げが出ないと代金を支払うのも難しい。今日も夕刻には業者が海老と鴨肉を持って来るのです。
一回しか打たない蕎麦打ちは気も楽だけれど、その分気合いを入れて好い蕎麦を仕上げたい。今朝の店内は、21℃とつい先日よりも4℃も低く、湿度は50%と乾燥しているから、加水率を42%強にして、蕎麦粉を捏ね始める亭主。これがぴったり当たって、ちょうど好い硬さの蕎麦が仕上がった。季節の変わり目は、加水の量を見極めるのが難しいのです。これで今日のお客様には胸を張って美味しい蕎麦をお出し出来ると嬉しいのでした。
10時過ぎに厨房に戻り、二つの大釜に火を入れて、野菜サラダの具材を刻み始める。今週はなかなか好いアスパラが手に入った。平日だから三皿を盛り付けて、天麩羅鍋に新しい油を注ぎ、天つゆを温める。ポットに沸いたお湯を詰めて、11時には開店の準備がすべて整ったので、テーブルをアルコール消毒液で拭き、床のゴミを掃く。暖簾を出す前に、もう蕎麦屋の裏からご夫婦が歩いていらっして「少し早いですけれど」とテーブルに座るのでした。
奥様がカレーうどんをご注文で、ご主人はぶっかけ蕎麦の冷たいのと言う。独りでこなす厨房では、天麩羅を揚げてカレーの汁を作るのは結構大変だけれど、お茶を出したら盆と器に小鉢とサラダと薬味をセットして、お二人同時に出せるように頑張った。会計を済ませたご夫婦が帰る頃に、車が一台駐車場に入って、女性お一人の客がご来店。空いているからかテーブル席に腰を下ろして、またぶっかけ蕎麦の冷たいのをご注文なのでした。
以前にもいらっしたお客だと話をしていて亭主も思い出す。今日はマンション住まいで料理教室を開いているという話も聞いた。昔は隣町で亭主も知るカフェもやっていたそうな。その頃にも店に蕎麦を食べに来たのを思い出す。小さな畑の出来る土地を捜して料理教室をやりたいというので、個人の開業の辛さを知っているから、年齢を尋ねて、新築の家を建てるのはお止めなさいと言う亭主。団地の中でも空き家はあるから、見て回ればと地図で案内をする。
「後10年もすればこの蕎麦屋も止めるだろうから、それまで待てればここを譲ってあげるよ」と言えば、厨房や奥の座敷やミニ菜園を見て回るのでした。彼女のイメージにあった店の作りのようで、「また来ます」と言って、団地の中を見に出掛けた様子。1時を過ぎたら女将が来て、洗い物の片付けをしてくれた。閉店前にもお客がいらっして、この陽気ではまずまずの入りか。夕刻に荷物を受け取りにまた蕎麦屋に出掛け、お新香を漬けて家に戻るのでした。
9月23日 金曜日 秋分の日は意外と天気が持って …
5時半を過ぎて明るくなった頃に、蕎麦屋に出掛けて糠床からお新香を取り出して、小鉢に盛り付ける。今日は終日の雨という予報だったのが、何時の間にか変わって曇りになった。いずれにせよ、やることは変わらないから、もくもくと昼の開店に向けた準備を進めるのでした。昨日の蕎麦は生舟に4つ残っていたから、今日はいつもどおり750g八人分を一回打ち、12食の蕎麦を用意しておこうと考える。早めに家に戻ったら、珍しく7時前に女将が台所に入る。
先日店で残ったカレーを温めて、今朝は亭主だけ豚汁とカレーなのでした。大盛り用にカレーを袋に詰めて凍らせるから、普通盛りを頼まれて温めると、どうしても丼に入り切らないので、残ったものを家に持ち帰って来るのです。ちょっと食べるにはちょうど好い分量。これで十分に満足して身体も温まり、書斎に入って横になればすぐに眠りに落ちる。昨日も早く休んだのに、よく眠れるものだと、自分でも感心するのです。30分も眠れば頭もすっきりです。
玄関を出れば団扇サボテンの黄色い花が亭主を見送ってくれた。本来は夏の季節に咲く花だけれど、今年は秋になってもまだポツポツりと咲いている。新しい葉も大きくなって、いくら切っても増えてくる生命力の強い植物なのです。ただ、棘があるので女将が洗濯物を干すときに刺さるといけないと、短く切り詰めてあるのです。同じ黄色の花を付けてきた庭のカッシアを見上げながら、今日も蕎麦屋に出掛けるのでした。今日はお日彼岸の中日です。
いつもの朝の仕事を終えたら、9時前には蕎麦打ち室に入り、今日の蕎麦を打つ。昨日とは違って湿度は高く、室温も3度ほど高かったから、今朝は42%の加水率で蕎麦粉を捏ね始めるのでした。予想は見事に的中して、しっとりとした生地に仕上がり、蕎麦玉にして寝かせている間に厨房に戻る。大根をおろして冷蔵庫に入れたらひと休み。女将がやって来る頃にはまた蕎麦打ち室に入り、伸して畳んで包丁切り。無事に八束の蕎麦を生舟に並べるのでした。
10時になったら二つの大釜に火を入れる。そう決めておかないとたまに忘れることがあるのです。そして、ブロッコリーとアスパラを茹でて笊に上げる。こちらも最近はタイマーを使って上げる時間を決めている。歳を取ると、他の事を始めて前の仕事を忘れることが多いので、気をつけないといけないのです。レタスを水で洗い、キャベツの千切りを済ませ、アーリーレッドをスライスして、パプリカを刻む。休日だけれど今日も三皿のサラダを盛り付けておく。
11時前には大釜の湯が沸いて、ポットに詰めて蕎麦茶も用意するのです。天麩羅鍋に油を注ぎ、天つゆを用意したら、天麩羅の具材と天ぷら粉を調理台に出して、開店の準備が整うのでした。昨日よりも湿気があるけれど、気温はそれほど高くないので、窓を開けたら、カウンターの椅子に座って、早お昼を食べに帰った女将が戻るのを待つ亭主。どんよりと曇った天気が気になるけれど、三連休の初日だから、まさかいつもよりはお客が来るはずと期待する。
暖簾を出したら、女将と二人でじっとお客の来るのを待つのですが、今日は1時間経っても客の姿は見えない。休日はお客の出足が遅いとは言え、とうに昼の時間は過ぎているから心配なのです。やっと最初のお客がいらっしたと思ったら、女将が注文を取って亭主が天麩羅を揚げているうちに、お客が次々に入ってくるではありませんか。駐車場は満杯で、歳を取ったお婆さんは路肩に車を停めていらっしゃる。満席の看板を出して一つ一つ蕎麦をお出しする。
片付けも終わらないうちに、また次のご夫婦がいらっして、暖かいぶっかけの蕎麦とうどんをご注文。今日は用意しておいた天麩羅や掻き揚げの具材も底をついた。やっと最後のお客が帰ったのは、もう閉店の時間で。暖簾と幟をしまって、まったく手を付ける暇がなかった洗い物を始める亭主。こんな日もあるのです。黙々と仕事をこなした女将に感謝。3時過ぎに家に帰ってひと眠りしたら、夕飯前にまた蕎麦屋に出掛けてお新香を漬けてくるのでした。
9月24日 土曜日 台風はいつ来るのか?
先日からニュースで大騒ぎをしていた台風15号は、温帯低気圧に変わったと夜になって知った。最近は情報が多すぎて、肝心の自分の住んでいる地域に、どれくらい台風が近づいているのか、ネットで気象庁の台風情報、雨情報をみてやっと理解するのです。女将などはスマホの市内の今日の天気を見ているらしいけれど、洗濯物を干すには、自分の目で空の様子を見て確かめた方が好いと言う。今朝は激しい雨の音と雷鳴で早くから目が覚めたのです。
5時半過ぎにガレージから車を出すときも、稲光と雷鳴が鳴り響いてあたりが怖いほどなのでした。蕎麦屋に出掛けて夕べ漬けたお新香を取り出し、明日のために出汁を取って小一時間を過ごす。雨は次第に収まって、辺りが十分に明るくなったのでひと安心。朝刊の県内感染者数欄を見れば、人口の少ない割には佐倉市だけ200名を越えているから不思議です。毎日、蕎麦屋の前を救急車が通るのは、皆、コロナの感染者なのだろうか。
家に帰れば女将は朝食の支度中。ベーコンエッグと豚汁で今日も美味しい朝食にありついた。食後はひと休みしたら書斎に入ってひと眠り30分。今朝は雨と雷のお蔭で3時半から目が覚めて、ちょっと寝不足気味なのでした。朝ドラの終わる時間までには洗面と着替えを済ませ、女将に頼んで珈琲を一杯入れてもらう。まだ雨は降っている様子でした。仕方がないから傘を差して蕎麦屋に出掛ける。みずき通りのハナミズキが随分と紅葉してきた。
蕎麦屋に着けば、今朝は小スズメたちがまだモミジの樹の辺りで賑やかなのでした。亭主が近づくと一斉に飛び立っていく。店に入って今朝は蒸し暑いのでエアコンを入れたら、看板と幟を出してチェーンポールを降ろす。蕎麦打ち室に入って蕎麦粉を計り、計量カップに水を汲んでくる。蕎麦粉が残り少なかったので、取引先の農場に電話をかけて発注をかけておく。月曜日の午前中に到着と言うから、明日の混みよう次第ではハラハラものなのです。
今日も750g八人分の蕎麦を打って、昨日の残りと合わせて12食分を用意する。この天気ではお客もあまり期待できないのです。ところが、しだいに雨は止んで青空まで覗いてくるから分からない。時折、薄陽も差してきたのです。それでも野菜サラダは週末だけれど三皿だけ盛り付けて、開店の準備を済ませる。雨だった天気予報は南風の曇りに替わり、例によって昼過ぎまではお客の姿がない。やっと駐車場に大きな外車が入ってきたと思ったら、また一台。
三台目も大きなワゴン車だったから、入れないだろうと思っていたら、「他に駐車場はないのですか?」「済みません。これだけなんですよ。」と応えれば帰って行く。家族連れやご夫婦が帰った後に、また車が入ってきた。雨が止んでいるうちにお客が来てくれて幸いなのでした。最後のお客が帰ったらもう閉店の時間で、亭主はうどんを茹でて、ぶっかけにして賄い飯を食べておくのです。蕎麦は明日のことも考えて残しておいた方が好いと思ったのです。
台風の来るという今日の天気では、まずまずのお客の入りで有り難い事でした。雨は、時折、激しく降って、洗い物を片付けて帰る頃にはすっかり上がったので好かった。世間では後半の三連休、明日はその最終日で晴れると言うから、楽しみなのです。ただ、蕎麦粉が底をついているので、あとどれくらい蕎麦が打てるのだろうかと心配です。最悪、月曜に蕎麦粉の届くのが遅ければ、「準備中」の看板を出して蕎麦を打つしかないと、逃げ道を考えておく。
9月25日 日曜日 台風一過の晴天だったけれど …
今朝は朝飯前のひと仕事に出掛けなくて済んだので、ゆっくりとした朝のひとときを過ごしました。故ジャンポール・ベルモントの「カトマンズの男」をテレビで見て、50年以上も前の映画なのに、テンポといい色彩といい、賑やかな明るさが心に響いたのでした。その時代の映画に詳しい台所にいた女将が顔を出して、ヒロイン役の「ウルスラ・アンドレスは007に出た人でしょ」と解説をしてくれる。食後は例によって書斎でひと眠り30分なのでした。
今日は晴れるという予報だったけれど、蕎麦屋に着いてもまだ曇り空。日曜日だからと張り切って来てみたけれど、涼しいのであまりお客は見込めないかとは思ったのですが、蕎麦は最後の蕎麦粉を使って750g八人分を打って、15食の蕎麦を用意したのです。室温は25℃、湿度は60%だったから、加水率を22%に戻して蕎麦粉を捏ねて、エッジの効いた綺麗な蕎麦が打てた。もうそれで満足。明日は明日の風が吹くと、馬鹿に出来ない日曜日に期待するのでした。
野菜サラダも今日は四皿盛り付けて、なんとかお客が来ないかと願ってはみたけれど、この二日間と同じようにお客の出足は遅いのでした。外は陽が出て来たので少し気温も上がったけれど、窓を開けても26℃とかなり涼しい陽気なのです。台風の過ぎた連休最後の休日は、もっと何処かに出掛けたいと思う人が多いのかも知れないのでした。12時半過ぎに、やっと最初のお客が歩いていらっして、カウンターに座って天せいろのご注文。
続けて車でいらっしたご夫婦が、やはりカウンターに座ってせいろ蕎麦と天せいろを頼まれる。油は温まっているから、すぐに天麩羅を揚げてせいろ蕎麦と一緒にお出しする。しかし、それきりお客は来なくなって、こんな天気の好い秋の日に、蕎麦を食べようというお客が来ないのは不思議なのでした。1時を過ぎてもお客がないから、亭主は残った天麩羅の具材を揚げて、賄い蕎麦を食べておくのです。青空が広がって気持ちの好い陽気。
閉店の間際になって、少しずつ片付けを始めていたら、駐車場に車が入ってくる。大釜の火は消していなかったので、注文を聞いて天せいろを二つ仕上げる。前のお客との時間が空いている時は、来客の姿が見えたらとにかく天麩羅鍋に火を入れておくのです。銅の天麩羅鍋は温度が下がらないのだけれど、さすがに30分も火を止めておくとすぐには温まらない。箸に溶いた天麩羅粉を付けて、油に落としてみながら、ジューッと浮き上がるのを見極める。
最後のお客が帰ったのは2時をだいぶ過ぎていたけれど、他の洗い物は済んでいたから2時半には店を出る。こんな好い天気なのにお客が少なかったから、明日は蕎麦を打たなくてもちょうど好い。今月は珍しく週の来客数が30名には届かなかった。雨や台風の影響もあったから仕方がないのでしょう。それよりも悪天候の中を蕎麦を食べに来てくれた事を有り難いと思わなければいけない。家に戻れば、カッシアの黄色い花が今日の青空に映えているのでした。