3月1日 火曜日 うららかな陽射しの定休日…
昨日の夕刻に、メガネを修理に出していたのを思い出して、店に電話をして見ると「ああ、○○さんですね」と直ぐに分かって、閉店間際に取りに出掛けたのです。受け取りの日から三週間も遅れてしまった。忘れっぽくなったと言ってもこれは笑えない出来事。
現役時代に随分と高価なメガネを購入したらしく、遠近両用のレンズ以外はすべて新品になって戻って来たから驚きました。これが最後に買ったメガネだから、掛けてみるととてもよく見える。最近はパソコンの文字以外には細かな字を見なくなったから、メガネを掛けなくても不自由はなかったけれど、とても好い気分。
雲の多い朝でしたが、帽子も手袋も要らず、お袋様を迎えに行って一緒に仕入れに出掛けました。地元の農産物直売所で農家の白菜とトマト、人参を買って、隣町のスーパーに行けば、今日は月の初めの安売りの日とあって、駐車場はやけに混んでいたのです。
蕎麦屋に戻れば隣の畑に嘴と脚の黄色い椋鳥が集まっていた。てんでにクローバーの新芽の出て来た地面を突いているけれど、一体何を食べているのだろう。窓の内側からガラス越しにズームで撮ったが、やはりスマホのカメラでは好く撮れないのです。
昨日の洗い物を片付けて、仕入れた食材を冷蔵庫にしまい、白菜を樽に漬けたら午前中の仕込みは終わりです。昼は昨日残った蕎麦を食べることになっていたから、最後の油で揚げた天麩羅を焼いて大きな鍋で一人分ずつ蕎麦を茹でていく。残った天つゆも持ち帰ったから温めて、大根を卸して熱いうちに食べるのです。亭主は大盛り、女将は普通の一人前を平らげ、蕎麦湯を飲んで「ああ、美味しかった。腹一杯だぁ」と満足する。
午後は日陽の当たる書斎でひと眠りする亭主。小一時間で目覚めて珈琲を一杯飲んだら、まずはこのブログの懸案の疑問について、レンタルサーバーの会社に問い合わせのメールを書いておく。「セキュリティー保護なし」と表示される画面上部がどうも気になっていたのです。普通は鍵マークが表示されるはずなのに。
それからやっと午後の仕込みに蕎麦屋へ出掛けるのです。筑前煮を作ることと少なくなっていた返しを作ることが目標だったが、時計はもう3時を回っていたから、夕食までに家に帰るには、どちらか一つを選ばなければなりませんでした。煮物は後で作った方が長持ちするから、3㍑の返しを作る準備をして鍋を火にかける。沸騰する前に火を止めて、洗濯機の中の洗濯物を干して家に戻る。
昼に天麩羅と蕎麦を食べ、その後に果物を食べて金柑大福まで食べた女将は、お腹が凭(もた)れていると言うので、お好み焼きは止めて、急遽、蒸し野菜にするのでした。昨日残った大量の野菜サラダを消費しなければならなかったから、亭主が酒のつまみにと買ってきたウインナソーセージを載せて、土鍋で蒸して食べる。
ニュースはウクライナ情勢の話ばかりで、日に何度も見るからその度に「嫌だわね」と言う女将と話をするのです。今日は風呂に入る前にこのブログを終わらせて、夜は懸案の確定申告の準備をしようと書斎に入る。パソコンの画面を見つめるとまた目がゴロゴロとしてきたから、いい加減なところで止めないといけない。
3月2日 水曜日 夜明けが早くなった…
夕べは結局、確定申告の準備も出来ずに10時には床に就いてしまったから、今朝は 4時半には目が覚めて珈琲を飲んでひと休みしたら、蕎麦屋に出掛けたのです。大分、夜の明けるのが早くなったと見えて、五時半にはもう東の空が明るくなっているのでした。
朝食の時間までには十分に余裕があるので、店に着いたらお湯を沸かしてほうじ茶を入れ、厨房の椅子に座って何から始めようかと今朝の段取りを考えるのです。まずは昨日のうちに仕込んで置いた蕎麦汁を徳利に詰め替えて、水の上がった白菜の漬け物を小さな漬けもの器に漬け直すことから始めようと重い腰を上げる。
鍋に入れてラップを掛けたままの2㍑あまりの蕎麦汁は、空の徳利に詰めればもうなくなる。コロナ前は1日2日で空になったから週に何回が作らなければいけなかったのに、今では一週間にやっと二回ほど作っても余るほど。寂しいけれどこれが現実なので、打つ蕎麦の量もこれに比例して少なくなっているのです。
それでも仕込みはやはり未来に向けての希望を仕込む意気込み。毎回、醤油や再仕込み醤油、味醂や氷糖蜜やワインビネガーを、同じ分量で仕込んだ返しと一番出汁で作った蕎麦汁を、一本一本丁寧に蕎麦徳利に詰めていくのです。年季の入った蕎麦徳利もそろそろ新しく買い換えなくてはならないけれど、一つ 4000円もする手作りの徳利はなかなか新調できないのが今の状況…。
次に二日間で水の上がってきた白菜の漬け物を、漬け直して昆布や唐辛子、柚子の皮の千切りを入れる作業。地元の農家の白菜も、そろそろ終わりなのですが、いつも新鮮なものを並べてくれる農家のものは、少しずつ小振りになってきたけれど柔らかくて直ぐに水が上がるのです。漬け物は野菜の新鮮さが命だから大いに助かる。
樽に二把塩を振って漬けておいた白菜が、漬けもの器に入り切ってしまうほど水が出て、『これは美味しく漬かるだろう』と亭主はぬか喜びをする。野菜の甘さが、塩加減や昆布の旨味成分、柚子や唐辛子の微妙な香り付けと相俟って、絶妙な美味さが出るのです。最近は小鉢のお新香を残す客もいるけれど、まだまだ人気がある。
部屋干しの布巾類を畳んで洗濯機の洗い物を干したら、朝飯前のひと仕事は終わりで 7時前には蕎麦屋を出る亭主。空は晴れて東の森の彼方から朝日が昇る頃合いです。朝の気温がマイナスでないから随分と暖かくなったと感じる。今朝もヒヨドリが庭の金柑の木にやって来ていた。門を開けるとパッと飛び立つから凄い。
朝食は天麩羅の煮付けとお新香の予定だから、家に戻って食堂の暖房を入れ、女将の起き出す前に天麩羅だけ煮ておくのです。テレビのニュースは相変わらずウクライナ情勢ばかり。ガソリンや灯油の値段が上がっても、何も出来ない自分たちがそれを我慢することで、目に見えぬ支援となるだろうと女将と話をするのでした。
朝食を終えてお茶を入れてもらったら、例によって小一時間は書斎で横になってひと眠り。8時半になったら洗面と着替えを済ませてまた蕎麦屋に出掛ける。定休日でもこの生活は変わらないから、亭主は一週間まったく休みがないのです。11時半には女将のスポーツクラブの二週間後の予約が開始されるから、それまでに今日の仕込みを済まさなければならない。
蕎麦屋に着けば、今朝は椋鳥が群れになって隣の畑にやって来ていた。やはり、クローバーの新芽を食べているのだろうか。ガラス窓のこちらから、更に近づいて撮ろうと思ったら、人影に気づいたのか一斉に飛び立っていくから驚きなのでした。
今朝の仕込みは、先週の残りの里芋や牛蒡(ごぼう)があったから、天麩羅の具材で残った蓮根の人参を合わせて、また筑前煮を作るのでした。二番出汁と出汁醤油で出し汁を作って、中華鍋で炒めた根菜類を煮ていく。次に鶏肉を切り分けて片栗粉をまぶし、同じ中華鍋に油を引いて炒めたものを隣の鍋に入れて煮込む。
頼んでおいた宅配便が来るかと早めに来たものだから、11時にはまだまだ時間があった。蓮根の皮を剥いて湯がいたり、カボチャを切り分けて、明日の天麩羅の具材を仕込んでおこうと包丁を振る。それでも11時前にはすべて終了。今日の仕込みはすべて完了したのです。後は夕刻に来る業者から海老を受け取るだけ。
昼は先日仕込んだカレーの残りを家に持って来たから、肉やかき揚げの具材で残った玉葱と人参を加えて、亭主がカレー粉や醤油やソースなどで絶妙な味つけをする。女将は店から持ち帰ったお新香の残りを切り分けて小鉢に盛り付ける。定休日の我が家の食事は、店の残り物を処理する工夫に満ちているのです。
食後は女将がデザートの果物とお茶を書斎まで運んで来てくれる。亭主は例によって心地よい午後の微睡み。定休日の特権か。夕刻にまた蕎麦屋に出掛け、明日の小鉢を三種類も盛り付けていたら、業者から「あと10分ほどで着きます」と、電話が入って珈琲を沸かして待つのでした。確定申告の準備は遅遅として進まない。
3月3日 木曜日 桃の節句…
みずき通りを渡ったところのお宅に、白梅が見事に咲いていました。桃の節句は娘たちがまだ家にいた頃の遠い昔の記憶です。離れて暮らしている孫娘たちも、もうひな祭りを楽しむ年齢ではないのかも知れない。コロナ禍でここ二年ほど会っていないけれど、元気で暮らしているだろうか。随分と大きくなったに違いない。
そんなことを考えながら蕎麦屋に着けば、まだ8時半だから、朝の仕事を終わらせて、蕎麦打ち前に薬味の葱切りと生姜をおろし、解凍しておいた海老をタッパに移し替えておきます。大根はもう少し後で擦ったほうが、お客に出すのにはちょうど好いのです。それからやっと蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つのでした。
今日は天気も好いし、暖かいから少しはお客が増えるかも知れないとは思いながらも、今朝の新聞では佐倉はまだ140人も感染者が出ている。近くの介護施設ではクラスターが出たと言うし、まったくこのコロナ禍ではお客は読めないのです。だから、いつもと同じで750g8人分を打って、水回しを終えたら蕎麦玉に練り上げる。
コロナ以前なら、この陽気では足りない分量かも知れない。でも今は蕎麦がなくなったらご免なさいで済まそうと思っている。平日に8人を越える日はほとんどないのです。あまり早くなくなれば、もう一度蕎麦を打つことも出来るけれど、その心配はなさそう。
蕎麦玉をビニール袋に入れて寝かせている間に、厨房に戻って大根をおろし、次の作業の準備をしておく。再び蕎麦打ち室に入ったら、蕎麦玉を両手で押しつぶして丸く薄く地伸しをする。形が整ったら、今度は伸し棒で均等な厚味で正円になるように丸伸しをしていくのです。今日も加水の加減がちょうど好く、しっとりとした生地がどんどん大きな正円になっていくのでした。
8人分の蕎麦を打ち終えたら、また厨房に戻って今度は金柑大福を包んでいきます。金柑の甘露煮を白餡でくるんだら、水と氷糖蜜とで溶かしておいた白玉粉を、火にかけて餅状にする。これを丸く伸ばして左手に取り、右手で白餡でくるんだ金柑を載せて包んでいくのですが、尻の部分を閉じるまでにもう熱さに耐えられない。「あちちちっ」と言いながら片栗粉をまぶして、両手で丸くしていく。
ここまでで時計は10時半を回っていました。後30分で野菜サラダの具材を刻んで盛り付けまで終わらせなければいけない。大釜のお湯が沸くから四本のポットに汲んでおきます。二本は蕎麦茶用、もう二本は器や蕎麦湯の入れ物の温め用。ブロッコリーとアスパラを小鍋で茹でて水で冷やしたら、急いで野菜を刻んでいきます。
やっと盛り付けが終わって、大福の皿と一緒にラップを掛ける。制服に着替えてエプロンをしたら、アルコールでテーブルを拭いていくのです。一人だとこの時間が一番忙しいと感じる。暖簾を出して営業中の看板をぶら下げ、準備完了です。朝店に来てからぴったり3時間が経っている。椅子に座れば眠くなりそうで怖いのです。
外は好い天気で暖かいから、散歩に出ている人が多い。『あの二人連れは蕎麦屋に入るかな?』などと思いながら窓の外を見るけれど、今日は歩いていらっしゃるお客はいませんでした。車で二台、お一人ずつのお客がそれぞれカウンターに座り、天せいろのご注文なのでした。降ろしたばかりの胡麻油でカリッとした天麩羅を揚げてお出しする。お客は少なくても、それが楽しい。
「ここは出来て何年になりますか?」「まる7年になります」と応えれば、「8年間離れていてやっと戻って来たのですが、また来させてもらいます。馳走様」と言って帰られる男性。天せいろの他に蕎麦豆腐と金柑大福も頼まれたから、「ヘルシーランチセットにすれば単品よりもお得ですよ」と亭主が言うと、「それでは食べきれないと思ったんです」と控えめな若い女性…。
3月4日 金曜日 平年並みの暖かさ…
と、天気予報で言っていたけれど、昨日の暖かさに慣れてしまったのか、今朝はひんやりと薄ら寒いのです。温度計の指し示す数値よりも体感温度の方が気になるところです。いつもの時間に蕎麦屋に出掛ければ、空には雲が多くどう見ても晴れとは言い難い。
郵便受けから新聞を取り出して、ミニ菜園の様子を見れば、植えてあったミックスレタスは、最近はあまり使わないから伸び放題。小松菜も採らずに放っておいたものだから禍硬くて食べられそうにない。絹さやの蔓も地面に広がってしまっているし、管理しきれていないと言うのが実情なのでした。
朝の仕事を済ませたら、店の中に入って大釜に水を汲んで火にかける。その間に昨日の洗い物を片付けて、ほうじ茶を入れてひと息入れたら、10℃を越えた蕎麦打ち室に入って今朝の蕎麦を打つ。蕎麦切りの包丁の音も軽やかに、切りむらもあまり目立たない。昨日の蕎麦と合わせて11人分の蕎麦の束を生舟に並べる。
大根をおろして沸いたお湯をポットに詰めたら、野菜サラダの具材を刻む。昨日も用意した三皿すべてが残って家に持ち帰って食べたから、今日はどうだろうかと心配するのです。ただ、その日その日で数を変えるのでは、長年やって来て今の数になったのだから、基準となるものが揺らいでしまう。平日はやはり三皿盛り付けようと頑なな亭主。今日もやはり三皿のサラダをカウンターに並べる。
昼になるにつれて、気温も上がって外も少し青空が広がり、時折日陽が差すけれど、やはりお客は来ない。やっといらっした中年の女性は、1時間も歩いて来たと言う。山登りが趣味で身体を鍛えているのだとか。会津の農家の出身で、90歳になる父親が今でも蕎麦を打つと言うから、蕎麦が好きなのだといい話を聞いた。天せいろを頼まれて「コシがあって美味しいお蕎麦ですね」と褒め言葉。
3月5日 土曜日 春一番が吹いて…
夕べはテレビも見ないで書類仕事をして、仕入れ先ごとの年間集計を印刷したところでもう眠くなってしまいました。10時前に床に就いたから、今朝は4時半には目が覚めてしまう。珈琲を一杯入れて飲んだら、まだ暗い通りを歩いて蕎麦屋に出掛ける。米を研いで、大釜に水を張り、小鉢を用意したらもう終わりで家に帰る。
朝が早かったから、女将の朝食の支度を手伝い、早めに飯を食べてひと眠り。ぐっすり小一時間は眠って、髭を剃って洗面と着替えを済ませ、蕎麦屋に出掛ける亭主。暖かい朝なのです。昼からは風が強くなると言っていたけれど、この陽気ではお客が来ると経験から判断しました。昨日の蕎麦も大分残ってはいたのですが、更に打ち足して15人分の蕎麦を生舟に並べるのです。
蕎麦を打ち終えたら厨房に戻って金柑大福を包み、週末だからと野菜サラダの具材を四皿分刻んでおきます。今週仕入れたアスパラは随分と新鮮なので根本まで使える。ブロッコリーはカルビー丼に載せる分まで茹でておきます。お湯の沸いた鍋に塩を入れて2分半ほど茹でたら水で冷やす。その間に湯の沸いた大釜から四本のポットに湯を入れて、大釜に水を足しておく。
家に戻って早い昼食を食べてきた女将が現れるのは開店30分前。亭主はここでやっとひと休みなのですが、今日はもう駐車場にお客の車が入って来ている。慌てて暖簾を出し、前掛けをして「いらっしゃいませ」3人連れのお客が続けていらっしたから大変です。カウンターにも二人連れのお客が座って、俄に忙しくなりました。
三組までで満席の看板を出すので、これ以上はお客は入らないから、順番に調理していけば好いのですが。テーブル席のお婆さんが鍋焼きうどんをご注文で、こちらは女将の側にある IHで調理してもらう。温かい汁を使い切って予備の汁を温め、天麩羅をどんどん揚げて蕎麦を茹でていく亭主。玄関の外では、駅前から歩いていらっした常連が、椅子に座って待っていらっしたのでした。
その後も休む間もなくお客が入り、やっとお蕎麦売り切れの看板を出して、亭主は奥の部屋で休んでいたら、「あと一人分は蕎麦があるのでしょ」と、もう女将が若い男性を店に入れていた。昨日までの閑散とした店の営業とはうって変わって、今日は久し振りに5時間も立ち通しで、亭主は昼を食べる暇もなかったのです。
一時間ほどかけて洗い物を済ませ、家路についたのは3時過ぎ。暖かい南風が強くなって、これは春一番。女将が餅を焼いて書斎に持って来てくれました。今日の売り上げを品目別にパソコンに入力して、亭主はやっと少し横になる。洗い物を続けると低い流しで身体をかがめるから、背中が痛くて堪らないのです。女将はその間に歩いて2㎞の買い物に出掛けるから、最近は亭主も敵わない。
店で残った野菜サラダと、女将の買って帰った本マグロのトロぶつで夕食を終えたら、亭主は出汁を取りに歩いて蕎麦屋に向かう。蕎麦汁を蕎麦徳利に詰めるところまで終えて小一時間。洗い物を済ませて帰宅すれば、もう7時を過ぎているのでした。風呂上がりに体重を計ったら、昨日よりも700gも減っていたから嬉しい。
3月6日 日曜日 今日は北風が強く…
昨日は久し振りに沢山働いたから、今朝はなかなか起きられませんでした。8時間もぐっすりと眠って、起きてみればさすがの女将もまだ台所には立っていない。暖かな朝だったけれど、どこか薄ら寒いので、暖房を入れてひと休み。壁のエアコンは調子が悪いのでコンセントを抜いてある。そのうちまた動くようになるのか。
やっと女将が現れて、土鍋で鮭粥の支度をし始めました。卵を落として三ツ葉を入れて、亭主は茶碗に二杯ほど食べたらもう満腹。考えたら今日は日曜日で、朝ドラもないから女将も時間に追われないのかも知れない。洗面を済ませて着替えをすれば、後は珈琲を一杯飲んで蕎麦屋に出掛けるだけ。玄関口の垂れ梅の鉢に梅の花が咲いていた。手入れもしないから、今年は片側だけなのだろうか。
陽射しは強いのだけれど、冷たい北風も強く、幟を出したら風で煽られて大変。少し高さを調節して低くしたら、金木犀の枝の陰になって落ち着いた。二つの大釜に水を張って火にかけたら、今朝はいきなり蕎麦打ち室に入って蕎麦を打つ。室温は12℃もあるから、寒いわけではないのです。馬鹿にしてはいけない日曜日だけれど、この風ではお客は来そうにないと思われたのですが…。
10人分だけ蕎麦を用意して、厨房に戻り、いつもの準備。葱切りを済ませ、大根と生姜をおろし、昨日使い切った天麩羅の具材を刻んで、金柑大福を包めば、後は野菜サラダだけです。今日は開店時刻の5分前にやっと準備が終わって、見れば駐車場にもう車が入っているのでした。暖簾を出して店の中に入っていただいたら、お婆さんを連れた夫婦がテーブルに座って、鴨せいろ二つに天麩羅蕎麦のご注文。調理している間に、毎週のようにいらっしゃるご夫婦がご来店で、こちらはカレーうどんにとろろ蕎麦を頼まれる。
鴨肉は一人分しか解凍していなかったから、新しく解凍するのに時間がかかる。カレーも解凍して汁を作るのに手間がかかるので、最初から俄に忙しい厨房なのでした。それでも無事に料理をお出しして、最後のご主人のカレーうどんだけは遅れてテーブルに運ぶ。「ここのカレーは美味しいと主人が言うのですよ」とは奥様の言。毎週のように同じものを頼んでも飽きないらしく、よほど気に入っていただいた。デザートに金柑大福も食べて帰られる。
5人分の盆や皿を洗い終わるか終わらないうちに、次のお客がもうやって来るから大変。ヘルシーランチセットのご注文が二つで、女将が野菜サラダや蕎麦豆腐を出している間に、亭主が盆に皿をセットして蕎麦を茹でるのでした。少し用意した蕎麦が少なかったかな?という思いが頭をよぎるのです。やはり馬鹿にしていてはいけない日曜日。電話が鳴って女将が出たけれど、「蕎麦は残り三つ」と亭主が応える。その三つも1時過ぎには売り切れてしまう。
結果として、後から駐車場に入ってきた二組ほどのお客には、女将が出て「ご免なさい」と売りきれを伝えるのでした。こんな冷たい風の吹く日でもお客がいらっしゃるので、やはり春なのかと彼女が一人呟く。コロナ禍でお客の数が減ってはいるけれど、2日続けて店が混むのは珍しいのです。少しは明るい兆しか?
3月7日 月曜日 混んだ週末の翌日は…
明日から定休日だというのに、今朝も朝飯前のひと仕事に出掛ける亭主なのでした。お客の多かった日の翌日は、お盆や蕎麦皿などを乾かすためにカウンターの上に沢山干してあるので、これらを片付けないといけない。布巾で拭いただけでは戸棚の中で黴が生えてしまうのです。厚手の丼やデザートを載せる皿も、拭いただけでは十分に水分がとれないから干してあります。
大釜に水を汲みながら、次々と扉の閉まる戸棚の中に収納していくのですが、これを朝の仕込みの時間帯にやろうとすると、かなりの時間を取られてしまうのです。朝日が昇って店の玄関のガラスが眩しいほどに輝く時間帯。日の出は随分と早くなってます。カウンターの上が片付いたところで、冷蔵庫の中をチェックして小鉢がどれだけ残っているのかを調べます。中はほとんど空の状態。
白菜のお新香と大根のなた漬けと筑前煮をそれぞれ盛り付けて、今日打つ予定の蕎麦の数だけは用意しておくのです。昨日は鴨せいろと天麩羅蕎麦やカレーうどんが出たので、冷たい蕎麦汁はまだ大分残っていた。コロナ禍の中、2日続けてあれだけお客が入ると、どうしても今日が不安になるのです。蕎麦は平日だから8人分だけ打つと決めているから、これが一つの不安解消の材料。万が一、なくなったら売りきれにして営業をストップすれば好いのです。
小一時間作業をして、明るくなった道を家に帰る。陽射しは暖かいのに強い風はとても冷たく感じるから不思議です。家に戻って女将の作った鮭粥を食べて身体を温める。暖かくなると急に眠くなるから、書斎で横になってひと眠り。朝が早いとだいたいこのパターンで、再び元気を取り戻すのです。
30分ほどぐっすりと眠ったら、洗面と着替えを済ませてまた蕎麦屋に出掛けていきます。暖房を入れてなくても室内は13℃もあるから、気温はそれほど下がっていないのです。ただ風が冷たいから、これではお客が来ないのではと心配をする。蕎麦打ち室に入って、750gの蕎麦を打ち始める。丸出しをしたら伸し棒に巻き付けて四つ出し、これを90度回転させて本伸しにかかります。
週の最後の日でも、野菜サラダとデザートはきちんと既定数だけ作って、残れば家に持ち帰るのですが、今日は皆さんデザートを召し上がったので、金柑大福は売り切れた。辛味大根とせいろの大盛りを頼まれた常連さんは、お孫さんが感染したと言う。亭主も子供の多いプールへ出掛けるのはお休みしていると応えるのでした。
1時半過ぎに最後のお客が帰ったら、亭主は一人で洗い物と後片付け。月曜日は冷蔵庫の中を空にして残り物を持ち帰るので大変。おまけに生ゴミの始末をしなければならない。そんな亭主の大変さを察してか、しばらくして女将がやって来たからほっとする。今日はスポーツクラブはお休みなのだと言う。
二人でやれば時間は半分で済むから、これが一番に嬉しい。風も大分弱まって、帰る頃にはぽかぽかともう春の陽気。近所の売りに出ていたお屋敷がやっと売れたらしく、会社の係員が看板などを撤去していたから、「売れたのですか?ご近所が増えて嬉しい」と話をするのでした。先日、近くの家を見に来たといって、蕎麦屋で昼を食べて行かれた若いご夫婦が飼い主なのだろうか。
家に帰って女将に話をすれば、「あら、私も売れたんですか?と聞いたのよ」と言うから、さすがに蕎麦屋の並びの家だけに彼女も気になったのだと見える。週末に内覧会の仕事で来ていた若者も、店に蕎麦を食べに来たから、印象に残っていたのでしょう。新しく家を買うと言うことは、何か未来が開けるようで微笑ましい。
今日は昼に賄い蕎麦を食べる暇があったので、家に着いたらパソコンに今日の売り上げの詳細を入力して、陽の当たる書斎で昼寝を決め込む亭主。目が覚めたらもう4時半だったので、台所に入って夜の支度をするのでした。昼に残った野菜サラダを使って、お好み焼きを作ろうと女将と話をしてあったから、亭主の責任と、始めにサラダのアスパラやトマトなどを別皿に盛って食卓に置いておく。
フライパンと油を取り出して、小麦粉を溶いて塩と卵を加え、フライパンでまず肉を焼いて、溶いた小麦粉をお玉でかぶせていく。蓋をして焼け具合を見ながら、フライ返しで綺麗にひっくり返したら、キャベツやニンジンなどの刻んだ野菜を載せて、さらにモッアレラチーズのスライスを振りかけてまた蓋をする。十分に火が通ったところで皿に盛り、鰹節とブルドックソースをかけるのです。女将も至極満足そうに食べるから、幸せな夕食なのでした。